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夜想 [日本の作家 な行]


夜想 (文春文庫)

夜想 (文春文庫)

  • 作者: 貫井 徳郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/11/10
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
事故で妻と娘をなくし、絶望の中を惰性でただ生きる雪籐。だが、美少女・天美遙と出会ったことで、雪籐の止まっていた時計がまた動き始める。やがて、遙の持つ特殊な力は、傷ついた人々に安らぎを与え始めるが……。あの傑作『慟哭』のテーマ「新興宗教」に再び著者が挑む。魂の絶望と救いを描いた、渾身の巨篇。

このブログを始めてから読んだ貫井徳郎の本は、「悪党たちは千里を走る」 (集英社文庫) (ブログへのリンクはこちら)と「被害者は誰?」 (講談社文庫)(ブログへのリンクはこちら)との2冊で、どちらも軽めの本だったので、それでも十分おもしろいのですが、ちょっと貫井徳郎の一般的なイメージとはずれている感じでした。
この「夜想」 (文春文庫)は本領発揮というか、イメージ通りの作品です。つまりはシリアス。
新興宗教を扱っている関係で、デビュー作で出世作ともいえる「慟哭」 (創元推理文庫)と比べる方が多いようです。
ただし、狙いどころは全く違います。
宗教をめぐるテーマが、ミステリの道具として機能していた「慟哭」 に対して、この「夜想」 ではミステリ味を薄くしてテーマを語ることに比重がかかっています。
解説で北上次郎さんが
「『魂の絶望と救い』のドラマを物語の背後に隠して成立した『慟哭』から、それを前面に出して正面から描いた『夜想』までの十四年こそ、貫井徳郎の成熟の過程だったのではないか。」
と書かれていますが、そしてその指摘は正しいのだと思いますが、ミステリ度を弱くすることでできあがったものを「成熟」と呼ばれてしまうと、ちょっとミステリファンとしては寂しいですね。14年の歳月は流れたとはいえ、どっちだって書けるんだよ、と貫井徳郎が示して見せたんだ、と解釈したいところです。
ミステリ味は薄いのですが、北上次郎さんの言うドラマの部分は、たっぷり楽しめます。
天美遙の力を信じ、確信し、広めたいと願う雪籐の思いは、周りから見れば新興宗教に当たるわけで、そのずれっぷりがおもしろいのです。広めれば広めるほど、人は集まってくるし、派閥はできるし、組織化は必要になるし、と、新興宗教って、こういう感じで大きくなるパターンもあるのかもしれませんね。
そして、集団になってしまえば、最初の想いとはかけ離れた事態も当然引き起こされてしまう...
自らが信じることと、自らの信じるものを人に信じてもらうことには大きな溝があり、それを埋める仕掛けが新興宗教という枠組みなのでしょうが、それゆえに突き進めば歪みも生じてくる。
雪籐の突出ぶりというか、唯我独尊ぶりが読みどころで、ラストの展開にも大きく効いてきますし、故郷を離れ東京で娘を探す子安嘉子のエピソードが本筋のストーリーに交差する仕掛けもあり、ミステリをおろそかにしているわけではなく、これはこれで十分におもしろい作品にはなっているのですが、「慟哭」 のトリッキーさを懐かしく思い出しました。

読み終わってから、文庫の表紙絵を見返すと、なかなかいい表紙だなぁ、と感じました。
タグ:貫井徳郎
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