智天使(ケルビム)の不思議 [日本の作家 な行]
<裏表紙あらすじ>
昭和二十八年、一人の金貸しが殺された。警察は没落華族の若い女とその家の元使用人を犯人と断定。だが、二人には難攻不落のアリバイがあり、事件は迷宮入りしてしまう。女は後に、一躍、人気マンガ家となるが、三十四年後、今度は彼女の元夫が不審死を遂げる――。二つの事件を追う名探偵・水乃サトルは、悪魔的な完全犯罪計画を見破れるのか? 究極の本格推理。
本書は、東野圭吾の「容疑者Xの献身」 (文春文庫)をめぐる論争に対する回答として書かれたそうです。
そのため「容疑者Xの献身」 を意識した人物配置、人間関係(要するに、“愛” ですが)が取られており、この影響で、いつもの水乃サトルものの軽さがかなり失われてしまっています。
いつもと仕上がり感が違うので、二階堂黎人としては異色の作品になっており、不思議な読みごたえは感じましたので、軽くないということは必ずしもマイナスではありませんが、個人的には、水乃サトルもののこの路線には疑問を感じます。水乃サトルものではない、単独作品にした方がよかったのでは?
ちょっと度を越して時代がかった感があるところは、二階堂蘭子シリーズとも共通する二階堂黎人の持ち味(≒通俗探偵小説風味)でもあるので個人的には楽しみましたが、“愛”という要素に絡めるとちょっと雰囲気が変わりますし、一般受けはしないのではと心配します(まあ、一般受けなど望んでおられないかもしれませんが)。
さて、二階堂黎人といえば、いつもトリックが素敵なのですが、今度はどうでしょうか?
冒頭に出てくる密室トリックはおまけみたいなものなので、これであれこれ言うと作者に気の毒だと思います。
眼目はやはり、アリバイトリックにあるのだと思うのですが、これはさすがにうまくいかないと思います。
事件が発生したのがさまざまな鑑定技術がいまほど発達していない1953年ということを考慮しても、つらいと思います。
ただ、「容疑者Xの献身」 を意識した形のトリックになっていることは、振り返ってみて楽しいな、と思いました。
紅白歌合戦を小道具に使っているのも、個人的には気に入りました(もっとも、個人的にはそのせいで仕掛けに気づきやすくなってしまいましたが)。
一方で、倒叙形式で犯人側の犯行を描いておくがゆえに、一層読者が真相に気づきにくくなる、という構図は、「容疑者Xの献身」 を踏襲したものと考えられますので、「容疑者Xの献身」 論争をめぐる回答としてはどうでしょうか? 違う構図で「容疑者Xの献身」 に勝負を挑むべきではなかったかと、そんな風に思います。
二階堂黎人らしさあふれるところと二階堂黎人らしくないところの入り混じったとても興味深い作品でした。
<おまけ>
本書は三部構成で
第一部 過去と現在 で 時代背景が1953~1954年と1984年
第二部 現在 で 時代背景が1987年
第三部 もっと現在 で 時代背景が1996年
となっているのですが、「もっと現在」って表現、どうですか?
言いたいことはわかりますが、作家の書く表現とは思えませんね...
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