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オシリスの眼 [海外の作家 は行]


オシリスの眼 (ちくま文庫)

オシリスの眼 (ちくま文庫)

  • 作者: R.オースティン フリーマン
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2016/11/09
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
エジプト学者ベリンガムが不可解な状況で忽然と姿を消してから二年が経った。生死不明の失踪者をめぐって相続問題が持ち上がった折も折、各地でバラバラになった人間の骨が発見される。はたして殺害されたベリンガムの死体なのか? 複雑怪奇なミステリに、法医学者探偵ジョン・ソーンダイク博士は証拠を集め、緻密な論証を積み重ねて事件の真相に迫っていく。英国探偵小説の古典名作、初の完訳。


このところクラシック・ミステリを続けて読み、そしてそれらをおもしろく感じたので、勢いに乗って、「オシリスの眼」 (ちくま文庫)を読みました。
「勢いに乗って」と言ったのは、フリーマンの作品といえば退屈という印象があり、勢いを借りなければ読めないだろうと勝手に思っていたからです。
ほとんど読んだことがないにもかかわらず(「赤い拇指紋」 (創元推理文庫)しか長編は読んでいません)、退屈というイメージは結構強烈で、恐れおののいていたのです。

勢いをかったおかげで、いやいや、作品の持つ本来の力のおかげで、しっかり退屈などせずに読めましたし、むしろ、おもしろいなと思いました。いいじゃん、ソーンダイク博士。

この作品ではソーンダイク博士は、安楽椅子探偵っぽいんですよ。
直接現場に行って調べまわったりしない。
冒頭から新聞記事を題材に話をするシーンですから。もっぱら新聞とか、あるいは視点人物であるバークリー医師からの情報に基づいて推理する。
きわめてフェアプレイ精神に富んだ作品になっています。
「この事件についての私の結論は、ほぼ状況証拠に基づいている。一つの解釈しかあり得ないと言えるような事実はないもない。だが、結論を得るには程遠い事実でも、十分積み重ねれば、決定的な総体になることも忘れてはいけないよ。」(288ページ)
とソーンダイク博士自ら言うように、証拠の積み上げが楽しいですね。

そもそも失踪なので、死んでいるのか(あるいは殺されているのか)どうか、そこから推理しないといけない。
「考えられる仮説は五つある」(195ページ)とソーンダイク博士がいうシーンではかなり首を傾げてしまいましたが(なにしろ、「一、彼はまだ生きている。二、すでに死んでいて、身元不明のまま埋葬されている。三、未知の人物に殺された。四、ハーストに殺され、死体は隠された。五、弟に殺された。」という五つで、なんかしっかり系統立てて整理された五つには到底思えないからです)、こつこつと証拠、というか手がかりを集めていって真相にたどり着くのは、論理的でミステリ本来のおもしろさ、と言えると思いました。

訳者あとがきで(この訳者あとがきが感動ものです!)、
「今日主流の謎解き推理小説は、与えられる手がかりに基づいて説得力のある解決を推理するよう読者に求めるタイプの作品ではなく、むしろ、狡猾なトリックや結末の意外性で読者を欺き、驚かせようとするタイプの作品なのだ。」
「ところが、フリーマンの作品は、クリスティのような結末の意外性、カーやクロフツのような不可能犯罪、アリバイ等のトリックの奇抜さを狙うようなことはしない。」
「フリーマンは、倒叙推理小説の生みの親であることからも分かるように、犯人が誰かという答えを単に当てることではなく、なぜその人物が犯人なのかをプロセスとしてきちんと論証してみせることを重視した作家だった。」
と指摘されていますが、「オシリスの眼」は、まさにそのことが実感できる作品です。

もう一つ、この「オシリスの眼」のポイントと思われる点は、プロットが複雑なことかと思います。
よくこんな複雑なプロットを、説得力ある形で証拠を積み上げていって構築したなぁ、とびっくりします。
それに「トリックの奇抜さを狙うようなことはしない。」といいながら、この作品には結構印象的なトリックが使われています。そこもポイントでしょう。

あとついでに、語り手であるバークリー医師の恋愛模様も、たどたどしくてクラシックな感じがして笑えます。

半ば食わず嫌いだったフリーマン、いけるな、と実感しました。

タイトルの「オシリスの眼」とは、被害者の指輪のデザインです。
「これは“ウジャト”──“ホルスの眼”だ──“オシリスの眼”ともいう。そう呼びたければね。」(359ページ)と作中で考古学者が解説(?) しています。
Wikipedia でみてみる以下の通りです。
「古代エジプトでは非常に古くから、太陽と月は、ハヤブサの姿あるいは頭部を持つ天空神ホルスの両目(「ホルスの目」)だと考えられてきた。
やがて二つの目は区別され、左目(「ウアジェト(ウジャト)の目」)は月の象徴、右目(「ラーの目」)は太陽の象徴とされた。」
こちらも訳者あとがきで懇切に説明されています。

<蛇足1>
「単純さは効率のよさの極意ですよ」ボルトンはお茶の用意に抜かりがないか確かめながらそう応じると、この見事な金言を残して静かに姿を消した。(41ページ)
ソーンダイク博士の使用人のセリフです。含蓄深い!

<蛇足2>
「さほど役に立たない真実ですけど」と私は笑いながら応じた。
「否定できない真実とは、だいたいそんなものさ」彼は言い返した。「真実とは、きわめて一般的なものになりがちだ。というか、ある命題がどこまで真実性があるかは、その一般性の程度にそのまま比例すると言っていい」(159ページ)
語り手であるバークリー医師と、失踪したベリンガム氏の顧問弁護士との会話です。これまた含蓄深いですね。

<蛇足3>
「骨はまっさら--つまり、軟部がすべて消失している状態です」(238ページ)
軟部がすべてなくなってしまっている状態の骨を「まっさら」と言うのでしょうか?
まっさらって、真新しいことを言うのだと思うのですが。
軟部がすべてなくなった状態の骨、白骨は、真新しいと表現するようなものとは思えないのですが。



原題:The Eye of Osiris
作者:R. Austin Freeman
刊行:1911年
訳者:渕上痩平





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