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それでもデミアンは一人なのか? [日本の作家 森博嗣]

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/06/21
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
楽器職人としてドイツに暮らすグアトの元に金髪で碧眼、長身の男が訪れた。日本の古いカタナを背負い、デミアンと名乗る彼は、グアトに「ロイディ」というロボットを探していると語った。
彼は軍事用に開発された特殊ウォーカロンで、プロジェクトが頓挫した際、廃棄を免れて逃走。ドイツ情報局によって追われる存在だった。知性を持った兵器・デミアンは、何を求めるのか?


ここから8月に読んだ本の感想です。

森博嗣の新しいシリーズ、WWシリーズの第1作です。
前までのWシリーズとはかなり近しい地続きですが、登場人物が変わっているのですね、とあらすじを読んで思ったのですが、そうではありませんでした。
Wシリーズのハギリとウグイたちが名前を変えて登場しているようです。
あらすじのグアトがハギリ、ロジがウグイですね。
ハギリは、引退して穏やかな生活を送ろうとしているようですが、そうは問屋が、いや森博嗣と読者が卸しませんね(笑)。

Wシリーズとの間でどのくらい時間が空いているのかわからないのですが(なにしろこの世界では基本的に人間は死ななくなっていますから)、シームレスにすっと世界に入っていけます。

タイトルにもなっているデミアンがもたらした騒動で、グアトの思索がぐっと進んだようです。
「人間ではないもの、人間が作ったものが、人間以上に人間らしくなり、人間以上に正しく生きる世の中が来る。きっと来るだろう。否、もう来ているのかもしれない。
子供が生まれないというだけのことで、人間は後れを取った。歩みを止めたのかもしれない。つまり、進化していない、ということだ。その間に、ウォーカロンも人工知能も人間を追い越していくだろう。彼らは常に生まれ変わっている。人よりも早く進化しているのだ。」(210ページ)
これは、なかなかの世界観ですよね。そしてそれをグアトは美しいと捉える。うーん、すごい。

「電子空間に生を受けた者たちは、皮膚のようなものはない。どこからが内側で、どこからが外側といった位置的な境界が明確ではないからだ。電子の生物たちは、個という概念も将来曖昧である。これも内か外かが定義できないためだ。」(225ページ)
と人間と電子空間の存在の違いを確認した後でもたらされる思索はスリリングですね。
「トランスファが活動することが、共通思考そのものだともいえる。」(228ページ)

だからこそ、
「ある一人の人間を、電子社会へ招き入れる。その人は刺激を受けて、つぎつぎに新しい発想をしました。このことが、まるでトランスファの裏返しであり、似ていると思います。先生は、向こうから見れば、トランスファなのです。」(234ページ)
というオーロラのセリフとなるわけですね。

停滞し技術が飽和している世界は、突破するために発想というアクシデントに期待するしかない。
これには時間がかかる。
「だから、全体の時間を遅く設定したんだ」「マガタ博士の共通思考が、これまでの人類史の時間に比べて、遅い速度設定になっているように感じたのですが、そこで調節しているというわけですよ」(236ページ)というグアトのセリフには眩暈がしそうです。

マガタ博士すごい。
そして森博嗣、すごい。
デビュー作である「すべてがFになる」 (講談社文庫)の頃から、ここまで考えておられたのでしょうか?
否、この質問の仕方は正しくないですね。
きっとデビューに関係なく、森博嗣さんが以前から考えてこられた全体像を、さまざまな作品を通して少しずつ小出しに(?) されていっているだけなのでしょうね。

ここからさらにどこへ連れて行ってくれるのか、とても楽しみです。


Wシリーズのように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Still Does Demian Have Only One Brain?
第1章 一つの始まり One beginning
第2章 二つ頭の男 Two headed man
第3章 三つの秘策 Three secrets
第4章 四つの祈り Four prayers
今回引用されているのは、アイザック・アシモフ「ファウンデーション」 (ハヤカワ文庫SF)です。
創元推理文庫版では、「銀河帝国の興亡」というタイトルですね。


<蛇足1>
森博嗣の作品では、たとえば「コンピューター」は「コンピュータ」と表記されています。
なので、カタカナ表記の語末の長音符号(音引き)は書かないのかな、と思っていたら、
71ページに「コーヒーを淹れましょうか?」
となって、あれっと思いました。
ほかにも、
インタビュー(114ページ)
パトカー(148ページ)
スロー(158ページ)
スキー(260ページ)
などで語末の長音記号が出てきます。
また、ロータリィ(194ページ)、エネルギィ(200ページ)、ストーリィ(229ページ)のような表記もあります。
一方で、ディナ―ではなくディナ(148ページ)、シャッターではなくシャッタ(同148ページ)、サーバーではなくサーバ(158ページ)となっています。

語末の長音符号については以前にもあれっと思ったことがあって、
「ペガサスの解は虚栄か? Did Pegasus Answer the Vanity?」 (講談社タイガ)(感想ページへのリンクはこちら)では、トウキョー
「天空の矢はどこへ? Where is the Sky Arrow?」 (講談社タイガ)(感想ページへのリンクはこちら)では、シチュー
と書かれていたことについて触れました。

これ、今回改めて調べて(?) みると、工学分野ではごく普通の表記で、JIS(日本工業規格)や学会・協会でも標準となっている書き方があるようです。
「2音の用語は長音符号を付け、3音以上の用語の場合は長音符号を省く」というルールらしいです。
森博嗣さんはこれを採用しているのかな?

コーヒー、スロー、スキー、シチューは2音なので長音符号が使われているのですね。
パトカーは、パトロールカーの略で合成語。本来のカーが1音だからでしょうね。
インタビューは3音以上ですが、スペルの違いかな? ロータリィなどの「ィ」表記もスペルによるのでしょうね。
でも、ディナ、シャッタ、サーバあたりは2音なので長音符号を使うところなんじゃないかな、なんて思ったり。

ちなみに、1991年に発表された内閣告示「外来語の表記」では「英語の語末の-er,-or,-arなどに当たるものは原則としてア列の長音とし長音符号を用いて書き表す」とされています。これを受けてJISのガイドラインも2005年以降は「長音は用いても省いても誤りではない」という内容に修正されているそうです。

<蛇足2>
カタカナ表記ということでは、
クルマやキュースというのも出てきます。
今と時代も違いますし、ここに出てくる車や急須はわれわれの思い描く車や急須とは違うのですよ、ということを暗示しているのでしょうか?

<蛇足3>
帯に、講談社タイガの近刊案内が書かれているのですが、
小島正樹の「ブラッド・ブレイン2 闇探偵の暗躍」 (講談社タイガ)が、「ブレッド・ブレイン2」と誤植されているのに笑ってしまいました。
パン探偵? それはそれでおもしろいかも。



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