透明な一日 [日本の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
結婚の承諾を得るため千鶴の実家へ赴いた幸春は、千鶴の父・久信が前向性健忘という記憶障害に陥っていることを知らされる。数日後、幸春の知人が公園で何者かに襲われ命を落とす。当初は強盗事件と思われたものの、悲劇はこれだけでは終わらなかった・・・・・。十四年前の放火事件との関係は、そして幸春と千鶴の結婚の行方は? 多重どんでん返しの末に明らかになる驚愕と感動の真相。
2024年10月に読んだ6冊目の本です。
北川歩実の第6作「透明な一日」 (創元推理文庫)。
北川歩実の作品の感想を書くのは初めてですね。
北川歩実のデビュー作「僕を殺した女」 (新潮文庫)は、新潮ミステリー倶楽部から出た単行本を買って読んで、実はよくわからなくて、でも面白く感じ、なんだか気になって何度も読んでいる作品です。未だにすっきり全部わかっているわけではないのですが......
その後北川歩実作品としては
「硝子のドレス」 (集英社文庫)
「模造人格」 (幻冬舎文庫)
「猿の証言」 (新潮文庫)
「金のゆりかご」 (集英社文庫)
とのーんびり読み進めていますが、いずれも面白く読んでいます。
前作「金のゆりかご」を読んだのが、手元の記録によると2002年ですから、22年ぶりです。
記憶、精神、知能といった領域に強い関心を抱いている作家で、この「透明な一日」で扱われているのは、前向性健忘。
解説で千街晶之も指摘していますが、前向性健忘を扱った作品は、視点人物が前向性健忘に罹っているというものが多いところ、この作品は前向性健忘の当事者の視点をとっていないことが特徴になっています。
タイトルの「透明な一日」というのは、前向性健忘の状態についての説明から取られています。長いけれど引用します。
「脳の中になる記憶の保管庫には、情報が分水整理されて収まっているの。複数のジグソーパズルを一度崩してしまって、似た形のピースをまとめて分類して保管してある。そんな状況で。ある出来事を思い出すということは、一つのパズルを組み直すこと。
Aというパズルを組み立てるためには、Aのピースを集めて来なくてはならないけど、本来は、各ピースがどのパズルのものかわかるように色が付けてある。
竹島さんの記憶障害は、この色を付ける機能がなくなった状態なのね。
昔のパズルには色があるけど、新しいパズルには色がない。
だけど新しいパズルも、保管はされてるの。ただ、どれがどれやら区別が付かない。
一九九三年一月六日のパズルには色が付いていたはずなんだけど、ほとんどのピースから色がはがれてしまった。
ほんのいくつかのピースにだけ、まだ色が残ってる。
白いピースってことにしましょう。その白いピースを手がかりに、形を合わせていけば、透明なピースの中から、本来白だったはずのピースを捜せる。そうやって、一部だけなら組み立てることができるかもしれない。」(496~497ページ)
これはかなり後に説明されるのですが、この前向性健忘の特徴が見事にプロットに活かされています。
視点人物は、14年前の幼い頃、放火で母を失った幸春。
健忘になっているのは、幸春の婚約者である千鶴の父・久信。千鶴、久信は幸春と同郷で、連続放火とみられる放火で千鶴の母(=久信の妻)も焼死していた。
アパートの大家の息子であった木村泰典は、幸春の父や久信とともに真相究明をしようとしたが実らず。
その後東京で偶然再開した幸春と千鶴は(このとき泰典とも再会している)、交際を始め今に至るという状況で、結婚の承諾を得るため久信のところを訪れた幸春は前向性健忘のことを知る。
その後泰典が殺される事件が発生し......
この後の展開に引き込まれました。
非常によく巧まれた作品で、どうしてもっと話題にならなかったのだろうと不思議な思いに駆られるくらいです。
368ページで僕が到達する思考には、目を見開かされました。
登場人物が前向性健忘であるからこそのアイデアで、前向性健忘をこういうかたちでミステリに使えるのか、と。これはとても斬新なアイデアだと思います。
作者は、この上なく素晴らしいこのアイデアをさらっと乗り越えてしまいます。驚愕。
その後、ある意味で常識的な真相を提示してくるのですが(といいつつ、尋常ならざる犯人像で、こちらはこちらで恐ろしくなります)、この真相であればこその、あの印象的なラストシーンになっています。
この真相、残酷なもので、状況をかなりしっちゃかめっちゃかなものにしてしまうものでして、一体どうやって(物語の)決着をつけるんだろう、と読んでいて途方に暮れるようなものなのを、見事な決着をつけています。
多くの人に読んでみていただきたいと思いましたが、品切れなんですよね......
もったいない。
こんにちは、31さん。31さんが読み進められている本の中の1冊「金のゆりかご」を私も最近、読み終えましたので、コメントしたいと思います。
人間の記憶や脳や遺伝子など、まだまだ科学や医学でも解明されきってないことがモチーフにされることの多い北川歩実作品ですが、この「金のゆかご」も早期幼児教育がメインモチーフですね。
脳のハードが3歳までに決まるという理論を前提に、赤ん坊のうちから五感に刺激を加え続けて、脳の構造を天才脳としてデザインするというものです。
そして、その幼児教育を受けている子供たちに事故が起こり、GCSがその事故を隠そうとするために、さらに様々な出来事が起こります。ここまではよくありそうな話なのですが-------。
物語の後半から最後に至るまでの展開が物凄いですね。
解かれるべき謎は色々とあるのですが、最後まで読んでみて、何が謎の一番中心に存在していたのかすら、自分が分かっていなかったことに驚かされてしまいました。
物凄い重層的な構造です。そして、この真犯人の悪魔的な発想も、とにかく凄い。
しかし、だからこそ、その発想の行方が分かった時の哀しさは強烈なのですが-------。
この勝者と敗者、どちらも本当は羨ましがられてしかるべき頭脳の持ち主のはずなのですが、羨ましいどころか非常に切なくなってしまいます。
確かに、ある程度の早期幼児教育によって、人間の能力は開花させられるということはあると思います。
しかし、それが一生続く本物の才能なのかどうかは誰にも分からないことですし、むしろ挫折した時のことを考えると、その時の方が怖いですね。
自分の才能を早くから知り、その才能のおかげで、ちやほやされて育ったような人間は、どうしても自分が特別だと思いがちなんですね。
しかし、その才能の代わりに、人間としてあまりにも不完全な存在になってしまうことも多いような気がします。
そして、その才能が限界に来た時に初めて、その人物の人間的な欠陥が、並の人以上に攻撃にさらされることになると思うのです。
才能に限らず、何かしら人よりも優位にある人間は、ごく一般の人以上に、本人も親も色々と気をつける必要があるはずなのに、結果的には人間としての資質に関しては、どうしても疎かになってしまうのでしょうね。
人としての痛みを知らないで育ってしまうぐらいなら、勉強なんて出来ない方が幸せなのではないかと、私は思ってしまうのですが--------。
北川歩実さんの作品に出てくる登場人物たちには、どこか現実や常識から少しズレている部分があり、それが読み始めはとても違和感を感じさせるのですが、しかし、読んでいるとある瞬間、それが正当な考えのような錯覚に陥ります。
そして結果的に、毒々しい色の蝶に絡めとられてしまうような、そんな感覚なんですね。
きっとそれこそが、北川歩実さんの作品の一番の魅力なんでしょうね。
この吸引力は、只者ではないように思いますね。
by 紫陽花 (2024-11-16 08:50)
紫陽花さん ご訪問&コメントありがとうございます。
北川歩実の作品はなかなか広くは受け入られていないようで残念に思っているところ、紫陽花さんが読んでおられて、また評価されておられて、とてもうれしいです。
「金のゆりかご」も今入手困難ですよね......
by 31 (2024-11-23 10:11)