だれがコマドリを殺したのか? [海外の作家 は行]
<カバー裏あらすじ>
医師のノートンは、海岸の遊歩道で見かけた美貌の娘に、一瞬にして心を奪われた。その名はダイアナ、あだ名は“コマドリ”。ノートンは、踏みだしかけていた成功への道から外れることを決意し、燃えあがる恋の炎に身を投じる。それが数奇な物語の始まりとは知るよしもなく。『赤毛のレドメイン家』と並び、著者の代表作と称されるも、長らく入手困難だった傑作が新訳でよみがえる!
2024年11 月に読んだ4冊目の本です。
イーデン・フィルポッツ「だれがコマドリを殺したのか?」 (創元推理文庫)。
イーデン・フィルポッツといえば、なんといっても「赤毛のレドメイン家」 (創元推理文庫)ですが、この「だれがコマドリを殺したのか?」 も割と有名ですよね。
未読だったので、新訳を手に取ることに──といいつつ、奥付を見ると2015年3月なのでほぼ10年ほったらかしでした。
あんまり期待していなかったんですよね。
「赤毛のレドメイン家」 (創元推理文庫)も「闇からの声」 (創元推理文庫) (創元推理文庫)も読んではいるものの、あまり印象に残っていない......古典というと、今読めば退屈なこともしばしばだし......
ところが、うれしいことに、とても面白かったです。
主人公である青年医師ノートンが、少々できすぎの人物設定ではあるものの、彼とタイトルにもなっているコマドリ(ダイアナのあだ名)との出会いから、結婚、そして結婚生活が難しくなっていく経緯と、まあ、定番と言えば定番の展開ではあるのですが、引き込まれました。
なかなか事件が起こらないものの(フィルポッツが田園小説の名手だから?)、タイトルで誰が殺されるのかがわかっているので、いつ?、どうやって? という興味を持ちながら読み進めることとなります。
(余談ですが、全然作風も狙いも異なるものの、本書がルース・レンデル「ロウフィールド館の惨劇」 (角川文庫)のヒントになったなんてことは......ないですよね)
ほぼほぼノートンの視点で物語られていくので、読者としてノートンに肩入れしますから、ダイアナ殺しの容疑者と目されると、ノートンは犯人ではないのだろうなと思います(こういう、ひねた読み方はよくないですね)。
登場人物も限られるので、ミステリずれした読者には犯人の見当がつきやすくなってしまっていますが、本書が刊行された当時(1924年)では衝撃的だったのでしょう。
鮮やかな逆転劇、というところです。
終盤で、活劇シーンが盛り込まれているのも意外と楽しい。(まさか、本書がエラリー・クイーンの「エジプト十字架の謎」 (創元推理文庫)のヒントになったなんてことは......これまたないですよね笑)
これは「赤毛のレドメイン家」も新訳が出ていることだし読み直すべきかも、と思わせてくれました。
<蛇足1>
「骨折もしていないし、たいしたことない。もうすこしひどい怪我でもよかったところだがね。」(23ページ)
ここの ”よかった” は、さすがに変ではないでしょうか?
もうすこしひどい怪我でもおかしくなかった、くらいにしておけばいいのに、と思いました。
<蛇足2>
「これが妻との永(なが)の別れになるような予感がしたんだ。」(206ページ)
”永の別れ” という表現があるのですね。
和語っぽくて良い表現だと思いました。
<蛇足3>
「心理学的にも、人は毒殺者を忌み嫌うものだった。残酷さにおいては変わらなくとも、どういうわけかわかりやすく暴力をふるう乱暴者のほうが受けいれやすいのだ。」(242ページ)
なんとなく分かる気がするのが不思議です。
<蛇足4>
「ノエルはイタリアの入国許可を持っていないし、それがなければ通してくれないのも承知していた。」(306ぺージ)
フランスとイタリア間の話です。今はEUがありシェンゲン条約によって、フランス、イタリア間の往来は自由ですね。
<蛇足5>
「終始一貫して、瞋恚の炎こそが〇〇の頭が冴えわたる原動力だった。」(323ページ)
"瞋恚の炎” 手紙に出てくる表現です。なかなか激しいですね。でも、それがここではまことに似つかわしい。
原題:Who Killed Cock Robin? (Who Killed Diana?)
作者:Eden Phillpotts (Harrington Hext)
刊行:1924年
訳者:武藤崇恵
タグ:イーデン・フィルポッツ
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