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アルカディアの魔女 北斗学園七不思議3 [日本の作家 篠田真由美]


アルカディアの魔女 (PHP文芸文庫)

アルカディアの魔女 (PHP文芸文庫)

  • 作者: 篠田 真由美
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2014/05/10
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
中等部三年生になるアキ、ハル、タモツは、寮の引っ越しに大忙し。そんな中、森で妖精の宴を目撃したという生徒が現われ、その一方で奇妙な暗号文が発見される。これらは果たして学園の七不思議と関係があるのか。しかし調査にかかる前に、突然タモツが学校を辞めると言いだして……。森に隠された学園創立期に遡る意外な秘密とは。そして三人を襲う最大のピンチ。謎が加速する大人気学園ミステリー第三弾。


「王国は星空の下 北斗学園七不思議1」 (PHP文芸文庫)(感想ページへのリンクはこちら
「闇の聖杯、光の剣 北斗学園七不思議2」 (PHP文芸文庫)感想ページへのリンクはこちら
い続く北斗学園七不思議シリーズの第3弾です。

理論社のミステリーYA!という叢書でこの「アルカディアの魔女」まで出ていたシリーズで、理論社が倒産して途絶していたのを、PHP文芸文庫で再刊なって再出発ということだったはずですが、2014年5月に「アルカディアの魔女」を復刊したあと再度途絶えています。
売り上げが優れなかったのでしょうか...

悪い点から言っておくと、毎回言っていますが、アキの語り口には違和感が拭えません。中学生の文章とは思えないジジ臭さ。そういう古臭い言葉を使うキャラクター設定にもなっていませんし、謎です。
「えーと。のっけからドタバタやかましくって失礼をば。」(22ページ)
「変に邪推するのだけは勘弁な」(191ページ)
「タイトルは刺激的だけど、中身はすごく真面目でいい本だから、そこんとこよろしくな」(191ページ)
「えいコンチクショウ、タモツの馬鹿」(225ページ)
「そのままおっ死んだ(おっちんだ)とは、誰も思わないだろ」(364ページ)
このあたりも、売れ行きに影響したのではないでしょうか? なんて考えてしまいます。

冒頭、昔のエピソードでスタートするのは、第1作第2作と同じで、かっこいいですね。
タイトルのアルカディアは、「古代ギリシャのペロポネソス半島にあった国」で「古代ローマの詩人ウェルギリウスが、『牧歌』っていう詩集を書いて、その中でアルカディアを理想化したんだ。遥か昔の黄金時代の田園として。だからアルカディアということばには、過去への郷愁や失われたものを嘆く感傷の匂いがまとわりついている」(290ページ)と説明されていまして、温室の名前として使われています。
前作「闇の聖杯、光の剣 北斗学園七不思議2」では人狼が出てきましたが、今回は魔女。
前作同様、古き良き冒険小説を、学園ものの衣を着せて差し出してもらっているようです
温室で魔女で集会ときますから、雰囲気は抜群ですね。猫が活躍するのもポイント高いかも。

ということでシリーズは快調と思われるのに(語り口を除いて)、続巻が出ていないのが残念です。
あとがきで「セイレーンの棲む家」とタイトルまで予告されているというのに...
なんとか続きを出してもらえないものでしょうか?


<蛇足>
「けどさ、それって穴--なんとかいうやつだろ?」
「アナグラム。穴は関係ない。」(120ページ)
これ、会話では成立しないやりとりですよね。文章化されている小説だからこそ、ですね。




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オープン ハウス : Open House London [イギリス・ロンドンの話題]

先週の話になりますが、9月の22日(土)、23日(日)の二日間、オープン ハウスというイベントがロンドンで開かれていました。
イベントのHPによるとこれはロンドンの800以上の建物を無料で一般開放する、というものです。1992年から毎年やっているみたいなので、かなり歴史も積み上がってきていますね。

せっかくロンドンにいるんだし、近くの建物くらい行ってみようかな、と軽い気持ちで参加しました。あいにくあまり天気は良くありませんでしたが...
公開対象建物のなかには、このイベントではなくても一般公開されているものも含まれています。でも、なかなかそういった建物でも行く機会なんてないもの。こういうイベントをきっかけに訪れるのもいいですよね。
今年の公開リストには、10 Downing Street なんてのもありまして、えっ、首相官邸にも行けるの!? と大喜びしたのですが(ミーハー)、残念ながらこちらは完全事前予約制で、気づいたときにはもう SOLD OUT。
それでも2日間で13個行きました。

The UK Supreme Court
HM Treasury
Foreign & Commonwealth Office
The Banqueting House
Royal Institution of Chartered Surveyors
International Maritime Organization
'Roman' Bath
King's College London, Strand Campus
The Temple Church
St Bride Foundation
Apothecaries' Hall
Stationers' Hall
The City Churches: St Mary-le-Bow

このうち'Roman' Bathはさすがにしょぼさにびっくりしましたが(まあ歴史的意義はあるのかもしれませんが)、それ以外はそれぞれなかなか楽しめます。

ガイド付きで案内してくれるところもありますし、体験?できるようにしてくれているところもあります。

面白かったのは、St Bride Foundationですね。活版印刷の展示があって試しにやらせてくれました。写真がその機械。
円盤のところにインクが塗ってあって、その下の黒いところに版組みしたパネル(?) をはめ込んで使います。なかなか楽しい。
DSC_0712 small.jpg

The UK Supreme Court(最高裁判所)も、イギリスの判事が身に纏う、鬘とマントを使わせてくれます。
DSC_0533 SMALL.jpg

Foreign & Commonwealth Office(外務・英連邦省)では、話題のにも会えました。
DSC_0592 SMALL.jpgDSC_0591 small.jpg

って、本来の目的である建築物という観点がずいぶん薄れてしまっていますが...そちらの意味で、
King's College London, Strand Campusからチャペル、
DSC_0671 small.jpg
Stationers' Hallからホールの写真をアップしておきます。
DSC_0727 SMALL.jpg


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秘密 season 0 2&3 [コミック 清水玲子]


秘密 season 0 2 (花とゆめCOMICSスペシャル)秘密 season 0 3 (花とゆめCOMICSスペシャル)秘密 season 0 3 (花とゆめCOMICSスペシャル)
  • 作者: 清水玲子
  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2015/09/04
  • メディア: コミック


<裏表紙あらすじ>
「第九」で数々の事件を解決してきた薪と部下の青木。パリから帰国した薪を待ち受けていたのは、有名レストランの廃棄物から検出された遺体の一部。薪はこの事件の背景に、そのレストランのシェフ、タジク・シャマールが絡んでると睨むが…。(2巻)
天才的頭脳の薪に、一歩も引けを取らないタジク。同郷ゆえにカザフスタン大統領の食事会のシェフに選ばれたタジクと、その警護にあたる薪と青木。食事会会場で起きる波乱の出来事とは? タジクの真の目的は…!? 「原罪」衝撃の完結巻! (3巻)


「秘密 season 0 1」 (花とゆめCOMICSスペシャル)に続くシリーズですが、2巻3巻あわせて1つの話になっています。
題して「原罪」。

1949年の核兵器実験と思われるシーンで幕を開けます。
転じて2036年のカザフスタン。そして東京へ。
読み始めてびっくりしたのですが、秘密のスピンオフ、と思っていたら、普通に続編です(笑)。こうなるとスピンオフとは呼び難いような...
薪が戻ってきておりまして、東京での新たな事件に挑みます。
綺麗な絵にグロい中身、というのがこのシリーズの売りなわけですが(そうだったでしょうか!?)、この「原罪」はその意味で絶好調ですね。
あらすじにも書かれていますが、レストランの廃棄物から遺体の一部が出てくる、となると、ミステリファンならおなじみのあのテーマなのかな、と思うところでして、それを匂わせるようなエピソードがふんだんに出てきます。この段階で受け付けない人もいらっしゃるでしょうね...

このレストランのシェフ、タジク・シャマールが超重要人物なわけですが、彼のプロフィールがすごいです。
「タジク・シャマール(34) カザフ族の貧しい遊牧民出身だが欧州各地で修業しフレンチ・イタリアンはもとより 日本料理も日本の駐イギリス大使が指名する程のウデだとか 彼の特異な所はこのように羊・牛・豚・魚…はてはふぐまでメインの食材は可能な限り自らいって と畜・解体から行う事 この流儀を変えないためメニューは限られレストランは週4日の営業のみ タジクが料理したアトは尻尾しか残らないといわれる程食材をムダなく使い それら総てをフレンチのコースとして出しミシュランをはじめ評価を得ている事で一種カリスマ的な存在として見られています。」
いや、もう、おなじみのあのテーマにうってつけの人材ではありませんか!!

福岡に行ってしまった青木も登場します。青木と薪の関係が、これまた...

それはさておき(シリーズ的にはそっちのほうがメインなんだとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが)、事件はタジクのレストランで何が起こっているのか(あるいは起こっていないのか)から、カザフスタン大統領来日のパーティでの警護へと進んでいくのですが、なかなかに見せ場の多い作品になっています。
特に気に入ったのが、匂わせていたあのテーマがミステリでいう一種のミス・ディレクションとしても機能している点です。素晴らしい。
一方で気になったのは、クロイツフェルトヤコブ病(狂牛病)の取り扱い。まず科学的に立証されていないことを前提にしているような気がします(実証されていたらすみません)が、フィクションなので、そういうものだとして物語を組み立てることは認められるとも思いますので、そこはOKだとして、出発点となるべき最初の感染した部位を犯人はどうやって入手したのでしょうか? そこがわかりません。今イギリスにいるので狂牛病には敏感? いえ、大流行していたさなかにも当時ロンドンにいたもので...そのせいで未だに日本では献血できません...

タジクと薪の対決というのはとても見ごたえがあるのですが、しかし、それにしてもこの事件、行きがかり上ということなのかもしれませんが、第九が捜査に乗り出すような事件ではないんですよね。脳もほとんど調べませんし。
また、薪の捜査方法も、薪らしくないというか、突撃型であまり頭を使っていない感じ。もう一ついうと、薪がこの事件にのめり込む理由もそれほど説得力がない...このあたりの点は残念です。

第4巻ではどんなストーリーを見せてくれるのでしょうか?

<蛇足>
警視総監が第3巻で薪のことを
「彼はたしかに小さい割には強いかもしれないけど でもそれも『小さい割には』ってだけでやっぱ弱いよ! 絶対 握力40切ってるよ!? アレ 腕が強いんじゃなくて気が強いだけだからね?」
と言っているのには笑ってしまいました。




タグ:清水玲子
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あるキング: 完全版 [日本の作家 伊坂幸太郎]


あるキング: 完全版 (新潮文庫)

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/04/30
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
山田王求(おうく)。プロ野球チーム「仙醍キングス」を愛してやまない両親に育てられた彼は、超人的才能を生かし野球選手となる。本当の「天才」が現れたとき、人は“それ”をどう受け取るのか――。群像劇の手法で王を描いた雑誌版。シェイクスピアを軸に寓話的色彩を強めた単行本版。伊坂ユーモアたっぷりの文庫版。同じ物語でありながら、異なる読み味の三篇すべてを収録した「完全版」。


伊坂幸太郎の小説は文庫になれば必ず買いますので、実はこの本、完全じゃない版(?)、文庫版も買っていました。徳間文庫から出ていたものです。

あるキング (徳間文庫)

あるキング (徳間文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2012/08/03
  • メディア: 文庫


積読にしている間に、この「あるキング: 完全版」 (新潮文庫)が出まして、こちらも購入。
奥付を見ると平成二十七年五月一日。もう3年以上も経つのですね。

同じストーリーだけれど、雑誌連載版(magazine)、単行本版(hardcover)、文庫本版(paperback)を全て1冊に収録って、すごい試みですね。人気作家だからこその荒業かと思います。
買うときに、ワクワクしたのを思い出します。
同じ話を、3バージョンもかき分けている。作者がどう変更を加えていったかがわかるって、楽しいかも、とそう思ったのです。
でも今回実際に読んでみて、立て続けに同じ話を読むというのはなかなかに骨が折れる、というか、挫けそうになるなぁ、と思いました。
評論家ではないので、詳細に比べて論評を加えようとはもともと思っていませんし、そんな面倒なことしようとも思いません。冒頭の単行本版(hardcover)を読み終わった時には、この後同じ話を2回読むのかぁ、と正直ちょっとげんなり感じたりしました。

それでもさすがは伊坂幸太郎ということか、次の雑誌連載版(magazine)もしっかり楽しめましたし、続けて文庫本版(paperback)まで読み進むことができました。

さて、どれが一番印象に残っているか、というと、やはり不誠実な読者だからでしょうか、一番最初に読んだ冒頭の単行本版(hardcover)です。出会い、ということでしょうねぇ。
それぞれのエピソードもたいへん興味深く読めましたし(たとえば、ふらふらしていたのに、王求に影響されて? 野球を始める乃木のエピソードは大好きです)、上から下まで黒づくめの三人の女(=魔女)の登場も深く印象的でした。

次に収録されている雑誌連載版(magazine)には、驚いたことに魔女が登場しません。これだけでずいぶん雰囲気が違って見えます。
(あと細かいのですが、登場人物の名前に変更が加えられています。属性は同じなのに。
たとえば、バッティングセンターの親父は雑誌版では木下哲二、単行本版では(文庫版でも)津田哲二。また、王求の父が殺す相手の名前が雑誌版では大橋久信、単行本版では(文庫版でも)森久信。)

3バージョン間の大きな違いはやはり、シェイクスピア作品、「マクベス」 (岩波文庫)の取り扱いでしょう。
雑誌版では底流として流れている、というかたちでしたが、単行本版では三人の魔女など表に出てきています。文庫版では、冒頭に「マクベス」から、"Fair is foul, and foul is fair." の複数の訳例が掲げられていますし(508ページ)、文中にも「マクベス」に言及するところがあちこちに出てきます。
その意味では、どんどんあからさまなかたちに改変していっているということになります。個人的な好みは、単行本くらいのレベルにとどめてもらったほうがいいかなぁ。
たとえば文庫版で、仙醍キングスの南雲慎平太が「マクベス」を愛読していたとか、あるいは、王求の父山田亮が「マクベス」を読むシーン(635ページ)など、やりすぎじゃないかなぁ、とまで思ってしまいます。
ちなみに、シェイクスピアということでは、単行本版では「ジュリアス・シーザー」 (岩波文庫)に触れられるシーンがある(91ページ)のですが、雑誌版にも文庫版にもありません。雑誌版ではシェイクスピア自体を前面に出していませんので出てこなくても当然ですが、文庫版で割愛したのは、「マクベス」に集中するためでしょうか?

これに関連する大きな変更点だと思えるのは、王求の父が王求に暴力を振るった大橋久信(森久信)を殺すシーン。
雑誌版(355~359ページ)では三人の魔女は登場しないのですべて父の仕業になっていますが、単行本版(105~109ページ)、文庫版(610~615ページ)では父は最初の一撃を加えただけで、あとは魔女がやったことになっています。
物語の大枠というか、話の流れそのものには影響を与えない変更ですが、かなりの違いが生まれていると思います。

タイトルのキングとは、すなわち王求を指すわけですが、本文中にも示唆されるように、王求は、仙醍キングスの南雲慎平太の生まれ変わりですし、王求もまた次の世代へと生まれ変わります。
巻末に収録されている伊坂幸太郎インタビューによれば「伝記的作り話」「ある天才の人生の悲喜劇を書きたい」ということだったらしいですが、そういう流れで捉えると、別の物語を過ごしたあと、今の(「あるキング」の)人生があり、また次へとつながっていくわけで、作り話性が一層際立っていくということなのかもしれません。
また、王求を軸に群像劇的なストーリー展開をしていくのですが、王求を「おまえ」と呼ぶ謎の語り手がおりまして、不思議な読後感をもたらしてくれるのに役立っています。

それにしても、王求にとって、野球は楽しいものだったのでしょうか?
雑誌版(485ページ)、単行本版(228ページ)にあったシーンが文庫版(742ページ)で大きく書きかえられているので気になってしまいました。

僕が買った文庫本には、初回限定特典として、特別ショートストーリー封入ということで、「書店にまつわる小噺 あるいは、教訓の得られない例話」を収録?した冊子(折込チラシ?)がついています。もともと紀伊國屋書店の「キノベス」用だったものらしいですが、全文引用してもそれほど手間のかからないくらいの短さで内容もとりたてて言うほどのこともない軽いものですが、なんか得した気分ですね。

<蛇足1>
王求10歳のときの友人が、偉人の伝記を読んで抱く感想・感慨が面白かったです(48ページ、302ページ、550ページ)。文庫版から引用します。
「ただ、それよりも僕が驚いたのは、本の中には、キュリー夫人の子供の頃の話が載っており、そこに、キュリー夫人が何を思ったのかが書いてあることだった。たとえば、『その時、彼女は、お母さんのことが怖くなった』であるとか、『彼女は、二度と同じ失敗はしないと心に固く誓ったのです』であるとか、そんな風に記されている。キュリー夫人が偉くなったのは大人になってからなのに、どうして、子供の時の彼女の心情が克明に書かれているのか。それが不思議でならなかった。将来偉くなることを知っている誰かが、こまめに日記をつけるように、キュリー夫人の気持ちや出来事を記録していたのかもしれない。そう考えると今度は、寂しくなった。今の自分のまわりには、誰もいないからだ。」

<蛇足2>
「性交の後のような切なさとむなしさのまざった思いが胸にせり上がってくる」(216ページ、464ページ、717ページ)
印象に残ったので、メモしておきます。

<蛇足3>
「王求は、王になるの? 王様なの? だから、敬遠されるのかな」
「どういう意味だ」
「敬遠って、そういう意味でしょ。『うやまって遠ざける』『避ける』って。王様は、みんなに敬遠されるに決まってる」(704ページ)
文庫版にのみ登場するセリフですが、なかなか鋭いですよね。

<蛇足4>
仙台が仙醍で、東京が東郷、名古屋が名伍屋。
伊坂幸太郎の作品ではいつもこう記載されているんでしたっけ?
あまりわざわざ変える必要のない地名だと思うので、気になりました。







タグ:伊坂幸太郎
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海馬が耳から駆けてゆく2 [その他 菅野彰]


海馬が耳から駆けてゆく (2) (ウィングス文庫)

海馬が耳から駆けてゆく (2) (ウィングス文庫)

  • 作者: 菅野 彰
  • 出版社/メーカー: 新書館
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
『あなたの今までの人生の中でしてしまった、一番の悪いことはなんですか?』「海馬」史上最大の話題をまいた「悪いことの話」。『八丈島に住んでいるシカ科の哺乳類は?』の問いに即答できますか? 答えは、「二十八歳大人の話」の中に……。
体育会系一族の中で「カスケブタ」と呼ばれていた著者の、愛(?)と友情と勘違いの日常を綴る爆笑エッセイ、文庫化第二弾!!


「海馬が耳から駆けてゆく (1)」 (ウィングス文庫)の感想(リンクはこちら)を書いたのが2012年の8月。ずいぶん前になりますねぇ。
ロンドンへ異動となって、ロンドンでも安心して爆笑できる本も持っていこうと思って、このシリーズを選びました。でも、3と4は見つからず、1巻2巻5巻を持ってきています。
小説ではなく、エッセイです。

といいましたが、この2巻では1巻ほど爆笑はしませんでした。
「春のうららの話」の回など、作者自身が「あまりおもしろくない話でしたが、春の名残なので許してくれたまい。」と締めくくり、かつ、次の回に回想して「先月は辛気臭くて失礼しました」と書くくらいですから。でも、爆笑はしなくてもしっかりと笑える部分がきっちりと入っているところは、さすがですね。(絵のモデルって大変なんですね...やはり)

それだけでなく、なんだかまじめな部分が増えている気がする...
「ふと思ったのですが、日本人はもともと自分に対してマイナス点から始める民族なのではなかろうかね。農耕民族だったものがいつの間にかものの命をちょうだいするようになって、なんかこう、常に申し訳ないことをしながら生きているようなそんな感じなんじゃなかろうか。生きるということは何かを殺すこと。ああ今日も私は何かを殺して生きているなんぞと暗いことを、心の何処かでぶつぶつと刻みながら日々飯を食っているのではなかろうか。」(150ぺージ)
なんてひょいと出てきてびっくりもします。

この部分の見開き反対側に
「学ランのランって何ですか?」(151ページ)
とあって、そういえば、なんだろと思ってネットで調べてみました。語源由来辞典です。
「学ランの『ラン』は、江戸時代の隠語で洋服を意味する『ランダ』が略された語。
 学生が着るランダ(洋服)という意味から『学ラン』となった。
 ランダが洋服を指す由来は、鎖国時代の日本で『西洋』は『オランダ』のことを言ったためで、一般的には『蘭服(らんぷく)』と呼ばれた」とのことです。
へぇ~。勉強になりました。

いや、それでもちゃんと爆笑もしましたよ。
このことは書いておかなければ。
ご家族も友人も、しっかり笑わせてくれます。
今回個人的ヒットは、月夜野女子ですね。
「考えてみれば滅多に嘘も言わない人なのだが、人徳なのだろう。本当のことを言っていてもなんか嘘くさい」(82ページ)
って、ひどい言われようですね(笑)
「その上どんなにもっともらしいことを言っても、
『たれてる、口からうんちくが』
と、お手拭きで口を拭われたりしている。」(83ページ)
って、楽しそう。ちょっと周りの人にやってみたいかな...

このあと、「八丈島のキョン」(がきデカ)の話になるんですが、さらに
「『がきデカ』といえば『マカロニほうれん荘』。
行かず後家よりあかん大人より、二十八歳になって何が一番衝撃だったかというと、
『トシちゃん二十五歳違いのわかる男』
を、思いっきり追い越してしまったことにはたと気づいてしまったことだった。」(95ページ)
とあって、懐かしく感じました。「マカロニほうれん荘」 (少年チャンピオン・コミックス)かあ...








タグ:菅野彰
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私たちは生きているのか? [日本の作家 森博嗣]


私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback? (講談社タイガ)

私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/02/21
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
富の谷。「行ったが最後、誰も戻ってこない」と言われ、警察も立ち入らない閉ざされた場所。そこにフランスの博覧会から脱走したウォーカロンたちが潜んでいるという情報を得たハギリは、ウグイ、アネバネと共にアフリカ南端にあるその地を訪問した。富の谷にある巨大な岩を穿って造られた地下都市で、ハギリらは新しい生のあり方を体験する。知性が提示する実存の物語。


Wシリーズの第5作です。
「デボラ、眠っているのか?」 (講談社タイガ)の感想にもかきましたが(リンクはこちら)、このシリーズはロンドンに既読の分も持ってきています。
この「私たちは生きているのか?」は、手元の記録によれば2018年2月に読んでいるのですが、読み返しました。

今回の舞台は南アフリカです。かなり地球上をあちこち移動するシリーズですね。

あらすじにも書かれている「富の谷」でハギリたちが経験するものは、わかりやすく言えば映画「マトリックス」の世界です。
身体を置いておいて、意識は電脳空間へ、というアレです。電脳世界で戦ったりはしませんが。
身体と切り離して、意識が存在する、という事態を経験して、考察が深まっていく、という仕掛けになっています。

本書のタイトルからして、「私たちは生きているのか?」で、ここまでシリーズを通してかなり議論が深まってきていることを示していますね。

人間とウォーカロンの違い、というところから発展しています。
人間とウォーカロンという議論では、ついにハギリは、
「ただ言えるのは、人間とウォーカロンが同じものにならない道理がない、ということです。それがサイエンスというものです。どうしても同じにならないなら、そこには確固とした理由がある。理由があるならば、それは必ず解決できるはず。それが科学というものだからです」(195ページ)
という境地に達していますので、次のさらに大きなポイントへ向かっているということでしょう。

とはいえ、人間とウォーカロンの違いには、曖昧さ、とか偶然にたよる、とか発想の飛躍とか、いくつかそれらしいことはシリーズの中で出てきていますが、まだ回答が出ていません。
「そういった感情は、なぜ存在するのだろう?
 ここが、僕にはわからない。
 感情があって良かったな、これがあるから面倒だな、と思うことは誰にもあるはずだ。
 でも、何故あるのか?
 感情がなければならない理由とは何なのか、という問題だ」(246ページ)
というところを読んで思ったのは、感情がキーになるのかな、ということです。
感情があるから不完全で、感情があるから飛躍が生まれる...

生きている、という点では、英語タイトルが示唆的ですね。
Are We Under the Biofeedback?
Biofeedback という以上、この問いには、いわゆる生体反応がベースにありますね。
でも、生体反応をベースにする考え方は、さっさとハギリに否定されてしまいます。

「医療技術が発達した現代では、人は滅多なことでは死なない。以前だったら明らかに死亡と判定される状態になっても、多くの場合蘇生できる。人格が再生されないケースまで含めれば、ほぼどんな状態からでも躰を生き返らせることが可能だ。極端なケースとして、遺伝子さえ残っていれば、そこからウォーカロンとしてクローンを作り出すことができる。
 このような状況にあれば、生命の重要さは、逆に過去のどの時代よりも低下していると見ることができる。同時に、本当に自分たちは生きているのか、といった、生命の概念にまで議論が及ぶだろう。少なくとも、生命を再定義しなければならなくなっているのだ」(113ページ)
「人の命はかけがえのないもの、この世で最も貴重なもの、という信念によってすべてが進められてきた。だが、それは本当なのか、どうしてそんなことがいえるのか、という危うい境界にまで、我々の文明は到達してしまったのである。」(114ページ)
生体反応を否定するどころか、命のかけがえのなさ、まで否定される始末。

それどころか、さらには
「いつか人間もボディを捨てる時代が来るだろう。」(254ページ)
「そのあとには、脳もいらなくなる。脳だって、肉体だからだ。
 人間は、いつか人間と決別することになるだろう。
 抗し難い運命的な流れなのか。」(254ページ)
「精神的な崩壊も心配されているけれど、その精神さえ、洗練されたアルゴリズムで補完されていく未来が、すぐそこまで来ているのだ。肉体を人工細胞で補完したように、人工知能が人間の精神を導くしかない」(254ページ)
と来て、精神まで人工のものになる未来が示唆されています。
ここまで切り離しが進んでしまうと、思考とか論理とかこそが人間の本質だ、という感じになってきますね。
こうなるとちょっと拒否感が強いですね(作中でも、この種のことについては導入時点では拒否感が強いといったエピソードが示されます)。

引き続きデボラが登場し、活躍するのですが、
「私は、デボラは生きていると思う」「自分の存在を意識できる能力、その複雑性が、すなわち生きているという意味だ、と私は解釈しているから」(194ページ)
とハギリが考えるところがあって、前作「デボラ、眠っているのか?」に続いて、おやおやどうなることやら...と思わされるのですが、一方で...
ローリィという登場人物(人間、と観察されています)が自分は生きていないと言った理由としてデボラが用意した答えが
「彼が生きているからです」(262ページ)
おもしろい! 確かにデボラは生きている、と言えそうな雰囲気を醸す答です。
でも、それを受けて、
『「素晴らしい答だね。君は生きているんじゃないかな」
「いいえ。私は、それを自分に問うことさえありません」』(262ページ)
と、あっさりとデボラ自身に否定させているのがおもしろいですね。
それを
「そうか……
 生きている者だけが、自分が生きているかと問うのだ。』(262ページ)
と、ハギリが敷衍します。
自分が生きているかと問うのは、やはり感情のなせる業な気がします。

シリーズ愛読者として興味深いのは、以下のような会話をウグイが僕(ハギリ)と交わす場面があること。ウグイもだいぶハギリに感化されてきたということでしょうか?(*)。
「自由への欲求が生まれるのは、どうしてでしょうか?」
「それは、たぶん、生きていることが、その状況のベースにあると思う」
「生きていることがですか?」
「いや、しかし、何をもって生きているというのか、そこがまた曖昧だ。むしろ逆かもしれない。自由を志向することが、現代では、生きていると表現される状況かもしれない」
「勝手気ままに振る舞おうとする、という意味で、先生は自由とおっしゃっているのですか?」
「気ままというよりは、気まぐれといった方がよい。」「つまり、単純な化学的、物理的反応よりも揺らいでいる」
こんな哲学的(?) な会話をするキャラクターではなかったですよね、ウグイは。


英語タイトルと章題も記録しておきます。
Are We Under the Biofeedback?
第1章 生きているもの Living things
第2章 生きている卵  Living spawn
第3章 生きている希望 Living hope
第4章 生きている神  Living God
引用されているのは、エドモンド・ハミルトンのフェッセンデンの宇宙 (河出文庫)です。

(*)
このシリーズの伝統(?) ですが、ハギリはウグイに厳しい見方というか、意地悪な見方をしていますよね。この「私たちは生きているのか?」でも、そういうところが、ちょくちょく出てきます。
それから考えると、かなり二人の関係性(?) も変わってきたのだなぁ、と感慨が...
「人はまだ戦う、命を懸ける。その生死の狭間といった境遇に、『勇気』のような夢を、いつまで見られるのだろうか。
 今の時代、勇者はどこにもいない。」(10~11ページ)
と考察しておいてから
「自分の周りを見回しても、その言葉に相応しいのは、ウグイ・マーガリィくらいだ。」
と落とすのは、ちょっと...笑ってしまいましたが。

「ウグイは首を傾け、眉を少しだけ上げた。納得がいかない、といった口の形だが、それは普段の彼女のデフォルトの顔に近い。」(12ページ)
というのも意地悪な説明ですね。


<蛇足1>
「ここは港町のはずだが、今は海は見えない。イギリスの女性の名がその街につけられている。かつては観光地として栄えたようだが、世界的に観光が下火になって久しい。
 この土地の価値も、それに応じて下落したようだ。海の反対方向には、奇妙な形の山が見える。なんというのか、上部が平たくて、普通の山のように頂上というものがない。巨大な切株みたいだった。」(16ページ)
後半の山の記述は、テーブルマウンテンのようですが、とすると街はケープタウン、となるはずですが、前半の記述からすると、街はポートエリザベス。
あれれ?
ポートエリザベスにも、テーブルマウンテンのような山があるのでしょうか?
南アフリカ在住の友人に聞いてみましたが、残念ながらポートエリザベスには行ったことがないらしく、わかりませんでした。ただ、ケープタウンとポートエリザベスの間にあるジョージというところには、テーブルマウンテンのような山があるらしいので、ポートエリザベスにもあるのかもしれませんね...


<蛇足2>
ネット上で「簡単に言えば、どんな鍵でも開けることができる万能の合鍵を持っているのです」(160ページ)という説明がなされるところがあるのですが、これってやはり真賀田四季の仕掛けたもの、ですよね。
とするとこの「富の谷」も真賀田四季の構想に含まれていた、ということでしょうか。


<蛇足3>
「人間は、自分の不利になることでも、他者を助けることがあるようです。そういう意味ですか?」
「犠牲的精神と呼ばれているね。」
「犠牲になる自分が美化された一種の倒錯です。その場合、疑似的に自身の利益になっているとも解釈できます」(267ページ)
というデボラとハギリの会話がありますが、犠牲的精神というのは感情の働きの賜物なのでどうやってデボラは観測・解釈したのでしょうね。
人間の感情の動きも、学習した、ということでしょうか。



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窓から見える最初のもの [日本の作家 ま行]


窓から見える最初のもの

窓から見える最初のもの

  • 作者: 村木 美涼
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/11/21
  • メディア: 単行本


<表紙袖あらすじ>
心療内科に通う短大生の相沢ふたばは、治療所で大学生の湯本守に出逢う。守をもっと知りたいと思うふたば。が、彼は姿を消した。看護師に守の行方を訊くが、「そんな名前の患者は知らない」との答えが――
壁紙販売会社の社長・藤倉一博は、数年来探し求めていた幻の油絵、“六本の腕のある女”をようやく見つけ出す。だが、まもなくそれが贋作ではとの可能性が浮上し――
不動産業の連城美和子は、喫茶店を始める長谷部悠のため、最良の物件を紹介した。だが、かつて喫茶店の店主をしていた悠の父が、三十年も隠していた哀しい出来事を知り――
免許の更新に行った御通川進は、警察から「御通川進に行方不明人捜索願が出されている」と知らされる。誰が、何のために自分の名を騙って家出をしたというのか?――
ひとつの街で、四つの物語が静かにひそやかに重なり合ってゆき――その先に見えるものとは……
鮮やかな色彩の新・日常系ミステリ。
第7回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作。


単行本です。
残念ながら、あまり高打率とは言えないアガサ・クリスティー賞の第7回大賞受賞作。
感想を結論から先に言うと、おもしろくは読んだけど、ミステリとしてはどうかなぁ、というところ。

あらすじにもありますが、4つの物語がつづられます。
ミステリでは通常、こういう構成をとる場合、4つの物語は当然相互に結びつきます。そしてその結びつき方がミステリとしての驚きをもたらしてくれます。
こここそが作者の腕の見せどころ、というわけで、さまざまな工夫を凝らしていくわけですが、この「窓から見える最初のもの」にはなんのサプライズもありません。
あまりにもなだらかに物語が進んでいくので、ここがポイントなのだという手ごたえがありません。

では、つまらなかったのか、と聞かれると、これがとても面白かったんですよね......ただ、その面白さがミステリのものではなかった、ということです。
帯に「新・日常系ミステリ」とあるのですが、これはさきほど申し上げた点から賛成できません。
注目すべきは、「優しく紡がれる四者四様の物語」というところです。
なにより、優しい、のです。作者の登場人物に対する視線は、冷静な感じで甘やかすようなタイプの優しさではありませんが、作品から受ける印象は優しさです。涼やかな優しさとでも言いましょうか...
そして四者四様の物語ですが、巻末にある選評でも
「ていねいな造りと、主人公四人の書き分けに感心しました」(鴻巣友季子)
「見知らぬ四人の人生が織りなすミステリは、細部の描写にも目配りがきいていて、ぐいぐい読ませる力がある」(藤田宜永)
と書かれている通り、この四人の物語がとてもおもしろく、印象に強く残っています。
このあとのそれぞれの物語が気になってしまうほど。

アガサ・クリスティー賞にとっては、そしてミステリにとっては残念なことですが、おそらくこの作者はミステリを離れて活躍されていくのではないでしょうか...






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捨て猫という名前の猫 [日本の作家 樋口有介]


捨て猫という名前の猫 (創元推理文庫)

捨て猫という名前の猫 (創元推理文庫)

  • 作者: 樋口 有介
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2012/03/11
  • メディア: 文庫


「秋川瑠璃は自殺じゃない。そのことを柚木草平に調べさせろ」とある一本の電話から、哀しい事件は動き出した――。場末のビルの屋上からひっそりと身を投げた女子中学生の事件へと柚木を深く導く“野良猫”の存在。そして亡くなった少女の母親、彼女の通っていたアクセサリーショップの経営者など、柚木が訪ねる事件関係者はいつも美女ばかり。〈柚木草平シリーズ〉最高傑作。


樋口有介の代表的なシリーズ、柚木草平ものの1冊です。
1. 「彼女はたぶん魔法を使う」 (創元推理文庫)
2. 「初恋よ、さよならのキスをしよう」 (創元推理文庫)
3. 「探偵は今夜も憂鬱」 (創元推理文庫)
4. 「プラスチック・ラブ」 (創元推理文庫)←短編集
5. 「誰もわたしを愛さない」 (創元推理文庫)
6. 「刺青(タトゥー)白書」 (創元推理文庫)
7. 「夢の終わりとそのつづき」 (創元推理文庫)
8. 「不良少女」 (創元推理文庫)←短編集
9. 「捨て猫という名前の猫」 (創元推理文庫)
10. 「片思いレシピ」 (創元推理文庫)
11. 「少女の時間」 (創元クライム・クラブ)
と今まで11冊出ていまして、本書「捨て猫という名前の猫」は9冊目、短編集を除くと7冊目の長編となります。

ところが作者による「創元推理文庫版あとがき」には、
「本作の前に出した柚木草平の長編は、二〇〇〇年の『刺青(タトゥー)白書』。ただこれは三浦鈴女という女子大生が主人公ですので番外編。その前の正統柚木ものになると一九九七年の『誰もわたしを愛さない』」ですから、長編は十二年ぶりです。」
とあって、あれれ?
「夢の終わりとそのつづき」 が外されているよ。
今回チェックしてみたら、「夢の終わりとそのつづき」 はもともと柚木草平シリーズの作品ではなかった「ろくでなし」(立風書房)を柚木草平ものに改稿したものなので、カウント外にされたんでしょうね。
ぼくも、「ろくでなし」「夢の終わりとそのつづき」 も読んでいるはずですが、そのあたりの経緯を覚えていませんでした。
関口苑生による解説では、
「本書『捨て猫という名前の猫』は、そんな作者の持ち味が最もよく現れている柚木草平シリーズの第九弾(長編としては六作目)」
となっていて、「夢の終わりとそのつづき」 を含めてカウントされているようですが、長編のカウントがあいません。「夢の終わりとそのつづき」 「刺青(タトゥー)白書」のどちらかをカウント外にされているんでしょうかね?

柚木草平のキャラクターに負うところが多い作品に仕上がっていますが、あらすじにもある通り、柚木が訪ねる事件関係者はいつも美女ばかり。
この美女たちとの会話(尋問?)の連続でミステリとしての骨格が展開されていくのですが、そのつなぎ方がナチュラルに感じられるのが長所かと思います。
いやいや、柚木が訪ねるだけではなく、柚木のところにやってくる少女・青井麦も印象的です。それもそのはず、彼女こそがタイトルの「捨て猫という名前の猫」なんだから。
平凡な(?) 女子中学生の自殺事件と思われたものが、麦が殺されてしまうことによって様相を変えていく、というのがポイントですね。
事件だけではなく、柚木のかかわり方も変わってきます。
そしてもう一人、重要なのが、自殺した少女の父親(あらすじに出てくる少女の母親とは離婚済)。

それにしても、事件の構図のあまりにも醜悪なこと。
「柚木草平の物語は、表面こそ大人ごころをくすぐる甘いオブラートで包まれているが、その実中身はずっしりと重たい内容となっている。樋口有介はそのオブラートの量と厚さを自由自在に調整し、読者をとことん愉しませながら、いつしか重く悲惨な物語の真っ只中へと引きずり込んでいく」
と解説で関口苑生が書いていますが、やるせない感じでいっぱいです。


<蛇足1>
「二千万円の金が具体的にどう動いたのか、今は分からない。」(426ページ)
とありますが、この二千万円って預金小切手の形をとっているんですよね。
プライバシーの問題がありますから事件の捜査でなければ銀行も開示しないと思いますが、こと殺人事件にも関連するとなれば話は別で、振出銀行のところでは、誰が預金小切手を依頼したのか記録が残っているはずなので、警察がその気になれば突き止めることは簡単だと思うんですが...
(マネーロンダリング関連の規制が緩かった時代を背景にしているとは思えませんので、ちょっと気になります)

<蛇足2>
「瑠璃と二人で文字(もんじゃ)焼きを食べて」(101ページ)
とあって、ニヤリ。
昔、もんじゃ焼きの語源を調べたことがあって、wikipedia にも書いてありますが、そのことを思い出しました。

<蛇足3>
「昨夜からの雨模様もどうやら終息、空気もいくらか冷たくなったようで」(124ページ)
とありますが、作中では実際に雨が降っています。
「雨模様」は、「雨が降っている状態」ではなく「これから雨が降りそうな状態」を指していう言葉なので、誤用ですね。

<蛇足4>
「三日前のことを、整理したいんだが」
「いいよ、生理でもなんでも、早くして」(282ページ)
というところを読んで、吹き出してしまいました。
これ、書いてあるから成立するダジャレであって、会話上では成立しないですよね。
こういうのを仕掛けてくるのって、楽しいですね。


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そして医師も死す [海外の作家 た行]


そして医師も死す (創元推理文庫)

そして医師も死す (創元推理文庫)

  • 作者: D・M・ディヴァイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2015/01/22
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
診療所の共同経営者を襲った不慮の死は、じつは計画殺人ではないか――市長ハケットからそう言われた医師ターナーは、二ヵ月前に起きた事故の状況を回想する。その夜、故人の妻エリザベスから、何者かに命を狙われていると打ち明けられたこともあり、ターナーは個人的に事件を洗い直そうと試みるが……。英国本格黄金期の妙味を現代に甦らせた技巧派、ディヴァイン初期の意欲作。


ディヴァインを読むのは、「三本の緑の小壜」 (創元推理文庫)(感想ページへのリンクはこちら)以来で、1年半以上間があきました。
「2016本格ミステリ・ベスト10」第1位です。

「兄の殺人者」 (創元推理文庫)に続く作者の第2作をようやく読むことができました。
翻訳される順が遅かったのは、やはりディヴァインの中では出来が落ちるからかな、とちょっと気にしていたのですが、いやいや、無茶苦茶よくできていて、面白いではないですか!!

主人公が語り手でアラン・ターナーという青年医師なわけですが、いわゆる「信頼できない語り手」ではなさそうなのに、どうもはっきりとは言ってくれない感じ。読者に何か隠している感じが強くて、不安になります。
アランの共同経営者で被害者である医師ギルバート・ヘンダーソンの妻エリザベスとアランの間に関係があるのかどうか...それすら、アランは読者に明かしてくれない。
それでも、舞台となっているシルブリッジという地方都市(というか、町レベルかもしれませんね)で、故人の妻エリザベスと主人公アランが孤立していく様子に、引き込まれてしまいました。
婚約者ジョアンとの関係がどうなるかにも、はらはら。

濃密な地方都市の人間関係の中でミステリが展開されるのですが、素晴らしい謎解きです。
解説で大矢博子が
「トリックらしいトリックなどない。あざとさもない。奇を衒う仕掛けもない。」
「本書の謎解きそのものは、決して派手ではない。手堅さでは一流だが、六〇年代にあっても新味は薄いと言わざるを得ない」
と書いていますが、それでも本書は一流の本格ミステリですし、非常に意外な犯人を演出していると思います。
ちょっとクリスティっぽいなぁ、と思ってしまいました。
考えてみれば、クリスティの作品でも、犯人そのものは派手なトリックは使っていませんね。クリスティのまるで魔法のようなミスディレクションで、読者はラストの謎解きであっと驚かされてしまう。
本格ミステリの作者の腕の冴えを堪能できる作品だと思います。

ディヴァインには未読の本がまだ積読状態なので、読むのが楽しみです!

<蛇足>
「アラン、警部補も、あれで一所懸命やってるのよ。」(290ページ)
とあって、とてもうれしくなりました。
最近、一生懸命という無知無蒙の表れとしか思えない無神経な語が使われることが多く「一所懸命」ときちんとした日本語を使っていない本が多くなってきたので。
がんばれ、東京創元社!


<おまけ>
HP「黄金の羊毛亭」の解説(?)は、今回も素晴らしいです。


原題:Doctors Also Die
著者:Dominic Devine (D・M・Devine)
刊行:1962年
訳者:山田蘭








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