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夜の床屋 [日本の作家 さ行]


夜の床屋 (創元推理文庫)

夜の床屋 (創元推理文庫)

  • 作者: 沢村 浩輔
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2014/06/28
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
慣れない山道に迷い、無人駅での一泊を余儀なくされた大学生の佐倉と高瀬。だが深夜、高瀬は駅前の理髪店に明かりがともっていることに気がつく。好奇心に駆られた高瀬が、佐倉の制止も聞かず店の扉を開けると…。第4回ミステリーズ!新人賞受賞作の「夜の床屋」をはじめ、奇妙な事件に予想外の結末が待ち受ける全7編を収録。新鋭による不可思議でチャーミングな連作短篇集。


裏表紙のあらすじに、チャーミングな連作短編集とありますが、目次を見てみると

夜の床屋
空飛ぶ絨毯
ドッペルゲンガーを捜しにいこう
葡萄荘のミラージュⅠ
葡萄荘のミラージュⅡ
『眠り姫』を売る男
 エピローグ

となっていまして、純粋な(単なる寄せ集めの)短編集ではないですね。
創元からデビューした新人の方々には多い作風ではありますが、この「夜の床屋」 (創元推理文庫)は、中でも異色の着地を見せる作品だと思いました。
解説で、千街晶之が
「本書『夜の床屋』(二〇一一年三月に東京創元社から刊行された『インディアン・サマー騒動記』を改題)は、単に多彩な小説を楽しめるというだけの短編集ではない。エピローグまで到達したとき、読者は『今、自分が読み終えた小説は一体何だったのか』と茫然とするに違いないのだ。こんな途轍もないことを思いついた発想力とと、それを成立させた構想力への感嘆とともに」
と書いていますが、まったくその通りで、へんなことを考える作家ですね。気に入りました!

「夜の床屋」「空飛ぶ絨毯」「ドッペルゲンガーを捜しにいこう」
この3編は、日常の謎、とは言い難いけれど、ふとしたきっかけから、予想外の犯罪や裏に秘められた謎が明らかになる、というかたちの、割と小味なミステリなんですね。
でも、小味とはいえ、それぞれ独特の味わいがあって楽しい。
「葡萄荘のミラージュⅠ」は、まだその範囲の続きという感じなのが、幕間的な「葡萄荘のミラージュⅡ」とそのあとの作中作「『眠り姫』を売る男」で大きく様相を変えていき、ラストのエピローグで主人公がたどり着く境地は、いやはや、すごくおもしろいです。
好みがわかれる着地かとも思いますが、支持します!


<蛇足1>
「背筋をきちんと伸ばし、落ち着いた所作でスプーンを口に運ぶクインを見ているうちに、ダンはアップタウンのレストランにいるような気がしてきた。」(237ページ)
とあります。
イギリスの監獄でのシーンなのですが、アップタウンという表現に違和感を覚えました。
アップタウン、ダウンタウンという表現は日本でもかなりおなじみになっていますが、基本的にアメリカの表現で、イギリスではあまり使わないような気がします。
また階級意識の強固だったイギリスで、監獄にいるような(ことをしでかす)ダンが高級レストランに行ったことがあるかな? こんな感想抱くかな? とも思いましたが、ダンは「ロンドンの大富豪の遺産を掠め取ろうとしてあっさり御用となり」(232ページ)ということなので、そういうことも可能な育ちだったのかもしれませんね。

<蛇足2>
「だとすれば、いったい女はどこに消えてしまったのか?
『彼女に足はあったのか?』
 それまで黙って聞いていたクインが奇妙な質問を投げかけた。
『おいおい。まさか幽霊が犯人だったなんて言い出すんじゃないだろうな』」(255ページ)
密室状況から消えた女についての会話で、おもしろい展開だとは思うのですが、幽霊に足がないのは日本だけのような気がします。イギリスの幽霊には足がついていると思うので、このような会話は成立しないはずです。
もっとも、この部分は、パーカー博士が持ってきた小説で、それを読んでいる人物(僕)が訳をつけていることになりますから、日本人にわかりやすいように意訳したと考えることはできますが...

<蛇足3>
それにしても、「インディアン・サマー騒動記」が改題されて『夜の床屋』になる、というのはかなりの落差ですね。
まったく受ける印象が違います。どちらかというと、個人的には「インディアン・サマー騒動記」の方が好みですが...

実は沢村浩輔、第2作である「北半球の南十字星」 (ミステリ・フロンティア)も文庫になる際に「海賊島の殺人」 (創元推理文庫)と全然違うタイトルに改題されているのですよね。
その点でもおもしろい作家ですね...

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もろこし桃花幻 [日本の作家 あ行]


もろこし桃花幻 (創元推理文庫)

もろこし桃花幻 (創元推理文庫)

  • 作者: 秋梨 惟喬
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2012/03/10
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
道に迷った漁夫が行き着いたのは、戦乱を逃れた民の子孫が王朝の変遷も知らず平和に暮らしているユートピアだった―陶淵明『桃花源記』を思わせるのどかな村にやってきた、陶華ら旅の一行。ところが、落ち着く間もなく大騒動に巻き込まれ、下手人扱いの憂き目に遭う。道すがら連れになった一癖も二癖もある顔ぶれを見ればそれもやむなしかと、凡人の陶華は溜息をつくが…。


秋梨惟喬の
「もろこし銀侠伝」 (創元推理文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)、
「もろこし紅游録」 (創元推理文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら
に続く銀牌侠伝説シリーズ第3弾は、長編です。
といっても薄めの長編なので、快調にすいすい読めました!
「もろこし紅游録」以来すごく久しぶりに読んだのですが、すっと世界に入り込めます。これはいつもの通り。

物語の背景となっている、元朝末期の流賊が面白かったですね。
なるほどこういう仕組みなんだ、と勉強になります。
桃渓山という険しい山を遥かに望む渓陵の小さな県城を攻め落とそうとして苦戦している流賊の姿がオープニングです。そのあと、桃渓の城に籠っている側(一人は顔軍師と呼ばれている!)の話に。
続けて、桃渓山の下流の村で、川に女性のバラバラ死体が流れてきたという怪事。
さらに章が変わって、桃渓村のたどりついた陶華(科挙を目指していたが、王朝末期で科挙が行われず、旅に出ている男)に合流する様々な人物たち。
一行は、なんだかんだしたあと、桃源郷ともいうべき隠れ村にたどり着くが、その村はどうもただならぬ様子で...

いいではないですか、こういうの。
当然ながら、桃渓山に隠された秘密を暴いていくわけですが、この真相がまたいいんです。
馬鹿馬鹿しいけど(為念、褒め言葉です)、それでいてこの時代背景、この世界設定ならあるかもなー、と思えてしまう大技(反則技!?)が、むしろ爽快でした。

活劇シーン(?) とか戦闘シーンで無茶苦茶強い奴が出てくるのは、銀牌侠ならではで、楽しんで読むのがいいですね。残酷なシーンもあちらこちらにありますが。
こういうぬけぬけとした話は大好きです。

作者のあとがきには
「ですから、銀牌侠の物語はまだまだ続きます」
と書かれているのですが、このあと続きは出版されていないようです。
ぜひ、ぜひ、ぜひ。



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白魔 [海外の作家 さ行]


白魔 (論創海外ミステリ 156)

白魔 (論創海外ミステリ 156)

  • 作者: ロジャー・スカーレット
  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2015/10/01
  • メディア: 単行本




単行本です。
「エンジェル家の殺人」 (創元推理文庫)で日本で高名なロジャー・スカーレットの作品ですが、このブログで感想を書くには初めてですね。
なんとなく意外です。

『新青年』誌上へ犯人当て懸賞を付けて抄訳された「白魔」 82年の時を経て待望の完訳!

と帯にありまして、つい手に取ってしまいました。
(もっとも、スカーレットのその他の作品は全部読んでいるので、最後の1冊として手に取るのは必然だったのかもしれませんが)

非常にクラシカルなお屋敷ものですね。
1/3ほど(は、言い過ぎかもしれません。2/5ほど)進んだところ(104ページ)で、あっさり犯人の名前をケイン警視が言ってのけるケレンが楽しいですが、まあ、大した仕掛けではありません。当時は新鮮だったのかな?
お屋敷に加えて、奇矯な住人、さらには、盲人、白猫、自動ピアノと本格ミステリらしい道具立てがそろっており(政治的に正しくない発言かもしれませんが)、クラシック・ミステリ好きの方なら、来た、来たーっ、と思うことでしょう。

邦題は「白魔」ですが、原題は「The Back Bay Murders」。
Back Bay は巻末の解説によると、「十九世紀に造成された住宅街の、バックベイ地区を指しています」とのことです。
「白魔」とは思い切った訳題ですが、
「この『白魔』というネーミングには、フーダニットに特化した技巧的なパズラーでありながら、いっぽうで、蠱惑的な“怪人対名探偵”の味わいを残した原作ーーその意味では、端正な本格が中心のスカーレット作品のなかでは、異色の側面をもつーーの魅力を伝える、捨てがたい味わいがあり、スカーレットの紹介に尽力した先人への敬意を込め、今回の完訳でも、その訳題を踏襲することになりました」
と書かれています。なんかベタ褒め。
しかし、正直、「白魔」というの、ぴんと来なかったんですよね...本筋ではないですが。
訳者あとがきに
『本書のタイトル「白魔」のもととなった白いペルシャ猫』
とありますが、この猫、ちっとも魔じゃないんですよね...
カバー絵にも白い猫が書かれていますし、確かに重要な役割も果たすのですが、「白魔」のいわれは、この猫ではなくて、最終ページで語られている内容を象徴したものではないかな、と推察はするのですが(猫のことも掛けていたのかもしれませんが)、いずれにせよ、いいタイトルとは思えませんでした。

本筋と関係のないところで気になったといえば、探偵役であるケイン警視と、モーラン巡査部長の会話。
「ビーコン街の殺人」 (論創海外ミステリ)に続いての登場となるわけですが、部下であるモーランがケインに対してタメ口どころか...
「頑張って名をあげなきゃならないようだ、なっ、ケイン? また同じ顔触れでチームを組むことになるんだから」(34ページ)
が本書初登場のセリフですが、終始この調子です。
これはちょっと受け入れがたかったですね。いくらなんでも、上司にこんな口調で話す人物、ましてや警察官がいるとは思えません。
「ビーコン街の殺人」 もこんな感じでしたっけ?
記憶にありません。
訳者あとがきでも
「その巡査部長も、前作に比べると別人のようなキャラクターだ」
と書かれてはおりますが... 変なの。

大技は見られませんが、小技の組み合わせで楽しませてくれる作品だと思いました。ところどころ、無理がありますが...そこはまあご愛敬ということで...
忘れてしまっているスカーレットの他の作品、読み返してもよいかもしれませんね...

<蛇足1>
「ラブジョイは椅子に沈み込んだが、あまり関心のありそうな態度ではない。線の細い人物で、その細さが背丈を実際よりも高く見せている。あまりにも弱々しくて、本当に針金のようだ。身のこなしは機敏だが、動作がいくら静かでも、図太さのようなものは隠しきれない。のんびりとした表情にもかかわらず、その目が落ち着くことはいっときもなかった」(55ページ)
この文章の意味がわかりませんでした。
ラブジョイという人物の様子を描写しているところなんですが...
下線部分からすると、見かけによらず図太い人物だ、という風に思えるのですが、この人物ちっともそんなところがありません。なんだろうな...

<蛇足2>
「錠はかなり旧式で、鍵がなければ内側からはもちろん、外からもあけられない」(89ページ)
この文章も謎です。
外側からはもちろん、内側からもあけられない」
ならわかるのですが...



原題:The Back Bay Murders
作者:Roger Scarlett
刊行:1930年
訳者:板垣節子


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煽動者 [日本の作家 石持浅海]


煽動者 (実業之日本社文庫)

煽動者 (実業之日本社文庫)

  • 作者: 石持 浅海
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2015/08/01
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
日曜夕刻までに指摘せよ。“名前”のない犯人を--。
テロ組織内部で殺人事件が起きた。この組織のメンバーは、平日は一般人を装い、週末だけ作戦を実行。互いの本名も素性も秘密だ。外部からの侵入が不可能な、軽井沢の施設に招集された八人のメンバー。発生した殺人の犯人は誰か?テロ組織ゆえ警察は呼べない。週明けには一般人に戻らなければならない刻限下、犯人探求の頭脳戦が始まった―。閉鎖状況本格ミステリー!


「攪乱者」 (実業之日本社文庫)(感想ページへのリンクはこちら)に続く、シリーズ第2弾です。
施設に召集されたテロリストのメンバーのなかで殺人事件が起こる...
おもしろいことを考えますよねぇ。嵐でもないのに、嵐の山荘が成立する。
作中にも書いてありますが
「しかしここは反政府組織だ。警察は来ないし、上司からの指示はもう出されている。事件は放っておいて、任務を継続するようにと。」(199ページ)
ということなんですね。

さらにおもしろいのが、この任務。
「攪乱者」 に続いて、こんなテロがあるかなあ? というような任務です。
この微妙な匙加減がこのシリーズのポイントですね。

そしてさらにさらにおもしろいのが、嵐の山荘での殺人が発生したというのに、このテロ組織の面々はいったんその施設を離れ、翌週またこの施設に”出勤”するというところですね。

こういう異常な設定の物語ですから、異常なことがあっても普通なのかもしれませんが、この作品の動機にはやはり首をかしげざるを得ません。
まあ、動機が理解を超えているなんていうのは、石持浅海作品には普通のことですから、苦笑するしかないのですが...
こんな動機で殺されては、たまったものではありません...

と、石持浅海らしい作品で仕方ないなぁ~、と思っていたら、ラストでこの組織の秘密が明かされます。
これには感心しました。おもしろい!
出発点はさほど突飛な発想ではないのではと思いますが、そこからこういうテロ組織に持ってきたのはアイデア賞だと思いました。
こんなテロがあるかなぁ?、こんなのテロに入るかなぁ? という疑問にさらっと答えていて、ニヤニヤと笑ってしまいます。
馬鹿馬鹿しいことを作品に仕立て上げるなら、ここまでやらないとね!


<蛇足>
「一般企業ならば、部下のやる気を削ぐとして、管理者のべからず集に載る態度だ」(189ページ)
というところで、おやと思いました。
「べからず集」
最近聞かない表現ですね。




タグ:石持浅海
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虚像の道化師 [日本の作家 東野圭吾]


虚像の道化師 (文春文庫)

虚像の道化師 (文春文庫)

  • 作者: 東野 圭吾
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/03/10
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
ビル5階にある新興宗教の道場から、信者の男が転落死した。男は何かから逃れるように勝手に窓から飛び降りた様子だったが、教祖は自分が念を送って落としたと自首してきた。教祖は本当にその力を持っているのか、そして湯川はからくりを見破ることができるのか(「幻惑す」)。ボリューム満点、7編収録の文庫オリジナル編集。


ガリレオ・シリーズ第7弾。
もともと単行本のときには、
「虚像の道化師 ガリレオ 7」
「禁断の魔術 ガリレオ8」
と2冊の短編集だったのを再編集し、「猛射つ」以外の作品を文庫版の「虚像の道化師」 (文春文庫)に収録、「猛射つ」は長編化して文庫版の「禁断の魔術」 (文春文庫)にした、ということのようです。
ああ、ややこしい。

ということで、この「虚像の道化師」には
「幻惑す まどわす」
「透視す みとおす」
「心聴る きこえる」
「曲球る まがる」
「念波る おくる」
「偽装う よそおう」
「演技る えんじる」
の7編収録です。
もっとも目次では、第一話、第二話、ではなく、第一章、第二章、となっていて長編のような形で掲げられていますが、各話につながりがあるわけではなく、短編集ですね。

このシリーズいわゆる物理トリックの限界に挑んでいる、という側面もありますが、そして最初の頃はそういう興味が強かったように思うのですが、最近では、物理トリックをどう物語に組み込むか、あるいは、物理トリックでどう物語を盛り立てるか、に焦点が当たっているような気がします。
たとえば、「心聴る きこえる」の幻聴(?)トリック、最後に作者注として「二〇一二年五月時点で実用化は確認されていません」と書かれていまして、その点では不可能なトリック、あるいは実際にはない技術を用いたトリックとして、アンフェアという非難を受けかねないトリックではありますが、物語にきれいに溶け込んでいるのであまり不満を感じません。
「透視す みとおす」の透視トリックも、そんなにうまくいくかなぁ、と思わないでもないですが、このトリックをきっかけとして登場人物間の関係に新しい光があたるので、これはこれであり、と思えてしまいます。
そのほかの作品にも簡単に触れておくと、
「幻惑す まどわす」
教団教祖の念の正体(?) はちょっと笑えてしまうのも、物理トリックならではでしょうか。
「曲球る まがる」
物理トリックらしいものは登場しないのですが、物理現象が謎解きに貢献します。
むしろピッチャーの投球をガリレオが解明しようとするのがおもしろいですね。
「念波る おくる」
双子がテレパシーを使う、という題材。
こういうのって、理に落ちるとおもしろくなくなりそうなのですが、そして理に落ちた着地を見せるのですが、謎をあばく方向に使っている点がよかったのかな、と思いました。
「偽装う よそおう」
物理トリックではなく、事件の解明を科学的に行っていく、という展開になっています。
しかし、湯川のキャラクター、ずいぶん変わってきていませんか!?
「演技る えんじる」
物理トリック、ではないですね、この作品で使われているトリックは。
ただ、一般人でも思いつきそうな、でもそれなりに凝ったトリックになっていて、個人的にお気に入りのトリックです。

全編を通して、若干のネタバレにはなりますが、事件の犯人以外の人物がトリックを使うという設定がちらほらあるのが気になりました。トリックにもいろいろな使いかたがある、ということですね。



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目白雑録 2 [日本の作家 か行]

目白雑録 2 (朝日文庫)

目白雑録 2 (朝日文庫)

  • 作者: 金井 美恵子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2009/07/07
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
小説を書き、本を上梓し、愛する老猫の健康を気遣う日々のなかで出合うさまざまな事象、メディアに現れるさまざまな言説を、金井美恵子が斬りまくる! 素敵で過激な「日々のあれこれ」。大好評エッセイの第2弾。


第1巻の「目白雑録」 (朝日文庫)をずいぶん前に読んでいます。おもしろいと何かで読むか聞くかしたんだったと思います。
日頃の読書傾向とはまったく異なるのですが、おもしろかった記憶があります。
続巻については文庫化されると買って積読という状態を続けてきましたが、ロンドンへ来る際まとめて持ってきたものです。だけど、第1巻を読み直そうと思っていたのに、第2巻からしか持ってきていなかった...不覚。
2004年4月から2006年3月まで雑誌に連載され、2006年6月に単行本が出て、2009年7月に文庫化されたものなので、ずいぶん前に書かれたエッセイで、懐かしいこともいっぱい出てきます。
ちなみに、目白雑録には、「日々のあれこれ」というルビ(?) がふってあります。

「目白雑録」と比べると、楽しみにしていた毒舌が抑え気味のようにも思いましたが、たとえば、
「歩いていける距離にある池袋のシネ・リーブルで『華氏911』を上映していると知人の夫妻に誘われて観に行ったのだが、これはもちろん見る前から愚作とわかっていたものの、クエンティン・タランティーノが審査委員長だった今年のカンヌ映画祭でパルム・ドールだったというのは、これもまあ、あきれたところで無意味だろう。今村昌平の『楢山節考』にもやるパルム・ドールだのだから、と書いていて思い出したのが、9・11の一年後に、世界の九人だったか十一人の映画監督が、それぞれ9分11秒の戦争と平和についての短編を撮ったオムニバス映画がテレビで放映され、ほとんど覚えてはいないのだが、クロード・ルルーシュや今村昌平の短編もあって、そもそも大した水準ではない九本だか十一本の中でも、群を抜いていたのが今村の作品で、戦争中、村で非国民呼ばわりされた男が蛇になっちゃう、という筋。ブーイングするのさえ無駄で、溜息さえ出ない。」(58ページ)
なんて、すごいですよね。
思い出したついでに、ここまで馬鹿にされるとちょっとかわいそうです(笑)。

金井美恵子の筆が向かう攻撃対象は、なんといっても島田雅彦なんですが、それも抑え目です。
《〈「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが、出版によって起こり得る事態を想定しなかったことは責められる」と島田雅彦は書いた〉という長いタイトルの回(’02年六月)と、こうタイトルを書きうつしていると、また腹が立ってくるのだが》(69ページ)
と思い出し攻撃(?) までされているし、
「この巻の解説を島田雅彦が書いているが、まったくツマラナイ。絶対なりたくないし、なれないものが またもう一つあった。男の利口ぶった小説家である」(94ページ)
なんて、ひどい言われよう。
がんばれ島田雅彦!

わりと攻撃対象はあちこちにいまして(笑)
「メディチ家といえば、日本では塩野七生の通俗伝記物語で有名なのだろうが」(73ページ)
とさらっと、塩野七生をあしらったりするのは軽い方で、
「歌舞伎というのもまったく苦手で、玉三郎のデビュー当時は、話題の一つとして何回か見物に行ったこともあって、玉三郎は見た眼に美しいからいいのだが、正月のテレビ中継で見た人間国宝の中村雀右衛門について言えば、姉と私の共通の意見として、栗本慎一郎みたいな顔の女形はやだ、ということにつきる。芸だか技だか知らないが、顔がクリモトというのは、いやである。同じ観点から藤間系の顔のでかいデブのおやじたちが派手なフトンのように着ぶくれて女装してヨタヨタ踊る日本舞踊というのも、人間国宝だかなんだか知らないけれど、いやな物の一つだ」(102ページ)
「ヴェネチアの特別金獅子賞とやらを受賞した宮崎アニメというのが私は嫌いで、いやいや見はじめて最後まで見たためしがない。もともとアニメーションというものに興味がないのだが、あの宮崎アニメの絵とストーリーの下品さが、私の許容できる下品さと本質的に別のものなのだろう。相米慎二の映画の間抜けなくどさにも苛立ったし、北野武のバツの悪い間抜けなテンポも苛立つし、それとは次元が異なるが、ヴィデオで初めて見た成瀬巳喜男の『桃中軒雲右衛門』と溝口健二の『名刀美女丸』にも期待が外れる」(112ページ)
あたり、読んでいてニヤニヤ。
当然、対象は人間とは限りませんので、
「京都風の白っぽいお汁のかけそばの上に、でんと載っているニシンの煮いたんは、おいしいのだけれど、ニシン特有の生ぐささがあるし、それに細い小骨が歯にはさまったりして、恋する者の食べる食物ではないだろうし、京都風のソバはグチャグチャしていて最悪である」(70ページ)
というようなくだりも。

金井美恵子はサッカーファンとしても知られているようで(この「目白雑録 2」 (朝日文庫)の解説は田口賢二)、サッカーにも矛先は。
「チャンネルを回すとJリーグの、なんとかとかんとかのゲームをやっていて、これはサッカーというよりピッチでお散歩というか、幼稚園か老人ホームのカン蹴りに近い」(125ページ)
「三浦がゴールを決めた時の、男性ストリッパーの腰振りを模したなんとも下品な劇画センスのダンスも知っている。私がレフェリーだったら、みっともないしエロでさえなくて下手だという理由で、即座にレッド・カードを出して退場を命ずる」(185ページ)
そういえば、
「チェルシーはチャンピオンズ・リーグでスペインのベティスにも負けているのだが、勝つためのチェルシーのガツガツしたプレーを見ているとムカムカしていたので、マンUの圧勝とは言えない一点だが、チェルシーのガツガツしたやり口とロボットじみて魅力に欠ける選手に比べて、マンユーの若手選手たちは下流階級出の不良たちのケンカの素ばしっこい連係プレーを思わせるところが、いいよね、MFは現役の牧羊犬みたいに走るしさあ、などと姉と話しながら、夜中に銀杏を齧ってサッカーを見ていると、なんとなく〈下流〉という気分になる」(198ページ。2005年12月のエッセイ)
と書かれていますが、サッカーは間違いなく下流階級のためのスポーツですから、たっぷりと下流気分に浸るのが正しい観方かと思います(その観点では、ラグビーが上流階級のためのフットボールです)。

悪口の間にあっても...
浅間山の噴火で灰をかぶってしまったキャベツが格安で売られているのを買って“支援”したつもりになっている奥さんや、筑摩書房が倒産した際に著者・学者等がした“支援”のことを取りあげて、
「ようするに、支援(サポート)というのは、ささやかで、決して自分の負担にはならない範囲でできる何かなのであって、どの場合でも、それをすると、経済的な負担(もしかすると、岩波の方が部数を多く出してくれるかもしれない、という幻想の上の)はほとんど軽微なうえに、良心は満足、というものなのかもしれない」(62ページ)
と書かれていて、この種の話題にあうといつもぼんやり思っていたことをすぱっと指摘してもらって満足したりもしますし、
「誰も読んでいない」や「誰も見ていない」という表現をめぐる論考(210ページ~)は、島田雅彦の文章を発端とするものではあるけれども(笑)、視点がおもしろくてためになりました。

文庫化は、次の「目白雑録 3」 (朝日文庫)で止まってしまっているようですね。残りも文庫化してくださいね、朝日さん。


<蛇足>
「海舟の書いたり語ったものより、親父の勝小吉の『夢酔独言』のほうが、ダンゼン面白いことを連想してしまう」(78ページ)
とあって、「~たり、~たり」となっていなくて、おやおや、と思いました。


タグ:金井美恵子
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