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曲がり角の死体 [海外の作家 E・C・R・ロラック]

曲がり角の死体 (創元推理文庫)

曲がり角の死体 (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2015/09/12
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
大雨の夜、急カーブの続く難所で起きた自動車の衝突事故。大破した車の運転席からは、著名な実業家が死体となって発見される。しかし検死の結果、被害者は事故の数時間前に一酸化炭素中毒によって死亡していたことが判明する。事故直前には、現場と別の場所を走る被害者の車の目撃証言も…。死者が自動車を運転したのか?謎解きの醍醐味を味わえる英国探偵小説黄金期の快作。


前回書いた「少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語」 (角川文庫)感想で、「4月に最後に読んだ本」と書き、それは事実なのですが、一冊感想を書き洩らしていたのがわかりました。
それがこの「曲がり角の死体 」(創元推理文庫)です。

「悪魔と警視庁」 (創元推理文庫)(感想ページへのリンクはこちら
「鐘楼の蝙蝠」(創元推理文庫)(感想ページへのリンクはこちら
に続いて読んだE・C・R・ロラックの作品で、期待にたがわず、面白かったですね。

自動車の謎があるだけあって、巻頭に周辺道路図が掲げられていて、この地図を折々参照して読み進めました。簡単な地図であることに加え文中の記述がわかりにくいところもあるので、すっきりとまではいきませんでしたが、この地図がなければちんぷんかんぷんだったことでしょう。
あらすじに「死者が自動車を運転したのか?」とあって、それが大きな眼目のように扱われていますが、そういう感じでもないです。

事件は、村に押し寄せる開発の波が背景として描かれていて、日本でも同様のことは起こっており、理解しやすいですね。
大技はありませんが、こじんまりとした小気味のいい謎解きミステリという感じです。


<蛇足1>
「あなたが本街道に出たとき、前方にダイムラーは見えましたか?」
「いいえ。厳密に言えば、ヘッドライトがひと組見えました。」(61ページ)
前方を走っている車の、テールライトではなく、ヘッドライトが見えた、というのはちょっと不思議な感じがします。
カーブしている道だったということでしょうか?

<蛇足2>
「ここからは、六ないし八キロというところでしょうか」(61ページ)
イギリスはマイル表示が普通なので、ここは原文は4~5マイルと書かれているのではと推察します。
こういうのを訳すときに、日本風にキロにするか、現地風にマイルにするか、悩まれるのでしょうね、訳者のみなさんは。

<蛇足3>
「ストランドの<レインのパン屋>で買えるケーキは三つだけ。ひとつはリッチフルーツケーキ。まずい。ふたつめはシードケーキ。さらにまずい。三つめはマデイラケーキ。いちばんまずい。」(93ページ)
思わず笑ってしまいました。
イギリスのケーキやお菓子は、今に至るもおしなべてまずいので、そういうのに慣れているイギリス人が「まずい」というのはどのくらいのものなのか......

<蛇足4>
スミスのガレージ、というのが出てきます。
ここでいうガレージは、日本でいうところの修理工場、だと思います。
日本語でガレージというと、駐車場のことを指すので、あまり適切な訳語とは思えません。



原題:Death at Dyke's Corner
作者:E.C.R. Lorac
刊行:1940年
翻訳:藤村裕美





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少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語 [日本の作家 な行]

少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語 (角川文庫)

少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語 (角川文庫)

  • 作者: 一 肇
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/02/25
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
2浪の果てに中堅お坊ちゃん私大に入学した、十倉和成20歳。ある日、彼のボロ下宿の天袋からセーラー服姿の少女が這いおりてきた。少女・さちは5年前から天井裏を住処にしてきたという。九州男児的使命感に燃えた十倉はさちを庇護すべく動きだした。そしていつしか、自らの停滞の原因―高校時代の親友であり、映画に憑かれて死んだ男・才条の死の謎に迫っていく。映画と、少女と、青春と。熱狂と暴想が止まらない新ミステリー。


ずいぶん更新に間が空きました。なんか「ただいま」気分です。
何度もブログに感想を書いたタイ・ドラマ「2gether」が終わってしまた後(あ、そういえば、前回の投稿の段階ではまだでしたが、日本語の字幕がちゃんと最終エピソードEP13にも完成しています。ありがとうございます。)、あれこれタイ・ドラマに嵌りまして、本をちっとも読んでいませんでした。感想もかけていません。
タイ・ドラマ、ずいぶん観ましたよ。たぶん、ボーイズラブにもそれなりに適応してきていると思います。

今回感想を書く一肇の「少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語」 (角川文庫)は、今更ながらという感じもしますが、4月に最後に読んだ本です。

作者の苗字、「一」と書いて、ニノマエ。なんかカッコいいですね。

プロローグはやや時代がかった女性の語り口ですが、その後主人公十倉和成が話者となります。
第一章の冒頭を読んでみていただくとわかるのですが、ここもちょっとクラシカルな語り口で、でもそれがすんなり入ってくる心地よいリズムがあります。
「人間すべからく単純に生きるべし」(9ページ)と、最近誤用されることの多い「すべからく」も正しく使われているようで、安心して読めます。

あらすじに「新ミステリー」とありますが、印象はミステリではないですね。
「映画に憑かれて死んだ男・才条の死の謎に迫っていく」ともあって、確かにその謎が扱われますが、ミステリ的に解かれるわけではない、ミステリの手法がかなり効果的に使われているにしても、着地はミステリが目指しているものとは違うように感じました。

ここに出てくる才条は、主人公十倉和成の友人で、才能あふれると同時に、非常に癖の強い人物であったことが語られていきます。

このためか、才能、天才という語が大事に使われているようです。
「彼は自分の技量がたいしたものではないと理解していて、それを褒めそやす人間の審美眼を軽蔑していたのだと思う。」(89ページ)
褒めても謙遜するのではなく、むしろ嫌がる人がいますが、その理由を端的に表しているな、と。才能ある人独特の見方なのかもしれませんが。
「天才などこの世にいない。己の理解出来ぬものを有象無象がそう呼ぶだけだ」(183ページ)
印象的なセリフですよね。
なんでも誉めておけばよい、といった感じの強い世の風潮に背を向ける、爽快なコメントです。
「天才は努力などしないと思いますが。天才にもの創りの苦しみがないと思うのですか」
「天才という言葉は、天才と呼ばれる人々に対する最大の侮辱なのです」(230ページ)
これまた印象的です。

物語は、男子寮(?) の天井裏に住む少女さちが主演として映画にかかわっていく物語と、才条の作りかけの映画に関する物語がキーとなって進みます。
上で述べた、才能・天才ということとも関連しますが、作る苦しみ、創造の深さがテーマ。
同時に、十倉和成とさちとのボーイ・ミーツ・ガールでもあります。
ボーイ・ミーツ・ガールという要素については、もう一つ織り込まれていますが、それはネタバレになるので書くのを控えておきます。

「乙一が感涙し、綾辻行人が嘆息した」と帯に書かれていますが、読めてよかったな、と心から思える作品でした。
副題に「暴想王」とありますが、主人公十倉の"暴想"と同時に、作者の"暴想"でもありまして、ぜひ同じ作者の別の作品を読んでみたいな、と思いました。


<蛇足1>
僕はもうすでにマフラーとハサミをひとつずつ無くしていた。(9ページ)
間違い、というわけではないと思いますが、「無くしていた」というのに違和感がありました。個人的に「失くしていた」という書き方を好みます。

<蛇足2>
「やらせて頂こうと思います」
「一生懸命、その本好きの女子高生を演じきりたいと思います」(67ページ)
やらせて頂く、一生懸命。続けて気になる表現が出てきて、おやっと思ってしまいました。
文章がしっかりしていると思っていただけに、余計。



タグ:一肇
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