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ナイン・テイラーズ [海外の作家 さ行]

ナイン・テイラーズ (創元推理文庫)

ナイン・テイラーズ (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1998/02/25
  • メディア: 文庫

<カバー裏表紙あらすじ>
年の瀬、ピーター卿は沼沢地方の雪深い小村に迷い込んだ。蔓延する流感に転座鳴鐘の人員を欠いた村の急場を救うため、久々に鐘綱を握った一夜。豊かな時間を胸に出立する折には、再訪することなど考えてもいなかった。だが春がめぐる頃、教区教会の墓地に見知らぬ死骸が埋葬されていたことを告げる便りが舞い込む……。堅牢無比な物語に探偵小説の醍醐味が横溢する、不朽の名編!


今月(2020年12月)に最初に読んだ本です。
セイヤーズの作品としては、前作「殺人は広告する」 (創元推理文庫)感想を書いたのが2017年9月なので3年ちょっと経ちます。
ようやく読みました伝説の作品! という感慨でいっぱいです。
というのもこの作品、重厚だ、文学的だ、退屈だ、ときわめてとっつきにくそうな評判だったからです。
奥付を見ると1999年1月(初版は1998年2月)。セイヤーズの作品をゆっくりと刊行順に読んできたから、というのもありますが、実にのんびり積読にしていたものです。怖かったし(笑)。

確かに、重厚で読むのにも時間がかかりましたが、退屈はしませんでしたし、読みにくいとも思いませんでした。=訳者である浅羽莢子さんのお力によるところが大なのだとは思います。
もっとも、463ページに及ぶ大部な作品で、ゆったり進むことにはご留意、ではありますが。

たまたま居合わせたウィムジイ卿が、鐘を撞く次第となる、というだけで90ページ近く費やされますから。巻の一となっている第一部がまるごとこれです。
この部分、鳴鍾術に関する蘊蓄がたっぷりつめこまれていまして、一応謎ときに資するような形にはなっていますが、まあ正直どうでもいい蘊蓄(失礼)なので蘊蓄部分は飛ばし読みしても一向に差し支えありません。

そう、タイトルのナイン・テイラーズというのは、Tailors であっても仕立て屋さんではなく、
九告鐘=死者を送る鐘。男用は九回、女用は六回鳴らされる。一説によれば、テイラーは告げるものの訛ったもの
と37ページに書かれています。
鐘のお話です。

第二部にあたる巻の二で死体が発見され、ウィムジイ卿が村を再訪することになるのですが、ここからの展開が意外と(失礼)おもしろいんです。
墓に忍ばされていた正体不明の死体。
村で以前発生した宝石(エメラルド)盗難事件がどう絡むのか、どう絡まないのか。

今の感覚からすると極めておっとり、ゆったりと進む捜査のテンポが不思議と趣き深い。
もともとウィムジー卿って、神のごとき名探偵、という感じでもないし、行き当たりばったりのような捜査がこの作品のテンポにはピッタリです。
田舎の警察と、行き当たりばったりの貴族探偵。なかなかいい組み合わせではないですか。

そしてこの作品は、トリック(殺害方法)が高名で、そのトリックを読む前から知ってしまっていまして残念ながら驚きが減ってしまったーーというか驚きはなかったのですが、確かにとても印象深いです。
ロープで縛られていたと思しき死体なのですが、
「致命傷、毒物、絞殺、疾病ーーいずれも痕跡すら認められていません。心臓も健康、腸も餓死したのではないことを示していますーーそれどころか栄養状態は良好で、死の数時間前には食事をしていました」(254ページ)
という状況で、どうやって被害者を死に至らしめたのか?
この解決が示されるのは、本当に最後の最後、最終章、しかも最終頁近くになってから、なんですよね(その直前の章で暗示されていますが)。さらっと明かされる。
かなり鮮やかです。
トリックを知らずに読んでいたら、強烈な印象を残したんではないでしょうか。

そしてその殺害方法に思いをはせるとき、蘊蓄たっぷりで飛ばし読みしていた(飛ばし読みしたのはぼくだけかもしれませんが)第一部のイメージががらっと変わる。
(鐘にまつわる蘊蓄が山ほど盛り込まれているものの)ウィムジイ卿のお気楽な性格を物語るエピソードだな、とぼんやり思っていた部分が、違う色彩を放つ。
いいではないですか、こういうの。

とここでふと思ったのですが、この作品、確かに分厚いし、蘊蓄盛だくさんだし、ゆったり進むし、重厚といいたくなる気持ちはよくわかるものの、そういう読み方をする作品ではないのでは?
ウィムジイ卿のおちゃらけた性格もそうですし、インパクトあるトリックもある意味バカミスと呼べてしまえそうなものだし。
真面目な顔して読むのではなく、「なんだこりゃ、バカみたいだなぁ、アハハ」という感じで読むべき作品なのかも、なんて。

違うかな?
この作品の最後の洪水シーンの取り扱いなどからすると、ぼくの単なる勘違い、勝手すぎる解釈である可能性も大なのですが......

このあと、シリーズは
「学寮祭の夜」 (創元推理文庫)
「忙しい蜜月旅行」(ハヤカワ・ミステリ文庫)
の2冊になりました。
これからも、ゆーっくり読んでいきます。

まったくの余談になりますが、このシリーズでは、パンターがウィムジイ卿に呼びかける二人称が「御前」なのですが、実はずっと、これなんと読むのだろう、と思っていました。
ごぜん? おんまえ? おまえ、はさすがにないでしょうけれど。
静御前とかいますので、ごぜん、だろうなとは思っていたのですが。
この作品で、パンター以外の登場人物が
「御前さま」
と呼びかけています。(302ページなど)
いままでの作品でも出てきていたのを見逃していたのかもしれませんが、さま、と後に続くのでこれはやはり「ごぜん」でしょうね。
<2023.8.25追記>
麻耶雄嵩の「貴族探偵対女探偵」 (集英社文庫)に、御前に”ごぜん”とルビが振ってありました!


<蛇足1>
「教会を逆時計回りに一周するのは不吉だと知っていたので」(59ページ)
知りませんでした。
今後気をつけるようにします。

<蛇足2>
「よりによって日曜に、梯子を教会に持ち込むわけにはいかんからな。この辺りは今も、第四の戒律(『出エジプト記二〇章。安息日を守ることに関するもの』)に敏感でしてな。」(339ページ)
梯子、日曜はダメなんですね。
ただ、梯子が特にだめだからなのか、仕事に近いことをすることが一般的に安息日にはだめだからなのか、信心深くないのでわかりません......

<蛇足3>
「法は妻が夫に不利な証言をすることを認めていない」(384ページ)
妻が夫に有利な証言をしても疑わしいと思われますし、不利な証言をすることを強要されないということも知ってしましたが、そもそも不利な証言をしてはいけないという制度だったのですね......



原題:The Nine Tailors
作者:Dorothy L. Sayers
刊行:1934年
訳者:浅羽莢子






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