貧乏お嬢さま、古書店へ行く [海外の作家 は行]
<カバー裏あらすじ>
「ドイツの王女のお世話をせよ」と、英国王妃からまたもや無理難題を言い渡された公爵令嬢ジョージー。密かにメイド仕事で生計を立てている彼女には、王女の世話をするお金もなければ、使用人すらいないというのに! 苦肉の策で祖父を執事に仕立てあげ、なんとか自宅にお迎えすると、王女はその美しさからは想像できないような、むちゃくちゃな英語を話す風変わりで世間知らずの娘だった。おかげで貧乏暮らしは取り繕えたものの、一難去ってまた一難。王女に同行する先々で事件に遭遇してしまう。泥酔した若者の転落死、古書店で男性の刺殺体――。「あの王女には気をつけたほうがいい」と元警官の祖父から警告されるものの、王妃さまの命に従い、ジョージーはしぶしぶ難事件の捜査に乗り出すことになり……!?
2021年8月に読んだ8冊目の本です。
「貧乏お嬢さま、メイドになる」 (コージーブックス)(感想ページはこちら)に続くシリーズ第2弾。
今回ジョージ―が王妃からいいつかる難題は、バイエルンのハニ王女のお世話。
苦労して準備を整えて迎えたハニ王女は、そこそこやっていけそうな感じなのに、監視役のロッテンマイスター男爵夫人が難物という、いかにもな展開に笑えます(ジョージ―には笑いごとではないですが)。
ハニとジョージ―は、ハイド・パークのスピーカーズ・コーナーあたりで共産主義者の美青年シドニー・ロバーツと出会います。
ジョージ―が招待されたパーティにハニを連れて行くと、そこにはシドニーが。
そのパーティでバルコニーの手すりが壊れて転落死が発生。
ジョージ―が連れて行った大英博物館で、ハニはシドニーと再び出会ったと。
翌日シドニーが働いている古書店を訪れると、二階でシドニーが刺殺されているのを発見する。
厄介ごとを持ち込んできたハニを軸に、矢継ぎ早に事件発生。
このあたりのてんやわんやぶりが見どころですね。
ミステリとしてもかなり大胆な真相が用意されているのですが、さすがに無理筋だと思ってしまいましたし、この真相であればもっと手がかりを大胆にちりばめておいてほしかったな、と。
でも、こういうの好きですね。
このシリーズ、これからも続けて読んでみようと思います。
最後に、邦題「貧乏お嬢さま、古書店へ行く」 (コージーブックス)は、いただけませんね。
古書店は死体発見現場ですし、出てくることは出てくるのですが、タイトルに出すほどのことはないと思われます。
また、冒頭に掲げた書影でわかるかと思いますが、カバー絵も、だめですね。
古書店と思われる場所で、ジョージ―がエプロン?をしている(メイド服??)のですが、本書ではジョージ―は古書店で働くわけではなく、訪問する際もこういう姿ではないはずだからです。
もっとも、海の向こうでも似たような感じの絵を表紙に使っているようですが......
<蛇足1>
「レーガン、ジェンセン、ダニカ、ウォリス――まったく、アメリカ人って、ジェーンとかメアリーとかそういう平凡な名前はつけないの?」(281ページ)
思わず笑ってしまいました。
確かにイギリス人の名前は ”平凡” なものが多いようです。
<蛇足2>
「いくつもの煙突頭部に付けた通風管が並んでいる場所をなんとか通り越してさらに進んでいくと」(415ページ)
「煙突頭部に付けた通風管」の部分に、チムニーポットとルビが振ってあります。
イギリスの建物の屋根のところにあるやつですね。
勝手リンクで恐縮ながら、こちらのブログがわかりやすくていいですね。
原題:A Royal Pain
作者:Rhys Bowen
刊行:2008年
訳者:古川奈々子
スマホを落としただけなのに [日本の作家 さ行]
スマホを落としただけなのに (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
- 作者: 志駕 晃
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
麻美の彼氏の富田がスマホを落としたことが、すべての始まりだった。拾い主の男はスマホを返却するが、男の正体は狡猾なハッカー。麻美を気に入った男は、麻美の人間関係を監視し始める。セキュリティを丸裸にされた富田のスマホが、身近なSNSを介して麻美を陥れる狂気へと変わっていく。一方、神奈川の山中では身元不明の女性の死体が次々と発見され……。
2017年の『このミステリーがすごい! 』大賞・隠し玉作品です。
前年の第15回『このミステリーがすごい! 』大賞の応募作品を改稿したものです。
ちなみにこのときの大賞受賞作は岩木一麻「がん消滅の罠 完全寛解の謎」 (宝島社文庫)(感想ページはこちら)
この「スマホを落としただけなのに」 (宝島社文庫)は、映画化もコミカライズもされている話題作ですね。
人気だったようで、シリーズ化されてもいます。
タイトルでも明らかなように、スマホを落とした結果、悪意ある人物に拾われてしまい、難事に巻き込まれる、というわけです。
スマホだけからどうやって、という部分は、それほど特筆すべきところはありません。
ネット社会ならではという感じでクラッキングにより情報を入手していくわけですが、そういう手口はネットでもさんざん書かれていますし、目新しいところも、ひねりもありません。
解説で「ラストで待っている驚天動地のトリックには、誰もが目を疑うだろう」と書かれているのですが、えっと、そんなのありましたっけ?
驚くところは、どこにもなかったような。
本書の魅力はサプライズにあるのではなく、いわゆるジェットコースターノベルを目指したところにあるのではないかと思います。
謎も仕掛けも語りも軽いかわりに、ちょっぴりセンセーショナルで、ぐんぐん読める駆動力ある物語。
ところで、五十嵐貴久による解説がすごいですよ。いきなり
「予言しておく。本書によって、日本のミステリーは劇的に変わる。
十年後、出版に携わる者、もちろん読者、そしてあらゆる階層の者たちが『志賀以前』『志賀以降』というタームで、ミステリーというジャンルを語ることになるだろう。」
ですから。
本書が出たのが2017年だから、あと5年ですか。そうなるかどうか、楽しみに待ちましょう。
山手線探偵3: まわる各駅停車と消えた妖精の謎 [日本の作家 七尾与史]
山手線探偵3: まわる各駅停車と消えた妖精の謎 (ポプラ文庫)
- 作者: 七尾 与史
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2014/06/05
- メディア: 文庫
<裏表紙あらすじ>
山手線にだけ神出鬼没に現れる、謎の名探偵――霧村雨のもとに、少女誘拐事件が舞い込んだ! 山手線探偵・霧村は、小学6年生の助手・シホと自称ミステリ作家のミキミキさんと一緒に急遽、捜査を開始する。そして謎が謎をよび、過去の未解決事件「消えた妖精」の真相に辿り着き……。
昨年8月に読んだ本の感想に戻ります。
順番として「ジークフリートの剣」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)のあとに読んでいます。
「山手線探偵 まわる各駅停車と消えたチワワの謎」 (ポプラ文庫)(感想ページはこちら)
「山手線探偵2: まわる各駅停車と消えた初恋の謎」 (ポプラ文庫)感想ページはこちら)
と続いてきたシリーズの第3弾にして、完結編。
目次が今回もかわいいです。山手線の路線図(?)。
今回ページ順に並べ替えると
新宿駅→渋谷駅→高田馬場駅→目黒駅→恵比寿駅→田町駅→代々木駅→浜松町駅→池袋駅→秋葉原駅→上野駅→御徒町駅→西日暮里駅→渋谷駅→目白駅
の順です。
いよいよ「シホと霧村さんの出会いのきっかけとなったあの事件」が出てきます。
ミキミキがなかなか聞き出せなかったこの話、
「今から一部始終を話すわ。覚悟して聞いて。ミキミキさんは真の恐怖を知ることになるから。」(25ページ)
とかなりもったいぶってシホから明かされるのですが、これが、笑えます。笑ってはシホがかわいそうですが。
なにしろ、「テレビドラマなんかによく出てくる、酔っ払いながらカラオケで古い歌を熱唱して若いOLたちの顰蹙を買っている、バーコード頭でメタボ体型の中年。」が「向かいのシートで寝込んでいる女性のバッグの口から」「上半身を覗かせて」いた、というのです。(39ページ)
いわく、おっさんの妖精(笑)。
しかも、その事態は、山手線が高田馬場駅について、新宿駅に行く間に、電車内で結婚式に遭遇、という派手な出来事の後に起こるのです。(どれだけ空いていたのでしょうね、山手線。)
おっさんの妖精の存在そのものが謎なんですが、この謎はミステリ的には解かれませんので、そういう期待は無用です。
ただ、ここからかなりの大事件に発展するのがポイントで、ちょっと小学生が立ち向かうには...という感じもしますが、霧村さんとミキミキという大人がいますし、そこは ”妖精” であることだし、というなのでしょう。
今の若い人、というか、子どもはこういうの楽しむのでしょうか?
ただエンディングは、当然といえば当然かもしれませんが、しっかりとしていまして、シリーズの幕引きというのは寂しくもありますが、納得できるものになっています。
ミステリ的に取り立ててどうこうというものではなかったですが、楽しく読めたシリーズでした。
<2022.2.25>
タイトルと冒頭に掲げる書影&リンクが間違っていたので、修正しました。
失礼しました。
HIStory:マイ・ヒーロー [台湾ドラマ]
これまで、「2gether」(感想ページはこちら)をきっかけに観てきたタイ・ドラマですが、タイ以外にも手を出してしまいました。
タイ・ドラマを観はじめてからいろんなかたのブログを参考にしていたのですが、そんな中で台湾のBLドラマをお勧めされている方が割といらっしゃって、で、台湾であれば演じる俳優さんのルックス的にタイ・ドラマよりも親近感がわきやすいかも、と思って観ることに。
(とかいいつつ、十分タイ・ドラマにどっぷりはまり込んでいるのですが)
HIStory という通しタイトルで、何シーズンかやっているようで、そのうちの一つです。
いつも頼りにしている MyDramaList によると、シーズン1では、
HIStory :My Hero (2017年2月14日~17日)
HIStory :Obsessed (2017年2月21日~24日)
HIStory :Stay Away From Me (2017年2月28日~3月3日)
という3つのストーリーが放送されたようです。ネットワークが CHOCO TV ってかわいい名前ですね。
それぞれ4話で、各話20分くらいですので、ごく短い物語ですね。
確かYoutubeだったと思うのですが、今探しても見つかりません。
英語の字幕で観ました。
日本では DVD-BOX が発売されているのですね。
本日の感想は最初のストーリーである My Hero。日本語タイトルは「マイ・ヒーロー」
上のポスター(?) では一番上です。
あらすじを amazon の紹介欄から。
~恋人を亡くした男×死んだ恋人が乗り移った男~
お金持ちのお嬢様ラン・シーは、神の使いの采配ミスにより天涯孤独のグー・スーレンと間違われて命を落としてしまう。
スーレンの体を借り、7日間のうちに恋人のマイ・インションに愛され、キスをされたら生き続けることができるというチャンスを与えられたラン・シーは、なんとかインションを振り向かせようと奮闘。
しかしスーレンとして生活するうち、彼の孤独とインションへの気持ちを知るばかりか、完璧な恋人だったインションの以前とは違う素顔にも触れ、ラン・シーは混乱する。
運命の7日目、2人が出した答えとは……。
出演:アーロン・ライ(賴東賢) 「飛魚高校生」/ジアン・ユンリン(蔣昀霖)/パトリシア・リン(林映唯)
監督:タン・イー/脚本:ヤン・イーホア
原題:MY HERO
"入れ替わり"もの、です。
主人公は、死んでしまった、勝手気ままなお嬢さまラン・シー。
なんですが、同時に死んだ冴えない男性スーレンの体に魂(意識)が入っていまして、見た目は男。
入れ替わったままで(そして入れ替わっていることは伏せたままで)、恋人インションの愛を勝ち得ないと甦れない、というもの。男同士なのに!?
首尾よくインションの愛を勝ち得ても、それは男性スーレンへの愛であって、無事ラン・シーが甦ったところで、インションの愛はラン・シーには向けられないわけですから、もうこの設定の段階でこのプロットに無理があることはお分かりだと思います。
でもまあ、そんなことは気にせず、物語に身をゆだねるのが吉ですよね。
もともとスーレンがインションのことを想っていた、という前提に加えて、そのスーレンのからだにインションの彼女であるラン・シーの意識が入っている、ということで、スーレンからインションへの想いは全開で、思いがけないくらいあっさりと、割と自然にインションのスーレンへの気持ちが深まっていきます。
女性が好きだった男性が簡単に男性を好きになるだろうか、というのはBLを観ていていつも疑問で、この「HIStory:マイ・ヒーロー」でもその疑問は払拭されたわけではないのですが、それでもある程度この疑問に配慮をしてくれているように感じました。
このインション、すごく性格がよさそうなんですよね。
見た目もよくて、性格もいいなんて、さすがお嬢さんに目を付けられるだけのこと、ありますね(笑)。
演じているのはアーロン・ライという俳優さん。
甘いところのあるルックスなので、あまりハードな役よりは、こういう柔らかさがある役が似合うのかもしれません。
女性ファンの目を意識してかどうかわかりませんが、割と肉体を映すシーンがありますね。
いい身体してるので、本人も見せたがっているのかな。
遠くから撮っているのではっきりとはみえませんが、しっかり鍛えられています。
BLらしいシーンはあれこれありますが、中ではボトルの水をやりとりするシーンでしょうか。
笑えるシーンでもあるんですよね、このシーンは。
随所に笑えるシーンもちりばめられています。この点好感度大。
物語の結末は、BLゆえに予想されることではありますが、ラン・シーがかわいそうだな、と。
生まれ変わったら、幸せになってほしいですね。
気軽に観ることのできる作品でした。
と、日本ではDVDだけではなく、劇場映画としても公開されていたのですね。
予告編が YouTube にありましたので、貼っておきます。
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映画:ラストナイト・イン・ソーホー [映画]
映画「ラストナイト・イン・ソーホー」の感想です。
シネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
ロンドンで別々の時代を生きる二人の女性の人生がシンクロするサイコスリラー。現代と1960年代のロンドンで暮らす女性たちが、夢を通して互いに共鳴し合う。監督と脚本を手掛けるのは『ベイビー・ドライバー』などのエドガー・ライト。『オールド』などのトーマシン・マッケンジー、ドラマ「クイーンズ・ギャンビット」などのアニャ・テイラー=ジョイ、ドラマシリーズ「ドクター・フー」などのマット・スミス、『コレクター』などのテレンス・スタンプらが出演する。
あらすじは、映画のHPから引用します。
ファッションデザイナーを夢見るエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、ロンドンのデザイン学校に入学する。しかし同級生たちとの寮生活に馴染めず、ソーホー地区の片隅で一人暮らしを始めることに。新居のアパートで眠りに着くと、夢の中で60年代のソーホーにいた。そこで歌手を夢見る魅惑的なサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)に出会うと、身体も感覚も彼女とシンクロしていく。夢の中の体験が現実にも影響を与え、充実した毎日を送れるようになったエロイーズは、タイムリープを繰り返していく。だがある日、夢の中でサンディが殺されるところを目撃してしまう。その日を境に現実で謎の亡霊が現れ始め、徐々に精神を蝕まれるエロイーズ。そんな中、サンディを殺した殺人鬼が現代にも生きている可能性に気づき、エロイーズはたった一人で事件の真相を追いかけるのだが……。
果たして、殺人鬼は一体誰なのか? そして亡霊の目的とは-!?
夢の中で現代と過去が結びつく物語になっているのですが、その片側、1960年代のロンドンが美しい。
美しいといっても、ネオンライトに照らされた、夜の街。
ポスターを見てもらってもわかりますね。赤や青の光に照らされ、闇に光る街。
60年代のロンドンがよかった、とは言い切れないと思いますが(この映画はその闇の部分が焦点です)、それでもかなり魅力的に見えます。
舞台はタイトルにもなっているソーホー。The 歓楽街、といったテイストの街です。
いわゆる風俗関係のお店も多いですが、ジャズで有名なロニー・スコッツなどもありますし、おいしいレストランも数多く存在するところです。中華街も近いですね。
主人公であるエロイーズの下宿(アパートとあらすじに書いてありますが、観ていると下宿っぽいですね。家主のおばあちゃん(演じているのは、Diana Rigg)が見守ってくれる感じ)は、BTタワーのほど近くのようなので、歩いてソーホーまで簡単に行けますね。
あらすじはストーリーのかなり先のほうまで明かしてしまっていますね。
60年代のサンディの物語は月並みといえば月並みなんですが、嫌な予感がどうしてもしてしまうようになっていまして、先が気になって気になって......
”殺人犯が現在も生きている” というのがかなりスリリングで60年代と現在、両方でハラハラさせられます。
犯人探しの難度は高くなくても、ミステリファンにもしっかり楽しんでいただける作品だと思います。
気づかず観ていたのですが、監督は『ベイビー・ドライバー』(感想ページはこちら)の人だったのですね。
なんとなく納得。
話そのものはありふれていても、しっかりと魅せてくれる。
エドガー・ライトという名前、覚えておかなくては。
個人的に気になったのは、物語のはじめの方で、田舎からロンドンにやってきたエロイーズが、デザイン学校の同級生にいじめられるというか、仲間外れにされるというか、侮蔑の対象になってしまうくだり。
これはエロイーズの孤独感を強調し、60年代のサンディの世界にのめりこませるきっかけでもあり、その機動力ともなる部分、かつ、そんな中エロイーズに寄り添う存在となる黒人青年ジョン(演じているのは Michael Ajao)の導入でもあるのですが、ちょっと観ていて落ち着きませんでした。
ここまでいじめがあからさまでなくてもよいのになぁ、と。イギリス人ならいじめるにしてももっと上手にやりそうなので。
それにしても、この邦題はなんとかならないものでしょうか?
原題をカタカナにするだけというのは、あまりにも......
製作年:2021年
製作国:イギリス
原題:Last Night in Soho
監督:エドガー・ライト
時間:115分
双孔堂の殺人 Double Torus [日本の作家 周木律]
<カバー裏あらすじ>
二重鍵状の館、"Double Torus(ダブル トーラス)"。警察庁キャリア、宮司司(ぐうじつかさ)は放浪の数学者、十和田只人(とわだただひと)に会うため、そこへ向かう。だが彼を待っていたのは二つの密室殺人と容疑者となった十和田の姿だった。建築物の謎、数学者たちの秘された物語。シリーズとして再構築された世界にミステリの面白さが溢れる。"堂" シリーズ第二弾。
読了本落穂拾いで、堂シリーズの第二作です。
このシリーズ
「眼球堂の殺人 ~The Book~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「双孔堂の殺人 ~Double Torus~」 (講談社文庫)
「五覚堂の殺人 ~Burning Ship~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「伽藍堂の殺人 ~Banach-Tarski Paradox~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「教会堂の殺人 ~Game Theory~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「鏡面堂の殺人 ~Theory of Relativity~」 (講談社文庫)
「大聖堂の殺人 ~The Books~」 (講談社文庫)
以上七冊で完結しているようで、第五作「教会堂の殺人 ~Game Theory~」まで読んでいます。
「教会堂の殺人 ~Game Theory~」で路線転換してしまっていてシリーズの今後に不安を抱きましたが、この「双孔堂の殺人 ~Double Torus~」 は未だ第二作だけあって、普通に(?) 館ミステリしています。
シリーズを通しての仕掛け? というか、人物配置もされてます。
早速15ページにいかにもな建物の図が掲げられていますし、そのあとも102ページ、103ページ、さらには138ページでも怪しげな図面で読者のご機嫌を伺います。
位相幾何学だ、ポアンカレだなんだと、御大層な数学の衒学趣味満載の作品でくらくらしますが、謎解きは由緒正しい、いかにもな館もので、しっかり脱力できます。素晴らしい。
おもしろいなと思ったのは、数学が苦手な人、数学が分からない人の方が思いつきやすそうトリックが一つ紛れ込んでいること。
読者へのボーナス問題でしょうか?
こういう茶目っ気、いいですね。
<蛇足1>
「俺は無意識に左手で愛用のネクタイを緩めた。」(20ページ)
一人称で語られていることを考えると、なかなか味わい深い文章ですね。
<蛇足2>
「ドイツの数学者、エルンスト・クンマーは、九かける七の答えが思い出せなくなったことがあった。だが彼は、最終的にはその解が六十三であることを導き出す。」(65ページ)
このエピソード、「数学という抽象化の学問においては、九九などという些末な知識などなくとも、何ら支障がないことを示す証拠」として出てくるんですが、そしてその趣旨には異を唱えるものではないですが、ドイツに九九ってあるんですね。
結構ご大層な方法でクンマーは解を導き出すのですが、九かける七だったら、奇を衒った出し方をしなくても九を七回(あるいは七を九回)足せば済む話だと思うのですが。
GOSICK VIII -ゴシック・神々の黄昏- [日本の作家 桜庭一樹]
GOSICK -ゴシック- VIII 上 ゴシック・神々の黄昏 (角川文庫)
GOSICK VIII 下 ゴシック・神々の黄昏‐ (角川文庫)
- 作者: 桜庭 一樹
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2011/06/23
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
クリスマス当日、ヴィクトリカが所望したのは、15個の謎――必死で謎を集める一弥は、村に起こりつつある異変に気づく。それは、大いなる変化、すなわち“2度目の嵐”の前触れにほかならなかった。迫る別れと、自分の運命を正しく予感したヴィクトリカは、一弥にある贈り物をする。一方首都ソヴレムでは、ブロワ侯爵が暗躍、娘ヴィクトリカを武器に権力を握ろうとしていた――大人気ミステリ怒涛の最終ステージへ。(上巻)
監獄〈黒い太陽〉に幽閉されていたヴィクトリカは、母コルデリアの身代わり計画により脱出。ロスコーとともにソヴュールを離れて海の彼方へ。徴兵された一弥は、彼女を想いつつ戦場の日々をひたすらに生き延びてゆくが、ある日の敵襲で……。アブリルに、セシルに、グレヴィールに、古き世界に大いなる喪失と変化が訪れる。その先に待つものは? そしてヴィクトリカと一弥に再会の日は……!? 大人気ミステリ、感動の完結編。(下巻)
読了本落穂拾いです。
2018年1月に読んだ本です。
GOSICKシリーズ最終巻。
番外編を除くシリーズは
GOSICK ―ゴシック―
GOSICK II ―ゴシック・その罪は名もなき―
GOSICK III ―ゴシック・青い薔薇の下で―
GOSICK IV ―ゴシック・愚者を代弁せよ―
GOSICK V -ゴシック・ベルゼブブの頭蓋- (感想ページはこちら)
GOSICK VI ―ゴシック・仮面舞踏会の夜― (感想ページはこちら)
GOSICK VII ―ゴシック・薔薇色の人生― (感想ページはこちら)
GOSICK VIII 上 ―ゴシック・神々の黄昏―
GOSICK VIII 下 ―ゴシック・神々の黄昏―
です。
前作「GOSICK VII ―ゴシック・薔薇色の人生― 」を読んだのが2017年10月ですから、ぼくにしてはさほど間をあけずに読んだことになります。
今回はいよいよ2回目の嵐が吹き荒れます。
ヴィクトリカの父・ブロワ伯爵の怪しい活躍ぶりも激しくなってきます。
そして、ヴィクトリカと一弥はそれぞれ離れ離れを強いられて......
あらすじには大人気ミステリとありますが、シリーズも完結編となると、もはやミステリとは呼べないような。
物語の行方という謎はあっても、ミステリらしい謎ではありませんね。
シリーズを通して紡がれてきた一弥とヴィクトリカのボーイ・ミーツ・ガール物語は完成せねばなりません。
そこへ向けて、世界を巻き込む戦争につれ、物語はうねっていきます。
状況が状況ですし、二人の境遇も境遇なので、どう決着をつけるのかな、心配にもなったのですが、落ち着くところに落ち着いたな、と安堵。
続編も書かれているようなのですが、文庫にはあまりなっていませんね。
「GOSICK RED」 (角川文庫)
「GOSICK BLUE」(KADOKAWA)
「GOSICK PINK」(KADOKAWA)
「GOSICK GREEN」(KADOKAWA)
<蛇足1>
「いかにも大晦日の午前中らしく、天気はいいのにひと気はあまりない。雪玉を投げ合う子供たちが数人、遠くで楽しそうな声を上げている。」(上巻86ページ)
日本と違い、ヨーロッパではクリスマス休暇も終わった大晦日は、普通の平日です。
新年も、三が日が休みなどということはなく、1月1日のみが休みで1月2日から平日です。
なので「いかにも大晦日の午前中らしく」という部分はちょっと解釈が難しいですね。
<蛇足2>
「ヨーロッパは初めこそ二分されたが、新大陸の台頭を鑑みて、次第に団結し始めようとしていた。」(上巻187ページ)
やはり気になってしまいます。「~を鑑みて」
<蛇足3>
「どうしても謝りたいときはフランス語にしようか。ごめんは、Pardonnez(パードン)。」(下巻84ページ)
丁寧にフランス語のスペルが添えてあります。
音もルビのかたちで示されていますが(このブログではルビができないので、括弧書きにしています)、英語ではないので、パードンは間違いですね。
フランス語では「パルドン」の方が近いはずです。
さらにここでは、Pardon ではなく、丁寧なかたちの Pardonnez と書かれていますので、であれば、「パルドン」ですらなく「パルドネ」ですね。
もっともこれは一弥のセリフですから、一弥が覚え違いをしていたらそれまでですが。
<蛇足4>
「父さんや兄さんの持つ、けっして揺らぐことのないあの価値観――男の生き様、天下国家のためにこそ身を犠牲にしても生きる、という考えに対して、疑念を持ちながらも表明できずにいた、弱い人間でもあります」(下巻131ページ)
終盤近くに、一弥が姉瑠璃にあてた手紙の一節です。
この年代の日本人が「生き様」などという極めて醜い日本語を使うとは思えないのですが......
デビルズフード・ケーキが真似している [海外の作家 ジョアン・フルーク]
デビルズフード・ケーキが真似している (ヴィレッジブックス)
- 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
- 発売日: 2013/10/19
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
2月の〈クッキー・ジャー〉はイベントつづきで大忙し。けれども、目下ハンナを悩ませていること。それはノーマンの共同経営者で元フィアンセのドクター・ベヴの存在。彼女が来てからというもの、ノーマンの態度がなんだかおかしいのだ。朗らかで容姿端麗、町じゅうの人から好かれている彼女と仲良くなれないのは嫉妬のせい? そんなとき、30年ぶりにレイク・エデンにやってきた牧師に思わぬ悲劇が――
読了本落穂拾いです。
お菓子探偵ハンナ・シリーズで感想を書き洩らしていた第14弾。
このあと第17弾まで感想を書いていますね。一覧を作ってみましょう。
1. 「チョコチップ・クッキーは見ていた」 (ヴィレッジブックス)
2. 「ストロベリー・ショートケーキが泣いている」 (ヴィレッジブックス)
3. 「ブルーベリー・マフィンは復讐する」 (ヴィレッジブックス)
4. 「レモンメレンゲ・パイが隠している」 (ヴィレッジブックス)
5. 「ファッジ・カップケーキは怒っている」 (ヴィレッジブックス)
6. 「シュガークッキーが凍えている」 (ヴィレッジブックス)
7. 「ピーチコブラーは嘘をつく」 (ヴィレッジブックス)
8. 「チェリー・チーズケーキが演じている」 (ヴィレッジブックス)
9. 「キーライム・パイはため息をつく」 (ヴィレッジブックス)
10. 「キャロットケーキがだましている」 (ヴィレッジブックス)(感想ページはこちら)
11. 「シュークリームは覗いている」 (ヴィレッジブックス)(感想ページはこちら)
12. 「プラムプディングが慌てている」(ヴィレッジブックス)(感想ページはこちら)
13. 「アップルターンオーバーは忘れない」 (ヴィレッジブックス)(感想ページはこちら)
14. 「デビルズフード・ケーキが真似している」 (ヴィレッジブックス)
15. 「シナモンロールは追跡する」 (ヴィレッジブックス)(感想ページはこちら)
16. 「レッドベルベット・カップケーキが怯えている」 (ヴィレッジブックス)(感想ページはこちら)
17. 「ブラックベリー・パイは潜んでいる」 (ヴィレッジブックス)(感想ページはこちら)
18. 「ダブルファッジ・ブラウニーが震えている」 (ヴィレッジブックス)
19. 「ウェディングケーキは待っている」 (ヴィレッジブックス)
20. 「バナナクリーム・パイが覚えていた」 (mirabooks)
21. 「ラズベリー・デニッシュはざわめく」 (mirabooks)
22. 「チョコレートクリーム・パイが知っている」 (mirabooks)
いやあ、こうしていると壮観ですね、と自分で悦に入る。
さておき、タイトルのデビルズフード・ケーキですが、訳者あとがきに説明があります。
「ねっとりしたファッジフロスティングでデコレーションされたチョコレートケーキ」で生地が「ほんのうり赤味がかったチョコレート色」とのことです。
正しくは「レッド・デビルズフードケーキ」らしく、悪魔が赤い顔をしているから、赤褐色にしているらしいです。
(ところで、タイトルは、デビルズフード・ケーキ。本文やあとがきは、レッドがつくものの、デビルズフードケーキと「・」がありません。こういうの統一しないんですね)
今回ハンナは、ボブ牧師のハネムーン中の代理牧師を申し出てやってきてくれたマシュー牧師が偽物ではないかという相談をボブ牧師の母から受けます。
これが発端。
この事件では割と最初からちゃんとハンナが推理していまして、行き当たりばったり度は低め、といいたいところですが、やっぱり行き当たりばったりでした(笑)。
毎回犯人を突き止めているのが奇跡のよう。
今回の事件は、違う作家が書くとまったく違う印象を受けるのではないかとも思ったりしたのですが、でもこのトーンこそがお菓子探偵シリーズですよね。
シリーズをさらに読み進んでいる今となっては、ですが、次巻「シナモンロールは追跡する」の感想で書いちゃったように、本書のラストでノーマンについて衝撃の展開となります。
事件の真相よりも、こっちの方がびっくりですよ(笑)、
シリーズ愛読者のかたは、心してお読みください。
原題:Devil's Food Cake Murder
著者:Joanne Fluke
刊行:2011年
訳者:上條ひろみ
暗殺者の森 [日本の作家 逢坂剛]
<カバー裏あらすじ>
命がけでピレネー山脈を越えマドリードへ脱出したのもつかのま、イギリス秘密情報部員・ヴァジニアは陸軍参謀本部情報将校・北都昭平への置き手紙を残してロンドンに戻る。一方敗戦目前のドイツでは、ナチス体制崩壊を目指しヒトラー暗殺計画が密かに進行していた。著者渾身のイベリア・シリーズ第6弾!<上巻>
総統本営がある特別封鎖区域で爆発あり。国内予備軍はヴァルキューレ作戦を発動して擾乱を制圧せよ。反ナチス派の呼びかけも空しく、ヒトラーは生き延びクーデタは挫折。混乱続くベルリンでジャーナリスト尾形正義は首謀者たちの壮絶な最期を目の当たりにする。そして北都とヴァジニアに新しい試練が! <下巻>
読了本落穂拾いです。
逢坂剛のイベリア・シリーズ。
「イベリアの雷鳴」 (講談社文庫)
「遠ざかる祖国」(上) 、(下) (講談社文庫)
「燃える蜃気楼」(上) 、(下) (講談社文庫)
「暗い国境線」 (上) 、(下) (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「鎖された海峡」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「暗殺者の森」(上) 、(下) (講談社文庫)
「さらばスペインの日日」(上) (下) (講談社文庫)(感想ページはこちら)
と全7作。
「暗い国境線」 から感想をこのブログに書いていましたが、この「暗殺者の森」の感想は書いていなかったものです。
既に最終話も読んでしまっているので若干今更感ありますが、第二次世界大戦の戦況もいよいよ終盤というのがこの「暗殺者の森」(上) 、(下) の時代背景です。
「鎖された海峡」でなんとかドイツを脱出したヴァジニアと再会でき、マドリードで一緒になった北都だったのですが、ヴァジニアが置手紙を残して消えてしまう、という発端。
立場もあるし、ぞれぞれなんとか戦争を終わらせようとするためしなければならないことがある状況下、やむを得ないのかもしれませんが、つらい状況です。
この第6巻で扱われるのは、ドイツにおけるヒトラー暗殺計画とその後のヴァルキューレ作戦。
聯盟通信ベルリン支局長の尾形がかなりの活躍をします。
ナチもの関連でドイツの話はいくつか読んでいますが、それでも第二次世界大戦終盤のヨーロッパというのはなかなかなじみのない状況で、逢坂剛の筆で描かれる状況に、ハラハラドキドキ、結果を知っているにもかかわらず、気持ちよく翻弄されます。
シリーズを通してかなり親近感を抱くようになってきているので、カナリス提督の行く末はかなり気になりますよね。
本書でドイツが降伏し、いよいよ、シリーズ最終巻「さらばスペインの日日」(上) (下) です。
<蛇足1>
「さてと、最後にアーモンド・ゼリー(杏仁豆腐)で、締めましょうか。」(上巻166ページ)
ロンドンのチャイナタウンでのシーンです。
杏仁豆腐に、アーモンド・ゼリーという語が当てはめてあります。
ロンドンでは中華レストランにはかなり行きましたが、杏仁豆腐は Almond Beancurd となっていて、Almond Jelly というのは目にした記憶がありません。
話者がスペイン人なので、スペイン語を検索してみると、"jalea de la almendra"(アーモンド・ゼリー)と出てきますので、そこからの連想でしょうか?
と思いつつ、杏仁豆腐を検索したら、アーモンド・ゼリーとわんさか出てきますね。びっくり。
米語ではそういうのでしょうか?
ちなみに、ロンドンのチャイナタウンでのレストランでは、「あんにんとうふ」と日本語で言ってもたいてい通じますよ。なんなら店員の方からデザートとして「あんにんとうふ??」と薦められることまであります。
キネマ探偵カレイドミステリー [日本の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
華麗なる謎解きの名画座へ、ようこそ。
「休学中の秀才・嗄井戸高久(かれいどたかひさ)を大学に連れ戻せ」
留年の危機に瀕するダメ学生・奈緒崎は、教授から救済措置として提示された難題に挑んでいた。しかし、カフェと劇場と居酒屋の聖地・下北沢の自宅にひきこもり、映画鑑賞に没頭する彼の前に為すすべもなく……。そんななか起こった映画館『パラダイス座』をめぐる火事騒動と完璧なアリバイを持つ容疑者……。ところが、嗄井戸は家から一歩たりとも出ることなく、圧倒的な映画知識でそれを崩してみせ――。
読了本落穂拾いに戻ります。
手元の記録によると2017年10月に読んでいるようです。
今注目度の高い作家、斜線堂有紀のデビュー作、第23回電撃小説大賞メディアワークス文庫賞受賞作です。
「ビブリア古書堂の事件手帖」 (メディアワークス文庫)シリーズ(感想ページはこちら)の三上延が帯で推薦しています。いわく
「豪快に蘊蓄が詰めこまれた、
映画好きによる映画好きのためのミステリー。
想像を超えるクライマックスに震えた。」
第一話「逢縁奇縁のパラダイス座」(『ニュー・シネマ・パラダイス』)
第二話「断崖絶壁の劇場演説」(『独裁者』)
第三話「不可能密室の幽霊少女」(『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』)
第四話「一期一会のカーテンコール」(『セブン』)
の四話からなる連作短編集です。
幸い、映画は四作とも観ています。
巻頭に見開き2ページの導入部分が書かれていて、探偵役を務める嗄井戸高久と語り手である俺・奈緒崎とのやりとりが掲げられています。
その結びに
「現実より映画の方が素敵で素晴らしいなんてことは、本当にあるんだろうか?」
なんとも気宇壮大な投げかけで物語が始まるではありませんか。
新人作家らしいこういう気負いいいですよね。
第一話の冒頭いきなり
「俺は映画というものを殆ど観たことがない。強いて言うなら小学生のときに観た『ドラえもん』が最後だろうか。-略- 中学に上がってからはあの恐ろしくて楽しい映画を観返したことがない。というか、映画自体を観なくなってしまった。」(8ページ)
でびっくり。
あら、映画の蘊蓄たっぷりらしいのに、映画を知らない人物を中心に据えるのか。
蘊蓄パートは名探偵役に委ねるとしても、映画好きとは言えなくても、それなりに映画は観ている人物あたりを使うのではと思っていたのです。
ダメ押し的に
「大学に入ってから、俺は映画なんか観なくなってしまった。」(8ページ)
と続きます。
小学校以来観ていないのだから、大学に入ってから「観なくなった」のではなく、「大学に入ってからも映画なんか観なかった」でないとおかしいだろう、と思いましたが、このあたりがダメ学生の由縁なんでしょうね。
同時にこのあとすぐに、しっかり読もう、と決意していました。
というのも、語り手の文章の密度が(比較的)濃いのです。
文章の響き、トーン、使われる単語や漢字、みっしり、という感じ。
ラノベ的な軽い文章を予期していたので、かなり意外感あり。
大学生(しかもダメ大学生)というよりは、もっと年齢の高い男性が書いているかのよう。
と、今感想を書きながら気づいたのですが、この作品、冒頭の見開き導入がつけられていることからしても、ひょっとして奈緒崎がかなり後になって振り返っているという構造の作品なのでしょうか?
大学の事務室の女性からの電話で、「きっとまだ若い女の子だろう」(10ページ)なんて、到底大学生が抱きそうもない感想が書かれたりもしますし。
この推測が当たっているかどうかはともかくとして、かなりの後出しじゃんけんっぽいですが、このあとラノベではない小説分野で活躍されるのを予見させてくれるような。
各話みていくと、
「逢縁奇縁のパラダイス座」は、実現性があるのかどうかわからないのですが、トリックがなんともいえない味がある。
「断崖絶壁の劇場演説」は、うーん、無理じゃないですか? 演説者である坂本くん次第ではあると思うのですが。
「不可能密室の幽霊少女」は、タイトルになっている不可能現象の解明は見え見えなのは置いていくとして(見え見えだけど、高校生がやったと考えると楽しいです)、若干アンフェア気味なのが気になります。
「一期一会のカーテンコール」は、割と早めに書いてあるで明かしてしまいますが、見立て殺人を扱っているのですが、犯人の狙いのずらし方が残念。
といろいろと注文を付けてしまいましたが、映画とミステリ、どちらも好きなので、とても楽しく読めるシリーズになっています。
続刊も出ているので、読んでいきたいです。
<蛇足1>
第一話のタイトルにある「逢縁奇縁」。この言葉知りませんでした。
ネットで検索しても、固有名詞以外では出てきませんね。検索では、合縁奇縁(あいえんきえん)は出てきます。
意味は、合縁奇縁と同じだろうとわかるんですけどね。
<蛇足2>
「高畑教授からの呼び出しまでバックレるほど、俺は強い人間ではなかった。」(11ページ)
「バックレる」という表現、表記は「バックレる」で、「バックれる」ではないのですね。
「バックレ」自体が名詞として使われることもありますので、確かにこの表記のほうがしっくりくるかも。
<蛇足3>
第一話のパラダイス座に関し、運営者の常川さんが
「私が今までで一番愛した作品から頂いた名前だ。」(32ページ)
と語るシーンがあります。
言うまでもなく、『ニュー・シネマ・パラダイス』なわけですが、とすると歴史の浅い映画館だなぁと思ってしまいました。
でも、ですよ、この「キネマ探偵カレイドミステリー」 (メディアワークス文庫)が出版されたのが2017年で、『ニュー・シネマ・パラダイス』は調べてみると1988年公開の映画。
とするともう30年前の作品なんですね。
『ニュー・シネマ・パラダイス』が出てすぐにできた映画館ではないとしても、それなりに時間は経っていて「歴史の浅い」とは限らないですね。
こちらが歳をとってしまって、このあたりの感覚がずれてきていますね(苦笑)。
<蛇足4>
「元々成績優秀者の名を欲しいままにしていた坂本真尋のことだ。」(145ページ)
「ほしいままにする」は「欲しい」ではないですね。
新人作家なのだから、しっかり校正してあげてほしいです。
<蛇足5>
「それは……如何とも言い難い話だったが、」(284ページ)
「如何とも言い難い」って言いますか? 「如何とも」だと続くのは「し難い」ではなかろうかと。