列車に御用心 旧
── 以下一度アップしたのですが、なぜか書いたはずの感想が消えていてごくごく一部だけの状態で、かつ修正前の部分も残っていて、修正したつもりが結局できていなかったということかと思います。大変失礼しました。後日追加してあげ直しします ──
こちらにあげ直しました。
2024年2月に読んだ8冊目の本です。
エドマンド・クリスピンの「列車に御用心」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ103です。
列車に御用心
苦悩するハンブルビー
エドガー・フォーリーの水難
人生に涙あり
門にいた人々
三人の親族
小さな部屋
高速発射
ペンキ缶
すばしこい茶色の狐
喪には黒
窓の名前
金の純度
ここではないどこかで
決め手
デッドロック
大半が Evening Standard 誌に掲載されたものということで、短めの短編が集まっています。
原題:Beware of the Trains
著者:Edmund Crispin
刊行:1953年
訳者:冨田ひろみ
Nのために [日本の作家 ま行]
<裏表紙あらすじ>
超高層マンション「スカイローズガーデン」の一室で、そこに住む野口夫妻の変死体が発見された。現場に居合わせたのは、20代の4人の男女。それぞれの証言は驚くべき真実を明らかにしていく。なぜ夫妻は死んだのか? それぞれが想いを寄せるNとは誰なのか? 切なさに満ちた、著者初の純愛ミステリー。
2024年2月に読んだ7冊目の本です。
湊かなえの「Nのために」 (双葉文庫)。
湊かなえの4冊目の著作です。ようやく読みました。
前作「贖罪」 (双葉文庫)(感想ページはこちら)を読んだのが2014年の5月でしたから、ほぼ10年ぶりです。
湊かなえの本は、イヤミスの語源と理解しております。
非常に巧緻に組み上げられていて驚嘆すると同時に、”イヤミス” ならではの強烈な読後感はあまり好みではなく、すさまじい構成力に魅了されつつも、手に取るのに臆してしまうところがあります。
なんどか本棚から手にとってはみたものの、読みださずに結局本棚に戻すことも幾度となく。それでこんなに間が空きました。
この「Nのために」も作者の構成力を十分に堪能できる作品になっています。
ただ、個人的にはあまり驚嘆できなかったです。
この作品、事件にいあわせた4人の人物の視点で語られることで見え方がかわる、というのを狙った作品です。
このような構成の作品の場合、語り手が変わることで事件の様相が変わってくる、あるいはくるくると変わる、というものだったりするのですが、この「Nのために」はそうではありません。
あっ、この言い方は誤解を招きますね。
くるくる変わることは変わるのです。ただ......
冒頭の証言で得られる、頭を殴られて死んでいる野口貴久、脇腹を刺されて死んでいるその妻奈央子、そして凶器と思しき血のついた燭台を持っていた西崎、そして現場に居合わせた人たち(杉下、成瀬、安藤)というのがスタート時点です。
この状況から、ミステリの読者であれば事件の構図は何通りか想定できるかと思います。
真相はどうだったのか、誰が誰に手を下したのかという点では変わるのですが、この想定の範囲内にとどまっており、読んでいるこちらとしては変わった感があまりなかった、とご理解ください。
解説からの孫引きになりますが、著者が「小説すばる」2014年6月号のインタビューで
「『Nのために』は、立体パズルを作りたいな、と思ったんです。登場人物たちは、最後まで誰が嘘をついているか分からない。人の気持ちの奥底を追求するというよりは、読む人だけが立体パズルを組み立てることができて、最後には、そうかこんな形式だったのかと分かる小説を」書きたかった
と説明しているそうです。
このためでしょう、「Nのために」はもっぱら、登場人物、語り手の心の中を覗き込むことに主眼が置かれています。
これは湊かなえの筆力のなせる技なのですが、それぞれの登場人物の心の中はとても興味深く、面白く読めました。そしてこれは作者の狙い通りなのですが、浮かび上がる相互のすれ違いも楽しめました(登場人物たちには気の毒な面もありますが)。
ただ、こういうパターンの作品の場合、個人的にあまりすっきりした読後感にならないことが通例で、この作品もそうでした。ぼくがミステリに期待するものとは違う方向性を持った作品ということかと思います──事件そのものの構図が問われているのではなく、つまり、謎が事件そのものではなく登場人物の心の中という作品群はあまり好みではないということですね。
これが驚嘆できなかった理由です。
一方で、「告白」 (双葉文庫)、「少女」 (双葉文庫)、「贖罪」と来たこれまでの湊かなえの諸作と違い、「Nのために」はイヤミスではありません。
これは結構大きなポイントで、今後湊かなえの作品を手に取りやすくなるのでは、と思います。
次は「夜行観覧車」 (双葉文庫)ですが、それほど間を開けずに読みたいと思います。
タグ:湊かなえ
映画:落下の解剖学 [映画]
映画「落下の解剖学」の感想です。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したサスペンス。夫が不審な転落死を遂げ、彼を殺害した容疑で法廷に立たされた妻の言葉が、夫婦の秘密やうそを浮かび上がらせる。メガホンを取るのは『ヴィクトリア』などのジュスティーヌ・トリエ。『愛欲のセラピー』でもトリエ監督と組んだザンドラ・ヒュラー、『あなたが欲しいのはわたしだけ』などのスワン・アルローのほか、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツらが出演する。
---- あらすじ ----
ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、夫と視覚障害のある11歳の息子(ミロ・マシャド・グラネール)と人里離れた雪山の山荘で過ごしていたが、あるとき息子の悲鳴を聞く。血を流して倒れる夫と取り乱す息子を発見したサンドラは救助を要請するが、夫は死亡。ところが唯一現場にいたことや、前日に夫とけんかをしていたことなどから、サンドラは夫殺害の容疑で法廷に立たされることとなり、証人として息子が召喚される。
話題の映画ですが、どうやら鑑賞の仕方を間違えてしまったようです。
事前にあらすじ的なものを読み、
夫が転落死。
現場となった自宅にいたのは妻サンドラ。
愛犬と散歩に出ていた子供ダニエルが発見する。
夫婦仲がよくなかったと推定され、サンドラが殺人犯として裁判に。
こういうストーリー展開なのでミステリー映画かな、と思って観てしまいました。
この映画、謎はあってもいわゆるミステリー映画ではありませんでしたね。
まずこの裁判のあり方に驚愕。
証拠らしい証拠がほぼないのに、サンドラを犯人と決めつけて裁判にかけ、裁判中の検察の主張も物証なくイメージのみ。サンドラの書いた小説まであたかも証拠であるかのように取り上げ、裁判中に読み上げる始末。
これ、映画だからでたらめな裁判を描いたのでしょうか?
それともフランスではこういう裁判が一般的なのでしょうか?
推定無罪、疑わしきは被告人の利益に、と言う法理もなさそうです。
裁判の進め方も極めて異常なものと映りました。証人尋問のさなかに、不意に被告に質問を投げかけたり、異議申し立て以外にも弁護士や検察官が簡単に口をはさんだり。
こんな裁判ですから、俳優さんたちの名演とあいまって、サンドラが無罪となるか有罪となるか、とてもドキドキ、ハラハラできます。
映画に引き込まれた、と言ってもよいでしょう──でも、こういう引き込まれ方は......(苦笑)。
裁判の途中でサンドラの夫婦のあり方や息子ダニエルとのかかわり方がどんどん明らかにされていき、そこが映画としてもっとも重要なパートであるので、裁判シーンがないと困るのですが、もうちょっと裁判の中身はなんとかならなかったものか。
裁判の行方を決定づけるのは、あらすじにもある通り息子ダニエルの証言なのですが、これまた証拠となるものというよりは、ダニエルから見た印象論で、最後までびっくり。
こんな状況で有罪を宣告されたら、たまったものではないなぁ。
明らかに、ミステリー映画として観たのがいけないのだ、とわかります。
ミステリー映画ではない、として考えると、このダニエルの証言の重みの印象が一層強くなります。
裁判によるサンドラの有罪・無罪を左右するのですから、重要な証言であることは変わりないのですが、この証言に至るにダニエルの下す決断は、果たしてサンドラがやったのかどうかとは別に、これまで語られてきていた家族のありかたと、裁判で急にそれをあかされて困惑せざるを得ないダニエルの心情に大きく影響を受けるもので、重い、重い決断です。
実際にサンドラが殺したのかどうか、はっきりしないまま結末を迎えるのですが、個人的には最後の犬のシーンを見て犬を信じてみようか、というところです。
いろんなかたの感想を見てみたいですね。
製作年:2023年
製作国:フランス
原 題:ANATOMY OF A FALL
監 督:ジュスティーヌ・トリエ
時 間:152分
<2024.3.30 ポスターの画像を追加しました>
リケジョ探偵の謎解きラボ 彼女の推理と決断 [日本の作家 喜多喜久]
リケジョ探偵の謎解きラボ 彼女の推理と決断 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
- 作者: 喜多 喜久
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2019/04/04
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
研究第一のリケジョ探偵が帰ってきた! 留学帰りの研究者・友永久理子と同棲を始めた保険調査員の江崎は、結婚に向けて着々と準備を進めていくが、二人の生活には様々な問題があり……。一方、仕事においても、江崎に回ってくる案件は相変わらず厄介な不審死ばかり。頭を悩ませる江崎が、久理子にアドバイスを求めると、彼女は犯人の思考を ”トレース” し、科学の力で事件の謎に迫る!
2024年2月に読んだ5冊目の本です。
前回感想を書いたハリー・カーマイケル「アリバイ」 (論創海外ミステリ)と順番が逆になってしまいました。
喜多喜久「リケジョ探偵の謎解きラボ 彼女の推理と決断」 (宝島社文庫)。
「リケジョ探偵の謎解きラボ」 (宝島社文庫)(感想ページはこちら)の続編にして完結編(多分)です。
あらすじに書いてあるように「二人の生活には様々な問題があ」るとは思いませんでしたが、連作短編を通して、江崎が受ける仕事の解明と、久理子と江崎の生活の両方が描かれていきます。
裏側の帯に、各話の1行紹介があるので、それとともに各話について。
「Research01・契約と選択」 なぜスズメバチは季節外れの時期に凶暴化したのか。
犯人側の視点から犯行前まで描いておいて、その後江崎視点に切り替わります。
蜂といえばフェロモンと結びつけやすい生き物なので、犯行手段は理系的には平凡というか容易に想像がついてしまうもので、むしろどうやってそれを突き止めるかという興味になるのでしょう。
久理子と江崎の生活の方にも絡んでくるので単純には言い切れないとは思いますが、この事件の決着のつけ方は印象に残りました。
「Research02・死の階段」 脳梗塞で夫を亡くした妻は、前夫も同様に失っており……。
健康に留意が必要な夫の生活を身体に悪い方向に導いて死に至らしめる──なかなか悠長な殺人計画の疑いをかけられています。
江崎との会話で涙を浮かべたその妻に
「ウソ泣きではないだろう、と僕は感じていた。彼女が心に傷を負っていることは間違いないように思えた。
問題は、涙の理由だ。二人の夫を失った悲しみなのか、それとも金のために二人を殺めたという良心の呵責なのか。今後の調査を通じて、それをじっくりと見極めていかねばならない。」(127ページ)
と述べるところ立ち止まりました。そうか、良心の呵責の涙か......そういう涙もあるのですね。
「Research03・失踪の果つる地」 七年間姿を見せず、死亡扱いとなりそうな男の失踪の謎。
ミステリとしての印象は弱いのですが(読んでいただくとわかりますが、事件らしい事件がないので)、決着というのか物語の行方が印象に残ります。
途中、DNAと遺伝子を「DNAが本で、遺伝子がそこに書かれた文章ってのはどうですか。意味のある文章が集まって物語になる。これってつまり、遺伝子からタンパク質ができて、最後には生物ができあがるのと同じでしょう。」(214ページ)と譬える箇所があります。
DNAは本ですか? どちらかというと文字のような気がしますが......そして生物が本なのでは?
さておき、その薬物退社に関わる酵素(CYP)、遺伝子の並びの傾向から出身地が判明するというのは本当でしょうか? すごいことですね。
「Research04・生命の未来予想図」 がん保険の生前給付金を受け取る患者が続出する病院の闇。
ここまで夫婦関係に起因する事件(?) を扱ってきたあとに、違う角度の事件。
このがんと保険をめぐる仕掛け(?) は素人にも簡単に予想がつく内容になっていまして、ちょっと食い足りなかったですね。
久理子と江崎の生活の方のエピソードが、意図的にだとは思うのですが、全体を通じて非常にあからさまにヒントがばらまいてあって、読者は江崎よりもかなり先回りできてしまうんですよね。
第1話から第3話まで夫婦にまつわる事件ばかりでそのたびに江崎がいろいろと考え、そして陰が差しこんで来ようとも、この二人にお似合いの、というか、江崎にお似合いのとでも言うべきベタで甘々なラストは、喜多喜久らしいといえば喜多喜久らしく、これでいいのかな、と思えました。
アリバイ [海外の作家 か行]
2024年2月に読んだ6冊目の本です。
論創海外ミステリ204。
ハリー・カーマイケル「アリバイ」 (論創海外ミステリ)。
ハリー・カーマイケルを読むのは
「リモート・コントロール」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)
「ラスキン・テラスの亡霊」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)
に続き3冊目です。
とてもシンプルなタイトルで、おおアリバイ崩しかと思うのですが、そう単純にいかないところがポイントだと思いました。
冒頭が思わせぶり。車で帰宅途中の弁護士ヘイルがパトリシアと言う足をくじいた女性と遭遇し、誘われる。靴とカバンを忘れたといわれ、ヘイルは取りに戻ってあらためてパトリシアの家へ向かうが......
章が変わって、おなじみの保険調査員パイパーが、ワトキンという男から妻を探してほしいという依頼を受ける。
妻は夫の元を離れ、偽名で暮らしていた。冒頭のパトリシアというのがその妻で、やがて死体が見つかって......
冒頭のシーンからすると、ヘイルが犯人かと思いそうなんだけれど、タイトルが「アリバイ」。
ということは、夫には鉄壁のアリバイがあるので、ああこちらが犯人だな、と。ヘイルもなかなか物語に登場しませんしね(笑)。
ところが夫のアリバイ、これがなかなか崩せそうもなくて。
このアリバイが崩れないというだけではなく、パイパーの捜査自体も、さまざまな情報が入り乱れるもののなかなか進まなくて(ですが退屈することはなく、すいすい読み進むことができます)、警察からも冷たい対応をされて、さてどうなってしまうのだろう、と心配になるのですが、たどりつく真相はかなり良くできていまして、いたく感心しました。
アリバイというタイトルから地道なアリバイ崩しを期待すると肩すかしとなりますが、うまく構成された本格ミステリになっていると思います。
ハリー・カーマイケル、もっと訳してほしいですね。
<蛇足1>
「たかだかブランデー三杯とリシュブール一杯を食事の後に飲んだだけだ。」(9ページ)
フランデー三杯だと、まあまあのアルコール量なのでは、と思いますが、欧米人は日本人に比べるとアルコールに強い体質なので、こういう感覚なのかもしれませんね。
リシュブールというのがわからなかったのですが、有名なワインなのですね。
ブルゴーニュにある「神に愛された村」と喩えられるヴォーヌ・ロマネ村にある8つのグラン・クリュのちの一つのようです。Richebourg。── ロマネ・コンティ(Romanee Conti)もそのうちの一つなんですね。
<蛇足2>
「イギリスのパブにおけるセクハラ事情なら、本を一冊かけるくらいよく知ってるよ」(207ページ)
この本が出版された1953年当時、セクハラという語はイギリスにもなかったのではないかと思うのですが......
<蛇足3>
「クリフォードおじさんはカムデン・タウンの小さな二軒長屋にひとりで暮らしていた。」(209ページ)
二軒長屋???
ひょっとして "semi-detached" の和訳でしょうか? 先日読んだ「善意の代償」 (感想ページはこちら)では二戸住宅と訳されていましたね。
<蛇足4>
「考えてみろよ、アダムが手に取ったのがイチジクの葉じゃなくてビールのホップだったら、この世はいまよりずっと平和だったと思わないか……なあ?」(264ページ)
本書をしめくくるクインのセリフですが、これ、賛同できますかね(笑)??
原題:Alibi
作者:Harry Carmaichael
刊行:1953年
訳者:水野恵
怪盗紳士(ポプラ社) [海外の作家 ら行]
([る]1-2)怪盗紳士 怪盗ルパン全集シリーズ(2) (ポプラ文庫クラシック る 1-2 怪盗ルパン全集)
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2009/12/24
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
フランスの豪華客船に、怪盗ルパンが紛れこんでいるという知らせをうけ、乗客たちは騒然となる。金髪で、右腕に傷あとがあり、変名の頭文字はR──高慢な大金持ちから金品を盗み、貧しい人には力をかす、英雄的大泥棒・怪盗紳士アルセーヌ・ルパンが初めて登場した作品! 解説/貫井徳郎
2024年2月に読んだ4冊目の本です。
モーリス・ルブランの「怪盗紳士 怪盗ルパン全集シリーズ(2) 」(ポプラ文庫クラシック 怪盗ルパン全集(2))。
2023年10月に「奇巌城 怪盗ルパン全集シリーズ(1) 」(ポプラ文庫クラシック)(感想ページはこちら)を読んで、懐かしく、面白く感じたので、このシリーズを一気に大人買いしました。
ポプラ社からはこのあと版を改めたバージョンも出ていまして、この文庫本在庫が少なくなっているものもあるようですね。結構探して買いました。
タイトルからもわかりますように、「怪盗紳士ルパン」 (ハヤカワ文庫 HM)(感想ページはこちら)と同じ作品ですね。
子供向けの翻案なので、ページ数の関係でしょう、全9話中6話が収録されています。
題して
大ニュース=ルパンとらわる
悪魔(サタン)男爵の盗難事件
ルパンの脱走
奇怪な乗客
ハートの7
大探偵ホームズとルパン
オリジナルの方のタイトルは、 ハヤカワ文庫版ではそれぞれ
アルセーヌ・ルパンの逮捕
獄中のアルセーヌ・ルパン
アルセーヌ・ルパンの脱獄
謎の旅行者
ハートの7
遅かりしシャーロック・ホームズ
ですね。なかなか趣深い(笑)。
これらのタイトルもそうですが、非常にのびのびと、というか、好き勝手に翻案している感じがとても心地よい──といっても、でたらめというわけではなく、原作に対するリスペクトはちゃんとあるんですよね。
「あんがい、かれは日本にのがれて、講道館あたりですきな柔道のしあげをしえているのではないだろうか。」(184ページ)
なんて、南洋一郎ならでは、という脱線ではないでしょうか。
子どもの頃はそのまま素直に読んでいたと思うので、こういう風に読むのは大人になったからこその愉しみのような気がします。
解説でも貫井徳郎が
「ぼくがわくわくしたルパンは、モーリス・ルブランが創造したルパンではなく、南氏のルパンだったのだな、と今になって思ったりもします。」(323ページ)
と書いているように、南洋一郎の自由奔放に見えるところが大きな魅力になっているのでしょう。
それと、ハヤカワミステリ文庫版の感想にも書いたことですが、この短篇集はもともとかなりトリッキーでして、子供向けで原稿枚数が絞られる関係でしょう、そのあっと驚く部分が集中して強調して取り上げられているので、シンプルに驚きを大きくさせる効果が出ているようにも思えました。
大人買いした残りを楽しみに読んでいきます。
<蛇足1>
「ぼくは、船長やロゼーヌがのみとりまなこで、船のすみずみまで探しても、時間をむだにするだけだと思いますね。」(31ページ)
「のみとりまなこ」ですか。もう死語ですね。
子どもはわからないのではないでしょうか?
<蛇足2>
「あいつは頭のするどい、神経が金線のようにこまかい男だ。」(106ページ)
金線というのが、細やかなもののたとえに使われるのですね。
原題:L'aiguille Creuse
作者:Maurice Leblanc
刊行:1909年(Wikipediaによる)
訳者:南洋一郎
映画:Firebird ファイアバード [映画]
映画「Firebird ファイアバード」の感想です。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
俳優のセルゲイ・フェティソフの回想録をモチーフに描く人間ドラマ。ソ連の支配下にあった1970年代のエストニアを舞台に、当時はタブーだった男性同士の恋愛を描く。監督などを務めるのはペーテル・レバネ。トム・プライヤー、オレグ・ザゴロドニーのほか、『ミスティック・フェイス』などのディアーナ・ポジャールスカヤらが出演する。
---- あらすじ ----
1970年代後半、ソ連占領下のエストニア。モスクワで役者になることを夢見る二等兵のセルゲイ(トム・プライヤー)は、間もなく兵役を終えようとしていた。そんな折、彼と同じ基地に将校のロマン(オレグ・ザゴロドニー)が配属され、写真という共通の趣味を通して親しくなった二人の友情は、やがて愛へと変わる。しかし当時のソ連では同性愛は固く禁じられており、関係が発覚すれば厳しい処罰が待っていた。
2011年ベルリン国際映画祭で、本作品の主人公であるセルゲイ自身から『ロマンについての物語』と題された本を渡された監督が、主演かつ脚本のトム・プライヤーとともに作り上げた、という本映画成立のエピソード自体が映画みたいです。
上のあらすじは少々短すぎるので、映画のHPからあらすじを引用します。
「ブロークバック・マウンテン」「アナザー・カントリー」に続く名作の誕生 ─
あなたの感情を知ってしまったから...
世界が感動したピュアな愛の物語。
1970年代後期、ソ連占領下のエストニア。モスクワで役者になることを夢見る若き二等兵セルゲイ(トム・プライヤー)は、間もなく兵役を終える日を迎えようとしていた。そんなある日、パイロット将校のロマン(オレグ・ザゴロドニー)が、セルゲイと同じ基地に配属されてくる。セルゲイは、ロマンの毅然としていて謎めいた雰囲気に一瞬で心奪われる。ロマンも、セルゲイと目が合ったその瞬間から、体に閃光が走るのを感じていた。写真という共通の趣味を持つ二人の友情が、愛へと変わるのに多くの時間を必要としなかった。しかし当時のソビエトでは同性愛はタブーで、発覚すれば厳罰に処された。一方、同僚の女性将校ルイーザ(ダイアナ・ポザルスカヤ)もまた、ロマンに思いを寄せていた。そんな折、セルゲイとロマンの関係を怪しむクズネツォフ大佐は、二人の身辺調査を始めるのだった。
LGBTをテーマにした映画というと、周りに秘めた恋というのが定番で、さらに時代・場所のせいで違法だった、というのも多いですね。
この「Firebird ファイアバード」もそうで、舞台がソ連でKGBにも狙われている、というのがより大きな障壁として立ちふさがります。
(映画のHPのあらすじ中のクズネツォフ大佐というのは、二人の味方というのは言い過ぎとしても、中立的な立場だったかと思います。ここはKGBのズベレフ少佐ではなかろうかと。位が上の大佐が少佐を抑え込むシーンもありますし)
こういう、画面から伝わってくるわかりやすいストーリー展開を追うだけでも十分楽します。
セルゲイとロマンの二人が結ばれていく様子も、ロマンに導かれて演劇の世界へとセルゲイが身を投じていく流れも、二人きりで楽しむ時間も、複雑な関係となってしまうルイーザとのやりとりも、KGBに追いつめられそうになる緊迫感も。
なんですが、この映画の場合、こういう(明らかに)語られたこと以外の、語られなかった部分がとても気になりました。
たとえば、KGBのズベレフ少佐(上のあらすじではクズネツォフ大佐となっていますが、上述の通りズベレフ少佐かと思います)。ロマンをつけ狙い脅したりする人物なのですが、結婚式のシーンとかもっと複雑なスタンスを取っていたように思わせる一方、エンドロールで思わせぶりに登場して、ひょっとしてアフガンのエピソードはこいつの差し金か? やっぱりピュアな敵役だったのか、と惑わせてくれます。
ズベレフ少佐とは逆の立場で、クズネツォフ大佐の立ち位置もそうですね。
ズベレフ少佐の追及をいさめて見せる早い段階のシーンが特徴的。
結婚式のシーンで、セルゲイに対して、セルゲイ、ロマン、ルイーザの関係性をどう見ていたかを伝えてくるシーンはとても印象的でした。
ロマンをかばいだてしたのは戦績著しいロマンを確保しておきたいということはあったでしょう、でもそれだけではないのでは?と思わせてくれます。
あるいは二人の関係を匿名の手紙で告発した人物。
不安の種を残しつつ、ストーリーからはあっさり退場。
かえってその後が気になります。
また大きなポイントとなるルイーザとの関係性も、(こちらが鈍いだけかもしれませんが)語られていないというべきかもしれません。
象徴的なのはルイーザとセルゲイが話す最後のシーン。
クズネツォフ大佐の指摘ともあいまって、最後にルイーザが言わずに飲み込んだ台詞、とても気になります。
気になるといえば、タイトル「Firebird ファイアバード」も気になります。
映画中、ストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」を見るシーンがあり、これはセルゲイが演劇へ進むきっかけとなるとても重要なシーンです。観ているセルゲイの表情には引き込まれるようでした。
ここから取っていることは明らかなのですが、「火の鳥」の物語とこの「Firebird ファイアバード」の物語の重なり具合がわかりませんでした。
「火の鳥」って雑に言えば、西洋版「鶴の恩返し」ですよね......
火の鳥を救い、火の鳥に救われる。
セルゲイとロマンにとって、火の鳥は何だったのでしょう?
(それにしても、少し使われているだけですが、「火の鳥」っていい曲ですね)
あと個人的には、いわゆる肌色シーンが少なくてよかったです──いや、むしろもうちょっと多くてもよかったかな、と思いました。というのもお二人の体格がとてもいいように思われて、エッチなシーンというよりも、なんだか動く彫刻を見ているような気分になったので。画面が暗いシーンだったので余計そう思ったのかもしれませんが。
肌色シーン違いで、海で泳ぐシーンとかもっとあってもよかったかも、ですね。なにしろここは、二人の幸せを強く伝えてくるシーンですから。
いろいろと(いい意味で)気になる点の多く、見ごたえのある映画でした。
製作年:2021年
製作国:エストニア/イギリス
原 題:FIREBIRD
監 督:ペーテル・レバネ
時 間:107分
百蛇堂 [日本の作家 三津田信三]
<カバー裏あらすじ>
作家兼編集者の三津田信三が紹介された男、龍巳美乃歩が語ったのは、旧家、百巳家での迫真の実話怪談だった。数日後、送られてきた原稿を読んだ三津田と周囲の人々を、怪現象が襲い始める。もうひとつの怪異長編『蛇棺葬』から繋がる謎と怪異が小説の内と外で膨れあがるホラー&ミステリ長編。全面改稿版。
2024年2月に読んだ3冊目の本です。
三津田信三「百蛇堂 怪談作家の語る話」 (講談社文庫)。
「蛇棺葬」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)の続編です。
「蛇棺葬」を読んだのが2023年9月。
もともとは続けてこの「百蛇堂」も読むつもりだったのですが、怖かったので間をあけました。
ざっと5ヶ月ぶりに読んだのですが、ちゃんと覚えていました。思い出しても怖い。
「百蛇堂」は「蛇棺葬」の内容を龍巳美乃歩から三津田信三が聞く、というオープニングで、三津田信三は舞台となった奈良県蛇迂(だう)郡它邑(たおう)町蕗卯檜(ろうひ)に子供の頃住んでいたこともあり、興味深く話を聞くところからスタート。
その後龍巳美乃歩の書いた原稿を読んで、三津田信三の周りで怪異が相次ぐ、という展開になります。
三津田信三の友人飛鳥信一郎と祖父江耕介も登場し、一安心。彼らが出てくると、怪異現象を理で解き明かす、という方向性になるからです。
ところが......
どんどん怪異はパワーアップするし(三津田信三の同僚が失踪したりしますし、近辺に怪しげな黒い女の姿が)、理をいくら説かれても恐怖は収まるどころかむしろ増大していってしまいます。
「わしはな、おる思うけ。そん正体は分からんけど、そういうもんはおる思います。地方によって違うやろうけど、少なくとも昭和三十年代、四十年代の日本には、ちゃんとおったんやけ」
「今はいませんか」
「それを感じて恐れる人のほうが、すっかり変わったからけ。人間が認めんはなんぼ存在しとっても、そりゃおらんのと同じけ。昔は日常生活の至るところで、そういう魔物が感じられたけ。」(562ページ)
こういう会話を三津田信三は郷土史家である閇美山(へみやま)と交わすのですが、ここで述べられているように、理で解かれた怪異というものは信じなくなった怪異ということで、幽霊見たり枯れ尾花ではないですが、怖くなくなっていくはずなのに、この「百蛇堂」ではどれだけ説明されても怖い。
やめておけばよいのに、三津田信三は龍巳美乃歩の家に押しかけ、怪異の主たる舞台である它邑町を訪れ......
どんどん高まっていく恐怖の中で、ラストでは性質の異なる怖さが襲ってきます。
それまでの怪異でも十分怖かったのに、このラストはとても怖かった。
なんという恐ろしい話を......
次に読む本としては怖くない理知的な物語を手に取ることにします。
<蛇足>
「百巳家の隠の間の奥座敷にあた座敷牢の格子のようなものが、私の目の前にある。」(202ページ)
隠の間──意味は分かる気がするのですが、調べても出てきませんでした。
忘れているだけで前作「蛇棺葬」で説明されていたのかも。
タグ:三津田信三
ヴィンテージ・マーダー [海外の作家 ま行]
<カバー袖紹介文>
楽屋から抜け出すことができたのはだれだ?
船上での窃盗、電車での殺人未遂、舞台上の変死……。
休暇中のアレン警部に事件が次々とふりかかる。
該博な演劇の知識を存分に発揮した、劇場ミステリの逸品。
2024年2月に読んだ2冊目の本です。
ナイオ・マーシュの「ヴィンテージ・マーダー」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ28です。
まず舞台がニュージーランドというのが面白いですね。
演劇ミステリですのでそれだけでは地方色豊か、とはならないのですが、登場人物にマオリの医師ランギ・テ・ポキハを出したり、翡翠でできた緑色のマオリ族のシンボルティキ(人間が大きな頭を掲げ、腕と脚を曲げてうずくまる形を模した彫像で、多産と豊穣を象徴)を出したりして、雰囲気を盛り上げてくれます。
解決の前には、ポキハ医師がアレン警部を案内するシーンもあります。
あと、スコットランドヤードにアレン警部が、かなり敬意をもって扱われているところなど、
ニュージーランドとイギリスの関係が伺われて興味深い。
アレン警部は捜査に関する本を書いていて、それが知られているという設定にもなっています。
事件は上演中ではなく、上演後開かれた、主演女優で劇団オーナー座長の妻であるキャロリンの誕生パーティの席上で発生します。
舞台上の仕掛けで、シャンパンの巨大なボトルを被害者の上に落として殺害という派手な事件。
(このやり方で確実に殺せるのだろうか、と余計なことを考えてしまいますが......)
途中、アレン警部は登場人物(容疑者?)の出入りと動機をまとめた表を作ったりし(その表はロンドンにいるフォックス警部へ手紙で送られます)、いかにもな本格ミステリの風情が漂います──もっとも読者としてのこちらは怠慢なので、読み飛ばしてしまうのですが。
最終的に見せられる謎解きは正直あっけない。
しかも少々ズルい感じがします──劇場の見取り図が巻頭にあるので、参照しながら謎解き場面を読み返しても、なんだかかうまくごまかされたな、と思ってしまいました。
ただ、さすが演劇というか、殺害方法を含めて要所要所で非常に視覚的に特徴的なところがちりばめられており、それほど印象を損ねることはありません。
古き良き本格ミステリを読んだという気になりました。
<蛇足1>
「マオリもまた、ニュージーランドにおいては新参者なのですよ。私たちがここに住みついたのは、ほんの三十世代ほど前のことです。私たちは持ち込んだ自前の文化を、この土地に適合させてきました」
─ 略 ─
「どこから来たのですか?」アレンは尋ねた。
「ポリネシアです。その前は、イースター島に住んでいたようです。おそらく、東南アジアまでさかのぼることができるでしょう。祭司(トフンガ)や呪医(ランギティラ)によれば、最初はアッシリアだったそうですが、白人の人類学者による調査は、そこまで進んではいません。」(331ページ)
マオリもまたよそからやって来たというのは知りませんでした。
<蛇足2>
「白人文明の強烈な光にさらされて、マオリは古来からの姿を保つことができませんでした。彼らを真似ようとして、私たちは自分たちの慣習を忘れていきましたが、賢明にも、白人文化のなかにすっかり同化してしまうことはできませんでした。」(332ページ)
「賢明にも」と「できませんでした」というのが呼応していないようで落ち着きません。
原題:Vintage Murder
著者:Ngaio Marsh
刊行:1937年
訳者:岩佐薫子
タグ:論創海外ミステリ
ノッキンオン・ロックドドア [日本の作家 青崎有吾]
密室、容疑者全員アリバイ持ち──「不可能」犯罪を専門に捜査する巻き毛の男、御殿場倒理。ダイイングメッセージ、奇妙な遺留品──「不可解」な事件の解明を得意とするスーツの男、片無氷雨。相棒だけどライバル(?)なふたりが経営する探偵事務所「ノッキンオン・ロックドドア」には、今日も珍妙な依頼が舞い込む……。新時代の本格ミステリ作家が贈るダブル探偵物語、開幕!
2024年2月に読んだ最初の本の感想です。
青崎有吾の「ノッキンオン・ロックドドア」 (徳間文庫)。
「ノッキンオン・ロックドドア」
「髪の短くなった死体」
「ダイヤルWを廻せ!」
「チープ・トリック」
「いわゆる一つの雪密室」
「十円玉が少なすぎる」
「限りなく確実な毒殺」
以上7話収録の短編集。
不可能専門と不可解専門。
探偵のキャラクターを2つに分けるとは、考えましたねぇ。
トリックの解明に強い不可能専門の御殿場倒理、動機や理由を探るのに強い不可解専門の片無氷雨。
この点だけではなく外見含めてキャラクター分けがくっきり説明されています。
そして二人の探偵事務所の名前が「ノッキンオン・ロックドドア」
名前の由来は第2話「髪の短くなった死体」の冒頭で説明されていますが、正直今一つピンと来ない。
青崎有吾といえばデビュー作の「体育館の殺人」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)を読んだ時の衝撃が忘れられません。
平成のエラリー・クイーンと惹句に書かれることの多い青崎有吾で、特にデビュー作から始まる裏染天馬シリーズではきらめくばかりのロジックに完全に魅了されました。
この「ノッキンオン・ロックドドア」 (徳間文庫)では、華麗なるロジックで「謎を解く」路線から「謎そのもの」へと作風の幅を拡げた印象があります。
「ノッキンオン・ロックドドア」 の密室トリックはおもしろいアイデアで、似たような事象には平凡な日常でも割と出くわすもののように思いますが、これがミステリのトリックとして成立するんですね──といいつつ、ちょっとうまくいかないのでは? と思うところもないではないです。
この作品で穿地決(きまり)警部補登場。二人の大学時代の同ゼミ生ということがのちにわかります。
「髪の短くなった死体」はタイトル通り、死体の髪を切ったのはなぜか、という不可解。髪もそうですが、死体は浴槽にあるのに下着を身につけている、というのも謎ですね。
ミステリらしい理由が考えられていまして、なるほど。
「ダイヤルWを廻せ!」はダイヤル式の金庫の組み合わせがわからないという謎。金庫の持ち主は深夜に路地で脳挫傷で死んでいた79歳の男。
金庫の謎と老人の死が鮮やかに結びつけられます。ただ、これ検死で死因がもっときっちりわかってしまうのでは?と思います(わかってもミステリとして困るわけではありません)。
「チープ・トリック」は、室内の様子をうかがえない室外からどうやって被害者を狙撃したのかというう謎。割と古典的なトリックだとは思いましたが、人物配置がミソ。
そしてこの作品には、レギュラー陣となる新しい人物が登場します。
「チープ・トリック」と呼ばれる糸切美影。こちらも穿地警部補同様、二人の同ゼミ生。
犯罪組織に(とは限らないかもしれませんが)犯罪の立案と口頭での助言を与えることを生業にしています(!)。
「いわゆる一つの雪密室」は、タイトル通り雪密室。
この足跡トリックは定番中の定番とも言える仕上がりなのですが、同時に繰り出される指紋トリック(?)がとても鮮やかで印象に残ります。
これ、いままで誰も使っていないトリックのように思いました。
「十円玉が少なすぎる」は、タイトルから連想される通り、ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)を彷彿とさせる作品。
ただ状況からすると「十円玉が少なすぎる。あと五枚は必要だ」というセリフでは生ぬるく、五枚どころかもっともっと大量にいるような気がするのですが......
「限りなく確実な毒殺」は唯一毒の入っていたグラスを被害者がつかみ取り毒殺されたという謎。
被害者が政治家ということで、糸切美影が(裏で?)活躍しています。
非常に強烈かつ印象的なトリックが使われています。これは、すごい。
ミステリファンを喜ばせる仕掛けが多々あったり、トリックも創意にあふれたものだったり、と青崎有吾が今回開けてみせた引き出しは豊穣でした。
作風の幅は確実に広がったと思います。
これからもいろいろな切り口で拡げっていってくれるのではと強く期待しております。
<蛇足1>
タイトルのロックド。
英語では Locked で、発音は ”ロックト” ですが、日本では慣例的に ”ロックド” ですね。
<蛇足2>
「このままだと殴られかねないので、行きがけに買ったうまい棒のバラエティパック十本入りセットを献上した」(106ページ)
「ぶつくさ言いつつもさっそくコーンポタージュ味を食べ始める女刑事」(107ページ)
青崎有吾は、コーンポタージュ好きなのでしょうか?
「アンデッドガール・マーダーファルス 1 」(講談社タイガ)(感想ページはこちら)にはコーンポタージュ味のアイスクリームが登場していましたね。
<蛇足3>
「死体に弾が食い込んだ角度なんてあてになるかよ」と、倒理。「国名シリーズ読んでないのか?」
「あいにくここはロデオショーの会場じゃない」(133ページ)
ミステリファンをくすぐってくれますね。
でも、「アメリカ銃の謎」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)ではわりと角度が決め手になっていたような......??
<蛇足4>
「俺はご馳走にありつく前みたく、手袋をつけた両手をすり合わせる。」(168ページ)
「アンデッドガール・マーダーファルス 1 」(講談社タイガ)も同様でしたが、未だ「みたく」が地の文で出てくるのに違和感を感じますね。
ネットで調べると、方言みたいですね。
<蛇足5>
「氷雨は着痩せするタイプで、意外と体が引き締まっている。」(182ページ)
「着痩せ」は女性にのみ使う言葉で、男には使わないんだ、と昔言われたことがあります。
ここの例のように、男性に使ってもいいですよね!
<蛇足6>
「休憩がてら倒理さんに貸してもらった『血染めのエッグ・コージイ事件』という本を読み始めたらこれがめっぽう面白く」(203ページ)
扶桑社ミステリから出ていたジェームズ アンダースン作のミステリですね。
もとは文春文庫から「血のついたエッグ・コージイ」というタイトルで訳されていましたね。
あと、この部分は女子高生である薬師寺薬子が語り手なのですが、「がてら」とか「めっぽう」とか、なかなかクラシックな語法の高校生ですね。
<蛇足6>
私が「なんですか」と聞くと、探偵さんたちはお互いを指さして、再び声をそろえました。
「「公衆電話」」(217ページ)