被告人、ウィザーズ&マローン [海外の作家 た行]
2024年6月に読んだ6作目(7冊目)の本です。
単行本です。
スチュアート・パーマー&クレイグ・ライスの「被告人、ウィザーズ&マローン」 (論創海外ミステリ)。
論創海外ミステリ124。
帯には、
「ジョン・J・マローン弁護士とヒルデガード・ウィザーズ教師夢の共演が遂に実現!
二代作家によるコラボレーション短編集。
『クイーンの定員』に採られた異色の一冊。」
と書かれています。
収録されているのは、以下の6作品。
今宵、夢の特急で
罠を探せ
エヴァと三人のならず者
薔薇の下に眠る
被告人、ウィザーズとマローン
ウィザーズとマローン、知恵を絞る(ブレインストーム)
スチュアート・パーマーは、「五枚目のエース」 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)(感想ページはこちら)を昨年読んでいますが、それほど興味はありません(失礼)。
というのも、ウィザーズのキャラクターがあまり好みに合わなかったんですよね。
一方で、クレイグ・ライスは違います。クレイグ・ライスの作品が読めるのは本当に喜びです。
マローンとウィザーズの共演というのが売りですね。
名探偵の共演というと、だいたいうまくいかないものだと思われるのですが、この二人の場合はいいコンビと言えそうです。
だいたいマローンが窮地に陥って、ウィザーズが関与して、二人でなんとか真相をつきとめる、というパターンになっているのがポイントですね。
またマローンと組み合わせたおかげなのか、ウィザーズについても嫌な部分が薄れています。ありがたい。
「警部、私がこの事件に関わっているのは、間違ったことが大嫌いだからなの。殺人犯が私たちを嘲笑いながら大手を振って歩いているなんて思いたくないのよ!」(267ページ)
一見聞こえがいいようなことを言っているようですが、ウィザーズが事件に乗り出す理由は薄弱極まりなく、単なる出しゃばり、おせっかい、にすぎません。
もっとも、元教師などと言う素人探偵は、こうでもしないと事件に関与できないでしょうから、やむを得ない設定とはいえるのでしょうけれど、どうもね。
その点で、マローンと組み合わせたこの作品のような場合は、なんだかんだいって「窮地に陥ったマローンを救うため」という読者にとってもわかりやすい大義が立っているので安心です。
「今宵、夢の特急で」は、無罪を勝ち取った依頼人ラーセンを追いかけてニューヨーク行きの列車に乗ったマローンが美女に目移りしているうちに、ラーセンが車中で殺された、という事件。ラーセンの死体があったのが、なんとウィザーズの車室という経緯。
疑われて、マローンとウィザーズが手錠で繋がれる、というなかなかないシーンも見られます。
犯人のヒントとなるものはちょっと日本人にはわかりにくいものであるのが残念ですが、軽妙に仕上がって楽しい。
「罠を探せ」では、シカゴの大物ヴァストレリから、二十年前に消えた妻ニーナがヴィヴァリー・ヒルズにいるようなので居所を突き止めてほしいという依頼を受ける。ところが、マローンが滞在するホテルの部屋にニーナの死体が......
現代では成立しない状況とトリックですが、ドタバタしているうちに鋭く犯人にたどり着くところがいい。
「エヴァと三人のならず者」は、ウィザーズの本領発揮。
何の関係もない事件に首を突っ込もうと、マローンを巻き込むという構図。
朝鮮戦争から帰還した英雄が殺される事件。
いかにもありそうな感じはするものの、この事件のようなことは実際にもあったのでしょうか?
「薔薇の下に眠る」は、脱獄囚に脅されて恋人の家の庭に隠した大金を掘り出してこいと言われたマローンがシカゴに来ていたウィザーズを巻き込むという話。
デパート相手の詐欺犯ということにされてしまうウィザーズは笑えました(でも、無理でしょ すぐばれそう)。
見つけたお金をウィザーズが隠した場所は、ウィザーズは「盗まれた手紙」を引き合いに出すものの、全然違うパターンの隠し方で笑えました。
以降の2作は、ライスが亡くなった後、手紙などからパーマーが単独で書いたものらしいです。
この2作の方が出来がいいような気がします......
もっとも巻頭にある「EQ(エラリー・クイーン)の非凡な(アン・コモンプレイス)備忘録(コモンプレイス・ブック)より」やパーマーによる「序文」を読むと、ライスはマローンという探偵(のキャラクター)を提供した以外では、ほとんどミステリ的なアイデアは提供していなかったような感じを受けますので、ライスが亡くなっても、あまり影響はなかったのかもしれません。
「被告人、ウィザーズとマローン」では裁判にあたり証人を買収しようとしたとして偽証教唆罪にマローンが問われていて、依頼人である死刑囚の刑が執行されるまではいいが=「すでに死刑を宣告されている人間でも、最後の瞬間まで弁護士のサービスを受ける権利はあるから」(223ページ)マローンは起訴されていないが、そのあとは........という状況
「これでも私、”負け犬の守護神” とか、”風車に挑む騎士” とか ”お節介な探り屋” とか呼ばれてるの。」(244ページ)
とウィザーズが自己紹介するシーンがありますが、今回のお節介はOK。知り合いを救うためですもんね。
派手な事件の割に登場人物が少ないので犯人の見当をつけるのは簡単なはずなのですが、ちょっと意外なところに犯人を忍ばせるミス・ディレクションが効いていました。
ただ、この邦題には違和感。マローンはともかく、ウィザーズは被告人ではありません。
原題の "People vs. Withers & Malone" はもちろん裁判を意識したもので、通例であれば被告人~と訳しても違和感ないところなのですが、本書の場合は被告人にはなっていないですし、権力に対抗するウィザーズ&マローンといった雰囲気を表しているタイトルだと思うからです。
「ウィザーズとマローン、知恵を絞る(ブレインストーム)」は、マローンが保釈を勝ち取った後、姿を消したナンシーを探しにマローンがロスにやって来ます。ナンシーは金持ちベドフォード相手に認知訴訟を起こしていたところ、ベドフォードの小切手を偽造した容疑で起訴されていた。
そんな折、ベドフォードの屋敷でベドフォードが射殺され、傍にはナンシーがまだ煙をあげているピストルを持って立っていた......
とまあ極めて敗色濃厚な事件を、どうウィザーズとマローンが覆していくか、という内容で、一風変わった法廷ミステリの趣きもあります。
ベドフォード殺しの方は、マローンの弁論通りであったとしても、この物語のような落着になるか、法律の素人としては分かりかねるところがありました。小切手の方は、単純だけれど小気味がいい着地を示してくれていて満足しました。おもしろい。
ウィザーズとマローンの共演は、以上の6作どまりだったようですが、ウィザーズはマローンをすっかり自分のものにしているくらい馴染んでいますし、もっと続けてくれてもよかったのに、と思えました。
<蛇足1>
「どこから始めたらいいんだ?」
「『始まりから始めて、最後まで続けて、そして終わる』(『不思議の国のアリス』より)」とミスウィザーズは引用した。(「薔薇の下に眠る」180ページ)
この文章、ミステリでは本当によく引用されますね。
<蛇足2>
「人口動態統計数値(スリーサイズ)は結構。」(「被告人、ウィザーズとマローン」220ページ)
被害者である歌姫のことをマローンがウィザーズに説明しようとして、ウィザーズがさえぎるところです。
マローンらしい愉快なやり取りというところなのですが、人口動態統計数値(スリーサイズ)となっているのが気になりました。
原文はどうなっているのでしょうね?
<蛇足3>
「そういえばマーフィの法則、例の『失敗する可能性のあることは、必ず失敗する!』ってやつを忘れていた。」(「被告人、ウィザーズとマローン」271ページ)
マーフィーの法則、懐かしいですね。
原著が出た1963年にはもうすっかり広まっていたのですね。
原題:People vs. Withers & Malone
著者:Stuart Palmer and Craig Rice
刊行:1963年
訳者:宮澤洋司
ラズベリー・デニッシュはざわめく [海外の作家 ジョアン・フルーク]
<カバー裏あらすじ>
ロスが出ていって2週間。ハンナは悲しみをこらえ、いつものようにオーブン仕事に明け暮れていた。
そんなある晩、ロスの車を使っていた彼のアシスタントのPKが、ハンナとのビデオ通話中に意識を失い、事故で帰らぬ人となってしまう。ロス宛てに届いた薬物入りのチョコレートを食べて心臓発作を起こしたのだ。一体誰がこんなことを? ハンナは調査を開始するが、驚愕の事実が次々と明らかになり……。
2024年6月に読んだ5作目(6冊目)の本です。
ジョアン・フルークのお菓子探偵ハンナシリーズ第21弾。「ラズベリー・デニッシュはざわめく」 (mirabooks)。
「今はひとりで眠るベッドルームで、ハンナ・スウェンセン・バートンは時計を見た。」(7ページ)
冒頭の第1文がこうなっていて、バートン!? と思いましたが、そうそう、結婚したからロスの姓バートンをつけているのですね。
といいつつ、ロスは車もお金もハンナに残して失踪してしまっているという状況──お金については想定外の大金で、どんどん不思議なことが(不審なというべき?)わかってきます。
今回の事件は、ロスのアシスタントのPKが、薬物が仕込まれたチョコバーを食べて車の事故を起こし死んだ、というもので、そのチョコバーはロスに届けられたものだったことがわかり......という流れで、ひょっとしてロスは!? とハンナたちがやきもきします。
「姉さんならきっと方法を見つけられるわよ。殺人事件の調査はお手の物なんだから」(79ページ)
とミシェルは言いますが、ハンナについて、捜査は到底お手の物とは言えないでしょう(笑)。
むしろ、後ろの方でマイクがいうように
「幸運をつかむまでがんばるしかないだろう。だれかが自分の不利になるようなことを言うか、だれかほかの人を指し示してくれるまで。遅かれ早かれ、何かがぼくらを犯人に導いてくれるはずだ」(312ページ)
といった感じで、運任せではないかと......
この謎解き、おそろしく行き当たりばったりで、全然目星がつきません。
ラストで急転直下と言いたくなるくらい、突然容疑者が出てきて決着するといった体たらく。ミステリとしてはちょっと困りもの。
なんですが、シリーズ読者としては、ハンナの煩悶でいっしょに一喜一憂するのがいいんですよね。
それにしても、ラストで明かされるロスの衝撃の真実がすごい。
まさかね。
続きがとても気になります。
<蛇足1>
「”死ぬほど” なんて言わないで」ハンナは言った。「レイク・エデンでは死はもう充分間に合ってるんだから」(80ページ)
確かに。
小さな町のわりにレイク・エデンは殺人事件が多いですね(笑)。名探偵コナンの米花のよう?
<蛇足2>
「葬儀にはわたしもいきますからね、姉さん。刑事ドラマがまちがっているはずはないし、だれかがわたしたちと話しているうちに、知りたいことを話してくれるかもしれないもの」(191ページ)
アンドリアのセリフです。
アメリカの刑事ドラマは、そんなに示唆に富むものなのでしょうか? まちがっているはずない、と言われるほど?
<蛇足3>
「よくは知らないけど、きっと鉛中毒のせいじゃないかしら。ああるいは、戦争中に金属くずを供出しなければならなかったからかも」(382ページ)
「バンパーや、場合によってはフェンダーも。みんな寄付するために金属でできているものはないか家じゅう探したそうよ。」(384ページ)
アメリカは日本と違い、第二次世界大戦中も物資が豊富なイメージでしたが、ここに書いてあるような供出はあったのですね......
原題:Raspberry Danish Murder
著者:Joanne Fluke
刊行:2018年
訳者:上條ひろみ
阪堺電車177号の追憶 [日本の作家 山本巧次]
<カバー裏あらすじ>
大阪南部を走る路面電車、通称・阪堺(はんかい)電車。なかでも現役最古のモ161形177号は、大阪の街を85年間見つめつづけてきた……戦時下に運転士と乗客として出会ったふたりの女性の数奇な運命、バブル期に地上げ屋からたこ焼き店を守るべく奮闘するキャバクラ嬢たち、撮り鉄の大学生vsパパラッチvs第三の男の奇妙な対決……昭和8年から平成29年の現在まで、阪堺電車で働く人々、沿線住人が遭遇した事件を鮮やかに描く連作短篇集
2024年5月に読んだ4作目(5冊目)の本です。
山本巧次の「阪堺電車177号の追憶」 (ハヤカワ文庫 JA)。
手元にある文庫本の帯には、
「2018年大阪ほんま本対象受賞作」
と書かれています。
「大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本!!」とのこと。
冒頭プロローグは、阪堺電車177号の独白。
85年間働いてきて廃車になるということで、思いを馳せる。
その後、第一章、第二章と、冒頭に177号の独白のあと、乗客たちの、あるいは沿線の出来事がつづられる。
そしてエピローグでは、いよいよ阪堺電車が引退し......という流れ。
なので、「阪堺電車177号の追憶」というわけなんですが、各章のエピソード、どう考えても阪堺電車が回想できる内容ではないものが多く(決められた軌道上を走る路面電車では到底知りえないことまで語られるので)、この枠組み自体に無理があるな、と。
自らの経験を、阪堺電車に乗ったときに同乗した知り合いに話したのだ、という解釈はぎりぎり可能かもしれませんが、いくら大阪の人たちが電車の中での話が好きとはいっても(この点、実際に大阪に行って電車に利用すると実感できると思います。東京対比電車の中の会話の量がとても多く、ボリュームも大きいです)無理がありますし、話の内容的にも電車ではしないだろうな、と思えるものがありますので。
この点を置いておくととても快調で、楽しく読めました。
「第一章 二階の手拭い 昭和八年四月」は、阪堺電車の車窓から見える質屋の二階の欄干に干してある手拭いの謎を車掌辻原が追いかけます。いつも白い手拭いなのに、時折柄物に変えられている。
この手拭いの狙いは容易に想像がつくと思いますが、その奥の物語が用意されているのがポイント。
「第二章 防空壕に入らない女 昭和二十年六月」は、阪堺電車の車掌を務める動員女学生雛子が、タイトルどおり防空壕に入らない──というより入れない女性信子に出会って...という話。
これまた、この謎そのものは想像通りなのですが、後々の章につながるのが見事。
「第三章 財布とコロッケ 昭和三十四年九月」は、阪堺電車で美人が落とした財布を持って帰ってしまった小学生典郎を追求するコックの話。この美人とコックの馴れ初めの話であろうことは簡単にわかるのですが、小学生のエピソードの行く末は想像外ではないでしょうか。
いや、でも典郎のしたことも、コックの決着のつけ方も「あかん」やろ。ほほえましいエピソードっぽく書かれていますけど(笑)。
「第四章 二十五年目の再会 昭和四十五年五月」は、第二章に登場した信子が、偶然阪堺電車で雛子と再会して......
なんということもない思い出話のように思われた会話が、ラストでさっと色を変えるのがとてもいい。
第二章で出会っているからこそ、の物語ですね。素晴らしい。
「第五章 宴の終わりは幽霊列車 平成三年五月」は、バブルならではの、地上げ屋をめぐる騒動。
際どい攻め口ですが、バブルが弾けたことを知っている我々には、妙に腑に落ちるところがありますね。
「第六章 鉄チャンとパパラッチのポルカ 平成二十四年七月」は、阪堺電車を撮ろうとする鉄チャンと、アナウンサーのスクープを撮ろうとしているカメラマンが、同じマンションの近くで遭遇したところに、もう一人一眼レフカメラを持った男がそのマンションの三階通路にいて......という話。
話そのものもよく仕組まれていますし、謎が解けるきっかけも鉄チャンならではでありながら、普通の人にも了解しやすいもので、とてもいい。でもそれよりも、登場する人物たちが過去の話の誰とどうつながっているか、ということのほうが大事かもしれませんね。
そして迎えるエピローグは、いよいよ第177号もスクラップか、という引退の模様が描かれるのですが、こちらもサプライズ、ですよね?
洒落た感じの連作長編でした。
愉しい。
<蛇足1>
「二十年近う前かなあ。信用組合、今で言う信用金庫で働いてたとき、知り合うて。」(151ページ)
信用組合と信用金庫は別物なので、「今で言う」という表現は間違いですね。
登場人物のセリフなので、その登場人物がそう思い込んでいただけ、という解釈は可能ですが、この人物信用組合で働いていたというのですから、その解釈にも無理がありますね......
<蛇足2>
「だが、金沢は信子の居場所にはならなかった。北陸の古都の暮らしは、余所者には優しくない。」(160ページ)
以前から不思議に思っているのですが、古都という語は、いわゆる首都、都になったことのない場所にも使われますね。
古い都市という意味でも使われ出しているのでしょうね......本来の意味合いがぼやけていってしまうので、あまり歓迎するべきことではないような気がしています。
タグ:山本巧次
憂国のモリアーティ 14 [コミック 三好輝]
<カバー裏あらすじ>
生きろ──魂の叫びが運命をも凌駕する──
女王陛下からシャーロックに、犯罪卿逮捕の勅命が下る。無二の友としてウィリアムを救おうとするシャーロックだが、自らの死で大英帝国の浄化の完成を望むウィリアムにより、“モリアーティの物語”は着実にその結末へと近づいていく…。犯罪卿と名探偵、それぞれの胸に秘した想いが交わる時、炎上するロンドンで“最後の事件”は最終局面を迎える!!
シリーズ第14巻。「憂国のモリアーティ 14」 (ジャンプコミックス)。
表紙は......これ、誰でしょう?
フレッド・ポーロックじゃないかと思うんですが(この第14巻では割と大きめの役をもらっている印象ですし)、自信が持てない。
この方の絵、見やすくて好きなんですが、登場人物の描き分けが、個人的に今一つなんですよね。
#52~56 最後の事件 第五幕~第九幕(The Final Problem Act 5 ~ 9)
の5話を収録。
袖で構成の竹内良輔が、いつもは四話ずつだけれど、切りがいいので五話収録にした、と書いていますね。
第13巻に続いて、「最後の事件」ということで、ホームズ対モリアーティの対決を描いています。
原典のモリアーティの設定と大きく変えているので、当然のことながら、モリアーティとホームズの関係性も大きく異なっています。
ここがポイントですね。
「お前が犯罪卿を逮捕したらとことん悪く書いてやるさ! 容姿も含めてな! それが盛―ティsンの‥‥ひいてはこの国の為にもなるなら!」(28ページ)
とワトソンもホームズに言っていますね。
ホームズとモリアーティの221Bでの会談が、ある意味クライマックスで、ここは力が入っているな、という箇所なのですが、個人的にはあまりこういうむき出しのウェットな部分は好きではありません。
こういうあからさまな心情吐露は、ホームズに(それにモリアーティにも)ふさわしくないとも思います。今の読者に受ける要素ではあるとは思いますが。
ライヘンバッハの滝の代わりに作者たちが用意した舞台が素敵ですね。
1886年に着工、1894年に完成したある建造物(ネタ晴らしとは言えないと思いますが、念のため伏せておきます)を選んだのはお見事かと思いました。すばらしい!
とても、とても美しい対決シーンだと思います。
ちょっと気になるのは、ここまで派手な対決になっているので、ワトソンがライヘンバッハの滝を舞台にした「最後の事件」を The Strand Magazine に発表しても、それが事実ではないと一般大衆もわかっているということ。
まあ、一般大衆も、現実に題材をとったフィクションとして楽しんだのだ、と解釈すればいいんですけれどね。
ことが収まって(?) からの、残されたアルバートやルイスたちの身の処し方もよく考えられているな、と感じました。
いいですね。
ラストでは(原典どおり?)、ホームズ(とモリアーティ)の復活を予感させるシーンが挿入されています。
ひとまず区切りとなっているので、今後の展開が楽しみです。
サウンドトラック [日本の作家 は行]
<カバー裏あらすじ>
東京は異常な街に変貌していた。ヒートアイランド現象によって熱帯と化し、スコールが降りそそぐ。外国人が急増し、彼らに対する排斥運動も激化していた。そんな街に戻ってきた青年トウタと中学生ヒツジコ。ふたりは幼いころ海難事故に遭い、漂着した無人島の過酷な環境を生き延びてきたのだった。激変した東京で、ふたりが出会ったものとは──。疾走する言葉で紡がれる、新世代の青春小説。<上巻>
かつて母親に殺されそうになり、継母からも拒絶されたヒツジコは、世界を滅ぼそうと誓う。見た者の欲望を暴走させるダンスを身につけた彼女は、自身の通う女子高で、戦闘集団「ガールズ」を組織する──。一方トウタは、友人レニの復讐を手伝うため、東京の地下に住む民族「傾斜人」の殲滅を決意した。トウタとヒツジコの衝動が向かう先とは……。崩壊へと加速する東京を描いた、衝撃の長編小説。<下巻>
2024年6月に読んだ3作目(3&4冊目)の本です。
古川日出男の本の感想を書くのはこれが初めてなのですが、ミステリ以外で読み続けている数少ない作家の一人なんです──あまりにも遅々としているので続けて読んでいる感がないかもしれませんが。
古川日出男は、デビュー作の「13」 (角川文庫)が「本の雑誌」で取り上げられていて、(ミステリではないというのに珍しく)興味を惹かれて読んだところ衝撃を受け、その後読み続けようと固く決意した作家さんです。
その後「アラビアの夜の種族」 I , II , III (角川文庫)で日本推理作家協会賞を受賞したときは、意外でしたが(作品はミステリとはちょっと違う作風だったので)、自分のフィールドに近くなったような気がしてとてもうれしく感じたものです。
この作品の舞台は、1990年代後半から2000年代にかけての東京。でも現実の東京とは違いますね。
背景が説明されている箇所があったので、引用しておきます。
「停滞およびマイナス化しつづける経済成長に、日本は前世紀末からむしばまれていたが、輸出大国の座に返り咲こうとする野望は棄てられることはなかった。円安は結果として、味方した。日本の輸出関連企業はこぞって国内に大規模な生産施設を新設した。海外に出るほうがコストが要る時代に突入していたのだ。現場は単純労働力を求めた。それも長引く不況によって、できるかぎり賃金の低い労働力を。外国人労働者の需要は十数年前のバブル期を超えた。新たな移民政策が真剣に検討された。だが、それ以前に、ラテンアメリカの経済圏に属する各国での政情不安とそれらの地での三割から四割に達した失業率、ニューエコノミーの夢破れてからの米経済の低迷、そして決定的だったユーロ崩壊が、日本に実数として存在している不法就労者を七桁台に到達させた。インドとパキスタンの軍事衝突以降は、合法非合法の移住者はアジア圏からも殺到した。おなじみの集団密航、入管難民法違反者たちの逮捕劇、暴力団の関与や海上自衛隊の活躍などは日常茶飯事となりすぎて当初は新聞の第一面を飾ったもののやがてニュースバリューを加速度的に失っていった。その一方で、輸出市場でのシェアは回復軌道に乗りはじめた。日本は経済再生を成し遂げつつあった。同時に、不法就労者の扱いにおいて国際的な批難を集めつつもあったが、先手をうつように為された関連の諸法と諸規制の改正、再改正によって、事態は激変したのだった。」(上巻131~132ページ)
本書は2001年の終わりから2002年の初めにかけて構想、執筆され、2003年に単行本が刊行されたようなので、当時的には近未来に近かったのでしょう。
こういうあり得たかもしれない未来(今となっては過去ですが)を設定した小説、楽しいですよね。
そして東京は、移民が押し寄せ熱帯化、している。
この未来の東京のディテールが、いちいちおもしろい。
物語は最初、東京が舞台ではありません──小笠原なので東京都ではありますが。
海で遭難し、助け出され、小笠原で成長したトウタとヒツジコの物語で始まったものが、トウタ、ヒツジコが東京に出て出会う人々や出来事、東京新宿のレバノンと呼ばれる界隈で育ち神楽坂を本拠地(?)とするアラブ系移民(商社員として日本にやってきているので正確には移民とは呼べないと思いますが、ここではこう呼んでおきます。移住者と呼ぶ方が正確でしょうか?) の子レニたちへとどんどん物語の幅が広がっていきます。
トウタがボゴタで医師をしていたが、今は元結婚式場と思しき廃ビルを拠点に(違法な)医療活動を行っているリリリカルドや、その廃ビルの主(「この結婚式場のパイオニーア」と言われたり)とも言えるピアスなど、トウタはいろいろと強烈な人たちと会いますが、ヒツジコが暮らすこととなる西荻窪の人々も、テレジア高等部のガールズたちも強烈です。
また、もうひとりの主要人物であるレニ(とバディを組むカラス)の設定もとても興味深い。
性別は両親以外に明かされておらず、意識すれば男にも女にもなれる、と。
レニが出会うのは、ハシブトガラスのクロイ。手負いだったクロイを助けたことから縁ができる。
トウタの闘いの武器は力あるいは俊敏性であるので、ある意味普通なのですが、ヒツジコの闘う武器がダンスで、レニの闘う武器が映画(映像。映画を撮ることを "shoot" と呼ぶ言葉遊びでもありますね)と異色──物語である証かと思いますが。
そして面白いのは、トウタが音楽を感受しないこと。
レニとトウタが出会うのは、物語も終盤、下巻の半ばです。
レニが、地底に住む傾斜人(!)との(映像を武器にした)戦いを開始し、ヒツジコがダンスの力でガールズたちとテレジア高等部の卒業式などで激しい活動を始めた後。
レニが地下で投影した破壊力を高められた映画(フィルム)を見て魅了されたトウタが、レニとともに戦うようになる。
「俺が対話している鏡は、いったい、どんな鏡なんだ?」(下巻188ぺージ)
「糞、また俺のレプリカだ、とレニは感じる」(下巻188ぺージ)
レニがトウタと会話しながらこう感じるように、共鳴していきますし、クロイは「コノ人間ハ、音楽ナシノ人間ダ」と喝破しています。
「サウンドトラック・レスの映画(フィルム)に、だからトウタは完全に嵌まる。用意されたピースのごとく、クロイがそれ自体を生きている映画(フィルム)に、一切の音楽を死なせているトウタはぴたりと嵌まる。」(下巻191ページ)
この物語を、この作品のタイトルを象徴する場面ですね。
それぞれの闘う武器が、ダンスと映像。
ダンスは基本的に音楽を伴うもので、映像は(この作品では基本的に)サイレント、つまり音楽なし。
音楽とともに戦うヒツジコと、音楽なしで戦うレニとトウタ、と捉えるべきのか、ダンスにしても作中では遠くにも威力を及ぼしていることを考えると、ヒツジコもやはり音楽なしと捉えるべきなのか、自分の中で整理できていません。
ラストは、ある意味感動的なシーンとなっています。
いままでの登場人物(含むカラス)たちが、きちんとつながる見事なラスト。
だからこそ一層、この先が知りたい、と思ってしまいました。
古川日出男はやはりいい、と再認識しました。
<蛇足1>
「トウタ君、あれはね、経験から鑑みても手に負えないね」(上巻104ページ)
「これも私の経験に鑑みての意見ですが、皆さん」(上巻104ページ)
どちらも小笠原の学校長のセリフですが、”鑑みて” の使い方が2通りあるのが興味深いです。
<蛇足2>
「アラブ人は鳩料理に目がないから捕まえているのだ、との噂がたったのだ。だが食用にされるのは飛び立つ寸前の雛鳥(ザグルール)だし、だから公園で網を投げたり駅舎に罠を仕掛けたりしているわけではない。」(上巻133ページ)
鳩料理ですか......雛鳥なのですね。
<蛇足3>
「廊下や庭先で英語やフランス語といった権威ある言語以外の外国語が響いたら、もう気分を害するのだ。」(上巻133ページ)
権威あるには、傍点が振られています。
悪意の込められた表現で、いいですね。
<蛇足4>
「弔いのためのパが踏まれる。」(上巻162ページ)
パ? と思ったのですが、バレエでいうパ・ドゥ・ドゥ(Pas de deux)のパですね。
ステップあるいは踊り、という雰囲気の語ですね。
何度も出てくる語でありながら、一般的な語とは未だ言い難い気がしますので、ぼくのように注が欲しいという方もいらっしゃるのでは?
<蛇足5>
「新宿タカシマヤ隣の東急ハンズで購入した。」(上巻267ページ)
新宿駅南口の方にあるタカシマヤと東急ハンズですね。
この2つの店、同じ建物に入っているので隣というイメージではないのですが、隣といえば隣ですね。
<蛇足6>
「二十三区民はなにしろ『3ナガ』なる暮らしの原則(ドクトリン)を有していた。すなわち業務用エアコンのある場所に長(ナガ)居、それから長(ナガ)袖、長(ナガ)ズボンの着用だった。ナガイナガソデナガズボン、ナガイナガソデナガズボン。魔法の呪文はコンジ―を圧倒的に加速させる、加熱させた、いかにも短時日に。」(236ページ)
熱帯性感染症が東京に蔓延したという状況です。
3ナガというのが、コロナ禍における「3密」を連想させます。
コロナ禍よりはるか前に、作家は想像していたのですね。
<蛇足7>
「マラリアはエイズ、結核と並び称される世界の悪疫三巨頭(ビッグスリー)だが」(201ページ)
こういうくくりがあるのですね。
タグ:古川日出男
七つの秘密(ポプラ社) [海外の作家 ら行]
([る]1-10)七つの秘密 怪盗ルパン全集シリーズ(10) (ポプラ文庫クラシック る 1-10 怪盗ルパン全集)
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2010/05/07
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
国宝級の美術品が厳重に警備された屋敷から忽然と消え失せた。はたしてルパンの仕業なのか? 名刑事ガニマールがその謎を解き明かす『古代壁掛けの秘密』、毎年同じ日に古い屋敷に集まる人びとの秘密をルパンが探る『三枚の油絵の秘密』など、七編を収録した傑作短編集。 解説/光原百合
2024年
モーリス・ルブランの「七つの秘密 怪盗ルパン全集」 (ポプラ文庫クラシック)。
ポプラ社のこのシリーズとしてはこの前に読んだ「古塔の地下牢―怪盗ルパン全集」 (ポプラ文庫クラシック)(感想ページはこちら)が第4巻で、今回の「七つの秘密」が第10巻なので順番を飛ばしていますが、原著刊行順で読もうとこちらを手に取りました。
大人向けのタイトルは「ルパンの告白」 (新潮文庫)というのが一般的でしょうね。
タイトルからも想像がつきますが、以下の7編収録の短編集です。
日光暗号の秘密
赤マフラーの秘密
古代壁掛けの秘密
三枚の油絵の秘密
空とぶ気球の秘密
金の入歯の秘密
怪巨人の秘密
事件をしっかり解決しつつ、怪盗として自らの利益をしっかり確保するように動くルパンが痛快。
短編なので食い足りないところは多々あるものの(ルパンは長編で大活躍するのが似合うと思うのです)、小技の効いた作品が並んでいて、とても楽しい。
「日光暗号の秘密」の日光暗号、他愛もないといえば他愛もないものなのですが、こういうのワクワクしましたねぇ。
定石通りといっていいような犯人設定も楽しい。江戸川乱歩の怪人二十面相とか、ほとんどこういう感じじゃなかったでしょうか?
「赤マフラーの秘密」は有名な作品ですね。サファイアの隠し場所、面白いとは思うのですが、これはすぐにばれちゃうんじゃないかなぁ、と思ったりして。少なくともガニマール警部が気づかないのは変だなぁ、と思うくらいです。
「古代壁掛けの秘密」も定番中の定番の犯罪を描いています。
ガニマールの上司 (?) の係長が
「うーむ、おどろくべき謀略だ。じつに先の先まで考えたトリックだ。おそろしいやつだ。」(142ページ)
というのですが、いや、それは言い過ぎでしょう。そこまでの仕掛けではありませんよ(笑)。
「三枚の油絵の秘密」は謎がおもしろい。年に一度、同じ日に空き家 (?) となっている古い屋敷の庭に集まって過ごす謎めいた人々。
ルパンが義賊であることをしっかり示してくれています。
「空とぶ気球の秘密」
「航空船」(209ページ)、「大気球」「気球船」(213ページ)、「自由気球」(235ページ)といろいろな名前で呼ばれているのですが、出てくる気球が印象的です。
「自由気球」というのにピンと来なかったのですが、地面につないでいないものをいうのですね。
ルパンではなく、ジム・バルネ私立探偵局長というのが登場して活躍するのですが、ラストには
「まるで、きみはルパンみたいな、すばしこいやつだ」
「ふふっ、わがはいがルパンね……あんがい、そうかもしれんな」(246ページ)
なんて、ベシュー刑事といけしゃあしゃあとした会話をしますが、まあ、どう見てもルパンですね(笑)。
フランス中部の地元の農夫たちのセリフが
「ふんとだ」「ふんとになあ」「ふんとにねえ」「ふんとに」(203~204ページ)
となっていておもしろかったです。
「金の入歯の秘密」もジム・バルネ私立探偵局長が登場。
ベシュー刑事も登場しますが、
「あいつ、しゃくにさわるやつだが、えらいやつだ。あいつににらまれると、どんな怪事件でも迷宮入り事件でも、たちまちかいけつしてしまう。あいつは、わるいやつだが、一種の名探偵だな」(247ページ)
なんて考えてる場合じゃないぞ(笑)。
特に、この事件の仕掛けはあまりにもあからさま過ぎて、真相に気づかないのが不思議なくらいですから。
「怪巨人の秘密」は、まったくもってどう考えたらいいのか悩む怪作で、笑えてきます。
解説で光原百合が「とある歴史的ミステリ作品へのオマージュとして読むべきだろう(そちらを未読の方のため作品名は伏せるが)。」」と書いているように考えるべきなんでしょうね。
子どものころどう読んだのか、思い出せないのが残念です。
<蛇足>
「三枚の油絵の秘密」に共和暦というのが出てきて、説明(訳注)が177ページにあります。
(フランス革命のとき年号を新しくあらためた。それを共和暦という。共和政を公布した日[一七九二年九月十二日]を紀元元年一月一日ときめ、むかしからの暦をはいしした。
共和暦では毎月の名もあらためた。ブドウ月(一月)、霧月(二月)、霜月(三月)、寒月(四月)、雨月(五月)、風月(六月)、芽月(七月)、花月(八月)、草月(九月)、とり入れ月(十月)、熱月(十一月)、みのり月で(十二月)、一か月を三週間、一週間を十日とし年末にのこった五日を休日ときめた。)
なかなか無茶苦茶な暦ですね。
現在廃止されていてよかったです......
原題:Les Confidences d'Arsène Lupin
作者:Maurice Leblanc
刊行:1911~13年(Wikipediaによる)
訳者:南洋一郎
プリンセス刑事 生前退位と姫の恋 [日本の作家 喜多喜久]
プリンセス刑事 生前退位と姫の恋 (文春文庫 き 46-2)
- 作者: 喜多 喜久
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2019/10/09
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
女王統治下の日本で、王位継承権を持つプリンセス・白桜院日奈子は刑事になった。コンビを組む芦原と、テロ事件の解決を目指す日奈子に、時を同じくして王家の問題が降りかかる。健康問題を抱えた現女王が思案する生前退位を巡って王室内は侃々諤々。日奈子たちは事件と問題を解決できるのか。書き下ろしシリーズ第二弾。
2024年6月に読んだ最初の本です。
喜多喜久の「プリンセス刑事 生前退位と姫の恋」 (文春文庫)。
「プリンセス刑事」 (文春文庫)(感想ページはこちら)
に続くシリーズ第2弾。
第3弾である
「プリンセス刑事 弱き者たちの反逆と姫の決意」 (文春文庫)
まで今のところ出版されています。
タイトルで堂々と謳われていますが、女王の生前退位が扱われます。
ただ、これ作品中ではしばらく伏せられているので、タイトルで明かしてしまったのはどうなのかな、と思わないでもないのですが......一方で、ストーリー的には生前退位は重要な位置を占めますので、タイトルにするにふさわしいとは言えます。
今回取り扱うのは、テロ(と思われる事件)。
北海道と思われる地域が別の国として存在しており、その国の名前がエミシ王国。
日本で起きた王女襲撃事件をきっかけに80年ほど前に日本がそのエミシを攻め込んだことがある、という衝撃の設定になっています──当時日本は軍人主体の政権だった、ということになっていて、エミシとの戦争に勝利したあと、世界から反発を受けて孤立し、クーデターの結果女王による統治が復活した、と。
前作「プリンセス刑事」の感想で、
「王族という設定を導入したことで、無理筋な、あるいは斬新な捜査方法をとることができるようにも思えますので、そういう方向でシリーズが展開されるとおもしろいかもしれませんね。」
と書いたのですが、テロ事件とあって、そういう手法がとりやすいかなとも思ったものの、実際には白桜院日奈子の存在を安直に、便利に使っているだけのように感じてしまいました。
──「それならば、私を通してください。王族特権を発動することで、情報開示に掛かる手順を省略できます」(195ページ)などというセリフは象徴的かと。しかし、この日本の体制、どうなっているのでしょうね?
生前退位をめぐる議論についても、いわゆる有識者は出てこずに、もっぱら王族内の会話のみで決せられそうな気配も漂ってきますしね......
本来であれば組織的対応をすべきところをすっ飛ばして、自らに都合よくデータを集めることが多々あるかと思えば、爆発物の分析に当たっては、素人の分析に頼っていて、???となってしまいました。
「爆薬の出処は捜査本部でもまだ特定できていない。もしそれが本当だとすれば、警察にとっては非常に大きな情報になる。ただ、民間人に負けたという屈辱を背負うことにはなるが。」(206ページ)と、この素人が成し遂げる分析が捜査上とても重要な要素となることが書かれていますが、この程度の分析であれば、警察で十分対応できるように思いますし、警察が無理でも軍隊は可能だと思います(現実の日本ではないので、自衛隊のような組織ではなく、本物の(?) 軍隊があるようです)。
このあたり、架空の国の設定があまり生きていないのかな、という気がしました。
同時に、この素人の設定は、日奈子の従姉妹真奈子のクラスメイトの兄ということになっており、王室を巡るストーリーに、側面から彩りを添えるものであり、あながち無駄な設定というわけでもないのが、難しいところ。
王族という設定が、プラスでもあり、マイナスでもあり、というところでしょうか。
架空の日本という設定を掲げているとはいえ、隣国との関係が絡むテロ事件にせよ、タイトルにもなっている生前退位をめぐる問題にせよ、とても扱いづらそうなテーマを取り扱っていてすごいな、と思いました。
最後に持ってきている結末も、(実際のことであったとしたら)相当に激しい議論を呼びそうなもので、これを軽いタッチのエンターテイメントに仕立て上げた作者にびっくりさせられました。
<蛇足1>
「黒井と白河という二人の刑事コンビが事件を解決していく筋立てで、彼らは頻繁に犯人との銃撃戦を演じていた。」(62ページ)
このシリーズでちょくちょくでてくるテレビドラマ『二人は刑事(デカ)』についての下りですが、色のついた名前の刑事といったら、滝田務雄の田舎の刑事シリーズではないですか! って、誰も共感してくれないかも(笑)。
<蛇足2>
「直斗が生活しているリビングに入り、『ここがコクピットか』と光紀は言った。『いや、実に面白いね。なんというか、人間のたくましさや生命力を感じるよ』」(112ページ)
直斗が住んでいる十帖のワンルームを訪れた、白桜院日奈子のお兄さま、白桜院光紀のセリフです。
失礼なと思わないでもないですが、宮殿に住んでいるようなお方の感想としては妥当かもしれませんね。
宮殿の中でパーソナルスペースがどれほどあるのか、少々気になったりして。
<蛇足3>
「胡散臭いのは確かだが、こちらのデメリットは少ない。捜査情報の漏洩リスクを背負うくらいだ。」(158ページ)
捜査情報の漏洩のリスクは、デメリットとして少ないとは言えないのでは(笑)?
相手は、おそらく王族に繋がる血筋だろう、という備えはありますれけど......
Q.E.D. iff -証明終了-(20) [コミック 加藤元浩]
Q.E.D.iff -証明終了-(20) (月刊マガジンコミックス)
- 作者: 加藤 元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2021/10/15
- メディア: コミック
<カバー裏あらすじ>
「ファクト」
アメリカ留学中の可奈はインターンの仕事で、新進気鋭のヴァイオリニストにインタビューをする。その時の何気ない一言が過去の事件を蘇らせる。全員が嘘つき、嘘を信じ込もうとしていた一族に、「真実」を明かす楔が打たれる。哀しき音色を伴って・・・・
「贋作画家」
伊豆で海釣りをしていた燈馬達に銃声が響く。そして崖から落ちていく人影。それは贋作画家が、衆人の前で起こした殺人事件。だが、死体が消えてしまっていた。そして再び起こる殺人事件。不可解な連続殺人事件の真相は・・・・
Q.E.D. iff のシリーズ第20巻。「Q.E.D.iff -証明終了-(20)」 (月刊マガジンコミックス)。
奥付は2021年10月。
もう amazon などのネット書店では新品を扱っていないのですね......。
「ファクト」
女性ヴァイオリニストの父である高名な投資家を襲ったナトリウム電池の開発を行っていた研究所での爆発事故。その日研究所では伯父のニノの姿があって....
冒頭に出てくる「真実ってのはそんなに価値がない」というニノのセリフを底流に、思いやる家族の話としてまとめっているのは長所だと思うのですが、いかんせん、事件の構図やトリックに無理がありすぎるようです。
「贋作画家」は、燈馬と可奈の眼前で起こった殺人事件という派手な出だしです。
犯行シーンも描かれるというのに、死体が見つからない(海に臨む崖なので波にさらわれたということはありうるのですが)。
レンタル倉庫を利用したトリックはうまくいかないように思いますが(あと足が簡単につくと思います)、非常によく仕組まれた事件で、読んでいてうれしくなりました。
タグ:Q.E.D. iff 加藤元浩
蒼煌 [日本の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
芸術院会員の座を狙う日本画家の室生は、選挙の投票権を持つ現会員らに対し、露骨な接待攻勢に出る。一方ライバルの稲山は、周囲の期待に応えるために不本意ながら選挙戦に身を投じる。会員の座を射止めるのは果たしてどちらか。金と名誉にまみれ、派閥抗争の巣と化した“伏魔殿"、日本画壇の暗部を描く。
2024年5月に読んだ11冊目の本です。
黒川博行の「蒼煌」 (文春文庫)。
この感想を書こうとして気づいたのですが、黒川博行の作品の感想を書くのは初めてなのですね。意外。
今は亡きサントリーミステリー大賞の第1回、第2回の佳作を
「二度のお別れ」 (創元推理文庫) (創元推理文庫)
「雨に殺せば」 (角川文庫)
と2年連続で受賞し、その後
「キャッツアイころがった」 (創元推理文庫)
で第4回大賞を仕留めた作家です。
その後20作品ほど追いかけて読んでいたのですが、売れっ子作家になられてちょっと遠ざかっていました。
出版順で言うと次はこの「蒼煌」だったのですが、近ごろ本屋さんの棚で見かけることもなくなってきていまして、ひょっとして品切れ状態になるのでは? ということで、探して入手して読みました。
引用したあらすじにも書いてあります通り、芸術院会員の座を狙う選挙戦の裏(?) を描いています。
これが、まあ、すさまじい。
芸術院の選挙って、実際にこういうものなのか? というキワモノ興味で読んでも、そうじゃなく読んでも、十二分におもしろい。
主要人物として出てくる候補者(?) の室生が、典型的な薄っぺらい人間で(描写が薄っぺらいということではありません、念の為)、読んでいて呆れるくらいなのですが、それでいて素晴らしい絵を描くというのが、とてもおもしろい。
健全な肉体には健全な精神が宿る、というのが嘘っぱちなように、素晴らしい芸術を生み出す人間も素晴らしい人格を備えているわけではないにせよ、この室生の性格は、本当にひどい(笑)。ザ・俗物。
「室生は思考に幅がないから、すぐに決めつける。根が田舎者だから京都人らしいさらりとしたつきあいができず、若いころから絵描き仲間との諍いが絶えなかった。絵描きは総じて思い入れが強く頑固だが、だからこそ、食える保証もないこの世界に入って、一生絵を描きつづけていくのだろう。」(298ページ)
なんて書かれていて、傍から見ていると可哀そうになるくらいですが、周りも一筋縄ではいかない、あやしい、老獪な人物。
それはそれは醜い争いが繰り広げられます。
デパートの美術部も絡むのですね。お金が動く世界だから当たり前ですか......
ミステリ的な興趣は薄い作品ですが、それでも、票読みの過程ではちょっぴりミステリ心をくすぐられるところがありニンマリ。
途中政治家や怪しげな画商(政商?)が絡んでくるのも、生臭さの強調かなと思っていたら、それがラストへのプロットと密接に絡みついていて、なるほどー、と感じました。
ベテラン(作家)の技、ですね。
個人的には、薄汚い選挙戦にのめりこんでいく、あるいはのめりこまざるを得なくなる人物やそれに飛び込んでいく、あるいは巻き込まれていく人物だけではなく、その身近にいつつ選挙戦とは距離を置いた立場で見ている人物(とくに、室生の対立候補である稲山の孫娘梨江)の視点が一部取られていることに、居心地の良さを感じました。
とても面白く読みました。
また、黒川博行の本、手に取ってみたいと思います。
ところで、日本芸術院は、小説を含む文芸も対象ですね。
日本芸術院には第一部美術、第二部文芸、第三部音楽・演劇・舞踏、の三部が置かれ」(63ページ)と説明され、
「第一部の選挙運動はすごいけど、第三部もすごいらしいね。お金も飛び交うんやて」
「文芸は運動しないの」
「噂は聞かへんね。小説家や詩人はそういうことを軽蔑するんでしょ」(201ページ)
という会話が交わされたりしています。
文芸は、こういう選挙戦ないんですね(笑)←だから、美術もあるとは限らない!
タグ:黒川博行
クロフツ短編集 2 [海外の作家 F・W・クロフツ]
<カバー裏あらすじ>
1巻に引き続き、本邦初訳作品多数を含むF・W・クロフツの短編を収めたファン必携の作品集。アリバイ破りの名手にして、丹念な捜査と推理が持ち味のフレンチ警部のかがやかしい功績を描く。絵画購入依頼が意外な展開を見せる「グルーズの絵」、アンソロジーに書き下ろした“完全犯罪"に実在の元警視が挑んだ解決編が付属する「小包」など、多彩な作風が楽しめる全8編を収録。
2024年5月に読んだ 10冊目の本です。
「クロフツ短編集 2」 (創元推理文庫)。
「クロフツ短編集 1」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)と同時に復刊されましたものです。創元推理文庫2019年の復刊フェアの1冊。
ペンバートン氏の頼まれごと
グルーズの絵
踏切り
東の風
小包
ソルトバー・プライオリ事件
上陸切符
レーンコート
の8編収録。
「クロフツ短編集 1」は、同じ倒叙形式の21編が収録されていましたが、こちらはパターンが異なる作品を収録しています。
冒頭の「ペンバートン氏の頼まれごと」は、タイトルにもなっているペンバートン氏が、パリからイギリスへむかう列車の中で若い女性から頼まれごとを引き受けた顛末を描いています。大方の読者の予想通りの展開なのだとは思いますが、するすると事態が進んでいくのが楽しい。
「グルーズの絵」は代理業者(今風にいうと便利屋さんでしょうか?)が絵の買取を依頼され、首尾よくいったものの、その絵は模写であることが判明し......という話。
「踏切り」は完全犯罪を目指した男だったが、思わぬ事態に...... 最後の一文の皮肉が効いています。
「東の風」はフレンチ警部がパディントンから乗った列車で遭遇したホールドアップから始まる事件。フレンチ警部のこと、首尾よく事件を解決に導くのですが、そもそも警部がその列車に乗る理由だった用事はどうなってしまったのでしょうね(笑)?
次の「小包」は異色作です。
「考え得るかぎり完全に実行されたと思う殺人を、紙上で、犯す」という出版社の求めに応じてクロフツが書き上げた完全犯罪を、そのあとで元スコットランドヤードの警視が検証する、という企画もの。
おもしろい。
途中図入りで解説される殺人の仕掛けにはまったく惹かれなかったのですが、この趣向は面白いですね。
元警視、あれこれ言って完全犯罪ではないと論破しようとしていますが、「もしかすると」と捜査側に都合のいい推測が連発で、軍配はクロフツに上げたくなりました。
「ソルトバー・プライオリ事件」はデボンで休暇中のフレンチ警部が巻き込まれる事件。
まあ、ミステリでは割とよくあるパターンですが、
被害者の妻から捜査を頼まれても「わたしは自由なからだではなくて、ヤードの使用人なのです。土地の警察が問題を扱っていて、必要なことはなんでもするでしょう」(179ページ)と断っておきながら「わたしといっしょに出向いて、ひととおり見ていただくのは、どうでしょう? まったくの非公式にです」(180ページ)と現地の警察に言われ「むろん、非公式にだったら、やれないことはない」(180ページ)と考えて事件に関わっていきます。
これ、組織の論理からするとこんなに簡単ではないですよね(笑)。
拳銃の扱いが、単純ながら面白いと思いました。
最後の「上陸切符」は、倒叙ものです。今とは仕組みの違う、ドーバー海峡を渡る列車と船の仕組みがポイントになっているので、ちょっと今の日本人には想像しづらいところもあるのですが、なんとかフレンチ警部と同じ手がかりには辿り着きそうです。ただ、パスポートっていらなかったんでしょうか?
不思議です。
「クロフツ短編集 1」は同じパターンの物語のリズムを楽しみましたが、この「クロフツ短編集 2」 はバラエティを楽しみました。
ちょっと訳語が時代を感じさせてしまうので(なにしろ初版が1965年)、この本も新訳にしてくれるとよかったかも、と思いました。
<蛇足1>
「身動きひとつできないうちに、ピストルのまちがったはしのほうを突きつけられていたんです」(98ページ)
”ピストルのまちがったはし” ってなんでしょうね?
<蛇足2>
「いまは、まだ九時だ。時間はたっぷりある。かあちゃん、一杯注いであげなさい」(188ページ)
フレンチ警部が妻に呼びかける二人称は「かあちゃん」なんですね(笑)。
<蛇足3>
「『陰徳あれば陽報ありさ』と出納係はなぐさめて」(202ページ)
このことわざ、知りませんでした。
<蛇足4>
「いつものとおり、バンク(イングランド銀行)の地下鉄駅のほうへ道をつづけた。」(202ページ)
地下鉄のバンク駅の名前はイングランド銀行から来ているのですが、そのことを示す訳注ですね。
通常は「地下鉄のバンク駅」という風に書くところでしょう。
「カールはバンクのほうへ道をつづけるかわりに、南へ曲がって、キャノン・ストリートに出た。そこで、ビクトリア駅行きの郊外列車に乗った。」(203ページ)
キャノン・ストリート駅は確かに郊外に向かう列車の出発駅ですが、そういう列車に乗ってもビクトリア駅には行きません。キャノン・ストリートとビクトリアは、地下鉄でつながっています。
おかしいな、と思っていて気づきました。これきっと、地下鉄の District Line を郊外列車と訳したのでしょう。
<蛇足5>
「いつものとおり、バンク(イングランド銀行)の地下鉄駅のほうへ道をつづけた。」(202ページ)
地下鉄のバンク駅の名前はイングランド銀行から来ているのですが、そのことを示す訳注ですね。
通常は「地下鉄のバンク駅」という風に書くところでしょう。
「カールはバンクのほうへ道をつづけるかわりに、南へ曲がって、キャノン・ストリートに出た。そこで、ビクトリア駅行きの郊外列車に乗った。」(203ページ)
キャノン・ストリート駅は確かに郊外に向かう列車の出発駅ですが、そういう列車に乗ってもビクトリア駅には行きません。キャノン・ストリートとビクトリアは、地下鉄でつながっています。
おかしいな、と思っていて気づきました。これきっと、地下鉄の District Line を郊外列車と訳したのでしょう。
原題:The Mystery of the Sleeping Car Express and other strories
作者:Freeman Wills Crofts
刊行:1956年
訳者:井上勇