ヴィンテージ・マーダー [海外の作家 ま行]
<カバー袖紹介文>
楽屋から抜け出すことができたのはだれだ?
船上での窃盗、電車での殺人未遂、舞台上の変死……。
休暇中のアレン警部に事件が次々とふりかかる。
該博な演劇の知識を存分に発揮した、劇場ミステリの逸品。
2024年2月に読んだ2冊目の本です。
ナイオ・マーシュの「ヴィンテージ・マーダー」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ28です。
まず舞台がニュージーランドというのが面白いですね。
演劇ミステリですのでそれだけでは地方色豊か、とはならないのですが、登場人物にマオリの医師ランギ・テ・ポキハを出したり、翡翠でできた緑色のマオリ族のシンボルティキ(人間が大きな頭を掲げ、腕と脚を曲げてうずくまる形を模した彫像で、多産と豊穣を象徴)を出したりして、雰囲気を盛り上げてくれます。
解決の前には、ポキハ医師がアレン警部を案内するシーンもあります。
あと、スコットランドヤードにアレン警部が、かなり敬意をもって扱われているところなど、
ニュージーランドとイギリスの関係が伺われて興味深い。
アレン警部は捜査に関する本を書いていて、それが知られているという設定にもなっています。
事件は上演中ではなく、上演後開かれた、主演女優で劇団オーナー座長の妻であるキャロリンの誕生パーティの席上で発生します。
舞台上の仕掛けで、シャンパンの巨大なボトルを被害者の上に落として殺害という派手な事件。
(このやり方で確実に殺せるのだろうか、と余計なことを考えてしまいますが......)
途中、アレン警部は登場人物(容疑者?)の出入りと動機をまとめた表を作ったりし(その表はロンドンにいるフォックス警部へ手紙で送られます)、いかにもな本格ミステリの風情が漂います──もっとも読者としてのこちらは怠慢なので、読み飛ばしてしまうのですが。
最終的に見せられる謎解きは正直あっけない。
しかも少々ズルい感じがします──劇場の見取り図が巻頭にあるので、参照しながら謎解き場面を読み返しても、なんだかかうまくごまかされたな、と思ってしまいました。
ただ、さすが演劇というか、殺害方法を含めて要所要所で非常に視覚的に特徴的なところがちりばめられており、それほど印象を損ねることはありません。
古き良き本格ミステリを読んだという気になりました。
<蛇足1>
「マオリもまた、ニュージーランドにおいては新参者なのですよ。私たちがここに住みついたのは、ほんの三十世代ほど前のことです。私たちは持ち込んだ自前の文化を、この土地に適合させてきました」
─ 略 ─
「どこから来たのですか?」アレンは尋ねた。
「ポリネシアです。その前は、イースター島に住んでいたようです。おそらく、東南アジアまでさかのぼることができるでしょう。祭司(トフンガ)や呪医(ランギティラ)によれば、最初はアッシリアだったそうですが、白人の人類学者による調査は、そこまで進んではいません。」(331ページ)
マオリもまたよそからやって来たというのは知りませんでした。
<蛇足2>
「白人文明の強烈な光にさらされて、マオリは古来からの姿を保つことができませんでした。彼らを真似ようとして、私たちは自分たちの慣習を忘れていきましたが、賢明にも、白人文化のなかにすっかり同化してしまうことはできませんでした。」(332ページ)
「賢明にも」と「できませんでした」というのが呼応していないようで落ち着きません。
原題:Vintage Murder
著者:Ngaio Marsh
刊行:1937年
訳者:岩佐薫子
タグ:論創海外ミステリ
コールド・コールド・グラウンド [海外の作家 ま行]
<カバー裏あらすじ>
暴動に揺れる街で起きた奇怪な事件。被害者の体内からはなぜかオペラの楽譜が発見され、現場には切断された別人の右手が残されていた。刑事ショーンは、テロ組織の粛清に見せかけた殺人なのではないかと疑う。そんな折、“迷宮"と記された手紙が彼に届く。それは犯人からの挑戦状だった! 武装勢力が乱立し、紛争が日常と化した八〇年代の北アイルランドで、ショーンは複雑に絡まった殺人鬼の謎を追うが……。大型警察小説シリーズ、ここに開幕
2023年9月に読んだ5作目の本です。
エイドリアン・マッキンティ、「コールド・コールド・グラウンド」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)。
1980年代初頭の北アイルランドという設定で、いわゆるアイルランド紛争が激しかった頃。
アイルランドをめぐる各派入り乱れての状況が背景にあり、おおまかな構図すら頭に入っていなかったので、略号や別称が入り乱れ、読んでいて混乱しました。
読み終わってから、訳者あとがきにキーワードの簡単な説明として解説がされていることに気づき、あとがきから先に読んでおけばよかったと後悔しました。
もともとアイルランドはカトリックが盛んな島で、北アイルランドはイギリスから分離しアイルランドと一緒になることを目指すカトリック系(いわゆるナショナリスト。そのうち過激な人たちがリパブリカン)と、現状のままイギリスに属すことを目指すプロテスタント系(いわゆるユニオリスト。そのうち過激な人たちがロイヤリスト)の対立が激しく、当時はテロや紛争が頻発していました。住民同士の対立も激しかった頃。
有名なIRA(アイルランド共和軍)はリパブリカン系。対するロイヤリスト系の組織がUDA(アルスター防衛同盟)。UDAの下部組織にアルスター自由戦士(UFF)というのがあるそう。また、UVF(アルスター義勇軍)はプロテスタント系のテロ組織。
ちなみにIRAの政治部門(?) が、シン・フェイン党。IRAの内部治安部隊がFRU。
フェニアン(フィアナ騎士団)というのが、カソリック教徒に対する蔑称(11ページ)
プロテスタントはプロディ(カソリックサイドから見た蔑称です)とルビが振られていたりしますし、単にプロディと書かれていたりします。
主人公であるショーン・ダフィは、王立アルスター警察隊(RUC)巡査部長で、カトリック。
大学も出ているある種変わり種。
舞台は北アイルランドですから、イギリス支配下で、すなわちプロテスタントの領域。RUCの組織もほとんどがプロテスタントの人で占められていたはずで、ダフィの置かれた状況の困難さを想像しながら読み進めます。
このダフィの性格設定が本書の、そしてシリーズの最大のポイントなのだと思います。
「IRAはベルファストのどこかに、”IRAは知恵がまわり、UDAは酒がまわる” という落書きをしていて、俺はそれを見るたびに内心ほくそえんでいた」(174ページ)
というくらいには頑迷で、
「俺たちはプロディ流に食前の祈りを捧げた。」(204ページ)
という箇所では、きちんと相手に合わせているくせに”プロディ”を使っていたりします。
捜査もカソリック住民が多い地域、プロテスタント住民が多い地域でやりにくくもなり、やりやすくもある、というところが緊迫感を高めます。
事件は、同性愛者を狙ったとおぼしき連続殺人と、ハンスト中のIRAメンバーの元妻の失踪事件。
ダフィが、全体の方針とは違う方向に捜査を進めていく、というのは警察小説のある意味王道ではあるのですが、当時の北アイルランド情勢を絡めながら、どうもやみくもに戦線を拡げているように思われるところ、一転してラスト間際で大きな転換点を迎えるところが、ミステリ的には見どころなのだと思いました。
こういう展開は現実世界ではよくあるのでは? とも思いますし、ミステリの世界でも物語の序盤あるいは遅くとも中盤でこういう展開になり、その後主人公たちが苦闘する、という流れとなるのはあるのですが、この「コールド・コールド・グラウンド」のようにクライマックス近傍で展開して見せるのは珍しく、ちょっとびっくりしました。
同時に、こういう展開はアイルランドにふさわしいのかも、とも感じました。
その後の展開は衝撃的でした。難しいところへ挑んでいったな、と。
シリーズを続けて読んでいきたいと強く思いました。
今のところ
「サイレンズ・イン・ザ・ストリート」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
「アイル・ビー・ゴーン」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
「ガン・ストリート・ガール」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
「レイン・ドッグズ」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
「ポリス・アット・ザ・ステーション」 (ハヤカワ・ミステリ文庫 )
まで翻訳されています。
しかしまあ、勤務時間中に普通にお酒を飲む時代だったのですね......
(人種的に日本人よりもアルコールに強い人たちではありますが)
最後に翻訳について2点。
1点目。登場人物たちの返事がすべて「あい」。
aye という語の訳のようですが、最後まで違和感をぬぐえませんでしたね......
2点目は巻頭に掲げられている、タイトルの由来となったトム・ウェイツの歌詞。訳されていません。原語のまま。
どちらも訳者があえてそうされているのだとは思いますが、馴染めませんね。
<蛇足1>
「お定まりのビニール袋を探した。六ペンス硬貨が三十枚、もしくは五十ペンス硬貨が三十枚入った袋を。けれど見つからなかった。タレコミ屋の処刑現場には銀貨三十枚が残されていることが多いが、必ずというわけではない。
これが汚い金を受け取った手だ。そしてこれが、ユダが得た裏切りの対価だ。」(29ぺージ)
こういうのがあるのですね。
<蛇足2>
「できん! うちは今、聖歌隊の少年のケツの穴よりきつきつなんだ」(33ページ)
コンプライアンス的にどうかという警部の発言ですが、こういうのが一般的に使われていた表現なのでしょうか?
警部がカトリック系であることも、いろいろと考えさせられます。
<蛇足3>
「あれは一九七四年、五月二日。── 略 ── 俺は大学の下宿から二十メートルばかりの距離にあるオーモー・ロードのバー、〈ローズ&クラウン〉のまえを歩いていた。」(42ページ)
〈ローズ&クラウン〉というパブ、日本でチェーン店でありますね。
<蛇足4>
「聖書のなかで、バト・シェバが自分の髪を梳いてダビデ王の気をひいたように。何か裏があるにちげえねえです。」(100ページ)
クラビー巡査刑事のセリフで、大学を出たという設定になってはいますが、こういうのがさらっと出てくるくらいに聖書は読み込まれているということなのでしょう。なんだかすごいです。
<蛇足5>
「俺はふたりをハイ・ストリートの〈ゴールデン・フォーチュン〉に連れていき、スパイスのきいていない典型的なアイルランド風中華チップスと麺と豚バラを食べた。」(102ページ)
アイルランド風中華チップスって、なんでしょうね? 気になりました。
えびせんべい(龍蝦片)のことかな? でもそれだとアイルランド風とは言えないですね......
<蛇足6>
「被害妄想だな」と一蹴したが、すぐに考え直した。「ウィリアム・バロウズが言うには、被害妄想患者というものは、実際に何が起きているかを理解している人間のことだがね。」
「ビリー・バロウズ? あのフィッシュ・アンド・チップス店の店長がそんなことを?」(183ページ)
「裸のランチ」 (河出文庫)などで知られる作家が、フィッシュ・アンド・チップス屋さんと間違えられるとは(笑)。
<蛇足7>
「ある朝、ストラスブールの欧州人権裁判所で、ジェフリー・ダジョンという同性愛者対イギリスの裁判において、イギリス政府に不利な判決が出たことが新聞で報じられた。判事らは十五対四で、北アイルランドの同性愛行為禁止法は欧州人権条約に違反していると判断した。イギリス法務長官はこれを受け、北アイルランドの法律は変わらなければならないだろうと発言した。成人間の合意にもとづく同性愛行為は合法化されるべきである、と。」(471ページ)
わずか40年ほど前まで違法だったのですね。
ネットでみたところ「英国の性犯罪法は1967年にイングランドとウェールズで、21歳以上の男性同士の同性愛行為を合法化した。 しかしスコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年になるまで、同性愛は違法だった。」ということらしいです。
原題:The Cold Cold Ground
著者:Adrian McKinty
刊行:2012年
訳者:武藤陽生
死の実況放送をお茶の間へ [海外の作家 ま行]
<帯から>
生放送中のTV番組でコメディアンが謎の怪死を遂げる。犯人は業界関係者か? それとも外部の犯行か?
2023年6月に読んだ4冊目の本です。
単行本です。論創海外ミステリの1冊で、パット・マガー「死の実況放送をお茶の間へ」 (論創海外ミステリ215)。
なかなか事件は起きないのですが、当時のアメリカのTV制作の舞台裏を見る感じがとても興味深く、楽しかったです。
著名なコメディアンのポッジ、その元妻で暴君的なスコッティ、飛躍するチャンスをつかもうと躍起の出演者たち。
語り手である雑誌調査係のわたしメリッサのジャーナリズム学部生時代の同級生で番組担当アナウンサーのデイヴ・ジャクソン、プロデューサーに、いかにもTV業界にいそうなディレクターに野心に燃えるオーケストラの指揮者。
人気者であるポッジをめぐって、みんなの邪魔者的存在であったスコッティを出し抜いて取り込もうという面々と、それに負けじと対抗してくるスコッティ。
よくある話といえばよくある話でしょうが、多彩な登場人物で飽きさせません。
生放送中のTV番組中で起こる事件ということで、非常にセンセーショナルなものです。
事件が起こってからは、物語のテンポがアップします。
畳みかけるように話が進み、一気に解決シーンにもつれ込んだ印象で、このテンポも悪くなかったですね。
トリッキーな謎解きではありませんが、登場人物の性格にしっかり寄り添ったプロットになっていて(戯画的なところはありますが)、安心して読めるものでした。
メリッサとデイヴのやりとりも、なんだか時代を感じさせて楽しかったです。
ここまでが作品の感想ですね。
訳者は、E・C・R・ロラック「殺しのディナーにご招待」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)と同じ方ですが、引き続きレベルの低い翻訳を提供してくださっています。
下の蛇足で気づいた点からいくつか。
<蛇足1>
「今は、放送中じゃないだよ、かわい子ちゃん」(28ぺージ)
誤植でしょうか? ないだよ、とは変な言い回しです。
<蛇足2>
「早口の口上であたしをのし上げてくれるっていう大風呂敷を敷いたままじゃないの。」(28ページ)
大風呂敷は確かに敷くことも可能ですが、言い回しとしては大風呂敷は広げるものではないでしょうか?
<蛇足3>
「不在所有者だったジャクソンが、愛想のいいホスト役を務める準備ができたようだよ。」(34ページ)
不在所有者とはどういう意味でしょう? しばらく考えましたが、わかりませんでした。
<蛇足4>
「俺の時代にゃ、銅板印刷だったってのに」(35ページ)
銅版印刷、でしょうね。
<蛇足5>
「彼女は、ホッジに無理強いしないほうがいいときと場合をわきまえてる。俺も、ヴィヴにあれだけの手腕があればな。」(61ページ)
「俺も」がなければ素直に意味がわかるのですが。
どういう意味、主旨の文章なのでしょう?
<蛇足6>
「あなたは、作家やディレクターよりもずっと多くを台本に加味できるんですもの。ネタはあまり面白くなくても、あなたなら、面白そうに見せられる。そして、そのことのほうが、コメディの台詞をかけることよりも重要です。タレントであって、芸能界では、ほかの何よりも価値があるんです」
「タレントねぇ」その言葉は、彼にほとんど満足感を与えなかったようだ。「そうかもしれない。だけど、問題は──俺が、どの程度のタレントなのか、スコッティが、どれだけの物を考えて作り上げたか?」(81ページ)
英語の talent は才能ある人という意味で、日本語でいうタレントとは意味が異なりますので、ここは誤訳と言わざるを得ないと思います。
<蛇足7>
「カメラやマイクのブームが入り込んで」
ブームがわからなかったので調べました。
撮影や収録スタジオで、マイクロフォンなどを出演者の声の届く範囲で、カメラの収録する範囲の外(主に上方)に配置できるようにした、吊り下げる装置。先端にマイクロフォンをつけ、反対側の端にはバランスのとれるように、おもりをつけている。
<蛇足8>
「わたしは、コートを脱いで窮屈な座席に落ち着こうとしている視聴者をガラス越しに見つめていた。」(141ページ)
ここは、わたしが調整室から撮影現場を見ているところです。
間違いとまではいえないのでしょうが、ここは視聴者ではなく、観客の方が親切かと思います。
すぐあとに、番組参加視聴者という語も出てはきますが、一般に視聴者というとテレビの前にいる人たちのことを指してしまうように思います。
<蛇足9>
「するとデイヴが、幕の後ろから現れたが、わたしは、彼が司会者らしくわざと人当たりよくしているのにはほとんど気づかなかった。」(141ページ)
一人称の記述で、わたしが気づかなかったことをどうして書けるのでしょう??
これ、原文を当たる必要がありますが、まず間違いなく誤訳ですね。
<蛇足10>
「舞台上の人たち──カメラマン、ブームマイクのオペレーター──や、隣でボタンを押したり、レヴァーを捜査したりしているテクニカルディレクターにマイクを通して話しているのだ。」(142ページ)操作、ですね。
<蛇足11>
「それと同時に監察医が、『到着時にすでに死亡』の裁断を下していた。」(149ページ)
監察医がする行為は、科学的事実を突き止めることなので、「裁断」ではないと思います。
<蛇足12>
「フルーティーファイヴだ。それでも、番組を長くやってきて、彼にも味はわかっただろうから、ニコチンが、六番目の旨味には思われなかったはずだ」(151ページ)
5種類のフルーツをミックスした飲み物、ということで、入れられた毒であるニコチンは6番目というわけですが、この場合、おそらく原語は taste だと思うのですが、訳は旨味ではなく、単純に味とした方が適切ではないかと思います。
原題:Death in a Million Living Room
著者:Pat McGerr
刊行:1951年
訳者:青柳伸子
コージー作家の秘密の原稿 [海外の作家 ま行]
<カバー裏あらすじ>
裕福で年老いた大人気コージー作家のエイドリアンが、子どもたちに結婚式の招待状を送りつけてきた。この結婚でまた遺言書が変わるのかと当惑する子どもたち。屋敷に集まった彼らに父親が予想外の事実を告げた翌朝、相続人候補がひとり減ることに。だれもがあやしい殺人事件に挑むセント・ジャスト警部の推理の行方は? 皮肉の効いた筆致が光る、アガサ賞受賞のシリーズ第一作。
2022年7月に読んだ6冊目の本です。
タイトルに「コージー」と入っていますが、この作品は流行りのコージー・ミステリという感じは受けませんでした。
一族の主が性格の曲がったミステリ作家で、急に結婚すると言い出して......というお屋敷を舞台に、一族の中で殺人が起こる、伝統的なミステリです。
サーの称号が与えられていますから、まあまあ立派な作家のようですね。
こういう設定は常套的でありふれているのですが、やはりわくわくしてしまいますね。
アガサ賞最優秀処女長篇賞受賞作なので、コージーと分類されているのでしょうか?
その結婚相手が、殺人を疑われたという過去を持つという爆弾つき。
癖のある登場人物たちで、当然ながら、ひと悶着もふた悶着も(自分で書いておいてなんですが、こんな表現あるのでしょうか?)。
そして長子が殺されて。
過去の出来事が尾を引くというのはミステリとして常道ですが、非常に入り組んだプロットがさらっと忍ばされています。
登場人物も多く混乱しそうですが、書き分けがなされているので、それほど混乱しません。
ポイントが高いなと思ったのは、巻頭の登場人物表。説明が特徴を捉えてユニークです。
個人的に興味をひかれたのは、
「伝統的にウェールズの子どもは両親と違う名前を持つことがある。」(379ページ)
などさらっと書いてありますが、名前についていろいろと注目しているところ。
日本人にはわかりづらいところではあるのですが、こういうところは海外の作品を読むの愉しみの一つですよね。
派手なトリックはありませんが、古き良きミステリを引き継いだウェルメイドなミステリだなと思いました。(登場人物の性格は悪いけれど)
続刊も訳されていたのですが、もう品切れ状態です。買っておけばよかった。
<蛇足1>
「合点承知之助でございますよ」とさらなる返答。(39ページ)
合点承知之助ですか。なかなか楽しい訳語です。
原文はどうなっているのでしょうね?
<蛇足2>
「猫も杓子もクリスマスにはミス・ランプリングの新作をほしがるんだ──皮肉なことだよ、そう、おれたちはだれよりもよく知っているが、そのとおりなんだよ。つまり善意の季節には親父のあの凶悪な本が飛ぶように売れるんだ」(77ページ)
クリスマスにあわせて新刊が出る! クリスティみたいですね。
<蛇足3>
「ミス・ランプリングお得意のわかりにくい言い方を借りれば、こういうことだ。“ひとたびありえないことがすべてのぞかれたら、ありえなくないことが真実に違いないよ”」(78ページ)
シャーロック・ホームズの有名なセリフをアレンジしていますが、本当にわかりにくこと。
<蛇足4>
「とはいえ、イギリスでの最初の五月の週──イギリスだけが作り出せるあの一片の雲もないすばらしい数週間のうちのひとつ──のおかげで、この国に永遠に残るべきだという決断はしていた。」(125ページ)
ミネソタ出身のアメリカ人秘書が抱く感慨ですが、まさに!
イギリスの初夏はすばらしい。おすすめです。
<蛇足5>
「おそらく彼らが息子を殺す申し合わせをしたんだな。どう思うかね?」
「だれがです?」
「むろん、家の者全員だよ。そいつはわしが『十二時四十分マンチェスター発』で使ったなかなか革新的なトリックの一つでな。出版されたのは──そう、十年ほど前だ」
ー略ー
「ですが、サー・エイドリアン……確か最初にそれを考えついたのは、あの高名な作家では」
「そりゃあ、考えついただけのことだ。わしの本のほうが面白い」(166ページ)
サー・エイドリアンは架空の作家ですが、あれより面白いのなら、ぜひ読んでみたいですね!
<蛇足6>
「伝統的な絵画の代わりに暖炉の上に立てられた大きな日本の屏風以外、部屋にはほかに目にとめるようなものがほとんどない。」(206ページ)
屏風は平面というよりは立体的に飾られるものだと思うので、暖炉の上に置くのは大変そうです。
<蛇足7>
「“血のみが歴史を前進させる”か。だが、実際にムッソリーニが考えていたのは、血統じゃないだろうな」(357ページ)
こういうところにひょいとムッソリーニの言葉なんかを持ち出してくるところ、セント・ジャストはなかなか曲者ですね。
原題:Death of a Cosy Writer : A St. Just Mystery
作者:G. M. Malliet
刊行:2008年
翻訳:吉澤康子
サンキュー、ミスター・モト [海外の作家 ま行]
<帯>
その男の名はミスター・モト
戦火の大陸を駆け抜ける日本人特務機関員。映画化もされた人気シリーズの未訳長編。待望の邦訳!
チャーリー・チャンと双璧をなす東洋人ヒーローの活躍。
単行本です。
論争海外ミステリ137
ずっと読んでみたかったんですよね、ミスター・モト。
古いアメリカの作品なのに(第二次世界大戦前です)、日本人が主人公の作品、興味湧くでしょう?
「天皇の密偵―ミスター・モトの冒険」として長編第四作が角川文庫から出ていたことがあるようですが絶版で、手に入りません。
2014年に論創社から本書の翻訳がでて、ようやく念願かないました。
主人公はミスター・モト、ではありません。
若きアメリカ人、トム・ネルソンですね。弁護士でしたが、やめて北京で暮らしています。悠々自適っぽい。
ヒロイン、エレノア・ジョイスも設定されていまして、ボーイ・ミーツ・ガール物語でもあります。
ミスター・モトは、若い主人公を教え、諭す役割を担っているようです。
あと、ピンチに陥ると都合よく助けてくれる(笑)。
カリカチュアではあるのですが、さまざまな人種が入り乱れる当時の北京の状況が生き生きと描かれていました。
分類するとなるとスパイものに入れるのかな、と思えましたが、活劇調ではありませんし、かといってル・カレのようなシビアな感じでもない。
どことなくのどかな感じ。
ちょっと違うのですが、あえて探すのならば、クリスティのスパイものが近いかも。
緊迫感のあるはずの展開でも、どことなくおっとりとした気分。
しかし、ミスター・モト、格好良くないんですよ。
「彼は小柄でどちらかというとずんぐりとした日本人で、仕立ての良い服を身につけていた。」(12ページ)
「前歯の金充填は、彼が笑うたびに日光を反射してぎらぎら光った。」(63ページ)
「ミスター・モトのしゃべる英語はやかましく、アクセントが変なので、イライラした。」(64ページ)
「今でもはっきりと、ミスター・モトの顔にあたっている光が、勤勉でかつ用心深い彼の細い目を照らし出し、ずんぐりした鼻が脇のコーヒー色の頬の上に影を作っているさまを、思い出すことができる。しかも彼は笑っていた。これは日本人特有の奇妙な反応で、思いもよらないときに歯茎をむき出しにして、ばかばかしいお笑いに転じさせてしまうのだ。」(101ページ)
最初の部分から抜き出すだけでも、こんな感じです。
また、なにかというと「申し訳ございません」という冴えないありさまで、冴えない外見から鋭い推理を放つとか、快刀乱麻を断つとかいうわけでも、武術に秀でているわけでもない。
映画化もされて人気を博したキャラクターとはとても思えません。
不思議です。
もっとも、それだけにラストもラスト、最終ページで明かされるモトの行動は強い印象を与えますが。
どうもこの「サンキュー、ミスター・モト」 (論創海外ミステリ)だけでは、ミスター・モトの魅力がつかみきれませんでした。
KADOKAWAさん、復刊お願いします!
<蛇足1>
「君はこの法律事務所の最も優秀な若手共同経営者だった。」(57ページ)
トムがアメリカから受け取った手紙の一節です。
トムはとても若いように思われたので、「共同経営者」というのに驚いてしまいました。
そして気づきました。これ、法律事務所によくある partner の訳なんですね。
なるほど、パートナーといえば確かに共同経営者ということになるのかもしれませんね。
<蛇足2>
「クラブこそが、僕が求めていた答えだった。―― 略 ――クラブはまさにイギリスものもので、カナダの荒野からシンガポールのゴム農園まで、ありとあらゆる辺境をイギリス領としていった植民者の開拓能力を称える貢物であった。―― 略 ――そこに入れる人種は制限されていた。アングロ・サクソン人種の牙城であり、かつてキップリングが唱えていたような、いささか時代遅れの帝国の雰囲気に満ちていた。ヨーロッパ人だけという気楽さが、まだここには存在していた。」(92~93ページ)
アメリカ人も、ヨーロッパ人なんでしょうか?
当時の状況からして人種的にはアングロ・サクソンなのでしょうが、ヨーロッパ人というのは不思議ですね。
(さらにいうと、イギリス自体がヨーロッパかどうかという議論があり、一層複雑ですが(笑))
<蛇足3>
「東洋は非情な土地で、死人が出たというニュースも、その静謐を揺るがすには、あまりに冷淡過ぎた。」(95ページ)
この文章すぐには意味をとりかねました。
<蛇足4>
『ゲームが終了したときには、クロウ大尉は僕に三十ドル負けていた。ここで僕はまた拳銃を思い出した。そしてあることを思いつき、思わず口に出してしまった。
「拳銃をくれれば、チャラにしてもいいよ」』(95ページ)
三十八口径のピストルなのですが、30ドルというのは高いのか、安いのか、さっぱりわかりませんが、なんとなく気にかかりました。
原題:Thank you, Mr. Moto
作者:John P. Marquand
刊行:1937年
訳者:平山雄一
すったもんだのステファニー [海外の作家 ま行]
すったもんだのステファニー―三毛猫ウィンキー&ジェーン〈3〉 (ヴィレッジブックス)
- 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
- 発売日: 2021/04/10
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
ジェーンは、わがままな作家と狡猾な編集者の相手に、毎日へとへと。でももうすぐ久しぶりの休暇!とうきうきしていたところへ突然、亡夫のいとこステファニーから家に泊めてほしいと連絡がきた。ステファニーは、東洋のグレース・ケリーといも言われた元アナンダ王国王妃フェイスが経営する出版社を手伝いに来たという。勝手気ままで、辛辣なステファニーに振り回されっぱなしのジェーン一家。やがてジェーンは気づく。彼女がらみのすったもんだが、それだけではないことを……。そして愛猫ウィンキーにもなにやら重大な変化が――。ウィンキー&ジェーンのおかしな事件簿、好評第3弾!。
「迷子のマーリーン―三毛猫ウィンキー&ジェーン〈1〉」 (ヴィレッジブックス)
「春を待つハンナ―三毛猫ウィンキー&ジェーン〈2〉」 (ヴィレッジブックス)
に続くシリーズ第三弾です。
いわゆるコージー・ミステリで、手に職持つシングルマザー(この場合は死別)が謎解きに乗り出す、というパターンです。
「奥さまのいとこですよ、あの意地の悪いステファニーさん! あの人がこの町に来てから、恐ろしいことが立て続けに起こるようになった。あの人は災いのもとです--こんなこと言いたくありませんけど、でも本当のことです。あの人はこの町に来ちゃいけなかったんです!」(225ページ)
と、家政婦のフローレンスにいわれちゃう、亡き夫のいとこ、ステファニーがかき回していきます。
町で起こる窃盗騒ぎと、ステファニーの就職先の不穏な状況、この二つがメインの謎で、ドタバタしてるうちに解けていくのが、コージーならでは。
わりとよくある設定で、よくある着地を見せる点を不満に思う方もいらっしゃるとは思いますが、そこが心地よいんですよね、コージーの場合は。
このシリーズ、ミステリ的には定石通りで手堅くて、登場人物が楽しく、コージーとしてはお気に入りだったんですが、この「すったもんだのステファニー」 (ヴィレッジブックス)のあと翻訳が途絶えているのが残念です。
続き、訳してくれないかな?
原題:Stabbling Stephanie
作者:Evan Marshall
刊行:2001年
翻訳:高橋恭美子
ブルックリンの少女 [海外の作家 ま行]
<カバー裏あらすじ>
人気小説家のラファエルは、婚約者のアンナと南フランスで休暇を楽しんでいた。なぜか過去をひた隠しにするアンナに彼が詰め寄ると、観念した彼女が差し出したのは衝撃的な光景の写真。そして直後にアンナは失踪。友人の元警部、マルクと共にラファエルが調査を進めると、かつて起きた不審な事件や事故が浮上する。彼女の秘められた半生とはいったい……。フランスの大ベストセラーミステリー。
ぼくが買った文庫本の帯に
「最後の最後までまったく予期していなかった
どんでん返しに読者は意表を突かれる。--フィガロ紙」
と書いてありまして、さらには「売れ行き絶好調の話題作!」とあります。
正直、読んでみた感想は、そんなに大したどんでん返しでもないなぁ、というものでした。
少なくともこう謳ってあるのを知って読むのに耐えられるほどの強烈などんでん返しではありません。
むしろスピーディーに展開する筋立ての巧みさに焦点を当てた方がいい気がします。
そう。どんでん返しの効果が薄くても、十分おもしろく、楽しめる作品です。
冒頭が衝撃的で、婚約者アンナの秘められた過去を探りつつ、行方を捜す、という話ですが、こういうパターンの話、最近読んでいないな、と思いました。
過去にあった連続少女拉致監禁事件と婚約者のつながりは?
訳者あとがきに「読み終えたとき、実際は三日間しか経過していないことに気づき、呆気にとられる」と書かれているのですが、まったくその通り。わずか三日の出来事とは到底思えません。
それは、婚約者アンナだけではなく、何人かの登場人物の過去が、連続少女拉致監禁事件(とその周辺)を通して鮮やかに浮かび上がってくるからだと思います。
それがスピーディーな筋立てに支えられて、すっと読者に差し出される。訳者が「濃密」と評するのもよくわかります。
言われているどんでん返しも、読者を驚かせるのが主目的というよりは(その点は、すでに申し上げた通り、どんでん返しがあることを前提に読んでしまうと容易に見当がついてしまうのであまり驚かせる効果は見込めません)、登場人物の過去が鮮やかに浮かび上がってくるという特徴の一つとしてとらえるべきではないかな、と感じました。
原題:La fille de Brooklyn
作者:Guillaume Musso
刊行:2016年
訳者:吉田恒雄
タグ:ギヨーム・ミュッソ
英国諜報員 アシェンデン [海外の作家 ま行]
<カバー裏あらすじ>
時はロシア革命と第一次大戦の最中。英国のスパイであるアシェンデンは上司Rからの密命を帯び、中立国スイスを拠点としてヨーロッパ各国を渡り歩いている。一癖も二癖もあるメキシコやギリシア、インドなどの諜報員や工作員と接触しつつアシェンデンが目撃した、愛と裏切りと革命の日々。そしてその果てにある人間の真実――。諜報員として活躍したモームによるスパイ小説の先駆にして金字塔。
クラシックつながり、というわけではありませんが、「四つの署名」 (光文社文庫) に続いて読んだのが、このサマセット・モーム「英国諜報員 アシェンデン」 (新潮文庫)。
この作品、大昔に子供のころ、子供向けに訳されたものを読んだのが最初かと思います。
その後、大人になってから(ミステリの)教養のうちとして、大人向けの翻訳「秘密諜報部員」 (創元推理文庫)を読んでいるはずですが、実は両方とも印象が薄いです。
正直、楽しんで読んだ記憶がない。
いわずとしれたスパイ小説の古典。しかも、サマセット・モームという高名な文学者の手によるもの。おもしろくないのであれば、こんなに広く受け入れられているはずはない、ということで、金原瑞人の新訳を機会に再読にチャレンジすることに。
サマセット・モームは実際にスパイだったということで、実体験も反映されているもの、と思われますが、いや、地味なのです。
スパイ小説というと、それだけで派手派手しいものを想像してしまいますが、まったくそんなことはありません。
地味なんですが、つまらなかったかというと、逆でとてもおもしろかったです。
目次を見ると第一章、第二章となっているので長編のスタイルをとっていますが、実態は連作短編のようで、いくつかのエピソードが語られます。
で、それぞれの登場人物がとてもおもしろいのです。
あ、おもしろい、というのは語弊があるかもしれません。生き生きしている、魅力的だ、というべきでした。
金原瑞人による訳者あとがきでも、阿刀田高による解説でもこのことはしっかり書いてあります。
物語の筋を追って楽しむ、というよりは、人物だったり、描写だったり、会話だったり、そういうのを楽しむ作品なんです。
それが、こう、じわじわと効いてくる。
さすがは文学者の作品、ということなのかもしれませんが、大人の読み物、という気がします。
そりゃ、これ、こども心に楽しめなかったはずです。
(楽しめるお子様もいらっしゃるのでしょうが、ぼくはそうでなかった)
その意味では、ミステリやスパイ小説、ととらえるのは危険かもしれません。
(もちろん、それだけミステリやスパイ小説の幅は広いのだ、ととらえることも可能です)
あの人にも、この人にも、また会ってみたいな、と思える登場人物が満載のステキな小説でした。
<蛇足1>
「マカロニといってもいろいろありますからね」(中略)「そのマカロニというのは、スパゲティ、タリアテッレ、リガトーニ、バーミセリ、フェットチーネ、トゥッフォリ、ファルファッレ、普通のマカロニ、どれのことです」(82ページ)
ここでの「マカロニ」という語はパスタ全体を指す語として使われているようですね。そういう使い方もあるんだな、と思いました。
<蛇足2>
「石畳の道を音を立てて歩行者通路(ガレリア)までもどった。」(131ページ)
ナポリのシーンです。
ガレリアに歩行者通路という語が当ててありますが、普通の感覚だとアーケードですね。
ナポリのウンベルト1世のガレリアは、観光名所でもありますが、これのことかな?
<蛇足3>
ブラックタイというからには、内輪の会食だろう。(中略)華やかな晩餐会ではないはずだ。(302ページ)
ドレスコードがブラックタイ(タキシード)で、内輪の会、とはすごいですね。
貴族階級(この場合はウィザースプーン卿となっていまして、英語でいうとどのくらいの爵位かちょっとわからないのですが)ともなると、ちょっと食事をご一緒というだけで大変だったのですね......
<蛇足4>
「わたしはいつも食事のまえにはシェリーを飲むことにしているのだが、きみがカクテルなどという野蛮な飲み物に淫していることも考えて、ドライ・マティーニとかいう代物も作れるようにしておいた」(304ページ)
カクテルは野蛮ですか......当時の貴族の嗜好がわかりますね。
<蛇足5>
「きみの好きなところならどこでもいいよ。ただしバス付きにしてほしい」
(略)
「英国人ね。一週間くらい、お風呂なしでもいいじゃない。」(398ページ)
イギリス人がお風呂好き、という印象は全くないのですが、ヨーロッパではそう目されている(あるいは、目されていた)のでしょうか? ちなみにこれはパリでのホテル選びに際しての会話です。
原題:Ashenden or the British Agent
作者:William Somerset Maugham
刊行:1928年(原書刊行年はどこにも見当たらなかったので、Wikipediaから)
訳者:金原瑞人
タグ:サマセット・モーム
象牙色の嘲笑 [海外の作家 ま行]
<裏表紙あらすじ>
私立探偵のリュウ・アーチャーは怪しげな人物からの依頼で、失踪した女を捜し始めた。ほどなく、その女が喉を切り裂かれて殺されているのを発見する。現場には富豪の青年が消息を絶ったことを報じる新聞記事が残されていた。二つの事件に関連はあるのか? 全容を解明すべく立ち上がったアーチャーの行き先には恐ろしい暗黒が待ち受けていた……。錯綜する人間の愛憎から浮かび上がる衝撃の結末。巨匠の初期代表作、新訳版。
ロス・マクドナルドの2016年に出た新訳です。
リュウ・アーチャーものの第4作。
(創元推理文庫では、表記はリュー・アーチャーです。)
ずっとこの作品のタイトル、「象牙色の嘲笑」ではなく、象牙色の微笑だと思っていたんですよね。なぜだろう?
象牙色の微笑にせよ、象牙色の嘲笑にせよ、どういう意味なんだろな、と思うところですが、作品の中では、117ページに出て来ます。
「懐中電灯の光が死の象牙色の嘲笑を照らし出した」
これは、リュウ・アーチャーが医者の家に忍び込んで家探しをしている最中に見つけた骸骨の描写です。
なかなかいい感じのタイトルですよね。(間違って記憶していた人間が言うセリフではないかも、ですが)
読み終わって、すごく複雑なプロットだったことに驚きました。すごく入り組んでいる。
ロス・マクドナルドはハードボイルド派に属する作家ですが、しっかり謎解きミステリを成し遂げようとしていたんですね。
そして、怪しげな依頼人ユーナに始まって、捜索の対象となるルーシー、その恋人のアレックス、その母親アナ、”象牙色の嘲笑”を保有する医者ベニングにその妻ベス、行方不明の金持ちチャーリーに、その母親で名士のミセス・シングルトン、ミセス・シングルトンに仕えるシルヴィアと登場人物がいずれも印象的に描かれています。
そんなに分厚い本ではないのに(本文は375ページまで)、ずっしりとした読みごたえを感じるのはそのためでしょう。
興味深かったのは、捜索の対象で被害者のルーシーよりも、犯人の方がしっかり描かれていること。
被害者にもっともっと力点を置くと、もっともっと現代っぽくなったのかもしれませんね。
このあたりも、ちゃんと謎解きをやっておこうという意志表明だったのかも。
トーンが全体的に暗いのが気になりますが、ロス・マクドナルドのほかの諸作も読みたいな、と思いました。
じゃんじゃん復刊をお願いします。
<蛇足1>
「日本風の赤いパジャマを着た彼女は女というより、性別のない小鬼が地獄で年老いたような感じだった」(91ページ)
なんだかひどい言われ様ですが、日本風の赤いパジャマって、どんなのなんでしょうね?
<蛇足2>
「奥さんはイゼベルだったんですよ」(213ページ)
偶然ではありますが、直前に読んでいたのが「ジェゼベルの死」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)だったので、おやっと思いました。
原題:The Ivory Fein
作者:Ross McDonald
刊行:1952年
翻訳:小鷹信光・松下祥子
動く標的 [海外の作家 ま行]
<裏表紙あらすじ>
ある富豪夫人から消えた夫を捜してほしいという依頼を受けた私立探偵のリュー・アーチャー。夫である石油業界の大物はロスアンジェルス空港から、お抱えパイロットをまいて姿を消したのだ! そして、10万ドルを用意せよという本人自筆の書状が届いた。誘拐なのか? ハードボイルド史上不滅の探偵初登場の記念碑的名作。
ロス・マクドナルドに関しては忠実な読者ではなく、これまでに読んだのは、
「さむけ」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
「ウィチャリー家の女」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
の2冊だけです。
もっともほかの作品を読もうと思っても絶版・品切れ状態なので、読めないのですが。
そんななか、この「動く標的」 (創元推理文庫)の新訳が出て(しかも訳者が田口俊樹!)、かつ、この本はリュー・アーチャー初登場というターニングポイントにある作品でもあるので、即購入。
読んでみて、すごくタイトに仕立て上げられた作品だなと感じました。
ハードボイルドというジャンルに属する作品だと思いますが、普通に犯人捜しとしても楽しめるようにできています。
解説で柿沼瑛子が
「この作品を初めて読んだときは、どことなく陰鬱な印象があったのだが、今回あらためて新訳で読むと、閉塞感の中にも、風が吹いているような、前方が開けているようなスピード感がある。」
と指摘していますが、犯人捜しの軸がくるくると回っていくところがスピード感につながっているのかもしれません。
冒頭、リュー・アーチャーがお屋敷に呼ばれます。
場所はサンタテレサのカブリロ渓谷を見下ろす丘の上。そこでは脚を悪くした夫人がいて...
おいおい、浜田省吾(「丘の上の愛」)かよ、と少し思ってしまいましたが、それは余談。
夫が姿を消した、というところから、誘拐を思わせる展開となり、怪しいバーの関係者とか、往年の名女優とか、芽の出ないピアニストとか、翳のある人物がわんさか出てきて、さてさてどこに連れていかれるのかな、と思わされます。
タイトルの「動く標的」というのは、どういう意味だろう、と昔から気になっていたのですが、英語にすると、Moving Target。あら、単純...こんなことに気づかなかったとは。
作中では、
「キャディラックでこの道を時速百五マイルで走ったことがある」
続けて
「退屈なときにやるのよ。何かに出会えるかもしれないって自分に言い聞かせて。何かまったく新しいことにね。道路上にあって、剥き出しで、きらきらしていている、いわば動く標的」(161ページ)
とキーとなる人物の一人、富豪の娘ミランダが言うシーンがあります。
ミランダのこのセリフを受けた形で
「だから私には剥き出しで、きらきらしているようなものが必要なのさ。路上の動く標的みたいなものが」(168ページ)
とリュー・アーチャーが話しますが、リュー・アーチャーが求めているものが動く標的、ということだけではなく、作中人物それぞれが何かを求めている、ということを指しているのでしょうね。
<蛇足1>
「十万ドル分の債権を現金にするように言ってきたのよ」(85ページ)
ここ、原文はどうなっているのでしょうね?
通常、すぐに現金化できる「さいけん」と言えば債券、ですが、債権も現金化する方法がないではありませんので。
<蛇足2>
「この街(サンタテレサ)じゃ金は生きていく上で欠かすことのできない血のようなものだ。ここじゃ金がなければ、半分死んでいるようなものだ」(341ページ)
原題:The Moving Target
作者:Ross McDonald
刊行:1949年
翻訳:田口俊樹