しらみつぶしの時計 [日本の作家 な行]
<カバー裏あらすじ>
冷えきった夫婦関係の憂さ晴らしでバッティング・センターへ出かけた省平に、男が声をかけてきた。交換殺人を提案された夫の陥ちた罠とは? (「ダブル・プレイ」)──すべて異なる時を刻む一四四〇個の時計の中から唯一正確な時計を探す表題作のほか、都筑道夫への敬愛に満ちたパスティーシュ、『二の悲劇』の原型となった初期作品など、著者の魅力満載のコレクション!
2024年8月に読んだ6冊目の本です。
法月綸太郎の「しらみつぶしの時計」 (祥伝社文庫)
使用中
ダブル・プレイ
素人芸
盗まれた手紙
イン・メモリアム
猫の巡礼
四色問題
幽霊をやとった女
しらみつぶしの時計
トゥ・オブ・アス
10作収録の短編集。
非常にバラエティに富んだ短編集で、あとがきに著者による各作品へのコメントが書かれているのもポイント高い。
「使用中」は、喫茶店での推理作家と編集者の会話で始まり、密室、リドル・ストーリーというキーワードが出てきて、いったいどんな着地の物語なのだろうと想像を膨らませながら読みました。
結論、これは肩すかしでしたが、おそらくそれも作者の手の内。
「密室の中に被害者以外の第三者が閉じこめられる」というシチュエーション、あとがきにも書いてありますが、お好きなんですね。
「ダブル・プレイ」は交換殺人。王道の展開だと思っていたら、ツイストが効いています。
「素人芸」はお決まりの倒叙ものではありますが、腹話術の扱いがおもしろいですね。
しかし、通信教育で腹話術......(笑)。
「盗まれた手紙」はポーのタイトルと同じですが、トリックのタイプはまったく違いますね。南京錠を使ったトリックはさほど意外なものではないと思ったのですが、どうでしょう?
ホルヘ・ルイス=ボルヘスの作品から登場人物を拝借したパスティーシュとのこと。
「ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件」 (白水Uブックス/永遠の本棚)と、「法月綸太郎の本格ミステリ・アンソロジー 」 (角川文庫)に収録されている「死とコンパス」とを再読しないといけないかな。
「イン・メモリアム」は、ショート・ショートですね。
あとがきに書かれているのと違い、とてもわかりやすいオチだと思いましたが......
「猫の巡礼」は、あとがきで「本書の中でも一番の『異色作』」と書かれているように異色作。
なにしろ、ミステリではありません。
ただこの猫の巡礼というもの、とても印象的で、どこか神秘的な感じのする猫のイメージが増幅されます。
「四色問題」は都筑道夫の「退職刑事」 (創元推理文庫) (創元推理文庫)のパスティーシュで、ダイイング・メッセージを扱っています。
しかし、退職刑事さん、物知りですね。
「幽霊をやとった女」は都筑道夫の「酔いどれ探偵」 (創元推理文庫)シリーズに出てくる クォート・ギャロンのパスティーシュ。クォート・ギャロン自体が、エド・マクベインの「酔いどれ探偵街を行く」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)のパスティーシュですから、二重のパスティーシュ?
きちっとした典型的な(定型的な?)ハードボイルドになっているところがポイントですね。
「しらみつぶしの時計」は、あらすにも書いてある通り、純然たるパズルを扱っています。
タイトルは都築道夫の「やぶにらみの時計」 (徳間文庫)を意識したものですが、あまり都築道夫テイストはありません。
ラストが印象的ですが、うーん、この微妙な時間しか正解と感じられないというのはどうなんでしょうね?
あと、シンクタンク研究員の欠員募集のための試験というのが、物語の単なる導入に過ぎなかったのが残念でした。
「トゥ・オブ・アス」はあとがきによると、デビュー前に京大ミステリ研の機関紙「青鴉城(そうあのしろ)」十号(一九八四年)に書いた「二人の失楽園」だそうです。
どうりで、法月綸太郎ではなく林太郎なんだ。
卒業アルバムの写真の取り違えというアイデアがおもしろいですが、入れ替わりの段取り(とぼかして書いておきます)は少々難ありかと思いました。
あれっと思って読み返した箇所(357ページ~)は、とても気を使った記述がされていました。
タグ:法月綸太郎
リップステイン [日本の作家 な行]
<カバー裏あらすじ>
行人は映像専門学校に通う二年生。ある朝、人に取り憑き犯罪を起こさせる“悪意”を倒していると話す不思議な少女・香砂と出会った。卒業制作でドキュメンタリーを撮っている行人は、他人の目が気になるあまり行き詰まっていたが、彼女の存在にヒントを得て行動をともにすることに。しかし香砂は世間を震撼させる連続暴行事件現場に必ず現れることから、刑事に追われていた。行人と刑事の追跡行はやがて交錯し──。香砂の正体とその目的は? 連続事件の真相は? 渋谷を舞台にした異色の青春ミステリー!
2024年7月に読んだ12作目(13冊目)の本です。
長沢樹「リップステイン」 (双葉文庫)。
傑作、だと思いました。
地夜叉(チヤシャ)、夜叉使いというギミックが登場するので、現実離れしている、リアリティがない、と思われたのかもしれませんが、あまり話題になったようには思えないのが不思議です。
作中で ”悪意” と呼ばれていますが、「人は死人の魂も、思い出も、嫌なことも全て川に流してきた」(249ページ)として、「水に流されるのは、報われない想いとか遂げられない願いとか、捨てたくなくても、捨てなければならなかったもの」「川に流された負の感情が魔物とか妖怪みたいな存在になって、自分とよく似た人に取り憑いて、欲求を満たす」(278ページ)仕組みになっている、という設定です(この説明の過程で、利根川東遷(280ページ)まで引き合いに出される壮大なお話です)。
大地にいる「不浄なものを食べちゃう妖精みたいな」(279ページ)ものである地夜叉を集めて憑依させ、”悪意” に取り憑かれた人間から ”悪意” を追い出す夜叉使い、が登場するんですね。それが城丸香砂。
こういうのが登場すると評価されにくいのかもしれません。
物語は、映像専門学校に通う夏目行人の視点僕と、連続ノックアウト強盗事件を捜査する警視庁捜査一課の水瀬優子の視点私の、二つの視点で綴られていきます。
映像解析版として主として内勤で防犯カメラの映像などを分析する任務の水瀬のパートは、かなり鬱屈していて、少々不穏なところもあり、好みから外れてはいるのですが、重要です。
一方の夏目のパートが、とてもいい。好みにドンピシャでした。
夏目も香砂もいいですし、夏目の周りにいる二人の女性、如月由宇と飛鳥井美晴がまたいい。
飛鳥井美晴が夏目のことを
「夏目はぼっちで頭でっかちでクソ中二だけど、基本能力高いのはわかる。能力以上のプライドがうざいけど、そこは目をつぶる」(149ページ)
と言ってのけるシーンなど、大好物です。楽しい。
まったく夏目はその通りの人物像になっています。自意識過剰で、プライドが高く、ひとりぼっちで孤立しがちで、それでいて不安いっぱい。
そして夏目は腹は立っているのだろうけれども、相手の言うことを理解し、ちゃんと受け止める。
とてもいいではないですか。
となると、夏目と美晴のボーイ・ミーツ・ガール物語か!? と思うところですが、それも美晴は
「言っとくけど、夏目に興味があるわけじゃないから、そこ勘違いしないでね。お互いの学業と卒業の為割り切って」(139ページ)
と切り捨てる(笑)。
美晴は「対人関係に特化されたスキル」(149ページ)の持ち主ということで、誰にでもこういう話し方でこういうことを言うわけではない、というのがポイントですね。
「勘違いすんなよ童貞」(147ページ)
「処女と童貞同士、わかり合えたわけね。種別的には同じキャラだものね。」(323ページ)
と、美晴は夏目には言いたい放題ですけれども。
美晴は自称「生まれ持った容姿という才能を活かそうとしているだけ。Aマイナスの素材を、努力とスキルを磨いてSクラスにまで引き上げているの・・・・・」(148ページ)。
この、ぼっち夏目のパートと、水瀬のパートがゆるやかに、しかし強烈に交差していくところがまたいいですね。
いろいろなエピソードが盛り込まれていますが、それぞれも興味深い。
”悪意” を追い出す夜叉というギミックを導入しているので、人間の行動が ”悪意” で説明されてしまいます。このことを、人間像の掘り下げ不足という方もいらっしゃるかとは思いますが、 ”悪意” があることで掬い上げられる行動も、さりげないけれども感じ取れるようになる行動の奥意もあるので、これは支持したい。
いわゆる意外な犯人を演出したくて導入された作者の手つきはこの作品の場合気に入らなかったのですが、ぼっち夏目のパート、水瀬のパートそれぞれが大きく盛り上がって交錯するラストに大満足。
キャラクターもとてもよかったので、続編を強く、強く期待したいです。
タグ:長沢樹
ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子 [日本の作家 な行]
<カバー裏あらすじ>
奇妙で凄惨な自死事件が続いた。被害者たちは、かつて自分が行った殺人と同じ手口で命を絶っていく。誰かが彼らを遠隔操作して、自殺に見せかけて殺しているのか? 新人刑事の藤堂比奈子らは事件を追うが、捜査の途中でなぜか自死事件の画像がネットに流出してしまう。やがて浮かび上がる未解決の幼女惨殺事件。いったい犯人の目的とは? 第21回日本ホラー小説大賞読者賞に輝く新しいタイプのホラーミステリ!
2024年7月に読んだ11作目(12冊目)の本です。
内藤了の「ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子」 (角川ホラー文庫)。
第21回日本ホラー小説大賞読者賞受賞作。
ホラー小説大賞への応募作品なのですが、ホラーというよりは、警察小説ですね。
おそらく事件のコアとなるアイデア・事象には医学的裏付がないのでは?と思わせるところがあって(作中でも "オカルト" という語が使われています)、それでホラーということなのかな、と個人的には理解しています。
このアイデア、ミステリーにおけるあるテーマを深化させたものと言えそうで、とても興味深いです。
それを、警察の捜査で──心療内科?の協力を得て──突き止めていく、という流れ。
事件の様子がタイトル通り猟奇的である点は好みから外れてしまうのですが、主人公である藤堂比奈子のキャラクターが自然体と感じさせてくれること、警察の面々や捜査に協力する重要人物であるクリニックの中島先生(のび太くんに似ているので野比先生と呼ばれたりしている!)なども周りの面々もそれぞれ特徴が分かりやすく親しみやすそうであることに加え、”呪い” とかいう方向にいかないこと、そして、あまたの伏線をちりばめて物語が構築されていることがとてもいいな、と思いました。
露骨なくらいの伏線なのですが、ちょっと現実離れしたアイデアであるからこそあえてそういう形にされているのだろうと思われ、折り目正しいミステリを書くことのできる作家さんだと確信しています。
シリーズが続々と出ていることも納得。
藤堂比奈子の成長を追いかけるのも楽しいだろうな、と思わせてくれます。
ところで、タイトルになっている猟奇犯罪捜査班って、本文に出てきていないような......
掲示組織犯罪対策課所属となっているようですし、警視庁本体ならともかく、藤堂のいる八王子署に猟奇犯罪を専門とする部署があるというのも疑問だな、と。
カカオ80%の夏 [日本の作家 な行]
<カバー袖あらすじ>
私は三浦凪、17歳。
好きなものは、カカオ80%のチョコレートとミステリー。
夏休みに、クラスメートの雪絵が、書き置きを残して姿を消した。
おとなしくて、ボランティアに打ち込むマジメな雪絵が、いったいどうして‥‥?
カレでもできたのか?
気乗りはしないけれど、私は調査に乗り出した。
ひと夏のきらきらした瞬間を封じ込めた、おしゃれなハードボイルド・ミステリー。
2027年7月に読んだ6作目(7冊目)の本です。
永井するみの「カカオ80%の夏」 (ミステリーYA!)。
理論社から出ていたジュブナイル叢書、ミステリーYA! の1冊で、後にポプラ文庫から文庫化されています。文庫の書影はこちら↓
(P[な]3-1)カカオ80%の夏 (ポプラ文庫ピュアフル さ 3-1)
- 作者: 永井 するみ
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2016/06/03
- メディア: 文庫
探偵役の主人公凪が語り手をつとめて物語は進んでいくのですが、最初のうち、この語り口になじめませんでした。
あらすじにもハードボイルドという文字がありますが、ハードボイルド調の語り口なのです。
こちらの思い込みの部分が大きいのだと思うのですが、女子高校生であるにもかかわらず、なんだかおっさんが語り手をつとめているような印象をぬぐえなかったのです。
(この凪という人物、性格的にはハードボイルドの探偵にふさわしいとは思います。あくまで語り口の観点です)
そのうち世界に引き込まれて、気にはならなくなりましたが....
事件は、友人の失踪。ハードボイルドらしいですね。
捜査と呼ぶべきかどうかわかりませんが、探そうとする凪の行動は、周りの人物の反応も含めてハードボイルド感溢れています。
捜査の方法はステップの踏み方が女子高校生らしいというか、無理な背伸びをさせていないのが好感度大。
高校生が大人顔負けの活躍をするという物語も、それはそれで面白いのですが、現実的な物語で、現実的な捜査方法をとっている高校生探偵という路線はとても素晴らしいと思います。
手掛かりもなかなか細やかなのもポイントが高い。
なにより、最後に浮かび上がってくる真相が、無理をしていないというのか、この探偵、この物語にふさわしいものになっている点には深く感心しました。
事件と探偵のバランスがとてもいい。
とてもウェルメイドなミステリでした。
もっと早く読めばよかったです(←いつも、こればっかり言っているような気がします)。
タグ:永井するみ
双面獣事件 [日本の作家 な行]
<カバー裏表らすじ>
2つの顔と4本の手を持ち、目から殺人光線を出し、口からは毒ガスを吐く、途轍もなく醜い化け物が島民全員を虐殺した──。地図にも載っていない南海の孤島で第二次大戦末期に起きた凄惨な事件を語る女性の話は本当なのか? 旧日本軍の密命によって生み出された魔獣によって今再び悪夢が繰り返される!<上巻>
奄美大島の医療施設で患者と職員全員が惨殺され、隣島では魔獣が出現して多くの島民が殺されたという報せに、ラビリンスの足跡を追う二階堂蘭子も現場に到着する。現実離れした惨劇を冷静に精査し推理を組み立てていく蘭子は、ラビリンスの恐るべき野望を打ち砕けるか? 名探偵蘭子シリーズの力作長編。<下巻>
2024年7月に読んだ最初の作品です。
二階堂蘭子が探偵役をつとめる長編第8作です。
「双面獣事件」 (上) (下) (講談社文庫)。
二階堂蘭子が探偵をつとめるシリーズは、どの作品も時代がかっていて(舞台設定は昭和四十年代初期)大仰ですが、今回はいつもにまして大仰です。
なにしろ
「この世のものとは思えない醜悪かつ巨大な怪物が暴れ狂い、多くの人間を虐殺して、その命と血肉を貪り食ったのだ──それほど途轍もなく、凄惨で、不気味な事件であった。」(上巻104ページ)
というのですから。
「『地獄の奇術師』から始まる二階堂蘭子シリーズが、江戸川乱歩の通俗長篇を現代に復活させるべく書かれたものであることは、既に知られているところだ。」
と解説で北原尚彦が書いており、作中にも
「その昔、江戸川乱歩が著した『人間豹』の中では、名探偵・明智小五郎と人外の怪物──豹と人間の混血という野獣──が、血で血を洗う闘争を行なった。」(上巻104ページ)
と乱歩の作品が例に出されています。
上下巻で1,100ページ近い大長編で、確かに通俗長篇が復活した趣きは強いのですが、「名探偵対魔獣」(下巻495ページ)とエピローグ的な章で作者自身が端的に要約しているのがすべてで、それ以上でもそれ以下でもない作品です。
タイトルにもなっている、双面獣と呼ばれる、日本軍が作ったという化け物が登場し、殺戮を繰り広げます。
恐怖を煽るためなのでしょうが、この場面が(ミステリとして考えると)必要以上に執拗に出てきます。
これに加えて、下巻455ページにベリヤーエフ「ドウエル博士の首」の名前が出てくるように、驚くべき(残虐な)人体実験も綴られます。
繰り返しも多く、ちょっとげんなりしてしまいました......
ミステリ的な興趣、謎解きの興味もほとんどなく、二階堂黎人の紡ぎ出す壮大な怪奇物語に身を委ねるしかないのですが、うーん、どうなんでしょう? こういう作品に、ニーズが(たくさん)あるものなのでしょうか?
前作「魔術王事件」 (上) (下) (講談社文庫)の感想にも書いたのですが、こういうのを楽しむにはこちらが歳を取りすぎたようで、もっと早く読んでいればな、と強く感じました。
<蛇足1>
「『鍵のない家 』は、原題を『THe House Without a Key』といい、一九二五ねんの作品だ。チャーリー・チャンという中国人探偵が出てくる推理小説である。ハワイを舞台にした、資産家殺人事件を扱ったもので、ここと同じような廃屋が重要な舞台となっている。」(上巻143ページ)
とE・D・ビガーズの『鍵のない家 』(感想ページはこちら)が引き合いに出されています。
あまり内容的に直接的な関係はないのですが、こういう風にもっともっとミステリの作品名をちりばめてもらえると楽しいのに、と思いました。
<蛇足2>
「冷たいようですが、命が失われるのが決まっているのなら、その前に、彼の口から情報を聞き出す必要があります。具合を見ながらでけっこうですから、覚醒できるかどうか試してください。」(下巻256ページ)
時代を反映しているのでしょうか?
いくら重大なことであっても、このような状態で病人・怪我人から無理やり事情聴取をしようというのは、今では無理でしょうね......
<蛇足3>
「しかも、〈双面獣〉を大量に産むだけの医学的あるいは生物学的技術が確立すれば──今でいうクローン技術ですが──兵力の補充の心配もなくなるわけです」(下巻307ページ)
この作品の時代に、クローンという語が一般的だったのかなぁ、とちょっと不思議に思いました(事実関係は未確認です)。
クローンという語は、世界初のクローンである羊ドリーが誕生した1997年くらいから広まった語のように思いましたので。
タグ:二階堂黎人
冬空トランス [日本の作家 な行]
<カバー裏あらすじ>
少女はなぜ4階のこの教室から飛び降りなければならなかったのか? 撮影不可能な映像はいつどうやって撮られたのか? タイムリミットは一晩。絶体絶命の完全密室から、脱出することはできるのか? 屋上観覧車、校舎、放送室……様々な場所に仕掛けられた難解トリックに “可愛すぎる名探偵” 樋口真由が挑む。文庫書き下ろし「『消失グラデーション』真の解決編」も収録した、横溝賞〈大賞〉受賞作家、真骨頂の学園ミステリ決定版!
2023年9月に読んだ6作目(8冊目)の本です。
長沢樹「冬空トランス」 (角川文庫)。
横溝正史賞受賞作であるデビュー作「消失グラデーション」 (角川文庫)(感想ページはこちら)からスタートし、「夏服パースペクティヴ」 (角川文庫)(感想ページはこちら)と続編(?) が書かれたシリーズの第3作で、4編収録の短編集です。
amazon のページに各話の紹介文があったのでつけておきます。
「モザイクとフェリスウィール」
動画投稿サイトで注目を集める天才は、絶対に撮影不可能な、驚異の映像を生み出した。果たしてどのような手段で撮られたものなのか。超難関の挑戦を受けた、遊佐渉の答えは?
「冬空トランス」
少女はなぜ4階のこの教室から飛び降りなければならなかったのか? 状況は手首を切って自ら飛び降りたことを示している。しかし、真由は即座に疑念を呈す――自殺とは思えない。
「夏風邪とキス以上のこと」
完全に閉じ込められた。だが状況は単純だ。縦5m、横4m、高さ3.5mの空間から脱出すればいい。タイムリミットは一晩。追い込まれた真由、決死のリアル脱出ゲームが始まる。
「わがままなボーナストラック」
あの衝撃の消失事件の主役・網川緑の目撃情報が!? 文庫書き下ろしの『消失グラデーション』真の解決編
香山二三郎の解説にもある通り、時系列的には
「モザイクとフェリスウィール」
「夏服パースペクティヴ」
「冬空トランス」
「消失グラデーション」
「夏風邪とキス以上のこと」
「わがままなボーナストラック」
という順番となります。
非常に気を使った書き方がされてはいるものの、それでもこれまでの作品のネタバレにつながりかねない部分は多々あり、かつ登場人物たちの結びつき具合が与える影響がとても大きいので、すくなくとも「消失グラデーション」は先に読んでおいた方がよいと思います。
「消失グラデーション」は極めて優れたミステリなので、この「冬空トランス」 (角川文庫)を読む気がない方でも、ぜひお読みください。
それにしても、「消失グラデーション」で始まった作品世界が、ここまで広がり深化するとは。
「モザイクとフェリスウィール」は、遊佐渉が樋口真由を見つけるまでの話。
映像から突き止める、という、文章ではなかなか難しいところに挑んでいます。
(真由たち登場人物は、渉も含めて映像を嗜んでいるという設定なので、自然な流れではあるのですが)
「冬空トランス」は、シリーズで繰り返し出てきた、樋口真由の転校について、そのきっかけを描いているものと思われます。
この作品で使わているトリック(?)、個人的にイメージがつきづらかったのですが、実際にその現場にいたとすると圧倒されるような気もします。
作中終盤の真由の行動は気持ちはわかるものの行き過ぎだと思いましたが、これも当事者ゆえの感情の爆発で、それほどまでに......ということなのだと理解しました。
「夏風邪とキス以上のこと」は、このトリックというか仕掛けはうまくいくのだろうか? と思いましたが(なんだかんだいっても、学校の建物なんてそんなに緻密には造られていないと思うので。もっとも私立学校という設定なので贅沢に作られているのかもしれません)、放送室のスタジオからの脱出という知恵比べ的な部分はとても面白かったですし、敵役が真由を追い込んでいく手つきは憎たらしいほどで、脱出直後のシーンを想像すると真由の強靭さと屈辱の凄まじさが恐ろしい。
タイトルのキス以上のこと、というのは、渉が真由にキス以上のことを求めたことから来ていますが、途中で、
「更に問題を複雑化させているのは、この程度のことを、遊佐渉が気づかないはずがないということだ。その上で、遊佐は自分を放置している。このまま密室から抜け出せなければ遊佐との約束が果たせなくなる。遊佐はそれを承知で手を出さないのか──ヒカルの仕掛けたゲームに便乗して、本気でキス以上のことを狙っている? 由々しき事態だった。もっと優しく接していればよかったのか?」(291ページ)
というところでは、真由には申し訳ないですが、笑ってしまいました。
「わがままなボーナストラック」は、『消失グラデーション』真の解決編とありますが、ミステリ的な解決編というよりは、物語としての完結編といった趣です。
ワタルの正体を含め、これまでの諸作を微妙にずらしてみせる手際がとても興味深かったです。おもしろい。
シリーズはこのあと出ていないようですが、なんらかのかたちで、また渉、真由たちと出会いたいですね。
このシリーズ、どの登場人物も癖のある、かつ推理力に長けた人物として設定されており、丁々発止的なやり取り含め、読んでいてとても楽しいですから。
<蛇足>
「中を改め、女性の名が椎野小和であることが判明した。」(165ページ)
ルビがふっていないので、「小和」って何と読むのだろう?と思いました。
さわ、とか、こより、とか読むようです(ほかにも読み方はあるようです)。
他の読み方が考えられないようなケースを別にして、人名には初出時にルビが欲しいな、と思ったりしたのですが、考えてみればこの ”消失”シリーズにそれを望んではいけませんでしたね(笑)。
ファイナル・ゼロ [日本の作家 な行]
<カバー裏あらすじ>
南米のコカインを駆逐せよ! ホワイトハウスから命を受けた退役将軍バーンズは、作戦の遂行を宿敵にして最良の友、那須野治朗に託す。那須野はキューバへ飛ぶが、愛機「ネオ・ゼロ」は敵に爆破されてしまう。絶体絶命の窮地の中、那須野とチーム・ゼロのメンバーは賭けに出る。伝説のパイロット、ぶれない男の生きざまの物語、ついにクライマックス。発表から25年冷めない熱。シリーズ感動の最終話。
2022年1月に読んだ3冊目です。
鳴海章の復刊されたゼロ・シリーズ第4弾にして最終作。
「ゼロと呼ばれた男」 (集英社文庫)(感想ページはこちら)
「ネオ・ゼロ」 (集英社文庫)(感想ページはこちら)
「スーパー・ゼロ」 (集英社文庫)(感想ページはこちら)
に続く作品です。
このあと「レジェンド・ゼロ1985」 (集英社文庫)という作品が2021年に出版されていますが、シリーズなのかどうか確認していませんが、タイトルからして前日譚という位置づけなのかなと考えています。
ちょっと引用したあらすじは、先までストーリーを明かしすぎですね......
「ネオ・ゼロ」をめぐる攻防は物語の大きな要素なのに。
今回は部隊がほぼほぼ中南米で、目標はペルー。
この物語では、ペルーの大統領はフジタ。両親が第二次世界大戦の直前に熊本からペルーに入った日系一世で本人は日系二世(85ページ)。これ、どうみても実在のフジモリ大統領を思い起こさせますね。
「反政府勢力の資金源であるコカイン市場を席巻し、ゲリラ組織を根本から叩き、次いでコカイン売買で得た金を軍の強化と政治基盤の拡充にあてる。さらにドルを獲得して国内市場に投下することによってインフレに歯止めをかけ、最終的には、安定した財源をベースにエネルギー資源開発を進めることまでを目的としている。」(87ページ)
描かれる政治手法も近いような。もっともコカイン・ビジネスにまで手を染めていたとは思いませんが。
そして、そのフジタと手を組んでいるのが日本商社の財閥系総合商社。こちらも利権があるとはいえ、コカインまでやるとは思えませんが。
主要人物として、那須野(ゼロ)にあこがれていたという元自衛官が出てきます。
彼のキャラクター、結構気に入ってしまいました。
那須野の口から「好きな女」の話を聞きだすという大手柄(!)。
例の亜紀の写真を持ち歩いているというのですから、
「ずっと持ち歩いているんですか?」
「捨てる理由がなかった」(267ページ)
那須野もなかなかです。
「やはり私はあなたを追いかけて正しかったと思いますよ」(419ページ)
なんということもないセリフですが、物語終盤にふさわしくていいですね。
エチケットとしてエンディングには触れないこととしますが、ゼロシリーズの終着点として、ああ終わったんだな、という感慨を抱きましたが、同時に、このエンディングでよいのだろうかと思いました。
ゼロと呼ばれた那須野に似つかわしいといえば似つかわしいのですが、一方で、まったく似合っていないとも言えます。
魔術王事件 [日本の作家 な行]
<カバー裏表らすじ>
函館の実家に伝わる3つの家宝のうち〈炎の眼〉を持ち出した銀座のホステス・ナオミ(=宝生奈々子)を大胆なトリックで殺害した殺人鬼「魔術王」メフィストは、残る〈白い牙〉〈黒の心〉を狙って宝生家の縁者を襲う。奇術道具の回転ノコギリが芝原悦夫の婚約者を切り刻み、宝生貴美子は連れ去られる──。<上巻>
貴美子の恋人・竜岡に銃殺されたはずのメフィストが生きていた!? 誘拐された伸一少年のバラバラ死体が届き、当主らが見守る邸内で〈白い牙〉は盗まれる。榎本武揚ら旧幕臣が隠した埋蔵金をめぐる因縁と宝生家の忌まわしき過去が封印を解かれるとき、名探偵・二階堂蘭子が不死身のメフィストを追い詰める!<下巻>
2022年8月に読んだ7作目(冊数でいうと7冊目と8冊目)の本です。
二階堂蘭子が探偵役をつとめる長編第7作です。
「エドウィン・ドルードの謎」に挑んでいるのも重要なポイントなのですが、「エドウィン・ドルードの謎」を読んでいないので、そちらについては留保しなければなりません。
二階堂黎人らしい、通俗探偵小説を模した本格ミステリ。
あらすじをご覧いただいただけでも十分お分かりいただけると思いますが、ミステリが洗練されてきた道筋をあえて逆行するかのような作風です。
(ここで「江戸川乱歩風の」と書こうとして、江戸川乱歩の通俗物の内容をすっかり忘れてしまっていることに気づきました。ぼくのイメージの中の江戸川乱歩の通俗ものがちょうどこういう感じなのです)
「警察は守らなければならない人間を守れなかったのだ。殺人鬼の用いた摩訶不思議な奇術の前に、警察の人海戦術はみごとに敗れたのだった。」(上巻426ぺージ)
と簡単に犯人に出し抜かれる警察。
「芸術を創造するのは一個の天才だが、皮肉なことに、それを評価するのは凡庸な一般大衆である。彼らの称賛の大小が、物事の芸術性を決定する。俺は、俺が作り出した殺人芸術の美を、多くの人間に理解されたいと願っているのさ。それ故に、君に期待することがたくさんあるのだよ、蘭子君」(下巻290ページ)
と言ってのける犯人。
「あまりと言えば、あまりに突飛な奇術のアクロバットだった。」(下巻291ぺージ)
と評される真相解明シーン。
今のミステリが置いてきたものを取り戻しています。
二階堂黎人といえば、トリックも注目点ですが、今回のトリックはどうでしょうか。
二階堂黎人にしては小粒(こんなに長大な長編ですが)かと思いますし、いくつか無理も目立ちます。
たとえば下巻428ページで明かされるトリックは、たちどころに気づかれてしまうように思えてなりませんし、下巻452ページで「とびっきりの魔術」と二階堂蘭子がいうトリックは、確かにとびっきりでミステリ的にはとても魅力的なトリックなのですが、現実の警察の前には無力な気がします。
大仰な表現とかいかにもなトリックとか、こういうのを楽しむにはこちらが歳を取りすぎたようで、もっと早く読んでいればな、と強く感じました。
同時に、ここまで通俗的にしなくてもよいので、元の作風に戻ってくれれば、とも。
<蛇足>
「坂下警部、皆様、お仕事中失礼いたします。貴美子お嬢様が、坂下警部様にお話があると申しております。客間の方まで、お越しいただけませんでしょうか?」(上巻541ページ)
執事の言葉というものに対しては、東川篤哉の「謎解きはディナーのあとで」 (小学館文庫)(感想ページはこちら)シリーズの感想で文句をつけていますが、敬語は難しいですよね。
ここの「申しております」にも違和感を感じたのですが、これが正しい言い方なのですよね。
つい「おっしゃって」とここにも尊敬語を持ってきてしまいそうです。
タグ:二階堂黎人
空白の叫び [日本の作家 な行]
<カバー裏あらすじ>
退屈な日常の中で飼いならしえぬ瘴気を溜め続ける久藤。恵まれた頭脳と容姿を持ちながら、生きる現実感が乏しい葛城。複雑な家庭環境ゆえ、孤独な日々を送る神原。世間への違和感を抱える三人の少年たちは、どこへ向かうのか。少年犯罪をテーマに中学生たちの心の軌跡を描き切った衝撃のミステリー長編。<上巻>
それぞれの理由で、殺人を犯した三人は少年院で邂逅を果たす。しかし、人殺しのレッテルを貼られた彼らにとって、そこは想像を絶する地獄であった……。苛烈ないじめを受ける久藤は、混乱の中で自らを律し続ける葛城の精神性に強い興味を持つ。やがて、少年院を出て社会復帰を遂げた三人には、さらなる地獄が待ち受けていた。<中巻>
社会復帰後も失意の中にいた久藤は、友人水嶋の提案で、銀行強盗を計画し、神原と葛城にも協力を依頼する。三人は、神原の提案で少年院時代の知り合いである米山と黒沢にも協力を依頼する。三人の迷える魂の彷徨の果てにあるものとは? ミステリーで社会に一石を投じる著者の真骨頂と言える金字塔的傑作。<下巻>
貫井徳郎の本を読むのも久しぶりです。
2014年1月に読んだ「ミハスの落日」(感想ページはこちら)以来ですね。
だいたい刊行順に読みたいという変な癖を持っているので、上中下三巻にもなるこの
「空白の叫び」 (文春文庫)は少々手を出しづらかったということもあります。
思い切って2022年5月に手を出したのですが、かなり集中して読みました。一気読みに近い。
ミステリ色は控えめなのですが、十分面白かったです。
上巻で、主要登場人物である三人の中学生が殺人に至るまでを描いています。
家庭生活、学校生活がしっかり描かれます。
興味深いのは久藤と葛城の二人は三人称で描かれるのに対し、神原のパートは一人称「ぼく」で綴られることです。
読んでいて、一人称「ぼく」で語られる神原のパートにいちばん不穏なものを感じました。
久藤のパートで、早々にキーワード「瘴気」が出てきます。
上巻51ページに初めて出てきた後、かなり頻繁に登場する単語となります。
三人の中では、葛城のエピソードに最もひきつけられました。
中巻では舞台は少年院に移り、三人が巡りあいます。
少年院あるいは刑務所での生活というのは、ミステリではわりとよく見かけるシーンですね。本書もその流れを受け継いだものとなっています。
久藤が、葛城や神原のことを考え、想像しているシーンが多くあり、かなり考えさせられます。
「葛城は一見優等生ふうで、いかにも頭がよい生徒といった見かけだが、裡に何かを秘めているのが久藤には感じられた。葛城の中には“飢え”がある。何不自由ない環境の中で育ったと話には聞くが、だからこそ葛城は飢えているのだ。」(中巻155ページ)
注目は
「辛いのは、感情があるからだ。感情がなくなれば、辛いとも寂しいとも思わないよ」
「植物になりたいよな。何があっても動じない、植物になりたいよ」(中巻153ページ)
という葛城の(神原に告げた)セリフですね。
少年院の暮らしの中で葛城は苦境に陥り、それを見た久藤がこう想像します。
「葛城は自らを捨てたかったのかもしれない。葛城が捨てたい自分とはなんだったのか、大して言葉を交わしたわけでもない久藤にはわからない。わかるのはただ、葛城が望みどおり己を捨て去り空白になったということだけだ。空白の人間に、屈辱感などないだろう。」(中巻238ページ)
下巻では、少年院からでても救われない久藤が、一発逆転、銀行強盗をしようとします。
葛城と神原を巻き込んで。
この銀行強盗のアイデアが素晴らしい。
読んだ方は、この手があったか、と驚かれると思います。
銀行強盗というのは成功するのが極めて難しい犯罪だと思われるのですが、非常に鮮やかな手口と言ってよいと思います。
物語は、三人以外のものを引き入れてしまったことで、(いろいろな意味での)破滅を迎えます。
神原のパートは最後まで一人称です。
「人を殺し、その代償として弱肉強食の世界に放り出されたぼくたちは、おとなしい山羊たちを食らうことになんの躊躇も覚えない。弱い者を踏みつけていかない限り、ぼくたちに生きる道はないのだ。恨むとしたらぼくたちではなく、自分の弱さを恨むがいい。」(下巻315ページ)
という独白の恐ろしいこと。
三者三様のエンディングを迎えますが、やはり葛城が印象に残っています。
「もはや葛城は空白ではなかった。果たさなければならない義務を負った者の前には、進むべき一本の道が拓けている。」(下巻440ページ)
すっきりしないラストはあまり好みではないのですが、それでも十二分にいい作品だと思いました。
貫井徳郎の作品は面白い。
タグ:貫井徳郎
スーパー・ゼロ [日本の作家 な行]
<カバー裏あらすじ>
その戦闘機には死角が存在しない。脳に直接アクセスする電子装置を兵器に運用しようとする危険な野望。米空軍の暴走を阻止すべくチーム・ゼロのメンバーが再集結するが、作戦を実行できるのはあの男しかいない。日本で唯一の撃墜マークを持つパイロット、那須野治朗。人智を超えたシステムを相手に、伝説の戦闘機乗りは賭けに出る。脳科学の進化を四半世紀前に予見していた伝説の航空小説第3弾。
2021年10月に読んだ3冊目です。
鳴海章の
復刊されたゼロ・シリーズ第3弾。
「ゼロと呼ばれた男」 (集英社文庫)(感想ページはこちら)
「ネオ・ゼロ」 (集英社文庫)(感想ページはこちら)
に続く作品です。
前作「ネオ・ゼロ」に盛り込まれた先端技術をさらにさらに推し進めたような技術が登場します。
新しい零戦だったネオ・セロをさらに進めるから、スーパー・ゼロなのでしょうが、こちらは米軍のもの。
それにどう対抗していくのか、という物語。
ちょっと那須野が超人すぎるきらいがありますが、そうでなくては物語が成立しないでしょうし、そこはOKでしょう。
気になったのは、この技術を開発する科学者シンシアのパートにそれなりに筆が割かれていること。
これはこれで有意義なパートで面白く読めるのですが、航空機乗りの活躍で血湧き肉躍るゼロ・シリーズという文脈からは一歩ずれたところで物語が進展していくので、気になります。
そのせいか、ページ数も増えてきたような。
これがエンターテイメントの成熟というものでしょうか。
次の「ファイナル・ゼロ」 (集英社文庫)が復刊された四部作のラストです。
楽しみです。
<蛇足>
「脳に直接電気刺激ですか?」バーンズはうなった。「あまりぞっとしないな」(19ページ)
「ぞっとしない」、ここではどういう意味で使われているのでしょう?
世間的に「ぞっとする」という意味で使われることもあるようですが、もともと「おもしろくない」あるいは「感心しない」という意味なのですが。