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64(ロクヨン) [日本の作家 や行]


64(ロクヨン) 上 (文春文庫)64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)
64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

  • 作者: 横山 秀夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/02/06
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
元刑事で一人娘が失踪中のD県警広報官・三上義信。記者クラブと匿名問題で揉める中、〈昭和64年〉に起きたD県警史上最悪の翔子ちゃん誘拐殺人事件への警察庁長官視察が決定する。だが被害者遺族からは拒絶され、刑事部からは猛反発をくらう。組織と個人の相克を息詰まる緊張感で描き、ミステリ界を席巻した著者の渾身作。<上巻>
記者クラブとの軋轢、ロクヨンをめぐる刑事部と警務部の全面戦争。その狭間でD県警が抱える爆弾を突き止めた三上は、長官視察の本当の目的を知り、己の真を問われる。そして視察前日、最大の危機に瀕したD県警をさらに揺るがす事件が──。驚愕、怒涛の展開、感涙の結末。ミステリベスト二冠、一気読み必至の究極の警察小説。<下巻>


2023年11月に読んだ最初の本です。
横山秀夫の「64(ロクヨン) 」(上) (下) (文春文庫)
ミステリが好きとか言いながら、未だ読んでいなかったのかよ、と言われそう。
「このミステリーがすごい! 2013年版」 第1位
週刊文春ミステリーベスト10 第1位
もう10年前の作品なのですね。

未解決事件としてD県警にのしかかる、十四年前、昭和64年に発生した少女誘拐殺人事件、64(ロクヨン)。
D県警内部の、刑事部と警務部の対立。ひいては、県警と中央との対立でもあります。
主人公は、刑事部出身(?) ながら警務部広報室の広報官三上。刑事に戻りたいと考えている。

オープニングは、三上が死体の身元確認に向かうシーン。失踪中の娘あゆみではないか、と。
別人でほっとし、広報の仕事に戻った三上を待ち受けているのは、交通事故の加害者の身元を匿名とした県警に対し抗議する記者たち。記者クラブとの仲がどんどん険悪になっていく。
うまくいかず悩む三上に赤間警務部長が命じたのは、警察庁長官の視察の下準備。D県警の抱える未解決事件であるロクヨンの被害者宅への往訪承諾の取り付けとその後の記者会見の段取り。
ところがロクヨンの被害者の父である雨宮は長官の訪問を拒絶する。
雨宮の拒絶の理由を探ろうとした三上は、同期で警務課の二渡がロクヨンをめぐって怪しい動きをしていることを掴む。
ここまででざっと100ページほど。
物語の重要な要素はすべて出尽くしているのですが、主人公の置かれている境遇と県警内部の組織の話がしばらく大半を占めるので、話の展開はミステリとしては遅めといってもよいでしょう。
それでも、部外者にはよくわからない警察内部の事情がしっかり説明されるので退屈したりは決してしません。

常に組織の論理に縛られ、組織対組織の考えが染みついていて、常に相手の思惑、動向に憶測に憶測を重ねる。
読んでいて、おいおい、と思うところも多々あるのだけれど、組織の中にいるというのはこういうことなのかも、とも思う。

タイトルがロクヨンで、それが長い間の未解決事件、ということで、それを広報部にいながら主人公が解決に導くという話なのか、と思いきや、そういう流れにはならず、ロクヨンはほぼ置いてけぼりで、主人公の娘の失踪と、県警内部の話──これ、当然なんですよね。主人公から見た重要度からして。
それでもロクヨンはD県警最大の未解決事件として、全体に大きな大きな影響を及ぼします。

下巻にはいって緊迫度も増し、組織対組織の争いがクライマックスへ向かう中、主人公をとりまく諸問題が一気に動き出す。
出てくる事象、問題それぞれ別であっても、要素要素で関係している流れになっているプロットがすごい。
謎解きとしてみた場合弱いところもあるのですが(この作品を謎解きものとして読んでいる人はいないとは思いますが)、そもそも作者は謎解きものを書くつもりもないでしょうし(横山秀夫は上質の謎解きが書ける作家という認識のうえです)、加えて、その部分も全体のプロットに奉仕する形になっていて、あえてそうしてるんだなとわかるようになっています。

以下極私的な感想ですが、組織対組織の物語って、どちらかの組織に肩入れした構造の物語でないと決着が難しいと思っているところ、この作品では主人公をどちらの組織にも足を突っ込んでいるという設定なのがポイントです。

登場人物それぞれの動きにもきちんと意味合いがあり、物語の中でここだという位置に配置されています。
扱われている事件・事態のなかには最後まではっきりしないもののあるのですが、それでも物語全体としてはすべて収まるところに収まり(居心地がよいかどうかにかかわらず)、物語として決着がつくのが壮観。

横山秀夫は面白い、すごいと言ったところで今さら感ありますが、あらためて認識しました。




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仮面舞踏会 [日本の作家 や行]


仮面舞踏会 金田一耕助ファイル17 (角川文庫 よ 5-17 金田一耕助ファイル 17)

仮面舞踏会 金田一耕助ファイル17 (角川文庫 よ 5-17 金田一耕助ファイル 17)

  • 作者: 横溝 正史
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 1976/08/27
  • メディア: 文庫


<カバー表紙あらすじ>
裕福な避暑客の訪れで、閑静な中にも活気を見せ始めた夏の軽井沢を脅かす殺人事件が発生した。被害者は画家の槇恭吾、有名な映画女優・鳳千代子の三番目の夫である。華麗なスキャンダルに彩られた千代子は、過去二年の間、毎年一人ずつ夫を謎の死により失っていた。知人の招待で軽井沢に来ていた金田一耕助は早速事件解決に乗り出すが……。構想十余年、精魂を傾けて完成をみた、精緻にして巨大な本格推理。


2023年10月に読んだ5冊目の本です。
横溝正史の「仮面舞踏会」(角川文庫)
先日読んだ、E・D・ビガーズ「チャーリー・チャン最後の事件」(論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)の解説に触発されて買いました。

横溝正史を読むのは、「犬神家の一族」 (角川文庫)(感想ページはこちら)以来ですね。
あれは2012年でしたから10年ぶり。
2012年は横溝正史生誕百十周年記念「期間限定 杉本一文 復刻カバーで発売!」ということで本屋さんに横溝正史の角川文庫が並んでいましたが、十年後の2013年は百二十周年ということで復刊含め展開されていましたね。
購入した「仮面舞踏会」は通常カバーでした。ちょっと残念。

横溝正史の本は、地元の図書館に角川文庫が揃っておりまして、小中学生の頃ほとんどすべて読みつくしているはずなのですが、例によって覚えていません。
今回読み返して、かなり強烈な話なので、どうして覚えていないのだろう? と不思議に思うくらいなにひとつ覚えていません。

登場人物が多いせいか、導入部分はちょっとモタモタした印象で、そこそこの厚さの本(597ページ)なのでこの調子だとつらいな、と思っていましたが、途中からちゃんと勢いがつきました。
「チャーリー・チャン最後の事件」を思わせるのって、元夫がいっぱいいるという設定くらいだなあ、と思いつつ読んでいたところ、読了してみればニヤリとできる箇所があって楽しい。

ミステリ的には結構大胆な仕掛け(トリックという感じではないと思います)を使っていまして、「チャーリー・チャン最後の事件」感想で触れた横溝正史の別の作品も連想して、またもニヤリ。

しかし、この作品の金田一耕助って真相にはたどり着きますが、あんまり推理した感じがしないですね。
真相解明シーンでも
「ここが金田一耕助の論拠の薄弱なところだったが」(563ページ)とか
「ここがまた金田一耕助の論拠の薄弱なところである。」(569ページ)とか、
「金田一耕助の説明はますます苦しくなってくる。これからかれの述べるところはいささか牽強附会に過ぎるようだが、しかし、金田一耕助はそれ以外に説明するすべをしらなかった」(569ページ)
とか書かれちゃう始末ですからね。
謎を解いた、というよりは、謎が(勝手に)解けた、という感じ──それが不自然でないようにストーリーが展開します。

このように謎解きとしては弱いところがあるうえに、話自体がとても強烈なので賛否は分かれそうです。
長い話とはいえ、肝心かなめの犯人像の書き込みが薄く感じられるのも弱点かなと感じます。
とはいえ、大胆な仕掛けを支える細かな人物の出し入れはさすがという感じがしますし(物語の前半部分で物語的には面白くても不要じゃないかなと思えた人物が後段できちんと活かされたり、金田一耕助がそれぞれの登場人物とかかわりあうタイミングが事情聴取のそれも含めいい塩梅だったり)、いいではないですか、こういうの。
ここまで完璧に忘れちゃっているのなら、横溝正史の傑作群を読み返すのもいいな、と思えてきました←いや、だから積読が嵩んでいるんだから、それどころじゃないでしょ、と自らにつっこみつつ。


<蛇足1>
「じぶんの書斎にはいった。そこは忠煕がデン(洞窟)と称しているところで」(41ページ)
マンションの広告などで間取りに DEN というのがあるので、それのことだな、と思って読んでいたところ、
「そこは飛鳥忠煕のいわゆる den 、すなわち洞窟である。」(268ページ)
と後にあり、まさに。

<蛇足2>
「若いころエジプトとウルで発掘に従事したこの元貴族は、ちがごろまた古代オリエントの楔形(せっけい)文字や、スメールの粘土板タブレットに、ひそかな情熱をかきたてられているらしい。」(20ページ)
ウルというのにピンと来なかったのですが、古代メソポタミア南部にあった古代都市で、いまのイラクにあるようですね。
あと楔形文字に ”せっけい” とルビが振ってあります。学校では "くさびがた"と習いましたが、音読みもするのですね。

<蛇足3>
「 早大野球部のグラウンドのとなりに、ドッグ・ハウスの林立している空地があった。」(79ページ)
犬小屋?? と思いましたが、キャンプ場にある簡素な建物をドッグ・ハウスと呼んでいたのですね。

<蛇足4>
「いまにして思えばあのとき電話に出ておけば、もっと取りとめたことが聞けたかもしれないと思ってるんですがね」(138ページ)
”取りとめない” と否定形ではよく使いますが、肯定形で使った例はあまり見ないですね.....

<蛇足5>
「それは警部さんチャクイですね」(386ページ)
金田一耕助のセリフですが、”ちゃくい” がわかりませんでした(前後から見当はつくのですが)。
「狡猾(こうかつ)である。ずるい。こすい。」というあたりの意味らしいです。

<蛇足6>
「ぼくは兄さんみたいに極楽トンボじゃありませんからね。根がセンシブルにできている」(407ページ)
”sensible” は ”分別ある、思慮深い” という意味で、これでも前後の意味は通らなくもないのですが、ここは "sensitive" (神経質な、ナイーブな) のほうがしっくりする気がしますね。

<蛇足7>
「ぼくがこのからだで六条御息所みたいに生霊になって、ヒュードロドロと現れたら、みんなさぞ驚くだろうな」(414ページ)
”みやすみどころ” と読むのだと思っていたら ”みやすんどころ” とルビが振ってありました。
”みやすみどころ” でもまちがいではないようですが、”みやすんどころ” のほうが一般的なようです。”みやすみどころ” とならった気がするんですけどね。
漢字変換でも ”みやすんどころ” だとすっと "御息所" が出てきますが、”みやすみどころ” では出てこないですね。

<蛇足8>
「それが怖うございますわね。」(462ページ)
「怖う」って何と読むのだろう?と止まってしまいました。
怖いの活用・音便だと思いますが、”こおう” と読むようです。いま使っても通じないかも。





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神曲法廷 [日本の作家 や行]


神曲法廷 (講談社文庫)

神曲法廷 (講談社文庫)

  • 作者: 山田 正紀
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/07/03
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
29人の死傷者を出した神宮ドーム火災事件。公判直前、東京地裁の密室で担当弁護士と判事が殺害された。やがてドームに被告の死体が。司法への挑戦か!? 「正義は果されねばならない」神の声を聴いた検事・佐伯は事件を追う。謎は失踪した異端の建築家が造るドームに!? ダンテの「神曲」が底に流れる新本格推理。


2023年7月に読んだ2冊目の本です。
山田正紀「神曲法廷」 (講談社文庫)
長らく積読にしていた講談社文庫版で読みましたが、2023年6月に徳間文庫から山田正紀・超絶ミステリコレクションの1冊として復刊されていますね。

山田正紀・超絶ミステリコレクション#7 神曲法廷 (徳間文庫)

山田正紀・超絶ミステリコレクション#7 神曲法廷 (徳間文庫)

  • 作者: 山田正紀
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2023/06/09
  • メディア: 文庫


山田正紀のミステリは堅固に作られていて、いつも面白く読み終わるのですが、個人的にはだいたい読みにくいのです。
今回の同様でした。文章のリズムが合わないのかな、と思います。

あれ? 神宮球場もドーム球場になったんだっけ? というとぼけた感想を抱いてしまったのは内緒。
読まれるとわかりますが、この内容で実在の建物を使うわけにはいかなかったのでしょうね.......

冒頭の序が、誰だかわからない視点人物が神宮ドームにいてダンテの「神曲」を想うシーンとなっています。
幻想的というか、幻惑的というか、そういうシーンです。

振り返ってみると、この序が全体を象徴するような部分になっていて、ある意味ネタバレに近い内容になっています。
ここで示される内容に合わせて、神宮ドームを、そしてこの作品全体を構築されたのでしょう。

その後視点は主として検察官佐伯神一郎に移ります。一部、ファーストフード店「ローカル・バーガー」で働いているシングル・マザーの青蓮(しょうれん)佐和子の視点が入ります。
この佐伯、精神を病んだという設定で、随所に
──なにかが外からおれを動かしている
という感覚を覚えたり、なにものかの声が聞こえたりします。
正直このあたりで「いやだな」と思いました。この種の設定は、作者が肝心なところで隠す、ぼかす、ごまかす等都合よく利用することができるからです。
しかし本書の場合、この設定は確かに作者に都合のいい側面もあることはあるのですが、神宮ドーム、あるいは「神曲法廷」という大伽藍を構築するために不可欠な要素として組み込まれているように感じました。
というのも、ネタバレ気味かもしれませんが書いてしまうと、ミステリには ”操り” というテーマがあるところ、この「神曲法廷」では、探偵までもが操られる対象で、そこに佐伯が位置している、と考えられるからです。最後のエンディングでの佐伯(とある人物)の扱いからそのことは裏付けられると思います。

扱われる個別具体的な事件はとても派手で、東京地方裁判所の建物内で殺人が連続して起こります。殺されるのは弁護士と裁判官。
現場は衆人環視のいわば密室状況です。
この裁判所での殺人事件は、小道具の使い方がとてもうまく印象的です。

一方で、このあと起こる事件も密室状況で自殺かと思われるのですが、こちらは
「ああ、大急ぎで断っておくのですが、シャワー室が密室だったというのは疑問でも何でもない。あんな単純な鍵、機械的なトリックでどうにでも操作できる。ぼくは、とりあえず〇〇を使うトリックを思いつきましたが、ほかに幾つもトリックが可能でしょう。密室なんかどうでもいい。」(610ページ)
と佐伯が言ってのけます。一応ここでぼくが明かすトリック部分は伏字(〇〇)としておきました。
確かにたいしたトリックではないのでしょうが、ミステリにおいて密室を出しておいてどうでもいいと言い切るとは豪胆だな、と思いますが、たしかに「神曲法廷」全体の構想から捉えると、ここでの密室はとても小さな要素にすぎません。

ダンテの「神曲」を読んでいれば、もっともっと深読みが可能なのかもしれませんが、未読ですので、的外れな読み方をしている可能性が大ではありますが、表面的に読んだにすぎないであろう読み方でも、壮大な狙いを感じ取ることのできる作品でした。



<蛇足1>
「人格的になにかと圭角のある佐伯は」(61ページ)
圭角──玉のとがったかど。転じて、言語や動作などがかどだっていて、人と折り合わないこと。気性が鋭く円満でないこと。かどかどしいこと。
知らない語でした。

<蛇足2>
「小体(こてい)な小料理屋や、焼鳥屋、昔ながらの八百屋、魚屋、それにしもたやなどが立ちならんでいる軒の低い街だ。」(104ページ)
小体、しもたや、となかなか懐かしい感じの語が使われています。

<蛇足3>
「名前は書かれていなかった。が、そのかわりに、そこにはびっしりと細かい字でこんな文章が記されてあった。

 襲いかかる狼どもの敵なる羔(こひつじ)として、私が眠っていたあのうるわしい欄(おり)から、私を閉め出す残忍に打ち勝つことあらば、」(115ページ)
これは、1枚の写真の裏面について書かれいている箇所です。
この程度の文字数では「細かい字でびっしり」とはならない気がします。
アマチュアのピンナップ写真という説明もありますが、ひょっとしてチェキのような写真だったのでしょうか?

<蛇足4>
「東郷はいらだっているようだ。当然だろう。自分が受け持っている公判がこともあろうに直前に弁護士が殺害されて延期になってしまったのだ。この日のために準備してきた努力がすべてふいになってしまった。」(129ページ)
少なくともこの段階では中止ではなく、延期なのですから「すべてふいになった」というのは適切ではない気がします。









タグ:山田正紀
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遠海事件 佐藤誠はなぜ首を切断したのか? [日本の作家 や行]


遠海事件: 佐藤誠はなぜ首を切断したのか? (光文社文庫)

遠海事件: 佐藤誠はなぜ首を切断したのか? (光文社文庫)

  • 作者: 詠坂 雄二
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2014/02/13
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
佐藤誠。有能な書店員であったと共に、八十六件の殺人を自供した殺人鬼。その犯罪は、いつも完璧に計画的で、死体を含めた証拠隠滅も徹底していた。ただ一つの例外を除いては──。なぜ彼は遺体の首を切断するに至ったのか? 遠海市で起きた異常な事件の真相、そして伝説に彩られた佐藤誠の実像に緻密に迫る! 気鋭の著者が挑発的に放つ驚異の傑作!


2023年4月に読んだ9冊目の本です。
KAPPA-ONE 企画に応募した「リロ・グラ・シスタ: the little glass sister」 (光文社文庫)でデビューした詠坂雄二の第二作です。

「リロ・グラ・シスタ: the little glass sister」は、独特の作風でした。
非常に硬質なイメージの世界観を、硬質な筆致で描き出していました。
向き不向きでいうと、個人的には文章が肌に合わないというか、読みにくさを感じていました。
ということで、以降出版される作品はなかなか手に取らなかったのですが、ふと気になってこの「遠海事件: 佐藤誠はなぜ首を切断したのか?」 (光文社文庫)を読むことに。

副題に「佐藤誠はなぜ首を切断したのか?」と麗々しく掲げているからには、首切り死体を扱っており、その点がセールスポイントということになります。
なぜ首を切ったのか、はミステリでは定番のテーマです。
この作品で提示される理由そのものは先例もあり、それほど驚きませんでした。
しかし、この形、佐藤誠の造型に落とし込んだ威力はすごい、と感嘆。

佐藤誠って、変な人物なのですが(まあ、連続殺人鬼ですから)、その造型に妙な説得力があるのです。
「とにかく世界に用意されたルールなんて大したものではないというか、個人には護りきれないものだって思ったんだ。ルールは自分が持っているものと重なって初めて護れるようになる。 ー略ー 仕事は、好き嫌いじゃなく、憧れとかも忘れて、自分のルールと重なるところのあるものを選ぶべきだって考えたわけさ」(138ページ)
という考え方とか、含蓄深いではないですか?

そこに「首切り」をはめ込んだとき、立ち上がってくる事件の構図は迫力満点でした。

文章は変わらず馴染みにくかったのですが、このような独特の世界は魅力的だと感じました。
他の作品も読んでみたいと思います。


<蛇足1>
「……そんな趣味があるのか」
「みすてりまにあなんすよ俺」(80ページ)
ひらがな表記のミステリマニアには、傍点が振られています。
でも、こういう書き方をする理由がわかりませんでした。

<蛇足2>
「佐藤の言葉を聞きながら、新村は自分の気付きへと尋ねていた。俺はどうだろう。書店員は性に合っているのか。」(140ページ)
もともと最近氾濫するようになった「気付き」という単語自体が好きではないのですが、ここの「気付き」は通常の使われ方と違うようで興味深いです。

<蛇足3>
「俺は本格書きとしてデビューしたんです。ですけどね……今時は昔なじみの本格なんて流行んねえんですよ。つうか、デビューした時でもうギリギリだったんすけどね。定義がどうの、語義拡散がどうたら、頭のいい人たちは新しい言葉作って語っちゃいますが」(233ページ)
作中の詠坂雄二のセリフです。
作中のセリフですから架空の話ではありますが、作者ご自身の率直な感想なのでしょうか?

<蛇足4>
以下、佐藤誠の考えが書かれたところです。
直接的なネタバレではありませんが、勘のいい方だと手がかりにはなってしまうと思いますので、気になる方はとばしてください。
「人間でいたいなら、殺してはいけない。
 他人を殺すのも人間性のうちだという主張は、あくまで闘争に限った話だと佐藤は思っている。彼我が対等である必要はないが、最低限たがいに殺意があり、叶うなら同じ目的──金銭、名誉、生存、なんでもいいがそういったものがあり、さらに殺される可能性を同意し合ったうえでの戦闘と生死なら、それはそれで立派な人類文化だ。
 だが私利私欲が動機で、しかも不意打ちから始めるような殺人は、人間性を謳えるような殺しではない。昆虫の捕食活動と変わらない。」
 佐藤は自分の殺しがそういったものであることを自覚していた。
 だから殺した屍体を同じ人間と見なしたことはないし、その処理にためらったことはない。純粋な疲労から手間取ったりしたことはあったにせよ。それが、早くしないと傷み、処理が難しくなるだけではなしに、犯罪の発覚を招いてしまう厄介な生ゴミだという以上の想いを巡らせたことはなかった。」(235ページ)





タグ:詠坂雄二
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折れた竜骨 [日本の作家 や行]


折れた竜骨 上 (創元推理文庫)折れた竜骨 下 (創元推理文庫)

折れた竜骨 上 (創元推理文庫)
折れた竜骨 下 (創元推理文庫)

  • 作者: 米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2013/07/12
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
ロンドンから出帆し、北海を三日も進んだあたりに浮かぶソロン諸島。その領主を父に持つアミーナは、放浪の旅を続ける騎士ファルク・フィッツジョンと、その従士の少年ニコラに出会う。ファルクはアミーナの父に、御身は恐るべき魔術の使い手である暗殺騎士に命を狙われている、と告げた……。いま最も注目を集める俊英が渾身の力で放ち絶賛を浴びた、魔術と剣と謎解きの巨編!<上巻>
自然の要塞であったはずの島で、偉大なるソロンの領主は暗殺騎士の魔術に斃れた。〈走狗〉候補の八人の容疑者、沈められた封印の鐘、塔上の牢から忽然と消えた不死の青年──そして、甦った「呪われたデーン人」の襲来はいつ? 魔術や呪いが跋扈する世界の中で、推理の力は果たして真相に辿り着くことができるのか? 第64回日本推理作家協会賞を受賞した、瞠目の本格推理巨編。<下巻>

2023年1月に読んだ8作目の本です。
日本推理作家協会賞受賞作。
「このミステリーがすごい! 2012年版」第2位
「本格ミステリ・ベスト10〈2012〉」第1位
2011年週刊文春ミステリーベスト10 第2位

「剣と魔法の世界を舞台とした特殊設定ミステリ」(巻末の単行本版あとがきより)です。背景は「十二世紀末の欧州」。
このあとがきの中に「ハイファンタジー」という語が出てきます。森谷明子による解説にも「ハイ・ファンタジー」(両者で表記が違うのがおもしろいですね)が出てきます。
ファンタジーはあまり読まないので調べたところ、異世界を舞台とするものがハイ・ファンタジーで、現実的な世界を舞台とするものがロー・ファンタジーということのようです。現実世界との飛翔度の高低によりハイ、ローと分けているようですね。
この「折れた竜骨」 (創元推理文庫)の作品世界は、十二世紀末の欧州とのことながら、魔法・魔術が存在し、眠ることも死ぬこともない呪われたデーン人がいる世界なので、ハイ・ファンタジーですね、きっと。

事件は領主が殺されるというもの。
暗殺騎士に魔術で操られた<走狗(ミニオン)>が実行犯で、<走狗>は「己の知識と力量を用い、当然のごとく標的を殺すのです。そしてそれを忘れてしまう」(上巻130ページ)とされている。
探偵役をつとめるのは、暗殺騎士を追ってやってきたトリポリの聖アンブロジウス病院兄弟団の騎士ファルクとその従士ニコラ。

デーン人が襲来するのに備えて傭兵を雇おうとしている状況下、ミステリとしては当然のことながら、特殊設定であるファンタジー世界のルールや魔法の様子はしっかり説明されます。
舞台となるソロン諸島の様子もとても趣深い。北海の厳しい自然環境にあるものの、位置を活かして活気のあるソロン諸島という設定がしっかり伝わってきます。

本格ミステリの尋問シーンというのは、とかく退屈なものになりやすいところなのですが、本書の場合は傭兵たちのキャラクターと異世界ものならではの異国情緒(と言うんでしょうか、こういう場合も)のおかげで、とても楽しく読めます。
そのなかに抜かりなく伏線が張り巡らされ、いよいよやって来たデーン人の襲来シーンのあとに(いうまでもないことですが、この戦闘シーンにも伏線が忍んでいます)、解決編が待っています。
この解決編がすばらしい。
聖アンブロジウス病院兄弟団の作法に則った儀式(セレモニー)として、名探偵が関係者を一堂に集めての犯人限定ロジックを駆使した謎解きシーンがあるのです。
このワクワク感、本格ミステリ好きの方ならわかっていただけるのではないかと。

突き止められる真犯人は、それほど意外なものではないのですが、ミステリの世界ではある定型を踏まえたものである点は注目だと思いますし、異世界設定そのものがこの犯人を成り立たせるために役立っている点が美点だと思います。

このあと異世界ものは書かれていないようですが、また書いてほしいです。


<蛇足1>
「ぼくはここから出たら、泳いででもデンマークに帰ろうとするでしょう。あの懐かしいフィヨルドに。」(上巻91ページ)
囚われの呪われたデーン人のセリフですが、デンマークにフィヨルド?と思ってしまいました。
ついフィヨルドというとノルウェーを想ってしまうからです。
われながら認識不足も甚だしいですね。デンマークにも有名なフィヨルドはあります。

<蛇足2>
「真実と偽りを見分けるのに、決闘という手段が選ばれることがある。」「口で偽りを並べ立てる卑劣な男は、武器を取っても卑劣な戦いしかできない。そして神は正しき者の味方をしてくださる。決闘は神聖な裁判で、勝者の言こそが真実なのだ。」(上巻262ページ)
いわゆる決闘裁判ですね。
「しかしだからといって、壮健な男と腰の曲がった老人が戦うことまでも公正だとは言えない。決闘ではしばしば、訴人の親族が代わりに戦う。
 さらに、ときには血の繋がりのない人間を雇って戦わせることさえあるという。この、金を受け取って決闘を行う戦士が、決闘士と呼ばれる。」
と続くのですが、こちらは知りませんでした。すごいシステムですね。



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風よ僕らの前髪を [日本の作家 や行]


風よ僕らの前髪を

風よ僕らの前髪を

  • 作者: 弥生小夜子
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2021/05/10
  • メディア: 単行本

<カバー袖あらすじ>
早朝、犬の散歩に出かけた公園で、元弁護士の伯父が何者かに首を絞められて殺害された。犯人逮捕の手がかりすら浮かばない中、甥であり探偵事務所勤務の経験を持つ若林悠紀は、養子の志史を疑う伯母の高子から、事件について調べてほしいと懇願される。悠紀にとって志史は親戚というだけでなく、家庭教師の教え子でもあった。中学生の頃から他人を決して近づけず、完璧な優等生としてふるまい続けた志史の周辺を調べるうちに、悠紀は愛憎が渦巻く異様な人間関係の深淵を除くことになる。圧倒的な筆力で選考委員を感嘆させた第30回鮎川哲也賞優秀賞受賞作。


2022年9月に読んだ12冊目の本。単行本です。
第30回鮎川哲也賞優秀賞受賞作。
このときの正賞受賞作は千田理緒「五色の殺人者」(感想ページはこちら

養母から養父殺しを疑われる少年立原志史(しふみ)──少年といっても大学四年生なのですが──という設定からして不穏なのですが、調査を進める悠紀の前に現れてくる志史の交友関係、人間関係。
ホームレス状態だった志史の実父が建築現場の足場から飛び降り死。警察の捜査では実父が養父を殺したようで。建築現場の建築主は小暮理都(りつ)。志史の中学時代の友人で互いに通じ合っているように傍からは見えていたのだが、中学三年生の時に絶交していた。理都の家庭も複雑な事情をはらんでいたことが次第に判明し......
とこのような流れで物語は展開していくのですが、 ネタを割らないように気を付けて書いたつもりでも、これだけ読めば大方の読者には、作者の用意した真相の筋書きが予想できてしまうと思います。しかも、わりとよく見るパターンの物語。
あまりにも物語のネタが割れやすい。ミステリとしてみれば大きな欠点だと思います。

帯に
これは罪と罰、そして一生終わらない初恋の物語だ。
 才能と環境に恵まれた二人の少年。
 その周辺では不審な死が相次いでいた────」
とあって、読後、いくらなんでもネタを割りすぎだろう、と感じたものですが、この作品はミステリとして謎解きを楽しむよりも、別の面を見るべき作品だと思われるので、これでよいのかもしれません。

ミステリとしてみれば、ネタが割れやすく、かつ、登場人物たちの置かれた状況や年齢を考えると、スッキリしない部分も残るので決して高く評価はできないと思います。
この点だけを捉えれば、正賞ではないとはいえ、鮎川哲也賞の優秀賞を受賞したのが不思議なくらいです。

ところが、です。
この作品は面白かったです。
読んでいただければわかりますが、主役二人が鮮烈に印象に残ります。

タイトルは、理都が高1のときに文芸部の作品集に書いた短歌からとられています。
「風よ僕らの前髪を吹きぬけてメタセコイアの梢を鳴らせ」(130ページ)
「翼の墓標 十首」と題されたうちの一首ですが、他の九首もなかなか味わい深いです。

この二人の存在が、ミステリとしての不満を吹き飛ばしています。
だから、ミステリの要素はもっともっと薄めにして、それ以外のエピソードに極力絞ったほうが良かったのではなかろうかと思いました。
鮎川哲也の名を冠した賞であることを考えると残念ではありますが。


<蛇足>
「それで私が立ち読みしてたほんの話でもりあがって。北欧のホラー作家の短編集だったんですけど、志史くんもその人の小説が好きだって……」(25ページ)
ここでいう北欧のホラー作家って、誰でしょうね?
文庫になっている、という手がかりもあるのですが、わかりませんでした。





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私のサイクロプス [日本の作家 や行]


私のサイクロプス (角川文庫)

私のサイクロプス (角川文庫)

  • 作者: 山白 朝子
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/02/23
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
書物問屋で働く輪は、旅本作家・和泉蝋庵と彼の荷物持ち・耳彦と未踏の温泉地を求める旅に出ては、蝋庵のひどい迷い癖のせいで行く先々で怪異に遭遇していた。ある日山道で2人とはぐれてしまった輪は、足をすべらせて意識をうしなう。眠りからさめると、背丈が輪の3倍以上あるおおきな男が顔をのぞきこんでいた。心優しき異形の巨人と少女の交流を描いた表題作を含む9篇を収録した、かなしくておぞましい傑作怪異譚。


2022年9月に読んだ1冊目の本です。
「エムブリヲ奇譚」 (角川文庫)(感想ページはこちら)から続くシリーズ第2弾。

この「私のサイクロプス」 (角川文庫)には
「私のサイクロプス」
「ハユタラスの翡翠」
「四角い頭蓋骨と子どもたち」
「鼻削ぎ寺」
「河童の里」
「死の山」
「呵々の夜」
「水汲み木箱の行方」
「星と熊の悲劇」
の9編収録です。

旅本作家の和泉蠟庵が狂言回しをつとめます。蠟庵のお伴(荷物持ち)をつとめるのが、博打好きの耳彦で、蠟庵のお目付け役が書物問屋で働いている輪。
旅先で怪異に出会うというのが基本のフレームワークです。
 
「私のサイクロプス」ははぐれた輪の経験談で、出会ったサイクロプス(キュクロープスとも呼ばれる、ひとつ目の神)の話。最後に一寸法師の逆で大太郎法師と呼ばれているのをだいだらぼっちと聞き間違うエピソードが象徴的ですね。

「ハユタラスの翡翠」のハユタラスというのは海のむこうにあると言われている国の名前で、海辺に落ちている翡翠はハユタラスの人々の持ち物だから持ち帰ってはいけないという言い伝え。耳彦が翡翠と知らずに拾った指輪を身に着けてしまって......

「四角い頭蓋骨と子どもたち」は、ある村に辿り着いてしまった蠟庵たちに、四角い頭蓋骨がどうしてできたのか、が語られるのですが、非常におぞましい。

「鼻削ぎ寺」は、坊主になりすましている鼻削ぎ平次という通り名の悪党にとらわれてしまった耳彦の話。寺の蔵に監禁される。
「入棺の前には湯かんが行われるという。肉体を清めた後、白布で縫ったひとえの着物を着せる。棺に米を入れた白布の袋やわらじを入れる。家から棺を出す際は、いつもの出入り口は使わず、竹や葦で仮門を作ってそこから出すようにする。門前で火をたき、これを門火と呼ぶ。死者が再び家に帰ってこないようにするまじないであり、葬列の帰りに行きとは異なった道を通るのと同じ理由であるという。棺が墓地に到着したら、棺を左向きに三回転させ、死者の頭を北に向けて墓穴に埋める。喪主に続き、死者と血縁の濃い順に土をかける。」(121ページ)という葬式の手順を知り、「なんのこっちゃねえ、俺が殺した相手の鼻を削ぐのと一緒じゃねえか。死人が起き上がってくるのがこわいのさ。俺は自分勝手にしきたりを作って安心していたのかもな。」(122ページ)という平次のセリフにぞっとします。耳彦に何が待ち受けるのか。
ここまでの話だけでも恐ろしいのに、なんとか助かった耳彦が、蠟庵と輪と再会してからの一コマがまた怖い。

「河童の里」 は、河童を見世物にしている河童の里で耳彦が村の秘密を知ってしまいます。
154ページから語られる河童の作り方(!)にはびっくりしました。

「死の山」は、「目隠しヤマハおそろしいところです。山道でだれかに会っても、決して目を合わせたり、話しかけたりしてはいけません。声をかけられても、返事をしてはならないのです。怪異が起きても、気づかないふりをするのです。」(166ページ)という山を三人が行くという話。乙一らしく、というべきか、ミステリの技法が効果的に使われています。

「呵々の夜」は迷った耳彦がたどりついた民家で聞かされる怖い話。逃げ出した耳彦が温泉宿についたら、そこには蠟庵と輪がいて、助かったと安堵した耳彦だったが、そこへ民家の三人が来て...

「水汲み木箱の行方」には、死んでからも心臓だけが生き続ける父親が出てきます。この父親の腸は、母親が楽に井戸から水が汲めるように、井戸につながって木箱に至りそこから水が出る仕組みにもなっています。この木箱を盗もうとする温泉の女将がいて......

「星と熊の悲劇」では下りに向かうことのできない不思議な山に閉じ込められた三人。
興味深いのは、旅本が売れ行きが芳しくないという話が出ていること、また、不思議な山のエピソードに加えて、蠟庵の秘密が垣間見えること。そして最後には各地のこわい話や伝承を集めればいい、という流れになっていること。

これからもシリーズを楽しめるのでしょうか。


<蛇足>
「『入鉄炮出女』という言葉がある。」(6ページ)
江戸時代の言葉で歴史の授業で習いましたが、鉄砲ではなく鉄炮なのですね。






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厨子家の悪霊 [日本の作家 や行]


厨子家の悪霊 (ハルキ文庫―山田風太郎奇想コレクション)

厨子家の悪霊 (ハルキ文庫―山田風太郎奇想コレクション)

  • 作者: 山田 風太郎
  • 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
  • 発売日: 2022/07/24
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
子家夫人惨殺さる! 現場には右眼から血を滴らせた犬と、短刀を握りしめて立ち尽くす厨子家の長男・弘吉の姿が......。果たしてこれは厨子家に伝わる「悪霊」の所業なのか? さらにそこへ真犯人を名乗る者からの挑戦状が──。どんでん返しの連続で、読者に息つく間も与えぬ表題作をはじめ、単行本未収録作品『殺人喜劇MW』『天誅』、探偵作家クラブ賞受賞の名作『眼中の悪魔』『虚像淫楽』等七篇を収録。


2021年12月に読んだ3冊目の本です。
日下三蔵さん編集の短編集で「山田風太郎奇想コレクション」という副題がついていますが、ミステリを集めたものです。

収録作は
「厨子家の悪霊」
「殺人喜劇MW」
「旅の獅子舞」
「天誅」
「眼中の悪魔」
「虚像淫楽」
「死者の呼び声」
の7作。

日本探偵作家クラブ賞受賞作である「眼中の悪魔」「虚像淫楽」が傑作であることは当然かもしれませんが、7編ともいずれも優れた作品で、山田風太郎のミステリ作家としての腕を改めて見せつけられた思いです。

特に冒頭の表題作「厨子家の悪霊」がすごい。
「目の廻るほどドンデン返しをブン廻すことこそ作者の本領ではあったが」と作者が書いていたそうですが、圧巻という言葉はこの作品のためにあるように思えるくらい、圧巻のドンデン返しです。
作者はあまり強調していませんが、その中に足跡トリックが仕込んであります。
作者自身は出来栄えに満足されていなかったようですが、これは傑作だと思います。

「殺人喜劇MW」はタイトル通りコメディ(喜劇)ですが、黒い笑い、歪んだ笑いですね。

「旅の獅子舞」も皮肉な事件ですね。ここで使われているトリックは普通の作家だと大失敗作になってしまいそうですが、山田風太郎の手にかかると皮肉な小品に仕上がります。

「天誅」はどうやってこんなの思いついたの? と聞きたくなるような仕掛けで、冒頭から大陰嚢(おおきんたま)ですよ。お下劣で失礼しましたが、そういう作品なんです。

「眼中の悪魔」と「虚像淫楽」は、いろいろなアンソロジーにも採られている名作で、いろんなところで何度も何度も読んでいるのですが、毎回新鮮な気持ちで読んでいます。恐ろしいことに、内容をほとんど覚えておらず、毎回初読のようです。
今回もまっさらな気持ちで読みました。
これほどにきれいさっぱり忘れてしまっているのは、おそらく、読後まるで悪い夢を見ているような気分になってしまうからなのでしょうか。(いや、単にこちらの記憶力の問題かと)

ミステリということで落ちついて考えると、「眼中の悪魔」に出てくるある秘密は、もっとしっかりとした伏線がほしいとも考えてしまうところですが、この作品の狙いはそこにあるのではなく、解題にある通り「三段階の悪人」なわけですから、瑕とはいえません。むしろ、この「眼中の悪魔」こそが物語を悪夢に転じさせるトリガーとして効果を上げているようです。

「虚像淫楽」はSMを扱っているのですが、ポイントは当事者である夫婦とそれに加えて夫の弟である十七、八の少年の物語に、視点人物で治療にあたる千明医学士が関わってくることでしょう。
サディストなのかマゾヒストなのかという謎が、くるくると様相を変えていく様はまさに悪夢です。

「死者の呼び声」は構成が凝っています。
現実-手紙-手紙の中の探偵小説風の物語、と三層構造になっています。この構造が、解題で明かされている作者の三段階の悪人という狙い(ネタバレなので色を変えておきます)と呼応しているのがすごいところですね。

いずれも書かれたのがずいぶん前で、文章やセリフが今からしてみると時代がかって少々読みにくいのですが、そこがかえって物語の奥行きを感じさせるというか、山田風太郎独特の作品世界への呼び水となっているようです。
山田風太郎の作品は最近もまた新刊として書店を賑わしているので、どんどん読んでいきたいです。


<蛇足1>
「その最初の見せかけをひっくり返す槓桿(こうかん)としてあの仮面を利用するのだ。」(76ページ)
文脈から梃子という意味だとわかるのですが、槓桿、知りませんでした。

<蛇足2>
「弘吉はあの小屋の肥桶に水を満たした奴を二つ、一生懸命に運んで、傍の池に注ぎ捨てて来たのだ。」(77ページ「厨子家の悪霊」)
「それにみんなが一生懸命見ているのァ、お獅子の顔ばかりにきまっているから」(154ページ「旅の獅子舞」)
以前は目の敵にして指摘していた「一生懸命」ですが、昭和二十四年発表のこれらの作品で山田風太郎が使っていることをみるとずいぶん前から広まっていたのですね。

<蛇足3>
「作家や評論家のかくもののなかに、庶民とか大衆とかいう言葉やいやにふえてきたら、きっとそのくらしが庶民とかけはなれて豪勢なものになってきた証拠だとみていいようだわね」(117ページ)
ちょっとニヤリとしてしまうセリフですね。
政治家のいう「国民」も一緒でしょうね。

<蛇足4>
「つまり僕は『誰の子であるかということを知っているのは、その母親だけである』というあのストリンドベルヒの深刻な言葉を利用したのだ。」(217ページ)
『誰の子であるかということを知っているのは、その母親だけである』──なかなか深淵な言葉ですが、出所は知りませんでした。ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、スウェーデンの劇作家なのですね。

<蛇足5>
「とんでもございません……いえ、ただちょっと思い出しただけなんです」(250ページ「虚像淫楽」)
「とんでもございません」という表現も、かなり広まっているものの元々は間違いというのが通説のようですが、こちらも昭和二十三年のこの作品で使われているので、根強い表現ですね。





タグ:山田風太郎
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スマート泥棒 [日本の作家 や行]


スマート泥棒 (双葉文庫)

スマート泥棒 (双葉文庫)

  • 作者: 悠木 シュン
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2017/06/15
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
スマート泥棒――略してスマドロは、閑静な住宅街で白昼堂々、鮮やかな手口で盗みを働き、世間を騒がしている。物語は、ある主婦がスマドロの話題から、自分の半生をどこの誰ともわからぬ電話の相手に延々と喋り続けるシーンから始まる。新たな語り手が登場する度に、彼女をとりまく複雑な人間関係が見えてくる。パズルのようなミステリーの最終章に待ち受ける真実とは!? 第35回小説推理新人賞を受賞したデビュー作!


ちょっと感心できなかったので、厳しめの感想になっていますので、そういうのがお嫌いな方は今日のこの記事は飛ばしてください。

7月に読んだ最後の作品です。
小説推理新人賞を受賞した作品「スマートクロニクル」を筆頭に、短編を連ねて連作長編のかたちにしたものです。
こういうの、小説推理新人賞に多いですね。
有名なところでは、湊かなえの「告白」 (双葉文庫)ですね。

あらすじに
「新たな語り手が登場する度に、彼女をとりまく複雑な人間関係が見えてくる。パズルのようなミステリー」
とありまして、こういう構成でぱっと連想するのが伊坂幸太郎だと思うのですが、新人作家が挑むには、伊坂幸太郎は少々相手が悪いように思います。
伊坂幸太郎と比べると格段に落ちるなぁ、という感想になってしまいますから。

なによりつらいのが「複雑な人間関係」「パズル」に意外性がないこと。
ただただつながっているだけ。そう来たか、とか、そんなつながりがあったのか、というサプライズがあるわけではありません。
各話(各章)の終わりに人物相関図が掲げてあって、それが徐々に完成していく趣向があるのですが、それを観ても感興は沸きませんね。
むしろ、相関図があるがために、章が進んでいくにしたがって、こことここがつながってるんじゃないかな、と読者に見当がつきやすくなってしまっていてマイナスです。
新人の作品にこう申し上げては申し訳ないのですが、労多くして......という感じです。

また新人賞受賞作である「スマートクロニクル」で紹介される泥棒、「スマート泥棒」と呼ばれているのですが、スマートではないですよね。この手口。
むしろ泥臭くはないでしょうか。しかも成功率も低そう。
さらに語られる内容が、正直、グロテスク(な人間関係)。
かといって、いわゆるイヤミスを狙っているようにも思えません。

ただ、伊坂幸太郎ばりの構成を狙ったのは失敗だったと思いますが、独自の作風であることは間違いないので(好みの問題はあるにせよ)、違った構成の作品で勝負してもらえたらな、と思いました。





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名もなき星の哀歌 [日本の作家 や行]

名もなき星の哀歌

名もなき星の哀歌

  • 作者: 結城 真一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/01/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


<カバー裏側帯あらすじ>
裏稼業として人の記憶を取引する「店」で働く銀行員の良平と漫画家志望の健太。神出鬼没のシンガーソングライター・星名の素性を追うことになった悪友二人組は、彼女の過去を暴く過程で医者一家焼死事件との関わりと、星名のために命を絶ったある男の存在を知る。調査を進めるごとに浮かび上がる幾多の謎。代表曲「スターダスト・ナイト」の歌詞に秘められた願い、「店」で記憶移植が禁じられた理由、そして脅迫者の影--。謎が謎を呼び、それぞれの想いと記憶が交錯し絡み合うなか辿り着いた、美しくも残酷な真実とは?
大胆な発想と圧倒的な完成度が選考会で話題を呼んだ、
二度読み必至のノンストップ・エンターテインメント!


奥付が2019年1月の単行本です。
第5回新潮ミステリー大賞受賞作。
前回第4回は受賞作なしでしたので、第3回「夏をなくした少年たち」 (新潮文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)以来ですね。

新潮ミステリー大賞って、正直ぱっとしない作品ばかりが受賞しているなぁ、という印象だったのですが、この作品はおもしろかったですね。
ただ、突っ込みどころは満載なので、お勧めしにくいですが。

人の記憶を取引する「店」というのがポイントですよね。
特定の記憶を取り去ることができる、また特定の記憶を植え付けることもできる。
まず、このあまりに都合の良い設定を受け入れられるかどうかが評価の分かれ目でしょうか。

現実には到底あり得ない設定で、SFとしても無理が多い設定なので、(受け入れるのは)無理、という方も多いと思います。この設定のおかげで、現実的な物語ではなくファンシーな物語だとわかるので、細かいことを気にして突っ込むのもなぁ、と思えます。とはいえ、前述のとおり、突っ込みどころは満載で、もう、どこから突っ込めばいいのやら、という感じです。
記憶が簡単に出し入れできるので(それなりの手順は踏みますが、この程度で記憶が綺麗に出し入れできるなら簡単と言わざるを得ません)、正直、なんでもあり、の世界です。
なんでもあり、なので、そのなかでどのくらいおもしろい物語を展開してみせるか、が作者の腕の見せどころになると思いますが、かなり練られたプロットを楽しむことができました。
(記憶を出し入れできる、というのが設定ですので、偽りの記憶といえども、誰かが実際に経験した記憶に限られているわけですね。まったくゼロから新しい記憶を作り上げているわけではない。この違いに注目して物語を構築することもできるのかもしれませんね......)

個人的にはなによりボーイ・ミーツ・ガールの物語として楽しめたのがいちばんよかったですね。
良平と健太、そしてシンガーソングライターの星名に加えて、ツヨシの4名がいいですね。
どうして漫画家になりたいのか、という問いへの健太の答えが
「俺だけが知る物語の続きを世界が待ちわびている。もし、俺が死んだら永遠に物語の続きは闇の中なんだぜ。考えただけでもワクワクしてくるだろ?」(23ページ)
こういうキラキラした箇所があちこちにあります。
引き込まれました。
こういう話、好きです。
さらに個人的には、記憶が出し入れできるということで、ひょっとしてこういうお話なのかな、とうっすら想像していた方向に話が進んだので、自己満足できたことも好印象です......読者にこういう自己満足、あるいは、変な優越感を抱かせるのも作者の腕ですよねぇ・
強引で、力技ですが、物語もちゃんとたたまれています。



最後にこの作品に対する最大の不満を挙げておきますと、キーとなる歌、「スターダスト・ナイト」のイメージが伝わってこないこと、でしょうか。
『気付くと良平の頬を涙が伝っていた。何故だかまったくわからなかった。それでも、メロディが、歌詞が、声が、何もかもが愛おしかった。「ほしな」の歌に、ただひたすら心を奪われる自分がいた。』(33ページ)
この書き方は反則ですよね。
音を、音楽を文字で伝えるというのは至難の業であることは重々承知していますが、この物語は「スターダスト・ナイト」の良さ・魅力が読者に伝わってこないとかなり減点! とせざるを得ないと思います。

ということでいびつな物語だと思いますが、結構気に入りました。


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