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リアルの私はどこにいる? [日本の作家 森博嗣]


リアルの私はどこにいる? Where Am I on the Real Side? (講談社タイガ)

リアルの私はどこにいる? Where Am I on the Real Side? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2022/04/15
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
ヴァーチャル国家・センタアメリカが独立した。南米の国や北米の一部も加え一国とする構想で、リアル世界とは全く別の新国家になるという。リアルにおける格差の解消を期待し、移住希望者が殺到。国家間の勢力図も大きく塗り替えられることが予想された。
そんなニュースが報じられるなか、リアル世界で肉体が行方不明になりヴァーチャルから戻れない女性が、グアトに捜索を依頼する。


2023年4月に読んだ1冊目の本です。
森博嗣のWWシリーズの、
「それでもデミアンは一人なのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「神はいつ問われるのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「キャサリンはどのように子供を産んだのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「幽霊を創出したのは誰か?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「君たちは絶滅危惧種なのか?(講談社タイガ)(感想ページはこちら
に続く第6作です。


ずっと、リアルだバーチャルだという風に物語が展開してきたので、「リアルの私はどこにいる?」 (講談社タイガ)というタイトル自体が不穏で恐ろしい気配。
同時にヴァーチャル国家というものがうごめき始めます。
急展開、ではないかもしれませんが、なかなかに物語が大きく転回していっている気配。

リアルの肉体が行方不明で、ヴァーチャルからリアルに戻れない、というのはぱっと考えても恐ろしいのですが、それはリアルを主と考えているから、なのでしょう。

「そもそも、リアルからヴァーチャルへ個人をシフトさせる試みが、最近話題になっているところだ。それはまだ『先進的』な行為として一般には認識されている。」(32ページ)
というレベル感ではあるものの、リアルからヴァーチャルへのシフトはあちこちで進んでいるような雰囲気ですし、

「もし、ウォーカロンが代替ボディとして使われたとすれば、これは世界的な事件といえるかもしれない。」(60ページ)
「以前から、そうだね、五年ほどまえから考えていた。人がヴァーチャルへ生活の主体をシフトするようになれば、逆に、リアルでは別のボディを受け皿にしたニューライフが登場するんじゃないかって。」(62ページ)

なんて考察をグアドがするくらいには物事は進んでしまっているようです。

「ヴァーチャルでのみ存在する人格というものを、一個人と認めて良いのか、という問題に行き着くのかもしれない。リアルでは、個人は躰の存在で区別ができる。その境界は皮膚の外側であり、思考は頭蓋の中で実行されている。内と外が明確だ。したがって、個人を明確に一人と数えることができる。
 ヴァーチャルへシフトした個人は、このように区別できる存在だろうか?」(81ページ)
もはやここまでくると、個人を超えて、人とは何か、ということになりますよね。
リアルからヴァーチャルへシフトした結果であれば、もともとはリアルの人間だった、という認識が可能ですが、そもそもヴァーチャルから生み出されたヴァーチャル個人であれば、そもそも人間として認めるのかどうか。

「そもそも人間のインスピレーションというものは、人工知能が最も欲しがる能力であり、各方面から研究が進められている。現代では、その半分ほどは起動のメカニズムが解明され、人工的な再現も可能となりつつある。いずれそのうち、人工知能も人間と同様に連想し、発想し、予感し、突飛なことを思いつくようになるはずだ」(142ページ)
インスピレーションまで人工知能が駆使するようになれば、ますますリアルの人間との差はなくなっていきそう。
これらすなわち、人工知能も人間と同等と捉えるのか、ということの壁がどんどんなくなっていく、ということですね。

ヴァーチャル国家というものも、そもそも不穏に感じてしまいますが、ヴァーチャルでも人として認識するのであれば、当然ながら国家もそれを束ね、表象する存在として存在しなければならないのでしょうね。

「戦い? リアルで戦争になる?」
「可能性があります」(146ページ)
なんて物騒な展開になります。
ヴォッシュ博士が
「暴力というものは、リアルに未練がある精神の発想だ。リアルから逃れるのは、暴力を嫌い、争いごとから離れたいことが主な動機になっているはずではないか」(156ページ)
と考えたりもしますが、そもそも存在を脅かされるような状況であれば、ヴァーチャルであれリアルであれ、暴力に訴えざるを得ない局面は想定されるということでしょう。

枠組みとして大きく転回しているように思えますが、もちろんこれらのステップは、真賀田博士の想定内であるはず。

「博士が考案したとされている共通思考なるシステム。実際にどこで稼働し、何を目的にしているのかは、今のところ謎に包まれている。」(63ページ)
「ただ……、おそらく今は、自力で成長している段階なんだろう。鳴りを潜めている。表に出てこないというだけ」(63ページ)
「でも、グアトは、その共通思考が人類に不利益をもたらすものだとは考えていませんよね?」
「そう、私は、マガタ・シキという才能を信じている。これには、理由はない。完全に宗教だね」(63ページ)

宗教という語が出てきましたが、Wシリーズ、WWシリーズは、畢竟、マガタ・シキを信じる物語なのだと思っているので、違和感はありません。

「人間は、今や死を迎えない。それに比べると、ロボットは劣化し、いずれは旧型となって廃棄される。これは、人間以上に生物らしい。」(263ページ)
人間が死ななくなると、確かにこう考えることもできるでしょう。
ロボット、人間、ウォーカロン、そしてヴァーチャルの人間と敷衍していって、
「共通思考でマガタ・シキが見据えた未来は、きっとそれらがすべて同じ生命となったさきのことにちがいない。」(263ページ)
と結論づけるグアドの論考は、当然の帰結なのかもしれません。


いつものように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Where Am I on the Real Side?
第1章 私はどこにいるのか? Where is my identity?
第2章 私の存在とは何か? Whaat is my existence?
第3章 存在の根源とは? The origin of existene?
第4章 なにも存在しなければ? What if nothing exists?
今回引用されているのは、ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」 (角川文庫)です。



<蛇足1>
「監視されている方が安全です。ガードしてもらっていると考えれば、晴れやかな気持ちになれます」(112ページ)
ロジのセリフです。
なんだか楽しくなってきます。

<蛇足2>
「一フィートを〇・五ミリにする比率は、さきほどの数字、 六十五万八千五百三の三乗根の、ほぼ七倍になります」
「 六十五万八千五百三は、三かける二十九、八十七の三乗です」(221ページ)
漢数字というのはつくづく読みにくいですね。馴れの問題なのでしょうか?
「一フィートを三・五ミリに縮小するのは、ドイツで発明されたミニチュア・モデルでは一般的で、世界のほとんどの国が、この縮尺を採用しています」(222ページ)
というのはおもしろい豆知識ですね。

<蛇足3>
手元にある、2022年4月15日第1刷版では、上で引用したように、あらすじには「センタアメリカ」と書かれていますが、本文中は「センタメリカ」です。








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君たちは絶滅危惧種なのか? [日本の作家 森博嗣]


君たちは絶滅危惧種なのか? Are You Endangered Species? (講談社タイガ)

君たちは絶滅危惧種なのか? Are You Endangered Species? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2021/04/15
  • メディア: 文庫


<カバー裏あらすじ>
触れ合うことも、声を聞くことも、姿を見ることすら出来ない男女の亡霊。許されぬ恋を悲観して心中した二人は、今なお互いを求めて、小高い丘の上にある古い城跡を彷徨っているという。
城跡で言い伝えの幽霊を思わせる男女と遭遇したグアトとロジの許を、幽霊になった男性の弟だという老人が訪ねてきた。彼は、兄・ロベルトが、生存している可能性を探っているというのだが。


2023年1月に読んだ7冊目の本です。
森博嗣のWWシリーズの、
「それでもデミアンは一人なのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「神はいつ問われるのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「キャサリンはどのように子供を産んだのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「幽霊を創出したのは誰か?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
に続く第5作です。

君たちはというのは人類を指すのでしょうから、絶滅危惧種と言われるとちょっとドキッとしますね。
前作では幽霊が出てきましたが、今回は恐竜などが登場します。
舞台はドイツの自然公園。なかには動物園も水族館もあります。

前作からさらに時代が進んでいるのか、
「しかし、今や肉体は再生できる。致命的な傷を負っても、さらに肉体が完全に消滅しても、もう一度、ボディを作り直すことができる。だからこそ、ヴァーチャルへ人格をシフトさせることが現実となり、今後の人類の大移動がじわじわと始まろうとしている。」(29ページ)
とさらっと書いてあります。

この点をめぐって思索が続くわけですが、
「現在の記憶と、頭脳の計算能力をデジタルで移植したとき、たしかに、そこに同等の機能が再現できる。生きている感覚もたしかに得られるだろう。人間の心、スピリッツは、ヴァーチャルでも遜色なく活動するし、むしろより活発に機能するだろう。
 しかし、本当にそれが生きていることになるのだろうか?
 この思考が行き着くところは、生きていることの価値は何か、である。」(200ページ)
というのは理解できますし、
「人は、死を想うものです」「死を想うからこそ、優しくなれる。正義の根源はそこにありました。死を想像できない者は、もはや人間ではないかもしれませんね」(207ページ)
というのはなるほどと思えなくもないのですが、
「我々は、かなり高い環境適用能力を持っています。理屈で考える思考能力を有しているからです。本能的なもの、感情的なものは、やがては消滅するか、少なくとも薄らいでいくのではないでしょうか」
「なるほど、人間の感情というものが、絶滅するということですね」
「既に、何世紀もまえに絶滅していた、ともいえます」(296ページ)
となってしまうと、ちょっと怖いな、という印象を持ってしまいます。
これはグアトとクーパ博士の会話で、
「宗教や神のために人が殺され、人種が違うというだけで暴動や戦争になった時代が過去にある。そういった野蛮な思想は、まちがいなく感情的な心理から発していたものだろう。たしかに、人類はそれを克服したかに見えるが、実は、感情そのものが生きる場を失い、人知れず衰退していったのかもしれない。もしそうなら、原因は科学だ。」(296ページ)
とグアトにより敷衍されていますが、どうなのでしょうか?
感情を失った人間(というよりは人類というべきかもですが)は、それはそれで恐怖の対象のように思えます。
まあ、もはや人間ではないとまで議論は進んでいるのですが。

最後に、今ではすっかりおなじみになったトランスファですが、さらっと定義(?) されていたので写しておきます。ついでにウォーカロンも。
「トランスファは、ネット環境に生息する分散型の人工知能の総称だが、その存在が初めて確認されたのが、当のデボラだった。」(27ページ)
「さて、では、ウォーカロンとは何なのか。
 簡単に言ってしまえば、人工的に生まれた人間である。肉体的には、人間とほとんど違いがないので、見分けはつきにくい」(28ページ)
  
いつものように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Are You Endangered Species?
第1章 なにかが生きている Something is alive
第2章 死ぬまでは生きている Alive until death
第3章 長く死ぬものはない Nothing dies long
第4章 長く生きるものもない Nothing lives long
今回引用されているのは、コナン・ドイルの「失われた世界」(創元SF文庫)です。
同書は伏見威蕃の訳バージョンもあるんですね。
「失われた世界」 (光文社古典新訳文庫)
子ども時代に子ども向けで読んだだけだし、コナン・ドイルだし、読み返してみようかな?


<蛇足1>
「 セリンが、両手をテーブルの上に出し、ホログラムを投映させた。」(27ページ)
投映? 投影ではないの? と思いましたが、今では投映という表記もあるのですね。

<蛇足2>
「人間というのは、じわじわと同胞が死んでいっても、それは自然の摂理だと諦める図太さを持っているのだ。自分が死ななければ、それで良い、自分の家族さえ生きていればかまわない、と考える。数十年後にはこんな世界になる、と科学者が提示しても、そのときには、どうせ自分は生きていない、と受け合わない。」(146ページ)
知能を獲得したところで、そうでもなければ種として存続できないのかもしれませんね。

<蛇足3>
「キリンもいた。無駄に首が長いように思える。ゾウの鼻のようなものかもしれないが、ほかに類似の動物がいないことが、不思議である。やはり、デメリットが多く、自然界では失敗作だったのではないだろう、かと僕は考えた。」(225ページ)
失敗作ですか......キリンがかわいそう。
僕はゾウの鼻は失敗作と考えているのでしょうか? ゾウも類似の動物がいないように思います。

<蛇足4>
「『たまには、これくらいの刺激がないと、躰が鈍りますよね』
では、あのシャチとか恐竜とかミサイルとか黒ヒョウとかは、たいした刺激ではなかったということだろうか。」(276ページ)
相変わらずグアトのユーモアの回りくどさには笑ってしまいますが、あれ? ひょっとしてここは真面目なのでしょうか?

<蛇足5>
「地元の警官が来ていて、日本からの要人が来る、と聞いている、と話した。その要人が僕だと勘違いしたようだが、そのまま正さなかった。僕だけが男性で若くなかったからだろう。」(277ページ)
この物語の背景となる年代でも、ある意味男性優位な部分が残っているということですね。



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幽霊を創出したのは誰か? [日本の作家 森博嗣]


幽霊を創出したのは誰か? Who Created the Ghost? (講談社タイガ)

幽霊を創出したのは誰か? Who Created the Ghost? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/06/19
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
触れ合うことも、声を聞くことも、姿を見ることすら出来ない男女の亡霊。許されぬ恋を悲観して心中した二人は、今なお互いを求めて、小高い丘の上にある古い城跡を彷徨っているという。
城跡で言い伝えの幽霊を思わせる男女と遭遇したグアトとロジの許を、幽霊になった男性の弟だという老人が訪ねてきた。彼は、兄・ロベルトが、生存している可能性を探っているというのだが。


2022年9月に読んだ6冊目の本です。
森博嗣のWWシリーズの、
「それでもデミアンは一人なのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「神はいつ問われるのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「キャサリンはどのように子供を産んだのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
に続く第4作です。

タイトルに「創出」という固い語が使われているのでおやっと思いました。
いままでのシリーズタイトルと比べて格段に硬質な感じがするからです。
でも、考えてみると「創出」以外に言いにくいですね。
ここは個々の幽霊がどうして幽霊になったのか? という文脈というよりはむしろ、幽霊という概念がなぜ生み出されたのか?というニュアンスで使われていると思うからです。

端的にグアトが
「どうして、人間は、幽霊のような存在を発想したのかな。どんな需要があったのでしょう。」(59ページ)
という場面もあります。

「ある一人のウォーカロンだった経験を持つ知性が、次のウォーカロンに乗り移る」「これは、いわゆる幽霊や亡霊に近いイメージ、ではありませんか?」(58ページ)
というのも面白い疑問ですね。

これまでのところ、リアルとヴァーチャルをどう捉えるかというのがWWシリーズのテーマなのかな、と思えているのですが、リアルとヴァーチャルという対比で進んできた思索が、「幽霊」という存在をフィルターとしてあらたな角度で検証される、という感じでしょうか。

今の技術では、人間の感覚のほとんどを仮想体験させることを実現した。したがって、既にリアルでしか得られない価値はない。それなのに、まだリアルに自分が存在するという意識を捨てられない人が多いはず。(281ぺージ)

この「幽霊を創出したのは誰か?」 (講談社タイガ)で扱われる幽霊騒ぎも、このことを十分に意識したものです。

しかし、リアルかヴァーチャルかも大きい課題だと思うのですが、このシリーズの設定である、ほぼ人は死なない、という方がインパクトが大きいのではなかろうか、と思ったりもしました。
そして展開される議論(思索)も、死なないからこそ、という展開をとっているように思えます。


いつものように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Who Created the Ghost?
第1章 誰が魂を連れてきたの? Who brought the soul?
第2章 誰が霊を組み立てたの? Who built the spirit?
第3章 誰が心を凍らせたの? Who froze the heart?
第4章 誰が人を造形したの? Who shaped the human?
今回引用されているのは、コーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」 (ハヤカワepi文庫)です。

<蛇足>
「入ってみると、絨毯がブルーのプレィルームだった。」(163ページ)
プレィって、どう発音するのでしょう?



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キャサリンはどのように子供を産んだのか? [日本の作家 森博嗣]


キャサリンはどのように子供を産んだのか? How Did Catherine Cooper Have a Child ? (講談社タイガ)

キャサリンはどのように子供を産んだのか? How Did Catherine Cooper Have a Child ? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
国家反逆罪の被疑者であるキャサリン・クーパ博士と彼女の元を訪れていた検事局の八人が、忽然と姿を消した。博士は先天的な疾患のため研究所に作られた無菌ドームから出ることができず、研究所は、人工知能による完璧なセキュリティ下に置かれていた。
消えた九人の謎を探るグアトは、博士は無菌ドーム内で出産し、閉じた世界に母子だけで暮らしていたという情報を得るのだが。


森博嗣の新しいシリーズ、WWシリーズの、
「それでもデミアンは一人なのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「神はいつ問われるのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
に続く第3作です。

あらすじにも書かれている人間消失が事件で、作中136ページでヴォッシュ博士が指摘しているように真賀田博士の事件と似通っているところがポイントですね。

森博嗣の本を読むといつも思うのは、「すべてがFになる」 (講談社文庫)と比べると、遥けき地点まで来たなぁという感慨です。
この人間消失の真相も、真賀田博士の事件とは異次元の解決を見せます。

このレベルになるとさわりを出してもネタバレにはならないでしょうから、自分の備忘として引用しておきます。
「生命ではなく、存在なのだ。
 存在こそが、最も重要な、この世界を形成するユニットであり、基本だ。
 リアルとヴァーチャルの両立は、あらゆる存在を脅かす。物体とは、単にリアルの存在の総称でしかない。存在は既に、原子からなる物体よりも、その焦点を引く視線でしか捉えることができないものになっているのだ。」(249ページ)

しかし、こんな地点までたどり着いてしまうと、このあと物語はどこに向かうのでしょうね?
森博嗣の中では、すっかり地図が出来上がっているのでしょうけれど。
それはリアルとヴァーチャルの全き融合なのかも、ですね。


Wシリーズのように英語タイトルと章題も記録しておきます。
How Did Catherine Cooper Have a Child ?
第1章 どのように彼女は姿を消したか? How did she disappear?
第2章 どのように彼女は届けられたか? How did she arrive?
第3章 どのように彼女は破壊したか? How did she destroy?
第4章 どのように彼女は生かされたか? How was she alive?
今回引用されているのは、グレッグ・イーガンの「ディアスポラ」 (ハヤカワ文庫 SF)です。

<蛇足1>
「いきなり、だからねって」テーブルの椅子に座っていたロジは吹き出した。(13ページ)
あれ? ロジってこういう反応をする人でしたか?
グアドとの関係性がどんどん変わってきている証左かも。

<蛇足2>
「幸い、僕には研究という大賞があった。それに打ち込んできたから、ほかのさまざまな不満に出合わなかった。その点では、今は少しだけ不安を感じている。研究から離れたこともあるし、大切な人ができたこともある。失うものを得てしまった、ともいえるだろう。」(33ページ)
さらっとグアドがすごいことを言っています!

<蛇足3>
「しばらく、マシュマロのように柔らかい沈黙が続いた。」(48ページ)
マシュマロのような柔らかい沈黙、ですか。
張りつめたような緊張感漂う沈黙とは正反対の沈黙なのでしょうね。

<蛇足4>
「ああ、ちょっと、考えごとをしていた」僕は彼女に言った。
「そうでしょうね、きっと」ロジは猫のように微笑んだ。(250ページ)
猫のように微笑む......
ロジが!?


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神はいつ問われるのか? [日本の作家 森博嗣]


神はいつ問われるのか? When Will God be Questioned? (講談社タイガ)

神はいつ問われるのか? When Will God be Questioned? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/10/23
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
アリス・ワールドという仮想空間で起きた突然のシステムダウン。ヴァーチャルに依存する利用者たちは、強制ログアウト後、自殺を図ったり、躰に不調を訴えたりと、社会問題に発展する。仮想空間を司る人工知能との対話者として選ばれたグアトは、パートナのロジと共に仮想空間へ赴く。そこで彼らを待っていたのは、熊のぬいぐるみを手にしたアリスという名の少女だった。


森博嗣の新しいシリーズ、WWシリーズの、「それでもデミアンは一人なのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら)に続く第2作です。

いつも一筋縄ではいかないのですが、今回のタイトル、難しいですね。
「神はいつ問われるのか?」 When Will God be Questioned? (講談社タイガ)
ぱっと見て、神様はいつお尋ねになるのか? ご質問されるのか? という意味かなと思ったのですが、英語タイトルを見ると、逆ですね。神様はいつ疑問視、問題視されるのか? という意味になっています。おもしろそう。

もともと、真賀田四季が構築した(んですよね?)コンピュータが高度に発達した世界を舞台にしていますが、今回は、さらに仮想空間が出てきます。
虚か実かという議論が、さらに進んで、神と対座するレベルにまで至った、ということでしょうか。
もっとも、真賀田四季が神のような気もしますが(笑)。
エピローグでグアトとロジが交わす会話が、一周回ってドンって感じで、非常に単純な会話になっているのがポイントなのかもしれません。

しかし、Wシリーズのときと比べると、グアトとロジの距離感が大きく異なっている気がします。特に、グアトサイド。
ロジはあまり変わっていないように思えるのですが......
「ロジは、黙って僕を見た。ジョークを全反射する技である。」(20ページ)
という定番の?シーンもありますし。

ロジと言えば、車好き(運転好き?)だったんですね。
それが知れて、楽しかったです。

最後に
「宇宙の最後ってやつは、もうわかっている。眠くなって、寝るだけ」(281ページ)
いいこと言いますね、グアト(笑)。


Wシリーズのように英語タイトルと章題も記録しておきます。
When Will God be Questioned?
第1章 楽園はいつ消えるのか? When will Paradise disappear?
第2章 人はいつ絶滅するのか? When will mankind disappear?
第3章 世界はいつ消滅するのか? When will the world disappear?
第4章 神はそれらよりもさきか? Will God disappear before them?
今回引用されているのは、カート ヴォネガットジュニア「スローターハウス5」 (ハヤカワ文庫SF)です。



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それでもデミアンは一人なのか? [日本の作家 森博嗣]

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/06/21
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
楽器職人としてドイツに暮らすグアトの元に金髪で碧眼、長身の男が訪れた。日本の古いカタナを背負い、デミアンと名乗る彼は、グアトに「ロイディ」というロボットを探していると語った。
彼は軍事用に開発された特殊ウォーカロンで、プロジェクトが頓挫した際、廃棄を免れて逃走。ドイツ情報局によって追われる存在だった。知性を持った兵器・デミアンは、何を求めるのか?


ここから8月に読んだ本の感想です。

森博嗣の新しいシリーズ、WWシリーズの第1作です。
前までのWシリーズとはかなり近しい地続きですが、登場人物が変わっているのですね、とあらすじを読んで思ったのですが、そうではありませんでした。
Wシリーズのハギリとウグイたちが名前を変えて登場しているようです。
あらすじのグアトがハギリ、ロジがウグイですね。
ハギリは、引退して穏やかな生活を送ろうとしているようですが、そうは問屋が、いや森博嗣と読者が卸しませんね(笑)。

Wシリーズとの間でどのくらい時間が空いているのかわからないのですが(なにしろこの世界では基本的に人間は死ななくなっていますから)、シームレスにすっと世界に入っていけます。

タイトルにもなっているデミアンがもたらした騒動で、グアトの思索がぐっと進んだようです。
「人間ではないもの、人間が作ったものが、人間以上に人間らしくなり、人間以上に正しく生きる世の中が来る。きっと来るだろう。否、もう来ているのかもしれない。
子供が生まれないというだけのことで、人間は後れを取った。歩みを止めたのかもしれない。つまり、進化していない、ということだ。その間に、ウォーカロンも人工知能も人間を追い越していくだろう。彼らは常に生まれ変わっている。人よりも早く進化しているのだ。」(210ページ)
これは、なかなかの世界観ですよね。そしてそれをグアトは美しいと捉える。うーん、すごい。

「電子空間に生を受けた者たちは、皮膚のようなものはない。どこからが内側で、どこからが外側といった位置的な境界が明確ではないからだ。電子の生物たちは、個という概念も将来曖昧である。これも内か外かが定義できないためだ。」(225ページ)
と人間と電子空間の存在の違いを確認した後でもたらされる思索はスリリングですね。
「トランスファが活動することが、共通思考そのものだともいえる。」(228ページ)

だからこそ、
「ある一人の人間を、電子社会へ招き入れる。その人は刺激を受けて、つぎつぎに新しい発想をしました。このことが、まるでトランスファの裏返しであり、似ていると思います。先生は、向こうから見れば、トランスファなのです。」(234ページ)
というオーロラのセリフとなるわけですね。

停滞し技術が飽和している世界は、突破するために発想というアクシデントに期待するしかない。
これには時間がかかる。
「だから、全体の時間を遅く設定したんだ」「マガタ博士の共通思考が、これまでの人類史の時間に比べて、遅い速度設定になっているように感じたのですが、そこで調節しているというわけですよ」(236ページ)というグアトのセリフには眩暈がしそうです。

マガタ博士すごい。
そして森博嗣、すごい。
デビュー作である「すべてがFになる」 (講談社文庫)の頃から、ここまで考えておられたのでしょうか?
否、この質問の仕方は正しくないですね。
きっとデビューに関係なく、森博嗣さんが以前から考えてこられた全体像を、さまざまな作品を通して少しずつ小出しに(?) されていっているだけなのでしょうね。

ここからさらにどこへ連れて行ってくれるのか、とても楽しみです。


Wシリーズのように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Still Does Demian Have Only One Brain?
第1章 一つの始まり One beginning
第2章 二つ頭の男 Two headed man
第3章 三つの秘策 Three secrets
第4章 四つの祈り Four prayers
今回引用されているのは、アイザック・アシモフ「ファウンデーション」 (ハヤカワ文庫SF)です。
創元推理文庫版では、「銀河帝国の興亡」というタイトルですね。


<蛇足1>
森博嗣の作品では、たとえば「コンピューター」は「コンピュータ」と表記されています。
なので、カタカナ表記の語末の長音符号(音引き)は書かないのかな、と思っていたら、
71ページに「コーヒーを淹れましょうか?」
となって、あれっと思いました。
ほかにも、
インタビュー(114ページ)
パトカー(148ページ)
スロー(158ページ)
スキー(260ページ)
などで語末の長音記号が出てきます。
また、ロータリィ(194ページ)、エネルギィ(200ページ)、ストーリィ(229ページ)のような表記もあります。
一方で、ディナ―ではなくディナ(148ページ)、シャッターではなくシャッタ(同148ページ)、サーバーではなくサーバ(158ページ)となっています。

語末の長音符号については以前にもあれっと思ったことがあって、
「ペガサスの解は虚栄か? Did Pegasus Answer the Vanity?」 (講談社タイガ)(感想ページへのリンクはこちら)では、トウキョー
「天空の矢はどこへ? Where is the Sky Arrow?」 (講談社タイガ)(感想ページへのリンクはこちら)では、シチュー
と書かれていたことについて触れました。

これ、今回改めて調べて(?) みると、工学分野ではごく普通の表記で、JIS(日本工業規格)や学会・協会でも標準となっている書き方があるようです。
「2音の用語は長音符号を付け、3音以上の用語の場合は長音符号を省く」というルールらしいです。
森博嗣さんはこれを採用しているのかな?

コーヒー、スロー、スキー、シチューは2音なので長音符号が使われているのですね。
パトカーは、パトロールカーの略で合成語。本来のカーが1音だからでしょうね。
インタビューは3音以上ですが、スペルの違いかな? ロータリィなどの「ィ」表記もスペルによるのでしょうね。
でも、ディナ、シャッタ、サーバあたりは2音なので長音符号を使うところなんじゃないかな、なんて思ったり。

ちなみに、1991年に発表された内閣告示「外来語の表記」では「英語の語末の-er,-or,-arなどに当たるものは原則としてア列の長音とし長音符号を用いて書き表す」とされています。これを受けてJISのガイドラインも2005年以降は「長音は用いても省いても誤りではない」という内容に修正されているそうです。

<蛇足2>
カタカナ表記ということでは、
クルマやキュースというのも出てきます。
今と時代も違いますし、ここに出てくる車や急須はわれわれの思い描く車や急須とは違うのですよ、ということを暗示しているのでしょうか?

<蛇足3>
帯に、講談社タイガの近刊案内が書かれているのですが、
小島正樹の「ブラッド・ブレイン2 闇探偵の暗躍」 (講談社タイガ)が、「ブレッド・ブレイン2」と誤植されているのに笑ってしまいました。
パン探偵? それはそれでおもしろいかも。



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人間のように泣いたのか? [日本の作家 森博嗣]

人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly? (講談社タイガ)

人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/10/24
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
生殖に関する新しい医療技術。キョートで行われる国際会議の席上、ウォーカロン・メーカの連合組織WHITEは、人口増加に資する研究成果を発表しようとしていた。実用化されれば、多くの利権がWHITEにもたらされる。実行委員であるハギリは、発表を阻止するために武力介入が行われるという情報を得るのだが。すべての生命への慈愛に満ちた予言。知性が導く受容の物語。


Wシリーズの第10作で、最終作です。
今回の舞台は京都です(キョートと書かれています)。
国際会議をめぐって事件が起こりますが、いままでで一番派手な戦闘がありますし、いままでで一番ハギリが危険な目に遭います。

「これまでの僕は、もっと静かな世界で生きてきた。情報局に所属し、デボラやアミラがいろいろと教えてくれるようになったから、初めて関わるようになったこと、といえるだろう。かつて僕の研究室で爆弾騒ぎがあったり、武力集団に襲われたり、理由のわからないことが勃発したのだ。」(91ページ)
ハギリ博士の回顧ですが、まったくその通りですね。ハギリ博士もこのシリーズで大変な目に遭ってきています。

離れたはずのウグイが、ハギリ博士と共に行動するところがポイントでしょうか(笑)。
今回のエピローグなんて、そのためだけにあるようなもんですよね(笑)。
長い長い、ボーイ・ミーツ・ガール物語だった、ということでしょうか、このシリーズは。
ただ、このタイトル「人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly?」というのは、英語タイトルからしても、ウグイのことを指すんだろうな、と思えるのですが、それだとちょっとウグイに失礼ですよねぇ。
ウグイって、人間ですよね? 
人間のウグイに「人間のように」というのは少々可哀そうです。
このシリーズ、ならびにハギリはウグイにキツいことが多かったですけど、最後もそうなんですか!?
人間とウォーカロンを分けているこういう考え方自体が時代遅れかも!?
シリーズ注目の、というより森ミステリでは注目のマガタ博士についても、ハギリが考察を進めています。
「マガタ博士はきっと、ずっと遊んでいるだけなんだよ。もう、若いときに仕事はやり尽くしてしまったから。ただ、周囲はそうは見ない。マガタ博士が遊んでいても、きっとあれはなにか意図があるはずだ、博士は次は何をするつもりだろう、と憶測しようとする。これまでの博士を見てきたから、そう考えてしまう。でも、そこが天才ではない凡人の思考というものだ。もともと天才は、遊び半分で、偉業を成し遂げるものだ。本人には、偉大な仕事をしようなんて気は最初からない。遊んでいるにすぎない。子供のときからの延長で、ただ興味の向くまま、好きなことをしているだけなんだ。」(158ページ)
遊んでてあれかよ、という気もしますが、それこそが天才の所以なのでしょうねぇ。

そのマガタ博士に対して、ハギリが最後に質問を投げます。(277ページ)
「あの、失礼を覚悟でおききしますが、博士は、人間でしょうか?」
それに対するマガタ博士の返事は伏字にして(色をかえて)おきます
それは、失礼な質問ではありません。誰にしても、また、自分に対しても、いつでもそれを問うことが、人間というもの
それ以外にも示唆的な会話になっています。いつも通り。
厨房から料理を出してしまった後、一流の料理人にできること、という問いもおもしろいですよね。
「ただ、ぼんやりと、月夜の空でも眺めましょうか」(276ページ)
これまた、天才ならではと言うか、なんと言うか......

シリーズは完結しましたが(森ミステリではいつものことながら、数多くの謎や余韻を残して)、新しいシリーズが立ち上がっています。題してWWシリーズ。
第一作は「それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain?」 (講談社タイガ)。楽しみです。

いつものように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Did She Cry Humanly?
第1章 非人道的に Against humanity
第2章 彼らの人間性 The humanity of them
第3章 人類全体 All humanity
第4章 慈悲をもって With humanity
今回引用されているのは、アーシュラ・K・ル・グィンの「闇の左手」 (ハヤカワ文庫 SF)です。



<蛇足1>
「世の中というものは、ままならないものだ。誰もが恐れる方向へ、じわじわと近づくことだってある」(41ページ)
ポスト・インストール(一種のトラブル防止プログラム)しないウォーカロンを作るかどうか、という議論でヴォッシュ博士の言うセリフなのですが、怖いですね.....

<蛇足2>
「ロビィに、黒い板が並んでいて、そこに〈ハギリ様ご一行〉とあったので」(44ぺージ)
未来でも日本のホテルにはこういうのがあるんですね(笑)。
しかし、この作品のような状況でハギリ様ご一行って書きますかねぇ?? とは思いますが。

<蛇足3>
『こちらは、要約すると「よろしく」になる。だいたい、社会の会話の半分はこれだし、日本の書類の半分は、要約するとこれになる。」(45ページ)
ハギリが届いたメッセージへの返信について述べた文章ですが、なるほどと思いました。
「よろしく」
書類の半分がそうかはわかりませんが、かなりの割合を占めることは確かですね.....

<蛇足4>
第3章冒頭の「闇の左手」 からの引用ですが...
氷の像の一つが言った。「われは血を流す」もう一つの像が言った。「われは泣く」また三つ目の像が言った。「われは汗を流す」(155ページ)
この2番目、どうして「われは涙を流す」ではないのでしょうか?
~を流す、でそろえたほうがよいように思います。巻末によると小尾芙佐さんの訳のようですが。



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天空の矢はどこへ? [日本の作家 森博嗣]

天空の矢はどこへ? Where is the Sky Arrow? (講談社タイガ)

天空の矢はどこへ? Where is the Sky Arrow? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/06/22
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
カイロ発ホノルル行き。エア・アフリカンの旅客機が、乗員乗客200名を乗せたまま消息を絶った。乗客には、日本唯一のウォーカロン・メーカ、イシカワの社長ほか関係者が多数含まれていた。時を同じくして、九州のアソにあるイシカワの開発施設が、武力集団に占拠された。膠着した事態を打開するため、情報局はウグイ、ハギリらを派遣する。知性が追懐する忘却と回帰の物語。


Wシリーズの第9作です。
今回の舞台は阿蘇です(アソと書かれています)。

ここ数冊シリーズ終盤に向かっているからか、思索的な部分が減ってきたかな、と思っていたのですが、本書のエピソードで、ずっしりと重い思索が登場します。
いつものようにその分を引用して書いてしまっては、ネタバレ、に該当してしまうことになるだろうと思うので当該部分の引用は避けますが、
「ああ、今の話は……、ちょっと感動しました」(273ページ)
とハギリが感想を述べている、ということは触れておきたいと思います。

「九州のアソにあるイシカワの開発施設が、武力集団に占拠された」というあらすじから、おっ、戦闘シーンがあるな、これは、と期待したら(何を期待しているのだ、と叱られるかもしれませんが、このシリーズの戦闘シーン、なんだか愉しいんですよね)、肩透かしでしたね。
その分(?)、キガタが宇宙に飛び出します。

他の森作品につながる固有名詞もふんだんに登場するようになってきています。
クジ博士、ロイディ、ミチル......

次の「人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly?」 (講談社タイガ)でシリーズ完結なんですよね。
いったいどういう着地を見せるのでしょうか...,,,
この「天空の矢はどこへ? Where is the Sky Arrow?」 (講談社タイガ)には
「マガタ・シキが生きているかどうかを、今の僕は疑っていない。」(197ページ)
なんて刺激的な部分もありますしね。
楽しみです。

いつものように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Where is the Sky Arrow?
第1章 歩き回る Getting around
第2章 通り抜ける Getting through
第3章 逃げていく Getting away
第4章 乗り越える Getting over
今回引用されているのは、レイ・ブラッドベルの「何かが道をやってくる」 (創元SF文庫)です。



<蛇足1>
『「食事は、経費?」僕はウグイに尋ねた。
 彼女は、僕を威圧的な眼差しで睨んだだけで答えなかった。冗談が通じなかったようだ。下品な精神だと誤解された可能性もある。ウィットというものを、彼女にはもう少し学んでもらいたい。』(36ページ)
おそれながらハギリ博士、ウグイさんだけでなく、ぼくも貴方のウィットはわかりません...(笑)

<蛇足2>
「僕はシチュー定食だったけれど、熱くて食べられない。」(269ページ)
シチューはシチューと書くのですね。シチュではなく。

<蛇足3>
「忙しいようだ。アルミニウムみたいにドライだな、と思った。」(269ページ)
アルミニウムみたいにドライ? どんな雰囲気なんでしょうね?




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血か、死か、無か? [日本の作家 森博嗣]

血か、死か、無か? Is It Blood, Death or Null? (講談社タイガ)

血か、死か、無か? Is It Blood, Death or Null? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/02/22
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
イマン。「人間を殺した最初の人工知能」と呼ばれる軍事用AI。電子空間でデボラらの対立勢力と通信の形跡があったイマンの解析に協力するため、ハギリはエジプトに赴く。だが遺跡の地下深くに設置されたイマンには、外部との通信手段はなかった。一方、蘇生に成功したナクチュの冷凍遺体が行方不明に。意識が戻らない「彼」を誘拐する理由とは。知性が抽出する輪環の物語。


Wシリーズの第8作です。
今回の舞台はエジプトです。
今回は、「人間を殺した最初の人工知能」。
確かに、これはエポックメイキングな出来事でしょう。
ウォーカロンにせよ、コンピューターにせよ、人間に近づけば近づくほど、人間を殺しやすくなっていくのでしょうねぇ。変な言いかたですが。

話の展開が、ここへきて遅くなったような気がします。

「僕は、空を見上げた。綺麗なブルーだ。空というのは、つまり宇宙なのだが、実際には、その手前にある空気の層に明るさがあって、宇宙は見えない。真実というものも、これと同じだ。クリアに見える層でも、また希望によって照らされた層であっても、真実を隠してしまうことがある。
 夜になれば見えるではないか、と思いついた。
 なるほど、正義の輝かしさを忘れることが、真実を見通す方法なのかもしれない。正義を捨てるとは、どんな選択だろうか?
 何故か、マガタ・シキ博士のことを連想していた。」(92ページ)
なんて、マガタ・シキ博士の本質?に迫るようなモノローグもあります。

一方で、
「遠い昔に、そういったことが行われていたと、言い伝える者はおりません。私たちは、過去を伝えない。なにも書き残しません。そうすることで、今という時を、確かな強さをもって生きることができます」(155ページ)
ナクチュの人びとの暮らしぶり、生き方をカンマバが話すシーンですが、これはこれで正しい生き方なんでしょう。

こういうのが交錯しつつ、森博嗣作品のあちこちとの連関が、一気に表に出て来始めています。
だから、展開が遅くなったと感じるのかもしれません。
このシリーズも残りが少なくなってきました...


英語タイトルと章題も記録しておきます。
Is It Blood, Death or Null?
第1章 血を選ぶ Choosing blood
第2章 死を選ぶ Choosing death
第3章 無を選ぶ Choosing null
第4章 選ばない Not to choose
今回引用されているのは、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」 (ハヤカワepi文庫)です。



<蛇足>
「銃を仕舞った方が良い、マドモアゼル」後部座席にモレルがいった。
「誰がいるの?」ウグイは、外を見たまま聞いた。
「悪魔妃」モレルが答える。
「今の発言を、逆再生すると、血か死か無か、になります」デボラが囁いた。(273ページ)
うーん、わかりません!





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ペガサスの解は虚栄か? [日本の作家 森博嗣]

ペガサスの解は虚栄か? Did Pegasus Answer the Vanity? (講談社タイガ)

ペガサスの解は虚栄か? Did Pegasus Answer the Vanity? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/10/19
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
クローン。国際法により禁じられている無性生殖による複製人間。
研究者のハギリは、ペガサスというスーパー・コンピュータからパリの博覧会から逃亡したウォーカロンには、クローンを産む擬似受胎機能が搭載されていたのではないかという情報を得た。
彼らを捜してインドへ赴いたハギリは、自分の三人めの子供について不審を抱く資産家と出会う。知性が喝破する虚構の物語。


Wシリーズの第7作です。
前作「青白く輝く月を見たか? Did the Moon Shed a Pale Light?」 (講談社タイガ)(感想ページへのリンクはこちら)を読んでからちょっと時間が空いてしまいました。

今回の舞台はインドです。
ウォーカロンが子供を産んだ、ということの調査に行くわけですが、ウォーカロンが子供を産む(ことができる)となると、ウォーカロンの進化(?) も相当進んできている、ということになるのでしょうか。だからこそ、ハギリたちが調査にいかないといけないわけですが。

文庫の帯に
「逃走中のウォーカロンには、疑似受胎機能が搭載されていた?」
と書いてあって、少々ネタバレ感ありますが、「ウォーカロンが子供を産む」という事象について、いろいろと説が出てきて、そのあたりの手つきがミステリっぽいのが面白かったですね。
(このほかにも、かなり秀逸なミスディレクションも仕掛けられています。ミステリだったら、逆転の発想とか、捻りとかいって、大見得を切ってどんでん返し! みたいになるところを、至極あっさりと、さも当たり前のようにひっくり返していくので、あー、もったいない、なんて馬鹿馬鹿しい感想を抱いたりして……)

ウォーカロンだけではなく、人間にずいぶん近づいてきていたコンピュータであるデボラやオーロラやアミラやペガサスも(コンピュータというよりは、AIというべきなのかもしれませんが)、ますます人間みたいになってきています。
ペガサスの仮説、あるいは研究をめぐるラストのオチ(と呼んでしまってよいと思うのですが)は、腹を立てたり、がっかりしたりする読者もいるんじゃないかな、と思えるのですが、シリーズ的には「ついにここまで来たのか」と感慨を覚えるほどで、個人的には満足しました。

シリーズ的には、前作ラストでハギリ博士の護衛役を外れてしまったウグイが登場してくれて少しうれしかったです。
相変わらずのところも、変わったところも、両方楽しめる、なんだかぜいたくな読後感(?)。

英語タイトルと章題も記録しておきます。
Did Pegasus Answer the Vanity?
第1章 実験値 Experimental value
第2章 理論値 Theoretical value
第3章 現実値 Practical value
第4章 仮言値 Hypothetical value
今回引用されているのは、マイクル・コーニイの「ハローサマー、グッドバイ」 (河出文庫)です。


<蛇足1>
「トウキョーにあることも知りませんでした」(11ページ)
トウキョーという表記が出てくるのはこのシリーズでこれが最初ではないと思うんですが、あれっと思いました。
確か、語尾の長音記号”ー”を使わないというのが森博嗣の流儀だと思っていたからです。この見開きの2ページの中にも、グレィとか、エレベータとか出てきます。
あれは英語の語尾の長音に限ったことなのかも。固有名詞は違う?

<蛇足2>
「子供って、そうなんですよ。考えているわけじゃないの。感情に支配されてもいない。感情的なのは、むしろ成長した大人の方です」
「感情というのは、初歩の知性が作り出した幻想ですよ」(114ページ)
するどいというか、恐ろしい指摘ですね。

<蛇足3>
『「こんな太陽の下で食事をするなんて、幸せだね」僕は呟いた。本当にそう思っているかどうかは自問しなかった。幸せというのは、言葉にすることでしかリアルにならないものかもしれない。』
これまた、含蓄深いというか、考えさせられるコメントです。

<蛇足4>
「そうまでして、子孫が欲しいでしょうか? それよりも、そんな金があったら、自分の寿命を延ばすのでは?」
「うん、私もそういった発想は持ったことがない。ただ、かつては子孫繁栄が人間の欲望の一つだったと知っているだけです」
「自分がいつ死ぬかわからない時代だったからですよ」
このWシリーズのような状況になったら、こういう発想が普通になるんですかね? なんとなく恐ろしいことのような気がします。


<2018.1.28付記>
裏表紙あらすじを、前作「青白く輝く月を見たか? Did the Moon Shed a Pale Light?」のものから変更し忘れていたので、修正しました。失礼しました。


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