ラプラスの魔女 [日本の作家 東野圭吾]
<カバー裏あらすじ>
ある地方の温泉地で硫化水素中毒による死亡事故が発生した。地球化学の研究者・青江が警察の依頼で事故現場に赴くと若い女の姿があった。彼女はひとりの青年の行方を追っているようだった。2か月後、遠く離れた別の温泉地でも同じような中毒事故が起こる。ふたりの被害者に共通点はあるのか。調査のため青江が現地を訪れると、またも例の彼女がそこにいた。困惑する青江の前で、彼女は次々と不思議な “力” を発揮し始める。
2024年10月に読んだ2冊目の本です。
東野圭吾「ラプラスの魔女」 (角川文庫)。
タイトルの「ラプラスの魔女」は、当然、「ラプラスの魔」を意識したもので、そのため、単行本が出たときに勝手にガリレオシリーズの1冊なのだと思っていました。
映画化されたときの主演が、櫻井翔、広瀬すずだったので、あれ、福山雅治じゃないんだ...明智小五郎や金田一耕助のようにいろんな役者さんが演じる役どころになったのかな、なんて考えていました。ここで気づけよ、ぼく(笑)。
さて、「ラプラスの魔」ですが、wikipekia によると
『「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つがゆえに、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りえる[1]」という超人間的知性のこと。フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。』
となっています。
魔女、ですから女性で、青江修介が死亡事故現場で遭遇した少女羽原円華がその人物です。
人知を超えた(正しくは ”通常の” 人知を超えたというべきでしょうね)能力を発揮する円華。
いかにも怪しくて(だからこそ、事故を起こした当人ではないのだろうな、と読者は推察するのですが)、さて、どうやって、という謎が深まっていくのですが......
この能力の秘密、というか、背景はかなり大胆なもので、通常の形でミステリで取り扱うことは困難だと思われるものの、特殊設定ミステリが流行している昨今のこと、読者の許容度もどんどん広がっているので、時機にかなったもの、なのかもしれません。
温泉地で起こった硫化水素による中毒死。
硫化水素を自在に操るようなことが可能なのだろうか?
通常のミステリであれば、中心的謎となり、ラストで驚くべきトリックが明かされる、という流れになりそうな謎ですが、この「ラプラスの魔女」ではそういう展開にはなりません。
ちょっと筋立てが、ガリレオシリーズのある作品(ネタばらしとまではいかないですが、念の為伏せておきます。amazon にリンクを貼っています、ちなみに感想ページへのリンクはこちら)に似ているのが気にならないでもないですが、まだまだミステリの幅を拡げていくことが出来そうな気がします。
シリーズ化されているようで、楽しみです。
タグ:東野圭吾
虚ろな十字架 [日本の作家 東野圭吾]
<カバー裏あらすじ>
中原道正・小夜子夫妻は一人娘を殺害した犯人に死刑判決が出た後、離婚した。数年後、今度は小夜子が刺殺されるが、すぐに犯人・町村が出頭する。中原は、死刑を望む小夜子の両親の相談に乗るうち、彼女が犯罪被害者遺族の立場から死刑廃止反対を訴えていたと知る。一方、町村の娘婿である仁科史也は、離婚して町村たちと縁を切るよう母親から迫られていた――。
2023年1月に読んだ2冊目の本です。
東野圭吾「虚ろな十字架」 (光文社文庫)
上で引用したあらすじをご覧いただいてもわかると思いますが、死刑問題を扱っています。そう読みました。
もやもやしております。
主人公中原が被害者家族であるので、被害者寄り≒死刑賛成のトーンが強くなっていますが(必ずしも被害者家族であるから死刑賛成とは限らないとは思いますが、この作品ではそうなっています)、両論書かれています。
「そして蛭川も真の意味での反省には、とうとう到達できないままだった。死刑判決は彼を変わらなくさせてしまったんです」「死刑は無力です」(165ページ)
死刑囚の弁護をした弁護士のコメントです。
死刑判決を受けたがためにかえって自らのしたことに向き合わなくなってしまうという例を挙げているのですが、衝撃的な言葉です。
一方の死刑推進派は、主人公の妻で第二の事件の被害者である小夜子が(作中では)代表ですね。
「遺族は単なる復讐感情だけで死刑を求めるのではない。家族を殺された人間が、その事実を受け入れるにはどれほどの苦悩が必要なのかを、どうか想像していただきたい。犯人が死んだところで被害者が蘇るわけではない。だが、では何を求めればいいのか。何を手に入れれば遺族たちは救われるのか。市死刑を求めるのは、ほかに何も救いの手が見当たらないからだ。死刑廃止というのなら、では代わりに何を与えてくれるのだと尋ねたい。」(154ページ)
『人を殺した人間は、計画的であろうとなかろうと、衝動的なものだろうが何だろうが、また人を殺すおそれがある。それなのにこの国では、有期刑が下されることも少なくない。一体どこの誰に、「この殺人犯は刑務所に〇〇年入れておけば真人間になる」などと断言できるだろう。殺人者をそんな虚ろな十字架に縛り付けることに、どんな意味があるというのか。
懲役の効果が薄いことは再犯率の高さからも明らかだ。更生したがどうかを完璧に判断する方法などないのだから、更生しないことを前提に刑罰を与えるべきだ。』(174ページ)
小夜子の遺稿の記載です。
タイトルの「虚ろな十字架」はここから取られています。
「それぞれの事件には、それぞれにふさわしい結末があるべきだと思うのです。」(158ぺージ)
上で引用した弁護士のコメントで、おそらくこう考えるしかないのだろうと思うものの、ではどうすればいいのかという答えがないのが難しいですね。
冒頭もやもしていると書きましたが、死刑問題というのは簡単に結論が出せるようなものではない難しい問題なので、これ自体に方向性が(作中で)打ち出されないことにもやもやしているのではありません。
描かれている事件の構図が、死刑問題というテーマとマッチしていないように思えたことがもやもやしている点です。
というのも......
中原が調査を進めるうちに小夜子の事件が意外な様相を見せる、というのがミステリとしての展開なわけですが(これくらいは明かしてしまってよいと思います。正直いうとさほど意外ではありませんが...)、この真相は死刑問題を考えるにあたりふさわしいものだったのかどうか。
金目当てではなかったとはいうものの、つまるところはあくまで利己的な犯行に思えてしまったんですよね。この題材であれば、もともと死刑になるような犯罪ではないとはいえ(ここも死刑問題の観点から議論の余地があろうかとは思いますが)、もっと犯人サイドに同情の余地(情状酌量の余地というべきでしょうか?)がある犯行であるべきではないでしょうか?
ぼかした言い方をしますが、過去の出来事の性質がまさに同情の余地のあるものであるだけに、余計そう考えてしまいます。
死刑問題そのものが真相への目くらまし、というかたちにもなってしませんし、もやもやする所以です。
<蛇足>
「俺と君の連名にしてあるから」(122ページ)
史也が妻の花恵にいうセリフで、史也が小夜子の両親に宛てて書いた手紙が続くのですが、連名の手紙に「義父」という表現が出てきてあれっと思いました。
義父というのは完全に史也視点で、花恵の視点がないからです。
でもこういう場合(連名のそれぞれからみた呼称が違う場合)は何と書くがよいのでしょうね?
<2023.8.3追記>
2014年週刊文春ミステリーベスト10 第5位です。
祈りの幕が下りる時 [日本の作家 東野圭吾]
<カバー裏あらすじ>
明治座に幼馴染みの演出家を訪ねた女性が遺体で発見された。捜査を担当する松宮は近くで発見された焼死体との関連を疑い、その遺品に日本橋を囲む12の橋の名が書き込まれていることに加賀恭一郎は激しく動揺する。それは孤独死した彼の母に繋がっていた。シリーズ最大の謎が決着する。吉川英治文学賞受賞作。
2021年12月に読んだ8冊目の本です。
「このミステリーがすごい! 2014年版」第10位、2013年週刊文春ミステリーベスト10 第2位です。
前作「麒麟の翼」 (講談社文庫)の感想を書けていないので、加賀恭一郎の登場する作品としては「新参者」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)以来の感想です。
今回は、加賀恭一郎自身の事件、とでも言うべき事件を扱っています。
このパターンの物語の場合、真相の意外性の持つ重要度は下がります。
意外な真相よりは、主人公の来し方だったり気持ちだったりがビビッドに伝わってくることの方が重要だからです。
その意味ではこの作品も、他の東野圭吾作品と比べると意外性は低めです。
意外性は低くても十分楽しく読めます。
ネタバレになりそうですが、読んでいる間のワクワクは、倒叙物に近いといえば雰囲気が伝わるでしょうか?
この作品は、キーとなる脚本家・演出家を松嶋菜々子が演じて映画化もされています。(加賀は、当然阿部寛です)
この脚本家・演出家角倉博美のパートと、加賀恭一郎のパートが絡み合うプロットが、さすが東野圭吾ですね。
充実した読書体験ができました。
<蛇足>
「厚子の生き様など知りたくはないが」(352ページ)
いつも異を唱える「生き様」ですが、さすが東野圭吾というべきか、ここではまさに「生き様」と呼びたくなるような場所で「生き様」という語が使われています。
こうでなければ!
<2022.8.26>
タイトルが間違っていましたので修正しました。
夢幻花 [日本の作家 東野圭吾]
【第26回柴田錬三郎賞受賞作】 夢幻花(むげんばな) (PHP文芸文庫)
- 作者: 東野 圭吾
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/04/07
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
花を愛でながら余生を送っていた老人・秋山周治が殺された。第一発見者の孫娘・梨乃は、祖父の庭から消えた黄色い花の鉢植えが気になり、ブログにアップするとともに、この花が縁で知り合った大学院生・蒼太と真相解明に乗り出す。一方、西荻窪署の刑事・早瀬も、別の思いを胸に事件を追っていた……。宿命を背負った者たちの人間ドラマが展開していく“東野ミステリの真骨頂”。第二十六回柴田錬三郎賞受賞作。
プロローグが2つあります。
一つは凄惨な日本刀による殺人事件。
もう一つは主人公のひとりである蒼太の十四歳の頃の話で、初恋の少女伊庭孝美と入谷の朝顔市で出会う。うまくいきそうだったのに突然親に反対され、孝美からも別れを切り出されてしまいます。
その後、本編?となり、秋山周治が殺される事件で、もう一人の主人公である孫娘の梨乃が発見者となります。
この後の展開は、さすがは東野圭吾というべきでしょうか。
限定された登場人物を緊密に絡み合わせた複雑なプロットで堪能しましたが、今の東野圭吾の立ち位置からしてこれがよかったのかどうか。
東野圭吾といえば、今や押しも押されもせぬ国民的作家なのではないかと思うのですが、そうすると日頃ミステリなど読みつけない人も大勢読まれるわけで、この作品のようなプロットは「作り物めいている」「限られた人物たちのつながりが不自然」とか言われてしまいそうな気がします。
そんな心配をしてしまうほど、きっちり組まれています。
柴田錬三郎賞というのがどういう意図を持った賞なのかわかりませんが、賞のHPでは
傑作『眠狂四郎無頼控』をはじめ、不羈の想像力を駆使した数々の作品でひろく大衆の心をうち、ロマンの新しい地平を切り拓いた故柴田錬三郎氏の業績を称えて、氏の名を冠した賞を設け、現代小説、時代小説を問わず、真に広汎な読者を魅了しうる作家と作品を顕彰します。
と書かれていますので、真に広汎な読者を魅了しうると認定されているわけで、余計な心配でしたね。
ところで、この文庫本のカバーには当然のごとく朝顔が描かれているのですが、黄色い朝顔はないんですよね......
なぜだろう?
<蛇足1>
「このところ、捜査本部に詰めっぱなしだ。」(174ページ)
間違いではないと思いますが、微妙な表現だな、と個人的に思いました。
というのも、「~ぱなし」というのは辞書でみると「物事をしかけたままで、あとの始末をせずに捨てておくこと。」(手抜きをしてgoo国語辞書です)とありまして、この場合は少々ふさわしくなさそうです。
言うとしたら「詰め通し」なのでしょうね。
<蛇足2>
「出入りしている従業員たちの職服も白かった。」(175ページ)
職服という語が初見でした。
職務上着ることが要請される服、すなわち制服のようですね。
おもしろい表現だと思いました。
しのぶセンセにサヨナラ [日本の作家 東野圭吾]
<カバー裏あらすじ>
休職中の教師、竹内しのぶ。秘書としてスカウトされた会社で社員の死亡事故が発生。自殺にしては不自然だが、他殺としたら密室殺人。かつての教え子たちと再び探偵ごっこを繰り広げるしのぶは、社員たちの不審な行動に目をつける。この会社には重大な秘密が隠されている。浪花少年探偵団シリーズ第二弾。
東野圭吾といえば日本を代表する売れっ子作家で、出せばベストセラーとなりますが、昔はそうじゃなかった。(この「しのぶセンセにサヨナラ」 (講談社文庫)の、西上心太による解説は隔世の感があります)
デビュー作である江戸川乱歩賞受賞作「放課後」 (講談社文庫)を単行本で買ってからは、ずっと追いかけていました。
こちらの購買力の関係で、単行本で買ったものは少ないのですが、文庫になれば必ず。
ところがこの「しのぶセンセにサヨナラ」 (講談社文庫)は買い逃しておりまして、未読状態。気づいたときは品切れで悔しい思いをしていました。
さらに2011年に新装版が出ていたことにも気づいておらず。先日たまたま新装版の存在を知りさっそく購入、今に至ります。
よかった。気づいて。
読むペースがちっとも追い付いていませんが、これで小説完全読破の道が拓けました。
「浪花少年探偵団 」(講談社文庫)の続刊で、
「しのぶセンセは勉強中」
「しのぶセンセは暴走族」
「しのぶセンセの上京」
「しのぶセンセは入院中」
「しのぶセンセの引っ越し」
「しのぶセンセの復活」
6編収録の短編集です。
まあ、いずれも軽く仕上げられていますが、そこはさすが東野圭吾、ミステリらしい仕掛けはきちんと盛り込んであります。
また、小学校の先生(いまは休職して大学で勉強中ですが)が事件に巻き込まれる段取りも、いろいろなパターンを用意しています。
あとがきで「作者自身が、この世界に留まっていられなくなったから」と書いているように、今の東野圭吾なら、同じアイデアでももっと違ったアレンジの作品になるんだろうな、と思えるところが多々あるのも、今読めば読みどころなのかもしれません。
とはいえ、大人になった教え子たちが、ややこしい揉め事を持ち込んでくる、という話、読んでみたい気がしますね。
<蛇足>
「盗犯等防止法の一条に正当防衛の特則というのがある。盗みが目的で侵入してきた者を、恐怖や驚きのあまり殺傷してしまっても罪に問われないというものだ。」(264ページ)
ミステリ好きとしては情けないことに、盗犯等防止法のこの規定知りませんでした。
ミステリの題材にしやすそうなのに、あんまり読んだ記憶がないのは、こちらがぼけているんでしょうね......
疾風ロンド [日本の作家 東野圭吾]
<カバー裏あらすじ>
ハラハラが止まらない! 書き下ろし長編ミステリー
強力な生物兵器を雪山に埋めた。雪が解け、気温が上昇すれば散乱する仕組みだ。場所を知りたければ3億円を支払え――そう脅迫してきた犯人が事故死してしまった。上司から生物兵器の回収を命じられた研究員は、息子と共に、とあるスキー場に向かった。頼みの綱は目印のテディベア。だが予想外の出来事が、次々と彼等を襲う。ラスト1頁まで気が抜けない娯楽快作。
オープニングはスキー関係なのですが、続いて大学の医科学研究所に舞台が移って、炭疽菌が盗まれて脅迫される、と。
その炭疽菌を隠した場所が、スキー場らしい。
脅迫犯が事故で死んでしまい、さて、なんとかして炭疽菌を見つけて回収しなければ。
この研究所のシーンが、えらく劇画調というか、戯画的というか、あまりにマンガチックなので、その後の展開も、本当なら炭疽菌を扱っているのですから、シリアスでサスペンスフルなはずなのに、なんだかマンガチックに感じてしまいました(と、こういう言い方をすると最近の漫画に失礼かもしれませんが)。
研究所の冴えない(失礼)研究員が、中学三年生の息子の助けを借りて捜索へ。
でも、スキーがうまく滑れなくて、結局、スキー場の監視員の手助けを借りることに......
息子は、スキー教室に来ていた地元の女子中学生と親しくなり......
一方で情報を嗅ぎつけて、炭疽菌を横取りして金にしようとする人もあらわれ......
物語はテンポよく進み、写真から炭疽菌のある場所を突き止めるのもわりとあっさり。そんなに簡単にいくかな? と思いますが、全体がマンガチックに仕立て上げられているから、あまり気になりません(というか、気にするのもどうかなぁ、と思えてしまう)。
周りの人を巻き込みながら、炭疽菌捜しに(とはいえ、作り話をして、そんなに危ないものだとは伝えずに、なんですが)てんやわんやする様子は、なんだか、シャーロット・アームストロングの小説みたいです。たとえば「毒薬の小壜」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)とかね。
そうなんです。
現代風のガジェットがちりばめられて、スキー場という派手な舞台(派手、といっていいですよね?)ではありますが、要するところ、現代のお伽噺、なんですよね、きっと。
だからこそのこのラスト。
東野圭吾としては、やや書き飛ばした感がありますが、そのあたりも含めて狙い通りの作品なのではないでしょうか?
肩の凝らない娯楽作品として、さっと読める作品です。
タグ:東野圭吾
禁断の魔術 [日本の作家 東野圭吾]
<裏表紙あらすじ>
高校の物理研究会で湯川の後輩にあたる古芝伸吾は、育ての親だった姉が亡くなって帝都大を中退し町工場で働いていた。ある日、フリーライターが殺された。彼は代議士の大賀を追っており、また大賀の担当の新聞記者が伸吾の姉だったことが判明する。伸吾が失踪し、湯川は伸吾のある“企み”に気づくが…。シリーズ最高傑作!
ガリレオ・シリーズ第8弾。
短編集だった単行本の
「禁断の魔術 ガリレオ8」
から「猛射つ」を長編化して文庫版の「禁断の魔術」 (文春文庫)にしたということです。
タイトルの「禁断の魔術」は湯川のセリフからとられています。
「科学を発展させた最大の原動力は、人の死、すなわち戦争ではなかったのか」という、事件関与が疑われている青年・古芝君からの問いに対する答えです。
「もちろん科学技術には常にそういう側面がある。良い事だけに使われるだけではない。要は扱う人間の心次第。邪悪な人間の手にかかれば禁断の魔術となる。科学者は常にそのことを忘れてはならない」(178ページ)
古芝君が高校生のときに、湯川の指導を受けながら作り、新入生歓迎会で披露したというデモンストレーションがすごそうです。
この装置、レールガンなのですが(伏字にしておきます)具体的にどういうものかは明かされるのは物語の終盤です。
古芝君に対して湯川が、草薙がどういう行動を取るか、ということが物語の焦点となっていくわけですが、薄めの長編だからでしょうか、わりとまっすぐなストーリー展開になっています。
最後のシーンは緊迫感あふれてドキドキしますが、賛否わかれるでしょうねぇ......
そのときの湯川の心情を後で勝手に推測するシーンがありますが、内海の説が当たっている気がします。
それより気になったのは、最後の湯川のメールで
「急遽、ニューヨークに行くことになった。しばらく戻らない。」(!!)
シリーズ、これで打ち止めなのかな、と。
しかし、シリーズは続刊「沈黙のパレード」(文藝春秋)が出ているのを確認して安心しました。
<蛇足>
『「じゃなくて、ここへ来たんです」石塚が答えた。
「来た? 古芝君が?」
はい、と石塚。先輩だから、いらっしゃった、という敬語を使うべきだったことには気づいていない様子だ。』(152ページ)
高校生と草薙との会話なのですが、ちょっと考え込んでしまいました。
物理研究会の先輩にあたる古芝のことを話すので敬語を使うべきだった、という指摘がされているのですが、この場合、敬語ではないほうが正しいのではないかと思ったからです。
自分と同じ部活動に所属していた古芝のことを、完全に外部の人間(で、しかもかなり年上の)草薙に説明する際、この種の会話において敬意を表されるのは聞き手であって、会話の対象人物ではないから、です。
新人社員などは外部からの問い合わせに対しては、上司であっても敬語を使わないよう教えられます。
「課長はいらっしゃいません」
などと敬語で答えたら、強烈なダメ出しを食らうことでしょう。
これと同じようなシチュエーションではないか、と思われます。
敬語は難しくて悩んでしまいます。正解はどうなんでしょうね??
虚像の道化師 [日本の作家 東野圭吾]
<裏表紙あらすじ>
ビル5階にある新興宗教の道場から、信者の男が転落死した。男は何かから逃れるように勝手に窓から飛び降りた様子だったが、教祖は自分が念を送って落としたと自首してきた。教祖は本当にその力を持っているのか、そして湯川はからくりを見破ることができるのか(「幻惑す」)。ボリューム満点、7編収録の文庫オリジナル編集。
ガリレオ・シリーズ第7弾。
もともと単行本のときには、
「虚像の道化師 ガリレオ 7」
「禁断の魔術 ガリレオ8」
と2冊の短編集だったのを再編集し、「猛射つ」以外の作品を文庫版の「虚像の道化師」 (文春文庫)に収録、「猛射つ」は長編化して文庫版の「禁断の魔術」 (文春文庫)にした、ということのようです。
ああ、ややこしい。
ということで、この「虚像の道化師」には
「幻惑す まどわす」
「透視す みとおす」
「心聴る きこえる」
「曲球る まがる」
「念波る おくる」
「偽装う よそおう」
「演技る えんじる」
の7編収録です。
もっとも目次では、第一話、第二話、ではなく、第一章、第二章、となっていて長編のような形で掲げられていますが、各話につながりがあるわけではなく、短編集ですね。
このシリーズいわゆる物理トリックの限界に挑んでいる、という側面もありますが、そして最初の頃はそういう興味が強かったように思うのですが、最近では、物理トリックをどう物語に組み込むか、あるいは、物理トリックでどう物語を盛り立てるか、に焦点が当たっているような気がします。
たとえば、「心聴る きこえる」の幻聴(?)トリック、最後に作者注として「二〇一二年五月時点で実用化は確認されていません」と書かれていまして、その点では不可能なトリック、あるいは実際にはない技術を用いたトリックとして、アンフェアという非難を受けかねないトリックではありますが、物語にきれいに溶け込んでいるのであまり不満を感じません。
「透視す みとおす」の透視トリックも、そんなにうまくいくかなぁ、と思わないでもないですが、このトリックをきっかけとして登場人物間の関係に新しい光があたるので、これはこれであり、と思えてしまいます。
そのほかの作品にも簡単に触れておくと、
「幻惑す まどわす」
教団教祖の念の正体(?) はちょっと笑えてしまうのも、物理トリックならではでしょうか。
「曲球る まがる」
物理トリックらしいものは登場しないのですが、物理現象が謎解きに貢献します。
むしろピッチャーの投球をガリレオが解明しようとするのがおもしろいですね。
「念波る おくる」
双子がテレパシーを使う、という題材。
こういうのって、理に落ちるとおもしろくなくなりそうなのですが、そして理に落ちた着地を見せるのですが、謎をあばく方向に使っている点がよかったのかな、と思いました。
「偽装う よそおう」
物理トリックではなく、事件の解明を科学的に行っていく、という展開になっています。
しかし、湯川のキャラクター、ずいぶん変わってきていませんか!?
「演技る えんじる」
物理トリック、ではないですね、この作品で使われているトリックは。
ただ、一般人でも思いつきそうな、でもそれなりに凝ったトリックになっていて、個人的にお気に入りのトリックです。
全編を通して、若干のネタバレにはなりますが、事件の犯人以外の人物がトリックを使うという設定がちらほらあるのが気になりました。トリックにもいろいろな使いかたがある、ということですね。
ナミヤ雑貨店の奇蹟 [日本の作家 東野圭吾]
<裏表紙あらすじ>
悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されたのか? 3人は戸惑いながらも当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書くが……。次第に明らかになる雑貨店の秘密と、ある児童養護施設との関係。悩める人々を救ってきた雑貨店は、最後に再び奇蹟を起こせるか!?
東野圭吾の作品は一定の品質が保証されているようなものなので、安心して読めますが、帯の惹句が
「東野作品史上、もっとも泣ける感動ミステリー!」
なんて下品な謳い文句だこと。
「悩み相談、未来を知ってる私にお任せください」
というのも、中身を読んで書いたのかな? と思うくらい的外れな宣伝文句です。
角川文庫大丈夫か!?
さて、本書は、ミステリーというよりはファンタジーですね。
過去と現在がクロスするような設定が用いられているので、あえていうとSFファンタジー?
まあ、このあたりの設定そのものはちょっといい加減というか、あまり深く考えて設定されているようには思えませんでしたが、こういう設定を前提とすると、あとは如何に重層的にお話を組み合わせていくかに作者の手腕が問われるわけで、そのあたりは東野圭吾なので、うまいものです。
ナミヤ雑貨店に寄せられる悩み相談は、よくある、というか、ありふれたものでありながら、個別の事情というものもあり、簡単には回答が出せないものです。
「オリンピック選手を目指して練習に打ち込むべきか、不治の病で余命わずかの恋人に寄り添っているべきか」(相談者:月のウサギ)
「音楽で身を立てたいという夢を負うべきか、それともあきらめて実家の家業を継ぐべきか」(相談者:魚屋アーティスト)
「子供のできにくい身体にようやく授かった命。でも妊娠は不倫の結果であり、堕すべきか、生むべきか。」(相談者:グリーンリバー)
「平穏な中学生生活を送っていると思っていたら、家が夜逃げすることになり、両親についていくべきか、自分の信じる道を進むべきか」(相談者:ポール・レノン)
「経済的に自立したいと思っているのでいつか自分の店を持つのが夢で、腰掛けのようなOLを続けるべきか、ホステスを続けるべきか」(相談者:迷える子犬)
この乱暴な要約ではちゃんと伝わりませんが、背景含めて考えると、いろいろと重い問いです。
これらの問いに(全部ではありませんが)、三人組が対応できるのか、と当然思うのですが(もともとのナミヤ雑貨店の主、浪屋雄治にとっても難しいことだと思いますが)、そのあたりも作者は配慮していますね。そんなうまくいくパターンばかりじゃないだろう、という読者の想像にも一定の手当てはなされています。
これらの問いを通して、数多の登場人物を絡み合わせていきます。
重要な舞台、というよりはキーとなる場所として、ナミヤ雑貨店と児童養護施設「丸光園」の2つが挙げられます。
これらが強く結びついていきますので、これだけ重なることはない、不自然だ、という評価を下される読者もいらっしゃると思いますが、こういうストーリーの場合、不自然を承知で、幾重にも重層的に登場人物を重ね合わせていくほうが物語が面白くなるように思いますので、これでよいのだと思います。
殊に、最後にくるっと三人組の話に戻っていくあたりは、さすがベテラン作家と思えました。
ところで、ナミヤ雑貨店に忍び込む三人組、年齢設定等ちゃんと読み返して確認してはいないのですが、バブル経済の推移とかを詳しく知るような人物でしたでしょうか? なんとなくですが自分たちが生まれる前の日本の出来事をちゃんと把握しているような人物ではなかったかと思うのです。
344ページから書かれている内容ですが、作品のキーとなる部分なので、気になっています。
<蛇足>
「血の巡りの悪い頭で、一所懸命に考え抜きました」(231ページ)
とあってうれしくなりました。
東野圭吾、偉い! ちゃんと「一所懸命」ですね。当たり前なんですが、間違っている小説が多いので...
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マスカレード・イヴ [日本の作家 東野圭吾]
<裏表紙あらすじ>
ホテル・コルテシア大阪で働く山岸尚美は、ある客たちの仮面に気づく。一方、東京で発生した殺人事件の捜査に当たる新田浩介は、一人の男に目をつけた。事件の夜、男は大阪にいたと主張するが、なぜかホテル名を言わない。殺人の疑いをかけられてでも守りたい秘密とは何なのか。お客さまの仮面を守り抜くのが彼女の仕事なら、犯人の仮面を暴くのが彼の職務。二人が出会う前の、それぞれの物語。
「マスカレード・ホテル」 (集英社文庫)(感想ページへのリンクはこちら)に続くシリーズ第2弾なのですが、この「マスカレード・イブ」 (集英社文庫)は、「マスカレード・ホテル」 の前日譚ともいうべき短編集です。
第1話『それぞれの仮面』と第3話『仮面と覆面』が、ホテルマン・山岸尚美の話、第2話『ルーキー登場』が新田刑事の話、そして第4話『マスカレード・イブ』で両者が微妙に交差する(微妙に交差、というのは二人が直接会いませんし、その存在を意識したりはしないからです)、という形になっています。
興味深いのは第3話『仮面と覆面』ですね。
覆面作家とそのストーカーを取り扱っているのですが、その名前が玉村薫!
遊びすぎですよ、東野さん。ただ、真相(?) は見抜けてしまいました。
ミステリ的にはやはり一番長い表題作の『マスカレード・イブ』ですね。
手垢のついたトリックといってもいいトリックを使っているのですが、これには感心しました。
引用している裏表紙あらすじは、この『マスカレード・イブ』のものなのですが、そこでいう「殺人の疑いをかけられてでも守りたい秘密」にはびっくりを通り越して、笑えてしまいます。この点で、薔薇の香水という小道具もとても気が利いていると思いました。
シリーズは次作「マスカレード・ナイト」(集英社)が昨年出ていますね。文庫になるのを楽しみに待ちます。
<蛇足>
第1話のラストで山岸尚美が客にかける言葉は、ホテルマンのプロとしてアウトだと思います。
「私どもは、どんなにお金を積まれても、お客様の仮面に隠された本当の顔をほかの方に教えることは絶対にございません。その素顔が美しいならともかく、醜ければなおのことです」(61ページ)
伏字で引用しておきます。
この作品の段階で山岸尚美は未だ駆け出しのフロントマンだから仕方ないのかもしれませんが、山岸尚美らしくないセリフだと気になりました。
タグ:マスカレード・ホテル 東野圭吾