幻影城市 [日本の作家 柳広司]
<カバー裏あらすじ>
野望と陰謀が交錯する満州の人工都市新京。この映画の都は「幻影城市」と呼ばれた。若き脚本家志望の英一は日本を追われ、満州映画協会の扉を叩く。理事長甘粕正彦、七三一部隊長の石井四郎、無政府主義者、抗日スパイら怪人が闊歩する中、不可思議な事件が続発する──『楽園の蝶』を改題、改稿した決定版。
2024年1月に読んだ2冊目の本です。
柳広司「幻影城市」 (講談社文庫)。
単行本の時のタイトルは、「楽園の蝶」だったようです。
日本を追われるように満州の首都新京へ逃げ出した24歳の主人公英一。脚本家死亡であることから、伝手を頼って満州映画協会へ。
こういうのいいですね。
持参した脚本について、ドイツ帰りの若き女性監督・桐谷サカエから厳しい洗礼を受ける。
これもいい。
脇を固めるのは、独身寮の相部屋で4歳年上の山野井、脚本部養成所の中国人学生陳文、出稼ぎに新京にやってきたその妹桂花、フィルム倉庫のちょっと怪しげな渡口老人。
楽しくていいではありませんか。
撮影所での幽霊騒ぎからはじまり、主演女優がけがをする事故へと.......
この部分、楽しい。
通勤電車で読んでいたのですが、没頭して危うく乗り過ごすところでした。
面白く読んだのですが、不満もあります。
満州ということで、満州映画協会の理事長があの甘粕正彦。
さらには七三一部隊長の石井四郎まで出てきます。あらすじにもあるように、無政府主義者や抗日スパイの姿も見え隠れ。
とすると、物語の背景というか枠組みの見当がうっすらとついてしまいます。
そしてその通りに物語は進んでいく。
ちょっと興ざめですよね。
「満州には国民が一人もいない」(209ページ)
という指摘があり、
「嘘ですよ、五族協和なんて。この新京ですら、中国人は中国人で街を作り、満州人は満州人でひとかたまり、蒙古人は蒙古人同士、朝鮮人や日本人は言うまでもありまえん。何のことはない、五族が別々に暮らしているだけです。とても協和なんて呼べるものじゃありません。」(210ページ)
と。
虚構を作る満映が、「見えているままのものは何ひとつない。すべてが見かけとは違う。すべてが欺瞞、すべてが幻、すべてが嘘」(207ページ)として ”幻影城市” と呼ばれていることと、満州のありさまを重ね合わせるというのは物語の狙いとしてよくわかるのですが、そのせいでか、謎の底が浅くなってしまっているのは少々寂しい。
もっとそれぞれの立場が入り乱れるような謎を、柳広司なら紡ぎだせたはずと思えてなりません。
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怪談 [日本の作家 柳広司]
<カバー裏あらすじ>
残業を終え帰路を急ぐ赤坂俊一が真っ暗な坂道をのぼる途中、うずくまって泣いている女を見かけた。声をかけると、女はゆっくりと向き直り、両手に埋めていた顔をしずかに上げた──その顔は(「むじな」)。ありふれた現代の一角を舞台に、期せずして日常を逸脱し怪異に呑み込まれた老若男女の恐怖を描いた傑作6編。
2022年12月に読んだ9冊目=最後の本です。
「雪おんな」
「ろくろ首」
「むじな」
「食人鬼」
「鏡と鐘」
「耳なし芳一」
の6話収録。
タイトルにも明らかなとおり、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」を踏まえた短編集です。
冒頭の「雪おんな」を読んで、テイストに感心してしまいました。
”怪談” と呼ぶには怖くなさすぎるのですが、八雲の「怪談」のテイストとはがらりと変わったミステリ世界を構築しているので。
雪おんなをベースにしていること自体を有効に活用しているように思えます。
ただ、ミステリとして捉えるとあまりにアンフェアな感じがするのが難点です(特に29ページの最終行にはひっかかりを覚えます)。
一転して「ろくろ首」は、ミステリ調の話をラストで怪談テイストに染めてみせる作品。
怪談とミステリというと、カーやマクロイの作品を連想する方も多いと思いますが、それらとは違った行き方なのが印象的でした。
「むじな」はのっぺらぼうなんですね。
第3話ともなるので、ミステリと怪談を行き来する物語であることを前提として読者が読むことを意識して書かれているのだと思いますが、このオチのつけ方は常套的すぎるのが難点でしょうか。
「食人(しょくじん)」という単語がありますが、「食人鬼」は「じきにんき」と読むのですね。
ミステリで食人といえばある一定の作風が思い浮かぶのだと思いますし、それを思わせるような設定で捜査にあたる所轄の巡査の視点で進んでいくのですが、思わぬところに着地してびっくりしました。間違っても「ニンマリしました」と言ってはいけませんね。
「鏡と鐘」はボランティアで不用品を募集しているというHPを勝手に開設され全国から宅配便が送られてきてしまうという発端でスタートしますが、怪談になりそこなった話のように感じられました(いちばん怖いのは人間だ、というのも怪談だとすれば怪談ですが)。その分現実の話として面白かったです。
「耳なし芳一」はライブハウスで人気を掴んだ若者が陥る怪しい都市伝説のようなものが扱われていますが、これは現実と怪談が闘う話なのでしょうか?
怪談サイドの話の背景があまり明かされないがかえって怖いです。
しかし、平家物語の文言をアレンジした曲って、売れますかね?
全体として、怪談とミステリの間を行ったり来たりすることを前提に楽しむ連作という印象を受けました。
オリジナルの(?)小泉八雲の「怪談」は子供の頃に子供向けで読んだだけなので、大人の目で読みなおすのがよいかも、と思いました。
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ロマンス [日本の作家 柳広司]
<カバー裏あらすじ>
ロシア人の血を引く白皙の子爵・麻倉清彬は、殺人容疑をかけられた親友・多岐川嘉人に呼び出され、上野のカフェーへ出向く。見知らぬ男の死体を前にして、何ら疚しさを覚えぬ二人だったが、悲劇はすでに幕を開けていた……。不穏な昭和の華族社会を舞台に、すべてを有するが故に孤立せざるを得ない青年の苦悩を描いた渾身作。
2022年8月に読んだ4冊目の本です。
ロシア人の血を引く白皙の子爵・麻倉清彬が主人公で、タイトルが「ロマンス」というと、華やかな華族の世界での華麗なる恋愛を想像してしまいますが、カフェーで捕まっている友人を見受けに行くという、ロマンスをまったく感じさせないオープニング。
この友人の妹との恋模様も描かれますが、この作品で言うロマンスは通常のロマンスとは少し毛色が違うようです。
「人が何かを完全に確信している時、それは決して真実ではないのです」
「それが古今東西の人間の歴史が証明してきた信仰の致命的な欠陥です。そして同時に……」
「それがロマンスの教訓なのです」(149ページ)
こう主人公清彬が言うシーンがあります。
「華族は皇室の藩屏なり。ノーブレス・オブリージュ。高貴なる者には高貴なる義務があるべし。」(22ページ)
新聞記事の引用として書かれていることですが、貴族社会のきらびやかな表層と表裏一体の窮屈さを端的に表した言葉でもありますね。
不穏な世情にも、相互の人間関係にも、疲れるところは当然あるでしょう。
この対極として象徴的に描かれるのが、八歳だか九歳だかの頃に飲まされたアブサンのおかげでみた
「目の前に見たことがない程美しい青空がどこまでも広がっていた。」(36ページ)
という世界感。
「みんな本当は、肩や、肘や、手首の先に目に見えない糸が結ばれていて、誰かが操っているのではないか。自分で喋っているようでいて、本当は誰かの指示で唇が上下に動いているだけなのではないか。頭の上には人々を操る目に見えない何本もの糸が伸びていて、手を伸ばしさえすれば、その目に見えない糸に触れられるのではないかーー。」(221ページ)
「清彬はふいに何事かを理解した。
その特別な一本の糸を断ち切った瞬間、自分を搦め捕り、窒息させているこの世界は跡形もなく瓦解する。そして後には――。
幼い頃、アブサンが見せたあの青い空だけが残る。」
「これが、見えない糸に雁字搦めにされた自分に唯一残された一篇のロマンスなのだと。」(224ページ)
とつらなる清彬の述懐は「ロマンス」の意味が凝縮されたものと言えるのでしょう。
いわゆる通常の「ロマンス」と地続きになっている点がポイントかと思います。
冒頭のエピグラフが
「ロマンスとは手の届かないものに憧れ、両手を精一杯差し伸べた姿だ。(E・M・フォスター)」
というのもこのことと照らし合わせていろいろと考えてしまいます。
ミステリとしての枠組みは、古典的とも言えそうで、ある意味様式美に沿ったものです。そのため読み慣れている人には意外性はあまりないものと言えるかと思います、描かれる「ロマンス」と呼応し合うパターンが意識的に選ばれているものだと感じました。
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ソクラテスの妻 [日本の作家 柳広司]
<カバー裏あらすじ>
皆さんがおっしゃるほど、わたしはあの人にとって“悪い妻”だったのでしょうか? ソクラテスの死後、悪妻クサンティッペが亡夫の実像を語る表題作の他、オイディプス、ゼウス、ミノタウロス、イカロス、タレス……いつか耳にしたギリシアの神や人々が、生き生きとよみがえる。平明な文体に深遠な哲学が沁み込んだ掌編集。
柳広司のこの作品、ミステリではありません。
ミステリ風味ですら、ありません。
「オイディプス」
「異邦の王子」(アナカルシス)
「恋」(テセウスとアリアドネ)
「亡牛嘆」(ミノタウロス)
「ダイダロスの息子」(イカロス)
「神統記」(ゼウス)
「狂いの巫女」(アガメムノン)
「アイギナの悲劇」(ミュシアス)
「最初の哲学者」(タレス)
「オリンポスの醜聞」(ヘファイストス)
「ソクラテスの妻」
「王女メデイア」
「ヒストリエ」(ヘロドトス)
(括弧内に、主となる人物の名前を備忘のために補記しました。)
13話収録ですが、各話原稿用紙10枚とのことですから、ギリシャに関係した話でまとめられた、まさに掌編集。
それ以上でも、それ以下でもないのですが、いつまでたっても覚えられないギリシャの物語が、すっきり語られているのは長所だと思います。
(とはいえ、すぐにまた忘れてしまうのですが)
人間だけではなく、人間臭い神々の物語の入り口にふさわしいと思いました。
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ラスト・ワルツ [日本の作家 柳広司]
<カバー裏あらすじ>
華族に生まれ陸軍中将の妻となった顕子は、退屈な生活に惓んでいた。アメリカ大使館主催の舞踏会で、ある人物を捜す顕子の前に現れたのは――(「舞踏会の夜」)。ドイツの映画撮影所、仮面舞踏会、疾走する特急車内。帝国陸軍内に極秘裏に設立された異能のスパイ組織“D機関”が世界で繰り広げる諜報戦。ロンドンでの密室殺人を舞台にした特別書き下ろし「パンドラ」収録。スパイ・ミステリの金字塔「ジョーカー・ゲーム」シリーズ!
「ジョーカー・ゲーム」 (角川文庫)(感想ページはこちら)
「ダブル・ジョーカー」 (角川文庫)(感想ページはこちら)
「パラダイス・ロスト」 (角川文庫)(感想ページはこちら)
に続くシリーズ第4弾です。
「ワルキューレ」
「舞踏会の夜」
「パンドラ」
「アジア・エクスプレス」
の4話収録。
「ワルキューレ」の冒頭、緊迫したドイツと日本のスパイの逃亡劇で、このトーゴーという日本人スパイが、D機関員なのかな、でも、死んじゃいそうだし違うかな(D機関のスパイは死なないよう教育・訓練されています)と思っていたら、これが新作映画で、その主演俳優である逸見五郎の話に切り替わります。逸見五郎、映画製作費の流用疑惑があり、また、ゲッベルスの愛人にも手を出していて......
ちゃんと本物の日本のスパイも登場し、短い中にもしっかりどんでん返しが仕掛けられています。
「舞踏会の夜」の視点人物は千年の歴史を誇る五條侯爵家の(元)令嬢で、現在は加賀見陸軍中将の妻、顕子。二十年前若かりし頃に出会った軍人ミスタ・ニモ(誰でもない男)との再会を期待していた。これ、ミスタ・ニモが、D機関の結城中佐だろうな、と見当がつきますね。
当然、甘い再会、なんて凡庸なストーリーにはなりません。
数々の目くらましやミス・リーディングに支えられて、静かだけれども、意外なストーリーが展開します。個人的には動きは少ないものの、派手なストーリーだと受け止めました。
なぜ顕子視点なのかも含めて、よく巧まれた作品です。
「パンドラ」は、ロンドンで発生した密室変死事件を捜査するヴィンター警部の視点で進みます。
D機関、あるいはそのスパイがなかなか出てこないので、さて、どういう枠組みなんだろう、と思いながら読んでいると、鮮やかな登場ぶりでした。
「アジア・エクスプレス」は、満鉄特急<あじあ>号を舞台にして、正面きって?D機関のスパイ瀬戸礼二を視点人物にしています。
その列車の中で、ソ連のスパイが殺される。
その死をどう処理するか......
スパイならではの、というか、D機関ならではの目の付けどころがポイントです。
いずれも堪能しましたが、この「ラスト・ワルツ」のあと新作はでていませんし、タイトルにラスト、とつくくらいなのでシリーズ最終作なのでしょうか。
特に終わりにする必然性のあるストーリーにはなっていませんし、まだまだ続けることができるのでは、と思います。
戦争に突入してしまった日本を背景に、D機関がどう動くのかみてみたいです。
ぜひ、ぜひ、続編をお願いします!
<蛇足1>
「血腥い二度のクー・デター」(161ページ)
「クーデター」という語に「・」があることにおやっと思いました。
もとはフランス語の、coup d'État ですから、二語なので(厳密には前置詞?こみで三語かも)、「・」があってもおかしくないですね。
<蛇足2>
「《猫と鵞鳥亭》。ロンドンの中心ピカデリーサーカスから一本裏通りに入った場所にある地元(ローカル)パブだ。」(227ページ)
《猫と鵞鳥亭》、いかにもありそうな名前なので、ピカデリーサーカス周辺のパブを調べてしまいましたが、ありませんでした。
今はなくなってしまったのか、そもそも作者の創作なのか.....どちらでしょうね?
ほかにも、《賢い梟(オールド・オウル)亭》(210ページ)とか《葡萄と羽根(グレイブ・アンド・フェザー)》亭(236ページ)とか、いかにもありそうなパブ名が出てきて、面白かったです。
パラダイス・ロスト [日本の作家 柳広司]
<カバー裏あらすじ>
大日本帝国陸軍内にスパイ養成組織“D機関”を作り上げ、異能の精鋭たちを統べる元締め(スパイ・マスター)、結城中佐。その正体を暴こうとする男が現れた。英国タイムズ紙極東特派員アーロン・プライス。結城の隠された生い立ちに迫るが……(「追跡」)。ハワイ沖の豪華客船を舞台にした初の中篇「暗号名ケルベロス」を含む全5篇。世界各国、シリーズ最大のスケールで展開する、究極の頭脳戦! 「ジョーカー・ゲーム」シリーズ、待望の第3弾。
「ジョーカー・ゲーム」 (角川文庫)(感想ページはこちら)
「ダブル・ジョーカー」 (角川文庫)(感想ページはこちら)
に続くシリーズ第3弾です。
このシリーズの大ファンなので、読めただけでも大満足なのですが、作品も快調なので言うことなし、です。
そういえば先日読んだ岡田秀文「海妖丸事件」 (光文社文庫)の解説で宇田川拓也が、この「パラダイス・ロスト」 (角川文庫)収録の「暗号名ケルベロス」を、船上の事件を扱ったミステリとして紹介していましたね(感想ページはこちら)。
4話収録なのですが、いずれもスパイの騙し合いが知的ゲームとして展開されています。
「誤算」は、パリを舞台にレジスタンスを背景に(前面に?)した作品です。
最後のD機関員のセリフ
「但し、次はもう少し骨のある任務をお願いします。」
というところでニヤリとはしますが、「誤算」で描かれている今回の任務、想定に反して(D機関員としてはこれすら想定の範囲内と言わねばならないのでしょうが)難度が非常に高い物だったように思います。
「失楽園」はシンガポールのラッフルズ・ホテルが舞台ですね。
恋人が殺人容疑で逮捕されてしまった米海軍士官の視点で描かれますので、さて、誰がD機関員なのか、を探す楽しみがあるのかな、と思いつつ読んだのですが、そういう狙いの作品ではありませんでした。
殺人事件の真犯人を突き止める、というストーリーの裏に、D機関員の活躍が忍ばせてあるのが、最後に浮かび上がってくる、という流れを堪能しました。
「追跡」は、日本が舞台です。
英国タイムズ紙極東特派員プライスの視点で描かれます。
プライスが取材しようとしている対象がD機関、しかも結城大佐というのですから、豪儀ですね。
相手が結城大佐というだけあって、周到な仕掛けがあるのですが、しかしなぁ、結城大佐って、そんな前からこういう事態を想定していたのでしょうか? 驚くばかりです。
最後の「暗号名ケロべロス」は前篇、後篇に分かれていますが、分ける必要がよくわかりませんでした。
サンフランシスコから横浜へ向かう《朱鷺丸》という豪華客船が舞台です。
一九四〇年六月という時期で、ドイツがポーランドに侵攻し世界大戦がはじまったのが、前年九月で、日本が未だアメリカと開戦していないタイミングです。
“中立国”であるアメリカから、“中立国”である日本籍の船に、ドイツ人が乗っていて、危険な大西洋航路を避け、太平洋をぐるっとまわって母国に帰ろうとしている。
そこへイギリスの軍艦が近づいてきて威嚇。そのさなか、船上で殺人事件が発生。(この段階で被害者の正体は明かされているのですが、エチケットとして伏せておきます)
ここまでが前篇です。
後篇に入って、イギリスの士官が乗り込んでくると同時に、殺人事件の真相究明が行われます。
ここでもD機関員のすごさが発揮されます。
前篇のオープニングで描かれる船の襲撃シーンが、頭を離れないので、非常にスリリングな物語になっていました。
シリーズ第4作「ラスト・ワルツ」 (角川文庫)もすでに文庫化されています。
ラスト、とつくくらいなのでシリーズ最終作なのでしょう......そのあとは出ていませんので。
<蛇足>
「極めつけは二本の釣り竿だ。」(59ページ)
これ、正しくは「極め付き」で「極めつけ」は間違いだと聞いたことがあります。柳広司にしては手抜かりですね。
なお、この文章、作中ではおもしろい意味が込められていまして、ニヤリとしました。
ナイト&シャドウ [日本の作家 柳広司]
<裏表紙あらすじ>
世界最強の警護官集団「シークレットサービス」での研修のため渡米したSP首藤は初日、フォトジャーナリストの美和子と出会う。国際テロ組織が大統領暗殺を予告し緊張が走るなか、美和子が誘拐される。首藤は相棒バーンと共に警護を完遂し、彼女を助け出すことができるのか。圧巻のボディガードミステリ。
柳広司は今年1月に「キング&クイーン」 (講談社文庫)を読んでいるのですが、感想は書けず。感想を書くのは「ダブル・ジョーカー」 (角川文庫)(感想ページへのリンクはこちら)以来ですから、ずいぶん久しぶりですね。
警視庁警備部警護課、通称”SP”から、アメリカ合衆国秘密検察局警護調査部、通称”シークレットサービス”に研修で遣わされた首藤が主人公です。
「シークレットサービスは、一八六五年、合衆国財務省の法執行機関として創設された。
正式名称は”合衆国財務省秘密検察局”、アメリカで最も古い犯罪捜査機関の一つだ。
一九〇一年まで、シークレットサービスの主たる任務は『通貨および政府発行の小切手・債券類の偽造を防止し、国家の経済構造を保持すること』であった。」(259ページ)
「シークレットサービスに《要人警護部門》が設けられたのは一八九四年、偶然の成り行きだ」
「シークレットサービスに大統領警護の法的権限が与えられたのは、一九〇一年にマッキンリー大統領が暗殺され、セオドア・ルーズベルトがその後を引き継いだ翌年からだ」(260ページ)
知りませんでした。皆さんご存じなのでしょうか?
映画や小説でシークレットサービスはそれなりに登場してくるのですが、財務省所属であるとか、昔は偽札バスターだったとか、聞いたことがないように思います。
揚げ足取りですが、11ページに最初にシークレットサービスの名称を掲げる際”財務省”を落としているのはどうしてかなぁ、と思いました。こう書くのが普通?
首藤が研修中に頭角を現し、日本の首相が訪米する際の大統領警護に実際に当たる、という展開なのですが、首藤がスーパーマンなんです。
この設定を受け付けない人もいると思います。
銃規制を求めるデモ中に起こった騒ぎにあたり、首藤が暴漢を取り押さえるくらいはいいのですが、この後も訓練で抜群の成績を収める続けて、他を圧倒するのですから。訓練だけではなく実戦でもいかんなくその手腕を発揮します。
でも、これは
「日本の剣の達人(マスター・オブ・ソードマン)、”ジェダイの騎士”というわけか……」(23ページ)
と首藤の指導役(?)、バディであるサム・バーンが感想を漏らしていることから想像したのですが、わざとそう狙って設定したものだと思います。
また、首藤は主人公なんですが、視点人物になることはほとんどありません。首藤の心情や考えが読者にさらされることもほとんどありません。
このため、物語がゲーム的というのか、非常に乾燥した感じで進んでいきます。
フォトジャーナリスト美和子という人物が出てきて、首藤と絡んでいくのですが、こちらは逆にうるさいくらいに心情描写がされます。
そのため一層首藤の謎めいたところが強調されてはいるのですが、このギャップも読者の好みのわかれるところではないでしょうか。
事件の方は、柳広司らしく、幾層にも入り組んだ構造を作り上げていて堪能しました。
裏の裏は表? 裏? みたいな感じ。こういうの好きなんですよね。
銃規制デモ、国際テロ組織《狼の谷》、《クリスタルタワー》と呼ばれる再開発ビル、大統領暗殺予告、日本の首相訪米、オペラ「魔弾の射手」...
それぞれのパーツも、うまく機能していたと思います。
ところで本書、2014年に単行本が刊行されたもので、本文中に年号は明示されていませんが(読み逃しでなければ)、かなり時代的には遡った設定になっています。
「新たな千年紀を迎えるにあたって合衆国の首都ではあちらこちらで再開発の計画が進行していた。」(266ページ)という記載もありますが、どうしてもっとはっきり何年と書かなかったのでしょう?
ラストを見ると、首藤を主人公にしたシリーズかも可能なようになっているように思われたので、そう思いました。
<蛇足1>
「事前情報になかった現場の状況を鑑みて最善の警護のために行われたものだ」(14ページ)
うーん。「を鑑みて」か...柳広司よ、お前もか!
<蛇足2>
「CIAが掲げるというあの皮肉な格言”右手の行いを左手に告げるなかれ”」(402ページ)
ここを読んで、聖書マタイ伝ではなく、渡辺容子の乱歩賞受賞作「左手に告げるなかれ」 (講談社文庫)を連想してしまいました...
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ダブル・ジョーカー [日本の作家 柳広司]
<裏表紙あらすじ>
結城中佐率いる異能のスパイ組織“D機関”の暗躍の陰で、もう一つの諜報組織“風機関”が設立された。その戒律は「躊躇なく殺せ。潔く死ね」。D機関の追い落としを謀る風機関に対し、結城中佐が放った驚愕の一手とは? 表題作「ダブル・ジョーカー」ほか、“魔術師”のコードネームで伝説となったスパイ時代の結城を描く「柩」など5篇に加え、単行本未収録作「眠る男」を特別収録。超話題「ジョーカー・ゲーム」シリーズ第2弾!
前作「ジョーカー・ゲーム」 (角川文庫)(ブログの感想へのリンクはこちら)に続いて、輝かしいベスト10入賞(?) です。
「このミステリーがすごい! 2010年版」、2009年週刊文春ミステリーベスト10 ともに第2位。「2010 本格ミステリ・ベスト10」では第7位でした。
たいへん評価の高かった前作「ジョーカー・ゲーム」 に続くシリーズ第2作なので、プレッシャーも強かったと思うのに、軽々とハードルをクリアして、またもやの高評価です。
スパイものというと、重厚長大、重苦しい雰囲気のものが多かったりしますが、本シリーズはまずもってコンパクトなのがいいですね。また非常にゲーム性の強い作品になっていて、スパイの知的遊戯(遊戯といったら叱られるかもしれませんが)の側面が強く打ち出されているのも、ミステリファンにはうれしいところ。
戦時下あるいは戦争前夜という設定なので、厳しい内容も当然含まれているのですが、こうしたスタンスのおかげで、どことなく軽やかというか、少し現実の悲惨さとは微妙に違う世界観で、楽しめます。
また各編いろんな立場からD機関のありようが切り取られていて、D機関と対立する機関との対決、なんて趣向もあります(表題作)。シリーズ全体を通して、D機関が浮かび上がってくる、そういう趣向なのでしょう。
シリーズ第3作「パラダイス・ロスト」 (角川文庫)もすでに文庫化されていて、読むのが楽しみです。
虎と月 [日本の作家 柳広司]
<裏表紙あらすじ>
父は虎になった。幼いぼくと母を残して。いつかは、ぼくも虎になるのだろうか……。父の変身の真相を探るため、少年は都へと旅に出た。行く先々で見聞きするすべてが謎解きの伏線。ラストの鮮やかなどんでん返し! 中島敦の名作「山月記」を、大胆な解釈で生まれ変わらせた、新感覚ミステリ。 読めば膝を打つこと請け合いです。
柳広司が今回選んだテーマは、中島敦の「山月記」 。
「山月記」 といったら、高校の国語で習ったなぁ、と遠い目で懐かしんでしまいますが、「山月記」 の謎を解明する(?) 話です。
あらすじでもお分かりのように、虎になってしまった父親・李徴の謎を息子が解き明かそうとする物語になっています。
もともとは理論社のミステリーYA! シリーズの1冊として刊行されたヤングアダルトものということもあってか、息子の一人称で語られますので、硬質で研ぎ澄まされたような「山月記」 の世界とは違い、かなりやわらかく、軽い感じに衣替えしているのがポイントでしょうか。
そもそも人間が虎になるという設定を、どう取り扱うのか、ミステリファンとしてはそこに注目して読み進むわけですが(本当に虎になったのだ、というファンタジックな使いにするのか、それとも「虎」とは何かの比喩なのか、お手並み拝見といった要素は少なからずあります)、十四歳の主人公の成長物語に絡んで、しっかり楽しめました。
謎解きの過程でも、漢詩が重要なキーとなるのも、意外と(?) 鬱陶しくなく、すっと頭に入ってきました。
名作をもとに、こうやっていろいろとひねって遊んでみせるって、贅沢ですよねぇ。
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パルテノン [日本の作家 柳広司]
<裏表紙あらすじ>
古代ギリシア黄金期をダイナミックに俯瞰!
ペルシア戦争で勝利をおさめ、民主制とパルテノン神殿の完成によって、アテナイが栄華を極めた紀元前五世紀。都市国家(ポリス)の未来に希望を託し、究極の美を追究した市民の情熱と欲望を活写する表題作「パルテノン」ほか、「巫女」「テミストクレス案」の三編を収録。『ジョーカー・ゲーム』でブレイク前夜に刊行、著者の「原点」として位置づけるべき意欲作、待望の文庫化!
副題に「アクロポリスを巡る三つの物語」とあります。
三編収録されていますが、長さにはだいぶ差があって、最後の「パルテノン」が全体の約三分の二を占めています。
長短問わず、いずれも面白く読みましたが、ミステリ味はきわめて希薄ですね。
たとえば「テミストクレス案」について、解説で宮部みゆきが--この解説もとても面白いです。作品の解説になっているか、というとやや疑問が残りますが、おもしろいです--、創元推理短編賞の応募作だったことを明かしていて、選考委員だった宮部みゆきは「小説としては、候補作のなかでいちばん面白い」と褒めていたのに、そのときは受賞作なしという結果で落選だった、という (しかもその事実を宮部みゆきは忘れていて、後日柳広司自身から指摘される) エピソードを披露していますが、うーん、おもしろいけれど、「創元推理短編賞」としてはミステリ味が薄すぎて推しきれなかったんじゃないでしょうか?
その他の作品も、諜報戦だったり (神託を告げる巫女が、今でいう情報戦を仕掛けている!、という話)、ギリシャ世界を舞台にした法廷劇だったりするので、ミステリには近しいところを描いていますし、逆転劇とか発想の転換もみられるのでミステリの要素は盛り込まれていますが、印象としてミステリという感じはあまりしませんでした。
それでも、じゅうぶんおもしろい。古代ギリシャなんて、ひたすら縁遠い世界が、なんだか身近です。
パルテノン神殿も、大英博物館で<エルギン・マーブル>なんかを見たものですが、当時の姿に思いを馳せることなどなく過ごしてきましたが、この「パルテノン」を読んで想像をめぐらせてしまいました。
アテネに観光に行く前に、この本を読めればよかった--出版されてなかったので、無理ですけれどね。
いわく「空へ向かおうとしている神殿」。いわく「重い大理石で造られていながら、“重さ”を少しも感じさせない軽やかな神殿建築」。
ああ、みてみたかったなぁ。
というわけで、残念ながら(?) ミステリ味は薄いけれど、じゅうぶん堪能しました。
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