Yの悲劇 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
ニューヨークの名門ハッター一族を覆う、暗鬱な死の影──自殺した当主の遺体が海に浮かんだ二ヶ月後、屋敷で毒殺未遂が起き、ついには奇怪な殺人事件が発生する。謎の解明に挑む名優にして名探偵のドルリー・レーンを苦しめた、一連の惨劇が秘める恐るべき真相とは? レーン四部作の雄編であり、海外ミステリのオールタイムベストとして名高い本格ミステリの名作。
2024年9月に読んだ9冊目の本です。
エラリー・クイーンの「Yの悲劇」 (創元推理文庫)。
ミステリ史上に燦然と輝く、名作中の名作、傑作中の傑作です。
一番最初に読んだのは小学生のころだったかと思います。その後も何度か読み返しています。
「Xの悲劇」 (創元推理文庫)の感想にも書きましたが、個人的感覚として、この「Yの悲劇」よりも「Xの悲劇」の方を上位に置いていました。
今回の新訳による再読で「Yの悲劇」は面目を一新、さすが名作中の名作、非常に優れた作品であると再認識いたしました。(←いや、だれもお前の評価など気にしてはいない)
呪われた一族のお屋敷で繰り広げられる怪事件というフォーマット、故人の書いた小説の梗概に沿って繰り広げられる殺人劇。
もう、これだけでミステリファンとしてはお腹いっぱいでうれしい悲鳴でもおかしくないのに、これに加えて、
マンドリンという異常な凶器。まったく眼が見えず、口もきけず、耳も聞こえない証人が証言する「すべすべで、やわらかい」(184ページ)犯人の顔の手触りと、バニラの香り!
ここまで魅力的な本格ミステリはなかなかないように思います。
プロットが絶妙ですよね。
この作品の犯人は、意外な犯人として有名で、乱歩の類別トリック集成でも取り上げられていますね。
ところが、この犯人の設定が、ぼくがこの「Yの悲劇」をそれほど高くは評価していなかった理由なのです。
読んだタイミングが大きく影響しているのだとは思いますが、この犯人意外ですか?
割と早い段階でうすうすあたりをつけてはいたのですが、故人の書いた小説の梗概が出てきて決定的になります。
梗概が出てくるのは、351ページあたり。物語の終盤に差し掛かるところです。
これ読んで、まだ犯人を指摘できないなんて!!
そう子供心に思っていました。全然意外じゃない!
お陰様で、こちらもずいぶん歳をとりまして、この犯人の設定を意外と思う心情が理解できるようになりました。
ドルリー・レーンの気持ちが、痛いほどわかります。
と、こうなりますと、エンディングが色んな意味でとても味わい深いものだと感じることができるようになりました。
なんとも......
中村有希さんの新訳で、「Yの悲劇」がとても優れた作品であることを深く認識できました。
しかし、のんびりしている間に、次の「Zの悲劇」 (創元推理文庫)の新訳が刊行されちゃったというね......
<蛇足1>
「仕事を長く休むことはありません。あ、一度、短い休暇をいただきました──四月に五日間だけ。」(155ページ)
五日間の休みが、短い休暇ですか......。
<蛇足2>
「演繹的推理ができる──知的な探偵にする。たとえば、見た目はシャーロック・ホームズで、雰囲気はポワロで、推理法はエラリー・クイーン」(377ページ)
笑
<蛇足3>
「この事件がむやみにややこしい理由はだ、探偵小説なんて、くだらんもんの(以下略)」
「何が探偵小説だ、馬鹿馬鹿しい。」(ともに386ページ)
サム警視のセリフです。気持ち、わかりますよ(笑)。
<蛇足4>
「Xの悲劇」 (創元推理文庫)でも、ドルリー・レーンは茶目っ気ある変装をしていましたが、この「Yの悲劇」でも、変装をやろうとしています。(第三幕第五場あたり)
サム警視ならまだしも、今回の変装は、メーキャップ係のクェイシーがいかに達人の域に達しているとはいえ、いくらなんでも無理があるように思いました......
<蛇足5>
「いかなる社会学的な観点から見ても、犯した罪の道徳的な責任を、〇〇〇に負わせることなどできようはずがありません。」(475ページ)
終盤のドルリー・レーンのセリフです。
ここでいう社会学の位置づけがよくわかりませんでした。
それにしてもこのセリフ、エンディングと照らし合わせると、考え込んでしまいますね。
原題:The Tragedy of Y
作者:Ellery Queen(Barnaby Ross)
刊行:193年
訳者:中村有希
境界の扉 日本カシドリの秘密 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
日本育ちの女流作家カレンが、ニューヨーク中心部の邸宅で殺された。カレンは癌研究の第一人者マクルーア博士と婚約中で幸福の絶頂にいるはずだった。唯一犯行が可能だったのは、マクルーア博士の20歳の娘エヴァ。だがエヴァは無実を主張し、事件は第一次大戦前夜の日本での出来事へとつながっていく・・・・・。エラリーが父クイーン警視と対立しながら推理に挑み、ついに意外な〈真犯人〉を突きとめる! クイーン本格ミステリの傑作!!
2024年7月に読んだ5冊目(6冊目)の本です。
エラリー・クイーンの「境界の扉 日本カシドリの秘密」 (角川文庫)。
「ニッポン樫鳥の謎」 (創元推理文庫)というタイトルだった創元推理文庫版で昔読んでいます。
もともと本書は国名シリーズの一冊として日本では売られてきましたが、巻末の飯城勇三の解説によると、雑誌掲載時のタイトルが「ニッポン扇の謎」だったということはなく、雑誌掲載時から "The Door Between"(境界の扉)だったようですね。
国名シリーズに日本を入れておきたいという日本の強い願望がなせるわざだったのでしょうか(笑)。気持ちはわかりますね。
「ローマ帽子の謎」が永遠の都ローマと関係がなく、「フランス白粉の謎」がフランスとも花の都パリとも関係がない、と西村京太郎の「 名探偵なんか怖くない」 (講談社文庫)でポワロが嘆いたように(手元に本がないのでうろ覚えです)、国名シリーズは、タイトルに使われている国との関係性が非常に薄いことが特徴なので、日本趣味が溢れた異色作であるこの「境界の扉」は逆説的に日本を冠した国名シリーズにしては坐りが悪いかもしれません(笑)。
昔読んだ記憶というのは、いつものようにいい加減なもので、密室トリックは覚えていたのですが、それ以外の部分は初読感覚で読みました。
たしかにこのトリック、重要な要素なのですが、これのみを中心に据えた物語ではないというのに、これしか覚えていないとは......
「フォックス家の殺人」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)(感想ページはこちら)同様、最終盤の展開を覚えていないという体たらく。いかにトリック偏重の読み方をしていたのか、我ながらあきれてしまいますね。
この終盤の展開、個人的には無理があると思われ納得感は少ないのですが、それでも物語を振り返ったとき、それを前提としてうまく仕組まれた場面が忍ばされていたことが明かされ、大満足。
ミステリはこうでなくては。
そして迎える衝撃のラスト。
まさかエラリーが神の役を演じるとは。(ネタ晴らしとは言えないと思うのですが、勘のいい方のため念の為色を変えておきます)
ホームズをはじめ古今の名探偵が折々やってきたことではありますが、国名シリーズを経て、確実に変化を遂げていることに衝撃を受けました。
<蛇足1>
「そう、肌の色は白だったが、その内側は黄色だった。」(358ページ)
日本で育った人物を指していうセリフで、
「あまりにも長く日本に住み、あまりにも深く日本の事象を愛していたので、その半分以上が日本人になっていた。」と続きます。強烈。
<蛇足2>
ネタ晴らしになりますので、色を変えておきます。
「これらの三つの要素が──宝石で飾られた刀を使うこと、喉を切り裂くこと、キモノを着ることが──古来、日本に伝わる ”ハラキリ”の儀式で不可欠だからだよ。 」(359ページ) 「ぼくはしっかり調べた。日本人の男は腹部を切り開くが、女の場合には喉を切るんだ」(360ページ)
半端なジャポニズム満開、といったところでしょうか。
<蛇足3>
これまたネタ晴らしになりますので、色を変えますが、257ページでさらりと書いてある日本からの帰国のくだり、アメリカの入国管理はどうなっていたのでしょうか? パスポートはいらなかったのか、とかいろいろと考えてしまいますね。
原題:The Door Between
作者:Ellery Queen
刊行:1937年
訳者:越前敏弥
十日間の不思議 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
ぼくを見張ってほしい──たびたび記憶喪失に襲われ、その間自分が何をしているのか怯えるハワード。 探偵エラリイは旧友の懇願を聞き入れて、ハワードの故郷であるライツヴィルに三たび赴くが、そこである秘密を打ち明けられ、異常な脅迫事件の渦中へと足を踏み入れることになる。連続する奇怪な出来事と論理の迷宮の果てに、恐るべき真実へと至った名探偵は……巨匠クイーンの円熟期の白眉にして本格推理小説の極北、新訳で登場。
2024年3月に読んだ7冊目の本です。
エラリー・クイーンの「十日間の不思議」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)。
「災厄の町」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)(感想ページはこちら)
「フォックス家の殺人」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)(感想ページはこちら)
に続くライツヴィルものの第3弾。新訳です。
旧訳版を読んだのは確か中学生の頃。ダルく、つまらないな、という感想だったという記憶。
今般新訳で読み直して、印象が大幅に変わりました。
ライツヴィルものはみんなこんな感じですね。面目ない。
とても面白く読みました。
この作品はいわゆる「後期クイーン問題」の象徴的作品です。
ミステリの構造としての問題は難しいのでおいておくとして(←こらっ)、苦悩する名探偵というのは、解説でも触れられているように「ギリシャ棺の謎」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)でも扱われていましたが、とても印象的です。
なにしろこの作品では、エラリー・クイーンは探偵廃業宣言をするのですから。
と、面白く読めるようになったのですが、未だに不満も残ります。
それは、やはり犯人の計画がバカバカしく思えてしまうこと。
この犯人、あるプランに沿うように(沿うように見えるように)まわりを自在にあやつり、あまつさえエラリー・クイーンまで手玉に取って犯行を進めていく、という非常に奸智に長けた設定になっています。
このプランがねぇ......ミステリ的には ”あり” だとは思いますし、こういう稚気は好きなんですけど、やはりねぇ......
また他人をあやつるという性質上、かなり危なっかしい犯行の連続です。特にエラリー・クイーンが絡むところは相当危なっかしい。451ページで絵解きされる場面など、そんなにうまくいかないだろうな、と思ってしまう。
好意的に捉えると、エラリー・クイーン向けのプランだとはいえると思いますし、エラリー・クイーンがそのプランに箔付けしてしまうというのも皮肉が効いていていいです──だからこその廃業宣言ですから。
それでも、初期国名シリーズのように謎解きに特化したような作風だと受け入れやすかったのかもしれませんが、このライツヴィルものはもっと人間よりな作風になっているので、ちょっと困りましたね。
(といいながら、この犯人の稚気に乗っかって、「十日間の不思議」というタイトルにしたエラリー・クイーンの稚気はもう好ましいことこの上なしです)
ライツヴィルものとして面白いなと思ったのは、
前作、前々作の「災厄の町」と「フォックス家の殺人」は、エラリー・クイーンは成功を収めるのだけれど、真相を伏せたが為に世間的には失敗と見られる事件であったのに対し、この「十日間の不思議」は逆に、世間的には大々的な成功として持てはやされるような状況になったのに、(最終的には犯人を突き止めたとはいえ)実際には犯人の手玉に取られて失敗を喫していること、ですね──ラストシーンのあと、エラリー・クイーンが真相を世間に暴露するということもありえなくはないですが、作中でその可能性を退けるセリフがありますので、世間的には成功のままとなっていると思われます。
ひょっとしたらこの構図を作るために、「後期クイーン問題」は産み出されたのかも、と考えるのも楽しい。
こう考えると、バカバカしいと思ったプランも、エラリイ・クイーンを陥れるための(犯人ではなく)作者の企みの反映なのかもしれません。
”問題作” として不朽の名作だな、と感じました。
<蛇足1>
「きみはぼくを心腹の友だと思っている。」(31ページ)
”心腹の友” あまり見ない表現ですね。
知らなくても見ただけでぱっと意味がわかる表現です。
<蛇足2>
「どうにも落ち着かないのは、ヘイトとフォックスの事件を首尾よく解決したのに、事件の性質上、どちらも真相を伏せるしかなく、そのためエラリイのライツヴィルでの活躍は世間からはなはだしい失敗と見なされていることだった。」(53ページ)
「災厄の町」と「フォックス家の殺人」を振り返ってのコメントですが、この「十日間の不思議」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)も含め、ライツヴィルものはエラリイ・クイーンの(表面上)失敗の記録なのかもしれませんね。
エラリー・クイーン、損な役回りですね。かわいそうかも。自業自得!?
原題:Ten Day's Wonder
作者:Ellery Queen
刊行:1948年
訳者:越前敏弥
フォックス家の殺人 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
故郷ライツヴィルに帰還した戦争の英雄デイヴィー・フォックス。激戦による心の傷で病んだ彼は、妻を手に掛ける寸前にまで至ってしまう。その心理には、過去に父ベイヤードが母を毒殺した事件が影響していると思われた。彼を救うには、父の無実を証明するほかない。相談を受けたエラリイは再調査を請け負うも、当時の状況はことごとくベイヤードを犯人だと指し示していた……名探偵エラリイが十二年前の事件に挑む。新訳決定版。
2023年4月に読んだ4冊目の本です。
「災厄の町」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)(感想ページはこちら)に続くライツヴィルものの第2弾。新訳です。
例によって旧訳版で読んでいまして、メインのパートは覚えている──つもりだったのですが、読んでみてびっくり。
覚えていたのは途中まで。
そのあとの展開をまったく覚えていませんでした。
こういう話でしたか......
原題 "The Murderer is a Fox" が光輝いて見えます。
今の時点から見ればひとつのパターンとして確立しているような話の展開で、ひょっとしてこの「フォックス家の殺人」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)がこのパターンの作品の嚆矢なのか? と読後すぐ思ったのですが、さすがに違いますね。
本書の出版は1945年。このパターンの作品は数多くありますが、たとえばこのブログで感想を書いた中では某海外女流作家の初長編作品は(感想ページにリンクを貼っておきますが、ネタバレなのでご注意)1928年なのではるか前でした。
407ページに、二杯のぶどうジュースに関する原注があるのですが、これ、とても興味深いです。
初版の最初からついていた原注なのか、読者からの指摘を受けての注なのかわかりませんが、重要な指摘です。原注で E・Q が説明を加えていますが、あまり上手な説明とは思えない、正直苦しまぎれに思えますね(笑)。
とミステリ的には若干指摘したいところがある作品ではあるのですが、ぼくが覚えていなかった終盤の展開を含めて、フォックス家という狭い範囲の人間関係の中に、きわめて重層的な物語が構築されているのが素晴らしいと思いました。
そしてこれは、夫婦の物語であると同時に、父と子の物語でもある。
ラストの
「たぶん父親はそのためにいるんですよ、クイーンさん」(463ページ)
というある登場人物のセリフを、エラリーがどう聞いたのか。自分とクイーン警視との間柄の思いを巡らせたのかな、なんて考えながら読むのはなかなか乙なものです。
<蛇足1>
「まるで白馬に乗ったガラなんとか卿だ」(122ページ)
苦境にいるデイヴィー・フォックスを救おうとするエラリーにヴェリー部長刑事がいうセリフです。
ガラなんとか卿?
アーサー王伝説や聖杯伝説の円卓の騎士の1人であるガラハッド卿(英: Sir Galahad)のことでしょうか?
ちょっと謂れがわからないので、この発言のおもしろさが感じ取れませんでした。訳注が欲しかったです。
<蛇足2>
「上半身は寝室用のジャケットに包まれ、髪はリボンで結ばれ、顔は紫の厚いヴェールに覆われていて、」(249ページ)
寝室でジャケットを身につけるんですね。
<蛇足3>
「糸か何かが引っかかっているかと思ったんだがね。それがあれば、女の服か男の服かがわかった。」(270ページ)
糸からだけで、その出所の服の男女別がわかるんですね。
<蛇足4>
「荒らされたもうひとつのものは、壁際に置かれた回転テーブルだった。」(271ページ)
場所は居間なのですが、ここでいう回転テーブルというのは、どういうものでしょうか? 小さな抽斗もついているようです。
回転テーブルというと、つい中華料理店にあるものを連想してしまうのですが、もちろんそれではありませんよね。
天板が回るテーブルって、珍しい気がします。
<蛇足5>
「まさかパリンプセスト(もとの字句を消して別の字句を上書きした羊皮紙)の技を使ったとは!」(358ページ)
パリンプセストには訳注がついていますが、エラリーの発言に対して作中の誰も質問していません。
ということは、この単語、一般的にすっと理解されるほど広まっている単語なのでしょうか?
なんだかすごいですね。
<2024.3追記>
なにも気にせず、Ellery Queen の日本語表記を、エラリー・クイーンと書いてしまっていましたが、早川では、エラリイ・クイーンという表記です。
このブログではエラリー・クイーンと今後も書いていきます。
原題:The Murderer is a Fox
作者:Ellery Queen
刊行:1945年
訳者:越前敏弥
靴に棲む老婆 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
製靴業で成功したポッツ家の女主人コーネリアには子供が6人いる。先夫の子3人は変人ぞろい、現夫の子3人はまともだがコーネリアによって虐げられていた。ある日、名誉毀損されたと長男が異父弟に決闘を申し込んだ。介添人を頼まれたエラリイは悲劇を回避するため一計を案じる。だがそれは、狂気と正気が交錯する恐るべき連続童謡殺人の端緒に過ぎなかった。本格ミステリの巨匠、中期の代表作が新訳で登場。
2022年12月に読んだ7冊目の本です。
ハヤカワ文庫のエラリー・クイーンの新訳はライツヴィルものが先行していましたが、災厄の町(ハヤカワ・ミステリ文庫)(感想ページはこちら)の後、「フォックス家の殺人」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)の前に書かれた本書「靴に棲む老婆」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)が出ました。
記憶力が悪い癖に、できれば刊行順に読みたいと思ってしまうのでとてもありがたいです。
この「靴に棲む老婆」、最初の出会いは児童向けの本でして、どういうタイトルだったかは忘れてしまいましたが、図書館で借りて読みました。
大人向けとしては、タイトルが異なりますが「生者と死者と」 (創元推理文庫)で読んだことがあります。
まあ、例によってほとんど何も覚えておらず、覚えていたことといえば、舞台が靴の形の家(!)だったことと、童謡殺人であったことくらいでしたが、なぜか子供のころからこの作品は好きだった記憶。
今回の新訳で読み返してみて、何が驚いたと言ってエンディングです。
えっ? こういう話だったの?
エラリー・クイーン、色男の本領発揮、ですね。
エラリー・クイーンの登場する作品についてとても重要なエンディングなのに、覚えていなかった(笑)。これを忘れてしまっていたなんて、われながら、いったいどうしちゃったのでしょうか?
さておき事件の方は、富豪一家のなかの連続殺人というかたちで、手堅いです。
拳銃のすり替えのせいで起こる、決闘中の死亡。誰が拳銃をすり替えたのか、という謎の設定が魅力的です。
それほど多くない登場人物の中で連続殺人が起こりますので、犯人の意外性には乏しくなりがちかと思いますが、この作品は流れがよいと思いました。
マザーグースを彷彿とさせる場面が多々ある点も、一種のミスディレクションとして機能しているように思えました。
残りの作品も、ジャンジャン新訳で出してもらいたいですね。
<蛇足1>
「ベッドにもぐりこむ前に、プロクルステスのものじゃないかどうか、細かく調べますから...」
「だれだ、それは」
「ギリシャ神話の強盗で、よくベッドの大きさに合わせて被害者の体のはみ出した部分を切り落としたんですよ」(124ページ)
恐ろしい強盗ですね。しかし、わざわざ殺してから切る理由がわかりませんね。
<蛇足2>
「エラリイは猫のように眠りに落ち、人間のように目を覚ました。」(125ページ)
「猫のように眠りに落ちる」おもしろい言い回しですが、猫が寝入るときってどんな感じなんでしょう?
<蛇足3>
「ヴェリー部長刑事の妻は、夫の大きな足のためにマスタード入りの湯を用意し、アスピリンと愛情をたっぷり与えてベッドに送り込んだ。」(287ページ)
マスタード入りの足湯ですか......足の疲れに効くのでしょうか? いわゆる民間療法なのかな?
原題:There was an old woman
作者:Ellery Queen
刊行:1943年
訳者:越前敏弥
エラリー・クイーンの新冒険 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
人里離れた荒野に建つ巨大な屋敷が、一夜にして忽然と消失するという不可解極まる謎と名探偵エラリーによる解明を鮮烈に描き、クイーンの中短編でも随一の傑作と評される名品「神の灯」を巻頭に掲げた、巨匠の第二短編集。そのほかにも野球、競馬、ボクシング、アメリカンフットボールが題材のスポーツ連作など、これぞ本格ミステリ! と読者をうならせる逸品ぞろいの全9編収録。
2022年3月に読んだ3作目(4冊目)の本です。
「エラリー・クイーンの冒険」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)に続くエラリー・クイーンの第二短編集で、創元推理文庫で続いている中村有希さんによる新訳です。
今回も帯に推薦コピーがついています。
「エラリーの名推理のつるべ打ち。謎解き小説の醍醐味がこの一冊に。」有栖川有栖
「この推理は100年後も色あせない。」青崎有吾
9編収録ですが、3つのパートに分けられています。
「神の灯」
新たなる冒険
「宝捜しの冒険」
「がらんどう竜の冒険」
「暗黒の家の冒険」
「血をふく肖像画の冒険」
エラリー・クイーンの異色なスポーツ・ミステリ連作
「人間が犬を嚙む」
「大穴」
「正気にかえる」
「トロイの木馬」
巻頭の中編「神の灯」は、名作という名をほしいままにする名作中の名作ですね。タイトルに引っ掛けて言うと、まさに神々しい傑作。
もっと露骨に手がかりを撒いてもよかったんじゃないかな、というのは後知恵にすぎないでしょう。
まったくの余談ですが「神の灯」というタイトル、なんと読むのだろう、と思っていました(爆)。
「ともしび」? 「あかり」? あるいは「ひ」?
勝手に「ともしび」と読んでいたのですが、どうやら正解だったようです。
109ページにエラリー・クイーンのセリフがあります。
「神の手?」「いや、手じゃない。この事件が解決するとすれば、それを解いてくれる鍵は……灯(ともしび)です」
いや、ルビが振ってあってよかった。
続く ”新たなる冒険” と題された四編はタイトルのつけ方といい、「エラリー・クイーンの冒険」 (創元推理文庫)の正統派の続編ですね。
「宝捜しの冒険」は真珠の紛失事件(盗難事件?)の捜査に、宝探しゲームを絡めたもの。
「がらんどう竜の冒険」は、ドアストッパー(!)が盗まれ、裕福な日本人が姿を消した事件です。手がかりが物理的なものであることが面白かったですね。
「暗黒の家の冒険」にはエラリー・クイーンの家族の一員ともいえるジューナが登場。遊園地ジョイランドのアトラクション暗黒の家を舞台にした殺人事件を扱っています。
真っ暗闇の中での射殺という面白い謎で、目のつけどころはさすがなのですが、手がかりも犯人の正体も、残念ながら期待外れ。当時としては目新しかったのかもしれませんが。
「血をふく肖像画の冒険」はタイトル通り、血を流す肖像画が出てきます。おどろおどろしい怪談にもなりそうな素材ですが、あくまでカラッと理知的なストーリーが展開するところがクイーンらしい。
”エラリー・クイーンの異色なスポーツ・ミステリ連作”と銘打った連作は、スポーツを題材にとっています。
「人間が犬を嚙む」は野球。野球観戦中に起こった元投手の死。ラストで、クイーン警視が息子エラリーに背負い投げを食らわせるのがおもしろい。まあでも、エラリーは試合に夢中で、事件なんかそっちのけだったかもですが。
「大穴」は競馬。結構込み入った展開をするストーリーなのですが、軽快に読めるように仕上がっています。軽いロマンスが盛り込まれているのもエラリー・クイーンには珍しいですし、競馬ならではのラストが楽しい。
「正気にかえる」はボクシング。エラリーのコートが盗まれるというハプニング?から、殺人事件の謎を解き明かすのですが、なかなか印象的なトリック(と呼んでよいと思います)が使われています。
「トロイの木馬」はアメリカン・フットボール。試合中に十一個のすばらしいサファイアが盗まれるという事件なのですが、さすがにこの隠し場所は無理がありますよね......
神々しいまでの「神の灯」との対比として、”エラリー・クイーンの異色なスポーツ・ミステリ連作” は言うまでもなく、”新たなる冒険” の諸作も非常に俗っぽいのがポイントなのかも。
創元推理文庫のエラリー・クイーン新訳、次はなんでしょうね?
どれであっても、楽しみです。
<蛇足1>
「おまけにメインディッシュは羊肉のカレー料理だった。何が嫌いといって、エラリーは羊の肉が大嫌いなのである。おまけに何の料理が嫌いといって、カレー料理ほど胸の悪くなるものはなかった。」(50ページ)
おやおや、エラリー・クイーンは、羊肉やカレーが嫌いだったんですね。
好き嫌いなく食べなきゃダメだよ(笑)。
<蛇足2>
「我が国ではもう何年も前から金貨の所有が法律で禁じられているんですよ。せっかく見つけたところで、おかみに没収されるだけでしょう」(59ページ)
当時のアメリカにはこんな法律があったのですね。
<蛇足3>
「このがっちりした建築物が土台の上で、軸にのっかったおもちゃの家のようにくるっと半回転したなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことが起きるわけがない。」(122ページ)
さすがにエラリー・クイーン(作者)も、まさか遠く離れた東洋の島国で、そんな"馬鹿馬鹿しい"トリックを使ったミステリが紡がれることになろうとは予想だにしなかったのでしょうね(笑)。
<蛇足4>
「匂いまで外国の匂いがするんですよ」「あのまとわりつく、甘ったるい匂い……」(193ページ)
日本人が住む屋敷の印象を説明するところなのですが、甘ったるい匂いって、何を指しているのでしょうね?
お香なのでしょうか? でもお香だと、甘ったるい、とは言わないような気がします。
<蛇足5>
「心理学者でも、東洋人の頭の中の精神の動きかたには面食らうばかりでしょう。」(215ページ)
被害者である老日本人のことを指して言っていますが、ひどい言われようですね(笑)。
<蛇足6>
「上着を脱ぎ、アップルジャックのハイボールを受け取って」(275ページ)
ハイボールとは、ウィスキーのソーダ割のことなのですが、ウィスキー以外でもハイボールというのですね。
アップルジャックには「植民地時代に普及したリンゴ酒」と説明がついています。
<蛇足7>
「まったくこの花粉症ってやつ、なんとかならんのか!」(331ページ)
花粉症!
この頃からアメリカでは一般的だったのでしょうか?
原題:The New Adventures of Ellery Queen
作者:Ellery Queen
刊行:1940年
訳者:中村有希
タグ:エラリー・クイーン
災厄の町 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
結婚式直前に失踪したジムが、突如ライツヴィルの町に房ってきた。三年の間じっと彼の帰りを待っていた婚約者のノーラと無事に式を挙げ、ようやく幸福な日々が始まったかに見えた。ところがある日、ノーラは夫の持ち物から奇妙な手紙を見つける。そこには妻の死を知らせる文面が……旧家に起きた奇怪な毒殺事件の真相に、名探偵エラリイが見出した苦い結末とは? 本格ミステリの巨匠が新境地に挑んだ代表作を最新訳で贈る。
2021年8月に読んだ9冊目の本です。
エラリー・クイーンの国名シリーズは東京創元社の中村有希さんの新訳を読み進んでいますが、ライツヴィルものの新訳が越前敏弥さんの手でハヤカワ文庫から出ていますので、そちらも読み進めることにしました。
個人的にはエラリー・クイーンといえば、国名シリーズであり、悲劇四部作でして、それ以外は今一つという印象を持っていました。
この本も子供の頃に読んでいるはずで、解説によると「配達されない三通の手紙」として日本で映画化されたのは1979年で、日本で映画化されてから読んだはずなので、中学生くらいだったのでしょうか? さすがに小学生でこれは読んでいなかったのではなかったかと。
で、その時の印象は薄くて、裁判のシーンはよく覚えているのですが、全体としてあまり感心はしなかったように思います。
ところが、エラリー・クイーンは自身最高の作品と自負しているらしい。
新訳も出ているし、読みなおそうかと思うに十分です。
読み直した結果はというと、おもしろかったですね。
国名シリーズや悲劇四部作とは違うベクトルの作品ですが、十二分におもしろい。
タイトル「災厄の町」というのは、舞台となった町ライツヴィルのことで、この作品はライツヴィルを描くことに主眼があるのですね。
ライツヴィルのなりたちがしっかりと描かれ、そこへ事件が投げかけた波紋がしっかりと描かれる。
これまでの古き良き本格ミステリが外界から遮断された屋敷の中で展開する物語であるのに対して、この作品では屋敷の外に目が注がれます。
犯人探しの狙いを持つ本格ミステリですから、事件そのものは屋敷の中、一族の中で展開するのですが、事件を受けて町が変容していく。
もともと町の創設者的存在で、中心的役割を担い敬意も集めていたライト家に対する町の人々の態度がどんどん変わっていくのです。
ライツヴィルという架空の町の物語で、その町もさほど大きくないものの古くからの住民に新しい目の住民がいるという状況ではあるのですが、たとえばニューヨークや東京のような大都市でも似たようなものなのかもしれないなぁ、と思いながら読みました。
ライツヴィルを描くことに主眼があるとはいっても、ミステリ部分がおろそかになっているわけではありません。
映画のタイトルにもなった「配達されない三通の手紙」を中心に構築された謎は、美しく「配達されない三通の手紙」から解かれていきます。人間関係を背景にしたトリックも、きちんと手がかりによって導き出されます。
控え目な感じを受けますが、国名シリーズや悲劇四部作で展開された美点は、ここでもきちんと維持されているのです。
子どもの頃この作品に感銘を受けなかったのは、ポイントとなる人間関係の機微をちゃんと理解できていなかったからでしょう。
新訳で再読できてよかったです。
それにしても、この作品に登場するエラリー・クイーンにはびっくりです。
抑制的に振る舞っていますが、こいつ、プレイボーイですよ(笑)。
国名シリーズの新訳でもちょくちょくそんな一面が出ていたのを確認していましたが、いやはや......
<蛇足1>
「その段落には、薄赤い色のクレヨンで下線が引かれていた。」(98ページ)
エッジカムの「毒物学」という本に関する記述ですが、下線を引くのにクレヨンを使うのですね。
蛍光ペンは時代的になかったのでしょうが、クレヨンとは意外でした。
<蛇足2>
「これはまだ法律上の事件ではない。たしかに、もはや決定的だ。しかし事件ではない。」(205ページ)
すでにドリンクに毒が入れられ人が死んでいるというのに、事件ではない、とはどういうことでしょう?
意味がわかりませんでした。
<蛇足3>
「もちろん、名前が ”クイーン” だからと言って、殺人罪を免れるという理屈はないが、実際問題としては、名前が明らかになれば、それほどの有名人が犯罪にかかわったという疑念は陪審員の頭から消え去るだろう。」(376ページ)
偽名で活動していたエラリーが本名を明かさなければならなくなるシーンなんですが、いやあ、これこそミステリの真犯人にうってつけではないですか、と思って笑ってしまいました。
<2024.3追記>
なにも気にせず、Ellery Queen の日本語表記を、エラリー・クイーンと書いてしまっていましたが、早川では、エラリイ・クイーンという表記です。
このブログではエラリー・クイーンと今後も書いていきます。
ちなみに、この「災厄の町」の訳者である越前敏弥さんは、角川文庫から国名シリーズを訳されていますが、そちらの表記はエラリー・クイーンです。出版社によって違うのですね。
原題:Calamity Town
作者:Ellery Queen
刊行:1942年
訳者:越前敏弥
アメリカ銃の謎 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
ニューヨークのスポーツの殿堂〈ザ・コロシアム〉に二万の大観衆を集め、西部劇の英雄バック・ホーンのショウが始まる。カウボーイたちの拳銃が火を噴いた次の瞬間、そこには射殺死体が転がっていた。だが不可解なことに、被害者のものを含む四十五挺の銃はいずれも凶器ではない。客席にいたエラリーは、大胆不敵な犯罪の解明に挑む! 〈国名シリーズ〉第六弾。
あまりに更新をさぼりすぎているので、なにをどこまでというのが分かりにくくなってしまっていますが、前回感想を書いた「焦茶色のナイトガウン 杉原爽香:47歳の冬」 (光文社文庫)(感想ページはこちら)までが昨年7月に読んだ本でした。
今日は、読了本落穂拾い。
手元の記録によれば2017年11月に読んだようです。
エラリー・クイーンの「アメリカ銃の謎」 (創元推理文庫)。中村有希さんによる新訳シリーズです。
この作品、国名シリーズの中では軽く観られていまして、評価もさほど高くない。
旧訳版で昔読んだ時、あまりピンと来ず。あまりのピンと来なさに、しばらくたってから再読までしたという。それでもピンと来なかった。
今回新訳が出たので再再読して、果たしてどうか、というところだったのですが......
今まで気づかなかった自分をどつき回したくなりましたが、帯にも
「大観衆の前で消えた凶器 西部劇の英雄、凶弾に死す」
とあるように、謎が派手なのです。
衆人環視のロデオの最中に起こる殺人。しかも凶器が見つからない。
エラリー・クイーンの作品はこの作品まで、謎そのものは地味だったのです。
残された手がかりから論理で犯人を追い詰める名探偵クイーンの手腕が見どころなわけで、事件そのものは派手である必要はない。むしろ事件は地味なほうが、ロジックの美しさが際立ちやすいような。
ところが、この作品では一転して派手。
二万人もいる観客含めた関係者からどうやって容疑者を絞り込んでいくのか。
途方に暮れるような内容で、なかなか容疑者も絞り込めない、と思っていると、エラリーは鮮やかに特定していきます。素晴らしい。
実はこのロジックだけは昔読んだ時から覚えていまして、それだけ印象深かったということですが、これこそがこの作品の特徴であり特長なのだと思いました。
このロジックは、もっと地味な設定でも使えます。でも、ロデオ会場という大掛かりな舞台に映える!
派手な事件に似合うロジックというべきか、鋭利なロジックに似合う派手な事件というべきか、いつもの地味な設定を離れて輝く、そのことを十分意識した作品だったんですね。
新訳で再読できてよかったです。
<蛇足1>
「北西部ではいちばん古い家のひとつだった」(120ページ)
やはり気になってしまいますね、「いちばん〇〇なうちのひとつ」という表現。
英語の最上級を使った典型的な文章ではありますが...日本語にすると違和感が。
<蛇足2>
さて、この瞬間までエラリー・クイーン君は、びっくりしたタラのような顔でぽかんとしていた。(316ページ)
びっくりしたタラ。どんなタラなんでしょうね? タラって、びっくりするのかな?
原題:The American Gun Mystery
作者:Ellery Queen
刊行:1933年
訳者:中村有希
Xの悲劇 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<裏表紙あらすじ>
鋭敏な頭脳を持つ引退した名優ドルリー・レーンは、ブルーノ地方検事とサム警視からニューヨークの路面電車で起きた殺人事件への捜査協力を依頼される。毒針を植えつけたコルク球という前代未聞の凶器を用いた大胆な犯行、容疑者は多数。名探偵レーンは犯人xを特定できるのか。巨匠クイーンがロス名義で発表した、不滅の本格ミステリたるレーン四部作、その開幕を飾る大傑作!
創元推理文庫で始まった中村有希さんによるエラリー・クイーンの新訳は、
「ローマ帽子の謎」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)から「アメリカ銃の謎」 (創元推理文庫)まで国名シリーズが6冊順調に進んだあと「エラリー・クイーンの冒険」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)になり、その次はこの「Xの悲劇」 (創元推理文庫)でした。
旧訳版でも読んでいるのですが、今回新訳で読んで、いろいろと発見がありましたね。
そもそも記憶力が壊滅状態なので......
覚えていることは、
1) 路面電車が現場だったこと
2) 凶器が印象的だったこと
3) 犯人を突き止める論理を楽しめたこと
4) ダイイングメッセージが印象的だったこと
そして、世界ベスト級の傑作と名高い「Yの悲劇」よりも、「Xの悲劇」の方がよいのではないかと思っていたこと。
イメージですが(あくまでイメージです)、エラリー・クイーン登場の国名シリーズとドルリー・レーン登場の悲劇シリーズの印象を比較すると、国名シリーズは軽妙で乾いた感じ、悲劇シリーズは重厚、重苦しい感じでした。
たしかに重苦しさはあったのですが、再読してみて、お茶目というのか、重厚とは言い切れないものを感じました。
そもそものドルリー・レーンの人物設定自体が、元シェイクスピア俳優というところから重厚さを感じがちですが、軽やかなものになっていたのですね。
朝六時半に起きて三キロ泳いだりしていますし(178ページ)、自分の屋敷ハムレット荘で、ほぼ全裸(腰に白い布を巻いているだけ)で日光浴しているシーン(396ページ)でも、肉体美が紹介されます。ふーん、そういう設定だったんだ。
老俳優ってことで、年老いたよぼよぼ爺を想像してしまっているのですが、年齢は60歳。そんな歳でもないですしね。
だいたい、ドルリー・レーンがサム警視に変装して勝手に捜査してしまう(~206ページ)、なんて!(覚えていなかった)
ドルリー・レーンの耳の状況については「いまでは自身の声色を思いどおりに調節することさえ困難なほど悪化し」(15ページ)と冒頭の紹介のところで書かれていて、耳がまったく聞こえないようです。顔を似せることだけでも、化粧による扮装では限界あると思いますが、それに加えて、耳が聞こえないのに、どうやってサムの話し方をまねしたんだ!? 無理だろう、と思えるところからして、この作品が重厚さを狙ったものではないことがわかりますよね。
エラリー・クイーンは、まじめな顔してふざけているのですね、悲劇シリーズでは、きっと。
だいたい作者名も最初はバーナビー・ロスとしていて、覆面かぶってエラリー・クイーンと対決してみせた(「読者への公開状」480ページ~)、というのですから、そもそも遊びっ気満載だったんですよね。
ブルーノ地方検事が
「クォド・エラト・なんとかかんとか」(235ページ)
なんて、エラリー・クイーンを意識したかのようなセリフをいってふざけるのもその例ですよね。
また聞きのまた聞きの、しかもうろ覚えで恐縮ですが、どこかで、三島由紀夫がドルリー・レーンのことをきざだと言っていた、というのを読んだ覚えがあります。
昔は、ドルリー・レーンをきざとは、不思議だな、と思ったのですが(エラリー・クイーンならともかくね)、今回「Xの悲劇」 を読み返して、ぎざだ、と思いました。
この人、俳優だったからでしょうか? 目立ちたがり屋ですし、いろいろとやってくれますよね。上の変装もそうですが。
「ブルーノさん、役者を相手にするなら、芝居がかった演出がつきものと心得てください」(178ページ)と、ドルリー・レーン自ら言うくらいですもんね。
事件の方は、やはり最初の事件の凶器が印象的ですよね。
ニコチン毒を利用したものですが、
「ニコチンは購入されたものではなく、シリングが言ってた例の殺虫剤を煮詰めた手作りのやつらしい。」(117ページ)
と説明されていて、なぜかはわからないのですが、この作品のニコチンは、殺虫剤ではなくタバコを煮詰めたりしてできたものだと思い込んでいました。なぜだろう?
注目はこの凶器、極めて扱いにくそうであること、ですよね。そのため、ある小道具が(ネタバレを避けるため何かは書きません)注目されるのですが、それでも扱うのは無理だと思いますし、作中で説明されるやり方でうまく殺せるのかどうか疑問を感じました。満員の路面電車で可能かな?
この路面電車での殺人ばかり覚えていたのですが、ほかにも殺人は繰り返されるのですね。
興味深いのはいずれも公共交通機関で起こること。
路面電車、フェリー、ローカル線。
ダイイング・メッセージは有名なものですが、ローカル線での事件のもので、その絵解きは、まあ、どこまで行ってもこじつけですね。
それでも、死ぬ間際にメッセージを残す理由づけがちゃんとされているのは、さすがですし、ラストでとても鮮やかな印象を残す仕掛けになっていて、かっこいい。
あまり覚えていなかったものの、謎解きが素晴らしかったことは印象に残っていたのですが(だからこそ「Yの悲劇」よりも、「Xの悲劇」の方が上だと思い込んでいたわけですが)、今回読み返してみたら、最初の事件の凶器もそうですが、あちこちに無理がある犯行だな、と思いましたね。
鮮やかな謎解きとかっこよさに気を取られて、前に読んだときには、その点に思いが至らなかったのかもしれません。
それでも、ミステリに無理はつきものですから、この作品が堅牢な本格ミステリだという見方には変わりはありません。
「Xの悲劇」 の新訳で、ずいぶん印象が変わりました。
シリーズの残りの新訳を読むのがとても楽しみになってきました。「Yの悲劇」と、改めて比べるためにも。
<蛇足1>
「ウッド様でしたらたしかに当行のお客様でいらっしゃいます。」(198ページ)
銀行員が警視に答える場面です。ここは丁寧な銀行員であれば、「当行」ではなく「弊行」と言ってほしいところですね。
<蛇足2>
「わたくしが? とんでもないことでございます」(362ページ)
執事が答えるシーンです。
「とんでもありません」とか「とんでもございません」と言わないあたり、ちゃんと躾の行き届いた執事ですね。素晴らしい。
原題:The Tragedy of X
作者:Ellery Queen(Barnaby Ross)
刊行:1932年
訳者:中村有希
エラリー・クイーンの冒険 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<裏表紙あらすじ>
大学に犯罪学の講師として招かれたエラリーが、その日起きたばかりの殺人事件について三人の学生と推理を競う「アフリカ旅商人の冒険」を劈頭に、「一ペニー黒切手の冒険」「七匹の黒猫の冒険」「いかれたお茶会の冒険」など、多くの傑作を集めた巨匠クイーンの記念すべき第一短編集。名探偵による謎解きを満喫させる本格ミステリ全11編に加え、初刊時の序文を収録した完全版。
創元推理文庫で始まった中村有希さんによる新訳のエラリー・クイーンの国名シリーズ。
「ローマ帽子の謎」 (創元推理文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)から始まって、「アメリカ銃の謎」 (創元推理文庫)まで6冊順調に進んできて、次はいよいよ「スペイン岬」だ!と勢い込んでいたら、新訳が出たのはこの「エラリー・クイーンの冒険」 (創元推理文庫)でした。
今月には「Xの悲劇」が予定されていますね。
(ちなみに、「アメリカ銃の謎」 (創元推理文庫)は感想を書けていません。その前の「エジプト十字架の謎」 (創元推理文庫)までの5冊は書けていたのですが...)
この「エラリー・クイーンの冒険」 は11作収録の短編集です。
「アフリカ旅商人の冒険」
「首吊りアクロバットの冒険」
「一ペニー黒切手の冒険」
「ひげのある女の冒険」
「三人の足の悪い男の冒険」
「見えない恋人の冒険」
「チークのたばこ入れの冒険」
「双頭の犬の冒険」
「ガラスの丸天井付き時計の冒険」
「七匹の黒猫の冒険」
「いかれたお茶会の冒険」
帯に推薦コピーがついています。
「名探偵エラリー・クイーンの<精緻にして意外性に富んだ推理>を堪能できる本格ミステリ短編集の精華。まさに論理の冒険。クイーンがすごいのは長編だけではない!」有栖川有栖
「なぜ、誰もがクイーンを目指すのか。この一冊に答えがある。ミステリ史上最も知的な十一の冒険譚。拍手の準備をお忘れなく。」青崎有吾
贅沢ですねぇ。
「エラリー・クイーンの冒険」 にふさわしい豪華さです。
昔読んでいて再読になるわけですが、ほとんど覚えておらず、だいたい初読のように楽しめました。自らの記憶力の悪さに乾杯です!
いずれも端正ですよね。最後の「いかれたお茶会の冒険」はお茶目、というべきかもしれませんが。
しかし、エラリー・クイーンって気障で嫌味ですねぇ。
頭のいい人は往々にしてそうなのかも、という気もしますが。
若いころはそれが格好良くも見えたように記憶しますが、今読むとちょっと...という感じがしないでもない。
巻頭の「アフリカ旅商人の冒険」からして嫌味です。
学生を連れて犯罪学の実地研修、だから上から目線で嫌味いっぱいというのは仕方ないのかもしれないんですが、殺人現場でやりたい放題。父親であるクイーン警視の威を借りているとはいえ...
間違う学生用にいくつかの手がかりが撒かれているのがおもしろいですね。それぞれ興味深い推論が出て来ます。最後にエラリーが指摘する手がかりも楽しいですね。
しかし、「スパーゴは南アフリカに一年間過ごしていて、服はほとんど現地で買っているはずだ」(49ページ)
というのはいくらなんでも思い込みに過ぎない気がします。たった一年なら前から持っている服も使われますよねぇ...
「首吊りアクロバットの冒険 」は、最後の決め手となる手がかりがおもしろい。
この手がかりで犯人と犯行の状況が特定されるのですが、作者は手がかりと犯行状況とどちらを先に思いついたんでしょうね??
「一ペニー黒切手の冒険」は、貴重な一ペニー切手の隠し方が印象的ですが、個人的にはとても希少な切手を隠すのにこの方法は使う気になれないような... どうなんでしょうね?
「ひげのある女の冒険」は、クイーンお得意のダイイング・メッセージ物で、女性の肖像画にひげを書き加えたというものなんですが、そして、解説で川出正樹が
「論理的で無理がなく、数あるクイーンのダイイングメッセージものの中でも一、二を争う傑作」
と述べていますが、これタイトルを見ただけでダイイング・メッセージの意味、想像つきませんか?
あと
「万が一、犯人に気づかれたとしても、恐怖をまぎらわしたくて落書きしたと解釈してくれるでしょうしね。まあ、気づかれない可能性の方が高かったでしょう」(155ページ)
なんてエラリーも言っていますが、犯人絶対気づきますよ、そして消すか肖像画を処分するかされちゃいますよ、確実に。
しかし、この作品の注目は事件でも謎解きでもなく...
おいおい。エラリー・クイーン、看護婦をナンパしようとしていますよ。連絡先を聞き出して...
「三人の足の悪い男の冒険」は、現場で見つかった足の悪い男のものと思われる足跡三組という手がかりが印象的な作品ですが、事件よりも...
「たいへん興味深いです。実に興味深い」(213ページ)
とエラリー・クイーンが言う場面があります。あなたは、ガリレオ湯川博士ですか?
「ガラスの丸天井付き時計の冒険」のエラリー・クイーンもかなり嫌味ですね。
「代数学のもっとも基礎の知識しか持たない高校二年生でさえ解ける方程式レベルの簡単さだよ」(347ページ)
「常識というものを持ちあわせている人間ならだれでも、あの事件を解決できる。五から四を引いた答えが一になる、というレベルの問題だ」(同ページ)
いや、こんなこと言わなくてもいいじゃない?
しかも事件の手がかりが、誕生石だとかある特殊な事情だとかなんだし、そこまで「簡単」というほどの事件ではないと思うんですよね...
しかし、いずれの作品も、手がかりと犯人を突き止めるロジックがすっきりしていて素晴らしいですよね。
長編のように怒涛のように畳みかける謎解きはないですが、キラッと光る要素がかならずある。
ミステリを読む楽しみは、このきらめきに出会うことなので、まさにミステリファンにとって至福の短編集だと改めて思いました。
<蛇足>
「腹立たしげに嗅ぎたばこ入れを取り出して、たばこをひとつまみ、鼻の穴に詰めこんだ。」(33ページ)
とあって、えっ、と思ってしまいました。
嗅ぎたばこ、といえば古典ミステリではちょいちょい出て来ますが(「皇帝のかぎ煙草入れ」 (創元推理文庫)なんてタイトルの名作もありますしね)、実物は見たことがなく、使いかたも知りませんでしたので。
嗅ぐといっても、鼻の穴に詰めるんですね...なんかちょっと怖いです。
原題:The Adventures of Ellery Queen
作者:Ellery Queen
刊行:1934年
訳者:中村有希
タグ:エラリー・クイーン