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モダンタイムス [日本の作家 伊坂幸太郎]


モダンタイムス(上) (講談社文庫)モダンタイムス(下) (講談社文庫)モダンタイムス(下) (講談社文庫)
  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/10/14
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
恐妻家のシステムエンジニア・渡辺拓海が請け負った仕事は、ある出会い系サイトの仕様変更だった。けれどもそのプログラムには不明な点が多く、発注元すら分からない。そんな中、プロジェクトメンバーの上司や同僚のもとを次々に不幸が襲う。彼らは皆、ある複数のキーワードを同時に検索していたのだった。<上巻>
5年前の惨事──播磨崎中学校銃乱射事件。奇跡の英雄・永嶋丈は、いまや国会議員として権力を手中にしていた。謎めいた検索ワードは、あの事件の真相を探れと仄めかしているのか? 追手はすぐそこまで……大きなシステムに覆われた社会で、幸せを掴むには──問いかけと愉(たの)しさの詰まった傑作エンターテイメント!<下巻>



2023年7月に読んだ7作目の本(冊数でいうと7冊目と8冊目)です。
伊坂幸太郎の「モダンタイムス」(上) (下) (講談社文庫)
上で引用した旧版で読みました。2023年2月に新装版が出ています。

モダンタイムス(上) 新装版 (講談社文庫)モダンタイムス(下) 新装版 (講談社文庫)モダンタイムス(下) 新装版 (講談社文庫)
  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/02/15
  • メディア: 文庫


もともとは読了本落穂ひろいのつもりでした。
手元の記録では2016年5月に読んでいます。
でも上で引用したあらすじを読んでもまったくピンと来ない。本を手に取ってパラパラと読んでみてもまったくピンと来ない。
そこで、本腰を入れて読むことにしました。
読了しても、以前に読んだことをまったく思い出せませんでした......なんという記憶力のなさ。

伊坂幸太郎の本なのでいつものことで、とても面白いのです。
しかもこの作品で描き出されている世界観に共感することが非常に多く、これを忘れ去ってしまっているなんて自分が信じられないくらいです。
このブログにはアップしていませんが、手元の記録ではこの本を2016年に読んだ本のベスト10に入れているというのに......

タイトルの「モダンタイムス」というのは、チャップリンの映画から来ており、
「私の脳裏には、昔、祖父の家で見たとてつもなく古いサイレント映画、確か、『モダン・タイムス』というタイトルだったと思うが、その場面が映し出された。産業革命により、工場が機械化され、人間が翻弄される話だった。」(上巻277ページ)
として引用されます。
タイトルに採用されているだけに、本書の内容を象徴するようなものなのですが、機械化、システム化を念頭に置いたものです。

それと相前後して、ギュンター・アンダースがナチス・ドイツのアイヒマンの息子に送った書簡にも触れられます。
「アンダースの書簡に頻繁に出てくるのは、『怪物的なもの』と『機械化』だ」
「何百万にものユダヤ人を良心の痛みすら感じず、工場で商品を作るみたいに、次々と殺害したという事実、そのことを怪物的なものって言ったんだ。その怪物的なことがどうして実行可能だったのか、といえば、それは、世の中が機械化されているからだって話だ」(上巻277ページ)
「たくさんの部品を製造して、管理機構を作って、最大限の効率化をはかる。技術力、システム化が進む。すると、だ。分業化が進んで、一人の人間は今、目の前にあるその作業をこなすだけになる。当然、作業工程全体を見渡すことはできない。そうなるとどうなるか分かるか」
「つまり、想像力と知覚が奪われる。」(上巻278ページ)

これと密接に絡んでくるのが、国家、です。
「国家ってのは、国家自体が生き長らえることが唯一の目的なんだ。国民の暮らしを守るわけでも、福祉や年金管理のためでもない。国家が存在し続けるために、動く。」(上巻279ページ)
この国家観、個人的には非常にしっくり来ます。
国家という規模にまで至らなくとも、会社であっても、同様にまるで一個の意識体のように自らの存続を図っていくものだ、とは常々感じているからです。

主人公渡辺拓海の友人である小説家・井坂好太郎の小説「苺畑さようなら」の作中で語られる(アメリカのある研究家の言葉として出てきます)
「アリは賢くない。でも、アリのコロニーは賢いのよ」
というセリフ中のコロニーは、人間でいう国家に対応するものと考えることもできますが、アリが意識を持たないものであることを前提とすると、国家、というよりももっと漠としたシステムと捉えるべきなのかもしれません。
システムというと機械的なものを連想しがちですが、作中にも触れられていますが、もっと漠然とした ”仕組み” ですね。

国家とこの ”仕組み” が時に重なり、時にずれて立ち現れるのが人間社会、というように捉えました。
「システムは定期的に、人間の個人的な営みを、国家のために捧げるように、調節を行うんだ」
「指導者の登場はその一例だ。一人一人の自我が強くなり、自由が蔓延していけばいくほど、システムは機能しなくなるだから定期的に、個人よりも大きな仕組みがあることを、その存在感を主張しなくてっはいけない。国家は、国民に認識されるために、運動を続けるんだ。周期的に、自分の存在を強烈にアピールする」(下巻331ページ)

「『どうすることもできない』仕組みを、娯楽小説の形で表現できた」と文庫版あとがきで作者自身が書いているように、これこそが本書のテーマで、それが楽しい娯楽小説として提示されていることに非常にわくわくできます。
とても楽しい。

この物語のラストが気に入らない読者もいらっしゃることでしょう。
これでは解決策としては機能しないと思われるからです。
でもこの物語のラストは、こうでなければならない、と思います。安易な解決策はふさわしくない物語になっていると感じます。

それにしても、主人公渡辺拓海の妻とは何者なのでしょう?
そちらの方が気になったりして......

それにしても、こんなに面白い本を読んだことを忘れているなんて自分でも呆れるしかないですが、もの忘れがひどい自分に感謝することにしましょう。
なんといってもこれだけの傑作を、まっさらな気持ちで二度も楽しむことができたのですから。


<蛇足1>
「小説にとって大事な部分ってのは、映像化された瞬間にことごとく抜け落ちていくんだ」(上巻200ページ)
作中の作家・井坂好太郎のセリフです。
同じページで
「映画の上映時間を二時間とするだろ。その二時間に、一つの物語を収めようとする。そうするとどうするか」
「まとめるんだよ。話の核となる部分を抜き取って、贅肉をそぎ落とす。そうするしかないわけだ」「粗筋は残るが、基本的には、その小説の個性は消える」
とも言っています。

<蛇足2>
「いいか、小説ってのは、大勢の人間の背中をわーっと押して、動かすようなものじゃねえんだよ。音楽みてえに、集まったみんなを熱狂させてな、さてそら、みんなで何かをやろうぜ、なんてことはできねえんだ。役割が違う。小説はな、一人一人の人間の身体に沁みていくだけだ」
「沁みていく? 何がどこに」
「読んだ奴のどこか、だろ。じわっと沁みていくんだよ。人を動かすわけじゃない。ただ、沁みて、溶ける」(下巻193ページ)
こちらも井坂好太郎のセリフです。
「沁みて、溶ける」にグッときました。

<蛇足3>
「今やそのシステムが、特定の検索を行った人間を甚振るためにも利用されている。」(下巻338ページ)
「マリアビートル」 (角川文庫)(感想ページはこちら)にも同じことを書いたのですが、いたぶるって、こういう字を書くんですね。
どうも記憶に定着しないようですので、また同じことを伊坂幸太郎の本を読む際に思ってしまいそうです。





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マリアビートル [日本の作家 伊坂幸太郎]


マリアビートル (角川文庫)

マリアビートル (角川文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2013/09/25
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
幼い息子の仇討ちを企てる、酒びたりの元殺し屋「木村」。優等生面の裏に悪魔のような心を隠し持つ中学生「王子」。闇社会の大物から密命を受けた、腕利き二人組「蜜柑」と「檸檬」。とにかく運が悪く、気弱な殺し屋「天道虫」。疾走する東北新幹線の車内で、狙う者と狙われる者が交錯する──。小説は、ついにここまでやってきた。映画やマンガ、あらゆるジャンルのエンターテイメントを追い抜く、娯楽小説の到達点!


2022年7月に読んだ5冊目の本です。
映画「ブレット・トレイン」(感想ページはこちら)の原作です。
映画を見る前に原作を読まなきゃと思って少々あわてて読みました──永らく積読にしていた自分が悪いのです。

殺し屋シリーズ、と呼ぶのでしょうか?
「グラスホッパー」 (角川文庫)と共通している登場人物たちがいます。
それが殺し屋。
多彩な殺し屋が楽しませてくれます──物騒ですけど。

舞台は東北新幹線。映画では東海道新幹線に改変されていました(と思われます)。
でタイトルは改変して「ブレット・トレイン」(弾丸列車。新幹線のことをこう呼んだりもします)。
小説の方のタイトルはマリアビートル。
直訳すればマリア様の乗り物、という意味で、
「レディバグ、レディビートル、てんとう虫は英語でそう呼ばれている。その、レディとは、マリア様のことだ、と聞いたことがあった。」(539ページ)
と本文でも言及されるように、てんとう虫のことを指しているようです。
登場殺し屋の一人で視点人物の一人である七尾が天道虫とされていますので、彼のことですね。
「業界の中では、七尾のことを、てんとう虫と呼ぶ人間が少なからず、いる。七尾自身は、その昆虫が嫌いではなかった。小さな、赤い身体が可愛らしく、星のような黒い印はそれぞれが小宇宙にも思え、さらには、不運に満ちている七尾からすれば、ラッキーセブン、七つの星はあこがれの模様と言っても良かった。」(74ページ)
あと七尾に指示するのが真莉亜で、七尾が実行役ですので、ある意味比喩的に七尾は真莉亜の乗り物とも言え、この観点でも七尾ですね。

この不運まみれの七尾が狂言回しとして物語を進めていってくれるのですが、これが心地よい。
伊坂幸太郎らしいリズムの文章にどっぷり浸れます。

注目は、王子。
王子慧(さとし)という中学生なんですけど、殺し屋たち以上に邪悪な存在として描かれています。
というか、このシリーズに出てくる殺し屋って、職業が職業なんですが、邪悪って感じじゃないんですよね。
この王子は、作中随一の悪、です。
「僕みたいなガキに、いいようにされて、それでいて何もやり返せない自分たちの無力さを知って、そして絶望してもらいたいんだ。自分が生きてきた人生がいかに無意味だったのかに気づいて、残りの人生を生きる意欲がなくなるくらいに」(333ページ)
なんてさらっと言えてしまうくらい。
折々、その王子の視点でさらっと内面や考えが披露されるところも恐ろしい。
そういえばこの設定は映画版では女子に変更されていて、それはそれでおもしろい改変でしたね。

この王子の造型は、一時期ミステリでよく出てきたいわゆる ”絶対悪” に通ずるものがありますね。
伊坂幸太郎がこれをどう料理するのか、とくとご覧あれ。

割と長めの物語なのですが、いろいろな殺し屋の視点が組み合わされて、あれよあれよという間にという感じで、ラストへ雪崩れ込む。
オフビートなのに、リズミカルに終点まで運ばれていきます。
殺伐とした展開なのに、あちこちでニヤリとできるのも伊坂節。
とっても楽しい読書体験でした。


<蛇足>
「自分が中学生の頃を思い出しても、こういった、誰かが誰かを甚振り、陰湿にはしゃぐことはあった。」(146ページ)
いたぶるって、こういう字を書くんですね。いままで認識していませんでした。






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バイバイ、ブラックバード [日本の作家 伊坂幸太郎]


バイバイ、ブラックバード (双葉文庫)

バイバイ、ブラックバード (双葉文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2013/03/14
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
星野一彦の最後の願いは何者かに〈あのバス〉で連れていかれる前に、五人の恋人たちに別れを告げること。そんな彼の見張り役は「常識」「愛想」「悩み」「色気」「上品」――これらの単語を黒く塗り潰したマイ辞書を持つ粗暴な大女、繭美。なんとも不思議な数週間を描く、おかしみに彩られた「グッド・バイ」ストーリー。〈特別収録〉伊坂幸太郎ロングインタビュー。


この「バイバイ、ブラックバード」 (双葉文庫)、帯に「長編6冊分にも匹敵するおもしろさ!」と書いてありまして、5人の恋人たち+1 で6冊分ということなんだと思うのですが、これ、ある意味ネタバレかなぁ、と変な心配をしてしまいます。

この前に読んだ伊坂幸太郎の作品、「オー! ファーザー」 (新潮文庫)(感想ページはこちら)のカバー裏のあらすじに「面白さ400%」とあって、そちらは父親一人につき100%のおもしろさということだと思われるのですが、こういう惹句、伊坂幸太郎につきものなのでしょうか(笑)。

「オー! ファーザー」は、母親が四股!をかけていて、結局父親4人という状況になっているという設定でしたが、今度の「バイバイ、ブラックバード」は五股! こっちのほうがうわてですね。

「オー! ファーザー」に「伊坂ワールド第一期を締め括る」と書かれていましたが、その直後の「バイバイ、ブラックバード」はいつもながらの伊坂節(?) を十分楽しむことができました。

現実と地続きのようでいて、不思議とファンタジック。それでいて縁遠い感じがしない。
この感触を楽しむことこそ、伊坂幸太郎を読む喜びのひとつ。
存分に楽しめます。

この作品でおもしろいのは、5人の恋人それぞれのエピソードもさることながら、やはり主人公星野一彦の御目付役(?) の繭美ですよね。
こんなやつ絶対いないや、と思うのに、なぜか親しみを覚えてしまう。いや、こういう人物、身近にいたら嫌でしょうけど、読んでいる間の近しさは不思議です。

とても強く印象に残っているのは女優の出てくる「Bye Bye Blackbird V」ですね。
<余談ですが、この本、目次ではアルファベット表記なんですが、各ページにいくと、「バイバイ、バラックバード V」という風にカタカナ表記なんです>
大きくなったら何になるかと訊かれて「パン!」(パン屋さんではなく、パンです)と答える幼稚園児、最高です。

ちなみに、「Bye Bye Blackbird V」では、「バイ・バイ・ブラックハード」という曲が紹介されます。
『悩みや悲しみをぜんぶつめこんで行くよ。僕を待ってくれているところへ。ここの誰も僕を愛してくれないし、わかってもくれない』というような歌詞らしいです。
また「ブラックバードって、不吉というか不運のことを指しているみたいですよ。バイバイ、ブラックバード、君と別れて、これからは幸せになりますよ」と解説?されたりもします。
本の内容と歌の内容が少しずれているのもまたポイントなのでしょうね。



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オー! ファーザー [日本の作家 伊坂幸太郎]

オー!ファーザー (新潮文庫)

オー!ファーザー (新潮文庫)

  • 作者: 幸太郎, 伊坂
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/06/26
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
父親が四人いる!? 高校生の由紀夫を守る四銃士は、ギャンブル好きに女好き、博学卓識、スポーツ万能。個性溢れる父×4に囲まれ、息子が遭遇するは、事件、事件、事件--。知事選挙、不登校の野球部員、盗まれた鞄と心中の遺体。多声的な会話、思想、行動が一つの像を結ぶとき、思いもよらぬ物語が、あなたの眼前に姿を現す。伊坂ワールド第一期を締め括る、面白さ400%の長篇小説。


この「オー! ファーザー」 (新潮文庫)、カバー裏のあらすじを読んで、おやおや、A・J.・クィネルの「イローナの四人の父親」 (新潮文庫)みたいだな、と思いましたが、全然違う話でしたね、当たり前ですが。
なにより、巻末にあるあとがきによれば、伊坂幸太郎は「イローナの四人の父親」をご存知なかったようです。

引用したあらすじに、面白さ400%とありますが、これ、父親一人につき100%のおもしろさということでしょうか(笑)。
読んでみると、こういう計算にも一理あるかな、と思える楽しさでした。

帯に「あれも伏線これも伏線の伊坂マジック」と書かれていまして、それはそうなのですが、伊坂ワールドの場合は、伏線というよりもむしろ、エピソード、エピソードがどんどん有機的に結びついていくさまがマジックな気がします。(それを伏線というのだよ、ということかもしれませんが......)

この「オー! ファーザー」でも、出てくる事件、事件がしっかり連関していくのを見る楽しみがいっぱいです。

ミステリだと、思いもよらない結末や事件の全体像に強く惹かれるのが普通ではないかと思うのですが、伊坂ワールドの場合は、びっくりするような結末とか想像を超えた真相というよりはむしろ、数多くのエピソードがどんどん組み合わさっていくのを見つめる楽しみ、というのか、結末とか真相の見当がたとえついたとしても、それが仕上がっていく過程を楽しむのが王道の気がしています。

「伊坂ワールド第一期を締め括る」と書かれていますが、この後作風が変化したのでしょうか?
そのあたりに気をつけながら、今後の作品を読んでいきたいです。



<蛇足1>
「一生懸命、重い本を運んで、汗をかいて、」(78ページ)
「僕が騙されて、一生懸命走って学校に来るのを」(276ページ)
「富田林さんが特に怒るのが、太郎の湿疹の悪口を言われたり、自分の名字を馬鹿にされることなんだよな。」(97ページ)
「当時のそのクラスでは、両親が離婚していたり、父親が事故で亡くなっているような生徒が特別珍しくなかったから」104ページ)
「それから鑑みるに、自分たちの影響についてはどう評価しているのだ」(115ページ)
気になる表現のオンパレードですね......
新潮社のような出版社でも、一生懸命や「~たり、~たり」の不整合や鑑みるの使い方は、校正で正さないのですね。もう正しい日本語として認知されているということでしょうか。残念です。
「~たり、~たり」については、151ページにかなり長い文章できちんと使われていますので、見逃しだったのかもしれませんが。

<蛇足2>
「爽やかな笑顔で、『わたし、絶対に二股はかけていないから』って言った」
「四股だったんだからな」(102ページ)
主人公由紀夫の父たちが母のことを考えて語るシーンなのですが、おいおいエラリー・クイーンかよ、と笑ってしまいました。









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SOSの猿 [日本の作家 伊坂幸太郎]

SOSの猿 (中公文庫)

SOSの猿 (中公文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
三百億円の損害を出した株の誤発注事件を調べる男と、ひきこもりを悪魔秡いで治そうとする男。奮闘する二人の男のあいだを孫悟空が自在に飛び回り、問いを投げかける。「本当に悪いのは誰?」はてさて、答えを知るのは猿か悪魔か? そもそも答えは存在するの? 面白くて考えさせられる、伊坂エンターテインメントの集大成。


この「SOSの猿」 (中公文庫)は、五十嵐大介のコミック「SARU」 (上・下) (IKKI COMIX)と対になるもの、ということですが、「SARU」は読んでいません。
「SOSの猿」「SARU」は、「猿」「孫悟空」「エクソシスト」という共通するキーワードを持っているということで、なにやら三題噺みたい。(でも、猿と孫悟空は似たようなものなので-というと孫悟空に叱られますね-、三題噺と呼ぶのにすこし躊躇しますが)
しかしまあ、変な話を考えるなぁ、といつもながら伊坂幸太郎の本には感心します。

なにしろ、孫悟空ですからねえ(ほかにも変なところはありますが)。
お話は、引きこもりの青年を悪魔祓いでなんとかしようとさせられる「私の話」というパートと、証券会社で発生した誤発注事件の原因を探るシステム会社員の「猿の話」というパートの2つが交互に語られます。
こういうタイプのストーリーでは、この2つがどうつながるのかを考えながら読者は読んでいくことになるわけですが、この2つの話のつながりはミステリではよくあるパターンの1つになっていまして、その点ではサプライズは大してないのですが、つなぎ合わせるのが孫悟空、ということですからねぇ...
ただ、伊坂幸太郎の文章や登場人物の佇まいなどからすると、孫悟空くらい出てきてもおかしくないかな、と思えてしまうから不思議です。

それにしても孫悟空なんてテレビ番組で見ただけで、「西遊記」は読んでおらず(ひょっとしたら子供向けのダイジェスト版で読んだことがあったかもしれませんが記憶にはありません)、勝手なイメージだけがありますが、
「俺は東勝神洲傲来国は、花果山の生まれ、水簾洞主人にして、美猴王、斉天大聖、孫悟空だ」(155ページ)
と登場するところから、ほほう、と感心してしまいます。

そのほかにも、何かが起こったようで起こらなかったり、起こらなかったようで起こっていたり、伊坂幸太郎らしい癖のある物語を楽しむ作品だな、と思いました。
(その意味では、伊坂幸太郎初心者には厳しいかもしれません)


<蛇足1>
「この男の中には『繊細な男』と『図太い男』の二人がいて、失敗を反省するのはいつだって繊細な男の方だけ、図太い奴は図太いまま、そういう具合なのだ。
 何千回、反省をしたところで、再発防止にはまったく繋がらない、ミスが治らない人間の典型とも言える。まさに、うっかりミスをするために生まれてきたかのような男ではないか。」(184ページ)
という箇所を読んで、なるほどなー、と思いました。

<蛇足2>
印象に残ったフレーズです。
「少年たちが、大人を試すように口にする、『どうして人を殺してはいけないのか』という質問同様、問いの内容よりも、その問いの裏に潜む意地悪さにげんなりしてしまうのだ。」(290ページ)


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あるキング: 完全版 [日本の作家 伊坂幸太郎]


あるキング: 完全版 (新潮文庫)

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/04/30
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
山田王求(おうく)。プロ野球チーム「仙醍キングス」を愛してやまない両親に育てられた彼は、超人的才能を生かし野球選手となる。本当の「天才」が現れたとき、人は“それ”をどう受け取るのか――。群像劇の手法で王を描いた雑誌版。シェイクスピアを軸に寓話的色彩を強めた単行本版。伊坂ユーモアたっぷりの文庫版。同じ物語でありながら、異なる読み味の三篇すべてを収録した「完全版」。


伊坂幸太郎の小説は文庫になれば必ず買いますので、実はこの本、完全じゃない版(?)、文庫版も買っていました。徳間文庫から出ていたものです。

あるキング (徳間文庫)

あるキング (徳間文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2012/08/03
  • メディア: 文庫


積読にしている間に、この「あるキング: 完全版」 (新潮文庫)が出まして、こちらも購入。
奥付を見ると平成二十七年五月一日。もう3年以上も経つのですね。

同じストーリーだけれど、雑誌連載版(magazine)、単行本版(hardcover)、文庫本版(paperback)を全て1冊に収録って、すごい試みですね。人気作家だからこその荒業かと思います。
買うときに、ワクワクしたのを思い出します。
同じ話を、3バージョンもかき分けている。作者がどう変更を加えていったかがわかるって、楽しいかも、とそう思ったのです。
でも今回実際に読んでみて、立て続けに同じ話を読むというのはなかなかに骨が折れる、というか、挫けそうになるなぁ、と思いました。
評論家ではないので、詳細に比べて論評を加えようとはもともと思っていませんし、そんな面倒なことしようとも思いません。冒頭の単行本版(hardcover)を読み終わった時には、この後同じ話を2回読むのかぁ、と正直ちょっとげんなり感じたりしました。

それでもさすがは伊坂幸太郎ということか、次の雑誌連載版(magazine)もしっかり楽しめましたし、続けて文庫本版(paperback)まで読み進むことができました。

さて、どれが一番印象に残っているか、というと、やはり不誠実な読者だからでしょうか、一番最初に読んだ冒頭の単行本版(hardcover)です。出会い、ということでしょうねぇ。
それぞれのエピソードもたいへん興味深く読めましたし(たとえば、ふらふらしていたのに、王求に影響されて? 野球を始める乃木のエピソードは大好きです)、上から下まで黒づくめの三人の女(=魔女)の登場も深く印象的でした。

次に収録されている雑誌連載版(magazine)には、驚いたことに魔女が登場しません。これだけでずいぶん雰囲気が違って見えます。
(あと細かいのですが、登場人物の名前に変更が加えられています。属性は同じなのに。
たとえば、バッティングセンターの親父は雑誌版では木下哲二、単行本版では(文庫版でも)津田哲二。また、王求の父が殺す相手の名前が雑誌版では大橋久信、単行本版では(文庫版でも)森久信。)

3バージョン間の大きな違いはやはり、シェイクスピア作品、「マクベス」 (岩波文庫)の取り扱いでしょう。
雑誌版では底流として流れている、というかたちでしたが、単行本版では三人の魔女など表に出てきています。文庫版では、冒頭に「マクベス」から、"Fair is foul, and foul is fair." の複数の訳例が掲げられていますし(508ページ)、文中にも「マクベス」に言及するところがあちこちに出てきます。
その意味では、どんどんあからさまなかたちに改変していっているということになります。個人的な好みは、単行本くらいのレベルにとどめてもらったほうがいいかなぁ。
たとえば文庫版で、仙醍キングスの南雲慎平太が「マクベス」を愛読していたとか、あるいは、王求の父山田亮が「マクベス」を読むシーン(635ページ)など、やりすぎじゃないかなぁ、とまで思ってしまいます。
ちなみに、シェイクスピアということでは、単行本版では「ジュリアス・シーザー」 (岩波文庫)に触れられるシーンがある(91ページ)のですが、雑誌版にも文庫版にもありません。雑誌版ではシェイクスピア自体を前面に出していませんので出てこなくても当然ですが、文庫版で割愛したのは、「マクベス」に集中するためでしょうか?

これに関連する大きな変更点だと思えるのは、王求の父が王求に暴力を振るった大橋久信(森久信)を殺すシーン。
雑誌版(355~359ページ)では三人の魔女は登場しないのですべて父の仕業になっていますが、単行本版(105~109ページ)、文庫版(610~615ページ)では父は最初の一撃を加えただけで、あとは魔女がやったことになっています。
物語の大枠というか、話の流れそのものには影響を与えない変更ですが、かなりの違いが生まれていると思います。

タイトルのキングとは、すなわち王求を指すわけですが、本文中にも示唆されるように、王求は、仙醍キングスの南雲慎平太の生まれ変わりですし、王求もまた次の世代へと生まれ変わります。
巻末に収録されている伊坂幸太郎インタビューによれば「伝記的作り話」「ある天才の人生の悲喜劇を書きたい」ということだったらしいですが、そういう流れで捉えると、別の物語を過ごしたあと、今の(「あるキング」の)人生があり、また次へとつながっていくわけで、作り話性が一層際立っていくということなのかもしれません。
また、王求を軸に群像劇的なストーリー展開をしていくのですが、王求を「おまえ」と呼ぶ謎の語り手がおりまして、不思議な読後感をもたらしてくれるのに役立っています。

それにしても、王求にとって、野球は楽しいものだったのでしょうか?
雑誌版(485ページ)、単行本版(228ページ)にあったシーンが文庫版(742ページ)で大きく書きかえられているので気になってしまいました。

僕が買った文庫本には、初回限定特典として、特別ショートストーリー封入ということで、「書店にまつわる小噺 あるいは、教訓の得られない例話」を収録?した冊子(折込チラシ?)がついています。もともと紀伊國屋書店の「キノベス」用だったものらしいですが、全文引用してもそれほど手間のかからないくらいの短さで内容もとりたてて言うほどのこともない軽いものですが、なんか得した気分ですね。

<蛇足1>
王求10歳のときの友人が、偉人の伝記を読んで抱く感想・感慨が面白かったです(48ページ、302ページ、550ページ)。文庫版から引用します。
「ただ、それよりも僕が驚いたのは、本の中には、キュリー夫人の子供の頃の話が載っており、そこに、キュリー夫人が何を思ったのかが書いてあることだった。たとえば、『その時、彼女は、お母さんのことが怖くなった』であるとか、『彼女は、二度と同じ失敗はしないと心に固く誓ったのです』であるとか、そんな風に記されている。キュリー夫人が偉くなったのは大人になってからなのに、どうして、子供の時の彼女の心情が克明に書かれているのか。それが不思議でならなかった。将来偉くなることを知っている誰かが、こまめに日記をつけるように、キュリー夫人の気持ちや出来事を記録していたのかもしれない。そう考えると今度は、寂しくなった。今の自分のまわりには、誰もいないからだ。」

<蛇足2>
「性交の後のような切なさとむなしさのまざった思いが胸にせり上がってくる」(216ページ、464ページ、717ページ)
印象に残ったので、メモしておきます。

<蛇足3>
「王求は、王になるの? 王様なの? だから、敬遠されるのかな」
「どういう意味だ」
「敬遠って、そういう意味でしょ。『うやまって遠ざける』『避ける』って。王様は、みんなに敬遠されるに決まってる」(704ページ)
文庫版にのみ登場するセリフですが、なかなか鋭いですよね。

<蛇足4>
仙台が仙醍で、東京が東郷、名古屋が名伍屋。
伊坂幸太郎の作品ではいつもこう記載されているんでしたっけ?
あまりわざわざ変える必要のない地名だと思うので、気になりました。







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ゴールデンスランバー [日本の作家 伊坂幸太郎]


ゴールデンスランバー (新潮文庫)

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/11/26
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
衆人環視の中、首相が爆殺された。そして犯人は俺だと報道されている。なぜだ? 何が起こっているんだ? 俺はやっていない――。首相暗殺の濡れ衣をきせられ、巨大な陰謀に包囲された青年・青柳雅春。暴力も辞さぬ追手集団からの、孤独な必死の逃走。行く手に見え隠れする謎の人物達。運命の鍵を握る古い記憶の断片とビートルズのメロディ。スリル炸裂超弩級エンタテインメント巨編。

第21回(2008) 山本周五郎賞受賞作で、第5回(2008年) 本屋大賞受賞作。
ちなみに、「このミステリーがすごい!  2009年版」第1位、2008年週刊文春ミステリーベスト10第2位です。
堺雅人主演で映画にもなっています。
今のところの、伊坂幸太郎の代表作といってもよい作品なのかもしれません。
解説に、伊坂幸太郎のインタビューからの引用があります。
「話を綺麗に畳んでおけば、確かに読者からの突っ込みは来ないから書いていて安心もできる。でも、書けば書くほど、話を畳む過程につまらなさを感じて葛藤があった。そこで、物語の風呂敷は広げるけれど、いかに畳まないまま楽しんでもらえるのか、それから、いかにそれでも読者に納得してもらえるのか、にはじめて挑戦したのが『ゴールデンスランバー』 という作品でした。」
こう作者は言っていますが、伊坂幸太郎らしい、見事な伏線回収の技は堪能できます。ああ、このエピソードはこういう風に使うんだ! という軽やかな驚きは、伊坂幸太郎作品を読む醍醐味で、引き続き楽しめます。
この『ゴールデンスランバー』 に続く作品群をまだ読んでいないので、「話を畳まない」ことがどういう風になっているのかわからないのですが、『ゴールデンスランバー』 について言うと、ラストがあまりカタルシスを感じられないものになっているのは、その表れなのでしょうか。
カタルシスを感じられない、とは言いましたが、この物語の設定、テーマ自体がカタルシスを感じにくいものですし、巨大な陰謀に巻き込まれた青年、という構図からすれば、ある意味立派なカタルシスともいえるラストという解釈もできそうです。
畳む、畳まないというよりは、主人公である青柳雅春をめぐる部分以外については、あえて細かく触れていないため、クリアにしていないところがポイントなのかもしれません。
もともと伊坂幸太郎の作品世界は、現実とは少し違った世界ですから(たとえば、この作品では、首相が公選制で選ばれます)、現実的に見えてもどことなく浮遊感漂うところも魅力だと思っていますので、ストーリーの主旋律に焦点を絞って、あえて説明しない部分が広くなっていくことにはあまり抵抗を感じません。このあたりはバランスが難しいだろうな、と思うので、伊坂幸太郎の筆さばきの妙が生きてくると思います。
ということで、今回も楽しく読み終わりました。
次の作品が楽しみです。
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砂漠 [日本の作家 伊坂幸太郎]


砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/06/29
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
入学した大学で出会った5人の男女。ボウリング、合コン、麻雀、通り魔犯との遭遇、捨てられた犬の救出、超能力対決……。共に経験した出来事や事件が、互いの絆を深め、それぞれ成長させてゆく。自らの未熟さに悩み、過剰さを持て余し、それでも何かを求めて手探りで先へ進もうとする青春時代。二度とない季節の光と闇をパンクロックのビートにのせて描く、爽快感溢れる長編小説。

読了後、いやあ、伊坂幸太郎はいい、とまず思いました。
なによりやはり語り口、文章がいい。ずっとこの世界に浸っていたい気になります。
何度も大笑いしましたし、時折はさまれる「なんてことは、まるでない。」というフレーズも気に入りました。
解説でえらく絶賛されている、西嶋くんはあまり好きではありませんが....
裏側の帯に「自分たちさえ良ければいいや、そこそこ普通の人生を、なんてね、そんな生き方が良いわけないでしょう。俺たちがその気になれば、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」とあって、このセリフを言うのが西嶋くんです。
(ただ、「--本文より」なんて書いてありますが、このままの文章・セリフはなかったと思います。P18にある文章を前後入れ替えて、くっつけたもの、です。でも、雰囲気はよく出ているので〇ですね。)
こんなことを言い出すヤツ、身近にいたらちょっと鬱陶しくないかな? と心配します。
そう考えてしまうので、この小説でよいのは、西嶋くんを取り巻く周りの人物なんじゃないかな、と思います。語り手の北村もそうですが、南も鳥井も東堂も、北村の彼女となる鳩麦さんも、みんなステキです。鬱陶しそうな西嶋くんを、きちんと輝かせていますもの。
タイトルの「砂漠」というのは、上の西嶋くんのセリフに出てきますが、鳩麦さんの言葉(P227)にも登場します。いわく、
「学生は、小さな町に守られているんだよ。町の外には一面、砂漠が広がっているのに、守られた町の中で暮らしている」
「砂漠というのは、いわゆる、社会ってこと?」と聞く北村(語り手)に対し、
「社会って言っちゃうと、恰好悪いじゃない」「町の向こう側に広がる、砂漠のほうがイメージが近いよ」と答えます。そして、
「町の中にいて、一生懸命、砂漠のことを考えるのが、君たちの仕事かもよ。言っておくけどね、砂漠は酷い場所だよー」
と続けるのです。
冒頭のサン=テグジュペリの『人間の土地』 からのエピグラフは、
「ぼくは砂漠についてすでに多くを語った。
  ところで、これ以上砂漠を語るに先立って、
   ある一つのオアシスについて語りたいと思う。」
となっていまして、この作品そのものが大学生生活というオアシスを描いたものであることを示しているようです。
一方で、最後の卒業式の学長の言葉が
「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ」
というもので、感慨深いものがあります。--これもサンテグジュペリの引用らしいのですが...
学長の言葉はもうひとつ、「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」というのもありまして、いいこと言うなぁ、って感じなわけですが、いろんなことはあったものの、贅沢な学生生活を送れた西嶋くん、北村をはじめとする登場人物たちのこれからが引き続き魅力あるものであることを願っています。
タグ:伊坂幸太郎
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フィッシュストーリー [日本の作家 伊坂幸太郎]


フィッシュストーリー (新潮文庫)

フィッシュストーリー (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/11/28
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
最後のレコーディングに臨んだ、売れないロックバンド。「いい曲なんだよ。届けよ、誰かに」テープに記録された言葉は、未来に届いて世界を救う。時空をまたいでリンクした出来事が、胸のすくエンディングへと一閃に向かう瞠目の表題作ほか、伊坂ワールドの人気者・黒澤が大活躍の「サクリファイス」「ポテチ」など、変幻自在の筆致で繰り出される中篇四連打。爽快感溢れる作品集。

伊坂幸太郎の大活躍は広く知られているところですが、なかなかその魅力を言葉で表現するのが難しく、読んでください、としか言いようがない、独特の作風です。登場人物が魅力的だともよく言われますが、これまた説明するのが....
この作品は短編集で、それぞれの発表時期はデビュー直後からぽつぽつと2007年までに亘っています。
現実とは少しずれた世界で、少しずつこだわり(いい意味でも、悪い意味でも)を持った登場人物が、会話をトスしながら(野球のキャッチボールみたいなやりとりというよりは、バレーボールのトスとアタックという感じのやりとりのような気がします。)、軽くつながったり、交差したりする、という伊坂幸太郎の特徴は、短編でも発揮されています--こう説明しても、どこがいいのか、まったく伝わっていないと思います。
作家デビューは「オーデュボンの祈り」 (新潮文庫) での2000年第5回新潮ミステリー倶楽部賞受賞ですが、ミステリーは風味付けというか、伊坂テイストを出すための道具として活きています。たとえば、二番目の話「サクリファイス」では、ミステリーとしてサプライズ・エンディングに使えるようなアイデア(ちょっと軽めのアイデアですが)が盛り込まれていますが、そこに焦点はあたっておらず、人のつながりを浮かび上がらせることに力点があるようです。
重たい主題でも、深刻ぶって重苦しくするのではなく、あえて軽やかに、柔よく剛を制す、みたいな伸びやかさがある伊坂幸太郎の作品は好きなので、たとえミステリーでなくなっても、今後も続けて読んでいきたいと思っています--文庫になるとすぐ買ってはいるのです。他の作者の大量の本と同様、積読になってしまっていますが。
タグ:伊坂幸太郎
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