風景を見る犬 [日本の作家 樋口有介]
<カバー裏あらすじ>
那覇市大道の栄町にある売春宿の息子・香太郎は、高校最後の夏休みに近所のゲストハウスでバイトをする。悠々自適なマスター、個性的な美女たちに囲まれ、それなりに充実した毎日を過ごしていた。そんな中、栄町界隈で殺人事件が発生。当初、金の絡む単純な構図に思えた事件は、十八年前のある秘密が引き起こした悲劇だった――。
樋口有介のノン・シリーズものです。
この「風景を見る犬」、単行本を買っていたのに積読で時が経過し、文庫本を買ってしまったという......なんとも。
舞台は沖縄、時は夏、そして主人公は高校生男子。
樋口有介お得意のパターンで、実にいい。
作品の魅力すべては語り手であるこの主人公にあり、と言いたくなるような青年ですが、彼のキャラクターはすぐに心地よく伝わってきます。
ぼくなんか生まれたときから周りは大人だらけで、死んだ祖母さんを筆頭に、みんな冗談のついでに生きているような人たちだった。「冗談で片付けなかったら、人生が辛いさあ」というのが祖母さんの口癖(344ページ)
と自ら語っていますが、こういう青年は同級生から見るとかなり浮くでしょうね。
美女に囲まれている日常、といううらやましいことこの上ない状況ではありますが、これはこの香太郎だからこそやっていけるので、ぼくだったら到底つとまりませんね。
余談ですが、香太郎のお袋、36歳という設定なんですが、しゃべり方のせいなのか、それとも職業柄なのか、もっと歳上のイメージで読んでいました。
ミステリ的側面の謎解きが頼りない、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この軽妙な語り口に乗せられて、また沖縄の醸す雰囲気に包まれてはいますが、きわめて正統派のハードボイルド的な謎解きになっていまして、少々詰めの甘いところはありますが、王道だと思います。
素晴らしい。
つまりは、樋口有介を読む楽しみが詰まっている作品というわけですが、先日、2021年10月23日にお亡くなりになったのですね。
再開した船宿たき川シリーズの決着もついてしないし、まだまだ樋口節を楽しませてもらいたかった。
残り少ない未読作品を、大切に読んでいきたいです。
<蛇足1>
この作品、沖縄が舞台で、さらっと豆知識(?) が盛り込まれています。
「沖縄の蝉は午前中の短い時間だけ狂ったように鳴いて、午後は休む。その理由は、たぶん、暑いから。」(28ページ)
本当ですか!?
「泡盛も水やコーヒーで割るのは一年ものの新酒、三年以上寝かした古酒はストレートで飲むのが通だという。」(178ページ)
なるほど、なるほど。語り手が高校生でもこういう知識が忍ばせてあります(笑)
「那覇の語源は魚場(なば)だからその種類も量も豊富なはずだし、沖縄人(ウチナンチュー)からも不満は聞かない。」(239ページ)
これも知りませんでした。
<蛇足2>
「しかし世の中には、冗談受容遺伝子欠損症みたいな人間が、たぶん、いる。」(344ページ)
うまいこと言いますね。
この言い回し、使ってみようかな。
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初めての梅 船宿たき川捕り物暦 [日本の作家 樋口有介]
<カバー裏あらすじ>
奥州白河の武家の道を捨てて船宿〈たき川〉に婿入りし、二代目を襲名した米造の裏の顔は、江戸の目明かし三百の総元締。法外な値をつけると噂の料理屋〈八百善〉の娘お美代の不審死について相談を受けた米造だったが、調べに差し向けた手下清次が何者かに斬られてしまう。折しも白河藩主松平定信が砒毒を盛られ……。田沼との暗闘が激しさを増す、シリーズ第二弾。
ひょんなんことから?再読した、「変わり朝顔 船宿たき川捕り物暦」 (祥伝社文庫)(感想ページはこちら)の続刊です。
今回も、江戸を舞台に、結構手の込んだプロットが展開されます。
まあ、相手が田沼ということですから(ある意味ネタバレなのかもしれませんが、前作から引き続いてのテーマですから、問題ないですね)、複雑にもなろうというもの。
忍ばされたテーマも、現代的でありながら、江戸という時代にふさわしい感じもするもので、なかなかですね。
また、武家から町人(目明し)に転じた主人公米造(真木倩一郎)の暮らしの変りぶりが書かれているのも興味深いし、なんだお葉とラブラブだなあ(死語)というのも楽しい。
「あとがき」で作者は金銭感覚について触れていますが、田沼を相手にするとなると、こういう点で地に足のついた作品が好もしいのは言うまでもありません。
気になるのは、事件の落着。
非常に落ち着きの悪いというか、すっきりしない着地になるのですが、大人の事情といいますか、現実的には妥当なところかと思うものの、物語的には物足りない。
それは、この「初めての梅 船宿たき川捕り物暦」 (祥伝社文庫)がシリーズの半ばだから、ということなのだと思われます。
「あとがき」でもそのことが匂わせてありますから、ぜひぜひ、続刊をお願いします。
というか、続刊がないと、いかにもおさまりが悪い。
捕り物暦というくらいですから少なくとも計4冊、できうることなら12冊のシリーズとなることを祈念!
変わり朝顔 船宿たき川捕り物暦 [日本の作家 樋口有介]
<カバー裏あらすじ>
元奥州白河藩士の倅・真木倩一郎は、朝顔を育てる優男の風貌とは裏腹に江戸随一の剣客。ある日幼馴染みの天野善次郎が新藩主・松平定信の命で来訪、倩一郎に前藩主のご落胤の噂があるという。定信からは帰参を乞われる中、船宿〈たき川〉の女将で、江戸の目明かしの総元締・米造の娘、お葉を助けたことで運命が一変。倩一郎は幕府も揺るがす暗闘に巻き込まれていく……。
ここから十一月に読んだ本の感想です。
「変わり朝顔 船宿たき川捕り物暦」 (祥伝社文庫)の新刊案内をみたとき、うわっ、久しぶりのシリーズ続刊だ!と勢い込んで注文しました。
届いた文庫本の巻末を見ると
「本作品は平成十九年八月、筑摩書房から刊行された『船宿たき川捕物暦』を、著者が改稿・修正したものです」
と書いてあって、あれれ、と思いました。
「変わり朝顔」などとタイトルに加わっているので、完全な新刊かと思ったら、改稿・改題だったんですね。
「船宿たき川捕物暦」だったら単行本で買って読んでいます。あーあ、買ってしまって少々勇み足、なんですが、改稿されているということですし、樋口有介の作品ですし、惜しいとは思いません。
面白かった記憶はあるものの、内容はすっかり忘れてしまっていますし、とても楽しく読みました。
(樋口有介の作品なら、なんでもOKなんですけどね)
捕り物帳自体あまり読んできていませんので、新鮮です。
「目明しとは要するに、ミミズという意味でございましてな」
「ミミズとは『目、見えず』から生まれた語とやら。このミミズを清国の文字で書きますと虫に丘、そしてまた虫に引、つづけて蚯蚓と書きます。丘は岡でございますから、岡っ引きとは蚯蚓という意味合い。目明しを地面の下でうごめく『目、見えず』と皮肉りまして、誰やらが手前どもの稼業を蔑んで云いはじめたものが、世間に広まったのでございましょう」(107ページ)
とか
「あっしの家では女房が線香屋、ほかの目明しも瀬戸物屋だの駄菓子屋だのを看板にしておりやすが、そんなものはみんな、建前でござんす。茶碗や駄菓子を売る片手間にお上の御用なんぞ、勤まるはずもござんせん」
「云ってみりゃ歌舞伎役者が成田屋だの音羽屋だの、お上向けに小間物や絵増資を商っているのと同じこと」(136ページ)
とかいうセリフも、しっかり勉強になります。
(時代小説ファン、捕り物帳ファンの方には常識なのかもしれませんが)
帯に
「溢れる江戸情緒
×
巧みな仕掛け
×
魅惑的な語り口」
と、すっきりまとめられている通りです。
特に仕掛け、というか、プロットが複雑なことはポイントとしてぜひ挙げておきたいです。
捕り物帳のイメージは短編なので、もっと単純なプロットが多いと思っており、一方この「変わり朝顔 船宿たき川捕り物暦」 は長編なので、それなりに複雑なプロットが必要になるのは当然なのですが、長編としても複雑なプロットを内包していますのでそんな印象を強く受けました。
さらに付言しておくと、「変わり朝顔 船宿たき川捕り物暦」 で物語は着地を見るのですが、もっと広がりを見せようなエンディングになっており、むしろこの「変わり朝顔 船宿たき川捕り物暦」 は、より広大なストーリーのプロローグなのでは、と思わせるかたちになっています。
続刊である「初めての梅 船宿たき川捕物暦」が出ていますので、楽しみです!
あとがきで
「本作を筑摩書房から単行本で出版したのが二〇〇四年ですから、もう十五年前。マニアックな読者でないかぎり樋口有介が捕り物帳を書いていることすら知らないはずで、今回の復刊は作家冥利に尽きます。」
と書いておられますが、これで晴れて「マニアックな読者」と認定してもらえました。
これからも、ついていきますよ、樋口さん。よろしくお願いします。
亀と観覧車 [日本の作家 樋口有介]
<カバー裏あらすじ>
ホテルの清掃員をしながら夜間高校に通う三代川涼子、十六歳。怪我で働けない父と鬱病の母がいて、家は生活保護を受けている。ある日、セレブが集う「クラブ」に誘われた涼子は、そこで、小説家だという初老の男に出会う。「ヘンな人」でしかなかったその存在が、彼女の人生を静かに動かしていく――。一筋縄ではいかない、一気読み「純愛」物語!
うーーん、樋口有介の作品なので、難なく、いや、むしろ心地よく読み進めましたが、なんといったらよいのでしょうね?
変わった作品だなぁ、というのが正直なところ。
まず、ミステリ、ではありません。
「本書は、谷崎潤一郎生誕一三〇周年記念作品として、二〇一六年に中央公論新社より刊行された書き下ろし長編を文庫化したものです。」
と巻末にあります。
谷崎潤一郎ですか......むかし、教科書に載っていた作品でしか知りません......
だから、どのあたりが谷崎潤一郎を偲ぶところなのか、さっぱりわかりません。
視点人物の涼子がとても変わった子でして、少々持って回った語り口にのせられているうちに、あれよあれよと物語は変な方向へ。
谷崎潤一郎の作品って、こんな感じなんでしょうか!? そんな筈ないですよね。
樋口有介の作品でなかったら、到底手にも取らず、読みもしない感じの作品だったので、よい経験になりましたが......
樋口有介の普通の作品を楽しみに待ちます!
タグ:樋口有介
遠い国からきた少年 [日本の作家 樋口有介]
<裏表紙あらすじ>
法律事務所で調査員として働く風町サエは、服役経験のあるシングルマザー。今回の依頼者は、アイドル候補生が店員の安売りピザ店で大儲けをした男。自殺した少女の両親から要求された一億二千万円の賠償金を減額させたいという。調査を進めるうち、ある人の過去にも迫っていくことになったサエは―。『笑う少年』を改題。
「猿の悲しみ」 (中公文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)に続くシリーズ第2作です。
文庫化にあたって、「笑う少年」から「遠い国からきた少年」 へと改題されています。
常識的に考えると、「遠い国からきた少年」=「笑う少年」ですから(タイトルになるような少年がそう何人もいるとは思えません)、本書に「笑う少年」が出てきたときから、この少年は「遠い国からきた少年」なんだな、と思ってしまいます。
これが本書にとってよいことだったのかどうか、ちょっと疑問ですね。
改題しないほうがよかったのでは?
この点を置いておくと、シリーズ快調です!
この作品単体で楽しめますが、前作「猿の悲しみ」 のネタバレ、あるいはネタバレに近いところがあちこちにありますので、「猿の悲しみ」 を先に読んでおいたほうがよさそうです。
風町サエ、息子の溺愛ぶりに拍車がかかっています。おかしい。
まるでAKBを彷彿とさせるような、OKEというアイドル・グループが出て来ます。
このOKEのビジネスモデル(?) がなかなか興味深い設定になっています。
もとは『ラビット・ピザ』というピザ・チェーンで、そこの従業員を女子高校生か同年齢の少女たちに限定。客に従業員少女の人気投票をさせ、その集票によって、渋谷、原宿、青山といった旗艦店舗に登用。そこでのさらなる人気投票で上位になった少女たちを『OKEスペシャル』というユニットにして芸能界へ!(15ページに説明あり)
なかなかのアイデアのような気がします。
AKBの場合は買わせるのがCDですが、ピザ屋なのでピザの売り上げに直結するのがおもしろいですね。中途半端なロイヤリティ・プログラムより効果あるでしょうね。
OKEをめぐる捜査がやがて「笑う少年」の正体を探っていくというストーリー展開になりますが、羽田法律事務所の「裏の」仕事で探るだけではなく、友愛協会の凛花からの依頼としても探る、というところが面白い展開ですね。
樋口有介の軽やかでしなやかな文章に支えられ、サエの活躍を追いかけるのがとても楽しいです。
この後シリーズは刊行されていないようですが、少年を主人公にした作品に加えて、サエ・シリーズもお願いします。柚木草平シリーズや木野塚佐平シリーズはどっちでもいいです(笑)。
<蛇足1>
前沢遥帆子(まえざわよほこ)という登場人物が出て来ます。
よほこ、とは変わった名前だなぁ、と最初思っていたのですが、これ「よほこ」とフリガナが振ってあっても、発音はきっと「ようこ」なんでしょうね。
「ほ」を「お」という音で読むのはまま見られることですよね。
顔も昔は「かほ」だったものが「かお」になったものですし。
似たような例に「かほり」がありますね。こちらも「かおり」さんとお読みする例が多いように思います。
お名前だったら、好きに書いていただいて結構だとは思いますが(それでも、かほり、を、かおり、と読め、というのは無理なんですけれども)、「香り」という名詞を「かほり」と書くのは間違いですね。旧かなですらありませんから(旧かなでは「かをり」)。
昔、「シクラメンのかほり」という歌がありましたが(作詞・作曲 小椋佳)、香りという意味だとすると小椋佳の間違いです。間違いだとすると、かなり迷惑な間違いですね。あの曲のせいで、香りが「かほり」だと勘違いする人が多いでしょうから。あの曲で固有名詞という解釈が成立するのかどうかわかりませんが......
<蛇足2>
終盤コント・ラフォンという高級ワインが登場します(331ページ)。
ワインはまったくわかりませんので、ネットで調べてみたら、すごそうなワインですね...
猿の悲しみ [日本の作家 樋口有介]
<裏表紙あらすじ>
弁護士事務所で働く風町サエは、殺人罪で服役経験を持つシングルマザー。十六歳で不登校の息子がいる。表向きは事務員だが、実際には様々な手口で依頼主の要望に応える調査員。プロ野球選手とモデルの離婚慰謝料を巡り動くサエだったが、同時にある殺害事件についての調査も言い渡される。歪んだ愛の発端は三十四年前に遡り――。
樋口有介の新シリーズです。
続く「遠い国からきた少年」 (中公文庫)(単行本のときのタイトルは「笑う少年」)もすでに文庫化されていますね。
女性が主人公で探偵役...
正直読み始めるまでは不安がありましたね。
樋口有介はやはり男の子が主人公をつとめる作品がよい、と個人的に信奉しているので。(その意味では、樋口有介の看板シリーズである柚木草平シリーズですら、個人的には劣後します)
しかし、杞憂でした。いつもどおりの樋口節ともいうべき物語を楽しめました。
柚木草平が娘、加奈子に対して抱く感情・感想と、風町サエが息子、聖也に対して抱く感情・感想を比べてみるのもおもしろいかもしれません。どちらも、表立った行動にはなかなか出しませんが、溺愛していることに違いはありませんし。
サエを取り巻く周りの人物が彩り豊かなのがポイントかと思います。
いわゆるハードボイルド、私立探偵ものの王道ですね。
息子、聖也もそうですし、サエを雇っている弁護士羽田愁作の事務所の面々(若手弁護士・島袋智之、事務員?・雪原玲香)も一癖も二癖もある面々。
サエを手伝うフリーターでオタクの大野克好、大野と会う場所であるサエの行きつけのスナック「鼻歌まじり」のママ・横内亜季奈(サエの昔の不良仲間)もいい感じ。
そうそう、柚木草平シリーズに出てくる山川刑事も活躍しますよ。
そういえば、愁作とサエが寄る新宿二丁目のゲイバー「クロコダイル」で、草平もカメオ出演というのでしょうか? ちらっとだけ出てきます(243ページ)。
今後シリーズが展開していくにつれて、息子の父親である(とほのめかされている)政治家(の息子で出馬が噂されている)・深崎朋也が物語に絡んでくるのでしょうか??
ミステリ的には、急成長した家電の量販店。高級官僚。巨額の資金が動く慈善事業団体と揃った道具立てとそれを追う編集者たちの死、という枠組みで、これがなだらかに語られていくところがポイントなんだなと思います。
ハードボイルド、私立探偵ものの王道といえば...本書を読み終わったとき、ふた昔ほど前(世紀が変わる前あたりでしょうか)に流行ったハードボイルドの一つのテーマを思い出したんですよね。たとえば真保裕一のあれとかです。
落ち着いて考えると、違うのでは、と思いましたが、それでもあれの変奏曲という連想が働いてしまったんですよね。
この作品のラストであるサエとの対決シーンはすごく静かに行われるのですが、かなり強烈に怖いですよ。だからかもしれません。
ラストがかなり思わせぶり、というか、はっきり書いていないところがあって、さて、どうこうことなんだろう、と考えるわけですが、そして個人的にはこういう(血の繋がった兄妹であることを知りつつ男女の関係に持ち込んだ)ことかな(ネタバレにつき色を変えています)、と思っていることはあるのですが、
「まさか、いくら〇〇でも……」(390ページ。はっきり名前がさらしてあるので伏字にしています)
とサエが言うのとちょっとそぐわないかな、とも思っています。
どなたか、はっきりわかっている方がいらっしゃったら教えてほしいです...
タイトルの「猿の悲しみ」。
その意味するところもこれまたはっきりとは書いてありませんが、サエが収監中に弁護士羽田愁作が差し入れてくれたデズモンド・モリスの文庫本「裸のサル」を念頭に置いたものです。
『内容的には人間をただの猿とみなした生物学の解説書で、善だの悪だの愛だの倫理だのを「猿としての人間」という観点から一蹴している。』
『全体としてはすっきりと、人間をただの動物時限へおとしめている。』
『今でもつまらない人間特有の感情に流されそうになると「私なんかしょせんはただの猿」と自分に言い聞かせる』(63ページ)
とサエが語るところがありますが、そうやって抑えようとしても出てくる悲しみを指すのだろうな、と考えました。
海泡 [日本の作家 樋口有介]
<裏表紙あらすじ>
大学の夏休みに、洋介は2年ぶりに小笠原へ帰省した。難病に苦しむ初恋の女性に会うのに忍びなく、帰りにくかったのだ。竹芝からフェリーで26時間、平和で退屈なはずの島では、かつての同級生がストーキングされていると噂が立ち、島一番の秀才は不可思議な言葉を呟く。やがて続けざまに起こった二つの事件。常夏の島を舞台に、伸びやかに描いた青春ミステリを大幅改稿で贈る。
2019年になりました。本年もよろしくお願いします。
樋口有介のノンシリーズ作品です。
2001年に中央公論新社より単行本で刊行され、2004年に文庫化された作品を大幅に改稿したもの、です。
樋口有介の作品なので、当然(旧バージョンを)既読ですが、大幅改稿とあれば読まねば。
(旧バージョン、まったく忘れちゃっていますが)
解説で千街晶之が
「閉鎖性と開放性の両方が混在し、明るく賑やかな夏の雰囲気とともに、不吉な死の翳りと喪失の予感がじわじわと空気を侵蝕してゆく……そんな矛盾した味わいが、この物語を印象深いものとしている」(360ページ)
と指摘していまして、すごい。うまく作品の雰囲気を伝えています。
夏の小笠原。明るく、明るく、明るい。そんな印象を受けていましたが、この作品は暑さはあっても、どことなく紗がかかっている感じ。
樋口有介の主人公がどことなく「渇いた」「浮いた」感じを漂わせるのもこの傾向に拍車をかけています。
ラストで犯人と洋介が対峙するシーンなんて、その象徴?
「人間なんて、海の泡と同じね。生まれては消えて、生まれては消えて、それで結局、それだけのことね」(257ページ)
これがタイトルの由来(?) かと思いますが、上述千街指摘の雰囲気と合わせて、本作品にぴったりかも。
個人的には、樋口有介の作品を読んでいればそれだけで至福の時間なのですが、この
「海泡」 (創元推理文庫)は、狭い範囲で意外だけれど納得感が強い犯人を描いていてミステリ的にもいいな、と思いました。
改稿(文庫化)された作品で読んでいない作品も読むべし、かもしれません。
<蛇足1>
「胎児の血液型は不安定で、出産後でもしばらくは決まらないの。だから死産の赤ちゃんに血液型はないの」(96ページ)
えっ、そうなんですか...
「本当かよ」
と洋介が答えますが、まったく「本当かよ」と思うくらいびっくりです。
<蛇足2>
「トンネルを抜けると眼下の海に鉄錆色の沈船が見えてくる」(217ページ)
沈船という語を知りませんでした...
<蛇足3>
「だが無理に忘れる必要はないんだぞ。放っておいてもどうせ、時間がおまえから彼女を奪っていく」
「そうだろうね」
「なあ洋介、人生はおまえが思っているより、ずっと短い。小利口な人間に限ってその短い人生を後悔に使ってしまう」(257ページ)
洋介と親父のやりとりですが、うーん、含蓄深いです。
<蛇足4>
解説で千街晶之が「洋介は著者の主人公としてはかなり性的に奔放な部類だが」(359ページ)と指摘していますが、うーん、奔放、ですか...個人的にはあまり奔放という印象は受けませんでした。
確かに、気軽に、というか、あっさりとセックスしてしまうところはありますが、奔放というのとはちょっと違う気がします。ベクトルは違いますが、村上春樹の登場人物たちもあっさりとセックスしますが、そういう感じ? もっとも村上春樹の登場人物たちを奔放と呼ぶのであれば、洋介は奔放というべきかもしれません。
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片思いレシピ [日本の作家 樋口有介]
<裏表紙あらすじ>
ママが取材旅行に行っている間に、親友の妻沼柚子ちゃんと通う学習塾の先生が殺されちゃった。人形のような柚子ちゃんを贔屓して、こっそりお菓子をあげていた先生。どういうわけか柚子ちゃんのご家族が事件の捜査にのり出しちゃって、って、パパ聞いてる!? あの柚木草平の愛娘・加奈子の、はじめての事件と淡い恋を瑞々しい筆致で描いた〈柚木草平シリーズ〉、待望の文庫化。
「捨て猫という名前の猫」 (創元推理文庫)(感想ページへのリンクはこちら)に続く柚木草平ものの1冊、なんですが、これは番外編のような趣きです。
なんといっても、柚木草平の娘、加奈子が主人公で主たる語り手をつとめるのですから。
樋口有介の青春ミステリ、というか、青少年を主人公に据えた作品群は大好きですが、この「片思いレシピ」は少しテイストが違います。
主人公が女の子だからか、それとも柚木シリーズのスピンオフだからか...
創元推理文庫版あとがきで作者も
「女房も子供もいないから当然孫もおらず、甥や姪のたぐいも一切なし。友人がいないから『知人の子供』すら存在せず、そんな私が小学生を主人公に、それも男の子ではなく、女の子なんですよ。」
と書いている通り、正直、無理がある設定ですね。
読んでみると、小学生女子が書いたとは思えないところがあちらこちらに(笑)。やっぱり、ちょっと無理がある設定でしたか。
でも、樋口有介ファンの贔屓の引き倒しなのでしょうが、これがまた悪くない。むしろイケるんですね。楽しかったですよ。
少々爺くさい小学生女子、いいではないですか(笑)。
まあ、爺くさい、というのは言い過ぎですが、
「わたしもそうだけど、女性っていうのは妙なところに勘が働くから」(143ページ)
なんてさらりと言ってのけるのは楽しいです。
塾の先生が殺される、という大事件なわけですが、先生といってもアルバイト。
話を転がすのが難しそうな設定だなぁ、と思いましたが、そこは樋口有介のこと、しっかり転がっていきます。
塾講師陣の人間関係、塾の拡張、ビルのテナント・商店街との関係。素人探偵(加奈子たち)の性格に合わせて、地元密着型(?) のような事件になっているところがポイントでしょう。
タイトルの「片思いレシピ」というのは、
「男と女の問題にレシピはない。」(205ページ)
と柚木が加奈子に言うセリフあたりを念頭につけられたものだと思いますが、なにしろ片思い、ですから...あ~。
初恋レシピってタイトルにしておいたほうがいいような気もするけど、片思いの方がレシピは必要かもしれませんね。
<蛇足1>
「お夕飯を一人でいただくことも週の半分くらい。」(13ページ)
こういう文章を小学生が書くというのはどうかということはスルーするとして、こういうかたちに使われる「いただく」って嫌いなんですよね。
どうして「食べる」ではなく「いただく」なんでしょうか?
「お祖母さんの親戚が新潟で大きいお煎餅会社をやっているとかで、いついただいても香ばしくて、おいしいこと」(23ページ)
という文脈の「いただく」は、他人様からもらって食べるわけで「いただく」でよい、と思いますが、自分で作ったり買ったりしたものを「いただく」というのは過剰だと思います。
ネットやSNS上でレシピやレストラン体験などで「いただく」と書いてあると、「けっ」と思ってしまいます。丁寧にしておけばいい、というものではないし、敬意のない敬語はあまりにも空疎だと思うので。
<蛇足2>
「浅間山荘事件とか日航機ハイジャック事件とか、機動隊とデモ隊がどうとか、昔の大学生は元気がよかったね」
「お祖父さんもデモを?」
「うん、お祖父ちゃんは学生運動のリーダーで、お祖母ちゃんもそのときの同志なんだったさ」
「すごいね、SF映画みたいだね」(74ページ)
お祖父さん、お祖母さんが学生運動華やかなりし頃の学生だったという設定で、それを孫世代が振り返るシーンですが、最後のSF映画みたい、というのに、なるほどなぁ、と思いました。
確かに、今となってはSF映画あたりにある設定と言えますね...
<蛇足3>
「坂本龍馬なんぞというバカは、本来大罪人。あいつがあのとき余計な画策をしたばかりに今も日本が苦しんでいる」
「徳川幕政下の二百六十年、日本は対外戦争なんぞ、一度もしなかった。それが明治の薩長政府になってからは、たった百年のうちに四回もの戦争だよ。」(210ページ)
とお祖父さんが意見を述べるくだりがあって、おもしろいなと思いました。
お祖父さんのように、大罪人とまでは言いませんが、幕末から明治にかけての人物たちは持ち上げられすぎだとは思っているので。
捨て猫という名前の猫 [日本の作家 樋口有介]
「秋川瑠璃は自殺じゃない。そのことを柚木草平に調べさせろ」とある一本の電話から、哀しい事件は動き出した――。場末のビルの屋上からひっそりと身を投げた女子中学生の事件へと柚木を深く導く“野良猫”の存在。そして亡くなった少女の母親、彼女の通っていたアクセサリーショップの経営者など、柚木が訪ねる事件関係者はいつも美女ばかり。〈柚木草平シリーズ〉最高傑作。
樋口有介の代表的なシリーズ、柚木草平ものの1冊です。
1. 「彼女はたぶん魔法を使う」 (創元推理文庫)
2. 「初恋よ、さよならのキスをしよう」 (創元推理文庫)
3. 「探偵は今夜も憂鬱」 (創元推理文庫)
4. 「プラスチック・ラブ」 (創元推理文庫)←短編集
5. 「誰もわたしを愛さない」 (創元推理文庫)
6. 「刺青(タトゥー)白書」 (創元推理文庫)
7. 「夢の終わりとそのつづき」 (創元推理文庫)
8. 「不良少女」 (創元推理文庫)←短編集
9. 「捨て猫という名前の猫」 (創元推理文庫)
10. 「片思いレシピ」 (創元推理文庫)
11. 「少女の時間」 (創元クライム・クラブ)
と今まで11冊出ていまして、本書「捨て猫という名前の猫」は9冊目、短編集を除くと7冊目の長編となります。
ところが作者による「創元推理文庫版あとがき」には、
「本作の前に出した柚木草平の長編は、二〇〇〇年の『刺青(タトゥー)白書』。ただこれは三浦鈴女という女子大生が主人公ですので番外編。その前の正統柚木ものになると一九九七年の『誰もわたしを愛さない』」ですから、長編は十二年ぶりです。」
とあって、あれれ?
「夢の終わりとそのつづき」 が外されているよ。
今回チェックしてみたら、「夢の終わりとそのつづき」 はもともと柚木草平シリーズの作品ではなかった「ろくでなし」(立風書房)を柚木草平ものに改稿したものなので、カウント外にされたんでしょうね。
ぼくも、「ろくでなし」も「夢の終わりとそのつづき」 も読んでいるはずですが、そのあたりの経緯を覚えていませんでした。
関口苑生による解説では、
「本書『捨て猫という名前の猫』は、そんな作者の持ち味が最もよく現れている柚木草平シリーズの第九弾(長編としては六作目)」
となっていて、「夢の終わりとそのつづき」 を含めてカウントされているようですが、長編のカウントがあいません。「夢の終わりとそのつづき」 か「刺青(タトゥー)白書」のどちらかをカウント外にされているんでしょうかね?
柚木草平のキャラクターに負うところが多い作品に仕上がっていますが、あらすじにもある通り、柚木が訪ねる事件関係者はいつも美女ばかり。
この美女たちとの会話(尋問?)の連続でミステリとしての骨格が展開されていくのですが、そのつなぎ方がナチュラルに感じられるのが長所かと思います。
いやいや、柚木が訪ねるだけではなく、柚木のところにやってくる少女・青井麦も印象的です。それもそのはず、彼女こそがタイトルの「捨て猫という名前の猫」なんだから。
平凡な(?) 女子中学生の自殺事件と思われたものが、麦が殺されてしまうことによって様相を変えていく、というのがポイントですね。
事件だけではなく、柚木のかかわり方も変わってきます。
そしてもう一人、重要なのが、自殺した少女の父親(あらすじに出てくる少女の母親とは離婚済)。
それにしても、事件の構図のあまりにも醜悪なこと。
「柚木草平の物語は、表面こそ大人ごころをくすぐる甘いオブラートで包まれているが、その実中身はずっしりと重たい内容となっている。樋口有介はそのオブラートの量と厚さを自由自在に調整し、読者をとことん愉しませながら、いつしか重く悲惨な物語の真っ只中へと引きずり込んでいく」
と解説で関口苑生が書いていますが、やるせない感じでいっぱいです。
<蛇足1>
「二千万円の金が具体的にどう動いたのか、今は分からない。」(426ページ)
とありますが、この二千万円って預金小切手の形をとっているんですよね。
プライバシーの問題がありますから事件の捜査でなければ銀行も開示しないと思いますが、こと殺人事件にも関連するとなれば話は別で、振出銀行のところでは、誰が預金小切手を依頼したのか記録が残っているはずなので、警察がその気になれば突き止めることは簡単だと思うんですが...
(マネーロンダリング関連の規制が緩かった時代を背景にしているとは思えませんので、ちょっと気になります)
<蛇足2>
「瑠璃と二人で文字(もんじゃ)焼きを食べて」(101ページ)
とあって、ニヤリ。
昔、もんじゃ焼きの語源を調べたことがあって、wikipedia にも書いてありますが、そのことを思い出しました。
<蛇足3>
「昨夜からの雨模様もどうやら終息、空気もいくらか冷たくなったようで」(124ページ)
とありますが、作中では実際に雨が降っています。
「雨模様」は、「雨が降っている状態」ではなく「これから雨が降りそうな状態」を指していう言葉なので、誤用ですね。
<蛇足4>
「三日前のことを、整理したいんだが」
「いいよ、生理でもなんでも、早くして」(282ページ)
というところを読んで、吹き出してしまいました。
これ、書いてあるから成立するダジャレであって、会話上では成立しないですよね。
こういうのを仕掛けてくるのって、楽しいですね。
横浜ではまだキスをしない [日本の作家 樋口有介]
<裏表紙あらすじ>
ぼくが母と貧乏暮らしをするハメになったのは、十年前、親父が盗撮で逮捕され、両親が離婚したからだ。父から呼び出されたぼくは、父の「隠し子」を名乗る女刑事の身元調査を引き受けた。それが本当なら姉となる美人刑事は、父を陥れた盗撮事件の裏に警察の陰謀があったことを教えてくれた。人生暗転の理由を悟ったぼくの前に、幼なじみだったメイが、ネジのぶっ飛んだ美少女として現れる。高二の夏休み、ぼくとメイは電動自転車を駆って、人生を取り戻すミステリーへ走り出す!
樋口有介の青春ミステリ。ときたら、即買いです。
単行本の時のタイトルは、「ぼくはまだ、横浜でキスをしない」。
微妙に変わっていますね。
表紙が、モデルを使った写真...さらに、扉をめくったところや目次、章題のところに同じように写真がつかわれています。
樋口有介の作品の場合、おもしろかったです、以上! で個人的にはOKなんですが、特に青春ミステリは最高です。そんなに頻繁に書いてくれる作家ではないので、新刊が青春ミステリだとうれしいですね。
最近は、旧作を改稿して創元推理文庫から出ることが多くなっているのも楽しみです。
出版社(角川春樹事務所)の単行本のところでみつけた内容紹介がよかったので引用します。
夏休み目前の7月。母と離婚した父に、半年振りに呼びだされた高校二年生のぼくは、父の隠し子を名乗って現れた女性・熊代早葉子さんの身元調査を頼まれる。早葉子さんが横浜県警の刑事であるため、10年前の盗撮事件で逮捕されてからすっかり警察嫌いになった父は、僕を頼ってきたのだ。だが実際に会ってみると、僕は彼女から盗撮事件の背後には、父をハメようとしていた陰謀の存在があったことを知らされる。加えて、幼馴染で不思議な美少女お嬢様・メイに、言葉を喋る猫「ミケ」が登場したことで、僕の夏休みは「ミステリー」と「恋」が交錯することに……そしてそれは人生をかけた大事件へと変わっていってしまう――。青春ミステリの鬼才が新境地を開いた傑作の登場!
やはり特徴的なのは主人公の造型ですね。
こういう感じの男の子を主人公にすると、樋口有介の腕が冴え渡ります。
ちょっと古風な感じのする男の子です。あまり熱量も感じさせません。
青春を謳歌しているわけじゃなく、でも青春を謳歌できないような状況に追い込まれても淡々と対処している。だからといってやることはやっている...
そして、主人公をとりまく女性陣。これがみんな魅力的に見えるんですよね。
帯にも「美少女×猫×ミステリー」と書いてありますが。
猫、は、今回なんとしゃべる猫。幽霊というか、人間の魂(?) が移っているという設定です。
つまり、主人公は美女二人(人間と猫)に囲まれるわけです。あっ、人間の方はもうふたりいるから、四人か。あっ、一人は姉だから三人か。いずれにしてもなんて羨ましい...
美女たちと主人公のやりとりがいちばんの味わいどころですね。(猫とのやりとり、というのもあれですが、ここもなかなか趣き深いのでおすすめです)
もう、ずーっと、このまま、この物語が続けばいいのに、と思えてしまうくらい。
ミステリ的には平凡です、いや本書の場合は、そういう持って行き方はないんじゃないかなぁ、という方向に進んだ、という感じ、といったほうがいいかもしれません。
拍子抜け、というか、肩透かしというか。
ただ、この作品の世界観には合っているところがポイントなのかもしれません。
主人公にも一大事というような事実が判明するのですが、それがさらっと扱われているところがポイントですね。まあ美女に助けられ、というところかもしれませんが。
P.S.
ヒロイン役の村崎明(メイ)が、結構変わった娘として描かれています。
フェリス女学院に通っていて、親戚には皇室の関係者もいて、父親は経団連や赤十字の名誉ナントカをやっているお嬢様で...
この「横浜ではまだキスをしない」では
<2018.7.7追記>
なんか変なところでアップしてしまっていました。
ドラフト(下書き)で置いておいたのですが、もう書き終わっていると思ってアップしちゃっていました。
気づいていませんでした。大変失礼しました。
この「横浜ではまだキスをしない」では触れられていませんが、メイも小学校や中学校での生活は大変だったんじゃないかな、と思います。
その意味では、主人公と合っているとも言えますね。
ふたりがこれからはどんどん仲良く過ごせたらいいですね。
あと、この二人の組み合わせだと、シリーズ化も可かもしれません...
と書くつもりでした。