小説あります [日本の作家 門井慶喜]
<カバー裏あらすじ>
N市立文学館は財政難のため廃館が決定した。文学館に勤めていた老松郁太は、その延命のため、展示の中心的作家・徳丸敬生(とくまるのりお)の晩年の謎を解こうと考える。30年前、作家は置き手紙を残して行方不明となっていたのだ・・・・・。謎解きの過程で郁太は、文学館の存続を懸けて「人はなぜ小説を読むのか」という大きな命題に挑むことに。はたして、主人公がたどり着いた結論とは!?
2024年8月に読んだ10作目(11冊目)の本です。
門井慶喜の「小説あります」 (光文社文庫)。
あらすじにもある通り、「人はなぜ小説を読むのか」という命題に挑んでいます。
途轍もなく大きなテーマに挑んでおり、読者が納得するような結論が出るのだろうか、と思いますし、実際ここで出てくる結論は、個人的にはさほど響いてきませんでした。
けれども、そもそもそういうテーマ設定ですし、登場人物がその結論に至る過程はきっちり書き込まれていますので、特段不満を抱くことはありませんでした。
この物語の登場人物にとってはそうなのだろうな、と思えたことがとても重要だと感じます。
人それぞれだよね、小説を読む理由なんて、と思いながら読んだこともあってそのテーマ自体よりも、徳丸敬生という作家がとても気になりました。
小林秀雄や三島由紀夫など錚々たる実在人物のコメントなどがいっぱい出てくるので、ひょっとして......とネットでチェックしてみましたが、出てきません。佳多山大地による解説で、架空の作家、と明記されています。
この徳丸敬生の、癖のある存在感に惹かれました。
また、遺稿集に、作者本人のサインがある、というのもとても興味深い謎だと感心しました。
これ、合理的に説明をつけるの、難しそうですよね。
とても説得力のある物語が構築されていますよ。素晴らしい。
ところで、人口に膾炙した名作の結末を変更する、というと、井伏鱒二の「山椒魚」を連想しますね。
<蛇足1>
「N市役所。
その構内には、大きな建物がふたつある。
ひとつは本庁舎だ。役人の、役人による、役人仕事のための七階建てのビル。」(242ページ)
そうなんでしょうか? 違和感を感じました。
<蛇足2>
「昭和四十五年五月十八日擱筆(かくひつ)」(252ページ)
擱筆がわかりませんでした。
筆をおいて、文章を書くのをやめること。書き終えること。
とのことです。
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この世にひとつの本 [日本の作家 門井慶喜]
<カバー裏あらすじ>
高名な書家・幽嶺が、山奥の庵から忽然と消えた。後援する大塔印刷では、御曹司の三郎へと捜索の命を下す。だが、工場でも病死者が相次ぐ異常事態が。これは会社の存亡の危機だ! いささか頼りない三郎が、社長秘書・南知子と、史上最速の窓際族・建彦と両方の事件を探りはじめると、一見無関係なふたつが、ある貴重な書物へとつながっていき──。文字と稀覯書をめぐるミステリ。
このところ流行のよくあるビブリオ・ミステリ──かと思いきや、違います。
書家が出てくることからお分かりかもしれませんが、われわれが通常慣れ親しんでいる本ではなく、
「朱色の軸に濃紺の神を幾重にも巻きつけ、褾帯(ひょうたい)と呼ばれる幅の広いひもで締めた、いわゆる巻物の仕立てだ。円筒状のかたちの巻物の中央上部には小さな題簽(だいせん)が貼られ、
源氏物語 巻四十二 幽嶺寫
と楷書に近い字体で筆書されている。」(142ページ)
というところもあるように、巻子本の方に焦点があります。
書には親しんでいないので、まったく未知の世界。
(海外の)美術館に展示してあることがあっても、さっと眺めておしまい。
「そもそも近代の散文というのは、情報を伝達するとか、論理を繰り広げるとか、鮮烈なイメージを呈示するとか、読者の同情を買うとか、いろいろ目的があるものなのでしょうけど、いずれも字そのものが読者の理解をさまたげることはないという信頼のもとに書かれている点では共通しています。当たり前の話です。けれども書という芸術はそんな信頼には応じられない。いっぽうに字の意味があり、もういっぽうに読者の理解があるとしたら、そのあいだに進んで割りこみ、字そのものの姿かたちの鑑賞を激しく主張するのが書なんだから」(158ページ)
というところで蒙を啓かれた思い──といいつつ、書を見に行ったりはしていないのですが。ただ、もし見に行くことがあれば、おそらく今までとは違う見方をするのでしょう。何を感じ取れるのか、自信はないですが。
この本、というか書の世界ともう一つ、物語を牽引するのは工場での異常な事態。
こちらはさほど意外ということでもないのですが、全く隠されていない堂々とあからさまなパーツから予想外のところへ進んでいく物語にビックリ。
両者が絡み合って、そんなことを企んでいたとは。
とても楽しく読めました。
今やすっかり時代小説の作家さんになった感があるのですが、ときどきはミステリもお願いします。
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悪血 [日本の作家 門井慶喜]
<カバー裏あらすじ>
人は己の血にどこまで縛られるのか? 高名な日本画家の家系に生まれながら、ペットの肖像画家に身をやつす時島一雅は、かつてない犬種の開発中というブリーダーの男に出資を申し出る。血の呪縛に悩みながら、血の操作に手を貸す矛盾。純白の支配する邪悪な世界への憧憬。制御不能の感情が、一雅を窮地へと追い込んでゆく。
2022年9月に読んだ5冊目の本です。
巻頭に
動物の愛護及び管理に関する法律 第二条の条文が掲げられています。
「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。」
主人公時島一雅が自分の血筋悩むペット専門の(?) 肖像画家で、犬のブリーダー森宮利樹が出てきて、本書「悪血」 (文春文庫)の文庫化される前の単行本時のタイトルが「血統(ペディグリー)」ということで、ある程度の予断をもって読み始めました。
冒頭は、一雅が依頼された白い犬の絵について、毛の色の表現について悩みます。
依頼者の過去や心理から、あるべき色を求めていくこの段階で作者の術中にすっかりはまってしまったような気がします。
その後森宮が育てているところを一雅が訪れ、森宮の企てを知ります。
ほうほう。やはり予想した通りの展開だな、と思っていたら、そのあと想定した展開を大きく外れていきます。
森宮の犬舎の近くに作られた祭壇。
そこに飾られた宗教画。
描かれているのは、狩人・山林官などの守護聖人 ST. HUBERTUS(聖フベルトゥス)。
非常に印象的なシーンで、この絵をきっかけに物語が大きく転回します。
勘のいい方、聖フベルトスをご存知の方は予想がつくかもしれませんが、エチケットとしてここでは触れないことにします。
その後も含めて、ちゃんとあからさまな伏線がはられているところがいいですね。
堂々と見過ごしましたが(笑)。
非常によい作品だと思いました。
動物を飼うということがさまざまな観点から取り上げられているのも面白かったですーー巻頭に法律を引用しているくらいですから。
「転勤か結婚か出産か、何らかの身辺の変化に際会した時とき、買主はあっさり使い捨てを思いつくことができたのでしょう。まるでおもちゃを捨てるように。ただし名目だけは『もとの自然にもどしてあげる』と大人っぽく美しく構えた上で。」(336ページ)
放棄されたペットが野生化する、買主のモラルが問われることで、よく指摘されることですね。
森宮の飼育場の近くで野生化したスカンクと犬の争うシーンとか、緊迫感もって読めました。
「流通量の面から見ればスカンクは決して珍獣ではありません。」
「南北アメリカ大陸が原産のイタチ科の小動物は、とりわけシマスカンクは、日本への輸入量がこのところ増加しているのだとか。」(333ページ)
とかいう説明に、少し背筋が寒くなる思いをしました。
直木賞作家門井慶喜からすると、秀でた父親を持つ主人公の苦悩はちょっと平凡な出来かもしれませんが、テーマに寄り添った力強い展開だと思いましたし、なによりサスペンスとしての構図が美しかったです。
埋れないようにしてほしい作品です。
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注文の多い美術館 美術探偵・神永美有 [日本の作家 門井慶喜]
<裏表紙あらすじ>
榎本武揚が隕石から作ったという流星刀だが、刀身の成分を調べた結果、偽物と断定。しかし神永の舌は甘みを感じていた(「流星刀、五稜郭にあり」)。佐々木の教え子・琴乃が結婚。婚家の家宝、支倉常長が持ち帰ったローマ法王の肖像画は本物なのか?(「B級偉人」)。味覚で美術品の真贋を見分ける美術探偵が大活躍!
「天才たちの値段」 (文春文庫) (このブログの感想ページへのリンクはこちら)
「天才までの距離 美術探偵・神永美有」 (文春文庫) (このブログの感想ページへのリンクはこちら)
に続く美術探偵・神永美有シリーズ第3弾。
「流星刀、五稜郭にあり」
「銀印も出土した」
「モザイクで、やーらしい」
「汽車とアスパラガス」
「B級偉人」
「春のもみじ秋の桜 --神永美有、舌にめざめる」
の6話収録。
シリーズが続いてきたので、レギュラー陣に焦点を当てた作品が増えてきましたね。
特に、佐々木准教授が思いを寄せる教え子(元教え子ですね)里中琴乃をめぐるエピソードが注目でしょうか。
第一話「流星刀、五稜郭にあり」、第三話「モザイクで、やーらしい」では、わざわざ札幌まで馳せ参じます(笑)。
なのに、第五話「B級偉人」ではあっさり結婚されてしまいます。(シリーズ的には琴乃の結婚は大きな局面だと思うんですが、それをあらすじであっさり明かしてしまうというのはどうでしょう?? まあ、その分このブログにも書けちゃうんですが......) しかも、しかも、ラストではイヴォンヌにひどい仕打ちを受けてしまいます。読者としては笑ってしまうところですが、佐々木准教授本人にとっては、さぞがしつらいことでしょう...(笑)。
ちなみに、佐々木准教授は、続く最終話の「春のもみじ秋の桜 --神永美有、舌にめざめる」でもひどい扱いを受けていますが、もうこういうキャラクターなんですね。
今回読んでいて思ったのですが、この「注文の多い美術館 美術探偵・神永美有」 (文春文庫)中、琴乃関連の3作品は、単に真贋を見極めれば終わりとならず、どううまく着地させるかという課題になっています。
「流星刀、五稜郭にあり」は琴乃の家の家宝、榎本武揚にもらった、隕石でできているとされるサーベル。偽物、となってしまうと先祖からの思いが空しくなってしまう。
「モザイクで、やーらしい」はカエサルの時代のものと思われるモザイク画。しかし当時なかった北極星が描かれており......偽物、となってしまうと農家から引き取った琴乃が困ってしまう。
「B級偉人」は、琴乃の嫁ぎ先に伝わる家宝、慶長遣欧使節・支倉常長が持ち帰ったローマ法王の絵。琴乃が偽物、と指摘してしまっているので、あちらを立てればこちらが立たず状態。
こういう趣向おもしろいですよね。
ただ、こうしてしまうと、結局言われている謂れではないものの別の価値があることがわかる、というパターンになり勝ちという問題を抱えますが、どういう別の価値を持ってくるか、が腕の見せどころなのでしょうね。究極のダブルミーニング??
どれも説得力あるな、と堪能しました。
ほかの作品は
「銀印も出土した」は、京都の発掘現場から出てきた銀印、
「汽車とアスパラガス」は、ペリーが徳川将軍に献上した蒸気機関車(の模型)、
「春のもみじ秋の桜 --神永美有、舌にめざめる」は、大正時代の画家・太田聴雨の筆になる、七五三なのに桜が描かれている絵、
を扱っています。
これらも、角度は異なれ、別の価値を体現するものとなっています。おもしろいですよ。
こちらがボケていただけで、「天才たちの値段」 、「天才までの距離 」 もこういう趣向の作品だったのでしょうか......
「春のもみじ秋の桜 --神永美有、舌にめざめる」は、タイトルにもありますが、神永美有が美術がおもしろいとはじめて思う物語で、シリーズ的には注目ですね。御年、二十歳。
しかも、佐々木准教授(当時のことで院生ですが)とも出会っています! ニヤニヤできます。
第4弾も待っています!!
「銀河鉄道の父」(講談社)で直木賞を受賞し、時代物の作品が多くなってきている門井慶喜ですが、ミステリも忘れないでくださいね、とお願いしておきたいです。
<蛇足>
レギュラー陣であるイヴォンヌの視点で語られる「モザイクで、やーらしい」に、イヴォンヌによる佐々木先生評があるのですが、これがまた激烈で笑えます。
「この知ったかぶりで優柔不断で昇進でなまけ者で文系のZ大学造形学部准教授、佐々木昭友の前にすがたをあらわせ!」(136ページ)
これからすると、文系という属性も罵倒される対象なんですね......
パラドックス実践 雄弁学園の教師たち [日本の作家 門井慶喜]
<裏表紙あらすじ>
初等部から大学院までをそなえた伝統ある名門校、雄弁学園。最大の特色は通常の科目の他に「雄弁」を学ぶこと。新任の教師、能瀬雅司は生徒から難問を突きつけられ、雄弁術で証明しなければならなくなった。失敗したら生徒たちに失格の烙印を押されてしまうだろう。新米教師は無事「試験」に合格できるのか?
「パラドックス実践 - 高等部」
「弁論大会始末 - 初等部」
「叔父さんが先生 - 中等部」
「職業には向かない女 - 雄弁大学」
の4編収録の連作です。
第1作目の「パラドックス実践 - 高等部」は、第62回日本推理作家協会賞短編部門の候補作です。
これが協会賞の候補作ですか...意外。
意外とは言いましたが、おもしろいんですよ。楽しみました。
生徒から
「テレポーテーションが現実に可能であることを証明せよ」
「海を山に、山を海に変えられることを証明せよ」
「ほんとうにサンタクロースがこの世にいることを証明せよ」
という3つの命題を突きつけられて、はてさてどうやって回答すべきか煩悶する教師、という話です。
相手の言説を土台に、というか、逆手にとって話を展開していくところとか、ミステリっぽいというか、ミステリにもみられる要素もちゃんとあります。
でもね、肝心の中心的アイデアが、どうでしょう、これ? これで納得しますか? しないと思うんですよね。
でも、黙り込んでしまう生徒、強引にするすると話を進めていってしまう主人公。
たまたま(?)教室にいた部長(普通の学校でいうところの校長)が、すっと話を引き継いで展開させていってしまうところは、むしろ主人公を追いつめる立場かと思われた人物が助けるサイドに回るという意外性(?)を演出したりもしますが、いかんせん弱いですよねぇ、アイデアが。
他の作品もその点いずれもなんだか喰い足りない印象です。
おもしろいのは、学園を舞台にしていても、生徒ではなく教師に焦点が当たっていること。
副題にもある通り、「雄弁学園の教師たち」なのです。
また、「日常の謎」というには日常的ではない設定ですし、パラドックスというか、もはや詭弁の領域の論旨が展開されていきますが、結局のところ教師の普通の悩みが、普通でない経路をたどりつつも、普通に解決されます。
こういうひねくれたフォーマットはいいですね。
あっ、そうか、ここまで書いて気づきました。
そういう狙いの作品だったんですね。
パラドキシカルな言説を弄じつつ、きわめて平凡な(失礼)問題を平凡に解決して見せる。
フォーマットそのものが逆説的に組み立てられていたわけですね。
<蛇足>
ぼくは個人的に宮沢賢治があまり好きではありません。
ミステリとは相性の良い詩人・文学者なんですけどね。
特に、「雨ニモマケズ」が嫌いです。
「雨ニモマケズ」は、「パラドックス実践 - 高等部」でも触れられていますが、「職業には向かない女 - 雄弁大学」において、「雨ニモマケズ」の叙述が秘める厭らしさ(レトリックの下品さと言ってもいいかもしれません)を暴き立てているのは、(視点人物とは対立する観点の人物による言説ではあるものの)、すごくツボでした。ああ、すっきりした。
宮沢賢治がお嫌いな人は、ぜひ(笑)。
タグ:門井慶喜
天才までの距離 [日本の作家 門井慶喜]
<裏表紙あらすじ>
岡倉先生は、いはゆる筆を持たない芸術家でありました――。近代日本美術の父・岡倉天心の直筆画が発見されたという。天心の実作はきわめて稀だが、美術探偵・神永美有は破格の値をつける。墨絵は果たして本物か? お馴染み神永美有と佐々木昭友のコンビが東西の逸品と対峙する人気シリーズ、待望の第二弾。
「天才たちの値段」 (文春文庫) (このブログの感想ページへのリンクはこちら) に続く美術探偵・神永美有シリーズ第2弾。
「天才までの距離」
「文庫本今昔」
「マリーさんの時計」
「どちらが属国」
「レンブラント光線」
の5話収録。
「天才たちの値段」 を受けて、佐々木が京都へ行ってしまったので、神永と物理的に距離が置かれた、というのが第一話「天才までの距離」のタイトルになっているわけですが、自分の直感を検討する前に神永ならどう見るかを考えるようになってしまっては研究者として最悪で、神永への依存を断ち切るために京都へ、という佐々木の心意気は立派ですが、さてさて、その首尾は? そんな興味も持てる作品です。
というわけで、その神永が金の亡者になってしまっているという表題作はじめ、どうやって佐々木と神永両者を登場させるか、というのことも各話の鑑賞のポイントなのか、と思いましたが、第二話以降はあっさりと共演しています。
一方で、真贋を見抜いてしまう神永の舌の判定結果が距離のおかげで佐々木にはわかりにくくなっていますので、物語のバリエーションが増えた感じがします。
解説で福井健太さんが要領よく題材をまとめていまして引用しちゃいます。
『表題作において岡倉天心の救世観音図(らしきもの)を神永とあらそうことになる。第二話「文庫本今昔」は切り絵の作者探しにまつわる逸話。第三話「マリーさんの時計」は奇妙な柱時計の由来を探るエピソードだ。第四話「どちらが属国」は山水画の真贋と日中関係を絡めた意欲篇。第五話「レンブラント光線」はレンブラントの模写が生まれた経緯を繙く佐々木自身の事件である』
美術そのものはまったくの素人なので、細かい部分はへえぇと言うしかないわけですが、それぞれの謎解きにあたる部分の「きっかけ」がさまざまで、こんな切り口で見ていくんだと感心できます。
第3弾も待っています!!
おさがしの本は [日本の作家 門井慶喜]
<裏表紙あらすじ>
和久山隆彦の職場は図書館のレファレンス・カウンター。利用者の依頼で本を探し出すのが仕事だ。だが、行政や利用者への不満から、無力感に苛まれる日々を送っていた。ある日、財政難による図書館廃止が噂され、和久山の心に仕事への情熱が再びわき上がってくる……。様々な本を探索するうちに、その豊かな世界に改めて気づいた青年が再生していく連作短編集。
このところ流行のビブリオ・ミステリです。
「天才たちの値段―美術探偵・神永美有」 (文春文庫)の門井慶喜がこういう作品を書くとはねー。
図書館を舞台にした日常の謎、です。と同時に、図書館廃止をたくらむ勢力(?)との闘いというストーリーが展開されていく、連作集。
読者がいっしょに謎を解く(探している本をつきとめる)という楽しみは味わえませんが、意外性のある着地を見せてくれるので楽しめます。
第1話目の「図書館ではお静かに」の冒頭、
「シンリン太郎について調べたいんですけど」
というせりふにニヤリとした人、いっぱいいると思います。割とよくあるミスですから。森鴎外の本名、森林太郎をシンリンタロウと読んだのか、と。
でも、そこから思いもかけないところへ作者は連れて行ってくれます。うーん、知らなかった。
そんなのあり!? という感想を抱く人もいるかもしれませんが、楽しかったですね。こういう調子で作者の繰り出す意外な本を素直に楽しめばよい作品集だと思います。
第3話の、外来語の輸入の歴史なんていう謎かけの目指すところが簡単にわかってしまっても、差し出される本は結構意外感あるのではないかと。
本にまつわるパートは、かくのごとく、ニヤニヤしながら楽しく読めてよいのですが、図書館廃止をめぐる部分はちょっといただけませんね。正直、好みにあいませんでした。主人公の成長物語として組み込んだのだろうとは思うのですが、中途半端というか、きっちり消化されていないように感じました。
門井慶喜には期待するところ大なので、こちらがハードルを上げてしまっているせいもあるとは思いますが、もう一工夫お願いしたかったです。
天才たちの値段 美術探偵・神永美有 [日本の作家 門井慶喜]
<裏表紙あらすじ>
一枚の絵が「もし贋物なら、見た瞬間、苦味を感じ、本物なら甘みをおぼえる」という天才美術コンサルタント・神永美有(かみながみゆう)が、短大の美術講師・佐々木昭友と二人で鑑定にまつわる五つの難題に挑戦。ボッティチェッリ、フェルメールから江戸時代の涅槃図まで、古今東西の名品たちが問いかける。美術とは何か?
それぞれ美術品を題材に取った短編5編からなる連作集です。
門井さんの本を読むのは初めてですが、おもしろかったです。気になる作家が増えてしまいました。
各話そんなに長くないのに、重層的な展開をみせるところがとってもGOODです。
美術品関係の謎や課題が提示されて、苦労して、あるいはひらめきを得て、佐々木が回答を導き出した...と思ったら神永がプラスアルファをもたらして物語をしめる、というパターンです。
なんとか神永を見返してやろうと佐々木ががんばっても、やっぱり神永が上手、っていうところが、ちょっとかわいそうながらおかしい。
このシリーズの特徴は、なにより、探偵役の神永が舌で真贋ががわかってしまうという特殊能力(?)を持っているところにあります。対象となる美術品が出て来る冒頭で真贋が分かってしまうわけです。ぼくの凡庸な頭では、結論があらかじめわかっているとなると物語の幅が狭まってしまって、読む側の楽しむポイントが1つ減ってしまうように思うのですが、まったくそういうハンデ(?)を感じさせないバリエーションを見せてくれます。かえって、このハンデを今回はどう乗り越えるのだろう、というのを気にかけながら読むという楽しみが出てきています。
続編が楽しみです。
ところで、ネット上では、難読文字・熟語が多くてだめ、という意見が散見されますが、美術ミステリは蘊蓄系ですし、語り手が大学の先生でインテリ(笑)であることを考えると、普通使わない単語が出てきてもおかしくはないし、指摘されている漢字を確認しても、そんなに難しい語は出てきていないと思います。この程度でもだめなんでしょうか?