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失踪者 [日本の作家 下村敦史]


失踪者 (講談社文庫)

失踪者 (講談社文庫)

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/09/14
  • メディア: 文庫


<カバー裏あらすじ>
十年前の転落事故でクレバスに置き去りにしてしまった親友・樋口を迎えに、シウラ・グランデ峰を登る真山道弘。しかし、氷河の底の遺体を見て絶句する。氷漬けになっているはずの樋口は年老いていたのだ! 親友に何があったのか。真山は樋口の過去を追う。秘められた友の思いが胸を打つ傑作山岳ミステリー。


下村敦史の長編第六作です。

「失踪者」というタイトルの作品、折原一にもあったなあ(既読です)、と思ったりもしましたが、まったく作風は違います。

下村敦史としては「生還者」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)につづく山岳ミステリです。「生還者」がとても面白かったので、期待大でした。
「この結末、仰天からの“号泣” 傑作下村ミステリー感涙度No.1」
という帯の惹句には少々うんざりしますが、こういう品のない煽り文句は無視して読むのが吉です。

プロローグは主人公真山のペルーでの登山シーン。十年前に遭難した樋口の遺体を迎えに登っている。見つけた樋口の遺体は、十年前の姿よりも年を取った姿だった......
とても魅力的な謎でスタートします。
これが2016年という設定で、樋口の遭難が2006年。
第一章では2003年で、大学を出て山岳カメラマンとして働いている真山が、気鋭の登山家榊知輝の随行カメラマンを努める樋口の姿をTV越しに見ます。それは、最後の登頂の手前で高山病にかかり、足手まといになっている樋口の姿。
第四章で2016年に戻って、十年前のことを探り始める真山。樋口は一旦は生還していた。
これで、死体が年を取っていたという謎は解消してしまいます。このうえない魅力的な謎にワクワクした身にはちょっと拍子抜けですが、今度はなぜ樋口が姿を消したのか、という謎が立ち上がってきます。

第五章では、真山と樋口の出会い、大学時代の回想。
その後、過去の回想と2016年の調査が交互に描かれます。
この回想シーンが個人的には良かったですね。特に大学時代に始まった真山と樋口の邂逅と友情が深まっていく様子、そして意に反し決裂してしまう仲。
特に、独特のスタイルを持っているという樋口の山登りのやり方と樋口の性格が強烈な印象を残します。
卓越した技量を備え超一流のクライマーでありながら、なぜ樋口はサポート役にすぎない(といっても大変な仕事ですが)カメラマンを努めているのか。
真山は、別れてからの樋口の過去を探っていきます。探っていくにつれ、新たな登場人物が出てきて、新たな謎もいくつか。
真山が真相に気づくポイントも、自らクライマーである真山だからこそ気づく点になっていて好感度大です。
ここで明かされる真相は、特に意外なものではないと言っておかないといけないと思いますが、この作品は真山と樋口の物語であり、それに最もふさわしい真相が用意されているという点で、これでよいのだと思います。
あまりにも手垢のついた言葉なので、使うのをためらってしまいますが、真山と樋口の”絆”が、謎解きを通してしっかりと浮かび上がってくるのがポイントだと思います。
描かれる山岳界の様子があまり美しくないのも、真山と樋口の物語との対比という位置づけなのでは、とも思えます。
この作品は、真山と樋口の物語であり、真山の目から見た樋口の物語であり、そして、樋口の目から見た真山の物語なのです、きっと。


<蛇足>
「積雪の雪を削り取った烈風が吹きつけ、アウター、中間着、アンダーウェアを三重に着込んだ隙間から突き刺さる。」(8ページ)
冒頭に出てくる南米アンデスの雪山のシーンなのですが、三重なのはなんでしょう?
アウター、中間着、アンダーウェアで三重ということだと、素人目からは超薄着に思えます。普段の冬の生活でももっと着込んでいるような。
とすると、アンダーウェアが三重なのかな? それともアウター、中間着、アンダーウェアそれぞれが三重? 







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フェイク・ボーダー 難民調査官 [日本の作家 下村敦史]


フェイク・ボーダー 難民調査官 (光文社文庫)

フェイク・ボーダー 難民調査官 (光文社文庫)

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/07/11
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
東京入管の難民調査官・如月玲奈は、後輩の高杉純と共に、日本に難民申請したクルド人・ムスタファの調査を行うことに。聴取中、善良そうな彼の吐く不可解な嘘に玲奈らは困惑する。彼は本当に難民か? 真実を追ううち、玲奈たちはやがて、国境を越えた思いもよらぬ騙し合いの渦に巻き込まれていく――。若き調査官らの活躍をスリリングに描く、大注目のポリティカル・サスペンス! (『難民調査官』改題。)


下村敦史の長編第5作です。

これはまた難しい問題に挑んだな、と思いました。
難民。
さらに、クルド人。

それがとてもなだらかに、読みやすく書かれている点はとても素晴らしいと思いましたし、誠実に書かれているなと感心もしました。
若い難民調査官の、やや行き過ぎた調査も、現実にはあり得ないと思いつつ、むしろ好ましく感じました。行き過ぎてはいても、勢いや気負いだけで突っ走っているわけではない。このあたりのバランス感覚が長所ですね。

難民調査官というのは、馴染みのない職業でしたが、とても興味深く読みました。
主要登場人物である西嶋が
「意外だった。不法外国人摘発組織のようなイメージを持っていたが考えてみれば在留資格の取得や変更に留まらず、空港の入国審査ブースで外国人旅行者と対面する対処の日本人としての顔となったり、信念と誇りを胸に仕事をしている人々なのだ。」(245)ページ
という感想を抱きますが、たしかに、いろんな側面をもった職業のようです。
(余談ですが、この引用した部分に「たり」の単独使用があり、いつもならあげつらうところですが、このケースではそのあとの「信念と誇りを胸に仕事をしている」と並列関係にはないので、これでよいのだと思います)

この作品が出版された2016年から、難民をめぐる世界の情勢はどんどん変化していっており、より一層難しさを増していると思われます。
物語の最後に、変わりつつあるヨーロッパの様子が少しだけ、本当に少しだけ触れられていますが、その傾向は強まっています。
簡単に結論の出せる問題ではなく、また、簡単に結論を出していい問題でもない。
民族自立、民族自決、というのも、一筋縄ではいきません。
最後に難民調査官・如月玲奈がつきとめる真相(?) も、はたして悪と断じてしまってよいものか。
この作品で、明確な方向性を打ち出すわけではありませんが、誠実に取り組んでいかねば、と調査官は思いを新たにします。

ちょっと残念だったのは、ミステリとして意外性を仕掛けた部分が、このテーマに埋没してしまって意外性を感じにくくなってしまっていること、でしょうか。

シリーズ化されているので、次の「サイレント・マイノリティ: 難民調査官」 (光文社文庫)が楽しみです。


<蛇足1>
これは作者の問題ではなく、引用したあらすじ、編集の問題ですが、この作品、ポリティカル・サスペンスでしょうか? 
ポリティカルな題材を扱ってはいますが、ポリティカル・サスペンスというのとは違う手触りです。

<蛇足2>
冒頭近いところで、埼玉の港に入国したという回答を、若い方の難民調査官である高杉がスルーする場面があります。
そんなことありますか!?



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真実の檻 [日本の作家 下村敦史]


真実の檻 (角川文庫)

真実の檻 (角川文庫)

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/05/25
  • メディア: 文庫


<カバー裏あらすじ>
1994年、現職の検察官が殺人犯として逮捕され、死刑判決を受けた――2015年、大学生の石黒洋平は、母が遺した写真から実の父がその死刑囚・赤嶺信勝であることを知ってしまう。苦悩する洋平は冤罪の可能性に賭け、雑誌記者の夏木涼子と私的な調査を開始する。人はいかにして罪に墜とされてゆくのか、司法とは本当に公正なものなのか、そして事件の真相は!?『闇に香る嘘』の新鋭がおくる、迫真のリーガルミステリ!!


下村敦史の長編第4作です。

自分には実の父がいて、死刑囚で獄につながれているということを母親の死を契機に知った主人公が冤罪であってほしいと調べ始める。

切実ですよね、これ。
ところが、父親の事件である赤嶺事件そのものよりも、他の冤罪事件を調べる、という風に話が流れていくのがとても興味深かったですね。

なので、章立ても、
プロローグ
発覚
第一章 痴漢冤罪疑惑事件
告白
第二章 覚せい剤使用疑惑事件
追究
第三章 ヒ素混入無差別殺人事件
面会
第四章 赤嶺事件
エピローグ
となっています。

いくつかの冤罪事件の真相を探っていくのもおもしろかったですし、その途上で明かされる司法や警察の姿もとても興味深かったです。
なので、下村敦史、おもしろいよねー、というのは間違いないのですが、この作品の場合、根本のところがちょっと理解できませんでした。
この真相はないなー、という感じです。
赤嶺事件の犯人は誰だったのか、という部分は、想定通りでしたが、ここが問題です。
主人公の母は、育ての父は、どういう気持ちだったのでしょうか? 
また、獄中の実父の感情も謎です。
このあたりが一番理解できません。
ここが理解できるようにならないと、この作品は成功とはいえない気がします。







<蛇足1>
「ペンは剣よりも強しって、聞いたことあります?」
「はい。ジャーナリストが独裁的な政治家とか暴力的な悪党を記事で批判するときの決まり文句、ですよね。正義を訴える言葉はどんな暴力にも勝る、みたいな意味の」
「言論の強さを訴える名言として使われていますけど、実際は違うんです。原点は十九世紀の戯曲『リシュリュー』に登場するフランスの枢機卿リシュリューの台詞です。権力者にとっては、ペン一本あれば逮捕状にも死刑執行令状にもサインできるから、自分がわざわざ剣で戦うよりも強い、という民衆への脅迫なんです」(142~143ページ)
このエピソード、以前にもどこかで読んだことがあるように思いますが、忘れていて、おやっと思いました......

<蛇足2>
人一倍真面目で、何事にも一生懸命な奴だった(165ページ)
毎度のことで恐縮ですが、一生懸命は目障りですね。

<蛇足3>
『~結果の重大性を鑑みて死刑判決が妥当』という馬鹿げた判決理由で(187ページ)
これ、裁判の判決からの引用なのですが、判事さん、鑑みて、なんて誤用をしますかね? 
父親の思想と由美の苦しみを鑑みれば(317ページ)
という箇所もありますね......
どうも鑑みる=考える、という感じで使われているようです。

とても面白いので、売れっ子作家になってほしい作家さんではありますが、書き飛ばしたりされないよう祈念しています。


<2020.4.22追記>
冒頭の書影が違う本のものを使っていましたので、修正しました。
失礼しました。

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叛徒 [日本の作家 下村敦史]


叛徒 (講談社文庫)

叛徒 (講談社文庫)

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/01/16
  • メディア: 文庫


<カバー裏あらすじ>
通訳捜査官の七崎隆一は、正義感から同職の義父の不正を告発、自殺に追い込んだことで、職場でも家庭でも居場所がない。歌舞伎町での殺人事件の捜査直後、息子の部屋で血まみれの衣服を発見した七崎は、息子が犯人である可能性に戦慄し、孤独な捜査を始めるが……。“正義”のあり方を問う警察ミステリー。


「闇に香る嘘」 (講談社文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)で 第60回江戸川乱歩賞を受賞した下村敦史の長編第2作です。
講談社文庫には、長編第3作の「生還者」 (講談社文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)が先に文庫化されていますね。

いままで3作読んだだけですが、下村敦史、もうすっかり安心印の作家になりました。
この「叛徒」 (講談社文庫)でも、まず主人公七崎の設定がおもしろい。
通訳捜査官。
解説の西上心太によると現実に存在する職種とのことですが、とてもリアル感があります。
正義感から同職の義父の不正を告発、自殺に追い込んだことで、職場でも家庭でも居場所がない状況や、事件に自分の息子・健太が関わっているのではないかと苦悩するのも、ありがちな設定といえばありがちな設定ですが、七崎の職業では切実さが伝わってきます。
事件の進展(解決?)に従って、これらの点が収斂していくのも読んでいて気持ちがいい。
事件の背後に、外国人技能実習制度の問題が取り上げられているのも、この問題が知られてからかなり時間が経っているわりにはミステリで取り上げられることが少なかったような気がしますので、いい着眼点ですよね。

ということでとてもおもしろく読んだのですが、どうしても気になる点があります。
七崎が義父を告発するエピソードなのですが、義父がやったことというのが通訳捜査官であるということを利用して窮地に陥っている同期のために、通訳しているふりをして被疑者を騙し、嘘の自白を引き出した、ということです。(92ページ~) 
でも、
①義父はこのようなことをする人物として描かれていない
②一歩譲って、こういうことをするとしても、七崎が立ち会うようなタイミングでやるとは思えない
という問題があると思われます。
また七崎が告発する際、誰が告発したのかばれるのを覚悟のうえで匿名の手紙を出すのですが、正義のためにと迷わず告発したのではなく、実父同然の恩人を売る(102ページ)ことになるので苦悩の末出すのです。
ここも気になります。正義のためとためらわず告発したのならそうは思わないのですが、かなり悩むのです。七崎と義父の性格、関係性からすると、悩むのは当然かと思いますが、であれば、実際に告発の手紙を出す前に、直接対話をもつのではなかろうかと思うのです。
これらの点は、作品のプロットの根幹にかかわる部分なので見過ごすことはできないのではないでしょうか?
それと、これらと比べると程度は軽いものですが、正義を貫いてきた七崎も、今度の事件で息子をかばうため、信念を曲げてわざと偽りの通訳に手を染めるのですが(40ページ~)、そして追い詰められる気持ちは少しはわからないでもないですが(*)、それでもすぐにばれてしまいそうな偽りの通訳はちょっといただけないな、と思いました。

(*)たとえばこういう家族がらみの理由とかが義父の場合にも盛り込まれていれば、上述の問題点も少しは気にならなかったのではないかと思うのです。そうすれば、立ち会う七崎を巻き込んでしまう理由にもなりますよね。もっとも、そうすると更に七崎が告発しづらくなりますが。



タグ:下村敦史
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生還者 [日本の作家 下村敦史]


生還者 (講談社文庫)

生還者 (講談社文庫)

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/07/14
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
雪崩で死亡した兄の遺品を整理するうち、増田直志はザイルに施された細工に気づく。死因は事故か、それとも――。疑念を抱く中、兄の登山隊に関係する二人の男が生還を果たす。真相を確かめたい増田だったが、二人の証言は正反対のものだった! ヒマラヤを舞台にいくつもの謎が絡み合う傑作山岳ミステリー。


今月読んだ本の感想に戻ります。
この「生還者」 (講談社文庫)は12月に読んだ6冊目の本です。
作者の下村敦史は「闇に香る嘘」 (講談社文庫)で江戸川乱歩賞を受賞してデビュー作家で、「生還者」は第3作です。第2作「叛徒」より先に第3作が文庫化されました。「叛徒」は来月(2018年1月)に文庫化されるようです。
「闇に香る嘘」(感想のページへのリンクはこちら)がとてもとてもおもしろかったので、期待していました。これだけ第2作を期待させてくれた乱歩賞作家はひさしぶりかもしれません。
読んだ感想は、これも非常におもしろかったです。下村敦史、個人的にしっかり要マークの作家になりました。

山岳ミステリーです。
山登りにはもともと興味がなく、正直、雪山に挑む人たちの気持ちがちっともわからないのですが、
「登山家は危険に挑むんじゃないく、困難に挑むんだ。危険を作り出すんじゃなく、困難を作り出しているんだ」
「登山家が困難に挑むときは、あらかじめ登攀ルートも装備も綿密に計算して、メンバーと同意のうえで挑戦するんだ」(66ページ)
と書かれているのを読んで、自分ではそれでもやろう、挑もうとは思いませんが、すこし近く感じるようになれた気がします。

雪山を舞台に、そこで何が起こったのか、を探るミステリーはそれなりに作例がありますが、実はとても難しい設定だと常々思っています。
舞台設定からして、証拠もあまり残りませんし、目撃者も基本的にはおらず、当時現場にいた当事者間にしか知りえないものだから、どんでん返しみたいなことをやってくれたとしても「そりゃあ、だれも(生き)残っていないんだから、なんとでもできるし、なんとでも言えるよな」という感想を読者が抱きがちですし、ミステリーとして仕掛けをするにも、(手がかりは残ってないし)なかなか解きづらくなってしまって優れた作品にしにくいと思えます。

このあたり、作者も十分自覚されていて
「……登山って、自分との戦いなんです。単独登頂にしても『単独』に暗黙の定義がありますよね。外部と連絡をとらない、装備は全て自分で用意する、他人が残していたザイルなどを使わない、とか。山にいるのは自分ひとりだから、ズルをしようと思ったらいくらでも可能なんですよね。ズルをしておきながら単独登頂に成功した、って言い張ることもできます。だけど、本物の登山家はそんなことはしません。山に正直でありたいからです。苦しいとき、目に留まった誰かの残置支点を使ってしまったらーー正直に告白するものです。容易に嘘がつける状況だからこそ誠実でいる。それが大切だと思うんです」(138ページ)
というセリフが早い段階で出てきます。

舞台となるのは、ネパールのカンチェンジュンガと白馬岳。どちらでも遭難が起こります。
カンチェンジュンガというのは知りませんでしたが、「標高こそエヴェレストに二百数十メートル及ばないものの、登山者の死亡率は四倍近い約二十パーセントだ」(15ページ)ということらしいです。

この作品のポイントは、生存者が二人いて、それぞれの証言が食い違っていることです。どちらが嘘をついているのか?
さきほども述べたように、ある意味どうとでもできる舞台なので、いかに説得力を持たせるかが勝負ではないかと思います。
その点、この作品は細かいディテールやザイル、ダウンジャケット、アイゼン、ビーコンといった小道具が効果的にちりばめられていて、そのうえに、断罪やサバイバーズ・ギルト(*)という語、が心理面の補強をしっかり支えています。すばらしい。
この真実がどちらかという点で、くるくると遭難事故の様相が変容を遂げていくところがミステリとしての読みどころで、同じ遭難事故でも、こんなにバリエーションができるんだとびっくりしました。
ミステリ的にも、物語的にも、着地が見事に決まっています。
真相はまさに
「山は生命の本質を剥き出しにするからこそ、美しくて、怖いの」(357ページ)
というところかと感じ入りました。

来月文庫化の「叛徒」が楽しみです!

(*)サバイバーズ・ギルトというのは、知りませんでしたが、
「サバイバーズ・ギルトーー生存者の罪悪感と呼ばれる症状だ。」
「災害や大事故で近親者を亡くして自分だけ生還すると、罪の意識を感じてしまう。他者から見て何一つ非がなくても、罪悪感に苦しめられる」(104ページ)
と説明されています。

ほかにも登山関係で勉強になることが多い本でした。
たとえば、
「さすが元レスキュー隊。適切だ。温めるだめでも、低体温症の患者の手足だけはマッサージしてはいけない。末端の血流が滞っているあいだに老廃物が毛細血管に溜まっているので、冷え切った血液と一緒にそれが心臓に流れ込んで心室細動を引き起こしかねないからだ。
アルコールや珈琲、紅茶、煙草も同様に厳禁だ。カフェインには利尿作用があるので脱水症状が起きるし、ニコチンには血管を収縮させる効果があるので凍傷が起きる」(315ページ~316ページ)
温めちゃ、ダメなんですね。

また、知識ではありませんが、2011年3月の震災直後の遭難事故について
「お前らは好きで登って勝手に命を落としただけだろーー被災者にそう言われそうな気がした。もちろん被害妄想だと分かっている。だが、日本列島が揺れたあの大惨事を経験してしまうと、生の充足感を得るためにあえて危険にーー兄は『困難』と表現していたがーー挑んでいる自分たちを愚かに感じたのは事実だ」(175ページ)
という記載があります。ここにもはっとさせられました。

こういう点も含め、個人的に読みどころの多い作品だと思いました。



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闇に香る嘘 [日本の作家 下村敦史]


闇に香る嘘

闇に香る嘘

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/08/06
  • メディア: 単行本


<帯裏表紙側あらすじ>
27年間兄だと信じていた男は何者なのか?
村上和久は孫に腎臓を移植しようとするが、検査の結果、適さないことが分かる。和久は兄の竜彦に移植を頼むが、検査さえも頑なに拒絶する兄の態度に違和感を覚える。中国残留孤児の兄が永住帰国をした際、既に失明していた和久は兄の顔を確認していない。竜彦は偽者なのではないか? 全盲の和久が、兄の正体に迫るべく真相を追う――。
第60回江戸川乱歩賞受賞。


単行本です。
第60回江戸川乱歩賞受賞作。今年の乱歩賞作品です。
このブログでは基本的に読んだ順に感想をアップしていっているのですが、乱歩賞は例外。この作品は順番を飛ばして、先に感想を書きます。

プロローグは、横浜港へ向かうコンテナ船。中国から来る密入国者団がコンテナで運ばれています。
その後話は一変して、主人公和久のストーリーになります。この主人公、満州からの引き揚げ者だったという経歴で、その後41歳の時に失明。現在70歳近くになった老人です。
語り手が全盲というのは、かなり難しい設定ですね。
全盲になるという衝撃の深さは想像するしかないのでこんなことを言っては叱られるかもしれませんが、この主人公、結構困ったちゃんというか、まわりに当たり散らす嫌なやつと感じさせるエピソードがあちこちに。離婚はされるし、娘にもどうやら愛想を尽かされ、母親と兄のところにも疎遠になっている様子。
全体として、物が見えない生活を、いろいろと提示してくれていまして勉強になります。目の見えない人の生活が少しは分かったかな?
そういえば最近、盲導犬や白い杖をついた人を狙った卑劣な事件が起こっていますが、この小説で感じ取れる目の見えない人を取り巻く困難を考えると、いっそうやるせない気分になります。

メインとなる謎は、一九八三年に訪日調査で再会を果たした兄は本物か、というもの。
それを目の見えない主人公が探るというのだから、かなり困難が想定されますが、わりとするすると証人をたどり、話を聞くことができます。それでも、目が見えないというハンデがありますので、いろいろと問題も生じる。このあたり読みどころだと思いました。
謎の「無言の恩人」が主人公の窮地を救ってくれたりします。この恩人の正体も謎の一つ。
点字を使った暗号も、乱歩賞だったら点字の暗号が楽しいよね、とニヤリとできます(あっけないですが)。

この作品の最大の長所と思われる結末は、やはりすっきりしていてGOODです。
巻末に収録されている京極夏彦の選評から引用しちゃいます。
「受賞作はたった一つのアイデアで組み上げられた作品である。しかしそのアイデアなしには決して書き得ない世界を意欲的に描いている。物語もキャラクターも、表現も展開も、些細なディテールまでもがその一つにアイデアによって支えられており、またそのすべてが伏線となっている。しかもそれらは見事に回収される」
気になるところもないではないですが(たとえば、主人公が精神安定剤を飲んでいてときどき記憶がおかしくなるという設定になっています。ある程度の必然性はあったのだと思いましたが、この設定なくても大丈夫では? 余計な設定のように思えます。もうひとつ謎を解く手がかりに視覚以外の目が見えない人だからこそ気づくようなものが使われていないのはちょっと残念でした)、非常に美しいミステリを読んだ、という印象です。
もう一つ、この作品、殺人にまみれていないのもよかったです。


<蛇足1>
199ページに、母親のセリフで
「アホな。親が子を恨むもんかね」
というのがあります。なかなかいいセリフなのですが、岩手の老婆が「アホ」と普通に言うでしょうか?
その少し前には
「馬鹿言うな。息子に負担かける母親がどこにおる」
と言っていて、「アホ」ではないんですが。
実はこの母親、別の箇所でも「何をアホな」と言っていて、実は関西出身?

<蛇足2>
ところでこの作品、ゴダードの「闇に浮かぶ絵」 〈上〉〈下〉 (文春文庫)と似ている、きつい言い方だとパクリだ、という指摘がネットでされているようですが、「行方不明だった兄が帰ってきた、本物か?」 という、兄は本物かどうか、というところが似ているだけではないでしょうか? 
小説の発想というか、組み立てが全然違うようですので、この「闇に香る嘘」はそういう批判を受けるような作品ではないと思います。


<2016.8.21追記>
今月文庫化されたので書影を。

闇に香る嘘 (講談社文庫)

闇に香る嘘 (講談社文庫)

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/08/11
  • メディア: 文庫



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