フレッチ 500万ドルの死体 [海外の作家 アガサ・クリスティー]
<カバー袖>
<ニューズ・トリビューン>社に入社早々のフレッチの前に死体が転がり出た! 死体は社の駐車場で発見されたのだ。
フレッチは現場に一番乗りを果たした。仕事といえば死亡欄だの、結婚消息欄だの、くだらないものがかり。この事件をなんとしてでも自分のものにしなければ…
死体は高名な弁護士、ドナルド・ヘイベックとわかった。彼は美術館に500万ドルの寄付をするについて、取材打ち合わせに<トリビューン>を訪れたのだった。巨額の寄付の裏には何があるのか? 社交欄への配置替えの圧力にもめげず、フレッチは敢然と事件を追いはじめたが…
2024年5月に読んだ4冊目の本です。
グレゴリー・マクドナルドの「フレッチ 500万ドルの死体」 (角川文庫 赤 551-7)。
積読本サルベージ。奥付を見ると昭和62年12月25日!
グレゴリー・マクドナルドというと、処女作で、かつフレッチ初登場の「フレッチ 殺人方程式」 (角川文庫)でMWAの最優秀新人賞を、そして第2作の「フレッチ 死体のいる迷路」 (角川文庫)でMWAの最優秀ペーパーバック賞を受賞した作家です。
軽快な作風の作家で、当時角川文庫から出ていた作品はすべて購入して読んでいたのですが、この「フレッチ 500万ドルの死体」は買ったきり積読へ。ん十年ぶりのサルベージです。
シリーズ前作までと違い、時代をさかのぼってフレッチが新聞記者としてデビュー(?) したときのことを描いています。
原題の "Fletch Won" は、フレッチが勝ったという意味ですが、同時に、One をかけているのですね。
こなれた筆で書かれていて軽妙ではありますが、ミステリーとしてみるべきところは残念ながらあまりないですね。
フレッチの設定も、いわゆる事件記者になりたいというのはいいにしても、新聞社にあるほかの仕事をバカにするようなところはあまり感心できません。冒頭フレッチが書いたとされる記事も、どれも行き過ぎで、笑いを狙ったものとしてもそれほど出来がいいとは思えませんでした。
とこう書くとすっかりネガティブな感じになってしまうのですが、きわめて平凡な真相をドタバタ調の展開にのせてくらませる、王道といえば王道の展開になっていて、楽しめました(品はないですけど)。
シリーズには、単行本で出た後文庫化されていないものや、翻訳されていないものもあり、ちょっと残念です。
でも、もう訳されたりはしないでしょうね......
原題:Fletch Won
著者:Gregory Mcdonald
刊行:1985年
訳者:佐和誠
タグ:フレッチ グレゴリー・マクドナルド
ゴルフ場殺人事件 [海外の作家 アガサ・クリスティー]
ゴルフ場殺人事件(クリスティー文庫) (ハヤカワ文庫 クリスティー文庫 2)
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/07/08
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
南米の富豪ルノーが滞在中のフランスで無惨に刺殺された。事件発生前にルノーからの手紙を受け取っていながら悲劇を防げなかったポアロは、プライドをかけて真相解明に挑む。一方パリ警視庁からは名刑事ジローが乗り込んできた。たがいを意識し推理の火花を散らす二人だったが、事態は意外な方向に……新訳決定版。
2024年3月に読んだ8作目の本です。
アガサ・クリスティーの「ゴルフ場殺人事件」(クリスティー文庫)。
アガサ・クリスティーの長編第2作で、デビュー作「スタイルズ荘の怪事件」 (クリスティー文庫)に続いてポワロが登場します。
2011年に出た、田村義進さんによる新訳ですね(もう1周り以上昔だ! )。
上にamazonから引用した書影(安西水丸による特別イラスト )を貼っていますが、今回購入したものは違うデザインです。
この作品はハヤカワではなく、創元推理文庫から出ていた「ゴルフ場の殺人」 (創元推理文庫)を大昔に読んでいます。
正直あまり印象に残っていません。失礼ながらあまり際立ったところのない作品だったのでは? というところですが、今回読み返して楽しかったですね。悪くない(←偉そう)。
なにより、ヘイスティングズ! ワトソン役だから頭がよくない、とか、頭が悪い、とかを超えて、これはすごい(ひどい笑)。
──どうしてこのエピソードを覚えていなかったのだろう?
ヘイスティングズの大活躍(悪い意味での)が楽しめました。
オープニングに出てくる ”くそったれ” が、ラストで響き合うように作られているのが見事。
──ところで、このあとヘイスティングズ、どうなったんでしょう? 次の作品は「アクロイド殺し」 (クリスティー文庫) だったのか。どうなってたでしょう?
ところでタイトルのゴルフ場、原題では Links。
日本でもリンクスといいますね。
なんですが、まあ、正直ゴルフ場でなくてもよかった気がしますね。ゴルフシーンが出てくるわけでもない。
死体発見現場がゴルフ場、といいつつ、まだ未完成で造成中。
割と新しいもの好きなクリスティーが取り上げているのですから、発表当時なにか耳目を引くような出来事があったのでしょうか?
ポワロ対フランスの名刑事ジローとの対決、という構図を作ってあるのが愉快ですね。
ことごとにつっかかってくるジロー。受け流すポワロ、という感じは少なめで、しっかり反論(あるいは指摘)し、わざと反発されるようなことを言ってのけるポワロが楽しい。
ポワロが指摘するポイントというのは、当然謎解きにおいて重要な位置を占めるわけですから、読者も注意しながら読みますよね。
注目すべきはやはり、度肝を抜くようなトリックはないけれども、クリスティーの持ち味である、人間関係を背景とした巧妙なミスディレクションが効果的に使われていることでしょうか。
クリスティーの作品の中ではそれほど評価されているわけではない作品でも、十二分の楽しめることが改めてはっきりしたように思います。素晴らしいことですね。
原題:Murder on the Links
著者:Agatha Christie
刊行:1923年
訳者:田村義進
ハロウィーン・パーティ [海外の作家 アガサ・クリスティー]
<カバー裏あらすじ>
推理作家ミセス・オリヴァーが参加したハロウィーン・パーティで少女が殺された。少女が殺人現場を見たことがあると自慢していたことから口封じのための犯行かと思われたが、彼女は虚言癖の持ち主。殺人の話を真に受ける者はいなかった。ただ一人ポアロを除いては。クリスティーらしさが詰まった傑作が新訳で登場。
2023年8月に読んだ7作目の本です。
アガサ・クリスティーの「ハロウィーン・パーティ」〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫)。
映画「名探偵ポアロ ベネチアの亡霊」(感想ページはこちら)の原作です。
映画を観る前に読もうと思って購入しました。感想は前後しましたが、なんとか原作を先に読みました。
解説で若竹七海が
「物語は本作の十三年前に発表された『死者のあやまち』そっくり(ポアロとオリヴァー夫人が登場し、ゲームの最中に少女が殺され、物語の背景には美しい庭)。」
と書いているように、本当に「死者のあやまち」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)そっくり。
こちらの少女は虚言癖があって、それが原因で殺されたのだろう、と推察される。
てっきり嘘だと思い込んでいたオリヴァー夫人が、自責の念(?) に駆られて、ポアロの出馬を要請する。
物語の流れはよいのですが、少女が殺されることと言い、どうも後味がよろしくない。
美しい庭と絶世の美青年が出てきても、これは拭えませんね。
ポアロが乗り出してから、関係者への聞き取りシーンの連続で、物語は極めて短調。
クリスティーの作品には、もともとおしゃべり(捜査や尋問というよりは、おしゃべり)のシーンが多いのですが、この作品では特に目立ったような気がします。
これ、どうやって映画化するのかなぁ?
映画は舞台をベネチアに移し(庭がない!)、ハロウィーン・パーティのあと開催される降霊会(!) を受けての殺人という、原作とは別物といえるものでしたが、観る前はそう思っていました。
ちょっと欠点が目についた感想になっていますが、それでも犯人の隠し方はさすがクリスティーと言えそうで、さらっと読者の目をそらしてしまう手際は素晴らしい。それすら若竹七海には「犯人の設定はクリスティーがさんざん使い込んできたおなじみのパターン」と断じられていますが、効果抜群です。
そして御歳79歳の作品とは思えない、みずみずしい庭園の場面が強く印象に残っています。
傑作、ではないかもしれませんが、クリスティーらしさにあふれた作品だと思いました。
原題:Hallowe'en Party
著者:Agatha Christie
刊行:1969年
訳者:山本やよい
葬儀を終えて [海外の作家 アガサ・クリスティー]
<カバー裏あらすじ>
だって彼は殺されたんでしょ?──アバネシー家の当主リチャードの葬儀が終わり、その遺言公開の席上、末の妹のコーラが無邪気に口にした言葉。すべてはこの一言から始まった。翌日、コーラが死体で発見される。要請を受けて事件解決に乗り出したポアロが、一族の葛藤のなかに見たものとは。衝撃の傑作、新訳で登場。
2023年4月に読んだ3冊目の本です。
2020年はアガサ・クリスティー デビュー100周年、生誕130周年。それを記念した早川書房のクリスティー文庫の6ヶ月連続新訳刊行、
「予告殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「雲をつかむ死〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「メソポタミヤの殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「ポケットにライ麦を〔新訳版〕」(クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「ナイルに死す〔新訳版〕」(クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
に続く第6弾で最後を飾る作品です。日本に帰国して間が空きましたが、ようやく読みました。
この「葬儀を終えて」(クリスティー文庫)を再読するのはとても楽しみだったんです。
というのも、「葬儀を終えて」は、「邪悪の家」(クリスティー文庫)(感想ページはこちら)と並ぶ偏愛作でして、クリスティーのミス・ディレクションの腕前が存分に発揮された傑作だと思っているからです。
今回新訳で再読してもその印象は変わりません。
綺羅星のような傑作に埋もれがちかもしれませんが、まぎれもない傑作だと思います。
冒頭アバネシー家の系図が掲げられていて、ちょっと臆するのですが、見てみるとかなりの人数が故人で、残っている登場人物たちも夫婦セットになっていて、かつそれぞれ印象的な性格が意識的に与えられているので、そんなに混乱することはありません。
むしろ容疑者が少ないように思えるくらいです。
あらすじにも引用してある
「だって彼は殺されたんでしょ?」(29ページ)
というコーラによる爆弾発言は、やはりとても印象的で、そのあとコーラが殺害されるに至って、この発言が、爛々と光を放ちます。
なんという魅力的なオープニングでしょうか。
弁護士エントウィッスル氏の視点で物語は進み、ポワロが出てくるのは四分の一ほど過ぎたところなんですが、実際にポワロが屋敷を訪れるのは半分ほどのところで、なかなか出てこないという印象です。
いわゆる退屈な尋問シーンが続くように見えないのは、このおかげかもしれません。
この作品の手がかりはクリスティーお気に入りの技ともいえるものなのですが、昔読んだ時は少々不満に感じました。
読者にはわからない点だからです。
今回再読してもその点は変わりませんでしたが、しつこいくらいに「どこかがおかしかった」と強調されているので、フェアに行こうとしていたことが今回わかってよかったです。こんなにあからさまに「どこかがおかしかった」と強調されていたんですね。
個人的に注目したいと思ったのは、人物の出し入れのうまさ。
ポワロの出てくるタイミングもそうですが、ある登場人物が物語に絡むタイミングがやはり絶妙で、ごくごく自然な仕上がりです。
解説で折原一も「クリスティーの中期のみならず、全作品中でも上位にランクされるべき傑作」と推しています。
傑作を再読できてよかったです。
(この折原一の解説は、ちょっと明かしすぎのところがあるので、勘のいい人だと真相に気づいてしまうかもしれません。読後に読まれることをお勧めします)
<蛇足1>
「エッジウェア卿の殺害事件がありましてね。忘れもしない。危うく負けるところだった。ええ、このエルキュール・ポアロがね。何も考えない頭から生まれる単純極まりないずるさに負けそうになりました。ごく単純な頭脳の持ち主は、往々にして単純な犯罪をやってのけ、あとはほったらかしにしておくのです。あれも特殊な才能なのかもしれない」(222~223ページ)
さらっと「エッジウェア卿の死」 (クリスティー文庫)に触れられています。
「葬儀を終えて」が1953年、「エッジウェア卿の死」が1933年の出版で20年前の本がさらっと。クリスティ―自身にも印象的な作品なのでしょうね。
<蛇足2>
「ただ、老弁護士の情報と判断は有益ではあるものの、やはりポアロは自分の眼で確かめたかった。この人たちと会ってことばを交わせば、犯人の目星はつくと思っていたのだ──手口や日時はわからないにしろ(それはポアロにとってあまり興味のない問題だった。殺人が可能であったことさえわかればいい!)。」(298ページ)
ポワロの考えが披露されているのですが、いや大胆。
クリスティーにも手口(トリック)を効かせた作品はあるんですけどね(笑)。
原題:After the Funeral
著者:Agatha Christie
刊行:1953年
訳者:加賀山卓朗
ナイルに死す [海外の作家 アガサ・クリスティー]
ナイルに死す〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫 クリスティー文庫 15)
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2020/09/11
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
美貌の資産家リネットと新婚の夫のエジプト旅行には暗雲が垂れ込めていた。夫の元婚約者が銃を手につけ回してくるのだ。不穏な空気のなか、ナイル川をさかのぼる豪華客船上でついに悲劇が起きる。しかし、死体となって発見されたのは意外な人物だった……ポアロが暴く衝撃の真相とは? 著者の代表作が新訳で登場。
去年はアガサ・クリスティー デビュー100周年、生誕130周年。それを記念した早川書房のクリスティー文庫の6ヶ月連続新訳刊行、
「予告殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「雲をつかむ死〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「メソポタミヤの殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「ポケットにライ麦を〔新訳版〕」(クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
に続く第5弾です。
この作品は旧訳版ではなくたしか新潮文庫版で昔読んでいます。
「ナイル殺人事件」として映画化もされた超有名作で、ケネス・ブラナーによって昨年(2020年)再映画化もされていますね。
ナイル河畔というエキゾチックな舞台、クルーズ船という豪華な舞台と、映画化にはうってつけ。
ミステリとしても、いかにもトリックらしいトリックは仕掛けられていないにもかかわらず、圧倒的に印象的な犯人像がすばらしい(この犯人像こそがトリックだということかもしれませんが)。
初読時は、小学生だったと思うのですが、あまりの衝撃にまわりの人に必死で「ナイルに死す」(クリスティー文庫)のすごさを喧伝しようとしたのですが、このすごさは、かいつまんでは伝わりません。登場人物をいきいきと描くクリスティーの筆があってこそ。
むしろネタバレになって、周りの迷惑だったと思います(苦笑)。
なかなか事件が起きません。250ページを過ぎたところで最初の事件が起きます。(全体は539ページなので、半ば近くになって起きるということになります)
でも、決して退屈することはないでしょう。
見たところ、事件の構図も単純そうです。
でも、クリスティーの術中にはまって、真相を見抜くことは容易ではないでしょう。
派手なトリックな用意されていませんが、とびきりのサプライズが仕掛けられた名作だと思います。
<蛇足1>
「わたしはミセス・ドイルの、あの派手で安っぽい感じのメイドが『おやすみなさいませ(ボンヌ・ニュイ)、マダム』と言う声で目がさめました。」(318ページ)
おやすみなさいのフランス語が、ボンヌ・ニュイ、となっていて、あれっと思いましたが、ぼくの勘違いで、これが正しいですね。
Bonne nuit は、実際に耳にすると、「ボン・ニュイ」とヌの音が聞こえないように思ったのですが、これはぼくの耳が悪いだけでした(笑)、
<蛇足2>
「なんという毒々しい女だ! ふう! 誰が殺人者か知らないが、殺すならあの女を殺せばよかったのに!」
「まだ諦めるのは早いですよ」とポアロは慰めた。(332~333ページ)
英国情報部員であるレイス大佐とポワロの会話なんですが、いやあ、別の女を殺せばよかったというのもすごいですが、それに対してポワロの回答が「諦めるのは早い」ということは、その可能性が残っているということですよね! すごいなぁ。
原題:Death on the Nile
著者:Agatha Christie
刊行:1937年
訳者:黒原敏行
ポケットにライ麦を [海外の作家 アガサ・クリスティー]
<カバー裏あらすじ>
会社社長が何者かに毒殺された。遺体のポケットにはなぜかライ麦が。それは、恐るべき連続見立て殺人の端緒だった。さらに社長宅のメイドが洗濯ばさみで鼻をつままれた絞殺死体で発見される。彼女を知るミス・マープルは義憤に駆られ、犯人探しに乗り出す! 新訳で贈る、マザー・グースに材を取った中期の傑作。
去年はアガサ・クリスティー デビュー100周年、生誕130周年。記念した早川書房のクリスティー文庫の6ヶ月連続新訳刊行、
「予告殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「雲をつかむ死〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「メソポタミヤの殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
に続く第4弾です。
この作品も旧訳で読んでいますが、まあ、きれいに忘れていること(笑)。
童謡殺人を扱っていることは覚えていたのですが(まあ、タイトルから自明ですが)、気の利いた使い方だったことは覚えていませんでした。
童謡殺人をこういうふうに使うのは、この作品が最初だったのでしょうか?
そして、なにより、ミス・マープル。
解説で霜月蒼がかっこよく書いているので、ぼくのへなちょこな感想など何のプラスにもなりませんが、怒りに震えて謎解きに乗り出すミス・マープルって、なんだか勇ましい。ミス・マープルって、こういう人でしたっけ?
炉端で編み物をしながら人の話を聞いて真相を言い当てたりするのではありません。また、詮索好きのばあさんが、余計なことに首を突っ込んで嗅ぎまわるのでもありません。
よく知る娘を殺した犯人に鉄槌を下すべく、能動的に、積極的に謎解きに乗り出すのです。
綺羅星のようなクリスティーの名作群の陰で割りを食っているのかもしれませんが、これは十二分にお勧めできる名作だと思いました。
新訳、ありがとう。
<蛇足>
「まさかーーとんでもありません。」(350ページ)
とんでもない、を、とんでもありません(あるいは、とんでもございません)と活用させるのは間違いだと教わって、このブログでもたびたび指摘してきましたが、間違いではないという説もあるようですね。
それでも、気になって気になって......
原題:A Pocket Full of Rye
著者:Agatha Christie
刊行:1953年
訳者:山本やよい
ポケットにライ麦を〔新訳版〕 (クリスティー文庫)
メソポタミヤの殺人 [海外の作家 アガサ・クリスティー]
メソポタミヤの殺人〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫 クリスティー文庫 12)
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2020/07/16
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
考古学者と再婚したルイーズの元に死んだはずの先夫から脅迫状が舞い込んだ。さらにルイーズは寝室で奇怪な人物を見たと周囲に証言する。だが、それらは不可思議な殺人事件の序曲にすぎなかった……過去から襲いくる悪夢の正体をポアロは暴けるか? 幻想的な味わいをもつ中近東を舞台にした作品の最高傑作、新訳で登場。
今年はアガサ・クリスティー デビュー100周年、生誕130周年を記念した早川書房のクリスティー文庫の6ヶ月連続新訳刊行、
「予告殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
「雲をつかむ死〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)(感想ページはこちら)
に続く第3弾です。
この作品は旧訳版ではなく創元推理文庫版で昔読んでいます。
創元推理文庫版のタイトルは「殺人は癖になる」 (創元推理文庫)
「殺人は癖になる」というのは第24章の章題でもありますし、
「わたしは仕事で多くのことを学んできました。そのなかでもっとも恐ろしいのは、殺人は癖になるということです」(207ページ)
という第17章のポワロのセリフでもあります。
この作品、結構印象に残っていまして、珍しいことに、犯人もトリックもしっかり覚えていました。
ただ、今回新訳で読み返してみて、犯人の設定に無理があるなぁ、と思ってしまいました。
どうでしょう? ありですか、これ?
動機も正直今一つピンとこないというのか、よくわからないというのか......
またトリックも、一種の密室状況で、あざやかに解かれるものではありますが、ちょっと安直かなぁ、とーーたしか、トリックについては、初読のときも、既視感のあるトリックだなぁ、と思っていまひとつ感心しなかった記憶があります。
興味深かったのは、ポワロ(個人的趣味で、ハヤカワの表記ポアロではなく、ポワロと書きます)の相棒がヘイスティングスではなく、看護婦のエイミー・レザランだからか、いつもより丁寧に途中で事件を語ることですね。
もちろん、肝心かなめなことは名探偵の常として内緒のままなんですが、ヘイスティングスに対するときと比べて、ずっと親切仕様になっているように思います。
新訳が出ると、あたらめて読み返すきっかけになって楽しいですね。
(↑ 未読本がたまりにたまっている状況で、再読なんかしている場合ではないんですけれども)
<蛇足1>
本書の邦題は「メソポタミヤの殺人」であって、メソポタミアではないのですね。
一般的には、メソポタミアと書きますし、原題も Murder in Mesopotamia で、英語のスペルから判断する限り、メソポタミアの方に軍配が上がる気がしますが......
<蛇足2>
「ある作家の著作に、こんな一節がある。“初めから始めるがよい。そして最後に来る前で続けるのじゃ。そうしたら終わればよい”」(19ページ)
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」 (リンクは大好きな「とびだししかけえほん」に張りました。すごいので一度ぜひご覧ください。)ですね。
どうして明記せずに、ぼかした書き方にしたのでしょうね?
<蛇足3>
「それに、とても真面目で。考古学のこととかも、何も知らないのでと言って一所懸命学ぼうとしていた。」(253ページ)
いつも無駄を承知であげつらっている「一生懸命」ですが、ここはきちんと正しく「一所懸命」と書いてあります。
もはや正しく書かれていることの方が少なくなってきているように思われるので、新訳版でも正当な表記が守られていることにとてもうれしくなりました。
<蛇足4>
「あの事件のあと、ふたたび東洋を訪れることはなかった。」(394ページ)
語り手であったエイミー・レザランが事件後振り返って言う感想です。
メソポタミアは「東洋」なんですね。
ちょっと日本人の感覚とずれているのがおもしろいですね。
イギリス人の感覚と日本人の感覚がずれている例としては、アジア、があります。
日本人的には、アジアというとぱっと自分たちの国日本を中心にイメージしますが、イギリス人だと(おそらく)アジアと何も装飾をつけずにいうとインドあたりをイメージしているのではないかと思います。日本あたりは「極東(Far East)」ですね。
日本人が見慣れている世界地図と違って、イギリスでよくある世界地図は大西洋が真ん中に据えらえているため、日本はまさに Fa~~r East です(笑)。世界の果て、という感覚かもしれませんね。
原題:Murder in Mesopotamia
著者:Agatha Christie
刊行:1936年
訳者:田中義進
雲をつかむ死 [海外の作家 アガサ・クリスティー]
<カバー裏あらすじ>
パリからロンドンに向かう飛行機のなかで、金貸し業を営む女性が変死体で発見された。その首には蜂に刺されたような傷があったが、偶然乗り合わせたポアロは、床から人工の毒針を拾い上げる。衆人環視の客室内で、誰がいつ、どうやって犯行に及んだのか? 大空の密室を舞台とした不可解な事件にポアロが挑む。
今年はアガサ・クリスティー デビュー100周年、生誕130周年を記念した早川書房のクリスティー文庫の6ヶ月連続新訳刊行第2弾です。
「予告殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)に続くのは、この「雲をつかむ死〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)
この作品は、子供向けに訳されたもので読んだのが最初でした。
そのあと、大人向けのものを、創元推理文庫で読みました。その邦題は「大空の死」。
今回新訳なった「雲をつかむ死」を読んで、驚きの連続でした。
いやあ、もう、あきれるくらい覚えていない。
飛行中の飛行機の中で殺される。
これは覚えていました。
蜂が飛んでいる。
これも覚えていました。
しかし、それ以外は、まったく......
飛行機の中で推理するんじゃないかとまで思っていたのです。全然違う。
さらに、覚えていないどころか、間違った記憶まで抱いていた......アナフィラキシーショックを扱った作品だと思い込んでいました。なぜだろう?
なのですごく新鮮に楽しめました。
また、ポワロ(クリスティー文庫の表記ではポアロですが、個人的趣味でポワロと書きます)もののなかではつまらないほうだ、と思い込んでいたのですが、いやいや、ちゃんと読みどころの多い作品ではないですか。
再読してよかったぁ。
飛行機の中で金貸しが死ぬ。
蜂が刺したのかと思われたが、毒針が発見される。さらに吹屋筒まで見つかって......
その後35ページの段階で、乗客はみんな飛行機を降ります(笑)。
ジャップ警部がやってきて、ポワロと組んで捜査にあたります。またフランス警察のフルニエ警部も捜査に加わります。
そうなんです。イギリス、フランス両国にまたがる捜査となります。
尋問、尋問で展開が単調になってしまうのを防ぐ効果があります。
単調になるのを防ぐといえば、美容院助手ジェーンのロマンスっぽい話も盛り込まれています。
またポワロはジェーンの相手役とおぼしき歯科医のノーマンに捜査の手伝いまでさせます。
真犯人が突き止められると、クリスティーが巧妙に犯人を隠していたことがわかります。
(解説で阿津川辰海がネタバレしつつ、技巧を解説しています)
たしかに、綺羅星のような傑作群と比べると分が悪いかもしれませんが、十分立派な作品だなあと思いました。
やっぱり、クリスティーはおもしろい!
<蛇足1>
「探偵小説家ってやつは、いつも警察を小ばかにしてるし……警察の仕組みがまるでわかってない。そうさ、連中が書くものに出てくるような調子で上役にものを言ったりしたら、明日にも警察からたたき出されてしまうでしょうよ。」(60ページ)
ミステリに対する割とよくある批判をジャップ警部が言うのですが、「白魔」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)を思い出してしまいました。
<蛇足2>
水着姿(だったと思います)の写真を見てたじろぐ老人にポワロがいうシーンがあります。
「それは、最近、太陽には肌のためになる作用があるということが発見されたせいですよ。これは、たいへんに都合がいいことだ。」(172ページ)
都合がいい、というところには苦笑ですが、いまでは太陽は避ける人が多いので、時代を感じさせますね。
<蛇足3>
作中の探偵小説家のセリフです。
「わたしにはわたしの推理方法があるからだよ、ワトソンくん。ワトソンくんなんて呼んでも気にしないでください。悪気はないんです。ところで、間抜けな友人を使うというテクニックがいつまでもすたれないのはおもしろい。個人的には、わたしはシャーロック・ホームズの物語はかなり過大評価されてると思うんです。あの作品のなかには、誤った論理が、じつにおどろくほどのたくさんの誤った論理がでているんだから」(245ページ)
なかなか大胆なコメントですね。
クリスティーの本音でしょうか?
<蛇足4>
「秩序と方法をもってひとつの問題にせまるなら、それを解決するのに困難などあるはずがないのです--絶対にね」(260ページ)
ポワロのセリフですが、ちょっと意味がつかみにくいですね。
「方法」は「ちゃんとした」方法くらいに語を補わないとわかりにくいですよね。
<蛇足5>
「ある事件をしらべたときに、全員がうそをついていたことがありますよ!」(314ページ)
ポワロのセリフです。
おもわず作品の発表年を調べてしまいました。
そうです。あれ、です、あれ。あれの方が「雲をつかむ死」より先に発表されていますね。
原題:Death in the Clouds
著者:Agatha Christie
刊行:1935年
訳者:田中一江
予告殺人 [海外の作家 アガサ・クリスティー]
<カバー裏あらすじ>
その新聞広告が掲載された朝、村は騒然となった。「殺人をお知らせします。10月29日金曜日、午後6時半…」。誰かの悪戯か、ゲームの誘いなのか? 予告の場所に人々が集い、時計が6時半を示したとき、突如闇が落ち、三発の銃声が轟いた! 大胆かつ不可解な事件にミス・マープルが挑む、クリスティーの代表作。
今年はアガサ・クリスティー デビュー100周年、生誕130周年ということで、早川書房のクリスティー文庫で新訳刊行が6ヶ月連続で企画されています。
その第一弾が5月に出たこの「予告殺人〔新訳版〕」 (クリスティー文庫)です。
本書はミス・マープル物で、ずいぶん昔に旧訳で読んでいます。
クリスティーの生み出したうち、特に知られている二人の名探偵、エルキュール・ポワロとミス・マープルを比べると、個人的にはポワロ贔屓で、ミス・マープルにはあまり感心してこなかったこともあって、新訳が出るのを機に読み返してみようと思ったのです。
「予告殺人」も、殺人予告が新聞に出る、ということしか覚えていない(!)こともありましたし。
まず、ミス・マープルの本拠地、セント・メアリミード村じゃないのですね、舞台は。
だから、舞台となるチッピング・クレグホーンの人から
「あの老婦人は詮索好きよ。それに、何を考えているのかよくわからなくて不気味だわ。まさにヴィクトリア朝時代の人間ね」(284ページ)
と評されています。うわっ、正しい評だ(笑)。
少なくともこの「予告殺人」では、ミス・マープルは、地味、なんですよね。
事件の中心でしっかり捜査するというのではなく、事件の周辺をうろちょろしている感じ(それでも事件を解決する、というか見通しているのだから大したもの、なんですが)。
そりゃあ、感心しないよなー、と気づきました。
でも、最終章の絵解きの段階でミス・マープルが指摘する数々の手掛かりは、感じがいいんですよね。
こういうのを味わう余裕が、当時のぼくにはなかったということでしょう。もったいない。
犯人当てそのものは、ちょっと単純でしたね。
内容を全くといってもいいほど覚えていないというものの、潜在意識に残っていたのか(大げさな......)、真相は相当早い段階で見当がつきました。
「殺人をお知らせします」という新聞広告というキャッチ―なアイデアに寄りかかっている、というか、逆にそのことが犯人当てでは弱点になっているように思えました。
そして、ネタバレになりかねないので伏字にしておきますが、「予告殺人」を読み終わって、「ゼロ時間へ」 (クリスティー文庫)を読み返したくなりました......
<蛇足1>
訳者の羽田詩津子さんはベテランの翻訳家ですが、この作品で変わった(新しい?)表記、訳し方をされています。
「『すてきなダイニングですね』とか(もちろん、ちがいます。暗くて狭いひどい部屋ですもの)。」(88ページ)
「ヒンチ(ミス・ヒンチクリフのことです)は暖炉の前に男みたいに足を広げて立っていました」(102ページ)
「ダシール・ハメットの物語で知ったんですのよ(甥のレイモンドによれば、ハメットはいわゆるハードボイルドの分野では、三本の指に入る作家だと考えられているそうですね)。」(157ページ)
「でも、ベルがわたしよりも先に亡くなったら(奥さんはとても病弱な人で、長く生きられないだろうと言われていました)、ランドルの全財産を相続すると知ったときは、とても感動したし、誇りに感じました。」(189ページ)
会話文で、括弧()を使うというのは斬新だと思います。普通だと、括弧なしで流して訳すでしょうね。
今回の羽田さんの訳文も、括弧を気にせず、そのまま読み下せるようになっていますーーということは、括弧を使わない、普通の訳し方でもよかった気がしますが......
<蛇足2>
「牧師さんにご返事を書かなくては」(309ページ)
ここを読んで、おっと思いました。
「お返事」ではなく「ご返事」だったからです。
以前このブログのコメント欄で「ご返事」と書いたとき、「お返事」「ご返事」で悩みました。どちらともとれるように「御返事」と書けばよかったと思ったものです。
どちらとも使うので、どちらを用いてもよいようです。
<蛇足3>
「あっという間に、三幕のものすごく滑稽な喜劇を書き上げたんです」
「なんていうタイトルなんだ?」ー略ー「《執事は見た》?」
「まあ、そんなようなものだけど……ええと、《象は忘れる》というんだ。ー略ー」
「象は忘れる」パンチがつぶやいた。「象は忘れないんじゃないかしら?」(450~451ページ)
ちょっとニヤリとしてしまいました。「象は忘れない」 (クリスティー文庫)という作品がクリスティーにあるからです。
まさか、この「予告殺人」の執筆の頃から、「象は忘れない」 の構想を練っていた、ってことはないですよね!?
原題:A Murder is Announced
著者:Agatha Christie
刊行:1950年
訳者:羽田詩津子
死者のあやまち [海外の作家 アガサ・クリスティー]
<裏表紙あらすじ>
田舎屋敷で催し物として犯人探しゲームが行なわれることになった。ポアロの良き友で作家のオリヴァがその筋書きを考えたのだが、まもなくゲームの死体役の少女が本当に絞殺されてしまう。さらに主催者の夫人が忽然と姿を消し、事態は混迷してしまうが……名探偵ポアロが卑劣な殺人遊戯を止めるために立ち上がる。
クリスティを読むのは久しぶりですね。
「フランクフルトへの乗客」 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
(感想ページへのリンクはこちら)以来なので、4年以上間が空きましたね。
まあクリスティの作品はもともと翻訳が出そろっていたし、大物はほとんど読み終わっているので、なかなかそこから進むのは時間がかかりますね(←個人的言い訳です)。
冒頭、オリヴァ夫人から電話がかかってきて、ポアロ(クリスティー文庫の表記はポアロですが、個人的にはポワロと書きまい)がはるばるデヴォンシャーまで駆り出されることになるのですが、まずここが可笑しい。
ポアロって、こんなに簡単に他人に手玉に取られましたっけ? 耄碌した(笑)!?
はっきりしないけれど、腑に落ちないおかしな点があって
「明日、犯人捜しの余興の殺人のかわりに、ほんものの殺人があったとしても、あたしは驚かないわ!」(24ページ)
という夫人のおかげで、殺人を未然に防ぐ、というタスクを負ったポアロ。
ポアロが赴いたナス屋敷で、あらすじにもある通り、犯人捜しゲームの途中で本当に殺人事件が発生する、という(ミステリ的には)楽しい設定です。
あれ? なんだか既視感があるなあ、と思ったら、「ハロウィーン・パーティー」 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)と似てるからなんですね。
ただ、殺されたのは少女。
この、殺されそうもない少女が殺される、オリヴァ夫人が感じた腑に落ちないおかしな点と関係がなさそうな少女が殺される、というのがポイントですね。
殺人が起きるのが133ページ。1/3が済んだところですね。
このあとブランド警部がやってきて、延々尋問シーンが続きます。
ひたすら、会話、会話、会話です。
ところがこれに退屈しませんでした。
会話から次々と謎が深まったり、新しい視点、怪しい見方が浮上したりするからです。
なんとなく、古き良き古典ミステリ、という味わいをしっかりと楽しめました。
お屋敷ものとして異色なのは「名探偵皆を集めてさてと言い」というシーンがないことでしょうか。
登場人物をラストで集めにくいというプロット上の要請からかもしれませんし、たどり着く真相の醜悪さからかもしれません。背後に隠されていた動機は、クラシック・ミステリには王道のものなんですが、見事に醜悪なものになっています(変な褒め言葉ですね)。
心躍る謎解きシーンがない代わりなのか、その真相を受けてのラストシーンの厳かさ(と言ってよいと思います)は、本作品の味わいどころかと思います。
<蛇足1>
オリヴァ夫人が最初に登場するときのいでたちがすごいですよ。
「どぎつい卵の黄身の色をした粗いツイードのコートとスカート、それからいかにもいやな感じの芥子色のジャンパーといったいでたちだった。」(19ページ)
コートとジャンパーを同時に着るって、なかなか斬新なコーディネイトですね。
<蛇足2>
「たまげたことにポアロは大きなキューピー人形をあててしまった。」(119ページ)
キューピーってこの頃から、イギリスにもあったんですね。
原題:Dead Man's Folly
著者:Agatha Christie
刊行:1956年
訳者:田村隆一