大聖堂の殺人 The Books [日本の作家 周木律]
<カバー裏あらすじ>
すべての事件を操る数学者・藤衛に招かれ、北海道の孤島に聳え立つ大聖堂を訪れた宮司百合子。そこは、宮司家の両親が命を落とした場所だった。災禍再び、リーマン予想の解を巡り、焼死や凍死など不可解な殺人が発生する。しかし、藤は遠く離れた襟裳岬で講演の最中だった。大人気「堂」シリーズ、ここに証明終了!
2023年1月に読んだ最初の本です。ようやく今年読んだ本に辿り着きました。
周木律の堂シリーズ最終作、「大聖堂の殺人 ~The Books~」 (講談社文庫)です。
ようやく最終作ですよ。長かったなぁ。
シリーズ最終作にふさわしく(?)、舞台は因縁の(?)孤島。
このシリーズ、「教会堂の殺人 ~Game Theory~」 (講談社文庫)をワーストとして、後半読むのがつらくなっていたんですよね。
その意味では、本書「大聖堂の殺人 ~The Books~」 (講談社文庫)も読むのがつらかったですね。
数学を中心とした衒学は鬱陶しいだけだし、天才と称される登場人物は単にイカれているだけだし(天才となんとかは紙一重といいますが、その意味では天才ではなく天才と紙一重の方)、トリックはバカバカしいし、エンディングはめちゃくちゃだし(トリックとエンディングが整合しているのか気になっています)。
シリーズを通してみても、作中であれほど天才だ、天才だという藤衛がちっとも天才に見えないのは致命的だと思います。
伊弉諾(イザナギ)や伊弉冉(イザナミ)まで持ち出して仰々しく語る日蝕のエピソード(184ページ~)もばかばかしくて、いったいいつの時代の未開の地の話なんだと思いますし、
「襟裳岬において、太陽すら欠けさせ、まるで神のごとき力を見せつけた、藤衛が」(397ページ)
というに至ってはジョークにしても出来が悪すぎて戸惑うほどです。
「上手に使えば、身体を意のままにすることなど訳はない。」(484ページ)
「彼らを導き得るのも、すべては彼らが私の期待どおりに聡明だったからだよ。」(485ページ)
というところも、凡人であるこちらにすら明らかな内容なので笑うしかないですよね。
数学をめぐる議論の結論は、百合子が出すのですが、
「数学は、結果ではない。
結果は、ただの知識だ。それよりもむしろ、その知識に至る過程において人間が、人間たちが必死に生み出していく叡智、言い換えれば無限の想像力にこそ、真価がある」(596ページ)
というのでは、少々凡庸にすぎはしないかと。
「数学とは、その無限に続く道のりの踏破であり、まさしく世界の発散そのものだ。決してただ一点に収束させ得るものではない。そのための努力が人々により続けられる限り、知性が神に負けることも、ないのだ。」(597ページ)
というと少し印象は変わりますが、光の当て方が変わっただけで、凡庸から離れた地点に到達したとは言えないでしょう。
となると、これはダメでしたね、とポイっと投げやると思われるかもしれませんが、実はこの「大聖堂の殺人 ~The Books~」 (講談社文庫)を読んでいて、シリーズを閉じてやるんだ、という作者の気迫にちょっと感動してしまったんですよね。
正直作中の藤衛は天才だ、天皇だ、神だと言われているものの、到底神の領域には到達できない単なる狂人ですが(作者の意図に反して、でしょうね)、作者は物語世界の神として君臨し、すべてを統べるという意思をみなぎらせています。
作中に見られる様々な要素も、タイトルも、副題も、果ては作者のペンネームに至るまで、ありとあらゆるものを取り込んで、シリーズを仕立て上げようという蛮勇は、称賛するしかないと思います。
ちょっとゆがんだかたちではありますが、ミステリにおける稚気を存分に発揮したシリーズ、と言える気がしました。
最後にシリーズのリストを。
「眼球堂の殺人 ~The Book~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「双孔堂の殺人 ~Double Torus~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「五覚堂の殺人 ~Burning Ship~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「伽藍堂の殺人 ~Banach-Tarski Paradox~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「教会堂の殺人 ~Game Theory~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「鏡面堂の殺人 ~Theory of Relativity~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「大聖堂の殺人 ~The Books~」 (講談社文庫)
鏡面堂の殺人 Theory of Relativity [日本の作家 周木律]
鏡面堂の殺人 ~Theory of Relativity~ (講談社文庫)
- 作者: 周木 律
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/12/14
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
異形の建築家が手掛けた初めての館、鏡面堂。すべての館の原型(ルーツ)たる建物を訪れた百合子に、ある手記が手渡される。そこには、かつてここで起きたふたつの惨劇が記されていた。無明の闇に閉ざされた密室と消えた凶器。館に張り巡らされた罠とWHO(誰が)、WHY(なぜ)、HOW(どのように)の謎。原点の殺人は最後の事件へ繋がっていく!
2021年6月に読んだ7作目(9冊目)の本です。
堂シリーズの第6作です。
前作「教会堂の殺人 ~Game Theory~」(感想ページはこちら)で路線転換してしまっていてシリーズの今後に不安を抱きましたが、この「鏡面堂の殺人 ~Theory of Relativity~」 (講談社文庫)は、普通のミステリです。
二十六年前、一九七五年十二月の初めに起きた事件の手記を読み解いていく、という話。
シリーズのラスボスである藤衛の前に、堂シリーズの建築家である沼四郎とまずは決着をつける、という段取りでしょうか。
しかし、藤衛(の設定)がすごいですよね。
「齢九十を過ぎた老人にして、天皇とまで称される日本数学界の重鎮、しかも二十三年前の孤島における大量殺人事件の主犯でもある男だ。死刑判決を受け、十三階段を待つ死刑囚として収監されるも、昨年、最新請求により無罪判決を受け釈放、そのままどこかに行方を晦ました。」
「世界の秘密たるリーマン予想の証明を得て、神となった。」(ともに38ページ)
いや、リーマン予想を証明したからって神にはなれないでしょう、なんて思っていたら堂シリーズのよき読者にはなれません(ならなくてもよいかもしれませんが)。
まあ天皇という段階で、ある意味神なんですけどね。
細かい点は気にせず、堂シリーズ特有の無茶苦茶なトリックを楽しむのがよいと思います。
例によって、現場の図があり(47ページ)、今度はどう回転するのだろう、と考えるのが楽しい。
楕円形というのが、こういう風に使われるとは。
高校の数学とか物理で想像がつく内容ですが、まあ、思いつく人はいないんじゃないでしょうか。
いよいよ次の「大聖堂の殺人 ~The Books~」 (講談社文庫)でシリーズが完結するんですよね。
手放しで褒められるシリーズというわけではありませんが、ここまで来ましたから、最後に楽しませてほしいです。
<蛇足1>
「わたしが十歳前後の酷い動乱の果てに、幾度もの引っ越しを余儀なくされ、両親もこのときに財産をかなり手放したという。」(99ページ)
ここでいう動乱とは何を指すのでしょうね?
<蛇足2>
「こうして数年後、年齢もすでに二十代も後半に差し掛かったころ、博士課程を無事に終えたわたしは、研究室の助教として机をひとつ与えられると」(106ページ)
手記の記述です。この事件は一九七五年に起こったものとされていますが、そうすると助教というのが変ですね。
調べてみると、助教というのは2007年4月1日の学校教育法改正施行により正式に導入されたもののようです。それ以前の言い方でいうと、助手でしょうか。
<蛇足3>
「だが本当のところ、相対論の数学的基礎は、アインシュタインが学生時代に講義を受けたミンコフスキーによって定式化されたものである。すなわち、ミンコフスキーの存在なくしてアインシュタインのエレガントな相対論はあり得なかったのだ。」(120ページ)
知りませんでした。
こういう蘊蓄は読むのが楽しいです。
<蛇足4>
「もっとも、学者には自らの仕える学問領域こそが至上のものであると考える傾向がある。」(140ページ)
そうなんですか!?
双孔堂の殺人 Double Torus [日本の作家 周木律]
<カバー裏あらすじ>
二重鍵状の館、"Double Torus(ダブル トーラス)"。警察庁キャリア、宮司司(ぐうじつかさ)は放浪の数学者、十和田只人(とわだただひと)に会うため、そこへ向かう。だが彼を待っていたのは二つの密室殺人と容疑者となった十和田の姿だった。建築物の謎、数学者たちの秘された物語。シリーズとして再構築された世界にミステリの面白さが溢れる。"堂" シリーズ第二弾。
読了本落穂拾いで、堂シリーズの第二作です。
このシリーズ
「眼球堂の殺人 ~The Book~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「双孔堂の殺人 ~Double Torus~」 (講談社文庫)
「五覚堂の殺人 ~Burning Ship~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「伽藍堂の殺人 ~Banach-Tarski Paradox~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「教会堂の殺人 ~Game Theory~」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)
「鏡面堂の殺人 ~Theory of Relativity~」 (講談社文庫)
「大聖堂の殺人 ~The Books~」 (講談社文庫)
以上七冊で完結しているようで、第五作「教会堂の殺人 ~Game Theory~」まで読んでいます。
「教会堂の殺人 ~Game Theory~」で路線転換してしまっていてシリーズの今後に不安を抱きましたが、この「双孔堂の殺人 ~Double Torus~」 は未だ第二作だけあって、普通に(?) 館ミステリしています。
シリーズを通しての仕掛け? というか、人物配置もされてます。
早速15ページにいかにもな建物の図が掲げられていますし、そのあとも102ページ、103ページ、さらには138ページでも怪しげな図面で読者のご機嫌を伺います。
位相幾何学だ、ポアンカレだなんだと、御大層な数学の衒学趣味満載の作品でくらくらしますが、謎解きは由緒正しい、いかにもな館もので、しっかり脱力できます。素晴らしい。
おもしろいなと思ったのは、数学が苦手な人、数学が分からない人の方が思いつきやすそうトリックが一つ紛れ込んでいること。
読者へのボーナス問題でしょうか?
こういう茶目っ気、いいですね。
<蛇足1>
「俺は無意識に左手で愛用のネクタイを緩めた。」(20ページ)
一人称で語られていることを考えると、なかなか味わい深い文章ですね。
<蛇足2>
「ドイツの数学者、エルンスト・クンマーは、九かける七の答えが思い出せなくなったことがあった。だが彼は、最終的にはその解が六十三であることを導き出す。」(65ページ)
このエピソード、「数学という抽象化の学問においては、九九などという些末な知識などなくとも、何ら支障がないことを示す証拠」として出てくるんですが、そしてその趣旨には異を唱えるものではないですが、ドイツに九九ってあるんですね。
結構ご大層な方法でクンマーは解を導き出すのですが、九かける七だったら、奇を衒った出し方をしなくても九を七回(あるいは七を九回)足せば済む話だと思うのですが。
教会堂の殺人 Game Theory [日本の作家 周木律]
<裏表紙あらすじ>
訪れた者を次々と死に誘う狂気の館、教会堂。失踪した部下を追い、警察庁キャリアの司は館に足を踏み入れる。そこで待ち受けていたのは、水死・焼死・窒息死などを引き起こす数多の死の罠! 司の足跡をたどり、妹の百合子もまた館に向かう。死のゲームと、天才数学者が求める極限の問いに、唯一解はあるのか!?
堂シリーズの第五作です。
今回は、このシリーズの中でも異色作です。
十和田只人のあやしさに拍車がかかっていますが、そこが見どころなのでしょうね。
書いておかなければと思うのは、本書はいわゆる館ミステリではない、ということです。
館で事件が起こって、その謎を解く、という展開ではありません。
なんだか、ミステリというよりも、ちょっと古めの子供向けの不思議なお話、あるいは不条理なお話にこういう感じの作品があったような。
ミステリとして期待する作品とは、かけ離れたものになっていると言わざるを得ないと思います。
あらすじに「死のゲーム」とありますが、まさにそれが描かれているだけ、です。
残念ながら、ぼくはこの作品に否定的な立場ですが、作者は文庫版あとがきの中で
「物語がこんなことになってしまったのではなく、こういうふうに物語が動くからこそ、シリーズは全体として成立する、いやむしろそうでなければ成立しない、と強く信じているのだ」
と書いておられるので、以降、お手並み拝見です。←偉そうなコメントですみません。
「このシリーズがどこに向かっていくのか、興味あります!」と前作
「伽藍堂の殺人 ~Banach-Tarski Paradox~ 」(講談社文庫)」の感想で書きましたが、方向性によっては読まなくてもいいかな、と思えてきましたね、この「教会堂の殺人 ~Game Theory~」 (講談社文庫)の感じだと。
とはいっても、読むとは思いますが。
伽藍堂の殺人 Banach-Tarski Paradox [日本の作家 周木律]
伽藍堂の殺人 ~Banach-Tarski Paradox~ (講談社文庫)
- 作者: 周木 律
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/09/13
- メディア: 文庫
<裏表紙あらすじ>
謎の宗教団体・BT教団の施設だった二つの館の建つ伽藍島。リーマン予想解決に関わる講演会のため訪れた、放浪の数学者・十和田只人と天才・善知鳥(うとう)神、宮司兄妹。その夜、ともに招かれた数学者二人が不可能と思われる"瞬間移動"殺人の犠牲となる。秘められた不穏な物語がさらに動く"堂"シリーズ第四弾。
堂シリーズの第四作です。
今回も奇矯な登場人物に、奇矯な建物です。
館ミステリにつきものの図面(と数学的なものを説明する図面)が今回もふんだんに盛り込まれています。
数学をめぐる蘊蓄は、例によってちんぷんかんぷんで正直うるさいくらいです。
副題につけてあるBanach-Tarski Paradox、まったくわけがわかりません。
中身のつまった球体Kが「ひとつ」ある。この球を、適当に有限個に分割し、再び寄せ集めることによって、球体Kを「二つ」つくることができる(44ページ)、「バナッハ-タルスキのパラドックス」として紹介されていますが、どういうこと!? さっぱりです。
ミステリ的には...今回のトリックは、またまたすごいですよ(笑)。
182ページになってようやく死体登場というストーリー展開になっているのですが、その状態がたとえられているのが、百舌のはやにえ。
マイクスタンドに、身体を無残に貫かれたそれら(182ページ)と書かれています。
ひゃーっ、と叫びたくなる残酷なシーンなんですが、こういう死体のシーンだと思い出すのが、谺健二の「未明の悪夢」 (光文社文庫)。
「未明の悪夢」もある意味奇想にあふれた作品でしたが、そのおかげでこの「伽藍堂の殺人」のトリック(の一部)にうっすらとですが見当がついてしまったんですよね。
そんなうまくいくかな? と思えるトリックではありますが、ミステリ的には、あり、でしょう。
前作「五覚堂の殺人」 (講談社文庫)(感想ページへのリンクはこちら)の感想で、「あからさまな手がかりがちりばめられていて、作者の仕掛けをたどっていく楽しみがあふれている」と書きましたが、ちょっと今回はバランスが悪かったかな、と思いました。
驚天動地の大技トリックを惜しげもなく投入したぜいたくな作品なのですが、それがかえって無理を際立たせてしまったかな、と。
しかし、このシリーズがどこに向かっていくのか、興味あります!
五覚堂の殺人 Burning Ship [日本の作家 周木律]
<裏表紙あらすじ>
放浪の数学者、十和田只人は美しき天才、善知鳥神(うとう かみ)に導かれ第三の館へ。そこで見せられたものは起きたばかりの事件の映像――それは五覚堂に閉じ込められた哲学者、志田幾郎の一族と警察庁キャリア、宮司司の妹、百合子を襲う連続密室殺人だった。「既に起きた」事件に十和田はどう挑むのか。館&理系ミステリ第三弾!
第47回メフィスト賞受賞「眼球堂の殺人 ~The Book~」 (講談社文庫)(感想ページへのリンクはこちら)から始まった堂シリーズの第三作です。
第二作「双孔堂の殺人 ~Double Torus~」 (講談社文庫)も読んでいるのですが、感想を書けずじまいです(最近、こんなのばっかりですが)。
ああ、今でもこういう作品を書く作家がいて、ちゃんと受け入れられているんだなぁ、という感想を抱きます。
奇矯な登場人物に、奇矯な建物。
館ミステリにつきものの図面(と数学的なものを説明する図面)が今回もふんだんに盛り込まれています。
しかも、今回は
「五覚堂は『回転する』。大ヒントでしょう?」(32ページ)
などと真相を知ると思われる善知鳥神から冒頭に示唆されるんですよね。
この「回転する」トリックは、この種のミステリにつきものと言ったら叱られるかもしれませんが、ばかばかしいもので、これは笑って流すべきところなんでしょうねぇ。
(数学的なことはわかりませんが、このトリックを「回転する」と表現するのはちょっと違うんじゃないかなぁ、と思いました。)
付随して、いくつかの手がかりをちりばめてあるのはご愛敬ですね。
館をめぐってはもう一つ大きなトリックが仕掛けられているのですが、これもねぇ...
笑ったらいかんのでしょうねぇ。でも425ページの図11で示された(文字通り)絵解きには苦笑してしまいました。
作者も
「滅茶苦茶な仕掛け(トリック)」(426ページ)
と登場人物の一人に考えさせていますが。
それにしても東北って、こんなに土地余っているんですか!?
館ものでは、電気とか水道とかどうしたんだ!? とかも思ったりしますよねぇ。そんなことを言っては興ざめなのはよくわかっているんですが。特にこの「五覚堂の殺人 ~Burning Ship~」 (講談社文庫)では特に。
数学をめぐる蘊蓄は正直うるさいくらいですし、上述の通りトリックにも難点が多いし、過去の因縁が...というあたりの手際もごたごたしているし、登場人物の一人(百合子の友人志田悟)をめぐるエピソードもなんだか蛇足っぽいし、とこう並べるとだめだめな作品のように思えますが、でも、楽しく読めちゃいました。
おそらく、あからさまな手がかりがちりばめられていて、作者の仕掛けをたどっていく楽しみがあふれているから、なのではないかと思います。
個々のトリックや仕掛けは、正直前例がある、ミステリではありふれたものばかり、と言っても構わないくらいのものですが、それらがかえってこの作品を読者にとって「見抜く」楽しさにあふれた作品に仕立て上げてくれているのだと思います。
<蛇足1>
冒頭、善知鳥と十和田の会話で
「7π/3ぶりですね。」
「三百六十五分の四百十八か」(9ページ)
というやりとりがあるのですが、わかりませんでした。
十和田の「三百六十五分の四百十八か」は、四百十八日ぶりだ、ということだとわかるんですが、善知鳥の方がまったく...なんでこんなところに無理数が出てくるんでしょうか!? 天才の言うことはわかりません。
<蛇足2>
いつもいつも噛みついている一生懸命ですが、
「何をそんなに一生懸命に調べているのか気になって」(50ページ)
と登場人物のセリフで出てきた分には、ぎりぎりOKかなと思います。
<蛇足3>
「百合子はきっと、大学の仕事中で」(196ページ)
ここでちょっとあれっと思いました。百合子は大学院生という設定なんですね。
大学院生が仕事!? と思ったわけです。
「彼女がゼミでさまざまな仕事を任され、それらに忙殺されているのは知っている」(257ページ)
とあとで補足のような記述が出てきます。
たしかに、大学生や大学院生の視点から見ると、十分”仕事”なのでしょうね。
眼球堂の殺人 The Book [日本の作家 周木律]
<裏表紙あらすじ>
神の書、"The Book"を探し求める者、放浪の数学者・十和田只人(とわだただひと)がジャーナリスト・陸奥藍子(むつあいこ)と訪れたのは、狂気の天才建築学者・驫木煬(とどろきよう)の巨大にして奇怪な邸宅 "眼球堂" だった。二人と共に招かれた各界の天才たちを次々と事件と謎が見舞う。密室、館、メフィスト賞受賞作にして「堂」シリーズ第一作となった傑作本格ミステリ!
第47回メフィスト賞受賞作で、〇〇"堂の殺人"というパターンで、で、目次をみると、「眼球堂の殺人事件」と書いてあって...いかにもな作りで、いかにもな作品ですよね。
帯には、森博嗣が
「懐かしく思い出した。
本格ミステリィの潔さを。」
なんて書いている。
うーん、どうでしょうか。期待しすぎましたか。あるいは、こちらが若い頃に読んでいたらよかったのか...
最近、本格ミステリ、より厳密にいうといわゆる新本格ミステリテイストの作品を読むとこういう感想を抱くようになりました。
奇矯な登場人物に、奇矯な建物。
世界を代表する天才建築家驫木煬(とどろきよう)が建てた建物、眼球堂。集められたのは天才たち。
つまらないと思うわけではないのですが、なにか物足りなく感じてしまうんですよね。
館ミステリにつきものの図面。
38ページとか、42、43ページに掲げられている図、わくわくすんですよね。
でも、これこの数枚の図を見ただけで、
(ネタバレにつき伏字にします)アレ? この館回転するんじゃないの? アレ? この立地、水が溜まるんじゃないの? (ここまで伏字)
と思ってしまうんですよね。
また、驫木煬の子どもが、善知鳥神(うとうかみ)という天才数学者である、という設定になっています。
でも、館に呼ばれたのは、探偵役をつとめる、放浪の天才数学者十和田只人で、善知鳥神はいない、と。
この設定だけで、
(ネタバレにつき伏字にします)呼ばれている登場人物の中に善知鳥神がいるんだろうな、とすると候補者少ないな。 ってことは、あれか、十和田とくっついているということで冒頭から登場する、陸奥藍子が怪しいよな。叙述トリックかぁ。タイトルと違う目次だったしねぇ。(ここまで伏字)
と思ってしまうんですよね。
で、真相はその通りだったんで、ちょっと残念。
メインとなる部分が、早々に見当ついちゃうと、ちょっとね。
それでも、この作品、おもしろかったかどうかというと、おもしろかったんです。
一昔前でいうところのペダンティックな部分(天才同士の会話とか、建築学があらゆる学問の最上位に来るものだ、とか)も、もっともっと淫してほしいと思ったりもしましたが、この作品には、ミステリが古来持っていた(大げさですが)、稚気、遊び心が溢れているからです。
いわゆる新本格が大切にしていたものを、この「眼球堂の殺人 ~The Book~」 (講談社文庫)はきちんと受け継いでいると確かに感じました。
続々とシリーズが文庫化されていくようなので、追いかけてみたいです。
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