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ブラウン神父の無心 [海外の作家 た行]


ブラウン神父の無心 (ちくま文庫)

ブラウン神父の無心 (ちくま文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/12/10
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
ホームズと並び称される名探偵「ブラウン神父」シリーズを鮮烈な新訳で。「木の葉を隠すなら森の中」など、警句と逆説に満ちた探偵譚。怪盗フランボーを追う刑事ヴァランタンは奇妙な二人組の神父に目をつける……「青い十字架」/機械人形でいっぱいの部屋から、血痕を残して男が消えた。部屋には誰も出入りしていないという。ブラウン神父の推理は……「透明人間」。


読了本落穂ひろいです。
2016年2月に読んだG・K・チェスタトンの「ブラウン神父の無心」 (ちくま文庫)

近年、チェスタトンの作品は南條竹則さんによる新訳が刊行されていて、そのうちの1冊です。
旧訳としては、創元推理文庫の中村保男訳である「ブラウン神父の童心」 (創元推理文庫)(ただし新版ではなく旧版ですが)で読んでいます。
訳者あとがきで原題の "Innocence" が訳者泣かせだと言及されていますが、採用された訳は「無心」。
「童心」もなかなか考えた訳だとは思いますが、ここでの "Innocence" の訳語として違和感を感じておりました。

「青い十字架」
「秘密の庭」
「奇妙な足音」
「飛ぶ星」
「透明人間」
「イズレイル・ガウの信義」
「間違った形」
「サラディン公の罪」
「神の鉄槌」
「アポロンの目」
「折れた剣の招牌」
「三つの凶器」

ブラウン神父は風采は上がらないのに驚くような洞察と推理、という設定ですが、それにしても、外見描写は容赦がないですね。
初登場の場面がこちら。
「小柄な神父はあたかも東部地方の平地の精気が凝って出たかのようで、顔はノーフォークの茹で団子のように間が抜けており、目は北海のごとく虚ろだった。」(「青い十字架」11ページ)
目がうつろって......
余談ですが、ブラウン神父って煙草を吸うんですね。そういう印象がありませんでした。
「中から聖マンゴー小教会のブラウン神父が、大きなパイプをふかしながら出てくるのをご覧になっただろう。フランボーという、いやに背の高いフランス人の友達が一緒で、こちらはうんと小さな紙巻煙草を吸っている。」(「間違った形」191ページ)
また、所属教会も作品によって違うのかな?
「背の低い男を正式に御紹介すると、こちらはキャンバーウェルの聖フランシスコ・サビエル教会所属のJ・ブラウン師で」(「アポロンの目」282ページ)
教会名が、上の「間違った形」から変わっていますね。

その凡庸そうなブラウン神父から繰り出される鋭い洞察と推理、逆説的なロジックが醍醐味なのですが、ミステリとしてみた場合、これはすごい! と感嘆することもあれば、こちらの実感に合わずにそうかなぁ、と思うこともあり、その振れ幅も実は読んでいて楽しかったりもします。

たとえば、ブラウン神父デビューの「青い十字架」は、二人組の神父が繰り返す奇行が解き明かされるのですが、面白いことを考えるなぁ、とニヤリ。
「秘密の庭」も「透明人間」も「神の鉄槌」も「三つの凶器」も「折れた剣の招牌」も....と挙げだすときりがない、というよりこれ全編そうなのですが、ミステリ的に斬新(だった)アイデアで、鋭さにびっくり。これらの作品、ネタがわかってから読んでも(今回は新訳ではありますが、物語自体は何度目かわからないくらい読んでいます)やはりニヤニヤできます。
ブラウン神父のこと、大見得を切ることなくしずかに絵解きをするのですが、そこに至ると「待ってました!」と声をかけたくなるような興奮を覚えます。

一方で各種アンソロジーにも収録され世評高い(と思われる)「奇妙な足音」は何回読んでもすっきりしないんですよね。ブラウン神父の目の付け所には感心できるのですが、そこから真相に至るには飛躍が多すぎる気がします。
それでもそんな作品でも、
さよう。紳士になるのはまことに大変でしょう。しかし、わたしは時々考えるんです。給仕になるのも、同じくらい骨が折れるんじゃないかとね」(106ページ)
などというブラウン神父のセリフにはニヤリとできるんですよね。

ブラウン神父シリーズの、南條竹則さんと坂本あおいさんによる新訳は、次の「ブラウン神父の知恵」 (ちくま文庫)で止まっているようです。
ぜひ続けていただきたいです。



<蛇足1>
「彼の道楽の一つは、アメリカにシェイクスピアが現れるのを待つことだった──釣りよりも気長な趣味といえる」(45ページ)
イギリス人らしい言い方かとは思いますが、比較対象が「釣り」だと皮肉のレベルは低い??

<蛇足2>
「劇の始まりは、贈り物の日(ボクシング・デー)の午後からということになろう。」(109ページ)
贈り物の日には、「クリスマスの翌日に使用人などに祝儀を配る習慣がある」と注意がついています。
BOXING DAY はイギリスにいたとき祝日でした。(24日クリスマス・イヴは休みではありません)
BOXINGときいて、スポーツのボクシングを思い浮かべてしまって???でした。
BOXに動詞としての使い方があることをこれで知りました。日常生活で使うことはなかった気がしますが(笑)。

<蛇足3>
「彼はそう言うと、縁の奇妙な丸い帽子を脱いで、鋼の裏張りがしてあるのを見せた。ウィルフレッドはそれが日本か支那の軽い兜で、屋敷の古い広間にかかっている戦利品から剥ぎ取ってきたものであることに気づいた。」(「神の鉄槌」256ページ)
日本と中国では兜の形はずいぶん違うように思うのですが、そこはやはりFar East(極東)でいっしょくたなのでしょうね。
ところで、支那って漢字変換が出ないようになっているのですね......

<蛇足4>
「あのエレベーターがじつに滑らかに音も立てないで動くことも、知っての通りだ。」(「アポロンの目」305ページ)
当時にこんな音を立てないエレベーターがあったのでしょうか? 今の技術でも音は消せていませんよね。
ひょっとして(ハンドルをくるくる回して操作するような)手動式で、ゆっくりやれば音がしなかった、とかいう感じなのでしょうか?

<蛇足5>
「事務所を通り抜けてバルコニーへ出、雑踏する通りの前で安全に祈祷をしていたんだ。」(「アポロンの目」306ページ)
「雑踏」も動詞としての使い方があるのですね。

<蛇足6>
「ステイシー姉妹のような人達は決まって万年筆を使うが」(「アポロンの目」306ページ)
決まって万年筆を使う人たちって、どういう人なのでしょう??


原題:The Innocence fo Father Brown
著者:G. K. Chesterton
刊行:1911年(wikipediaによる)
訳者:南條竹則・坂本あおい




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