メアリー-ケイト [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
毒を盛ったから、あなた十時間後に死ぬわ──バーで飲んでいたジャックは、隣の席に座った美女の言葉に耳を疑った。さらに、解毒剤がほしければいうことをきけと言い、奇妙奇天烈な要求をしてくる。片時も離れず、女がトイレに行く時も一緒についてこいというのだ。やがてムラムラしたジャックは彼女に襲いかかってしまう。そんな馬鹿なことをしている間に悲劇は着々と進行し……予測不可能なタイムリミット・サスペンス。
空港のバーで隣に座ったブロンドの美女ケリーに
「毒を盛ったから、あなた十時間後に死ぬわ」
と言われてしまったジャック。
開巻早々のこの場面で、つかみはOK。
なんだそれ、という感じではありますが、もう一つ、SF的な発想の、これまたとんでもないアイデアが(一応伏せておきます)盛り込まれていまして、ぶっ飛んだ設定で、悲劇のジャックはもとよりこちらを振り回してくれます。
ひょっとしてAIDSにインスピレーションを受けたのかな? という感じも受けたのですが、原著が2006年ということなので、それはないですね。
このジャック視点に加えて、国土安全保障省の諜報組織CI−6に所属する工作員コワルスキーの視点でも物語が語られます。
こちらは、どうやらケリーを追えという指示を受けているよう。SF的設定の方と関連があるらしいことが想像できます。
このコワルスキーという人物、平気で殺人も犯すというか任務として殺人も行っているという設定でして、ジャックから見た時の敵か味方ががわからず、まさにサスペンス(宙づり)状態でものがたりが進んでいきます。
関係者が増え、謎が増え、物語の拡がりが感じられても、ジャックは窮地からなかなか抜け出せず、というか、いよいよ深みにはまっていく一方で、タイムリミット・サスペンスとしての緊迫感がすごい。
この物語はどうなってしまうのだろう、どこに着地するのだろう、と不安にもなるのですが、エンターテイメントとして見事なエンディングを迎えます。
ドゥエイン・スウィアジンスキーの作品はいくつか訳されているので、もっと読んでみたいですね。
<蛇足>
「六十から七十パウンドの体重の子供のための、組みこみ式のブースターシートがあった。」(63ページ)
チャイルドシートとは違う、ブースターシートというのがあるのですね。
重さの単位の Pound は日本語では普通ポンドと表記されると思いますが、ここでは発音に忠実にパウンドと書かれていますね。1ポンドは 453.592g らしいです。
アメリカも早くメートル法にしましょう!
原題:The Blonde
作者:Duane Swierczynski
刊行:2006年
翻訳:公手成幸
盤上に死を描く [日本の作家 あ行]
<カバー裏あらすじ>
71歳の老婆が自宅で殺された。片手に握っていたのは将棋の「歩」、ポケットに入っていたのは「銀」の駒。その後、名古屋市の老人が次々に殺害されるが、なぜか全ての現場には将棋の駒が残されていた。被害者の共通点も見いだせず行き詰まるなか、捜査一課の女性刑事・水科と佐田はある可能性に気がついて――。事件が描く驚愕の構図とは? 被害者たちの意外な繋がりとは? 衝撃のデビュー作!『このミステリーがすごい!』大賞第17回優秀賞受賞作。
2022年11月に読んだ7作目(8冊目)の本です。
井上ねこ「盤上に死を描く」 (宝島社文庫)
第17回『このミステリーがすごい! 』大賞の優秀賞受賞作
扱っているのはシリアルキラーで、そこに将棋が絡んできます。
絡むのは、将棋は将棋でも詰将棋。
本文中にも棋譜が出てきて雰囲気を盛り上げますね。
現場に残される将棋の駒、連続殺人の被害者たちをつなぐ糸は? という謎なのですが、104ページからの第二部で主役である刑事・水科が見抜く構図、それより前になんとなく(読者に)わかってしまう気がしますが、それはおそらくタイトルのせい。
『このミステリーがすごい! 』大賞応募時点のタイトルは「殺戮図式」だったそうで、それよりははるかに今のタイトルの方がいいタイトルだと思うのですが、若干ネタバレ気味のタイトルかもしれません。
しかし、このアイデアで実際に連続殺人を起こすとはすごい犯人だなぁと思いますが、同時にこのアイデアを作品に仕立てた作者にもびっくり。
史上最年長での受賞とのことで、それを反映してか、ちょっと乾いた落ち着いた文章がそれをカバーしているということでしょうか。
ちょっと個人的にはやりすぎ感があり、あくまで虚構を描くミステリとしてもちょっと踏み外しているという印象だったのですが、みなさまどう読まれますでしょうか?
主役となる女刑事水科とコンビをつとめる「中年女性相手のホストクラブにでもいるほうがよほど似合っている」(19ページ)佐田の二人の関係性が今一つピンと来なかったのは残念ですが、奇想といっていいアイデアを描き切った蛮勇は素晴らしいと思うので、ぜひ次作をお願いします。
<蛇足1>
「南区は犯人の庭であって、土地勘があり、被害者を選び出すためいんはここじゃないとダメということかもしれませんね」(94ページ)
言葉の意味からして、土地「勘」としやすいのですが、正しくは土地鑑だという指摘がありますね。佐野洋の推理日記で読んだのだったかな?
<蛇足2>
「正解手順は5四銀、5二玉、4三銀打、同衾、4一銀以下……4二成香迄の二十一手詰である。」(217ページ)
将棋はやらないので読み飛ばすところですが、同衾には笑ってしまいました。ありがちなミスプリントですね。
探偵はぼっちじゃない [日本の作家 た行]
<カバー裏あらすじ>
緑川光毅は中学3年生。受験のストレスから逃れようと家の周りをぶらついていると突然、同級生と名乗る不思議な少年に、一緒に推理小説を書こうと誘われる。一方、緑川が通う中学の新任教師・原口は、自殺サイトに自校の生徒と思わしき人物が出入りしていることを知る……。生徒と教師、それぞれの屈託多き日々が交わったときに明かされる真実とは。執筆当時15歳、新たなる才能が描く、瑞々しくも企みに満ちた青春ミステリ!
2022年11月に読んだ7冊目の本です。
第21回ボイルドエッグズ新人賞受賞作。
「探偵はぼっちじゃない」 (角川文庫)というタイトルから、赤川次郎の「名探偵はひとりぼっち」 (徳間文庫)を連想しましたが、全く関係ありません(笑)。
帯に「執筆当時中学3年生!」と書いてあります。15歳でこの作品を書き上げたのか、と驚きます。
教師のパート、中学生のパート、そして中学生が各作中作のパートと3つのパートがあるのですが、それぞれ堂々と書かれています。
教師のパートも相応にしっかりそれらしく書かれていて(ちょっと子供っぽいなとは思いましたが)、全国の教師のみなさん、がんばってくださいね、見る力のある生徒はしっかりと先生たちのことを見ていますよ、と言いたくなりますね。
文章もなだらかで読みやすかったです。
「何か大切なことに気づけた気がして、足取りは軽かった。」(251ページ)
いいではないですか。「気づき」と出てきたらうんざりしていたところですが。
導入部分が少々ながすぎるように思えたことに加え、ミステリとしてみた場合の仕掛けが特段取り立てて言うほどのことはなく、あまりにも関係者が少なすぎて作者の手の内が見透かされやすいのですが、作中作のさりげない手がかりとか、自殺サイト参加者の正体とか、センスが感じられました。
坪田侑也、次の作品が出ていないようですが、これだけの作品を作り上げる才能があるので、ぜひ次作を。
タグ:ボイルドエッグズ新人賞 坪田侑也
ドライブ [日本の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
何者かに拉致された犬塚拓磨はワゴン車の中で目を覚ます。車内には互いに見知らぬ5人。放置されたタブレット型PCのモニターでは、仮面をつけた謎の人物〈夢鵺(ゆめぬえ)〉が語り出す。解放される条件は定められたルートを走行し、制限時間内に最終目的地へ辿り着くこと。脱出不可能な死のロング・ドライブはやがて、殺戮の渦へと加速してゆく。6人に秘められた意外な接点が明らかになる時、狂おしい情念が迸るノンストップ・スリラー。
2022年11月に読んだ5作目の本です。
黒田研二は、マンガやゲームのお仕事が多く、小説のお仕事が減ってきている印象です。
その意味で貴重な小説の新作ということで、2014年4月奥付のこの文庫本が出たときにはあまり聞きなれない版元でしたがすぐに購入しました。
積読にして早や幾年、この本、改題して新装版が2022年2月に出ました。
題して「ワゴンに乗ったら、みんな死にました。 」(TO文庫)
改題新装版の書影も掲げておきます。
上に引用したあらすじをご覧になるとわかるかと思いますが、わりとよくあるパターンの話です。
こういう映画一時期多かったですよね。
オープニングから中盤にかけて、想定通りの、こういう物語の典型的な展開で進んでいきます。
次はだれが殺されるのか、果たして仕掛けた犯人はどういう人物で誰なのか?
このまま最後まで突っ切ってしまうというのもアリだとは思いますが、そこは黒田研二ですから、ひねりがあるのだろうと予想。
そして黒田研二ならこういう展開になるよね、という想定通りに進みます。
その意味では不満を抱いてもいいのかもしれませんが、こういう方向性は好きなので不満は感じませんでした。
また新作を書いてほしいです。
最後まで読んでちょっと気になったのは、視点人物である主人公犬塚琢磨の設定。
逆恨み、であってもよいのだとは思いますが、彼に対しては逆恨み以外の何物でもなく、設定に少々難ありかな、と。
タグ:黒田研二
蘇えるスナイパー [海外の作家 は行]
<カバー裏あらすじ>
4件の狙撃事件が発生した。まずニューヨーク郊外で映画女優が心臓を射抜かれて即死。続いてシカゴの住宅街で大学教授夫妻が頭部を撃たれ死亡。クリ―ヴランドでコメディアンが口を射抜かれて絶命する。使用ライフル弾はどれも同種と判明し、捜査線上にヴェトナム戦争の最優秀狙撃手が浮上するが、彼もまたライフル銃での自殺と推定される状況で発見される。事件は落着かに見えたが、FBI特捜班主任ニック・メンフィスはこれに納得せず、親友のボブ・リー・スワガーに現場検証を依頼した! <上巻>
ニューヨーク・タイムズを初め各メディアは連続狙撃犯の正体は自殺したヴェトナム戦争の名狙撃手だと報道したが、ボブは敢然と異を唱える。最大の理由は異常なまでに正確な狙撃精度だった。被疑者が持っていた旧式のスコープで、ここまでの精密射撃は不可能だった。それを可能にするのは超小型コンピュータ内蔵のハイテク・スコープ〈iSniper〉だけ……。ボブはその製造販売会社の実地講習会に潜入することを決意する。スナイパーの精髄を描破したシリーズ空前の傑作。<下巻>
2022年11月に読んだ4作目(4冊目と5冊目)の本です。
久しぶりに読むスティーヴン・ハンターのスワガー・サーガ。
前作「黄昏の狙撃手」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー) を読んだのが2013年7月ですから、ほぼ9年ぶりですね。
ふたたびシリーズのリストを。
01. 「極大射程」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
02. 「ダーティホワイトボーイズ」 (扶桑社ミステリー)
03. 「ブラックライト」〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
04. 「狩りのとき」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
05. 「悪徳の都」〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
06. 「最も危険な場所」〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
07. 「ハバナの男たち」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
08. 「四十七人目の男」〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
09. 「黄昏の狙撃手」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
10.「蘇えるスナイパー」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
11.「デッド・ゼロ 一撃必殺」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
12. 「ソフト・ターゲット」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
13. 「第三の銃弾」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
14. 「スナイパーの誇り」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
15. 「Gマン 宿命の銃弾」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
16. 「狙撃手のゲーム」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
17. 「囚われのスナイパー」 〈上〉 〈下〉 (扶桑社ミステリー)
シリーズ途中で翻訳が途絶えてしまうシリーズがいろいろとある中で、しっかりと邦訳が続いているのが素晴らしい。
いずれも、冒険小説の王道というか、堂々たる巨編ぞろい。小細工なく、一本調子の作品群です。
今回はライフルを使った連続殺人事件に我らがボブ・スワガーが巻き込まれ、冤罪を負わされたスナイパーの名誉回復を図ろうとする、というストーリーラインです。
事件の真犯人について早々にボブが見当をつけるという展開になっていまして、ミステリとしてみた場合は決め手不足(どころか手がかりがまったくない)であまりにも直感的、独断的なので減点要素となりかねないところですが、この作品の場合はむしろ長所で、強大な敵にいかに立ち向かっていくか、という目標を早々に定めることで安定した物語づくりに役立っています。
ストーリーとしては、もっぱら標的となるのはボブではなく、ボブの友人(と言ってよいと思います)である FBI のニックで、政治の街ワシントンで狙いすまされた攻撃に手を焼きます。
ボブは、ニックの依頼を受けて事件に巻き込まれるのですが、途中彼自らの人的魅力で人々をひきつけながら、真相に迫っていきます。
そして、いよいよスナイパー対決。
方や最新機能を搭載した〈iSniper〉を付けたライフル、方や旧式の(と言ってはいけないのかもしれませんが)従来型のスコープを付けたライフル。
不利な状況をどうやって切り抜けるのか、ボブのことだから切り抜けるに決まっているのですが、ドキドキします。
ボブは相手に
「おまえは裸になる。すっぽんぽんの丸裸に。ナイフや四五口径をどこにも隠し持てないようにだ」(下巻260ページ)
「単独で、丸腰で、丸裸で来い」(下巻261ページ)
と指示する状況に持ち込めますが、敵の仲間が待ち伏せしているに違いない。
まさに神業と呼びたくなるような手を打つのですが、それが後に下巻367ページあたりでさらっと明かされるのにちょっと感動してしまいました。
さらっと明かされるといえば、ニックの方が窮地を脱するエピソードもそうで、こちらはうまく作られているものの、どうしてそうなったのかがわからないまま物語が進むのですが、この点は下巻397ページから説明が試みられます。これがまたいいんですよね。
もう一つ感銘を受けたのは、ボブの奥様。
途中で負けを認め家に帰ろうとし電話したボブに対してかける言葉が素晴らしい。
「あなたをとても愛しているし、ずっといっしょにいてほしいけど、あなたは嘘をついている。自分自身に嘘をついているわ。声の響きにそれが聞き取れるし、あなたの納得がいくような解決をしなかったら、このあと、どんなに平和な暮らしを願ったとしても、そのよろこびは得られないでしょう。」(下巻62ページ)
「あなたはわたしたちを愛してくれている。それはたしかなことだけど、戦争こそがあなたの人生、それがあなたの運命、あなたのアイデンティティなの。だから、わたしのアドヴァイスは、こうよ。戦争に勝って。それから、帰ってきて。もしかすると、あなたは殺されてしまうかもしれない。それはつらいことだし、悲嘆して、娘たちといっしょに何年も泣き暮らすことになるでしょう。でも、それが戦士の道だし、わたしたちは戦士の最後の生き残りを愛した呪いを受けるしかないの」(同)
まあ、ボブに都合のいいセリフといえばそうですが、軍人の妻の矜持が感じられます。
原題の I, Sniper は、私はスナイパー、ということであり、キーとなる機器〈iSniper〉をかけたものですが、どうしても、アシモフの「われはロボット」(I, Robot)を思い出しますね。
特段意識されているものとは思えませんが、ロボットとはなにか、ロボットであるとはどういうことかを掘り進んでいった「われはロボット」同様、この「蘇えるスナイパー」もスナイパーとはなにか、スナイパーであるとはどういうことかを掘り進んでいるようにも思え、興味深く感じました。
<蛇足1>
「まったくもって美しい、きわめつけに美しい、文句なく美しい」(上巻9ページ)
きわめつけ、という語が使われています。本来は「きわめつき」が正しいと聞いたことがあります。
<蛇足2>
「とはいっても、おれにとってもお楽しみといえば、サッカーでヘディングを決めたり、ときどきデカパイ女を追っかけたり、寝転がってアガサ・クリスティの本を読んだりすることだ。」(上巻207ページ)
ライフル射撃の教官のセリフです。こんなところにまでアガサ・クリスティが出てくるのがうれしいですね。
<蛇足3>
「だが、リーンクインジーンのダイエット食を電子レンジで温めて、かきまわすだけの食事にはいいかげんうんざりだった。マカロニもチーズも、もう食べたくない!」(下巻111ページ)
「マカロニもチーズも」と書かれていますが、原文はおそらく macaroni and cheese (あるいはmacaroni & cheese)で、「マッカンチーズ(あるいはマッケンチーズ)」と呼んで親しまれている料理名なのではないかと思います。
原題:I, Sniper
作者:Stephen Hunter
刊行:2009年
訳者:公手成幸
プリンセス刑事 [日本の作家 喜多喜久]
<カバー裏あらすじ>
女王統治下にある日本。現女王の姪で、王位継承権第五位の王女・白桜院日奈子が選んだ職業は、なんと刑事だった!? 「ヴァンパイア」と呼ばれる殺人鬼による連続殺人事件の捜査本部に配属された日奈子と、彼女のパートナーに選ばれた若手刑事の芦原直斗は、果たして凶悪な犯人を逮捕することができるのか──?
2022年11月に読んだ3冊目の本です。
カバー裏のあらすじを読んで感じていたことではあるのですが、読んでみるとこれは、似鳥鶏の戦力外捜査官 姫デカ(第1作の感想ページはこちら)と相似形です。
主要な視点人物である芦原直斗の扱いも、ほぼほぼ戦力外捜査官を踏襲した感じです。
あちらと比べると、こちらは王族(!)ということですから、守らなければならない度はアップしているものの(当然ながら専属のボディガードもいます)、無敵度も大幅アップ。
ミステリとしては安易な方向に進んでいるとも思えますが、同時に物語の駆動力はあがるのかもしれません(だって王族の権威とか特権を活用できるのですから)。
ただ、戦力外捜査官シリーズと比較して大きな違いは、ユーモアでしょうか。
戦力外捜査官シリーズはユーモアミステリとして優れていますが、この「プリンセス刑事」 (文春文庫)は、喜多喜久のこと軽妙には描かれていますが、ユーモアをほとんど感じさせず、極めて真面目に真面目につづられています。
この設定を真面目に扱うというのは、なかなかの冒険かもしれません。
事件は猟奇殺人のシリアルキラー。
この事件の構図が平凡なのが残念ですね。
読者は相当早い段階で真犯人の見当がついてしまうはずです。
容疑者の雑多な個人情報を入力し、電子空間上に再現構築した架空の人格を用いてシミュレーションして犯人を追い詰める、などという大仰なアイデアが盛り込まれていますが、これ現実に研究されているのでしょうか?
264ページあたりから描かれる推論には正直まったく感心しませんでした。
これなら昔ながらの刑事のカンの方が頼りになりそう......
シリーズ化されていまして、
「プリンセス刑事 生前退位と姫の恋」 (文春文庫)
「プリンセス刑事 弱き者たちの反逆と姫の決意」 (文春文庫)
と今のところ第3作まで出ています。
王族という設定を導入したことで、無理筋な、あるいは斬新な捜査方法をとることができるようにも思えますので、そういう方向でシリーズが展開されるとおもしろいかもしれませんね。
シリーズということで注目は、白桜院日奈子のお兄さま、白桜院光紀(みつき)でしょうか。
「王族の家に生まれた男子はね、誰からも歓迎されない存在なんだ。王位継承権はないのに、女王や姫の血を引いてるから無下にはできない。はっきり言えば、無駄飯食いの厄介者さ。式典の参列や来賓の出迎え、外遊なんかの国事行為は姫の役目だと決まっているしね。だから、ボクたちは『王子』や『プリンス』と呼んでもらえない。無価値であることがボクたちのアイデンティティーなんだよ」(291ページ)
とうそぶいたりもしますが、立場上? 立場を活かして、結構いいところをかっさらっていきます。
シリーズ次作でも活躍してほしいですね。
<蛇足>
「それは人生で初めて味わう、新鮮な気づきと感動だった。」(31ページ)
もはや「気づき」という語を気持ち悪いと言いたてたところでまったく無駄な抵抗といえるほど、この表現は蔓延ってしまっていますが、この無神経で醜悪な表現が出てくる前は、こういう時どう書いていたのでしょうね? おそらく ”発見” くらいを使っていたのでしょうね。
アレン警部登場 [海外の作家 ら行]
<カバー袖あらすじ>
パーティの余興だったはずの「殺人ゲーム」。
死体役の男は、本当の死体となって一同の前に姿を現わす!
謎を解くのは、一見警察官らしからぬアレン主任警部。
犯人は誰だ!? ── 黄金時代の四大女性作家のひとり、ナイオ・マーシュのデビュー作、遂に邦訳登場。
2022年11月に読んだ2冊目の本です。
単行本で、論争海外ミステリ18。
ナイオ・マーシュのデビュー作。
ナイオ・マーシュの作品はこれまで何作か読んだことがありますが、あまり印象に残っていません。
この「アレン警部登場」 (論創海外ミステリ)を読んでも、その印象は変わらずで、おそらくすぐに忘れてしまうことでしょう。
非常にしっかり作られているなとは思うのですが、いい意味でも悪い意味でも際立ったところがなく、おそらくアレン警部とナイジェル・バスゲイトのキャラクターは作を重ねることで深まっていくのでしょうが、この作品ではまだまだ緒に就いたばかりという印象です。
典型的なお屋敷ものの舞台設定に、ロシア人秘密組織が絡むという異色の展開を見せますが、本格ミステリとしては少々上滑り感があります。
お屋敷で行われる殺人ゲームで実際の殺人が起こる、というストーリーです。
殺人ゲームというのはイギリスの本格ミステリでときどき見かけるゲームですが、おもしろいのでしょうか?
ゲームのやり方を紹介しているところを読んでも、あまりおもしろそうにはならないように思えるのですが......
個人的には、犯行シーンが分かりにくかったのがちょっと残念でした。
「それに最近の小説にでてくる刑事は、あまりにも庶民的でなんだかウソくさいし。それに比べてあのアレンという警部は、堂々とした風采といい、洗練された話し方といい、エドワード七世時代風だわ。あの貴族的な調子で追及されるのは、むしろ光栄なくらい。」(149ページ)
と評されるアレン警部は、もっとつきあってみたいかもと思わせるものがありますので、ほかの作品も読んでみたいと思います。
(既読分はすっかり忘れちゃっているので、再読してもよいかも、ですが)
原題:A Man Lay Dead
著者:Ngaio Marsh
刊行:1934年
訳者:岩佐薫子
夜のエレベーター [海外の作家 た行]
<カバー裏あらすじ>
「ぼく」は6年ぶりにパリへ帰ってきた。ともに暮らしていたママが死んでしまい、からっぽのアパートは孤独を深めるだけだった。だが今日はクリスマス・イヴ。にぎわう街の憧れの店へ食事に入ると、小さな娘を連れた美しい女性に出会う。かつて愛した運命の人に似た、若い母親に……彼女が思いもかけないドラマへと「ぼく」を導いていく! 「戦後フランス・ミステリー界最高の人気作家」と称されるフレデリック・ダールが贈る、まさに予測不能、謎と驚きに満ちた名品。
2022年11月に読んだ最初の本です。
さらっと読める小粋で小洒落たフレンチ・ミステリです。
クリスマスイヴと言う設定で、登場人物がしきりにレヴェイヨンを気にしています。
クリスマス・イヴの深夜にとる祝いの食事のことらしいですが、知りませんでした。フランスでは一般的なのでしょうね。
主人公が出会うドラヴェ夫人も、ほかならぬ主人公自身も何やら謎めいた部分があり、そこも気になってクイクイ読み進みます。
ドラヴェ夫人の家に二人が戻った時に見つけたあるもの(言ってしまっても差し支えないと思いますが、念のため伏せておきます)を軸に物語は急展開。
ミステリを読み慣れている方なら物語の行きつく先の見当がこのあたりで十分ついてしまうと思います。
そこへ新たな人物が登場することで、その読みが裏付けられます。
それでも主人公を覆う不安に感化されて、先がとても気になります。
ラストの方で現れるある小道具の使い方が、常套的といえば常套的なのですが、とても鮮やかな印象を受けました。
本訳書は訳者の長島氏が生前出版の予定もないまま自主的に訳したものが発掘されたものだそうです。
生前に出版が決まっていれば、きっと推敲を重ねられたでしょうが、お亡くなりになっているためそれが果たせなかったのでしょうね。
訳文が非常にぎこちないものになってしまっていて、翻訳ものにかなり慣れた読者でないと読み進めるのがつらいかもしれません。
作者のフレデリック・ダールの作品はずっと読みたいと思っていて、何冊か訳されたことがあるのですがすべて絶版。
こうやって読めて本当によかったです。
しかも、おもしろかったですし。
復刊もしてほしいし、もっともっと訳してほしいですね。
原題:Le Monte-Charge
作者:Frederic Dard
刊行:1961年
訳者:長島良三
タグ:フレデリック・ダール
アンダーリポート [日本の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
単調な毎日を過ごしていた検察事務官・古堀徹のもとに突然・かつての隣人の娘・村里ちあきが現れた。彼女の父親は15年前に何者かによって殺され、死体の第一発見者だった古堀に事件のことを訊ねにきたのだ。古堀はちあきとの再会をきっかけに、この未解決の事件を調べ始める。古い記憶をひとつずつ辿るようにして、ついに行き着いた真相とは――。秘められた過去をめぐる衝撃の物語。
2022年10月に読んだ最後の本です。6冊。
佐藤正午はミステリ作家ではないのですが、ジャンル的に隣接するような小説を書かれていまして、何作か読んでいます。
あらすじではなだらかに書かれていますが、この小説の叙述の順番は少々異なります。
冒頭の第一章「旗の台」で主人公はカフェを訪れ、そこの女主人と過去をめぐって会話を交わします。
この第一章の最後の不穏です。
「彼女に視線をとらえられたまま、それをひといきに飲む。自ら殺人を認めた女に、十五年前、人ひとり撲殺した女に、自分よりもずっと背の高いひとりの男を金属バットで殴り殺した女に、目を見つめられたまま」
というのですから。
そして第二章「大森海岸」では、主人公が想像する十五年前の光景が描かれます。若い母娘と若い女性が遭遇するシーン。
第三章があらすじにも書かれている、元隣人の娘が主人公のもとを訪れるシーン。
いったいどういう物語が展開されるのだろう、と想像するのがいつも佐藤正午の小説を読む楽しみなのですが、この作品はいわゆる「真相」の見当が簡単についてしまいます。
第一章、第二章の書き方、配置からして、読者に「真相」の見当をつきやすくしたのも、作者の手の内のはずです。
最終的に時効が成立する事件が起こったことは明らかで、その「真相」へ向けて主人公はゆっくりと過去を回想していきます。
読者もそれとともに当時の状況、事件を追体験します。
この手法、ミステリでいうとルース・レンデルの「ロウフィールド館の惨劇」 (角川文庫)を連想しました。
連想しましたが、違いが結構あります(当たり前ですが)。
なにより、事件や登場人物に対する作者のまなざしが違いますね。
佐藤正午のまなざしには、レンデルのような意地の悪さは感じられません。
といって、温かい目を注いでいるというわけでもない。
実は語り手である主人公に共感できなかったんですよね。
一つには、この小説が何人かの女性を軸にした物語であるということが影響しているでしょう。
そして重要なのは、作者のまなざしの正体を未だに見抜けていないことにあると感じています。
ぼくにとっては、何年か後に読み返してみる必要がある小説なのかもしれません。
最後に、この小説、手に取った集英社文庫版は品切れ状態で、今は小学館文庫で手に入るようです。
こちらには後日譚の短編「ブルー」も収録されているようで、こちらも読んでみる必要があるのでしょうか。
タグ:佐藤正午
トリックスターズL [日本の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
不可思議な読後感にどっぷりとつかる!
名門城翠大学に着任した風変わりな青年教授。佐杏冴奈――彼の担当教科は普通ではない。西洋文化史の異端の系譜「魔学」である。そして、不本意ながら先生の助手に収まったぼく。推理小説を象った魔術師の物語、待望の第2弾が登場。
王道の「嵐の山荘」もこの二人にかかれば、一筋縄ではいかない。摩訶不思議な怪事件は現実と虚構が入り混じり、予想だにしない展開へ!
あっと驚く結末は、もう一度読み直したくなること必至。極上エンターテインメント!
2022年10月に読んだ5冊目の本です。
久住四季の「トリックスターズ」 (メディアワークス文庫)(感想ページはこちら)に続くシリーズ第2作。
今手元にある本で引用したカバー裏あらすじのところ、佐杏冴奈(さきょうしいな)が佐京冴奈になってしまっていました。主要人物の名前を間違えるって、なかなか大胆なミスです(笑)。
前作に引き続き魔術師のいる世界が舞台です。
魔術師が出てくる世界というのも深まっていまして、
「魔学という学問は、よく音楽に例えて語られる。『魔学は音楽である』という言葉もあるほどで、実は両者の学問体系は非常に似通っている。」
「そして『魔術』とは、つまり音楽の『曲』に当たる。
『曲』は作曲者が作り、実際に演奏者が演奏して、初めて完成される。
『魔術』も魔学者が作り、魔術師が演術して、初めて完成される」(113ページ)
というところなど、実におもしろい。
プロローグと書いてはありませんが、プロローグにあたる事件を振り返る冒頭で、この
「トリックスターズL 」(メディアワークス文庫)がミステリを非常に意識した作品であることが示されます。
本文中でも
「推理小説とは、すなわち『フーダニット』『ホワイダニット』『ハウダニット』の三要素を醍醐味とし、それに論理的解決を用意した小説、とするのが、まあそこそこ一般的な解釈なのだそうだ」(155ページ)
と解説?されています。
扱う事件は、”嵐の山荘”で起こる密室殺人。
いいではないですか!
主人公であるぼく天乃原周が、被疑者全員を集めて推理を披露するシーンもあります。
「”嵐の山荘”で登場人物全員を集合させる理由は一つ。解決偏を始める場合だけです」(247ページ)
って、カッコいい。
ミステリとして重層的な構造になっているのも素晴らしいのですが、なにより感心したのは、前作をしっかりと踏襲しつつ、前作と対になるミステリ世界を構築していることです。
この内容を言ってしまうとすなわちネタバレになるので感想として書けないのですが、ミステリとしての構造が対になっている点は、この作品の大きな長所として声を大に!
冒頭の
「今回の事件も、やはりどうしようもないほどに魔術師たち(トリックスターズ)の物語だったのだ」(11ページ)
と書かれている通りです。
「……魔術師は魔術を使っても、満足に空も飛べません。けれど、科学が造った鉄の鳥は大勢の人間を乗せてあんなに自由に空を飛ぶことができる。魔術師であることなど、きっとその程度のことなんだとわたしは思います。」(307ページ)
ラストで登場人物の一人がいうこのセリフが、魔術師たち(トリックスターズ)の物語であることを象徴しているのでしょう。
続きも読んでいきます!
<蛇足1>
ミステリを意識した記述の中に、
「ぼくもミステリなどホームズぐらいしかまともに読んだことがない初心者だったので、彼女の解説はなかなかおもしろかったのを覚えている(ホームズはあくまで探偵小説であるとのことだったが、何が違うのかぼくにはよくわからなかった)。」(156ページ)
というのがありました。
探偵小説とミステリをどう区別するのか作中で示されていないので想像するしかないですが、ホームズを取り上げて述べているということは、「探偵」を文字通り探偵と解して「探偵が出てくる」「探偵に焦点を当てた」作品を「探偵小説」と分類しているのでしょうか?
興味深いですね。
<蛇足2>
タイトルの「トリックスターズ」とは魔術師たちのことを指しています――とさらっと前作「トリックスターズ」 (メディアワークス文庫)の感想で書いたのですが、文庫本の扉のところに
「詐欺師、手品師、魔術師など『人をだます者』というニュアンスの意味を持つ語。」
ときちんと説明されていました。
トリックスターズL (メディアワークス文庫)