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映画:デューン 砂の惑星PART2 [映画]

デューン 砂の惑星PART2.jpg


映画「デューン 砂の惑星PART2」の感想です。
前作「DUNE/デューン 砂の惑星」の感想を書いていなかったことに今さらながら気づきました。

いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
『メッセージ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴが監督、『君の名前で僕を呼んで』などのティモシー・シャラメが主演を務め、フランク・ハーバードの小説を映画化したSFの第2弾。宇宙帝国の統治者である皇帝に命を狙われる主人公が、惑星デューンの砂漠に暮らす先住民フレメンの女性らと共に反撃を開始する。ゼンデイヤ、レベッカ・ファーガソンなど前作の出演者のほか、オースティン・バトラー、フローレンス・ピュー、レア・セドゥなどが共演に加わる。

---- あらすじ ----
その惑星を支配する者が、全宇宙を制すると言われる砂の惑星デューン。宇宙帝国を統べる皇帝とハルコンネン家に命を狙われるポール(ティモシー・シャラメ)は、先住民フレメンのチャニ(ゼンデイヤ)と共に数奇な運命に翻弄(ほんろう)されながらも、皇帝とハルコンネン家への反撃に立ち上がる。


前作で父(家長)を殺されて井下ている主人公ポールと母が、砂漠の民フレメンと立ち上がる物語。
一行でいうとこういう話です。

前作「DUNE/デューン 砂の惑星」を観てからわりと時間が経っていますが、予習せずに観ました。
それでも幸いなことに、すぐに物語の大枠は思い出せました──まあ、単純ですから(少なくともここまでは)。

166分という長い映画ですが(映画館の区切りだと予告編や広告も含めてになるので3時間でした)、矢継ぎ早にいろんなエピソードが盛り込まれ、次から次へと。
あまりにも展開が早く思えたので、ひょっとしてシリーズ完結かな、と途中で誤解してしまったくらい。
盛りだくさんかつスピーディーな展開なので、まったく退屈せずに観終わりました──物語の緩急のつけ方はあまり好みではなかったんですけどね。

ポール側の視点に比べると、敵対勢力となる皇帝サイドの場面はそれなりに時間はとってあるものの、語られる内容自体はつまみ食い気味で超駆け足。
ポールとチャニの、ボーイ・ミーツ・ガール物語もさらっと(相応に時間も取られているのですが、全体の配分と物語量の多さから、そう感じてしまうのです)。
物語としてのバランスは悪いように思いましたが、そのぶん、映像の迫力で補う、というところでしょうか。

この種の物語は、壮大であっても、ストーリーの基本は単純なものの方がよいような気がしていますので、この映画シリーズは王道なのでしょう。
しっかりした原作のおかげかも──といいつつ未読ですが。

それにしても、砂漠がとても、とても美しい。
人間にとって厳しい環境というのは美しいのですね。

続編が必ず作られると思います。絶対観たいですね。


製作年:2023年
製作国:アメリカ
原 題:DUNE: PART TWO
監 督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
時 間:166分

<2024.4.3>
ポスターの画像を追加しました。

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映画:落下の解剖学 [映画]

落下の解剖学 1.jpg

映画「落下の解剖学」の感想です。

いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したサスペンス。夫が不審な転落死を遂げ、彼を殺害した容疑で法廷に立たされた妻の言葉が、夫婦の秘密やうそを浮かび上がらせる。メガホンを取るのは『ヴィクトリア』などのジュスティーヌ・トリエ。『愛欲のセラピー』でもトリエ監督と組んだザンドラ・ヒュラー、『あなたが欲しいのはわたしだけ』などのスワン・アルローのほか、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツらが出演する。

---- あらすじ ----
ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、夫と視覚障害のある11歳の息子(ミロ・マシャド・グラネール)と人里離れた雪山の山荘で過ごしていたが、あるとき息子の悲鳴を聞く。血を流して倒れる夫と取り乱す息子を発見したサンドラは救助を要請するが、夫は死亡。ところが唯一現場にいたことや、前日に夫とけんかをしていたことなどから、サンドラは夫殺害の容疑で法廷に立たされることとなり、証人として息子が召喚される。


話題の映画ですが、どうやら鑑賞の仕方を間違えてしまったようです。
事前にあらすじ的なものを読み、

夫が転落死。
現場となった自宅にいたのは妻サンドラ。
愛犬と散歩に出ていた子供ダニエルが発見する。
夫婦仲がよくなかったと推定され、サンドラが殺人犯として裁判に。

こういうストーリー展開なのでミステリー映画かな、と思って観てしまいました。
この映画、謎はあってもいわゆるミステリー映画ではありませんでしたね。

まずこの裁判のあり方に驚愕。
証拠らしい証拠がほぼないのに、サンドラを犯人と決めつけて裁判にかけ、裁判中の検察の主張も物証なくイメージのみ。サンドラの書いた小説まであたかも証拠であるかのように取り上げ、裁判中に読み上げる始末。

これ、映画だからでたらめな裁判を描いたのでしょうか?
それともフランスではこういう裁判が一般的なのでしょうか?
推定無罪、疑わしきは被告人の利益に、と言う法理もなさそうです。
裁判の進め方も極めて異常なものと映りました。証人尋問のさなかに、不意に被告に質問を投げかけたり、異議申し立て以外にも弁護士や検察官が簡単に口をはさんだり。

こんな裁判ですから、俳優さんたちの名演とあいまって、サンドラが無罪となるか有罪となるか、とてもドキドキ、ハラハラできます。
映画に引き込まれた、と言ってもよいでしょう──でも、こういう引き込まれ方は......(苦笑)。

裁判の途中でサンドラの夫婦のあり方や息子ダニエルとのかかわり方がどんどん明らかにされていき、そこが映画としてもっとも重要なパートであるので、裁判シーンがないと困るのですが、もうちょっと裁判の中身はなんとかならなかったものか。

裁判の行方を決定づけるのは、あらすじにもある通り息子ダニエルの証言なのですが、これまた証拠となるものというよりは、ダニエルから見た印象論で、最後までびっくり。

こんな状況で有罪を宣告されたら、たまったものではないなぁ。

明らかに、ミステリー映画として観たのがいけないのだ、とわかります。
ミステリー映画ではない、として考えると、このダニエルの証言の重みの印象が一層強くなります。
裁判によるサンドラの有罪・無罪を左右するのですから、重要な証言であることは変わりないのですが、この証言に至るにダニエルの下す決断は、果たしてサンドラがやったのかどうかとは別に、これまで語られてきていた家族のありかたと、裁判で急にそれをあかされて困惑せざるを得ないダニエルの心情に大きく影響を受けるもので、重い、重い決断です。

実際にサンドラが殺したのかどうか、はっきりしないまま結末を迎えるのですが、個人的には最後の犬のシーンを見て犬を信じてみようか、というところです。
いろんなかたの感想を見てみたいですね。



製作年:2023年
製作国:フランス
原 題:ANATOMY OF A FALL
監 督:ジュスティーヌ・トリエ
時 間:152分


<2024.3.30 ポスターの画像を追加しました>



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映画:Firebird ファイアバード [映画]

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映画「Firebird ファイアバード」の感想です。

いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
俳優のセルゲイ・フェティソフの回想録をモチーフに描く人間ドラマ。ソ連の支配下にあった1970年代のエストニアを舞台に、当時はタブーだった男性同士の恋愛を描く。監督などを務めるのはペーテル・レバネ。トム・プライヤー、オレグ・ザゴロドニーのほか、『ミスティック・フェイス』などのディアーナ・ポジャールスカヤらが出演する。

---- あらすじ ----
1970年代後半、ソ連占領下のエストニア。モスクワで役者になることを夢見る二等兵のセルゲイ(トム・プライヤー)は、間もなく兵役を終えようとしていた。そんな折、彼と同じ基地に将校のロマン(オレグ・ザゴロドニー)が配属され、写真という共通の趣味を通して親しくなった二人の友情は、やがて愛へと変わる。しかし当時のソ連では同性愛は固く禁じられており、関係が発覚すれば厳しい処罰が待っていた。


2011年ベルリン国際映画祭で、本作品の主人公であるセルゲイ自身から『ロマンについての物語』と題された本を渡された監督が、主演かつ脚本のトム・プライヤーとともに作り上げた、という本映画成立のエピソード自体が映画みたいです。

上のあらすじは少々短すぎるので、映画のHPからあらすじを引用します。

「ブロークバック・マウンテン」「アナザー・カントリー」に続く名作の誕生 ─
あなたの感情を知ってしまったから...
世界が感動したピュアな愛の物語。
​1970年代後期、ソ連占領下のエストニア。モスクワで役者になることを夢見る若き二等兵セルゲイ(トム・プライヤー)は、間もなく兵役を終える日を迎えようとしていた。そんなある日、パイロット将校のロマン(オレグ・ザゴロドニー)が、セルゲイと同じ基地に配属されてくる。セルゲイは、ロマンの毅然としていて謎めいた雰囲気に一瞬で心奪われる。ロマンも、セルゲイと目が合ったその瞬間から、体に閃光が走るのを感じていた。写真という共通の趣味を持つ二人の友情が、愛へと変わるのに多くの時間を必要としなかった。しかし当時のソビエトでは同性愛はタブーで、発覚すれば厳罰に処された。一方、同僚の女性将校ルイーザ(ダイアナ・ポザルスカヤ)もまた、ロマンに思いを寄せていた。そんな折、セルゲイとロマンの関係を怪しむクズネツォフ大佐は、二人の身辺調査を始めるのだった。


LGBTをテーマにした映画というと、周りに秘めた恋というのが定番で、さらに時代・場所のせいで違法だった、というのも多いですね。
この「Firebird ファイアバード」もそうで、舞台がソ連でKGBにも狙われている、というのがより大きな障壁として立ちふさがります。
(映画のHPのあらすじ中のクズネツォフ大佐というのは、二人の味方というのは言い過ぎとしても、中立的な立場だったかと思います。ここはKGBのズベレフ少佐ではなかろうかと。位が上の大佐が少佐を抑え込むシーンもありますし)

こういう、画面から伝わってくるわかりやすいストーリー展開を追うだけでも十分楽します。
セルゲイとロマンの二人が結ばれていく様子も、ロマンに導かれて演劇の世界へとセルゲイが身を投じていく流れも、二人きりで楽しむ時間も、複雑な関係となってしまうルイーザとのやりとりも、KGBに追いつめられそうになる緊迫感も。

なんですが、この映画の場合、こういう(明らかに)語られたこと以外の、語られなかった部分がとても気になりました。
たとえば、KGBのズベレフ少佐(上のあらすじではクズネツォフ大佐となっていますが、上述の通りズベレフ少佐かと思います)。ロマンをつけ狙い脅したりする人物なのですが、結婚式のシーンとかもっと複雑なスタンスを取っていたように思わせる一方、エンドロールで思わせぶりに登場して、ひょっとしてアフガンのエピソードはこいつの差し金か? やっぱりピュアな敵役だったのか、と惑わせてくれます。

ズベレフ少佐とは逆の立場で、クズネツォフ大佐の立ち位置もそうですね。
ズベレフ少佐の追及をいさめて見せる早い段階のシーンが特徴的。
結婚式のシーンで、セルゲイに対して、セルゲイ、ロマン、ルイーザの関係性をどう見ていたかを伝えてくるシーンはとても印象的でした。
ロマンをかばいだてしたのは戦績著しいロマンを確保しておきたいということはあったでしょう、でもそれだけではないのでは?と思わせてくれます。

あるいは二人の関係を匿名の手紙で告発した人物。
不安の種を残しつつ、ストーリーからはあっさり退場。
かえってその後が気になります。

また大きなポイントとなるルイーザとの関係性も、(こちらが鈍いだけかもしれませんが)語られていないというべきかもしれません。
象徴的なのはルイーザとセルゲイが話す最後のシーン。
クズネツォフ大佐の指摘ともあいまって、最後にルイーザが言わずに飲み込んだ台詞、とても気になります。

気になるといえば、タイトル「Firebird ファイアバード」も気になります。
映画中、ストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」を見るシーンがあり、これはセルゲイが演劇へ進むきっかけとなるとても重要なシーンです。観ているセルゲイの表情には引き込まれるようでした。
ここから取っていることは明らかなのですが、「火の鳥」の物語とこの「Firebird ファイアバード」の物語の重なり具合がわかりませんでした。
「火の鳥」って雑に言えば、西洋版「鶴の恩返し」ですよね......
火の鳥を救い、火の鳥に救われる。
セルゲイとロマンにとって、火の鳥は何だったのでしょう?
(それにしても、少し使われているだけですが、「火の鳥」っていい曲ですね)

あと個人的には、いわゆる肌色シーンが少なくてよかったです──いや、むしろもうちょっと多くてもよかったかな、と思いました。というのもお二人の体格がとてもいいように思われて、エッチなシーンというよりも、なんだか動く彫刻を見ているような気分になったので。画面が暗いシーンだったので余計そう思ったのかもしれませんが。
肌色シーン違いで、海で泳ぐシーンとかもっとあってもよかったかも、ですね。なにしろここは、二人の幸せを強く伝えてくるシーンですから。

いろいろと(いい意味で)気になる点の多く、見ごたえのある映画でした。


製作年:2021年
製作国:エストニア/イギリス
原 題:FIREBIRD
監 督:ペーテル・レバネ
時 間:107分

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映画:ウォンカとチョコレート工場のはじまり [映画]

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映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」の感想です。
「ロスト・フライト」から間を開けず、年末に観ました。

いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
ロアルド・ダールの児童小説を映画化した『チャーリーとチョコレート工場』の前日譚(たん)。同作に登場する工場長ウィリー・ウォンカがチョコレート工場を作るまでを描く。監督・脚本は『パディントン』シリーズなどのポール・キング。若き日のウォンカを『君の名前で僕を呼んで』などのティモシー・シャラメが演じ、『ラブ・アクチュアリー』などのヒュー・グラント、オスカー女優オリヴィア・コールマン、『シェイプ・オブ・ウォーター』などのサリー・ホーキンス、『ビーン』シリーズなどのローワン・アトキンソンらが共演する。

---- あらすじ ----
幼いころから世界一のチョコレート店を持つことを夢見ていたウィリー・ウォンカ(ティモシー・シャラメ)は、一流の職人が集まるチョコレートの町へやって来る。彼が作るチョコレートは瞬く間に人々を魅了するが、町を牛耳る「チョコレート組合3人組」にねたまれ、何かと邪魔をされてしまう。この町は夢見ることを禁じられた町だった。さらに、ある因縁からウォンカを付け狙うウンパルンパという謎の人物(ヒュー・グラント)が現れる。


映画の感想が続いてしまいますが「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」です。
今年最初に観た映画です。
ミュージカル仕立て(といっても歌の比重はかなり低めです)。

「チャーリーとチョコレート工場」の続編──続編ではないですね、前日譚です。
「チャーリーとチョコレート工場」は、ジョニー・デップが工場主であるウォンカを演じていましたね。

「チャーリーとチョコレート工場」の原作は、ミステリファンにはおなじみの、あのロアルド・ダール(「チョコレート工場の秘密」というのが一般的なタイトルかと思います)。
子どもの頃読んでいた、というのもありますが、個人的には原書を最後まで読んだ(読めた、というのが正しい)数少ないうちの一冊ということで印象的です。

この映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」についても原作ロアルド・ダールなのかな? そんな作品書いていたかな?と思いましたが、どうやらキャラクターや設定を借りた、オリジナルのようです。
もはや後知恵ですが、ロアルド・ダールが作り上げたチョコレート工場のぶっ飛び方に比べると、やはり(?) おとなしい感じがしましたね。

1971年に「Willy Wonka & the Chocolate Factory」というタイトルの映画があるようですが(日本でVHS化されたときのタイトルは「夢のチョコレート工場」だったそうです)、そちらはダールの作品を映画化したもののようです。紛らわしいですね。

邦題どおり、ウォンカが、チョコレート・カルテルとの戦いを経て、チョコレート工場を始めるまでの物語。
愉快な物語です。
なにより、ヒュー・グラント!
ウンパルンパという、謎の小さなオレンジの紳士を演じています。このキャラクター、「チョコレート工場の秘密」にも出てきたような......
貴重なカカオ豆を産するルンパランドという島の出身で、へんてこな歌を歌って、物語の要所要所を締めにやってきます。すごい。

映画館はほぼ満席で、カップルが多かったですね。
おっさんが一人で観るのは少々変で浮いていたかもしれませんが、肩の凝らない映画で楽しめました。



製作年:2023年
製作国:イギリス/アメリカ
原 題:WONKA
監 督:ポール・キング
時 間:116分



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映画:ナポレオン [映画]

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映画「ナポレオン」の感想です。
「ロスト・フライト」から間を開けず、年末に観ました。

いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
『グラディエーター』のリドリー・スコット監督とホアキン・フェニックスが同作以来再び組み、フランスの皇帝ナポレオンの生涯に迫る歴史ドラマ。フランス革命後の混乱が続く国内で、彼がいかにして皇帝の座へと上り詰めたのかを、妻・ジョゼフィーヌとの関係も交えて映し出す。『私というパズル』などのヴァネッサ・カービー、『あさがくるまえに』などのタハール・ラヒムらがキャストに名を連ねる。『ゲティ家の身代金』でもスコット監督と組んだデヴィッド・スカルパが脚本を担当する。

---- あらすじ ----
1789年、自由と平等を求めた市民らによってフランス革命が起こり、絶対王政が崩壊する。フランス国内が大きく揺れ動く中、軍人ナポレオン(ホアキン・フェニックス)は目覚ましい活躍を見せ、皇帝へと上り詰めていくが、妻のジョゼフィーヌ(ヴァネッサ・カービー)との関係はもつれたままだった。その一方でナポレオンは軍を率いて次々と戦争を繰り返し、ヨーロッパ大陸を手中に収めていく。

あまり変わりませんが、映画のHPからも引用しておきます。
1789年 自由、平等を求めた市民によって始まったフランス革命。マリー・アントワネットは斬首刑に処され、国内の混乱が続く中、天才的な軍事戦略で諸外国から国を守り 皇帝にまで上り詰めた英雄ナポレオン。最愛の妻ジョゼフィーヌとの奇妙な愛憎関係の中で、フランスの最高権力を手に何十万人の命を奪う幾多の戦争を次々と仕掛けていく。冷酷非道かつ怪物的カリスマ性をもって、ヨーロッパ大陸を勢力下に収めていくが──。フランスを<守る>ための戦いが、いつしか侵略、そして<征服>へと向かっていく。


ナポレオンって、漠っとしたイメージ ── 連戦連戦で皇帝にまでのぼりつめて、ロシアを攻めに行って失敗した、というくらい ── はあってもよく知らないんですよね。世界史もとっていませんし。
なので、映画を観る前は、権力を握るために頑張って、いざ握った後はさぞや華やかな宮殿生活を送っていたのだろうな(革命後とはいえ、それを覆して皇帝の位につくのですから、フランスのこと豪華な王宮のイメージでした)と勝手に思っていたのですが、まったくそんなことはありませんでした。
本当に取り憑かれるように、戦争に次ぐ戦争の日々。落ち着く日々などありはしません。
そりゃあ、妻との間柄も安定しないはずですよね。

戦は、なにかを手に入れる、あるいは守るための手段であるはずが、戦そのものが目的となってしまっているかのよう。
ナポレオンにとっての幸せって、なんだったんだろう?
なにを成し遂げたかったのだろう?

さらに不思議なのは、王位を廃したフランスで皇帝という新たな王座を得るまでになる人物でありながら、カリスマ性が感じられなかったこと。
権力志向の強い人たちに操られていた、というわけでもない。
ただただ戦争に強いというだけで、ここまで担ぎ上げてもらうことは無理ではないかと思うんですが、この映画を観る限り、戦に強いというそのことだけで支持され皇帝位に就いた、そう思えてしまう。
ナポレオンの弟というのが要所要所に出てきていて、ナポレオンを支えているようなのですが、それほど仕掛け人というか参謀と言うか、そういう存在のようにも見受けられない。

だからこそ、妻ジョゼフィーヌとの関係のもつれ具合が強く感じ取れるということなのかもしれませんが......
王は(権力者は)孤独だ、とはよく言われることですが、難しいですね。

ナポレオンのこと、観る前よりもわからなくなりました。

<2024.1.14追記>
冒頭にポスターを追加しました。

製作年:2023年
製作国:イギリス/アメリカ
原 題:NAPOLEON
監 督:リドリー・スコット
時 間:158分



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映画:ロスト・フライト [映画]

ロスト・フライト.jpg

映画「ロスト・フライト」の感想です。
映画の感想久しぶりですね。

いつものようにシネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
『エンド・オブ』シリーズなどのジェラルド・バトラーが主演を務めたサバイバルアクション。悪天候によるトラブルで、反政府ゲリラの支配地域に不時着した飛行機の機長が、乗客らを守るために移送中の犯罪者と協力して敵に立ち向かう。小説家のチャールズ・カミングが脚本、『アサルト13 要塞警察』などのジャン=フランソワ・リシェが監督を担当。バトラーふんする機長と手を組む犯罪者をドラマシリーズ「Marvel ルーク・ケイジ」などのマイク・コルターが演じる。

---- あらすじ ----
悪天候の中、落雷によりコントロールを失ったブレイザー119便は、フィリピンのホロ島に不時着する。トランス機長(ジェラルド・バトラー)をはじめ乗客らは一命を取り留めたものの、不時着した場所は反政府ゲリラが支配する無法地帯だった。ゲリラたちが迫り来る中、乗客らを守るためにトランスは移送中だった犯罪者、ガスパール(マイク・コルター)と手を組むことにする。

映画のHPからも引用しておきます。
その事故は始まりにすぎなかった…
119便フィリピン上空にて消息不明──機長以下17名、反政府組織の拠点に不時着。

東京を経由しシンガポールからホノルルへ、新年早々悪天候が予想される中、会社の指示で難しいフライトに臨むトランス機長(ジェラルド・バトラー)は、ホノルルの地で離れて暮らす愛娘との久々の再開を待ち焦がれていた。しかし、離陸直前に移送中の身の犯罪者・ガスパール(マイク・コルター)の搭乗が告げられ、悪天候だけでなく予定外のフライトに暗雲が立ち込めていた。

かつては大手航空会社に在籍していた実力派パイロットのトランス。順調なフライトを迎えたかに思えたが、フィリピン沖上空で、突如激しい嵐と落雷に巻き込まれ機体の電気系統が機能を停止。通信も途絶えコントロールを失ったトレイルブレイザー119便に、トランスは意を決し着水の準備に入るも、寸前で目の前に広がった孤島へ奇跡的に不時着した。一命をとりとめたトランス機長を含む乗客17名だったが、そこは凶暴な反政府ゲリラが支配する世界最悪の無法地帯・ホロ島だった。

トランスは、通信機が途絶えた飛行機と乗客を残し、島からの脱出の手がかりを求め、犯罪者のガスパールと共に探索に向かう。危険な雰囲気が立ち込める廃倉庫で見つけた電話を配線し、なんとか娘を介して現在地を知らせることに成功するが、その隙に迫ったゲリラたちによって、乗客と乗務員が人質に取られてしまう最悪の展開に。

一方、消息不明となった119便の事態を重く見たトレイルブレイザー社は、外部から元軍人の危機管理担当者として腕利きのスカースデイル(トニー・ゴールドウィン)を招集。トランスの決死の報せを受けたスカースデイルは、対策室の反対を押し切り乗客の救出へ傭兵チームを派遣する。

刻々と危険が迫る囚われた乗客たちの身を危ぶみ、トランスは救助を待たず、元傭兵の過去を持つ犯罪者であるガスパールと手を組むことを決意。難攻不落のゲリラ拠点へたった二人で乗客の救出に向かう。生死を懸けた究極の脱出サバイバル、トランスとガスパール、そして乗客たちの行方は・・・。


この映画のHPのあらすじがすべて、と言えるくらい、単純明快なサスペンス・アクション映画です。
物語として、ここはもうちょっとああしたほうが、こうしたほうが、という箇所があちらこちらにあるのですが、そんなことは考えずに、ジェラルド・バトラー演じる主人公の機長とともに、ハラハラドキドキしておくのがいいと思われます。

時間も107分と短めなのが好印象。
敵が思うより強くないような気もしますが(笑)、途上国の反政府ゲリラなんてこういう感じなのかもしれません──こういうふうに観客が思うことを利用しているのかも。
このあたりも含めて、いい塩梅感ただよう映画で、娯楽映画としてよくできていると感じました。
このくらいの映画がときどき観られるといいですね。



製作年:2022年
製作国:イギリス/アメリカ
原 題:PLANE
監 督:ジャン=フランソワ・リシェ
時 間:107分



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映画:ジョン・ウィック:コンセクエンス [映画]

ジョン・ウィック コンセクエンス.jpg

映画「ジョン・ウィック:コンセクエンス」の感想です。
このシリーズ、いままで観たことがないです。
いきなり Chapter 4 から観るのか、という気もしましたが、10月1日は映画が安い日だったので観ることに。

シネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
キアヌ・リーヴス演じる伝説の殺し屋ジョン・ウィックの死闘を描くアクションシリーズの第4弾。裏社会のおきてを破ったことで粛清の対象になったジョンが、組織と決着をつけるべく動きだす。監督は前3作と同じくチャド・スタエルスキ。主演のキアヌ、ローレンス・フィッシュバーン、ランス・レディック、イアン・マクシェーンらおなじみのキャストに加え、『イップ・マン』シリーズなどのドニー・イェン、『IT/イット』シリーズなどのビル・スカルスガルド、真田広之、リナ・サワヤマらが新たに出演する。

---- あらすじ ----
伝説の殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーヴス)は、裏社会のおきてを破りながらも粛清の包囲網を生き延び、全てを支配する組織「主席連合」と決着をつけることを決意する。一方、組織内での勢力拡大をもくろむ高官グラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)は、裏社会の聖域だったニューヨークのコンチネンタルホテルを爆破。さらにジョンの旧友でもある盲目のケイン(ドニー・イェン)を抱き込み、ジョン狩りを始めようとしていた。


アクションにつぐアクションの連続で、まあ気前よく敵も味方も死んでいきます。
ただ一人、キアヌ・リーヴス演じるジョン・ウィックのみが生き残る。強い、強い。
アクションシーンはかくのごとくすごいのですが、これだけ連続して見せられるともういいかな、という気分に少しなりました。
また、個々の戦闘シーンで無駄な攻撃が多いように思えてしまいました──一気にとどめを刺すのではなく、余分に刀や銃を振るっているように見えました。そのせいで余計長く感じられます。

サクレクール寺院にいく前の階段(222段あるらしいですね)での戦闘シーンも、わんさか湧いて出る敵に絶望感を抱いてしかるべきところですが、ジョン・ウィックがあまりにも不死身なので(ここに来る前に凱旋門のところまでで何度車にはねられたことでしょう)、これを全部倒すんだなぁ、と思って観てしまいます。

そんななかでは、やはり犬。
このシリーズ、犬がポイントなのでしょうか? 
ネットでチラチラ見ると、シリーズには印象的に犬が出てきているようですね。
この「ジョン・ウィック:コンセクエンス」では少々怖い役どころ。ジョン・ウィックを狙う殺し屋が連れている犬という設定ですからね。

ところで、ドニー・イェン演じるケインは、実は目が(ある程度は)見えているという設定なのでしょうか? どう考えても目が見えているとしか思えないシーンがあちこちに。

シリーズを知らない人間にも、友情(と犬?)を大切にするジョン・ウィック像が伝わってきましたし、エンディングでその友人のひとりであるケインと敵味方に分かれて決闘しなければならない状況になったことを受けての結末がなかなか味わい深いように思えました。

ただ、どうしても気になったのが、その決闘シーンでのジョン・ウィックの動き。
ネタバレになるので色を変えておきます。
結局最後の回でジョン・ウィックは銃を撃たず、弾を残しておいて、真の敵であるグラモン侯爵がしゃしゃり出てきたのをその弾で撃ってめでたしめでたし、という決闘シーン。 その前にケインに急所を撃たれて死んでしまうという可能性は、相手の目が見えないので低く評価したのだとしても、グラモン侯爵があのような行動に出ることは予見できないでしょう? どうするつもりだったのでしょう? あのままだとケインを撃たないといけなくなります。 あえてグラモン侯爵を撃てば、決闘の流れからは外れてしまいます。 観ている途中、決闘といいつつケインとジョン・ウィック二人で(示し合わせたように)グラモン侯爵を撃ってしまうのかなと考えていました。決闘の立会人も、決闘としてはインチキになってしまうものの、実はグラモン侯爵の突出ぶりと野心をもともと警戒していた主席(の手のもの)として黙認(流れ弾と強引に解釈?)、という流れです。



製作年:2023年
製作国:アメリカ
原 題:JOHN WICK:CHAPTER4
監 督:チャド・スタエルスキ
時 間:169分





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映画:名探偵ポアロ ベネチアの亡霊 [映画]

名探偵ポアロ ベネチアの亡霊.jpg


映画「名探偵ポアロ ベネチアの亡霊」の感想です。

シネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
アガサ・クリスティーのミステリーを原作に、『オリエント急行殺人事件』『ナイル殺人事件』に続きケネス・ブラナーが監督・主演を務めて映画化した作品。第2次世界大戦後のベネチアで、降霊会に参加した名探偵ポアロが超常現象の謎に挑む。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』などのオスカー女優ミシェル・ヨーのほか、ティナ・フェイ、ジェイミー・ドーナンらがキャストに名を連ねる。

---- あらすじ ----
第2次世界大戦の後、ハロウィーンを迎えたベネチア。一線を退き、ベネチアで過ごしていた私立探偵ポアロ(ケネス・ブラナー)は、謎の霊媒師(ミシェル・ヨー)が古ぼけた大邸宅で行う降霊会にしぶしぶながら参加する。そこで招待客の一人が殺害されたことをきっかけに、ポアロは邪悪な世界へと足を踏み入れることになる。


「オリエント急行殺人事件」(感想ページはこちら)、「ナイル殺人事件」(感想ページはこちら)に続く、ケネス・ブラナーによるアガサ・クリスティー作品の映画化第3弾。

今度の原作は「ハロウィーン・パーティ」〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫)
映画化するには地味だな、と思っていたら、舞台はベネチアに移しているし、降霊会まで出てくるというし、別物ですね(笑)。

舞台はベネチアのお屋敷。
冒頭こそ子供たち向けのハロウィーン・パーティが開催されるシーンがありますが、その後は降霊会があり、殺人事件発生。霊媒師が殺されます。
また霊媒師が呼びだした、屋敷の娘の死の様子も捜査の対象です。

この屋敷には亡霊がいるのでは、という終始ホラーっぽいテイストが色濃く出ています。
ポアロすら一時この非現実的なものを信じかけるというのですから、なんとも。
この映画、一夜の出来事になっていまして、その意味では矢継ぎ早に事件が起き、翻弄される名探偵という感じはよく出ていますが、ケネス・ブラナー版のポアロは、どうも原作のテイストとは違うポアロ像を作るのに熱心なようです。
原作に慣れ親しんだこちらとしては違和感をぬぐえませんね。
(あと、夜のシーンばかりなので、画面が常に暗いのには閉口しました。わかりにくいよ!──せっかく屋上に庭園が造られているのだから、昼間のシーンも入れてほしかったです。雨の夜では庭園がわかからない)

また、オリヴァー夫人の扱いにはびっくり。
引退したと言い張るポアロを引っ張り出す、というのはいいのですが、こんなことしていいのかなぁ。
ポアロとオリヴァー夫人の関係性を大きく揺るがしてしまいますけれど。

原作とは全く別物として、原作を読んだ方でも楽しめるようにはなっているのはいいかなと思うものの、同時に寂しく感じて観ていたのですが、ちらほら、原作を匂わせるところがあってニヤリ。
犯人の隠し方は原作対比へたくそなのはご愛敬として、物語の終盤も終盤、ラストシーン間際の子供の扱いには感心しました。なるほど、そう来たか。

クリスティーファンには受けない映画のような気がしてなりません。
クリスティーファンでない方はどう受け止められるでしょう?



製作年:2023年
製作国:アメリカ
原 題:A HAUNTING IN VENICE
監 督:ケネス・ブラナー
時 間:103分





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映画:イノセンツ [映画]

イノセンツ.jpg

映画の感想です。「イノセンツ」

シネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品されたスリラー。ノルウェー郊外の団地を舞台に、超能力に目覚めた子供たちが思わぬ事態を引き起こす。メガホンを取るのは『ブラインド 視線のエロス』などのエスキル・フォクト。ラーケル・レノーラ・フレットゥム、アルヴァ・ブリンスモ・ラームスタ、ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイムのほか、『マザーズ』などのエレン・ドリト・ピーターセンらが出演する。

あらすじ:9歳の少女イーダは、重度の自閉症で言葉を発さない姉アナと共に郊外の団地へ引っ越す。イーダは同じ団地の別棟に住むベンから声を掛けられて森で遊んでいたが、ベンはイーダの握っていた木の棒を凝視しただけで真っ二つに折ってしまう。ベンは念じるだけで物体を動かせる特殊な能力を持っていた。イーダが彼の能力の強さを繰り返し試しているうちに、ベンは他人を自在に操れるまでになるが、次第に鬱々とした感情や思考を増幅させ、過激な行動に走るようになる。


映画のHPから INTRODUCTION を引用します。
大友克洋の「童夢」からインスピレーションを得た驚異の映像に、世界が震撼&絶賛
『ミッドサマー』『LAMB/ラム』に続く北欧初のサイキック・スリラー

第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、ノルウェーのアカデミー賞と呼ばれるアマンダ賞で驚異の4冠を獲得。世界の映画祭で16映画賞を受賞し、観客を絶賛と衝撃の渦に巻き込んだ問題作がついに日本上陸。

監督・脚本を手掛けたのは、ノルウェーを代表する映画監督ヨアキム・トリアーの右腕として『母の残像』『テルマ』などの脚本を共同で務め、『わたしは最悪。』で米アカデミー賞[レジスタードトレードマーク]脚本賞にノミネートされた鬼才エスキル・フォクト。子供たちの夏休みを、かつて誰も見たことのない“無垢なる恐怖”で紡ぎ上げた。また、世界中に多くの熱狂的ファンを持つ大友克洋の傑作漫画「童夢」からインスピレーションを得た本作は、特異な世界観のみならず、不穏な予兆と驚きに満ちたサイキック描写においても傑出した迫真性を獲得。大人が一切介在しない、子供たちの“危険な遊び”は予測不能な想像を絶する結末へと突き進む。



時は夏休み。
主人公は引っ越したばかりの9歳の少女イーダ。姉アナは自閉症で言葉を発しない。
偶然近くの林で知り合ったベンが超能力をイーダに披露。
超能力を披露してもらうシーンはとてもわくわくできるんですよね。
小さな石を落下途中で向きを変えて飛ばす、という他愛のない(といっても常人にはできないのですが)もので、たぶん他愛のないものだからこそ、素直によろこびが伝わってくる。

もう一人主要人物として出てくる子供がアイシャ。
この3人は同じ団地に住んでいるみたいですね。かなり大きな団地のように思いました。
イーダにはないのですが、アナとイーダ、そしてアイシャは、どうやらテレパシーのようにお互いの考えが読み取れるよう。
これを確認するシーンも楽しいし、自閉症で発語しなかったアナが、テレパシーのおかげもあってなんとか言葉を発するところはちょっと感動すら覚えました。

ところが物語は良い方向には進みません。
その後イーダは超能力のまがまがしい使い方をし始めるのです。猫のシーンに明らかなように、もともとちょっと悪い傾向がうかがわれる少年ではあったのですが。

暴走する超能力者というのはたまに観るテーマで、たとえばこのブログで感想を書いたものでも「クロニクル」(感想ページはこちら)などは同じテーマですね。
あちらは高校生。思春期という時期でしたが、こちらはもっと幼い子ども。
ここがポイントですね。
子どもであるがゆえに、無邪気に伸びやかに超能力を伸ばし、思いのままに使ってしまう。
抑制のきかない怖さが出ています。

ベンの暴走については、早い段階で周りが気づかないのかな、とちらっと思いました。
特に母親のシーンでは、その後周りの人が気づかないのか気になります。
こういう団地では、北欧でも周りはあくまで全く無関係な他人にすぎず、気を配らないものなのでしょうか?
夏のホリデーシーズンで人が少ないということも一役買っているのかもしれません。

ベンの能力が、モノを動かすサイコキネシスやテレパシーから、人を意のままに操ることまでできるようになり、まさに邪悪な方向へ。人を使って、(ベンにとって)嫌なやつを殺させてしまうところまで。
ベンを止めようとしたアイシャをベンが殺そうとしたことから、アナとアイシャ、そしてイーダ(イーダだけ能力がありません)はベンと対立することに。
ここまででも筋を明かしすぎな気がしますが、ここからの凄惨と呼んでもよいような展開はさすがに伏せておいた方がよいのでしょうね。


ただ、ラストにだけは触れておきたいと思います。
<ネタバレが嫌な場合は以下は飛ばしてください>


最終的に、アナがベンと対決し成敗する、という展開になります。
サイキック的な力により心臓麻痺のような感じでしょうか?
途中、イーダが駆け付け、アナと手を握ることで力が増したようなところもあります(この直前、イーダがギブスを壊すシーンがあり、ひょっとしたらイーダの能力も発現したのかも、と思いましたが、よくわかりません)。
ベンをやっつけてしまうこのラスト自体も賛否が分かれるところかとおもいますが、このストーリー展開では是とせざるを得ない気がしています。
この展開自体も恐ろしいのですが、個人的になにより恐ろしいと思ったのは......
このラストの対決シーン、対決の現場は団地の中にある池の両岸で、団地からは見おろせるところ。
対決が盛り上がってくると、周りにいた赤ん坊が泣きだしたりと子供たちの様子が変わってくる。
そして団地の中からも子供たちが窓辺(ベランダ?)に現れ、アナとベンを見始める。
このシーン、不穏なものを感じて注目した、と捉えることも可能ですが、アナの能力に共鳴しているように思えてならないのですね。
アナとイーダが力を合わせて、というだけではなく、共鳴した子供たちも能力を持っていてそれらの力が合わさってベンに対抗したかのよう。
ベンが力尽き、それぞれの子供たちが窓辺を離れるところまで描かれるので、そう思えてなりません。
とすると、この団地で子供たちは能力を(次々と)開花させていることになり、であれば、第二、第三のベンが現れないとも限らない。
こんな恐ろしいかたちでエンディング......
このあとアナは元の自閉症的状態に戻り絵を描き、イーダはお母さんに泣きつき、日常を取り戻すシーンになって終わるのですが、とても恐ろしく感じて映画を観終わりました。


<ネタバレ終了>

内容が内容だけに広くお勧めはしづらいのですが、ざわざわとした感触の残る映画で、とても恐ろしかったので、ご興味のある方はぜひ。




原題:THE INNOCENTS
製作年:2021年
製作国:ノルウェー/デンマーク/フィンランド/スウェーデン
監 督:エスキル・フォクト
時 間:117分



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映画:さらば、わが愛/覇王別姫 [映画]

さらば、わが愛/覇王別姫.jpg

映画の感想です。「さらば、わが愛/覇王別姫」
古い有名な映画です。いままで観たことがありませんでした。
公開30周年、レスリー・チャン没後20周年ということで4Kリマスター版が劇場公開されたので、観に行きました。

予告編を引用しておきます。


映画のHPから STORY を引用します。
京劇の俳優養成所で兄弟のように互いを支え合い、厳しい稽古に耐えてきた2人の少年――成長した彼らは、程蝶衣(チョン・ティエイー)と段小樓(トァン・シャオロウ)として人気の演目「覇王別姫」を演じるスターに。女形の蝶衣は覇王を演じる小樓に秘かに思いを寄せていたが、小樓は娼婦の菊仙(チューシェン)と結婚してしまう。やがて彼らは激動の時代にのまれ、苛酷な運命に翻弄されていく…。

一大絵巻、と呼びたくなる映画でした。
京劇の俳優である蝶衣と小樓(と小樓の妻となる菊仙)の物語であると同時に、中国の時代の流れの物語。

京劇というのは観たことがないのですが、歌舞伎のように男だけで演じるのが主流なのですね。
幼少期の訓練が苛酷でびっくり。まるで曲芸団の訓練のようだと思いました。

女形蝶衣(幼名、というか本名でしょうか、小豆子)をレスリー・チャンが演じていてこれが圧巻。
といいつつ、京劇の女形の甲高い歌声には違和感を覚えてしまいましたが......
対する覇王役の小樓(幼名、小石頭)はそれに比べると普通の人間に見えるのですが(へんな表現で申し訳ないです。それだけ蝶衣が特異な存在に仕上がっているのです)、ここは物語として非常に重要なポイントであるように思いました。

この二人に、菊仙という娼婦が絡み、小樓をめぐって蝶衣と鞘当てをずっと繰り広げる、というのが大枠。菊仙をコン・リーが演じていて、素晴らしい。
蝶衣視点で観てしまうと、敵役なので憎い女(小樓が囚われたときに日本兵のところへ行ってくれ、小樓が釈放されれば小樓とは別れるから、と蝶衣に頼み込んできたくせに、いざ釈放されるとそのそぶりも見せないところとか、ほんとに嫌な奴なんですよ!)ではあるのですが、強く弱い女には見入ってしまいます。

蝶衣と菊仙の対立を、小樓が凡人ならではの感性で、気にかけていなそうなところがまたもどかしい。

そこに時代の波に翻弄される京劇の悲劇が重ね合わされています。
劇中劇である「覇王別姫」の物語が悲劇であることから、この映画そのものも悲劇に終わるのではという予想が全編にわたり底流として観客の意識に流れます。
長い映画ですが、退屈することなく、緊張感を保ってラストを迎えます。

不満を述べておきますと......(ネタバレ気味ですので、ご注意ください)
この映画、非常に濃密に主人公たちを追っていきます(内面を俳優陣がしっかり感じ取らせてくれます)。
ラスト近辺の文化大革命での衝撃的なシーンのあと、時は流れてこれまた衝撃的なエンディングのシーンになります。
この2つの出来事の間の蝶衣と小樓の心の動きに触れられていないのが不満です。
文化大革命でのカタストロフィと呼んでもよさそうなシーンの後の葛藤が観客の想像に委ねられています。すべてを破壊しつくしてしまうような小樓の言動と、どう蝶衣は折り合いをつけたのか、あるいはつけなかったのか、わからないのがもどかしい。
勝手な想像ながら、小樓本人は自ら周りを破滅に追い込んでおきながら、ケロッとしているような気がしているのですが、蝶衣はそうはいかないでしょう......
エンディングについて、物語の結構としてこうでなければならないという以前に、蝶衣の心情から理解できるような気がしているものの、そこに至るまでが飛んでしまっているので、落ちつきません。

不満をあえて買いましたが、見応えのある映画でした。
この巨編を大きなスクリーンで観ることができてとてもよかったです。


<蛇足>
英題 ”Farewell To My Concubine” の Concubine って、妾(あるいは正妻以外の妻)という意味なんですよね......
なんだか含蓄深いです。



原題:覇王別姫 Farewell To My Concubine
製作年:1993年
製作国:中国/香港/台湾
監 督:チェン・カイコー
時 間:172分



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