沈黙者 [日本の作家 あ行]
<カバー裏あらすじ>
埼玉県久喜市で新年早々、元校長の老夫婦とその長男夫妻の四人が惨殺された。十日後、再び同市内で老夫婦の変死体が発見される。そして一方、池袋で万引きと傷害で逮捕された男が、自分の名前を一切明かさぬままに裁判が進められる、という奇妙な事件が語られていく。この男は何者か? 巧緻を極める折原ミステリーの最高峰。
2023年9月に読んだ2作目の本です。
折原一の「沈黙者」 (文春文庫)。
ずいぶん長く積読にしていました。
折原一を読むのは「チェーンレター」 (角川ホラー文庫)(感想ページはこちら。現在は改題されて「棒の手紙」 (光文社文庫))以来ですね。
折原一の作風については、「失踪者」 (文春文庫)の感想)にも書いたとおりで、初期の一般的な叙述トリック(変な言い方ですが)から、多重視点、多重文体を用いたものに変遷してきていて、この「沈黙者」も多重視点、多重文体にあてはまります。
昔、この手法はさほど楽しめなかったのですが、「失踪者」に続いて「沈黙者」も楽しめました。
タイトルの沈黙者とは、一貫して名前を告げることを拒否する少年犯(犯した罪は、万引きと強盗致傷で、比較的軽微なもの)のことを指しています。
被告人 氏名不詳
として裁判にもかけられます(200ページ)。
和久峻三の赤かぶ検事シリーズに、「被告人・名無しの権兵衛」 (角川文庫)というのがあったなぁ、と思いだしたりしました。
まず本書は、五十嵐友也という作家(ルポライター?)による序で幕を開けます。
犯人が殺人の犯行の及ぶシーンと、沈黙者に語りかけるシーンによるプロローグが続きます。
そして事件発見から本編です。
久喜市で発生した田沼家一家惨殺事件と、その十日後に発見された吉岡家の殺人事件。
どうやらこの2つの事件は連続して起こっていたらしく、犯人も同一である可能性が高い。
そしてこの沈黙者。
どう絡むのか? と思いながら読み進みます。
構築された事件の構図が興味深かったですね。
解説がわりに収録されている佐野洋の推理日記でも
「『氏名をずっと黙秘している男がいる』というニュースから、『沈黙者』という長編を書き上げた、折原さんの想像力、小説の構成力に対しての驚き」
と書かれています。まったく!
この沈黙者は誰か、という点について作者(折原一)が仕掛けた罠(?) はある程度想像がつくもので、日本のある有名作品のアイデアの相似形のようにも思われましたが、アイデアの出発点は異なるでしょうし、あえて結びつける必要はないのかも。
もちろんここ以外にも仕掛けはいろいろと張り巡らされており、楽しい読書でした。
オリジン [海外の作家 は行]
<カバー裏あらすじ>
宗教象徴学者ラングドンは、スペインのグッゲンハイム美術館を訪れていた。元教え子のカーシュが、“われわれはどこから来て、どこへ行くのか”という人類最大の謎を解き明かす映像を発表するというのだ。しかし発表の直前、カーシュは額を撃ち抜かれて絶命する。一体誰が―。誰も信用できない中で、ラングドンと美貌の美術館長・アンブラは逃亡しながら、カーシュの残した人工知能ウィンストンの助けを借りて謎に迫る!<上巻>
ラングドンと逃げるアンブラは、スペイン国王太子フリアンの婚約者だった。アンブラによると、カーシュ暗殺にはスペイン王宮が関わっている可能性があるという。カーシュが遺した映像を見るには、スマートフォンに47文字のパスワードを打ち込む必要がある。ガウディの建築物“カサ・ミラ”にあるカーシュの部屋で手がかりを見つけたラングドンは、『ウィリアム・ブレイク全集』が寄託されたサグラダ・ファミリアに向かう。<中巻>
“われわれはどこから来て、どこへ行くのか”カーシュが解き明かした、人類の起源と運命に迫る真実とは何か。サグラダ・ファミリアを捜索し、ウィリアム・ブレイクの手稿本から手がかりを得たラングドンのもとに、暗殺者が迫る。正体不明の情報提供者。ネット上で錯綜するフェイクニュース。暗躍する、宰輔と名乗る人物。誰が誰を欺いているのか、先の見えない逃亡劇の果てにラングドンがたどり着いた衝撃的な真相とは―。<下巻>
2023年8月に読み終わった最初の本です。
ダン・ブラウンの「オリジン」。
「天使と悪魔」 (上) (中) (下) (角川文庫)
「ダ・ヴィンチ・コード」(上) (中) (下) (角川文庫)
「ロスト・シンボル」 (上) (中) (下) (角川文庫)(感想ページはこちら)
「インフェルノ」(上) (中) (下) (角川文庫)(感想ページはこちら)
に続く、ラングドン・シリーズ第5作です。
数々の斬新なアイデアを提示してきたダン・ブラウンですが、今回挑んだのが、“われわれはどこから来て、どこへ行くのか”という人類の起源と運命に迫る真実。
この謎を、登場人物の一人であるカーシュが解き明かした、と。
そしてその真実は、
「この情報が世界じゅうの宗教信者に深刻な影響を与え、変化を引き起こす恐れがきわめて大きい」(17ページ)
というものだと。
なんとも大げさで大上段に振りかぶったようなものですが、肝心のその真実の中身は、なかなか明かされません。
その周辺をうろうろ。なにやら重大そうなことが起こるのだと、キリスト、ユダヤ、イスラムの指導者たちの姿を通して描いていきます。
一方で、スペインのグッゲンハイム美術館を舞台に、そのカーシュが発表会を開く、と。そこでカーシュが殺されてしまい......
そこからラングドンの逃走劇&追跡劇が始まります。
カーシュの残した人工知能のウィンストンとともにラングドンの冒険が始まり、目まぐるしいような派手な物語が展開します。
スペインの王家も巻き込む大活劇。
これはこれでいつものごとく、面白かったのですが、わがままな読者としては、そんなのもういいから、例の ”真実” を早く明らかにしてくれよと思いました。
大きく振りかぶった例の ”真実” にこそこちらの興味はあるですから。
小説として、新発見とか真実とかが最後まで明かされない、というパターンがあり得ます。
この小説がそれだといやだなあ、
でも、全宗教を揺るがすような真実なんて、作り出せるのだろうか? 無理だとするとぼやかしてしまうこともありうるよなぁ、と期待半分、おそれ半分で読んでいきました。
結論から申し上げると、作中でその ”真実” は明かされます。
未読の方の興趣を削がないようエチケットとして、色を変えておきますが、
「原始の地球で起こった、化学物質の複雑な相互作用。ユーリーとミラーの実験は、そのシミュレーションをおこなったモデルの先駆けだったというわけだ。」(下巻134ページ)と説明されるユーリーとミラーが失敗した実験を、カーシュが成功させたというものです。(以下も伏字だらけになって恐縮です)
これが成功すれば確かに画期的だと思います。
でも、宗教界を揺るがすほどの事態になるでしょうか?
「ラングドンは、だれもカーシュの話を聞いていなかったのではないかと思った。物理法則だけで生命を創造できる。カーシュのその発見は魅惑的で、たしかに刺激的だが、ラングドンが思うに、重大な問いを投げかけていて、だれもその問いを口にしないのが意外だった。物理法則に生命を創造するほどの力があるのなら……その法則を創造したのはだれなのか。」(下巻207ページ)
とラングドンの意見として作者みずから留保をつけていたりもしますが......。
ラングドンの意見は論理をもってする議論である一方、信仰はもともと論理的に説明しつくせるものではないと思います。この点で、カーシュの発見で揺らいでしまうものなのでしょうか? もちろん、揺らいでしまう人もいるでしょう。けれど、人類全体として宗教の意義が失われるとも思えませんし、信仰が絶えることもないと思います。
宗教ってもっと根強くしたたかなものだと思うのです。
あと作中に出されている宗教が、キリスト、ユダヤ、イスラムと、乱暴に言ってしまえば同根ともいえる似た宗教なのもちょっとどうかな、と。
たとえばわれわれ日本人には身近な仏教や神道、それにいわゆる原始宗教はまったく違う世界観を持っているので、このカーシュの発見をもってしても微塵も揺らがない気がします。
このように "真実" そのものとその影響については疑問を多々感じてしまいましたし、カーシュの発見自体、その経緯を考えると、そもそもAIに信を置きすぎだよ、と思えてくるところがあるのが困りものなのですが、それでも、ラングドンとAIウィンストンのやりとりは、この物語のキーであり、とても面白かったです。
「人間が合成知能との関係を感傷的にとらえるのは不思議ではありません。コンピューターは人間の思考過程を模倣し、学習した行動を真似して、その場にふさわしい感情を再現し、つねに ”人間らしさ” を高めることができます。とはいえ、それはすべて、わたくしたちとコミュニケ―ションをとりやすいインターフェースを提供するためにすぎません。わたしくたちはまっさらな白紙なのです。あなたがたが何かを書きこんで……課題(タスク)を与えないかぎりは。わたくしはエドモンドのためのタスクを完了しましたから、いくつかの意味で、もう一生を終えたのです。もう存在する理由がありません」
ラングドンはウィンストンの論理にまだ納得がいかなかった。「でも、そんなに高性能なんだから……きみにだってあるだろうに……その……」
「夢や希望が?」ウィンストンは笑った。「ありませんね。想像しにくいでしょうが、わたくしは主の命令を実行できればそれで満足なのです。そのようにプログラムされていますから。」(212ページ)
という部分など、森博嗣のWシリーズ、WWシリーズで展開される世界観とまったく異なるもので、とても興味深かったです。
その点では、“犯人探し”の部分も皮肉が効いていてよかった。
”真実” 部分には共感できなくとも、そもそも風呂敷を拡げるような作風は大好きですし、そのまわりに楽しめる要素が存分にちりばめられていて、楽しく過ごせました。
<蛇足1>
「骨伝導技術のもともとの発案者は、この十八世紀の作曲家だと言ってかまわない。聴力を失ったベートーヴェンは、演奏するピアノに金属の棒を取りつけて、その棒を口にくわえ、顎の骨に伝わる振動から音を完璧に聞きとったという。」(46ページ)
このエピソード、知りませんでした。
<蛇足2>
「ハーヴァード大学には、携帯型の電波妨害装置を使って教室を "不感帯(デッドゾーン)" にし、学生が授業中に携帯電話を使えないようにしている教授が何人かいて、自分もそのひとりだったからだ。」(上巻131ページ)
ハーヴァードほどの大学でも、学生は授業中にも携帯を手放せないものなのですね。
ラングドン教授をもってしても、携帯電話にはかなわない?(笑)
<蛇足3>
「日本のある文学賞で、人工知能が執筆に大きな役割を果たした小説が受賞寸前まで行ったこともあるという。」(中巻29ページ)
何年か前に話題になった気がしますね。
星新一賞のことでしょうか?
原題:Origin
作者:Dan Brown
刊行:2017年
翻訳:越前敏弥
Q.E.D. iff -証明終了-(13) [コミック 加藤元浩]
Q.E.D.iff -証明終了-(13) (講談社コミックス月刊マガジン)
- 作者: 加藤 元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2019/06/17
- メディア: コミック
<カバー裏あらすじ>
「殺人風景」
自然に囲まれた別荘で巻き起こる不可解な殺人事件! だが、現場に居合わせたと語る3人の目撃者は、それぞれ異なる証言をしていて── 奇妙な事件に潜む真実の景色とは‥‥?
「特異点の女」
ドイツとフランスの国境近くで燈馬と可奈は強盗事件に遭遇。盗まれたのはなんと25億円相当の薬だった! そんな時、自首してきた1人の男‥‥。彼の証言で浮かび上がってきたのは “謎の女” の存在で──!?
Q.E.D. iff のシリーズ第13巻。「Q.E.D.iff -証明終了-」(13) (講談社コミックス月刊マガジン)。
奥付をみると2019年6月です。
「殺人風景」は、3人の目撃者が3人3様の目撃証言をし、その証言を信じると被害者は3通りの違った方法で3回殺されたことになるのだが......という極めて魅力的な謎が登場します。
素晴らしい。
ただ、素晴らしいのはここまで。
この場合、犯人役(?) と被害者はグルでないと成立しませんから、犯人(たち)は明らかなんですよね。なので興味はその狙いになるわけですが、この犯人の狙いはあり得ない、というか、成立しないですね。
燈馬の謎解きを聞いても納得感ゼロでした。残念。
物語のオチのつけ方はよかったのですが……。
「特異点の女」
冒頭に燈馬と可奈が巻き込まれる強盗事件。
まず狙いがいいですね。
お金や宝物などではなく、薬。
そのあとの仲間割れ?と、盗んだはずの薬の入ったカバンの中には薬ではなく雑誌が入っていたという謎。いつすり替えたのか?
このすり替えも、ちょっとよくある手法を使っているのですが、手品で言うところの改めをキチンとやっているように見えるところがポイントで、よくできているなぁ、と。
そしてタイトルのいわれである、強盗の一人である女をめぐる話となるのですが、ここもうまい。
途中で出てくるライオンのエピソードがラストに生きてくるのですが、このライオンの部分を読み返すと、ライオンの話をした登場人物は(意外と)このラストを見通していたのでは? と思えて興味深かったですね。
よくできたお話で、「広中平祐先生に捧ぐ」とかなんとか献辞があるとよかったかも。なんといっても広中先生のフィールズ賞受賞対象の研究は「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消および解析多様体の特異点の解消」ですから(これ、ネタバレにはなっていませんよね?)
この話では森羅がゲスト出演し、ユーロポールの刑事ビア・ブルストにアドバイスをします。
「水原って女の子をきっちり接待すると事件が早く解説するよ」
うん、的確な燈馬の操作方法ですね(笑)。
こういう楽屋落ち、もっともっとやってほしいな。
タグ:加藤元浩 Q.E.D. iff
C.M.B.森羅博物館の事件目録(41) [コミック 加藤元浩]
C.M.B.森羅博物館の事件目録(41) (講談社コミックス月刊マガジン)
- 作者: 加藤 元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2019/06/17
- メディア: コミック
<帯あらすじ>
くじ引きの結果、生活委員を務めることになった森羅と立樹。そんな矢先、園芸部と業者との間に問題が勃発! 解決に向かった2人だったが、その最中もあれやこれやと巻き起こる問題‥‥。ついには学校全体を包みこむ事件へと発展し──!?
《「生活委員」他3編を収録》
シリーズ第41巻です。「C.M.B.森羅博物館の事件目録」(41) (講談社コミックス月刊マガジン)
この第41巻は、
「生活委員」
「封印荘奇譚」
「浜栗家の人々」
「石と写真」
の4話収録。
「生活委員」は、実態は単なる雑用係である生活委員に選ばれてしまった森羅が学校で巻き起こる騒動の対応に追われる、という話。百葉箱や花壇を守ろうとする園芸部と開発業者の対立、トイレの詰まり、逃げたトリの捕獲、トラックのタイヤパンクの修理、電灯の取り換え、オーストラリアから持ち込まれた種の種別判定、盗まれたパン......
いや、もう、雑用係の領域すら超えていますけど(笑)。
これらをスーッと繋げて見せる手腕が見どころ。
無理があるのは承知。こまごまとした事象を繋げて飛躍してみせるのを楽しむべき作品ですね。
「封印荘奇譚」
元華族の別荘封印荘。そこでは過去2人が死に、1人が失踪しているという。
そこで建設会社の調査にあたった職員が襲われ、測量機器が盗まれた。幽霊のしわざ
座敷牢の木組みの謎とかは他愛ないものではありますが、雰囲気の盛り上げに貢献していますね。
ただ、ミステリとしてみた場合アンフェアなのが問題ですが......
「浜栗家の人々」
資産家の父が若い女に騙されていると訴える家族の依頼で調べる森羅と七瀬。
その若い女は立川流のもので、父親はそれを信仰していたという......
全体の枠組みはそれほど感心しなかったのですが、携帯電話をめぐるあたりは、いい着眼点だと思いました。
ところで都内に8つもマンションを持っていて、家賃収入で月480万円って、安くないですか?
マンション一つあたり60万円ですよね。小さなマンションばかりなのでしょうか。
「石と写真」は、マチュピチュ遺跡が舞台。
実際にやろうとすると無理はありそうですが、絵的に面白いトリックが使われています。
しかし、遺跡でこういうことをするのは感心しませんね。犯人に文句を言ってやりたいです。
ムーンズエンド荘の殺人 [海外の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
探偵学校の卒業生のもとに、校長の別荘での同窓会の案内状が届いた。吊橋でのみ外界とつながる会場にたどり着いた彼らが発見したのは、意外な人物の死体。さらに、吊橋が爆破されて孤立してしまった彼らを、不気味な殺人予告の手紙が待ち受けていた──。密室などの不可能状況で殺されていく卒業生たち、錯綜する過去と現在の事件の秘密。雪の山荘版『そして誰もいなくなった』!
読了本落穂ひろいです。
2015年11月に読んだエリック・キースの「ムーンズエンド荘の殺人」 (創元推理文庫)。
非常に古式ゆかしき本格ミステリで、あらすじにもあるように「そして誰もいなくなった」 (ハヤカワ クリスティー文庫)に挑んだ作品です。
殺人が増えていくにしたがって(犠牲者が増えていくにしたがって)、章番号につけられている✗記号が減っていくという王道ぶり。
こういう設定のミステリを今時英米の作家が書いているというのが驚き、ではあるものの、本書の驚きはそこだけ......と言っては厳しすぎますね。
「そして誰もいなくなった」風に展開していって、最後に残った一人が犯人でした、だと、単なるサスペンスならいいのかもしれませんが、ミステリとしてはあまりにも物足りない。
しかも「そして誰もいなくなった」のように見知らぬ者たちが集められたというのと違い、この「ムーンズエンド荘の殺人」 は探偵学校の同窓会という建付け。十五年経っているとはいえ、知人が集められているという重荷を背負っています。
また動機の点も、過去の因縁話ですから(過去の事件にも筆が割かれています)、どんどん犯人の対象が狭められていきます。
と、こう考えると、登場人物たちにも読者にも、おのずとサプライズには限界があり「本書の驚きはそこだけ」というのにも納得していただけるのではないかと。
でも、ではつまらなかったかというと、面白かったです(笑)。
こういうチャレンジは大好きなので、わくわく読みました。
意外性はないものの、作者はパズル作家らしく、いろいろと考えたんだなと思える真相シーンまで、かなりスピーディーに展開しますし、あれよあれよという間に登場人物が勢いよく減っていって、楽しめました。
それにしても、「そして誰もいなくなった」へのチャレンジという点では、綾辻行人の「十角館の殺人」 (講談社文庫)がとてもとても素晴らしいのだということを再認識しました。
原題:Nine Man’s Murder
作者:Eric Keith
刊行:2011年
翻訳:森沢くみ子
タグ:エリック・キース
写楽 閉じた国の幻 [日本の作家 島田荘司]
<カバー裏あらすじ>
世界三大肖像画家、写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヵ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、誰も知らない。歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎──。発見された肉筆画。埋もれていた日記。そして、浮かび上がる「真犯人」。元大学講師が突き止めた写楽の正体とは─……。構想20年、美術史上最大の「迷宮事件」を解決へと導く、究極のミステリー小説。<上巻>
謎の浮世絵師・写楽の正体を追う佐藤貞三は、ある仮説にたどり着く。それは「写楽探し」の常識を根底から覆すものだった……。田沼意次の開放政策と喜多川歌麿の激怒。オランダ人の墓石。東洲斎写楽という号の意味。すべての欠片が揃うとき、世界を、歴史を騙した「天才画家」の真実が白日の下に晒される──。推理と論理によって現実を超克した、空前絶後の小説。写楽、証明終了。
読了本落穂ひろいです。
2018年1月に読んだ島田荘司「写楽 閉じた国の幻」(上) (下) (新潮文庫)。
「このミステリーがすごい! 2011年版」第2位。
「2011本格ミステリ・ベスト10」第7位。
写楽の謎って、なんだかワクワクしますよね。
と言っても、高橋克彦の乱歩賞受賞作「写楽殺人事件」 (講談社文庫)をスタートに数冊ミステリを読んだだけなんですけどね。
でも、謎としてはとても魅力的だと思います。
「誰かが言いましたね、写楽はレンブラント、ベラスケスと並んで、世界三大肖像画家の一人だと」
「クルトですね、ユリウス・クルト」(上巻247ページ)
世界三大肖像画家というのが世界的に一般的かどうかはわかりませんが、写楽の絵は確かに独特で目を引くのは確かですよね。
そんな画家の正体が不明で謎だらけだなんて、なんてミステリ向き(笑)。
後書き、解説でもこの点には触れられています。
「この絵師が誰であるのか解らない、江戸に十カ月間出現し、忽然と消え失せた。そして滞在していた記録が遺ってない、ゆえに誰であるのかが解らない」(後書き438ページ)
「写楽の描く役者の顔は、他の絵師の描くどの絵にも似ていない」
「修業時代の仕事も見当たらない。師もいない。にもかからわず突然著名な出版元が大首絵を刊行し、かと思うと急にいなくなった。」(解説469ページ)
作中でも当然触れられています。
「写楽は、その創作精神がすごく進んでいたんです。二百年進んでいた。あれは人間の動きを一瞬凍りつかせたもので、対象へのアプローチの方法が全然違うんです、欧州の名画群とは」
─ 略 ─
「写楽と、真の意味で比肩し得る傑作。ひとつだけありました、集めた世界遺産的名作群のうちに」
「なんですの?」
─ 略 ─
「運慶快慶の仁王像ですよ」(上巻246ページ)
「彼のもの以外の浮世絵が、これは役者絵、遊女絵、相撲絵、すべてを含むのだが、これらが決めのポーズをモデルがとり、じっとしているところを写した記念写真的静止画像であるのに対し、写楽のものは一瞬の動を的確にとらえようとした、前例のない写真的手法だということだ」(上巻391ページ)
「彼の大首絵は、多く役者の筋肉が最も力を溜め、そのゆえに動きを凝固させた、その一瞬の活写となっているわけだが、歌舞伎は、『見得を切る』という独特のことをするので、定期的にこの瞬間が訪れる。ここに強い面白さを感じ、ちょうどこの刹那に写真機を向けて、シャッターを切るようにして役者の一瞬を画面に定着させた、写楽の筆にはそうした発想のものが多い。」(上巻392ページ)
絵はまったく門外漢で、美術館でも駆け足で有名なのをつまみ食いするか、なんだかわからないけど気にある絵をぼーっと見ているか、という程度なので、写楽の特徴が本当にこうなのかどうかわからないので、そうなのかぁ、と感心しつつ読む始末。
で、この魅力的な謎にどう解決をつけるのか?
「これまでのみな、常識にとらわれすぎ、全員が隘路に入っていたのではないか。その誤りは、聞けばみながあっと言うような、ごく単純なことではないか。そんな思いが去らない。この謎は、常識から自由にならなくては決して解けない気がする。」(上巻406ページ)
なんて自らハードルを上げるところがいかにも島田荘司らしい。
結論は、専門家や学会からはトンテモと言われてしまうものかもしれませんね。
意外なところまで想像の翼を拡げ、へぇ、と思えるような説を展開しています。おもしろい。
自らの説を小説にしてよいところは、写楽の謎を探求する現代編に加えて、この自らの説を裏付けるような江戸編を描き出すことで読者の想像・理解を助けることができることでしょう。
このパートも
「米遣い発想はよ、もう天下のお江戸の銭遣い経済と合ってねぇんだ。時代にまるっきり合ってねぇ。だから札差ばっかが儲けやがる。そいでその金が、吉原と芝居小屋に流れるんでぇ。」(334ページ)
なんて勇み足があったりもするのも含めて楽しいです。
ただ残念なのは、現代のパートに不要と思われるエピソードが散見されること。
特に主人公である元大学講師の家族をめぐる冒頭の部分はまったく不要に感じられ、写楽のみに焦点を当てたほうがすっきりしたと思われます。
もちろん島田荘司のこと、言いたい主張が裏にあり、そのための設定なのだろうことは想像に難くはないですし、その主張もこちらには見当がつきます。後書きにもそのようなことが書かれています。
「『閉じた国の幻Ⅱ』が支えられるだけの物語は、すでに背後にある。」(後書き450ページ)ということですから、ぜひ書いてほしいですね。
<蛇足>
「少し通関に手間取ってしまって……、お待ちになりました?」(下巻400ページ)
成田空港の出迎えのシーンです。
通関に手間取ったとは、何を持ち込んだのでしょうね?(笑)
まったくストーリーと関係ない箇所なので気にすることもないのですが、荷物がなかなか出てこなくて、とあっさり流してもよかったように思います。
中途半端な密室 [日本の作家 東川篤哉]
<カバー裏あらすじ>
テニスコートで、ナイフで刺された男の死体が発見された。コートには内側から鍵が掛かり、周囲には高さ四メートルの金網が。犯人が内側から鍵をかけ、わざわざ金網をよじのぼって逃げた!? そんなバカな(^-^; 不可解な事件の真相を、名探偵・十川一人が鮮やかに解明する。(表題作)謎解きの楽しさとゆるーいユーモアがたっぷり詰め込まれた、デビュー作を含む初期傑作五編。
2023年8月に読んだ本の感想が終わりましたので、読了本落穂ひろい。
2016年1月に読んだ東川篤哉の「中途半端な密室」 (光文社文庫)。
「中途半端な密室」
「南の島の殺人」
「竹と死体と」
「十年の密室・十分の消失」
「有馬記念の冒険」
の5編収録の短編集で、東川篤哉の初期作品を集めたもの。
引用したあらすじに「デビュー作を含む」とあり、後ろの<初出>欄を見ると「中途半端な密室」がデビュー作のようです。
「中途半端な密室」
金網に囲まれたテニスコートの中心で発見された死体。屋根がないので、中途半端と言っているものかと思われます。
というと、カーの「テニスコートの殺人」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)を連想しますが、短編ということもあってかあちらよりはシンプルな解決にしているところがミソでしょうか。
新聞記事からすらすらと謎が解かれる手際がよかった。
「すなわちこれは『不可能ではない。だが不可解だ』ということですよ」(16ページ)という探偵役十川一人(かずひと)のセリフは気に入っています。
「南の島の殺人」
南の島のS島で起こる殺人。
「全裸殺人の舞台でSといえばスペインのSに決まってる。」(48ページ)というのは、もちろんエラリー・クイーンの「スペイン岬の謎」 (創元推理文庫)を念頭においたものですね(中村有希さんによる新訳を待っています)。
としながら、このS島は桜島、というのが人を食っています(笑)。
灰を前提とした謎自体は手垢のついたものと言わざるを得ないような古典的な解決を見せるのですが、(ゆるいところはあるものの)要所をきちんと押さえた作りになっています。
「竹と死体と」
昔の新聞に記された、竹に吊るされた地上十七メートルの首吊り死体というのが謎で、容易に想像されるトリックをさらっと否定して見せるのがポイントで、否定のポイントとして新聞の日付がクローズアップされるあたりが鮮やかに思えました。
真相自体は失礼ながらあまり面白いものとはいえず(否定されるトリックの方がおもしろい)、なのが残念ですが、作者の安楽椅子探偵感が披露されるのがとても興味深いです。
「そもそも、新聞記事等から得られる情報に限りがあるのは当然のこと。その少ない情報量を推理力で補って結論を導き出すのが安楽椅子探偵の腕前(あるいは作家の腕前)なのだが、なかなかそううまい具合に物語は進んでいかない。」(99ページ)
「安楽椅子に座った探偵役の隣で、事件に精通した刑事が、現場のっ状況、凶器の種類、被害者の服装、死体の解剖結果、果ては容疑者のアリバイや交友関係に至るまで事細かに説明して聞かせてあげたところで、ようやく探偵役が解決を述べるというのであれば、それこそ《たんてい》が 安楽椅子に座っているだけ」のことであって、普通のミステリと大差ないというものだ。」(99ページ)
この点でいうと、新聞記事であることそのものが謎解きに奉仕している点、会心の作、ということなのかもしれません。
「十年の密室・十分の消失」
本作品の消失トリックについて、解説で光原百合が ”大仕掛けなトリック” と評していて、こういうのは好物なのですが、どうしてもこの種のトリックはリアルなのかどうか気になってしまいますね。
さすがにこのトリックは無理なんじゃないかな?
密室トリックの反則振りには逆に微笑んでしまいますが。
「有馬記念の冒険」
この作品、とてもおもしろいと思いました。
アリバイトリックに使われているものはとても陳腐で、悪い言い方をすれば誰でも思いつきそうなもの。あまりに安易すぎて、ミステリに組み込むのは逆に難しい。
このトリックをミステリとして成立する状況を作りあげたところがとても面白いと思いました。
偶然に頼ったものなのは減点かもしれませんが、成立させるために、<以下ネタバレにつき伏字>犯人以外が仕掛けるトリックにしているのがとても面白かったです。
タグ:東川篤哉
判事とペテン師 [海外の作家 さ行]
<カバー袖あらすじ>
謹厳な判事と敬虔な牧師。尊敬すべき二人の共通点は、なんと〈競馬〉だった! さらに、判事の息子は決して誇れることのない悪行を生業としていた……。
自身も法廷弁護士、そして判事という職歴を持つ法廷ミステリの名手セシルが、法知識をふんだんに盛り込みながらもユーモラスに綴る、判事とペテン師の親子二代記。
2023年8月に読んだ8冊目、最後の本です。
ヘンリー・セシルの「判事とペテン師」 (論創海外ミステリ)。
単行本です。論創海外ミステリ36
ヘンリー・セシルは昔「メルトン先生の犯罪学演習」(創元推理文庫)を読んだことがあります。
「メルトン先生の犯罪学演習」は、ローマ法と法理学の権威メルトン教授が、列車から飛び降りた際に転んで頭を打ったことがきっかけで、法の間隙を縫うあの手この手を連続抗議していくという連作長編(以上、「判事とペテン師」巻頭の「読書の栞」から引用)で、馬鹿馬鹿しくて楽しめた記憶。
この「判事とペテン師」は、引用したあらすじにもある通り、判事とペテン師の親子二代記です。
この二人の苗字がペインズウィック。
原題 "The Painswick Line" は、ペインズウィック家を代々貫く流れ、あたりの意味でしょうか。
最後のセリフはこのタイトルを踏まえたものですね。
判事の息子がペテン師とは、まさに不肖の息子。
なので絶縁、没交渉──というわけではなく、なにくれと気にしているというのがポイントです。
なにしろ、息子のために金を用意しなくては、と職権を利用して(?)、競馬必勝法を入手しようとするのが物語のスタートですから。
その後の展開から、これはミステリとは言い難い作品であることがわかりましたが、それでもユーモラスで面白かった。
楽しんで読めました。
あのメルトン先生もゲスト出演していましたよ。
ヘンリー・セシルの作品はハヤカワや創元のものは絶版で、ほかには「判事とペテン師」のあと論創ミステリから「サーズビイ君奮闘す」 (論創海外ミステリ)が出版されているだけのようです。
まずは復刊をお願いしたいですね。
原題:The Painswick Line
作者:Henry Cecil
刊行:1951年
翻訳:中村美穂
貧乏お嬢さま、空を舞う [海外の作家 は行]
<カバー裏あらすじ>
猛暑のロンドンを訪れる貴族は少なく、ジョージーのメイド仕事は減激。そこで、楽に稼げて豪華な食事にありつける仕事を思いつくものの、たちまちロンドン警視庁に呼び出され、世間知らずだったと思い知らされる。さらに、有名飛行士のメイドが事故死し、遺留品の中になぜかジョージーに宛てた謎の手紙が見つかったことから、すぐさま警視庁は王室のスキャンダル対策としてジョージーを帰郷させることに。ところが、彼らの目的は他にあった。王位継承者に相次ぐ不審な「事故」の真相を探るスパイとして、王族のいるスコットランドに彼女を送りこんだのだ。そこでは、継承順位の低い兄ビンキーや、果てはジョージーにまで危険が迫り、絶体絶命の大ピンチに!
2023年8月に読んだ7冊目の本です。
リース・ボウエンの「貧乏お嬢さま、空を舞う」 (コージーブックス)。
「貧乏お嬢さま、メイドになる」 (コージーブックス)(感想ページはこちら)
「貧乏お嬢さま、古書店へ行く」 (コージーブックス)(感想ページはこちら)
に続くシリーズ第3弾。
空を舞う、とは? とタイトルをみて思いましたが、ロニー・パジェットという女性冒険家(女性飛行士と巻頭の登場人物表には書いてあります)が出てきて納得。
このロニー、すごい人でロンドンからケープタウンへの単独飛行に成功した、という設定。
ということで、ジョージ―は飛行機に乗って飛ぶのですが、「空を舞う」というほど優雅ではないですね。
事件は王位継承者を狙うものということで、かなりの大事で、普通に考えたらジョージ―に探求の白羽の矢が立つことは考えにくいのですが、事故だろうと思われているので表立って警察などが動きにくい、という流れになっています。
自分のしでかしたミスに付け込まれ(?)、警察副総監から依頼されるジョージ―。
舞台は王室のバルモラル城やジョージ―の実家であるラノク城のあるスコットランドへ。
ジョージ―の友人ベリンダやジョージ―の母といったシリーズおなじみの面々に加え、先述のロニーたちに、デイヴィッド皇太子の恋人ウォリス・シンプソン夫人とその一団など、にぎやかな面々がにぎやかに騒動を巻き起こしていきます。
ジョージ―は王位継承者であり、時代も時代なので出てきて不思議はまったくないのですが、エリザベス2世の幼年時代──というか少女時代が出てきて楽しくなりました(253ページあたりから)。
乗馬が好きな活発な少女として描かれていますが、銃弾に狙われるという緊迫したシーンまであってちょっとびっくり。
警視庁の連絡係が誰か、というのは読者には相当早い段階でわかってしまうのだろうと思いますが、事件の真相のほかに細かな謎がちりばめてあるのが楽しい。
ミステリ的な興味に加え、ジョージーとダーシーの関係の進展も見どころですね。
それにしても、”空を舞う” のが危機的状況になり、その危機をダーシーが救ってくれるというのが、おきまりとはいえさすがダーシーというところなのですが、さすがにこの危機は救えないのでは? まあ、シリーズ的にジョージ―が救われないと困るんですけどね。
このシリーズ、とても読みやすく楽しいので、これからも続けて読んでいきます。
<蛇足1>
「セントジェームズ・パーク駅のエスカレーターをあがりながら、顔を伝う汗の粒を何度もそっとぬぐう。」(14ページ)
セントジェームズ・パーク駅にはエスカレーターはなかったように思うのですが。
毎日のように利用していた駅だというのに記憶が.....
それはそれとしてこの文章
「もちろん貴婦人は汗などかかないものだけれど、なにかが滝のようにわたしの顔の上を流れていた。」と続いてクスリとできます。
<蛇足2>
「わしが狩猟や狩りをしたり、貴族連中とつきあったりするのを想像できるかい?」(77ページ)
ジョージーのおじいちゃんのセリフです。
狩猟と狩りって別物なのでしょうか?
<蛇足3>
「あら、あなたは面白いと思うの? 皇太子はいずれ国王になるのよ。ウォリス女王なんて想像できる?」(121ページ)
話題になっているのはデイヴィッド皇太子とその恋人であったウォリス・シンプソン夫人です。
国王の妻は英語では Queen 。日本語に訳すときには女王ではなく王妃とすべきかと思ったのですが、「不思議の国のアリス」のハートの女王など、女王と訳す例は多いですね。
一方で本書では
「大きな出窓の下に置かれたテーブルに王妃陛下が座っているのが見えた。」(255ページ)
と王妃という語も使われているので、統一すればいいのに、とは思いました。
<蛇足4>
「わたしはちらりとラハンを見やり、ハギスに舌つづみを打つような人とは絶対に結婚できないと考えた。」(234ページ)
本書で、早朝のバグパイプの演奏とともにアメリカ人除け(!) に使われるハギスですが、評判がすごくて食べたことがありません。が、よく冗談に使われる食べ物ですね。ここでもひどい言われようです。
内臓系の料理はもともと食べられないので(好き嫌いが多くすみません)、もとより無理なんですけどね──その意味では、国王陛下が好まれるちゃんとしたイギリス料理(257ページ)として挙がっているステーキ・アンド・キドニーパイも食べられません.......
<蛇足5>
「ありがとうございます、陛下。喜んでご相伴に預からせていただきます」(256ページ)
ああ、またも「させていただきます」だ(最近指摘しないようにしていますが)、と思ったのですが、これは王妃に対するジョージ―のセリフですので、まさに ”許しを得る” (陛下からの申し出で、たとえ形式的であっても)場面なので適切なのだな、と自分でおかしく笑ってしまいました。
<蛇足6>
「『ありえない』まるで女学生のような言葉遣いだと気づくより早く、わたしはつぶやいていた。」(304ページ)
視点人物のことなので、英文和訳の問題だと
「『ありえない』つぶやいてしまってから、まるで女学生のような言葉遣いだと気づいた」
と訳さないといけないところですね(笑)。
『ありえない』の原文が気になるところです。
<蛇足7>
「向こうの隅のベンチに地図が置いてあることに気づいた。手に取ってみると、王立自動車クラブ(RAC)発行のスコットランド中央部の道路地図だった。」(311ページ)
ここでいうRACは、ロード・サービス等をやっている企業で、紳士クラブである王立自動車クラブとは違うよな、と思い、同じような指摘を「巡査さん、事件ですよ」 (コージーブックス)の感想でしましたが、調べてみると、ロード・サービスのRACはもともとは王立自動車クラブのものだったそうです(現在は売却されてRACのものではなくなっているようですが)。
ということで、ジョージ―のいた時代には、間違いなく王立自動車クラブのものですね。
<蛇足8>
訳者あとがきのバルモラル城の説明で、ヴィクトリア女王について触れられています。
「女王がバルモラル城にいる時間は次第に増えて初夏から秋にかけて四カ月ほども滞在するようになり、やがて狩猟案内であったジョン・ブラウンという男性と親密な関係になったという説があります。真偽のほどは定かではありませんが、女王がブラウンを寵愛したことは確かで、女王が作らせたブラウンの肖像画や胸像などは、女王の死後、息子であるエドワード七世によってすべて破棄、もしくは破壊されたということです。」
ここを読んで飛行機の中で観た映画『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(ジュディ・デンチ主演)を思い出しました。こちらはお相手(?) はインド人家庭教師でしたけどね。
作中に貴婦人が森番とうんぬんという話題はわりと出てきます。
D・H・ロレンスの小説からチャタレー夫人が引き合いに出されたり(108ページ)、ジョージ―が母と
「お母さまはいつだっていなかったもの。わたしの知識はどうしようもなく穴だらけよ。仲良くしてくれる門番だって見つけられなかったし」(158ページ)と会話したり、ジョーイ―がメイドのマギーに地所で働く人たちのことを尋ねたら「地元で結婚相手を探すつもりですか?」(178ページ)と笑われたり、嫌なジークフリート王子からくどかれて「地元の森番のほうがずっとましだわ」(215ページ)と思ったり、などなど。
これらはひょっとしてヴィクトリア女王のエピソードを踏まえたもの、だったのでしょうか?
原題:Royal Flush
作者:Rhys Bowen
刊行:2009年
訳者:田辺千幸
星詠師の記憶 [日本の作家 あ行]
<カバー裏あらすじ>
被疑者を射殺してしまったことで、一週間の自主謹慎に入った刑事の獅堂(しどう)は、故郷の村を訪れている。突然、学ランの少年・香島(かしま)が、彼の慕う人物が殺人事件の犯人として容疑をかけられている、と救いを求めてきた。殺人の一部始終が記録されている証拠の映像は、紫水晶の中にあり、自分たちはその水晶を研究している〈星詠会〉の研究員であると語るのだが──。
2023年8月に読んだ6冊目の本です。
阿津川辰海の「名探偵は嘘をつかない」 (光文社文庫)(感想ページはこちら)に続く長編第2作、「星詠師の記憶」 (光文社文庫)。
「名探偵は嘘をつかない」に痛く感じ入ったというのに、2作目を手に取るのがとても遅くなりましたが、それは450ページほどというそこそこ分厚い本であることと、またあの濃密なミステリ世界に浸るのが、それはそれで快感といいながら少々おじけづいたところがあった(しっかり楽しむにはこちらも落ち着いて浸りきれるような環境にあった方がよいと考えた)からです。
今回もしっかり構築されたミステリ世界を堪能しました。
特殊設定ミステリに入るのでしょう。
未来予知が可能な世界を舞台としています。
しかもこの未来予知、紫水晶の中に映像として記録され、予知する本人だけではなく第三者にも確認できるという優れモノ。
そして「水晶に映された未来は、どうあがいてもその通りになる」(126ページ)
面白いな、と思ったのは、未来予知が可能となると、すぐに宗教的な団体に発展していく、と(読者として)考えてしまうところですが、この作品では企業が目をつけ、予知に不可欠な紫水晶の産地あたりを買い取り、研究所を設立している、というところ。
それでもやはり宗教的匂いはするのですが、幻想的ではなく理知的な雰囲気を醸すのに役立っています。
未来予知できる人が星詠師。研究所が紫香楽電機のイメージングメディア事業部内「クリスタル研究所」、通称<星詠会>。
余談ですが、星詠師は ”せいえいし” と読むのですね。”ほしよみし” と読むのだと思っていました。
ミステリとしての注目は、いわゆる後期クイーン問題でしょうか?
探偵がそれに自覚的に推理を進める、というのが面白いです。
「もし犯人が<星詠師>だったとする」
「それで、これを犯人に当てはめてみたら、恐ろしい可能性を思いついたんだ──もし犯人が未来を見て、俺たちの推理をすべて先回りしていたらどうなるだろう、ってな」
「俺たちの掴む証拠は、全て犯人が予測してバラまいた偽証拠かもしれない」(いずれも316ページ)
このあとあまり深入りはしないのですが、それでも全編にわたって探偵役の推理が難航することを予感させてくれる重要なポイントだと思います。
やはり予知が記録される紫水晶というのが大きな要素になっていて、ここが前提となって推理も物語も進められていきます。
その意味では、紫水晶の中の記録そのものを偽造する、ということには触れられていませんので、この記録は作品世界の中の絶対真実として扱われています。
記録と矛盾するからこの推理は間違い、記録にあるからこうだったに違いない、というように進んでいきます。
探偵役の獅堂は香島から、石神真維那の容疑を晴らすように頼まれた、というのが導入部ですので、物語の進み方として、紫水晶に犯行の様子が記録されているのにもかかわらず、真維那が犯人ではないことを証明しなければならない、というふうになっています。
豊富なアイデアを贅沢にちりばめられた作品で、作者の剛腕ぶりを楽しめますし、ステンドグラスのようにミステリのさまざまな要素がキラキラ輝いて惹きつけてくれます。
特に素晴らしいと思ったのは、推理、あるいは犯人指摘のところで、紫水晶の記録を縦横に使いこなしていることです。
推理の軛となる記録をつかって罠を仕掛け犯人を追いつめたくだりとか、わくわくしました。
とても複雑なプロットを内包し、登場人物の思惑が輻輳しています。
作者の手つきとして、これは手がかりですよ、というのをかなりあからさまに示してくれているのですが(たとえば絨毯)、それらの数々の手がかりを組み合わせて真相に辿り着くのは容易ではないと思います(直感的に犯人の見当はつくのですが)。
冷静に考えると無理なところが目立つ気もするのですが、”予知” の存在を前提とすると、思考形式や行動形式が変わってしまうのかもしれないな、”予知” があればこういう風に考えるのかな、と想像してしまうくらいには人物が書き込まれているので、強い不満にはなりません。この点については、解説で斜線堂有紀が明晰に分析しています。
阿津川辰海、いいですね。
積読をしっかり消化していきたいです。
タグ:阿津川辰海