伽羅の橋 [日本の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
介護老人保健施設の職員・四条典座(のりこ)は、転所してきた認知症の老女・安土マサヲの凄惨な過去に驚く。太平洋戦争の末期、マサヲは自分の子ども二人と夫を殺したというのだ。事件の話は施設内で知られ、殺人者は退所させるべきだという議論になる。だが、マサヲが家族を殺したと思えない典座は彼女の無実を確信、“冤罪”を晴らすために奔走するが──!? 傑作本格ミステリー!
2024年3月に読んだ2冊目の本です。
叶紙器「伽羅の橋」 (光文社文庫 )。
第2回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作。
昭和二十年八月十四日、終戦間近の大阪を襲った大空襲のさなかに起こった事件を平成六年に解く、というストーリーで、謎解き役を務める主人公:四条典座が、猫間川とそこにかかる橋の来歴や残されていた手紙を手掛かりに、図書館での調べものや老人たちへの聞き込み、そして古い住宅地図の探索と、一歩、一歩真相に迫っていく様子を楽しむことができます。
これ、実際に作者がこの作品を書くための調べ物をこのような形で少しずつ迫っていったのでは? と思えてきます。
これが楽しい。
不可能興味の焦点は、空襲下で京橋から桃谷までどうやって二十分という短時間で移動できたか、という点にあり、103ページに地図が掲げられているとはいえ土地鑑がないとわかりづらいのが難点ですが、ハーレー・ダヴィッドソンを祖とする九七式側車付自動二輪とか暗渠とか、さらには桃谷地区を襲った水害被害まで、徐々に徐々に真相に迫っていきます。
物語のクライマックスは、阪神淡路大震災。
大阪の空襲と悲劇・惨事が二重写しに。
この中、典座が謎解きを関係者にしてみせ、細かな手がかり、ヒントを着実に回収していきます。
気になった点を挙げておきますと、視点がうろうろしてしまう点。
特に当事者の視点で物語ってしまうと、その段階で真相を明らかにすべきに思えてしまいます。あまりに作者にとって都合の良い視点の切り替えです。
心の中に踏み込まなくても、サスペンスは十二分に高まったように思うのでここは残念。
(この点以外でも視点がちょくちょく切り替わって分かりづらい箇所がところどころに)
気になる点はあるものの、戦争そして震災を背景としたイメージが強く印象に残りますし、謎を追い、解いていく楽しさにあふれた作品でしたので、また新作を発表してもらいたい作家さんです。
<蛇足1>
「制服のジャージから私服のジャージに穿き替え、〇ニクロのワゴンセールで買った、一枚五百円なりの白Tシャツを着て、スクーターにまたがった。」(122ページ)
あからさまにユニクロですが、小説の地の文で「〇ニクロ」という表記は珍しいように思います。
<蛇足2>
「元々料理をしなかった東にとって、連れ合いこそが文字通り竈神(かまどがみ)だったということかと。」(311ページ)
竈神という語自体は知っていましたが、ここのように台所を預かる主婦そのものを指す例は知りませんでした。
おもしろいですね。
<蛇足3>
「ずっと、みなさんのお話を、ドアの外でうかがっておりました。申し訳ないことでございます」(508ページ)
「申し訳ない」を丁寧にいうには、「申し訳ありません」「申し訳ございません」ではなく、「申し訳ないことでございます」である、と説いている文章を読んだことがあります。
デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士 [日本の作家 ま行]
デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士 (文春文庫 ま 34-1)
- 作者: 丸山 正樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/08/04
- メディア: 文庫
<裏表紙あらすじ>
仕事と結婚に失敗した中年男荒井尚人。今の恋人にも半ば心を閉ざしているが、やがて唯一の技能を活かして手話通訳士になる。ろう者の法廷通訳を務めていたら、若いボランティア女性が接近してきた。現在と過去、二つの事件の謎が交錯をはじめ……。マイノリティの静かな叫びが胸を打つ。衝撃のラスト!
2024年2月に読んだ2冊目の本です。
丸山正樹の「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」 (文春文庫)。
ドラマ化もされた人気作品。
シリーズ化されていて第2作以降が創元推理文庫から出ています。
この第1作は文春文庫で揃わないなぁ、仕方ないなぁ、と購入したのですが、この2月に創元推理文庫からも出版されました。待てばよかったかな......
副題 ”法廷の手話通訳士” というのがなくなっているようですね。
「デフ・ヴォイス」 (創元推理文庫)。その書影はこちら。
扱っているテーマが「ろう者」で、感動という文言があらすじや帯に飛び交い、ドラマ化もされている。
完全なる偏見ですが、お涙頂戴のいわゆる感動ものか、と以前は横目で見ていたところがあります。ところが創元推理文庫にシリーズが入ったので、おやっと思ったのが正直なところ。
ろう者や手話をめぐる状況は知らないことばかりで非常に興味深くそれだけでも十分面白くて人気があるのも当然かなと思えたのですが、それ以上に、読んでみてこれは優れたミステリーだとわかり、深く反省しました。
視点人物である荒井の視点(厳密にはそうとは言い切れない箇所がありますが)で物語が進んでいきます。
荒井自身が絡んだ過去の事件のいきさつなども、徐々に明らかになっていきます。
この ”徐々に” というのが大きなポイントです。
(読者にとって)意外な事実が次第、次第に明らかになっていく。
不明だったことが一つ明らかになると、また一つ謎が生まれる。
どうして? なぜ? どうなっている?
こうして荒井に連れられて、過去の現在の両方の事情が読者に元に届けられます。
この謎の連鎖、まさに謎が謎を呼ぶ展開が非常にうまくできていて牽引力抜群です。素晴らしい。
こうして辿り着く真相は意外性抜群というものではないのですが、(ある意味)派手なクライマックスシーンに想定される悲劇的な場面をどうするのかハラハラして読み進めた読者は、きっと満足して本を置くことができると思います。
ところでミステリ的に若干気になったところを。
クライマックスといえるシーンの直後の287ページにある人物の意図を荒井が思うシーンがあります。
ここに至ると読者も様々な思いが交錯するような感じがして非常に趣き深い考察になっているのですが、荒井(やその他の人物)がどういう行動をするかに大きく依存してしまうので、その人物もさすがにここまで見通すことはできないのではないかと気になりました。ちょっと超人過ぎる気がします。
この人物、シリーズの今後で活躍するような役割を与えられているのでしょうか??
その後スピンオフが出ているようですが、荒井のまわりで要所要所を締める何森(いずもり)巡査部長のことも気になります。
読めてよかったと心から思えましたので、シリーズを読み進めていきたいと思います。
<蛇足1>
『いん啞者の不処罰又は刑の減軽』を定めた刑法四十条──。(56ページ)
一九九五年の刑法改正で削除された条項のようですが、こういう規定があったのですね。
(些末なことですが、会話文ならいいのですが、地の文では第四十条と書いてほしかったところ)
<蛇足2>
ネタバレと捉えられるかもしれませんので、字の色を変えておきます。
「管外転籍? 何だ、それは?」再び送話口に飛び付く。 「他の市区町村に本籍地を移すこと。本籍地を他の市区町村に移すと、移った先、つまり新しい戸籍には離婚や死亡、養子縁組などで除籍された人の名前は残らない」(208ページ)
「その場合、元の戸籍に除籍者がいたことは調べようがないのかな」 「ううん。戸籍はどこまでもたどっていけるから、調べればわかる。単に、今の戸籍にその跡が残っていない、というだけ」(209ページ)
これは知りませんでした。戸籍にはまだまだ知らないことがあるでしょうね。
#私をミステリ沼に引きずり込んだ作品 [折々の報告ほか]
本日は本の感想ではなく......
X(旧ツイッター)に日本推理作家協会◎広報、というアカウントがあります。
このアカウントがお題を出し、該当する作品をみんなが回答するというお遊びをちょくちょくやっているのですが、先日(4月21日)のお題が、
#私をミステリ沼に引きずり込んだ作品
これ考えてみたら、はっきりしないんですよね。
小学生の頃、図書館の本がきっかけだったはずなのですが、さて、どれなのか。
小学校高学年ではもう沼にはまっていたことは間違いありません。
山中峯太郎のシャーロック・ホームズ
南洋一郎のアルセーヌ・ルパン
江戸川乱歩の少年探偵団
お決まりのこれらはしっかり図書館の本で読んでいますが、これが沼のきっかけかといわれると違う気がします。
それより前に「こちらマガーク探偵団」シリーズなどを読んでいるはずですしね。
あるいは、学研の雑誌、学習だったかな、に載っていたマンガ「名探偵 荒馬宗介」がそうなのかも。
これらはどちらかというと、ミステリを読む導入部なのでしょうか。
沼というレベルということを考えると、こういうタイプのものではなく、いろんな作家の本に出会うことができた
あかね書房の〈少年少女世界推理文学全集〉シリーズ(このページがありがたいですね)
が、#私をミステリ沼に引きずり込んだ作品 ということでは正解かもしれません。
このあと親戚のおうちにあったクリスティやクイーンなどの作品や、図書館にあった横溝正史などの作品(ちょうど市の図書館が新築移転したころで、なぜか角川文庫が大量に入荷──図書館は入荷と言わないかも──してあって、それで。小松左京、筒井康隆、星新一、森村誠一、夏樹静子といった作品もこのおかげで大量に読めました)に進んでいったように思います。
この頃にはミステリ(一部SF)以外は手に取らないようになっていました(笑)。
いずれにせよ、その後ウン十年、飽きることなくほぼミステリばかり読んで今に至るわけですから、立派な沼ですね。
ありがたいことです。
X(旧ツイッター)に日本推理作家協会◎広報、というアカウントがあります。
このアカウントがお題を出し、該当する作品をみんなが回答するというお遊びをちょくちょくやっているのですが、先日(4月21日)のお題が、
#私をミステリ沼に引きずり込んだ作品
これ考えてみたら、はっきりしないんですよね。
小学生の頃、図書館の本がきっかけだったはずなのですが、さて、どれなのか。
小学校高学年ではもう沼にはまっていたことは間違いありません。
山中峯太郎のシャーロック・ホームズ
南洋一郎のアルセーヌ・ルパン
江戸川乱歩の少年探偵団
お決まりのこれらはしっかり図書館の本で読んでいますが、これが沼のきっかけかといわれると違う気がします。
それより前に「こちらマガーク探偵団」シリーズなどを読んでいるはずですしね。
あるいは、学研の雑誌、学習だったかな、に載っていたマンガ「名探偵 荒馬宗介」がそうなのかも。
これらはどちらかというと、ミステリを読む導入部なのでしょうか。
沼というレベルということを考えると、こういうタイプのものではなく、いろんな作家の本に出会うことができた
あかね書房の〈少年少女世界推理文学全集〉シリーズ(このページがありがたいですね)
が、#私をミステリ沼に引きずり込んだ作品 ということでは正解かもしれません。
このあと親戚のおうちにあったクリスティやクイーンなどの作品や、図書館にあった横溝正史などの作品(ちょうど市の図書館が新築移転したころで、なぜか角川文庫が大量に入荷──図書館は入荷と言わないかも──してあって、それで。小松左京、筒井康隆、星新一、森村誠一、夏樹静子といった作品もこのおかげで大量に読めました)に進んでいったように思います。
この頃にはミステリ(一部SF)以外は手に取らないようになっていました(笑)。
いずれにせよ、その後ウン十年、飽きることなくほぼミステリばかり読んで今に至るわけですから、立派な沼ですね。
ありがたいことです。
C.M.B.森羅博物館の事件目録(45) [コミック 加藤元浩]
C.M.B.森羅博物館の事件目録(44) (講談社コミックス月刊マガジン)
- 作者: 加藤 元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2020/06/17
- メディア: コミック
<裏側帯あらすじ>
知の象徴である“C” “M” “B” 3つの指輪を巡る殺人事件を解決し、指輪の主としての役目を果たした榊森羅。
その後、森羅とその相棒・立樹は別々の道を歩み出していた──。
数多の事件を解決してきた2人の物語、遂に完結!! 《「大団円」他1編を収録!》
シリーズ第45巻にして最終巻です。「C.M.B.森羅博物館の事件目録(45)」 (講談社コミックス月刊マガジン)。
帯に
堂々完結!!
と大きく書かれています。
この第45巻には、
「大団円」
「ロマノフ王朝の秘宝」
の2つのエピソードが収録されています。
「大団円」は前巻「C.M.B.森羅博物館の事件目録(44)」 (講談社コミックス月刊マガジン)で描かれた「C.M.B.殺人事件」の後始末。
前巻で暗躍した、あの憎たらしい大英博物館の女性理事がまだ森羅に戦いを仕掛けてきます。
「ロマノフ王朝の秘宝」では、七瀬立樹は23歳になっていて、イギリスでアンティーク修復士となっています。
100年前に書かれた日記の記述をもとにロマノフ家の秘宝をさがす、という物語で、殺人事件も起こります。シベリア鉄道内の殺人とかそそるのですが、ちょっと無理がありそう。
七瀬に協力するハークスキーアジア研究所のサラン・カーキス研究員という青年が怪しそうに見えるのですが、そうなるとかえって読者には怪しくなくなってしまいますね。
でも事件の真相よりも気になるのは......
当然森羅が出てこないといけないのですが、さていつ出てくるか、いつ出てくるか。そしてどういう形で出てくるか。
ちょっと予想通りの展開になりましたが、なかなかいい感じでした──七瀬、気づけよ、もっと早く。
それにしても、これまで森羅の設定はみなさんご承知のとおり、とても幼くしてあったのですが、このラストを展望していたのでしょうか? すごい構想ですよね。
なんにせよ、ラストにヒヒ丸が出てきて本当によかった(笑)。
シリーズを締めくくるのにふさわしい人物(人ではないけど)ですよね!
Q.E.D. iff -証明終了-(17) [コミック 加藤元浩]
Q.E.D.iff -証明終了-(17) (講談社コミックス月刊マガジン)
- 作者: 加藤 元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2020/10/16
- メディア: コミック
<カバー裏あらすじ>
「ポプラ荘の殺人ゲーム」
お金には換えられないほどの価値があるという「青い蝶のブローチ」。この秘宝を懸けたゲームに招かれ、燈馬と可奈は洋館「ポプラ荘」を訪れた。だがゲーム開始後、敷地内で立て続けに密室殺人事件が発生!! しかも犯行時、参加者全員にアリバイがあって──。
「トロッコ問題」
医学部への進学を目指す少女・石狩アユ。養育費を払っていた彼女の父・久慈睦五郎が1年前に失踪して消息不明となったため、母を支えるべく海の家で働いている。そんな中、義理の兄弟たちとの相続争いが勃発し──!!
Q.E.D. iff のシリーズ第17巻。「Q.E.D.iff -証明終了-(17)」 (講談社コミックス月刊マガジン)。
奥付をみると2020年10月です。
「ポプラ荘の殺人ゲーム」は、なにか感想を書こうとするとネタバレになってしまいそうな作品なので困ってしまいますが、作者ご自身が大胆なネタバレを実行されていますので、気にすることはないのか?(笑)
全員にアリバイがある中で起きた密室殺人という魅力的な状況を、既存のトリックの組み合わせで実現している作者の手腕にご注目。
それにしても最後に燈馬が差し出すある ”モノ” 、こういうの本当にあるのでしょうか?──準備できる人はいるのでしょうね。
「トロッコ問題」は、冒頭有名なトロッコ問題が紹介され、これが謎解きに活きてくるという楽しい仕掛けとなっています。
事件(?) の内容も遺産争いという嫌な感じの話題なのですが、きちんと着地を見せます。
なのでめでたし、めでたし、という感じなのですが、どうも話に穴がある気が拭えません。うまくいかない気がします。
犯人の計画を成就させるためには、まだまだ一ひねりも二ひねりも必要な内容の話だと思うのです。
また事件そのものとは関係ないのですが、読者に真相を伝える手段にも疑問が残ります。
燈馬が可奈に最後に隠された真相を明かす、という段取りになっているのですが、「やっぱり水原さんには真相を話した方がいいですね」の前提となる可奈の発言は燈馬が招いたもので、ここがうまくない。燈馬は最初から可奈には言うつもりだったという解釈は成り立ちますがすっきりしませんね。
<蛇足>
「てことはオレ達と同じ高3か!」
「医学部を目指してるんだ」
「カニとカニカマだ」
という会話に吹き出しそうになりました。
カニとカニカマか......
タグ:加藤元浩 Q.E.D. iff
鬼神伝 鬼の巻 [日本の作家 高田崇史]
<カバー裏あらすじ>
京都の中学生・天童純は、密教僧・源雲の法力によって時空を超え平安の都に飛ばされてしまう。そこは、「鬼」と貴族たち「人」が憎みあい、争う世界だった。選ばれし者として雄龍霊(オロチ)を復活させた純は、鬼退治に向かうも、その最中に出会った鬼の少女・水葉から、鬼こそが大和の神々の子孫であると聞かされる。
2024年3月
高田崇史の「鬼神伝 鬼の巻」 (講談社文庫)。
2023年は高田崇史の本を読まなかったんだなぁ。積読がたまっているんですけどね。
この「鬼神伝 鬼の巻」は、「鬼神伝 神の巻」 (講談社文庫)とともに、講談社の若者向け「ミステリーランド」から刊行されました。
その後「鬼神伝 龍の巻」 (講談社文庫)が出て、シリーズは3冊になっているようですね。
その1冊目。
「かつて子どもだったあなたと少年少女のための──」
こういう惹句だった「ミステリーランド」から出されただけあって、主人公は中学生。
タイムスリップして平安時代の京都へ──平安京へと言うべきかもしれませんね。
そこで「人」対「鬼」の戦いに巻き込まれる。
戦いに出ていくわけなので、冒険活劇調の物語の中に、高田崇史の史観が織り込まれているので抵抗なく世界に入っていけるのではないでしょうか?
とはいえ、高田崇史の本を読みなれている方ならこの「人」対「鬼」の概念はおなじみですが、中学生とか高校生でいきなりこれを読むとびっくりするでしょうね。
学校で習う歴史とあまりに違うので面食らうことでしょうが──作中で純も何度もびっくりします──、混乱しないことを祈ります。
「鬼神伝 神の巻」
「鬼神伝 龍の巻」
へどう物語が展開していくのか楽しみ半分、心配半分です。
なぜなら、「鬼」側が負けるのは史実として決まっているから......
<蛇足1>
「今日は──何ということだろう──日本史の宿題を家に置いてきてしまったために、居残りさせられたのだ。」(5ページ)
主人公純は中学生。
中学校の科目は、日本史・世界史と分かれておらず、歴史だったような気がするのですが、今は変わっているのでしょうか?
<蛇足2>
「鳥居があって、手と口を清める手水舎(てみずや)があって」(6ページ)
手水舎ですが、”ちょうずや”(あるいは”ちょうずしゃ”)としか読まないと思っていましたが、そのまま ”てみず” とも読むのですね。
ブラウン神父の知恵 [海外の作家 た行]
<カバー裏あらすじ>
「どこかおかしいんです。ここまで正反対にできているものは、喧嘩のしようがありません」──謎めいた二人の人物に隠された秘密をめぐる「イルシュ博士の決闘」。呪われた伝説を利用した巧妙な犯罪、「ペンドラゴン一族の滅亡」など、全12篇を収録。ブラウン神父が独特の人間洞察力と鋭い閃きで、逆説に満ちたこの世界の有り方を解き明かす新訳シリーズ第二弾。
久しぶりですが、読了本落穂ひろいです。アップし忘れていた模様。
2016年3月に読んだG・K・チェスタトンの「ブラウン神父の知恵」 (ちくま文庫)
「ブラウン神父の無心」 (ちくま文庫)(感想ページはこちら)から間を開けずに読んだようです。
もちろん、南條竹則さんによる新訳。
「グラス氏の不在」
「盗賊の楽園」
「イルシュ博士の決闘」
「通路の男」
「機械の誤り」
「カエサルの首」
「紫の鬘」
「ペンドラゴン一族の滅亡」
「銅鑼の神」
「クレイ大佐のサラダ」
「ジョン・ブルノワの奇妙な罪」
「ブラウン神父の御伽話」
の12編収録。
ブラウン神父シリーズは、逆説的推理と言われることがあるように、常識とか思い込みを大胆にひっくり返す、それをうだつの上がらない凡庸そうな神父の口から暴かれるのがポイントです。
「ペンドラゴン一族の滅亡」のように逆説ではなく奇想が爆発している作品や呪いなどの言い伝え・伝説を利用した犯罪を描く「クレイ大佐のサラダ」のような作品、あるいは「ブラウン神父の御伽話」のように銃のない状況下で射殺されたオットー公の謎を解く作品もありますが。
あまたの後続作品を読んできた現在の目から見ると、「見かけどおりではないんだな」「何をひっくり返すのかな」と考えて読めば、ある程度はブラウン神父に先回りして回答を予想することはできるのでしょうが、そういう先回りはせずに、素直にそのまま意外な結末を迎えたほうが、新鮮に楽しめる気がします。
「紫の鬘」で公爵がひた隠すものは、ミスディレクションのお手本かと思います。
もっとも、たとえば「盗賊の楽園」なんか、いまや定番中の定番のひっくり返しです──これだけなら昔の作品だな、と思って終わりですが、ブラウン神父の目のつけどころであったり、登場人物たちの配置であったり、あるいはタイトルのいわれなど注目するところはほかにもたくさんあり、謎が解ったからといってつまらなくなるような作品ではありません。
「機械の誤り」もわりとありふれたひっくり返しを見せますが、タイトルに象徴される、ブラウン神父が解明に至る道筋に置かれた ”逆説” (教訓?)こそが見どころなのでしょう。
ブラウン神父が示す逆説は、言う本人にはそんなつもりは全くない(ですよね?)ものでも、きわめて皮肉なものだったりします。そこが楽しかったり(←こちらの性格が悪いのがばれてしまう)。
「カエサルの首」における「守銭奴の悪いところは、たいてい、蒐集家の悪いところでもあるんじゃないかね?」などはいい例かと思います。
またひっくり返してみるとかなりの綱渡りであることがわかって、驚嘆したり、苦笑したり。
「イルシュ博士の決闘」の真相をみなさんはどう受け止められるでしょう?
あるいは「ジョン・ブルノワの奇妙な罪」のようにかなり無理筋な事態を背景にしていたり。
逆に極めて平凡な着地を見せるひっくり返しもあります──「通路の男」。この作品はよくあるコントをミステリ仕立てにしたかのよう。
「銅鑼の神」のアイデアもかなりありふれた発想ですが、この作品が嚆矢なのでしょうね。
また、常識をひっくり返す、となると、真相はバカバカしいと思えるようなものになることが往々にしてある、ということも気になる点でしょうか。
冒頭の「グラス氏の不在」なんかはこれに該当するかもしれません──ただ、そう見える、ということは、違うようにも見える、ということでもあります。バカバカしいと思えるような真相から溢れ出す余情もまた愉し、ということかと。そしてブラウン神父の目のつけどころが、この余剰に一役買っているというのも大きなポイントのように思えます。
だからこそ、100年以上前の作品であっても、さらには再読、再再読であっても、どこか新鮮な読み心地となるのでしょう。
「ブラウン神父の無心」に続き、まだまだ傑作が並んでいる短編集です。
ブラウン神父シリーズの、南條竹則さんと坂本あおいさんによる新訳は、この「ブラウン神父の知恵」で止まっているようです。
ぜひぜひ、続けていただきたいです。
原題:The Wisdom of Father Brown
著者:G. K. Chesterton
刊行:1914年(wikipediaによる)
訳者:南條竹則・坂本あおい
タグ:G・K・チェスタトン ブラウン神父
列車に御用心 [海外の作家 か行]
2024年2月に読んだ8冊目の本で、エドマンド・クリスピンの「列車に御用心」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ103です。
先日一度アップしたのですが、なぜか書いたはずの感想が消えていてごくごく一部だけの状態で、かつ不要な部分を消したはずがこちらは残っているという状態でした。加除修正したつもりが修正できていないままアップしてしまったようです。大変失礼しました。
今さらながら、気づいたので、四苦八苦思い出しながら消えた感想を追記し、再度アップいたしました。
以下の16編収録の短編集です。
列車に御用心
苦悩するハンブルビー
エドガー・フォーリーの水難
人生に涙あり
門にいた人々
三人の親族
小さな部屋
高速発射
ペンキ缶
すばしこい茶色の狐
喪には黒
窓の名前
金の純度
ここではないどこかで
決め手
デッドロック
大半が Evening Standard 誌に掲載されたものということで、短めの短編が集まっています。
── 概ねこのあたりまで以前アップしていて、以下追加です ──
最後の2編「決め手」と「デッドロック」以外は、おなじみのフェン教授が探偵役を務めます。
長さ(短さ)のため若干クイズめいたものもありますが、だいたい謎解きミステリのお手本というか、折り目正しい教科書的な作りになっています。このあたりも書かれた時代を感じさせますね。
冒頭の表題作「列車に御用心」はその代表例といってよいように思います。
割とあからさまながら気づきにくい(と思われる)手がかりからさっと犯人をあぶりだす手際が見事です。
次の「苦悩するハンブルビー」も、限られた証拠から推論を導き出すフェン教授の手腕が冴えていると思うのですが、書斎の壁に撃ちこまれた弾丸について事前に触れられていないのが腑に落ちませんし、最後のフェン教授のセリフの意味を掴みかねました。
「生きているかぎり、知らないほうがよかったということが、少なくともひとつはある、といういことだ」
どういうことでしょう?
「エドガー・フォーリーの水難」はたまたま死体置き場に居合わせた(!) フェン教授がたちどころに真相を見抜くというお話。手がかりそのものよりも、手がかりを理解するものは? という視点がおもしろい。
「人生に涙あり」は完全犯罪談義から、フェン教授が完全犯罪の実例を紹介するという流れ。
この作品のアイデアはわりとミステリではよく知られたものですが、この作品が最初の作品とは思えないですね......
「門にいた人々」はギャング団の暗号を解読した捜査官が殺されたのを契機に、警察名に潜むモグラを突き止める話。英語がヒントになっていますので、翻訳では伝わりにくいですね。
「三人の親族」は、ジョッキにどうやって毒を盛ったかという謎で、途中フェン教授が「フレッドがアトロピンを口のなかに隠しつづけていた可能性はないか? で、ビールを飲むふりをしてジョッキのなかに薬剤を吐きだすこともできるぞ」(115ページ)と言ったときには、それは無理だろう、と思ったものですが、真相がそれと同じかそれ以上に無理っぽいのに苦笑してしまいました。
「小さな部屋」は 非行少年の更生を目的とした福祉団体の委員(!) であるフェン教授が、新たな保護観察収容施設となる建物を視察しているときに気づいたことがきっかけになります。視察シーンが効果的に甦るラストのセリフが印象的でした。
「ペンキ缶」もささいな手がかりを組み合わせるフェン教授の手腕が素晴らしいのですが、155ページの説明からだと、ラストのフェン教授のセリフが素直には入ってこないです......
「すばしこい茶色の狐」のタイトルは、The quick brown fox jumps over the lazy dog. という練習文から採られています。手がかりをシンプルなものに絞りつつ、フェン教授に喰って掛かる論争相手をやりこめているのが効果的です。
「喪には黒」は、一読後アンフェアでは?と思ったのですが、読み返したところうまく切り抜けていることを確認。
ちょっとしたヒントで真相に辿り着くフェン教授はすごいですね。
「窓の名前」は、ささいな(と言っては犯人ん気の毒ですが)きっかけで密室状況が崩れてしまうのがおもしろいです。
ただ、最後に語られる動機は成立するでしょうか? 被害者が死んでしまっても事態は変わらないように思うのですが。
「金の純度」は、「心身ともに健全な人格をそkっくり反転したのがあの若者の人格だ」(220ページ)と評される若者の犯罪をフェン教授が暴こうとする話。タイトルこそがある人物の嘘を見破るポイントなのですが、これは日本人にはわからないでしょう......
「ここではないどこかで」は、事件の構造(とトリック)はシンプルだけれど、だからこそ一層、ラストのフェン教授の皮肉が効いているように思いました。
「正義はとっくになされたんだよ」(250ページ)
「決め手」にはフェン教授は登場しません。探偵役はコッパーフィールド警部。事件そのものは平凡で、タイトル通り「決め手」が何かというのがポイントですが、ちょっと軽めでしたね。
フェン教授だったらもっともっと皮肉たっぷりに指摘しそうですが、ここは探偵役としてコッパーフィールド警部でないといけなかったのでしょう。
最後の「デッドロック」は、この「列車に御用心」の中では長めで、 Evening Standard 誌に掲載されたものではないとのことです。
主人公ぼくの視点から9年前の事件を振り返るという構図になっています。その点では一つの典型ともいえるプロットになっているのですが、短い中にいろいろな情景がしっかり浮かび上がってくるのが心地よいです。
切れ味とユーモアのバランスがとても心地よい短編集でした。
亜駆良人の解説によると、クリスピンにはもう1冊短篇集があるそうで、それもぜひまとめて翻訳してほしいです。
<蛇足1>
「ジリアンはジンを(そんなものを平然と飲む娘なんですよ)」(111ページ)
ジンを飲んだくらいでひどい言われようですが、ハードリカーは厳しめで見られたのでしょうね。
<蛇足2>
「ボルサーバーは白目(ピューター)の取っ手付きジョッキでビターを」(111ページ)
ピューターを ”しろめ” と訳すことは知っておりましたが、白目と書くのですね。
白鑞と書くことがありますが、白目は初めてみたかもしれません。
<蛇足3>
「ベディ・リジョンの血液型と同じか、それに準じたグループに該当します」(130ページ)
血液型が同じ、はわかりますが、準じたグループって何でしょう?
<蛇足4>
「推理小説とは、反社会的なものだどれだけ詭弁を弄したところで、その事実はごまかせん。犯罪者たちが推理小説から役に立つ情報を得ていない、とは言えんだろう。どんなに空想的かつ現実ばなれした内容がお決まりとはいってもね。」(164ぺージ)
ある登場人物のセリフで、このあとフェン教授が反論します。
いかにも、推理小説をお嫌いな方がいいそうなセリフではありますね。
<蛇足5>
ボクシング・デイの括弧書きで訳注だと思われるのですが、
クリスマスの翌平日で「クリスマスの贈り物の日」ともいう。英国では法定休日(200ページ)
と書かれています。
なぜ翌平日なのでしょう? 間違っているのでは?
12月26日が平日であろうと休日(土日)であろうと、Boxing Day は12月26日だと思うのですが......
原題:Beware of the Trains
著者:Edmund Crispin
刊行:1953年
訳者:冨田ひろみ
浴室には誰もいない [海外の作家 は行]
<カバー裏あらすじ>
匿名の手紙を契機に、ある家の浴室から死体を溶かして流した痕跡が見つかる。住人の男性ふたりはともに行方不明。地元警察と、特殊な事情によりロンドンから派遣された情報部員が、事件解決に向けそれぞれ捜査を始めるが……。二転三転する展開の果てに待つ、「死体なき殺人」の真相とは? バークリーが激賞した、英国推理作家協会ゴールドダガー最終候補作の本格ミステリ。
2024年2月に読んだ12冊目、最後の本です。
コリン・ホワイトの「浴室には誰もいない」 (創元推理文庫)。
先日読んだ「ロンリーハート・4122」 (論創海外ミステリ)の感想で既読と大きな勘違いを書いてしまい、その後未読であることを確認、慌てて(いい機会でもあるし)読むことに。
解説で法月綸太郎が、アントニイ・バークリー、ジュリアン・シモンズ、H・R・F・キーティングの言葉を引用しながら、ユーモアミステリ、ファルスミステリとして評価されていますが、笑いの要素は正直それほど強く感じられません。非常にわかりにくい笑いが提供されています。
法月綸太郎により「奇妙というより、もっとシュールでわけのわからない謎、うわべと中身のズレから生じる笑いと腹黒いサスペンス、いきなり真顔で突き放すような、情け容赦のない結末。それでも最初から作者の狙いにブレはなく、含みのある言い回しとあけすけな目配せで、底意地の悪い真相をちらつかせていたことがわかる」と説かれていますが、一言でいうと、変な作品ということになるのではないかと思います。
フラックスボロー警察に届いた匿名の手紙をもとに、住んでいる男性二人の姿が見えないからと警察が乗り込んでいく、というのがまず不思議(後に存在が確認された家主にパーブライト警部は「一存で家のなかを見させてもらいました」(88ページ)と言っています。家のなかを見たどころではないのですが笑)。
その家から浴槽が運び出され、下水管の下水が浚われ、硫酸を使用した跡が発見され、庭が掘り返される......
パープライト警部は死体を硫酸で処理したと考え捜査に乗り出すが......
ここまでだけで十分変です。
さらに変になります。
家主で煙草屋のゴードン・ペリアムとともに住んでいた旅回りのセールスマンのホップジョイは、実は重要国家機密に関わるスパイ当局の一員で諜報員だった(とはっきり書かれていませんが)ということで、その組織のロス少佐とその部下パンフリーも独自にホップジョイの行方を追う。
田舎町を舞台にした行方不明に、とんだ大騒ぎ、なんですが、捜査はわりと地味に進みます。
住んでいた二人のうちどちらかがどちらかを殺した、と思われていたものが、片方である家主が見つかって、家主が殺したのか、と思ったら、どうも証拠に矛盾があって、では死んだふりして失踪しているにか......
237ぺージと短い作品ですが、事件の様相がくるくると変わります。
(脱線しますが、先日感想を書いた湊かなえの「Nのために」 (双葉文庫)(感想ページはこちら)と違って本当にくるくると様相が変わります。こちらは死体が見つかっていないという点で変える余地が大きいから、ということもありますが、作者の興味の焦点が違うというのが一番の原因かと思われます)
作者の意地悪なところが色濃く出ている、そしてそれがイギリスで受けた、ということかと思われます──日本ではちょっと受けにくい作風である気がしますが、貴重な作風だと思うので、もっと訳してほしいですね。
<蛇足1>
「温かいミルクとコーヒーエッセンスでほんのり味をつけた湯を勧め、綿埃の焦げた臭いを強烈に発散する模造暖炉のスイッチを入れ」(36ページ)
”温かいミルクとコーヒーエッセンスでほんのり味をつけた湯” というのはかなり強烈な表現ですね。
後半に出てくる模造暖炉、昔住んだロンドンのフラットに似たようなものがありましたが確かに埃の匂いがしました。
<蛇足2>
「パーブライトは遺憾な気持ちを込めてため息をついた。」(88ページ)
遺憾な気持ちを込めたため息ってどんなでしょう?
<蛇足3>
「チャブが署長という地位にふさわしい知力を備えていると信頼していたためではない。単純な自然を前にして心を開放し、問題を効率的に解決しようとする心理が働いたにすぎない。」(138ページ)
パーブライト警部の心情を書いたくだりですが、ここの意味がわかりませんでした。
単純な自然?
チャブ署長と話すことを前提とした文章で、どうして自然が出てくるのでしょう?
ひょっとしたら原語は nature で、ここでは自然ではなく、人の性格、性質を指すのではないでしょうおか? 単純な性格の署長を前に、くらいの意味?
<蛇足4>
「うがった見方はしたくないが」と始めた。「可能性を無視するわけには……そのう、男がふたりきりでひとつの屋根の下に……」(143ページ)
チャブ署長のセリフですが、ここの「うがった見方」は典型的な誤用ですね。
「疑って掛かるような見方をする」意味で使わることが多い語ですが、本来は「物事の本質を捉えた見方をする」という意味ですから。
チャブ署長はあまり聡明な人物としては描かれていないので、訳者はわざと誤用させたのかもしれませんね。
<蛇足5>
「ブロックルストン発のニュースは、公園の芝生にはびこるデージーのように、新聞に顔を出し続けた。
記事そのものもデージーに似て小さく、常に紙面の下のほうに掲載される。」(217ページ)
デージーでも正しいのですが、この花の名前はデイジーと書く方がしっくりきますね。
原題:Hopjoy was Here
著者:Colin Watson
刊行:1962年
訳者:直良和美
ループ・ループ・ループ [日本の作家 か行]
ループ・ループ・ループ (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
- 作者: 桐山 徹也
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2020/04/07
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
昨日と同じ光景が繰り返される学校で、俺は時間がループしていることに気づく。しかし、俺にはループを引き起こすような出来事に心当たりがない。きっと俺は、この “物語" の主人公ではなく、“モブキャラ" として誰かのループに巻き込まれているのだ。そう考えた俺は、このループの原因となっている人物を探しはじめた。すると、他にもこのループに気づいた生徒たち俺の前に現れて──。
2024年2月に読んだ11冊目の本です。
2017「このミス大賞」隠し玉「愚者のスプーンは曲がる」 (宝島社文庫)(感想ページはこちら)でデビューした桐山徹也の第2作「ループ・ループ・ループ」 (宝島社文庫)。
引用しておいていうのもなんですが、上のカバー裏のあらすじ、暮妙にネタを割ってしまっている気がしてしまいます。
主人公は俺:橋谷郁郎。高校二年生。
11月24日が繰り返されることに気づく。
大通りで事故に巻き込まれた隣のクラスの玉尾里佳を助けたところ、次の日(といっても改めて繰り返される11月24日ですが)、玉尾もループに気づく。
そして蔵原貴久が階段から転落するのを助けたところ、その次の日、蔵原も異変に気づく。
3人は原因を突き止めようとする。
ここまでで58ページ──日付はいずれも11月24日とはいえ、3日間が経過しています。とてもテンポよく、心地よいリズムで一気に語られます。
勘のいいひとなら、ここまででこの作品の仕掛け(狙い)に気づくと思いますが、あまりにスムーズに、楽しく読んでいたので、しっかりスルー。
作者が堂々と明かす171ページに来るまでまったく思い至らず、ストーリーに没頭していました。
この物語の底流に、1年前に学校の女生徒が二人死んだことが流れています。
一人は飛び降り、もう一人は連続殺人の被害者。町で若い女性が首を絞められて殺されるという事件が三年ほど前から続いているという。
体育館の横に現れる長い黒髪の女生徒、学校で噂される呪いの赤いくまのストラップ、いじめ、周りをうろつく不審者.......
ループに絡んでいろんな要素がちりばめられています。
繰り返されるループとどうつながるのか(つながらないのか)、どうしてループが起ったのか。
ずっと読者の目の前にほうり出してあったことから、鮮やかに紐解かれていく出来事。
そしてなるほどと思わせるエンディング(このクライマックスをなるほどと言ってはいけないのかもしれませんが)。
振り返って落ち着いて見直してみるとプロットもちりばめられた事件もツッコミどころはあるのですが、非常によくたくらまれた作品で、十二分に楽しめました。
「愚者のスプーンは曲がる」に続いて、個人的に大当たりです。
このあと作品は出ていないようですが、ぜひぜひ、新作をお願いします。
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