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三つの栓 [海外の作家 な行]


三つの栓 (論創海外ミステリ)

三つの栓 (論創海外ミステリ)

  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2017/11/30
  • メディア: 単行本



2023年5月に読んだ6冊目の本です。
単行本で、論創海外ミステリ199。
ロナルド・A・ノックス「三つの栓」 (論創海外ミステリ)

帯に
ガス中毒による老人の死。事故に見せかけた自殺か、自殺に見せかけた他殺か、あるいは…「探偵小説十戒」を提唱したロナルド・A.ノックスによる正統派ミステリの傑作が新訳で登場!
と書かれています。

まさに書かれている通り、正統派ミステリ。
古き良き本格ミステリの香りが漂います。

探偵役は
「インディスクライバブル社にはお抱えの私立探偵がいる。が、こちらの事実は宣伝されていない。それどころか、社の公式書類においても、”当社の代理人” という呼び方しかされていない。彼は虫眼鏡もピンセットも──拳銃すら携帯しない。注射を打ったりもしないし、愚直な友もいない。それでも彼は私立探偵だった。」(18ページ)
と紹介される、保険会社専属の私立探偵、マイルズ・ブリードン。
「ぼくは椅子に座ったままで事件の謎解きをやってのけるようなタイプの探偵ではありません。」(236ページ)
と自分で言うのですが、トランプゲーム(ペイシェンス)をやりながら真相が脳裏に浮かんでくる、というのですから、安楽椅子探偵の資格も十分な感じがします。

自殺か他殺か事故かわからないガス中毒が事件で、タイトルの「三つの栓」とは、現場である室内にある二つの噴出口の栓とその両方の元となる元栓のことを指します。
謎解きの場面で、244ページ、245ページに二枚の絵を使って説明されるのですが、それでもわかりにくく、解説で真田啓介が説明してくれているのがとてもありがたい。
ただ、この部分は残念ながら後出しじゃんけんっぽい印象をぬぐえません。

それでもブリードンとその妻を中心とする登場人物たちの会話がとても楽しめました。
こういう作品、ときどき読みたくなります。


<蛇足1>
「それから彼はベッドに向かいましたが、あの哀れなモットラム老人が死んでいるのを、そして、その死因を発見するのに二分とかかりませんでした。」(53ページ)
これ、秘書が雇い主であった主人の死を語る場面です。
雇い主を哀れな老人呼ばわりする秘書はいないでしょう。
おそらく poor かそれに類する語が使われているのだと思いますが、形容詞であっても、日本語訳するときには副詞的に、雇い主であることを考えれば「おいたわしいことに」とでも訳すのが適当かと思います。
ついでにいうと、医者が死因を「発見する」というのも日本語として妙です。こちらもおそらく found が使われているのだろうと思われますが、発見するではなく、「気づく」とか「つきとめる」と訳すべきでしょう。
同じページにまだ不思議な日本語は存在します。
「相続人は、夕食の席で申しました地元の方々です。正確に言えば、たったひとりの老子さんということになりますが」(53ページ)
方々と言っておいてひとりとはわけがわかりません。原語を確かめてみたいところです。

<蛇足2>
「そうなったら、フランシス坊やに新しいタモシャンタン帽を買ってあげるお金はどうするの?」(58ページ)
タモシャンタン帽がわからず、調べました。「大き目のベレー帽の頭頂部分に、ボンボン飾りがついている帽子。」のことらしいです。Tam O'Shanter。
タモシャンターではく、タモシャンタンとされている理由はわかりません。

<蛇足3>
「話し方を聞けば大学で教育を受けたことは明白だし、有能であることも確実だった。」(84ページ)
イギリスは未だに階級社会ですし、この本の出版された1927年ではなおさらでしたでしょうから、離し方からいろいろなことが推察されるのは当たり前のことなのですね、きっと。

<蛇足4>
「難問に知恵を絞っているときというのは、たとえば、この自殺問題のようにね、すっかり能の働きが鈍って疲れきってしまうから」(159ページ)
単なる誤植ですが、脳ですね。



原題:The Three Taps
著者:Ronald A. Knox
刊行:1927年
訳者:中川美帆子





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スーツケースの半分は [日本の作家 近藤史恵]


スーツケースの半分は (祥伝社文庫)

スーツケースの半分は (祥伝社文庫)

  • 作者: 近藤史恵
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2018/05/09
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
三十歳を目前にした真美は、フリーマーケットで青いスーツケースに一目惚れし、憧れのNYへの一人旅を決意する。出発直前、ある記憶が蘇り不安に襲われるが、鞄のポケットから見つけた一片のメッセージが背中を押してくれた。やがてその鞄は友人たちに手渡され、世界中を巡るうちに “幸運のスーツケース” と呼ばれるようになり……。人生の新たな一歩にエールを贈る小説集。


2023年5月に読んだ5冊目の本です。
近藤史恵の「スーツケースの半分は」 (祥伝社文庫)

以下の9話収録の連作短編集。
ウサギ、旅に出る
三泊四日のシンデレラ
星は笑う
背伸びする街で
愛よりも少し寂しい
キッチンの椅子はふたつ
月とざくろ
だれかが恋する場所
青いスーツケース

第一話の主人公真美が手に入れた青いスーツケースが狂言回しとなり、真美の友人・知人のエピソードが順々に紡がれていく物語。
ミステリではありません。
タイトルは、旅行を決意した真美がもらう
「スーツケースの半分は空で行って、向こうでお土産を買って詰めて帰っておいでよ」(30ページ)
というメッセージからとられています。

スーツケースは
「たとえぼろぼろになったとしても、スーツケースはパーティバッグよりもいろんな風景を見ることができるだろうと。」(144ページ)
というコメントもある通りで、主人公が変わっていくので、さまざまな旅のかたちが描かれていきます。
決意していく旅、ふらりといく旅、思い立ってふといく旅、慌ただしい旅、旅というにはちょっと長い留学まで、そして......

青いスーツケースを共通点にしながらもいろんなパターン、いろんな登場人物が出てきます。
いつもながら丁寧に描かれていく各登場人物の心のもちようがポイントなのですが、ミステリを離れた分、それぞれのエピソードに作者の主張が色濃く出ているような気がしました。
(男性の描かれ方がちょっと型どおりかな、という気がしないでもないですが、大きな欠点にはなっていないと思います)

コロナ禍で旅行もままならなかった数年、また旅行に行きたくなりました。



タグ:近藤史恵
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映画:イノセンツ [映画]

イノセンツ.jpg

映画の感想です。「イノセンツ」

シネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品されたスリラー。ノルウェー郊外の団地を舞台に、超能力に目覚めた子供たちが思わぬ事態を引き起こす。メガホンを取るのは『ブラインド 視線のエロス』などのエスキル・フォクト。ラーケル・レノーラ・フレットゥム、アルヴァ・ブリンスモ・ラームスタ、ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイムのほか、『マザーズ』などのエレン・ドリト・ピーターセンらが出演する。

あらすじ:9歳の少女イーダは、重度の自閉症で言葉を発さない姉アナと共に郊外の団地へ引っ越す。イーダは同じ団地の別棟に住むベンから声を掛けられて森で遊んでいたが、ベンはイーダの握っていた木の棒を凝視しただけで真っ二つに折ってしまう。ベンは念じるだけで物体を動かせる特殊な能力を持っていた。イーダが彼の能力の強さを繰り返し試しているうちに、ベンは他人を自在に操れるまでになるが、次第に鬱々とした感情や思考を増幅させ、過激な行動に走るようになる。


映画のHPから INTRODUCTION を引用します。
大友克洋の「童夢」からインスピレーションを得た驚異の映像に、世界が震撼&絶賛
『ミッドサマー』『LAMB/ラム』に続く北欧初のサイキック・スリラー

第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、ノルウェーのアカデミー賞と呼ばれるアマンダ賞で驚異の4冠を獲得。世界の映画祭で16映画賞を受賞し、観客を絶賛と衝撃の渦に巻き込んだ問題作がついに日本上陸。

監督・脚本を手掛けたのは、ノルウェーを代表する映画監督ヨアキム・トリアーの右腕として『母の残像』『テルマ』などの脚本を共同で務め、『わたしは最悪。』で米アカデミー賞[レジスタードトレードマーク]脚本賞にノミネートされた鬼才エスキル・フォクト。子供たちの夏休みを、かつて誰も見たことのない“無垢なる恐怖”で紡ぎ上げた。また、世界中に多くの熱狂的ファンを持つ大友克洋の傑作漫画「童夢」からインスピレーションを得た本作は、特異な世界観のみならず、不穏な予兆と驚きに満ちたサイキック描写においても傑出した迫真性を獲得。大人が一切介在しない、子供たちの“危険な遊び”は予測不能な想像を絶する結末へと突き進む。



時は夏休み。
主人公は引っ越したばかりの9歳の少女イーダ。姉アナは自閉症で言葉を発しない。
偶然近くの林で知り合ったベンが超能力をイーダに披露。
超能力を披露してもらうシーンはとてもわくわくできるんですよね。
小さな石を落下途中で向きを変えて飛ばす、という他愛のない(といっても常人にはできないのですが)もので、たぶん他愛のないものだからこそ、素直によろこびが伝わってくる。

もう一人主要人物として出てくる子供がアイシャ。
この3人は同じ団地に住んでいるみたいですね。かなり大きな団地のように思いました。
イーダにはないのですが、アナとイーダ、そしてアイシャは、どうやらテレパシーのようにお互いの考えが読み取れるよう。
これを確認するシーンも楽しいし、自閉症で発語しなかったアナが、テレパシーのおかげもあってなんとか言葉を発するところはちょっと感動すら覚えました。

ところが物語は良い方向には進みません。
その後イーダは超能力のまがまがしい使い方をし始めるのです。猫のシーンに明らかなように、もともとちょっと悪い傾向がうかがわれる少年ではあったのですが。

暴走する超能力者というのはたまに観るテーマで、たとえばこのブログで感想を書いたものでも「クロニクル」(感想ページはこちら)などは同じテーマですね。
あちらは高校生。思春期という時期でしたが、こちらはもっと幼い子ども。
ここがポイントですね。
子どもであるがゆえに、無邪気に伸びやかに超能力を伸ばし、思いのままに使ってしまう。
抑制のきかない怖さが出ています。

ベンの暴走については、早い段階で周りが気づかないのかな、とちらっと思いました。
特に母親のシーンでは、その後周りの人が気づかないのか気になります。
こういう団地では、北欧でも周りはあくまで全く無関係な他人にすぎず、気を配らないものなのでしょうか?
夏のホリデーシーズンで人が少ないということも一役買っているのかもしれません。

ベンの能力が、モノを動かすサイコキネシスやテレパシーから、人を意のままに操ることまでできるようになり、まさに邪悪な方向へ。人を使って、(ベンにとって)嫌なやつを殺させてしまうところまで。
ベンを止めようとしたアイシャをベンが殺そうとしたことから、アナとアイシャ、そしてイーダ(イーダだけ能力がありません)はベンと対立することに。
ここまででも筋を明かしすぎな気がしますが、ここからの凄惨と呼んでもよいような展開はさすがに伏せておいた方がよいのでしょうね。


ただ、ラストにだけは触れておきたいと思います。
<ネタバレが嫌な場合は以下は飛ばしてください>


最終的に、アナがベンと対決し成敗する、という展開になります。
サイキック的な力により心臓麻痺のような感じでしょうか?
途中、イーダが駆け付け、アナと手を握ることで力が増したようなところもあります(この直前、イーダがギブスを壊すシーンがあり、ひょっとしたらイーダの能力も発現したのかも、と思いましたが、よくわかりません)。
ベンをやっつけてしまうこのラスト自体も賛否が分かれるところかとおもいますが、このストーリー展開では是とせざるを得ない気がしています。
この展開自体も恐ろしいのですが、個人的になにより恐ろしいと思ったのは......
このラストの対決シーン、対決の現場は団地の中にある池の両岸で、団地からは見おろせるところ。
対決が盛り上がってくると、周りにいた赤ん坊が泣きだしたりと子供たちの様子が変わってくる。
そして団地の中からも子供たちが窓辺(ベランダ?)に現れ、アナとベンを見始める。
このシーン、不穏なものを感じて注目した、と捉えることも可能ですが、アナの能力に共鳴しているように思えてならないのですね。
アナとイーダが力を合わせて、というだけではなく、共鳴した子供たちも能力を持っていてそれらの力が合わさってベンに対抗したかのよう。
ベンが力尽き、それぞれの子供たちが窓辺を離れるところまで描かれるので、そう思えてなりません。
とすると、この団地で子供たちは能力を(次々と)開花させていることになり、であれば、第二、第三のベンが現れないとも限らない。
こんな恐ろしいかたちでエンディング......
このあとアナは元の自閉症的状態に戻り絵を描き、イーダはお母さんに泣きつき、日常を取り戻すシーンになって終わるのですが、とても恐ろしく感じて映画を観終わりました。


<ネタバレ終了>

内容が内容だけに広くお勧めはしづらいのですが、ざわざわとした感触の残る映画で、とても恐ろしかったので、ご興味のある方はぜひ。




原題:THE INNOCENTS
製作年:2021年
製作国:ノルウェー/デンマーク/フィンランド/スウェーデン
監 督:エスキル・フォクト
時 間:117分



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Q.E.D. iff -証明終了-(11) [コミック 加藤元浩]


Q.E.D.iff -証明終了-(11) (講談社コミックス月刊マガジン)

Q.E.D.iff -証明終了-(11) (講談社コミックス月刊マガジン)

  • 作者: 加藤 元浩
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/10/17
  • メディア: コミック


<カバー裏あらすじ>
「信頼できない語り手」
燈馬がMIT時代に出会った正直すぎる男。ある日、彼の兄貴分のギャングと対立する組織のボスが殺害される事件が 証人として証言台になった彼に対し燈馬は……
「溺れる鳥」
人工知能(AI)裁判官が導入された近未来の日本。妻とその浮気相手の男を殺害した容疑で逮捕されたのは、AI裁判官の管理を行う技官の男だった! 罪を否認する彼の運命と事件の真相は


Q.E.D. iff のシリーズ第11巻。
奥付をみると2018年10月。もう5年ほど前になりますか。amazonでは既に入手困難になっているようです。

「信頼できない語り手」というタイトルとは違い、登場するのは嘘のつけない男ラディッシュ・ボウル。このラディッシュのキャラクターが特徴的ですし、彼をめぐって組み立てられているプロットがかなり複雑で、この長さのマンガとして少々窮屈に感じましたので、長編小説として仕立て直しても面白いのではないだろうかと思えました。

「溺れる鳥」はAI裁判官が導入された近未来の話、となっていて、いつものシリーズ作品とは違い、パラレルワールドの登場人物な燈馬と可奈の物語です。可奈は弁護士になっていますね。
AI裁判官の問題点、ということですが、どちらかというとそれを悪用するあるポジションのほうが問題ではないかと感じました。またその絵解きで使われる殺人現場の見取り図も、説明されている文章ではちょっと問題があるように思えました。AIが思惑通りに解釈しないと思われます。
この点をおいておくと、指紋をめぐるトリックは絵画的で楽しかったですし、犯人限定のポイントもよくあるパターンではありますが要所を掴んで印象的でした。



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C.M.B.森羅博物館の事件目録(39) [コミック 加藤元浩]


C.M.B.森羅博物館の事件目録(39) (講談社コミックス月刊マガジン)

C.M.B.森羅博物館の事件目録(39) (講談社コミックス月刊マガジン)

  • 作者: 加藤 元浩
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/10/17
  • メディア: コミック


<帯あらすじ>
「学校の勉強が必要な意味って…?」
高校生の隼人が持つ疑問に、大人は答えてくれない。そんな中、隼人は連休の間だけ山奥に住む叔父の家に預けられることに。
ある日、怪しげな行動をとる叔父を追うと、発掘作業をしているのを見つける。それは何かの化石のようで…
《「パレオパラドキシア」他3編を収録》


この第39巻は、
「想像の殺人」
「パレオパラドキシア」
「ミグラスの冒険」
「空き地の幽霊」
の4話収録。

「想像の殺人」はミステリとしては平凡と言わざるを得ないと思いますが、会社員久保田の視点から語った物語が、別の視点(森羅たち)に切り替わり、すっとテーマが浮かび上がってくるところがいいなと思いました。
タイトルの「想像の殺人」の意味もなかなか気がきいています。

「パレオパラドキシア」は「大学まで行って勉強することに何の意味があるの?」という高校生隼人の問いを扱っています。
割と早い段階で、森羅が
「隼人君はみんないつも意味のある答えを出してくれないって言ったけど
 本当は答えより謎の方を知らないんじゃないの?」
と指摘していて、その森羅の意味を隼人が知るまでの物語。
ミステリとは言い難い物語になっていますが、森羅にふさわしいと思いました。

「ミグラスの冒険」はミウが登場。
殺人現場に残された「ミグラスの冒険」という本。異世界ファンタジー物として内容が紹介されますが、この内容がひどい(笑)。
とはいえ、これに現実の事件が重ね合わされていきます。
ひょっとして安易なファンタジー物に対する加藤元浩の批判が込められているのかもしれませんね。

「空き地の幽霊」は、元液晶パネルの工場があった空き地周りに出没する幽霊話。
他愛もない謎解きになっていますが、ある登場人物をめぐるエピソードのオチには爆笑してしまいました。


今回、いずれの作品もミステリとは違うところで勝負している印象がありました。


タグ:CMB 加藤元浩
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スイッチ 悪意の実験 [日本の作家 さ行]

スイッチ 悪意の実験 (講談社文庫)

スイッチ 悪意の実験 (講談社文庫)

  • 作者: 潮谷 験
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2022/09/15
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
私立大学狼谷(ろうこく)大学に通う箱川小雪は友人たちとアルバイトに参加した。1ヵ月、何もしなくても百万円。ただし──《押せば幸せな華族が破滅するスイッチ》を持って暮らすこと。誰も押さないはずだった。だが、小雪は思い知らされる。想像を超えた純粋な悪の存在を。第63回メフィスト賞受賞の本格ミステリー長編!


2023年5月に読んだ4冊目の本です。
潮谷験のメフィスト賞受賞作「スイッチ 悪意の実験」 (講談社文庫)
上で引用したあらすじ、微妙に違和感があります。
むしろネット通販のページ上に書かれている下のものの方がしっくり。

夏休み、お金がなくて暇を持て余している大学生達に風変わりなアルバイトが持ちかけられた。スポンサーは売れっ子心理コンサルタント。彼は「純粋な悪」を研究課題にしており、アルバイトは実験の協力だという。集まった大学生達のスマホには、自分達とはなんの関わりもなく幸せに暮らしている家族を破滅させるスイッチのアプリがインストールされる。スイッチ押しても押さなくても1ヵ月後に100万円が手に入り、押すメリットはない。「誰も押すわけがない」皆がそう思っていた。しかし……。
第63回メフィスト賞を受賞した思考実験ミステリが文庫化!

主人公であり視点人物である箱川小雪の考え方や行動についていけず、個人的には物語に乗りそびれた感が強いのですが、それでも最後まで興味深く読みました。
予想外の展開に持ち込んで見せる技を堪能したと言えます。

あらすじに書いてある設定ですが「自分達とはなんの関わりもなく幸せに暮らしている家族を破滅させるスイッチ」(具体的にはそのスイッチが押されると、金銭的な援助が打ち切られてしまう)を押すかどうかという実験に主人公たちが参加するという物語になっているのですが、この出だしから、どうミステリに持ち込むのだろう、と思っていました。
押すにせよ、押さないにせよ、ミステリにはなりにくいな、と。
ところが物語半ばのあるページに来て、なるほど、その手があったか、と。

謎そのものは平凡というかありふれた設定ではありましたが(ここで提示される謎の絵解きに期待してはいけません)、ここですっと謎解き物語に転化するのは見事だなぁ、と思いました。

作者はさらに手が込んでいて、その後さらに物語は形を変えます。
謎解きが具現化するのですが、こういう展開になろうとは予想していませんでした。
ただ、それよりも物語の比重は、宗教観、あるいは主人公たちの人生観に重きが置かれるようになってしまいます。

「純粋な悪」研究のための実験だった、ということですから、もとより宗教観のようなものが打ち出されてもおかしくはなく、力の入れ方からして作者もここが書きたかったのだろうなと思われるのですが(各登場人物の設定も、このテーマに沿う形となっています)、ミステリ好きのこちらからすると、ここはあまりしつこくせずに、ミステリとしての側面をがんばってほしかったところ。
考え方や行動に違和感を覚えているだけに、余計そう感じてしまいました。

とはいえ、物語を転換させていくのは面白いなと感じましたので、またまた注目の作家ができてしまいました。

ちなみに「純粋な悪」というのは
「ようするに僕の考える悪とは、他者を傷付ける行為、という単純なもの。その衝動を解放させる状況によって評価が異なってくる。戦争のような、ルールで許されている他害行為は純度が低い。あいつが憎いとかあいつが持っているアレが欲しいという理由で振り降ろされる暴力は、それに比べるとマシだけどまだまだ濁っている。そして悪行機械のように、理由も躊躇もなく実行される他害行為こそが」「僕の求める、純粋な悪だったのさ。」(156ページ)
と実験を主宰する心理コンサルタントに説明されます。


<蛇足1>
「音楽とは、基本的に情景を呼び起こすものだと私は思う。歌詞の存在を問わず、激しい楽曲は嵐を、柔らかい音楽は優しい花園のような形を聞く者の頭に浮かび上がらせる。」(100ページ)
主人公のコメントです。
音楽というものに対するイメージは人それぞれかと思いますが、この受け止め方は面白いですね。
歌詞の効用についても聞いてみたくなります。

<蛇足2>
「僕に限らず社会学とか心理学系の研究者って、論証を疎かにすることも多いしねえ」(156ページ)
心理コンサルタントのコメントです。
個人的に大学のジャンル的には文系出身となりますが、ここで述べられていることは、社会学、心理学に限らずいわゆる文系一般に当てはまるように思いますね(こんなことを言うと叱られるかもしれませんが)。そもそもそれ以前として、使う用語の定義が定まっていないことも多いように思います。




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PLAY プレイ [日本の作家 山口雅也]


PLAY プレイ (講談社文庫)

PLAY プレイ (講談社文庫)

  • 作者: 山口 雅也
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/05/14
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
外科医が、愛するぬいぐるみたちと興じる、秘密の「ごっこ遊び」。怖ろしい罠が待ち受ける「ボード・ゲーム」。引き篭もりたちが、社会復帰のためにと熱中する「隠れ鬼」。自分の家族がそっくりそのまま登場する「RPG(ロールプレイング)ゲーム」。四つの奇妙な「遊び」をモチーフにした超絶技巧の、ミステリ・ホラー短編集。


5月に読んだ3冊目の本です。
山口雅也「PLAY プレイ」 (講談社文庫)
「遊び」をモチーフにした4編収録の短編集で、上で引用したあらすじで簡単に各話が紹介されています。

「ぬいのファミリー」のモチーフはぬいぐるみ。
大のおとながと言われそうですが、ぬいぐるみに入れ込んでいる外科のエースと家族の話。
4編の中ではおとなし目で導入部という感じなのでしょうが、そこは山口雅也、細かなところまで作りこまれています。

「蛇と梯子」はボード・ゲーム。
インドを舞台にすごろく型のボードゲームに取り込まれていく駐在員家族を描いています。
単純に見えて、重層的な構造をもった物語になっています。

「黄昏時に鬼たちは」は隠れ鬼。
ハンドルネームで呼び合うネットサークルが繰り広げる隠れ鬼のゲーム中に殺人事件が起きます。
ホラーより、ミステリの色彩ですね。
日本の某作(リンクを貼っていますがネタバレになりますのでお気をつけください)と同様のアイデアがより洗練された形で提示されていてびっくりしました。おすすめです。

「ホーム・スウィート・殺人(ホミサイド)」はヴィデオ・ゲーム。
タイトル「ホーム・スウィート・殺人(ホミサイド)」から、クレイグ・ライスの「スイート・ホーム殺人事件」(ハヤカワ・ミステリ文庫)(原題が Home Sweet Homicide )を思い起こしたのですが、作風は全く違います。
スナッフ・フィルムならぬスナッフ・ゲーム。スナッフ・ゲームとは「刺激的な殺人ゲームをごく個人的なものに──つまり、自分の周囲の知り合いをゲームのキャラクターに仕立てて、殺しを楽しめるようにした」(278ぺページ)もの、と説明されます。こういう設定なので、現実と架空の世界の境界線がぼやけていく展開となります。

強弱あれど、いずれも山口雅也の技巧がさえわたる作品ばかりでした。
素晴らしい。
積読が長すぎて、品切れ状態になっているようですが、どこかから復刊されるべき名作だと思います。


<蛇足>
「実際の殺人現場を見たい人に、わざわざポリゴンに仕立てたもの見せたってしょうがないじゃないの」(277ページ)
スナッフ・フィルムの話題でポリゴン?? まさかここでポケモンのわけないし....
とトンチンカンなことを思って調べてみたら、polygon は多角形という意味で「多角形を多数使って立体物の形状を近似する手法」を指すのですね。なるほど。





タグ:山口雅也
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少女禁区 [日本の作家 は行]


少女禁区 (角川ホラー文庫)

少女禁区 (角川ホラー文庫)

  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2010/10/23
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
15歳の「私」の主人は、数百年に1度といわれる呪詛の才を持つ、驕慢な美少女。「お前が私の玩具になれ。死ぬまで私を楽しませろ」親殺しの噂もあるその少女は、彼のひとがたに釘を打ち、あらゆる呪詛を用いて、少年を玩具のように扱うが…!?
死をこえてなお「私」を縛りつけるものとは──。哀切な痛みに満ちた、珠玉の2編を収録。瑞々しい感性がえがきだす、死と少女たちの物語。第17回日本ホラー小説大賞短編賞受賞。


2023年5月に読んだ2冊目の本です。
第17回日本ホラー小説大賞短編賞受賞 伴名練「少女禁区」 (角川ホラー文庫)
表題作と、「chocolate blood, biscuit hearts」の2編収録ですが、非常に薄い本ですね。

ホラーはあまり得手ではないのですが、独特の世界観に引き込まれました。
両作とも、恐ろしい内容ながら淡々とつづられる物語のうちに、こちらではない、あちらの世界が浮かび上がる不思議な世界観です。
リリカルな残酷物語?

「chocolate blood, biscuit hearts」は、あたかも囚われているかのように幽閉状態で育てられている富豪姉弟の脱出行(?) 。
近未来と思われる設定で、五感のうち皮膚感覚以外を配信者から受け取るサイネットという仕組みが出てきます。
タイトルからマザー・グースの "「chocolate blood, biscuit hearts」" を連想しましたが、あまり関係ないですね。作中で言及されているのは「ヘンゼルとグレーテル」。
「あたしたちはとどのつまり、子どもでしかなかった。チョコレートの血が流れてて、ビスケットの心臓で動いてた。すべてが甘かったのよ、あたしたちは。」(51ページ)
というセリフもあります。
対する大人は「本物の血と肉をもった大人たち」と表現されています。

「少女禁区」は、時代設定がよくわからないのですが、近過去のように思われます。
冒頭に出てくる「施療所」という単語や出てくる文物からそう判断したのですが、なにより呪詛が一般的で人柱が必要な世界で和という風情ということでそう思ってしまったのかもしれません。
呪術を使いこなす最強の少女と、その僕(しもべ)のような主人公という設定の残酷物語(いじめ、というレベルを超えております)から、人柱をキーに世界をガラッと変えて見せるのが印象的。
ラストの一行がかなり趣深いのですが、ここだけが急に西洋的になっているのが少々気になりました。


<蛇足1>
2023年5月22日の段階で、この本を amazon でチェックしてみたら、もう出版社品切れ状態のようで、古書価がものすごいことになっていますね。
9,680円! 手元にある文庫の定価は 438円です。

<蛇足2>
タイトル「少女禁区」の中にある「禁区」。
「禁区」といったら中森明菜の楽曲なのですが(笑)、当時「禁区」の意味がわからず辞書で調べたら載っていなくて困惑したことを思い出しました。
PCの漢字変換でも出てきませんね。
中国語では「禁区」という語はあるようですが、「禁区」という語は字面のイメージ喚起力があるので、なんとなく意味がわかるのがすごいですね。



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双蛇密室 [日本の作家 は行]


双蛇密室 (講談社文庫)

双蛇密室 (講談社文庫)

  • 作者: 早坂 吝
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/06/13
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
援交する名探偵・上木(かみき)らいちの「お客様」藍川刑事は「二匹の蛇」の夢を事あるごとに見続けてきた。幼い時に自宅で二匹の蛇に襲われたのが原因のようだが、その裏に藍川の両親が関わった二つの密室事件が隠されていた。らいちが突き止めた前代未聞の真相とは? 「本格」と「エロ」を絶妙に融合した人気シリーズ!


2023年5月に読んだ最初の本です。
早坂吝「双蛇密室」 (講談社文庫)
「2018本格ミステリ・ベスト10」第5位です。

早坂吝だし、上木らいち物だし、身構えて読むわけですよ。
エロだろうし、強烈だろうし。
読んでみて、確かにエロでした。強烈でした。
「らいちは絶頂に至ると同時に、事件の真相にも至った。」(215ページ)
なんて書くくらいですからね。
でも、それを受けて明かされる真相がさらにすごいのですよ。
いや、もう強烈という言葉では言い表せないと感じるくらい、強烈でした。

ミステリで蛇といったらなんといってもシャーロック・ホームズものの某作で、だから(笑)密室と蛇は相性がいいのですが、いや、もう、この作品の第二の事件での蛇の使い方には何と言ったらよいのか......

でもこんなの序の口で、第一の事件はもっともっとすごい。
「最初に言っておくけど、今から話す推理には証拠がない。だから信じるかどうかはあなたたち次第。でも私はこれが真相だと思っている。」(252ページ)
とらいちが謎解きの前に言っているのですが、本当に信じがたい。
江戸川乱歩の類別トリック集成の意外な犯人のところに果たしてこの項目があったかどうか。きっとないです。新たな項目として付け加える必要があるくらい斬新なのですが、でもこれ、採用されない気もする......

解説で黒田研二が
「援助交際を生業とする女子高生・上木らいちが名探偵となって活躍するこのシリーズは、どの作品も物語の根底に下ネタがはびこっている。エロではない。下ネタだ。」
としているのは、言葉の定義の問題なので異論があるかもしれませんが、
「作中、過激なセックスシーンも頻繁に登場する。しかし、不思議なことにちっともエロくはない。あっけらかんと明るく、どことかくユーモラスな、まさしく酒の席でエロ親父たちが下ネタを言い合っているような、あるいは中学生が休み時間に猥談で盛り上がっているような、そんな感覚と似ている」
と言っているのは卓見だという気がします。



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映画:さらば、わが愛/覇王別姫 [映画]

さらば、わが愛/覇王別姫.jpg

映画の感想です。「さらば、わが愛/覇王別姫」
古い有名な映画です。いままで観たことがありませんでした。
公開30周年、レスリー・チャン没後20周年ということで4Kリマスター版が劇場公開されたので、観に行きました。

予告編を引用しておきます。


映画のHPから STORY を引用します。
京劇の俳優養成所で兄弟のように互いを支え合い、厳しい稽古に耐えてきた2人の少年――成長した彼らは、程蝶衣(チョン・ティエイー)と段小樓(トァン・シャオロウ)として人気の演目「覇王別姫」を演じるスターに。女形の蝶衣は覇王を演じる小樓に秘かに思いを寄せていたが、小樓は娼婦の菊仙(チューシェン)と結婚してしまう。やがて彼らは激動の時代にのまれ、苛酷な運命に翻弄されていく…。

一大絵巻、と呼びたくなる映画でした。
京劇の俳優である蝶衣と小樓(と小樓の妻となる菊仙)の物語であると同時に、中国の時代の流れの物語。

京劇というのは観たことがないのですが、歌舞伎のように男だけで演じるのが主流なのですね。
幼少期の訓練が苛酷でびっくり。まるで曲芸団の訓練のようだと思いました。

女形蝶衣(幼名、というか本名でしょうか、小豆子)をレスリー・チャンが演じていてこれが圧巻。
といいつつ、京劇の女形の甲高い歌声には違和感を覚えてしまいましたが......
対する覇王役の小樓(幼名、小石頭)はそれに比べると普通の人間に見えるのですが(へんな表現で申し訳ないです。それだけ蝶衣が特異な存在に仕上がっているのです)、ここは物語として非常に重要なポイントであるように思いました。

この二人に、菊仙という娼婦が絡み、小樓をめぐって蝶衣と鞘当てをずっと繰り広げる、というのが大枠。菊仙をコン・リーが演じていて、素晴らしい。
蝶衣視点で観てしまうと、敵役なので憎い女(小樓が囚われたときに日本兵のところへ行ってくれ、小樓が釈放されれば小樓とは別れるから、と蝶衣に頼み込んできたくせに、いざ釈放されるとそのそぶりも見せないところとか、ほんとに嫌な奴なんですよ!)ではあるのですが、強く弱い女には見入ってしまいます。

蝶衣と菊仙の対立を、小樓が凡人ならではの感性で、気にかけていなそうなところがまたもどかしい。

そこに時代の波に翻弄される京劇の悲劇が重ね合わされています。
劇中劇である「覇王別姫」の物語が悲劇であることから、この映画そのものも悲劇に終わるのではという予想が全編にわたり底流として観客の意識に流れます。
長い映画ですが、退屈することなく、緊張感を保ってラストを迎えます。

不満を述べておきますと......(ネタバレ気味ですので、ご注意ください)
この映画、非常に濃密に主人公たちを追っていきます(内面を俳優陣がしっかり感じ取らせてくれます)。
ラスト近辺の文化大革命での衝撃的なシーンのあと、時は流れてこれまた衝撃的なエンディングのシーンになります。
この2つの出来事の間の蝶衣と小樓の心の動きに触れられていないのが不満です。
文化大革命でのカタストロフィと呼んでもよさそうなシーンの後の葛藤が観客の想像に委ねられています。すべてを破壊しつくしてしまうような小樓の言動と、どう蝶衣は折り合いをつけたのか、あるいはつけなかったのか、わからないのがもどかしい。
勝手な想像ながら、小樓本人は自ら周りを破滅に追い込んでおきながら、ケロッとしているような気がしているのですが、蝶衣はそうはいかないでしょう......
エンディングについて、物語の結構としてこうでなければならないという以前に、蝶衣の心情から理解できるような気がしているものの、そこに至るまでが飛んでしまっているので、落ちつきません。

不満をあえて買いましたが、見応えのある映画でした。
この巨編を大きなスクリーンで観ることができてとてもよかったです。


<蛇足>
英題 ”Farewell To My Concubine” の Concubine って、妾(あるいは正妻以外の妻)という意味なんですよね......
なんだか含蓄深いです。



原題:覇王別姫 Farewell To My Concubine
製作年:1993年
製作国:中国/香港/台湾
監 督:チェン・カイコー
時 間:172分



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