ROMES 06 誘惑の女神 [日本の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
世界最先端の地上施設警備システムROMESを擁する西日本国際空港に、伝説のテロリスト ”アウレリオ” から届けられた挑戦状。 死んだはずの男が狙うのは、空港で展示予定の黄金の女神像、そしてROMES! ROMESの天才的な運用者である成嶋優弥と空港警備チームは、世界的な犯罪者集団から女神を守れるのか? 大人気サスペンス第二弾。
読了本落穂ひろいです。
「ROMES 06」 (徳間文庫)(感想ページはこちら)
から始まるROMESシリーズの第2作。
五條瑛の「ROMES 06 誘惑の女神」 (徳間文庫)。
2015年12月に読んでいたようです。もう8年の前なのか......
先にシリーズ第3作の「ROMES 06 まどろみの月桃」 (徳間文庫)(感想ページはこちら)の感想を書いています。
このシリーズとてもいいですね。
冒頭、副題にもなっている女神像の警備が必要ということで、派遣元であるヒンデル保険会社から裏の情報(?) を得た成嶋が、成田空港に派遣されている砂村を、”鉄砲玉” として呼び戻すところからして、わくわくします。
パラグアイで死んだはずの伝説のテロリスト・アウレリオによる犯行声明。
テロリストが盗み? とまずは思います。
テロリストだってお金が(それも巨額の)必要でしょうし、盗みもするのでしょうが、違和感を感じます。
このあたりの事情は物語の流れにそって明らかになっていくのですが、この背景がしっかり作られているのがいいですね。その流れの中で、成嶋の恩師・デイビス教授がアナーキストやテロリストとつながっていたことが示されるなど、作者の設計図は確かですね。
途中 ROMES の優れた機能を読者は見せつけられます。
物語はもちろんのこと西空視点であり、砂村ですから、守備側の立ってどうやって守るか、に主眼があるのですが、読んでいると ROMES の優秀さから、どうやってテロリスト側は攻撃してくるのだろう? と、肩入れとはいかないものの悪者側に立ってついつい考えてしまいます。
犯人側視点の場面も折々挿入されますが、実際にどうやって攻撃を仕掛けるのかは、明らかにされません。
緊張感がどんどん高まっていきます。
犯人サイドに複数の当事者がいて、それぞれの思惑が入り乱れることもそのことに拍車をかけます。
面白い。
ROMESの機能についてはあらかじめすべてが明かされているわけではなく、いざという場面で後出しジャンケン的な色彩も帯びてはいるのですが、成嶋が飼っているラブラドール犬・ハルも活躍しますので、よしとしましょう(笑)。
一点気になったこと。
518ページに成嶋の独白が挿入されるのですが、これ、不要だと思いました。
独白の中身がちょっと安っぽいんですよね。
成嶋は外側から描かれるべきで内側を安易に読者にさらすのは、シリーズの流れにそぐわない気がするからです。
その直後に恩師による成嶋評が披瀝されるので、余計にそう思います。
「ROMES 06 まどろみの月桃」の感想)にも書きましたが、このシリーズとても面白いので、続きが読みたいです。
スナッチ [日本の作家 西澤保彦]
<カバー裏あらすじ>
昭和五十二年、婚約者に会いに高知を訪れていた二十二歳の奈路充生(なろみつお)は、銀色に輝く奇妙な雨にうたれ意識を失う。再び目覚めたとき、彼は五十三歳になり、体は別の人格に乗っ取られていた。雨の正体は異種生命体だったのだ。人生の最も輝く時代を奪われた喪失感に苦しむ充生を、今度は連続殺人事件が襲う。記憶のない三十一年間にいったい何が!?
読了本落穂ひろいです。
西澤保彦の「スナッチ」 (光文社文庫)
2018年3月に読んだようです。
西澤保彦お得意の特殊設定もの、といえるでしょう。
身体を、異種生命体 ”僕” に乗っ取られた主人公 "ぼく"。(表記で区別されています)
この状態をベツバオリと呼び、そうなると基本的にはもとの人格は喪われるのだが、なにかの拍子で(?)戻ってくることがある。それがサシモドシ。
主人公奈路充生は、31年ぶりにサシモドシで戻ってきた、もとの人格。
西澤保彦の作品では、登場人物たちはディスカッションを繰り返す傾向がありますが、この作品ではディスカッションは、主人公奈路充生と異種生命体の間で交わされます。
これ、便利ですよね。人と人を集める必要がない。主人公の身体さえあればよい。
しかも発声するわけではないので、いつでも、どこでも、自在にディスカッションできます。
アポロ陰謀論とか癌についての議論とか、少々怪しいところもありますが、SF的設定の中で消化可、というところでしょうか。
サシモドシたぼくの周りで(厳密にはぼくの周りと言い難い部分もあるのですが)巻き起こる連続殺人。
一種のミッシング・リンク的な要素もありまして、ちょっと強引な謎解きも、理解しづらい犯行動機も、西澤保彦ならば普通のことなので敢えて欠点と指摘することもないでしょう。
ただ、このリンクも動機もベツバオリに基づいて展開し、ベツバオリに基づいて謎が解かれることに注目すべきかと思います。
<蛇足1>
「高知は、NHK以外は民放がひとつしかないはず。いや、テレビ高知が開局して、ふたつになったんだっけ。」(68ページ)
田舎あるある、という感じでしょうか?
とはいえ東京(とその周辺)が異常なのであって、ここに書いてあるようなことは驚くようなことではありませんね。
<蛇足2>
「粗悪な水や、食材、化学調味料などを使っている店は、すぐに判るんです。その場では、どんなに美味しくいただいても、帰宅してから体調を崩して、ひと晩、へたしたら数日、苦しみますから」(395ページ)
こういう「いただく」の使い方、気になるんですよね。ここでは誰に敬意を表しているのでしょうか?
「食べる」でいけないのでしょうか?
<蛇足3>
「例えば、仮にぼくが身心ともに普通の状態であれば」(383ページ)
普通は ”心身” かと思いますが、ここでは ”身心”。
調べてみると、”身心” もあるのですね。 身心一如とか身心不二という仏教用語も出てきました。
タグ:西澤保彦
映画:探偵マーロウ [映画]
いつものように(?) 「シネマトゥデイ」から引用します。
見どころ:『MEMORY メモリー』などのリーアム・ニーソン主演のミステリー。私立探偵のフィリップ・マーロウが、ある女性から失踪した愛人の捜索を依頼されたことをきっかけに映画産業の闇に飲まれていく。監督は『グレタ GRETA』などのニール・ジョーダン。『女は二度決断する』などのダイアン・クルーガー、『素敵な遺産相続』などのジェシカ・ラング、『スーサイド・スクワッド』などのアドウェール・アキノエ=アグバエのほか、ダニー・ヒューストン、アラン・カミングらが出演する。
あらすじ:1939年、ロサンゼルス。私立探偵フィリップ・マーロウ(リーアム・ニーソン)のもとに、裕福そうな金髪の美女が現れて、突如姿を消した愛人を捜してほしいと依頼する。依頼を引き受けて愛人の足取りを追うマーロウだが、調べを進めるうちに映画産業の闇を知る。
この映画でフィリップ・マーロウを演じるのはリーアム・ニーソン。
映画を見る前はイメージに合わないのでは? と勝手に思っていたのですが、いやいや、上に掲げたポスターをご覧いただいてもわかるかと思いますが、とてもいい感じです。
原作ベンジャミン・ブラック 「黒い瞳のブロンド」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んでいないのでどの程度原作に忠実なのかわかりませんが、折り目正しいハードボイルド、という雰囲気を時代背景と併せて感じさせてくれた気がします。
物語としては王道の展開をなぞっており、上流階級の閉鎖的な会員制クラブを舞台にした腐敗劇で、真犯人や真相に至るまで新規さはないのですが、そこがかえって良い。
この事件のタイプの話だと、もっともっと登場人物、関係人物が多くなりそうなところを、限定した人物数で切り回して見せてくれているのも好ポイントだと思いました。
製作年:2022年
原 題:MARLOWE
製作国:アメリカ
監 督:ニール・ジョーダン
時 間:109分
<2023.6.30付記>
まちがえて冒頭のポスター、ブラフマーストラのままでした。
失礼しました。
<2023.7.8>
探偵マーロウのポスターをアップしました。
幽霊認証局 [日本の作家 赤川次郎]
<カバー袖あらすじ>
宇野と女子大生・夕子が訪れた温泉街では、いたるところに、監視カメラが設置されていた。かつて娘を誘拐された町長が、家族と町民たちの安全を守るために、独断で実施している施策だった。どこにいてもカメラに見られてしまうため、町全体が不穏な空気に覆われる中、夕子は「ある秘密」に気がつく。すると今度は、殺人事件が発生して……。
大好評<幽霊>シリーズ第29弾
2023年1月に読んだ9作目(10冊目)の本で、1月に読んだ最後の本です。
赤川次郎の「幽霊認証局」(文藝春秋)。
以前は月間に読んだ冊数を稼ごうと、月末近くには赤川次郎を読んでいたものですが、赤川次郎の新作作品数も減ってきていますし、そういうことはぐっと減りましたね。
珍しくこのときはなんとか10冊にしようと手に取りました。
この「幽霊認証局」には
「隣の芝生が枯れたとき」
「失われたハネムーン」
「死を運ぶサンタクロース」
「他人の空似の顔と顔」
「女ともだち」
「幽霊認証局」
「タダより怖いものはない」
の7話が収録されています。
赤川次郎の最近の作品にミステリとしての結構を求めるのは間違っているというのは重々理解していますが、それでもさすがに幽霊シリーズはもうすこし配慮してくれてもいいんじゃないか、と思ってしまいますね。
と前作「幽霊終着駅」の感想で書いたことを繰り返さざるを得ないことは残念です。
物語のための誇張だということはわかっていても、たとえば表題作である「幽霊認証局」で若い巡査たちが「現場をちゃんとしておけ」と言われたからといって掃除してしまうシーンとか、少々うんざり。笑えません。
「失われたハネムーン」など、ミステリらしい事件は起こらないのに、男女関係をめぐって終始不穏な気配が漂い、宇野警部と永井夕子の関係を逆手にとったようなプロットで綴られているのに、なんだかもったいない感じです。
次が出れば記念すべきシリーズ30冊目になります。
最初の頃のようなきらめきを期待します。
<蛇足1>
被害者の持っていたケータイから宇野警部が電話をかけるシーンがあるのですが(16ページ)、証拠品でしょうに、こういう使い方をしてよいものなのでしょうか?
<蛇足2>
「涼子さんが、この部屋、もう一泊、自分持ちで取ってくれたわ。のんびりできるわよ」(86ページ)
「失われたハネムーン」のラストで、夕子と宇部警部の会話なのですが、警視庁捜査一課、簡単に休みがとれるのでしょうか?
<蛇足3>
「二年生の体育祭のときさ、クラスにお菓子屋の息子がいて、その子のお母さんが、昼食をとってるところへ、何十個もお饅頭を差し入れしてくれたんだ。」(138ページ)
赤川次郎は会話がとても上手な作家ですが、ここは珍しいミスだと思います。
これは宇野警部のセリフで、高校時代の同級生との会話なのです。
宇野警部と会話の相手との間柄、関係で、「クラスにお菓子屋の息子がいて」という説明をするとは思えません。お菓子屋の息子がいたことは相手も知っている事実なのですから。
C.M.B.森羅博物館の事件目録(37) [コミック 加藤元浩]
C.M.B.森羅博物館の事件目録(37) (講談社コミックス月刊マガジン)
- 作者: 加藤 元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/02/16
- メディア: コミック
この第37巻は、
「クロスロード」
「シュロのコイン」
「鉱区A-11」
「猫のシッポ」
の4話収録。
「クロスロード」は美術室で起こる怪現象、という謎は楽しいのですが、壁の絵をめぐるトリックは無理でしょう。一瞬でばれちゃうと思います。
道端くんの将来に幸あれ、と。
「シュロのコイン」はバルカン半島で、何度戦争に巻き込まれても全滅を免れた唯一の村をめぐる謎を扱っています。
森羅が「ものすごくつらい答え」という真相が痛い。
「鉱区A-11」は2075年が舞台で、七瀬は航空宇宙監査官、森羅は宇宙工学博士として登場します。
ここで描かれたようなことが起こるのかわからないのですが、すごく壮大である意味美しいトリックで堪能しました。
自走式入出力用端末ロボットのパルがかわいい。
この作品で描かれているロボット三原則の解釈は新機軸なのではないかと思うのですが、SFに詳しい方のご意見を聞きたいです。
「猫のシッポ」
「僕はどこにでもあるような街に住んでいる」
という独白でスタートした物語が、宝探しを経て
「僕の街は他の街と似ているようで少しだけ違う」
というラストに至る構成が楽しい。
でも、この宝探しの猫が猫に見えない、と言ったら叱られる??
Q.E.D. iff -証明終了-(9) [コミック 加藤元浩]
Q.E.D.iff -証明終了-(9) (講談社コミックス月刊マガジン)
- 作者: 加藤 元浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/02/16
- メディア: コミック
<カバー裏あらすじ>
「陰火」
夫が妻を殺す事件があったとされる家で怪奇番組を撮影。出演者が、人魂と共に現れた白い影に襲われ、番組はお蔵入りに!可奈が残された映像と過去の事件を辿り!?
「美しい絵」
イギリスで、引退間近の老警部が、マフィアの手下の車からボスの死体を発見。死亡推定時刻に疑問を持ち、被害者が直前まで滞在していた貴族の屋敷に向かうと‥‥?
Q.E.D. iff のシリーズ第9巻。
奥付をみると2018年2月になっていて、5年前ですが、もうamazonでは品切・絶版状態なのですね。
「陰火」は、夫が妻を殺す事件があったとされる、お化けの出そうないわくつきの建物での撮影現場で起きた事件。
陰火というのは人魂のことを言うらしいです。知りませんでした。
この陰火のトリックは面白いのですが(ただ、見た方がこういう風に感じるかはちょっと疑問なのですが、いわくつきの屋敷での心理状態からするとあり得るかな、と)、全体の構図は無理があるように思いました。
過去の事件もするすると燈馬が解いていくところは読みごたえがありましたが。
「燈馬くんはこういう非科学的な話絶対に興味ないだろうな……」という可奈の推測にもかかわらず、ちゃんと手を貸す燈馬はえらい。
ところで、今回の登場人物の名前は、箱根、有馬、道後...と温泉名なのですが、最初に出てくる人物が鳥羽で、???となりました。
鳥羽は高名な観光地ですが、温泉というイメージを持っていなかったからです。でも、ぼくが知らなかっただけで、温泉でも有名なのですね。鳥羽のみなさま、たいへん失礼しました。
「美しい絵」
イギリスの貴族の屋敷を主要な舞台に展開する事件で、燈馬が「これは精密に組まれたパズルです」と評します。
印象的なトリックが盛り込まれていて楽しみましたが、この車を使ったトリック、うまくいかない気がします。
「人は頭の中に絵を持ってる。
それはとても美しい絵で人はそこに描かれた通りに行動する
誰かにみせたくてもそれは叶わない
道徳も法もその絵の前では無力です
その絵は人を善悪の彼岸に連れてゆく」
というアイボリー警部のセリフが心に残りました。
<蛇足1>
もう指摘するのをやめている「一生懸命」ですが、「陰火」ではちゃんと「一所懸命」となっていて、とてもうれしく思いました。
子どもも読むコミックスではこのように、いわゆる(もう「一生懸命」が間違いだと言っても通用しないような感じがしますので、いわゆる、とつけておきます)「正しい日本語」を使ってもらいたいな、と思うので。
<蛇足2>
「美しい絵」に「貴族院に議席を持つ国会議員です」というセリフがあります。
いわゆる上院にあたる議会ですが、House of Lords ですから、「貴族院」ですね。
2009年まで最高裁判所を兼ねていた、というのが驚きです。ー三権分立って何?
未だに選挙ではなく、貴族であることをもって議員資格がある、というのがイギリスらしいですね。
<蛇足3>
ネタバレ気味なので、未読の場合はスキップしてください。
「借りた車は車種や色、年式くらいまでなら覚えていてもナンバーなんかの細かいところまでは気が回らない」
というくだりがあります。
イギリスの車の登録方法では、ナンバープレートのうちの一文字が車の登録年を表すようになっていますので、ちょっと日本とは勝手が違いますね──もちろん、このことでこの作品のトリックが揺るぐものではありませんが。
<2023.7.27追記>
このブログのタイトルのところで、巻数を間違って(8) と書いていました。
正しく(9) に修正しました。
タグ:加藤元浩 Q.E.D. iff
折れた竜骨 [日本の作家 や行]
<カバー裏あらすじ>
ロンドンから出帆し、北海を三日も進んだあたりに浮かぶソロン諸島。その領主を父に持つアミーナは、放浪の旅を続ける騎士ファルク・フィッツジョンと、その従士の少年ニコラに出会う。ファルクはアミーナの父に、御身は恐るべき魔術の使い手である暗殺騎士に命を狙われている、と告げた……。いま最も注目を集める俊英が渾身の力で放ち絶賛を浴びた、魔術と剣と謎解きの巨編!<上巻>
自然の要塞であったはずの島で、偉大なるソロンの領主は暗殺騎士の魔術に斃れた。〈走狗〉候補の八人の容疑者、沈められた封印の鐘、塔上の牢から忽然と消えた不死の青年──そして、甦った「呪われたデーン人」の襲来はいつ? 魔術や呪いが跋扈する世界の中で、推理の力は果たして真相に辿り着くことができるのか? 第64回日本推理作家協会賞を受賞した、瞠目の本格推理巨編。<下巻>
2023年1月に読んだ8作目の本です。
日本推理作家協会賞受賞作。
「このミステリーがすごい! 2012年版」第2位
「本格ミステリ・ベスト10〈2012〉」第1位
2011年週刊文春ミステリーベスト10 第2位
「剣と魔法の世界を舞台とした特殊設定ミステリ」(巻末の単行本版あとがきより)です。背景は「十二世紀末の欧州」。
このあとがきの中に「ハイファンタジー」という語が出てきます。森谷明子による解説にも「ハイ・ファンタジー」(両者で表記が違うのがおもしろいですね)が出てきます。
ファンタジーはあまり読まないので調べたところ、異世界を舞台とするものがハイ・ファンタジーで、現実的な世界を舞台とするものがロー・ファンタジーということのようです。現実世界との飛翔度の高低によりハイ、ローと分けているようですね。
この「折れた竜骨」 (創元推理文庫)の作品世界は、十二世紀末の欧州とのことながら、魔法・魔術が存在し、眠ることも死ぬこともない呪われたデーン人がいる世界なので、ハイ・ファンタジーですね、きっと。
事件は領主が殺されるというもの。
暗殺騎士に魔術で操られた<走狗(ミニオン)>が実行犯で、<走狗>は「己の知識と力量を用い、当然のごとく標的を殺すのです。そしてそれを忘れてしまう」(上巻130ページ)とされている。
探偵役をつとめるのは、暗殺騎士を追ってやってきたトリポリの聖アンブロジウス病院兄弟団の騎士ファルクとその従士ニコラ。
デーン人が襲来するのに備えて傭兵を雇おうとしている状況下、ミステリとしては当然のことながら、特殊設定であるファンタジー世界のルールや魔法の様子はしっかり説明されます。
舞台となるソロン諸島の様子もとても趣深い。北海の厳しい自然環境にあるものの、位置を活かして活気のあるソロン諸島という設定がしっかり伝わってきます。
本格ミステリの尋問シーンというのは、とかく退屈なものになりやすいところなのですが、本書の場合は傭兵たちのキャラクターと異世界ものならではの異国情緒(と言うんでしょうか、こういう場合も)のおかげで、とても楽しく読めます。
そのなかに抜かりなく伏線が張り巡らされ、いよいよやって来たデーン人の襲来シーンのあとに(いうまでもないことですが、この戦闘シーンにも伏線が忍んでいます)、解決編が待っています。
この解決編がすばらしい。
聖アンブロジウス病院兄弟団の作法に則った儀式(セレモニー)として、名探偵が関係者を一堂に集めての犯人限定ロジックを駆使した謎解きシーンがあるのです。
このワクワク感、本格ミステリ好きの方ならわかっていただけるのではないかと。
突き止められる真犯人は、それほど意外なものではないのですが、ミステリの世界ではある定型を踏まえたものである点は注目だと思いますし、異世界設定そのものがこの犯人を成り立たせるために役立っている点が美点だと思います。
このあと異世界ものは書かれていないようですが、また書いてほしいです。
<蛇足1>
「ぼくはここから出たら、泳いででもデンマークに帰ろうとするでしょう。あの懐かしいフィヨルドに。」(上巻91ページ)
囚われの呪われたデーン人のセリフですが、デンマークにフィヨルド?と思ってしまいました。
ついフィヨルドというとノルウェーを想ってしまうからです。
われながら認識不足も甚だしいですね。デンマークにも有名なフィヨルドはあります。
<蛇足2>
「真実と偽りを見分けるのに、決闘という手段が選ばれることがある。」「口で偽りを並べ立てる卑劣な男は、武器を取っても卑劣な戦いしかできない。そして神は正しき者の味方をしてくださる。決闘は神聖な裁判で、勝者の言こそが真実なのだ。」(上巻262ページ)
いわゆる決闘裁判ですね。
「しかしだからといって、壮健な男と腰の曲がった老人が戦うことまでも公正だとは言えない。決闘ではしばしば、訴人の親族が代わりに戦う。
さらに、ときには血の繋がりのない人間を雇って戦わせることさえあるという。この、金を受け取って決闘を行う戦士が、決闘士と呼ばれる。」
と続くのですが、こちらは知りませんでした。すごいシステムですね。
君たちは絶滅危惧種なのか? [日本の作家 森博嗣]
君たちは絶滅危惧種なのか? Are You Endangered Species? (講談社タイガ)
- 作者: 森 博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2021/04/15
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
触れ合うことも、声を聞くことも、姿を見ることすら出来ない男女の亡霊。許されぬ恋を悲観して心中した二人は、今なお互いを求めて、小高い丘の上にある古い城跡を彷徨っているという。
城跡で言い伝えの幽霊を思わせる男女と遭遇したグアトとロジの許を、幽霊になった男性の弟だという老人が訪ねてきた。彼は、兄・ロベルトが、生存している可能性を探っているというのだが。
2023年1月に読んだ7冊目の本です。
森博嗣のWWシリーズの、
「それでもデミアンは一人なのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら)
「神はいつ問われるのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら)
「キャサリンはどのように子供を産んだのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら)
「幽霊を創出したのは誰か?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら)
に続く第5作です。
君たちはというのは人類を指すのでしょうから、絶滅危惧種と言われるとちょっとドキッとしますね。
前作では幽霊が出てきましたが、今回は恐竜などが登場します。
舞台はドイツの自然公園。なかには動物園も水族館もあります。
前作からさらに時代が進んでいるのか、
「しかし、今や肉体は再生できる。致命的な傷を負っても、さらに肉体が完全に消滅しても、もう一度、ボディを作り直すことができる。だからこそ、ヴァーチャルへ人格をシフトさせることが現実となり、今後の人類の大移動がじわじわと始まろうとしている。」(29ページ)
とさらっと書いてあります。
この点をめぐって思索が続くわけですが、
「現在の記憶と、頭脳の計算能力をデジタルで移植したとき、たしかに、そこに同等の機能が再現できる。生きている感覚もたしかに得られるだろう。人間の心、スピリッツは、ヴァーチャルでも遜色なく活動するし、むしろより活発に機能するだろう。
しかし、本当にそれが生きていることになるのだろうか?
この思考が行き着くところは、生きていることの価値は何か、である。」(200ページ)
というのは理解できますし、
「人は、死を想うものです」「死を想うからこそ、優しくなれる。正義の根源はそこにありました。死を想像できない者は、もはや人間ではないかもしれませんね」(207ページ)
というのはなるほどと思えなくもないのですが、
「我々は、かなり高い環境適用能力を持っています。理屈で考える思考能力を有しているからです。本能的なもの、感情的なものは、やがては消滅するか、少なくとも薄らいでいくのではないでしょうか」
「なるほど、人間の感情というものが、絶滅するということですね」
「既に、何世紀もまえに絶滅していた、ともいえます」(296ページ)
となってしまうと、ちょっと怖いな、という印象を持ってしまいます。
これはグアトとクーパ博士の会話で、
「宗教や神のために人が殺され、人種が違うというだけで暴動や戦争になった時代が過去にある。そういった野蛮な思想は、まちがいなく感情的な心理から発していたものだろう。たしかに、人類はそれを克服したかに見えるが、実は、感情そのものが生きる場を失い、人知れず衰退していったのかもしれない。もしそうなら、原因は科学だ。」(296ページ)
とグアトにより敷衍されていますが、どうなのでしょうか?
感情を失った人間(というよりは人類というべきかもですが)は、それはそれで恐怖の対象のように思えます。
まあ、もはや人間ではないとまで議論は進んでいるのですが。
最後に、今ではすっかりおなじみになったトランスファですが、さらっと定義(?) されていたので写しておきます。ついでにウォーカロンも。
「トランスファは、ネット環境に生息する分散型の人工知能の総称だが、その存在が初めて確認されたのが、当のデボラだった。」(27ページ)
「さて、では、ウォーカロンとは何なのか。
簡単に言ってしまえば、人工的に生まれた人間である。肉体的には、人間とほとんど違いがないので、見分けはつきにくい」(28ページ)
いつものように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Are You Endangered Species?
第1章 なにかが生きている Something is alive
第2章 死ぬまでは生きている Alive until death
第3章 長く死ぬものはない Nothing dies long
第4章 長く生きるものもない Nothing lives long
今回引用されているのは、コナン・ドイルの「失われた世界」(創元SF文庫)です。
同書は伏見威蕃の訳バージョンもあるんですね。
「失われた世界」 (光文社古典新訳文庫)
子ども時代に子ども向けで読んだだけだし、コナン・ドイルだし、読み返してみようかな?
<蛇足1>
「 セリンが、両手をテーブルの上に出し、ホログラムを投映させた。」(27ページ)
投映? 投影ではないの? と思いましたが、今では投映という表記もあるのですね。
<蛇足2>
「人間というのは、じわじわと同胞が死んでいっても、それは自然の摂理だと諦める図太さを持っているのだ。自分が死ななければ、それで良い、自分の家族さえ生きていればかまわない、と考える。数十年後にはこんな世界になる、と科学者が提示しても、そのときには、どうせ自分は生きていない、と受け合わない。」(146ページ)
知能を獲得したところで、そうでもなければ種として存続できないのかもしれませんね。
<蛇足3>
「キリンもいた。無駄に首が長いように思える。ゾウの鼻のようなものかもしれないが、ほかに類似の動物がいないことが、不思議である。やはり、デメリットが多く、自然界では失敗作だったのではないだろう、かと僕は考えた。」(225ページ)
失敗作ですか......キリンがかわいそう。
僕はゾウの鼻は失敗作と考えているのでしょうか? ゾウも類似の動物がいないように思います。
<蛇足4>
「『たまには、これくらいの刺激がないと、躰が鈍りますよね』
では、あのシャチとか恐竜とかミサイルとか黒ヒョウとかは、たいした刺激ではなかったということだろうか。」(276ページ)
相変わらずグアトのユーモアの回りくどさには笑ってしまいますが、あれ? ひょっとしてここは真面目なのでしょうか?
<蛇足5>
「地元の警官が来ていて、日本からの要人が来る、と聞いている、と話した。その要人が僕だと勘違いしたようだが、そのまま正さなかった。僕だけが男性で若くなかったからだろう。」(277ページ)
この物語の背景となる年代でも、ある意味男性優位な部分が残っているということですね。
彼女の色に届くまで [日本の作家 似鳥鶏]
<カバー裏あらすじ>
画商の息子で画家を目指す僕こと緑川礼は、冴えない高校生活を送っていた。だがある日、学校で絵画損壊事件の犯人と疑われてしまう。窮地を救ったのは謎めいた同学年の美少女、千坂桜だった。千坂は有名絵画をヒントに事件の真相を解き明かし、僕の日常は一変する。高校・芸大・社会人と、天才的な美術センスを持つ千坂と共に、絵画にまつわる事件に巻き込まれていくが……。鮮やかな仕掛けと驚きに満ちた青春アートミステリ。
2023年1月に読んだ6冊目の本です。
お気に入り作家似鳥鶏の作品。
扉を開いたところに、作中に出てくる名画がカラーで掲げられているのが楽しいですね。
全くの余談ですが、最初のマグリッドの「光の帝国」はなぜか大好きで、美術館で見つけるとぼーっと長時間観てしまいます。
持つ者と持たざる者。
この対比は様々な作品で取り上げられてきたテーマといえます。
この「彼女の色に届くまで」 (角川文庫)もその一冊。
自分は持つ者だと信じたいけれど、成長するにしたがって持たざる者であることを否応なく思い知らされてしまう。
天才と知り合ってしまった......
主人公僕(緑川礼)の造型が素晴らしいですね。
だいぶ後半の方になりますが、
「他人に対して「あいつはいいよな」と言い続ける心理。他人の中に自分より恵まれているところを見つけては、ああ自分はついていない、初期条件が悪すぎる、と嘆いてみせる。僕もよく考える。自分だって、運さえよければ、何かいい巡り合わせさえあれば、と。
だが、実際のところ、これは一度嵌まると絶対に浮かび上がれなくなる危険な落とし穴だった。自分の負けを状況のせいにしている人は、いつまで経っても成長しない。反省をせず、勝っている人から学ばないからだ。」(206ページ)
というところ、彼の特徴をよく表していると思います。
悪い方に落ちないよう踏みとどまって、知り合った天才と交流を深めていく。コンプレックスをなんとか飼いならして成長していく姿がとてもいい。
で、彼が出会ってしまった天才が、千坂桜。
こちらは絵にかいたような ”変人” 。容姿端麗というのがこれまた......
そしてかつ名探偵。
帯に「彼女は、天才画家にして 名探偵」と書いてある通りです。
連作長編という仕立てになっていて、高校、大学、社会人と折々に出会う事件を描いていきます。
かなりのトリックメーカーである似鳥鶏の面目躍如という感じで、この作品でもその力は遺憾なく発揮されていることを指摘しておきたいです。
たとえば、第三章「持たざる密室」のトリック、美しいと思いましたし、各話とも不可能状況をさらっと解決していきます。
連作として、最終章で全体を通したつながりが浮かび上がってくる仕立てになっています。
このつながり、かなり変わったつながりでして、読み終わったとき、こんな都合よくつながるものかなぁ、と、ちょっと複雑な感情にとらわれました。
こちらが知らないだけで、美術界では極めてありふれたことなのかもしれませんし、さほど大きなマイナス点ではないと思いますが、気になります。
最後につながるかたちをとっている連作の場合、通常一貫した犯意があったとか、真犯人がいてそれぞれの事件の構図が一変してしまう=個々の事件においてなされた推理が間違っていた(といって言い過ぎならずれていた)、あるいはそれぞれが組み合わさってもっと大きな事件が隠されていたという結論になるというパターンを取ることが多いかと思われるのですが、おもしろいのはこの作品の場合、つながりが明るみに出ても、それぞれの事件の謎解きは揺るがないこと、でしょうか。
この作品におけるつながりは、個々の事件の様相を変化させる機能を持つというよりは、僕なり千坂なりの関係性、立ち位置を照射するものと言えるかもしれません。
勘のいい方にとりネタバレにならないよう祈りつつ以下書くのですが......
ただこの趣向は、名探偵はなぜ名探偵なのか、という問いに対する一つの答えになっていまして、非常に興味深い。
作風も狙いも違うのに、西村京太郎の名探偵シリーズ(のどれかは伏せておきます)をふと思い出したりしました。
その後の二人(と仲間)が知りたい気もしますが、これらの人物でミステリとして続編は難しいでしょうね......
<蛇足1>
「〈真贋展〉は同じ作品の真作と贋作を二つ並べて展示し、『どちらが真作でしょう?』というクイズ形式にする、という変わった展示で、美術ファン向けというより話題性重視でファンの裾野を広げるための企画なのだが、鑑定眼を試してみたい筋金入りの愛好家も結構来るらしく、もともと変な企画展の多い金山記念美術館ならではのものといえた。」(88ページ)
こういう展示があればおもしろいですね。見に行きたいかも。
真贋は見抜けない自信があります。
<蛇足2>
「以前、ニューヨーク近代美術館では、某画家の抽象画が上下逆さまのまま展示されていた、という事件すらあったのだ。」(139ページ)
注に書かれているのはマティスの〈船〉という作品で47日間逆さまだったらしいですが、そういえば、つい最近(2022年10月)も、モンドリアンの「ニューヨークシティI」という作品が75年間逆さまに展示され続けているというニュースがありましたね。
1941年に制作、1945年に米ニューヨーク近代美術館(MoMA)で初展示され、1980年からは、ドイツ・デュッセルドルフで、ノルトライン=ヴェストファーレン州の美術収集品として展示されているそうで、75年逆さまという大物です。
まあ、モンドリアンの作品は上下逆さまでもわかんないですよね......
<蛇足3>
「なぜか目の覚めるようなコバルトブルーのビキニパンツ一丁であり、傍らの床には脱ぎ捨てられたワイシャツとズボンと靴・靴下が丁寧に畳まれて重ねられている。」(172ページ)
以前にも書いたことですが、「目の覚めるような」を青色に対して使って嘲笑されたぼくとしては、こうやって使っている例を見つけるとうれしくなってしまいます。
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映画:ブラフマーストラ [映画]
よくいく映画館の割引チケットの期限が近付いてきたので、そのチケットをつかって観ました。
「RRR」(感想ページはこちら)を観て以来インド映画をちょくちょく観ていますね。
いつものように(?) 「シネマトゥデイ」から引用します。
見どころ:インド古代史に根差す神話などをベースにしたアクションファンタジー。ある青年が不思議な幻視を経験したことをきっかけに自らの運命を知る。監督・脚本は『若さは向こう見ず』などのアヤーン・ムカルジー。『バルフィ! 人生に唄えば』などのランビール・カプール、『ガリーボーイ』などのアーリヤー・バット、『ブラインド・ミッション』などのアミターブ・バッチャン、『ラ・ワン』などのシャー・ルク・カーンらが出演する。
あらすじ:インド・ムンバイに暮らす身寄りのない青年シヴァは、あるとき不思議な幻視を経験する。その理由を探るうちに、古代ヴェーダの時代から受け継がれる神々から授かった武器「アストラ」と、その中でも最強とされる「ブラフマーストラ」の存在を知る。さらに、自分がそれらの武器を守護する役目を務めていた人物の息子であり、偉大な火の力を宿す救世主でもあることが判明。強大なブラフマーストラの覚醒により世界が地獄と化すのを阻止するため、シヴァは自らの運命に向き合う。
この「ブラフマーストラ」は2022年に公開されたヒンディー語映画の中で1番高い成績をあげた作品らしいです。
まずなにより、肩の凝らない娯楽作である点を徹底しているところがいいですね。
非常にはっきりとした善玉、悪玉。まったく迷いがない。
この構図がしっかりしているところが、実に心地よい。
インド映画につきもののダンスは控えめ。
冒頭のお祭りのシーンで、盛大に大人数で踊るので、これはかなり踊りのシーンが出てくる映画かな、と思って観たのですが、ダンスはここだけでした。
悪対善の戦いに絡めて、主人公である青年シヴァとお相手役イーシャのボーイ・ミーツ・ガールが物語の骨格になります。(このおふたり、実際に夫婦だというので笑ってしまいますね)
ヒーローとして覚醒して悪と戦う主人公という、典型的なストーリー展開で楽しめます。
アメコミものの映画のインド版、という趣き。
こういう映画はごちゃごちゃ言わず、没頭するのが吉なのですが、驚いたのは、完結していないこと。最後に堂々と次作の予告がされています(笑)。
日本語タイトルだとわからないのですが、英語タイトルだと ”BRAHMASTRA PART ONE: SHIVA” となっているので、続きがあることが明らかだったのですね。
といっても、おそらくは壮大な物語の一環ということなのだとは思いますが、この「ブラフマーストラ」だけでも十分物語に一定のケリはつくので、ここで観るのをやめてしまってもいい作りになっています。これだけでも十分に楽しめます。
続きが気になりますけどね。
いろいろとみてみると、三部作として構想されているようです。
第2作目「Brahmastra Part Two: Deve」が2026年12月、3作目「Brahmastra Part Three」が2027年12月の公開予定、とのことです。ずいぶん先の話ですね......
覚えていられるかな?
製作年:2022年
原 題:BRAHMASTRA PART ONE: SHIVA
製作国:インド
監 督:アヤーン・ムカルジー
時 間:167分