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鍋奉行犯科帳 [日本の作家 田中啓文]
<カバー裏あらすじ>
大坂西町奉行所に型破りな奉行が赴任してきた。名は大邉久右衛門。大食漢で美食家で、酒は一斗を軽く干す。ついたあだ名が「大鍋食う衛門」。三度の御膳が最優先で、やる気なしの奉行に、与力や同心たちはてんてこ舞い。ところが事件が起こるや、意外なヒラメキを見せたりする。ズボラなのか有能なのか、果たしてその裁きは!? 食欲をかきたてる、食いだおれ時代小説。
読了本落穂ひろいです。
2016年1月に読んだ田中啓文「鍋奉行犯科帳」 (集英社文庫)。
「フグは食ひたし」
「ウナギとりめせ」
「カツオと武士」
「絵に描いた餅」
以上4編収録の連作短編集です。
解説で有栖川有栖がこう書いています。
「田中さん、これ、まず題名を思いついたんでしょ」
想像するに、こんな具合だ──(ある日、すき焼きなどを食しながら)考えてみたら鍋奉行というのは、えらい大層で面白い言葉やなぁ。ん、待てよ。料理にうるさいお奉行さんが出てくる時代小説というのはどうやろう。はは、いけるな。いけるやん。
「いやいや、そんなんと違うで」とは言わせない。
読んでいて楽しくなってしまいます。
これが事実とすると、なんともふざけた、ということになるかもしれません。
でも、このタイトルを思いついただけで、これだけの連作を書き上げるという作家の想像力にはびっくり。
このシリーズ好調なようで、
「鍋奉行犯科帳 道頓堀の大ダコ」 (集英社文庫)
「鍋奉行犯科帳 浪花の太公望」 (集英社文庫)
「鍋奉行犯科帳 京へ上った鍋奉行」 (集英社文庫)
「鍋奉行犯科帳 お奉行様の土俵入り」 (集英社文庫)
「鍋奉行犯科帳 お奉行様のフカ退治」 (集英社文庫)
「鍋奉行犯科帳 猫と忍者と太閤さん」 (集英社文庫)
「鍋奉行犯科帳 風雲大坂城」 (集英社文庫)
と第8作まで書き継がれています。
読者を笑わせようという狙いに満ちた作品ではありますが、そこは田中啓文、きちんとミステリしています。
解説で有栖川有栖が指摘しているので、そちらをご参照願うとして、ここでは田中啓文ならでは駄洒落方面で。
「フグは食ひたし」については有栖川有栖は動機に焦点を当てています。真相が明かされると、そこにまで駄洒落が忍び寄っていることに驚嘆します。さすが、田中啓文。
「ウナギとりめせ」も根っこは駄洒落と見ました。すごいな。菟年寺(ずくねんじ)の住職の夏負け解消の人情噺的な部分すら謎解きに奉仕しています。
「カツオと武士」は駄洒落控え目。かつお節を”勝男武士” と洒落る箇所はありますが、これはある種言い伝えに近いと解すべきでしょうか。駄洒落控え目だとミステリ味も控え目。有栖川有栖指摘どおりにぎやかな道具立てですが、主人公格で鍋奉行の部下、視点人物になることの多い勇太郎をめぐるエピソードが眼目のように思えます。
「絵に描いた餅」は菓子職人が道で襲われる事件から、京都と大坂の菓子合戦へとするするとなめらかに話が進んでいきます。謎解きの比重は低く、その分菓子合戦そのものの行く末に興味が集中するようになっているのがポイントかと思いました。
この第四話のラスト、すなわち本書のラストが
「勇太郎は、苦笑しながらそんな奉行を見つめていたが、そのときはこの先もずっと大邉久右衛門の目茶苦茶ぶりに翻弄され続けようとは予想だにしていなかった。」(377ページ)
というもので、シリーズとして続いていくことが宣言されていて心強い。
それにしても、用人がお奉行さまのことを
「あのお奉行さまは、食うことについてはえげつない執念だすなあ」(150ページ)
と陰でいうのはまだしも、
聞こえるところで
「声はすれども姿は見えず、ほんにおまえは屁のような……」(60ページ)
などというには、まあ、小説だからではありますが、大坂を舞台にすればこそ、かもしれません。
楽しいですね。
駄洒落とミステリ要素が健在であることを期待して、シリーズを読んでいきたいと思います。
タグ:田中啓文
シャーベット・ゲーム 四つの題名 [日本の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
傷害事件に秘められた暗号の謎とは──?
朝霧学園高校に通う穂泉沙緒子(ほずみさおこ)と和藤園子(わとうそのこ)は、クラスメイトの塀内准奈から県内名門校の神原高校で殺人未遂事件があったことを聞く。被害者はミステリー文芸部の部員で、そのポケットには謎の暗号が書かれた紙が入っていた。そしてミステリー文芸部が出している作品集の目次にも違和感のある題名が書かれており──。事件に興味を持ったふたりは、神原高校に向かう。<四つの題名>
他、大学のテニスサークルで起きた不可解な服毒自殺事件<まだらの瓶>を収録。沙緒子と園子が再び事件に挑む!
読了本落穂ひろいです。
2018年2月に読んだ本で、階知彦の「シャーベット・ゲーム 四つの題名」 (SKYHIGH文庫)。
前作「シャーベット・ゲーム オレンジ色の研究」 (SKYHIGH文庫)(感想ページはこちら)に続くシリーズ第2作です。
堂々たるラノベですが、前作に続き、手掛かりをベースにして推論、推理を組み立てていく部分の比重が高いのがGOODです。
たとえば冒頭19ページあたりからに披露される、友人の読書の謎。
やや乱暴なところ、飛躍のある議論になってはいるのですが、導き出される結論が極めて現実的、かつ、ありそうなところに落ち着くので、読んでいて爽快です。
「四つの題名」と「まだらの瓶」の二話が収録されており、どちらも<問題編><解決編>に分かれています。
読者への挑戦は挿入されていないものの、読者に推理してみよ、と迫る構成で、ここもいいですね。
「四つの題名」は、部活動の文芸誌が手掛かりになる物語で、その作中作が手掛かり、というよくある構成ではないのがポイント。
ある登場人物の行動が、正直あまり共感できない、というか、そういう風には考えない、そういう風には行動しない、と個人的には思われるものになっているのですが、それをきちんと沙緒子の推理で浮かび上がるようにしている点がいいなと思えました。
「まだらの瓶」は、非常にあからさまな手がかりを冒頭に配したところが印象的。
いやいやタイトルからしてネタバレになっているという大胆な作品ですね。
でも、このトリック(?) 、うまくいかない気がするんですけれど、大丈夫でしょうか?
楽しいシリーズだったのですが、このあと続巻は出ていないようです。
続巻出してほしいですね。
<蛇足1>
「推理小説は警察関連、犯罪関連の専門用語も多い。辞書がなければすべての単語を理解しながら読み進めるのは至難の業。」(21ページ)
原書で読むことを想定したセリフです。
辞書があっても読み進めるのは至難の業なのですが......
<蛇足2>
「大棟くんは、この『こだわり』とも言えるほどの美学を知っている。」(114ページ)
というセリフが出てきて「こだわり」という語にひっかかったのですが、ひっかかることもなかったかな、と思いました。
「こだわり」は本来悪い意味に使う語ですから「美学」には似つかわしくないと思ったからひっかかったのです。でも、ここの「こだわり」は悪い意味だとしてもセリフの意味はしっかり通りますので。
<蛇足3>
「沙緒子が、紅茶を静かにすすりながら言った。」(166ページ)
「すする」という語は、音を立てながら、という含意を含む語だと理解していましたが、”静かに”すするとなると、音は立てずに吸い込むように飲んだ、ということでしょうか。
スノーフレーク [日本の作家 大崎梢]
<カバー裏あらすじ>
函館に住む高校3年生の桜井真乃。東京の大学に進学が決まった彼女の前に、小学生のときに亡くなり、遺体が見つからないままの幼なじみ、速人によく似た青年が現れた。本当は、速人は生きているのかもしれない。かすかな希望を胸に、速人の死にまつわる事件を調べ始めた真乃だったけれど、彼女のもとに亡くなった彼のノートが届き──!? 美しい冬の函館を舞台に描く、切ない恋愛青春ミステリー!!。
読了本落穂ひろいです。
2016年3月に読んだ大崎梢「スノーフレーク」 (角川文庫)。
手元にある文庫本と、上に引用した書影が違いますね。カバーが変わったのかな?
出版社営業・井辻智紀の業務日誌シリーズや成風堂書店事件メモシリーズの大崎梢ですが(個人的趣味で井辻君シリーズを先に書かせてもらいます)、まったく違う手触りの作品になっていて驚きます。
過去の謎を探るということもあるかと思いますが、物語のトーンは、かそけき、はかない印象を受けます。
タイトルのスノーフレークは花の名前。雪のかけら。花言葉は「純粋」。
物語のトーンにぴったりだと思いました。
似た花としてスノードロップも紹介されています。こちらの方が知名度は高そうですね。花言葉は「希望」。
214ページには両者ならべて出てきます。
一家心中で亡くなったとされている幼馴染の少年・速人に似た青年が現れ、当時のノートが届く。
岸壁から車で海に飛びこんだけれど、死体が見つからなかった速人。
非常にミステリアスな展開です。速人は生きているのではないか?
割とすぐに明かされるので書いてしまいますが、この青年は速人の従兄の勇麻だったことがわかります。
主人公の真乃は、ときに勇麻の協力を得、ときに単独で、速人の一家心中を調べます。
もうひとり、重要な人物に、速人、真乃の幼馴染の享(とおる)がいます。
「ただのちゃらけたナンパ男」と真乃の友人に評される人物で、「百八十に近い身長、しっかりとした肩幅、引き締まった体躯、すんなりした顎のライン、鼻筋、口元、耳、日が当たり茶色に透ける髪」(256ページ)。
一家心中事件の真相に絡めて、この速人、真乃、亨に勇麻を加えた関係性が物語の読みどころとなっています。
真乃を支える友人たちもにぎやかに物語を彩ってくれます。
読んでいて気恥ずかしくなるような青春の一ページ、とも言える甘酸っぱい話に仕立てられており、事件の真相や明らかになる事実の重さをある程度中和してくれています。
とここで感想を終えたほうがよいかも、なのですが、今感想を書こうとして振り返ると、作者にしてやられたな、ということに気づきました。
というのも、一家心中事件の真相そのものは別にして、物語の大半のサプライズや人物の関係性をめぐる部分は、視点人物である真乃が知っていること、わかっていることを読者(や作中人物)に対して隠していることによって成立しているからです。
もし真乃が読者に最初から明かしていれば、ラスト近辺の感慨はまったく生まれないか、別のものになってしまうと思います──というか、そもそもこういうラストにならないかも。
読んでいる間や読んだ直後にはまったく気にしていませんでした。
さりげなく書かれているようでいて、企みに満ちた作品だったということで、読後すぐより今の方が評価が高いです。
ミステリ的にはアンフェアな手法と言われてしまうかもしれませんが、感服。
大崎梢さん、いつか、ガチガチの本格物を書いてみてくれないでしょうか?
<蛇足>
「中学の頃は無理やり『指輪物語』を読ませられて、理想郷とは、国家とはと熱弁をふるわれ、ドワーフやエルフの結婚観について唸っていると、シーコのブームは安倍晴明に移っていた。平安の都の治安についてさんざん蘊蓄をたれたかと思うと、式神を作ると言いだし、和紙にへんな文字を書かせられた。」(113ページ)
最近よく自分でも混乱するのですが、「読ませられ」る、「書かせられ」る、というのは正しい表現なのでしょうか?
「読まされる」「書かされる」の方が自然な表現で、「読ませられる」、「書かせられる」には強烈な違和感を覚えるのですが......
タグ:大崎梢
家庭用事件 [日本の作家 似鳥鶏]
<カバー裏あらすじ>
『理由(わけ)あって冬に出る』の幽霊騒ぎ直前、高校一年の一月に、映研とパソ研の間で起こった柳瀬さんの取り合いを描く「不正指令電磁的なんとか」。葉山君の妹・亜理紗の友人が遭遇した不可解なひったくり事件から、これまで語られてこなかった葉山家の秘密が垣間見られる「優しくないし健気でもない」など五編収録。苦労性で心配性の葉山君は、今日も波瀾万丈な高校生活を送る!
読了本落穂ひろいです。
2017年8月に読んでいます。
似鳥鶏「家庭用事件」 (創元推理文庫)。
「理由(わけ)あって冬に出る」 (創元推理文庫)
「さよならの次にくる <卒業式編>」 (創元推理文庫)
「さよならの次にくる <新学期編>」 (創元推理文庫)
「まもなく電車が出現します」 (創元推理文庫)
「いわゆる天使の文化祭」 (創元推理文庫)
「昨日まで不思議の校舎」 (創元推理文庫)
に続く第6弾。
「不正指令電磁的なんとか」
「的を外れる矢のごとく」
「家庭用事件」
「お届け先には不思議を添えて」
「優しくないし健気でもない」
の5編収録の短編集。
「不正指令電磁的なんとか」のトリックにはびっくりしました。
コンピューターを使ったものなのですが、実は昔会社のコンピューターで似たようなことをやった経験があるからです......(いえ、決して悪いことをしたわけではありません。単に遊んだだけです。あっ、会社で遊んだら、それ自体が悪いことか...)
「的を外れる矢のごとく」は冒頭の弓道の練習風景が、葉山君が言う通りシュールで笑えます。
市立高校の弓道場ならではの事件が素晴らしい。謎が常識的に考えれば解けるようになっている点と、それでいてミスディレクションが効いていて一種の盲点になっているのがポイントだと思いました。
「家庭用事件」は、葉山家で起きた事件で、電流的には問題がないのにブレーカーが落ちた、ということと葉山家の間取りから、するすると(意外な)真相を導き出す伊神先輩、というお話。
「お届け先には不思議を添えて」は映研が保存していた昔の文化祭のVHSテープがダメになってしまった、という事件ですが、発想がおもしろいです。
これ、ひょっとして小峰元の「アルキメデスは手を汚さない」 (講談社文庫)へのオマージュ、ではないですよね(笑)。←ネタバレになりかねないので字の色を変えておきます。
「優しくないし健気でもない」は、葉山君の妹の友人の姉が巻き込まれたひったくり事件。
ある意味ミステリ的には大ネタを繰り出してきています。油断していたので驚きました。
この種の大ネタは伏線が成否のカギを握っているもので、第二話の「的を外れる矢のごとく」あたりから周到に伏線が忍ばされていたことがわかります。
この作品の本質は、おそらく事件の謎解きが終わって、犯人を突き止めた後の、葉山君と妹の会話にあるのでしょう。作者の主張が割とストレートに打ち出されていて、ミステリ的な大ネタと共鳴するかたちです。
創元推理文庫には、日本人作家の作品でも扉のところに英題がつけられています。
似鳥鶏の作品の英題はそれぞれ凝っているのですが、今回のものは読了後に見たほうがよいかもしれません。
ここも字の色を変えておきたいと思います。「ALICE IN HEARING LAND」
<蛇足1>
「コンピューターって好きじゃないんだよね。論理で動くくせに非論理的に壊れるから」(45ページ)
伊神先輩のセリフです。うまい!
<蛇足2>
いま手元にある文庫本の、227ページ最終行から233ページ6行目まで(最終話「優しくないし健気でもない」の第4章にあたる部分)のフォントがほかの部分と違うのですが、意図がわかりませんでした。
あじあ号、吼えろ! [日本の作家 た行]
<カバー裏あらすじ>
ソ連参戦が噂される満州。国策映画撮影のため、満鉄が誇る超特急あじあ号がハルピンを出発した。得体の知れぬきな臭さを纏う軍人乗客と謎の積み荷。旅程に秘された任務とは? ソ連軍、中国ゲリラの執拗な攻撃が迫る。感動の鉄道冒険巨篇。
2023年6月に読んだ本の感想が終わったので、読了本落穂ひろいです。
2018年1月に読んだ辻真先の「あじあ号、吼えろ!」 (徳間文庫)
「車が主役の冒険小説はあっても鉄道が舞台の冒険小説はないことが、鉄道ファンのぼくは悔しかった。」
巻末に収録されたあとがきに、こう書かれていてあれっと思いました。
でも考えてみると辻真先ご自身による作品を除くと、鉄道を舞台の冒険小説というのは意外にないのかもしれません。
満洲を駆け巡っていた実在のあじあ号を舞台にしていることそのものの興奮度は、世代の関係からか正直ピンと来ない部分はあるのですが(鉄道ファンではありませんし、そういう列車が走っていたのですね、という程度の感想になってしまいます)、それでも当時のことを調べて作品に盛り込むというのは大変だろうなと思いますし、実際に作品として立ち上がってくると、非常にわくわくして読み進むことができました。
「あとがき」と「文庫版 あとがき」を読むと、あじあ号そのものは執筆時点では、一九八〇年夏に蘇家屯機関区でパシナの一台が発見されたきり、という状況で、本書が出版された翌年もう一台大連機関区で、流線型のカバーをつけたまま発見された、とあります。
これ、読む前に知っていたらもっとわくわくしていたかも。
序章のオープニングは帝銀事件!
そして現代になり「私」が新宿駅で人を殺すシーン。
この2つのエピソードについて詳しい説明はないまま、第一部のメインの物語へ移ります。
いよいよ、あじあ号です。
時は第二次世界大戦末期。ソ連が対日本戦参戦しようという折。
ほどなく対日参戦し、満州ではソ連が攻め込んでくると浮足立つ。
特別列車として白羽の矢(?)が立ったのが、あじあ号。
乗り込むは、映画俳優や映画会社の社員、売春婦、そして陸軍と多彩な乗客。
疎開、避難のための列車と思いきや、どうもきな臭い荷物を積んでいるようで......
ソ連軍や中国軍の妨害や攻撃を、あじあ号はどうかいくぐるのか。
ぜいたくな道具立てですね。
実在の人物もちらほら登場し、興趣をどんどん盛り上げてくれます(舞台や時期を考えればすぐわかることではありますが、それが誰かはエチケットとして伏せておくことにします)。
まるで映画を観ているかのよう、というと小説の場合必ずしも褒め言葉と受け取ってもらえないかもしれませんが、ここは褒め言葉です。
大活劇を600ページ近く繰り広げたあと、終章が待っています。
時は現代(戦後四十年の時点)。
往年を振り返る、という趣向ですが、序章と響き合うちょっとしたサプライズが心地よかったです。
こういうのまたどんどん書いて欲しいですね。
タグ:辻真先
転落の街 [海外の作家 マイクル・コナリー]

転落の街(上) (講談社文庫)
転落の街(下) (講談社文庫)
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/09/15
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
絞殺体に残った血痕(DROP)。DNA再調査で浮上した(コールド・ヒット)容疑者は当時8歳の少年だった。ロス市警未解決事件班のボッシュは有名ホテルでの要人転落(DROP)事件と並行して捜査を進めていくが、事態は思った以上にタフな展開を見せる。2つの難事件の深まる謎と闇! 許されざる者をとことん追い詰めていく緊迫のミステリー!<上巻>
ホテルから転落した市議の息子は殺害されたのか自殺だったのか。背後にはロス市警の抱える積年の闇が潜んでいた。一方、絞殺事件は未曾有の連続殺人事件へと発展する。冷厳冷徹に正義を貫き捜査を進めるボッシュ。仲間や愛娘に垣間見せる優しい姿と、陰惨な事件との対比が胸に迫る不朽のハードボイルド小説!<下巻>
2023年6月に読んだ7&8冊目の本です。
マイクル・コナリー「転落の街」(上) (下) (講談社文庫)
前作「ナイン・ドラゴンズ」(上) (下) (講談社文庫)(感想ページはこちら)に続き、作者マイクル・コナリーの看板シリーズであるハリー・ボッシュものです。
未解決事件班にいるボッシュに、ホテルから転落した市議アーヴィン・アービングの息子ジョージの死の真相を探れという本部長からの指示。市議の御指名だという。
アーヴィン・アービングは元ロス市警副本部長ながら警察とは敵対的なポジションをとっており、ボッシュとは過去に遺恨があるというのに......
ハイ・ジンゴ。
「警察と政治の合わさったもののこと」(34ページ)と説明され、「くだらん政治案件」を指すようですが、この語が繰り返し作中に出てきます。
もちろんこの市議の息子の件にかかりきりになれ、という指示のはずですが、とりかかろうとしていた未解決事件の捜査も続けようとするところがボッシュらしい。
事件そのものは複雑ではないのですが、その分決め手に欠けやすいもので、そこに政治的色彩が絡み=いろんな人たちの思惑が絡み、なかなか一筋縄ではいきません。
市議とのやりとりも緊迫しますし、本部長室付きのキッズ・ライダー(ボッシュの元相棒)とのやりとりもピリピリした雰囲気となります。
一方の未解決事件の方は、早々にボッシュが見当をつけてしまうのですが、その途上で、ボッシュは社会復帰訓練施設勤務の医師ハンナと知り合い(というかめぐり逢い、と言った方がよいかも)、仲を深めていきます。
このハンナとのやりとりもそうですが、相棒であるチューとの関係性に変化が訪れたり、ボッシュが衰えを感じ引退のことを考えたり、ボッシュの娘マディが15歳になっていて銃の腕前がボッシュ以上のものになっていたり、シリーズとしての読みどころが、2つの事件の進展とともに描かれていきます。
読み終えてみると、政治的事件の方は関係者の動きのわりに事件が小さい印象ですし、未解決事件の決着がどうにも収まりが悪い印象なのですが、意図的にそうしていると思われます。
いつものことながら、マイクル・コナリーのページターナーぶりを発揮した作品でした。
おもしろい。
<蛇足>
ハンナは笑みを浮かべた。
「ハードボイルドの刑事が言うようなセリフっぽくないな」」
ボッシュは肩をすくめた。
「おれはハードボイルドの刑事じゃないかもしれない。」(下巻17ページ)
マイクル・コナリーは、メタ的手法をとる作家ではないと思いますので、この「ハードボイルドの刑事」うんぬんというやりとりは素直によむべきところなのでしょう。
ハードボイルドが一般的な誤として日常会話に登場するのですね。
原題:The Drop
作者:Michael Connelly
刊行:2011年
訳者:古沢嘉通
犬はまだ吠えている [海外の作家 パトリック・クェンティン]
<カバー袖あらすじ>
その日のキツネ狩りの「獲物」は頭部のない若い女の死体だった。悲劇は連鎖する。狩猟用の愛馬が殺され、「何か」を知ってしまったらしい女性も命を奪われてしまう
陰惨な事件の解決のために乗りだしたドクター・ウェストレイク。小さな町の複雑な男女関係と資産問題が真相を遠ざけてしまうのだが……。
2023年6月に読んだ6冊目の本です。
単行本です。パトリック・クェンティン「犬はまだ吠えている」 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)。
日本ではパトリック・クェンティンとして紹介されていますが、森英俊の解説によるとこの作品は
ジョナサン・スタッグ名義で発表されたものらしいです。
本書はカバーでは、Patrick Quentin と書かれている一方、巻頭の原題など著作権表示のところは、Jonathan Stagge になっています。
ドクター・ウェストレイクを探偵役に据えたシリーズの第1作ということらしいです。
アメリカでキツネ狩り、というだけで時代を感じてしまったのですが、今でもやっているのでしょうか?
ほかにも時代を感じさせる要素があちらこちらにあり、古き良き探偵小説というイメージを保ってくれています。
扱われている事件はかなり猟奇的というか、首切りですから残忍な感じなのですが、この古典的なイメージのおかげで、あまりどぎつく感じません。
田舎町(と呼んでいいのだと思います)を舞台に、狭い世界の登場人物たちの間で事件を起こす王道の本格ミステリで、連続して第二の殺人や馬殺しが起こる手堅い展開になっています。
最後に物語全体の絵が浮かび上がってくるところでは、勢いよく読んでしまったのでなにげなく読み過ごしてしまったことが手がかりあるいはヒントとして機能していることに満足しました。
犯人当てそのものだけだと難しくはないと思いますが、動機を含めた細かい部分の要素が組み立てられていくところはとても楽しく読めると思います。
このシリーズ、解説によると9作目まであるようなので、残り8作も訳してくれるとうれしいな、と思います。
<蛇足>
「しかし、トミー・トラヴァースの場合、不倫をするとは信じられなかった。アメリカ人の夫なら、似たような立場になれば女漁りを始めるかもしれない。だが、トミーはきわめてイギリス人らしかった。そして──冷血とも、禁欲的とも、そのほか何と呼んでもいいが──イギリス人の夫は結婚の誓いを真面目に受け取る傾向があるのだ。」(174ぺージ)
英米の作品を読んでいると、英米の比較がされることがちょくちょくありますが、ここもその一例かと思います。
当然人によるのだと思いますが、一般的にはこういう観方をされている(あるいは、されていた)ということなのでしょう。
ところで、 ここの「冷血」という語はなんとなくおさまりが悪いですね。原語を確認していませんが、訳しづらい語なのだと思います。
原題:The Dogs Do Bark
著者:Jonathan Stagge
刊行:1936年
訳者:白須清美
殺し屋 最後の仕事 [海外の作家 は行]

殺し屋 最後の仕事 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)
- 出版社/メーカー: 二見書房
- 発売日: 2011/09/21
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
アイオワ州の切手ディーラーの店で、ケラーは遊説中のオハイオ州知事が何者かに射殺されたとのニュースを聞く。引退を考えていたケラーが、アルと名乗る男の依頼を最後の仕事にしようと、アイオワにやってきたのが数日前。やがてテレビに知事の暗殺犯としてケラーの顔写真が映しだされる。全国に指名手配され、ドットとも連絡が取れなくなったケラーの必死の逃亡生活が始まった──濡れ衣をはらすため、そして罠にはめた男への復讐のために。シリーズ最強と評価される傑作ミステリ。
2023年6月に読んだ 冊目の本です。
ローレンス・ブロックの殺し屋ケラー・シリーズ4冊目。「殺し屋 最後の仕事」 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)
基本的には殺し屋ケラーの穏やかな日常を描いていくこのシリーズですが、「最後の仕事」と銘打たれた今回は、まったく穏やかではありません。
なにしろ、ケラーが州知事狙撃犯と目されて逃亡生活を余儀なくされるのですから。
この展開、伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」 (新潮文庫)(感想ページはこちら)を思わせるのですが、本書の解説を伊坂幸太郎が書いていて、人を得た!、という感じです。
この解説が極めてスグレモノでして、ぜひぜひ、ご一読を。
シリーズ読者にとっては、前半で衝撃的な展開を迎えるのがポイントですね。
まさかトッドが......(自粛)
そのため、逃避行は新しい局面に入り、物語は中盤、舞台はニューオーリンズに移ります。
激しく緊迫した前半、落ち着いた雰囲気の中盤、そして急展開する終盤と、物語のリズム感がとても心地よい。
基本的には殺し屋ケラーの穏やかな日常を描いていくこのシリーズと書きましたが、実はローレンス・ブロックの本質は、このリズム感なのかも、と感じました。
最後にこのシリーズのリストを。
「殺し屋」 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)
「殺しのリスト」 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)
「殺しのパレード」 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)
「殺し屋 最後の仕事」 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)
「殺し屋ケラーの帰郷」 (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)
と5冊刊行されています。
現段階で、もう一冊あるのですよね。楽しみ、楽しみ。
<蛇足1>
「そこで部屋に野球帽を忘れたことに気づいた。が、怪我の功名で、ドレッサーの上にルームキーを置いて出ることも忘れていた。で、鍵がなくてもドアが開けられ、帽子を取りに部屋に戻ることができた。」(146ページ)
モーテルの部屋を出てからの話なのですが、この部分の意味がわかりませんでした。
ルームキーを置いて出ることを忘れていた、というのですからキーは持って出たということかと思います。つまり鍵を持っているのに ”鍵がなくても” というのはどういうことでしょう???
<蛇足2>
「さすらいの絞首刑執行人を描いたローレン・D・エスルマンの西部小説で」(238ページ)
ケラーが読む小説です。ローレン・D・エスルマン、なんだか懐かしい名前ですね。
ミステリも書いている作家です──確か、積読本があったはず(笑)。
原題:Hit and Run
作者:Lawrence Block
刊行:2008年
翻訳:田口俊樹
タグ:ローレンス・ブロック 殺し屋ケラー
死の実況放送をお茶の間へ [海外の作家 ま行]
<帯から>
生放送中のTV番組でコメディアンが謎の怪死を遂げる。犯人は業界関係者か? それとも外部の犯行か?
2023年6月に読んだ4冊目の本です。
単行本です。論創海外ミステリの1冊で、パット・マガー「死の実況放送をお茶の間へ」 (論創海外ミステリ215)。
なかなか事件は起きないのですが、当時のアメリカのTV制作の舞台裏を見る感じがとても興味深く、楽しかったです。
著名なコメディアンのポッジ、その元妻で暴君的なスコッティ、飛躍するチャンスをつかもうと躍起の出演者たち。
語り手である雑誌調査係のわたしメリッサのジャーナリズム学部生時代の同級生で番組担当アナウンサーのデイヴ・ジャクソン、プロデューサーに、いかにもTV業界にいそうなディレクターに野心に燃えるオーケストラの指揮者。
人気者であるポッジをめぐって、みんなの邪魔者的存在であったスコッティを出し抜いて取り込もうという面々と、それに負けじと対抗してくるスコッティ。
よくある話といえばよくある話でしょうが、多彩な登場人物で飽きさせません。
生放送中のTV番組中で起こる事件ということで、非常にセンセーショナルなものです。
事件が起こってからは、物語のテンポがアップします。
畳みかけるように話が進み、一気に解決シーンにもつれ込んだ印象で、このテンポも悪くなかったですね。
トリッキーな謎解きではありませんが、登場人物の性格にしっかり寄り添ったプロットになっていて(戯画的なところはありますが)、安心して読めるものでした。
メリッサとデイヴのやりとりも、なんだか時代を感じさせて楽しかったです。
ここまでが作品の感想ですね。
訳者は、E・C・R・ロラック「殺しのディナーにご招待」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)と同じ方ですが、引き続きレベルの低い翻訳を提供してくださっています。
下の蛇足で気づいた点からいくつか。
<蛇足1>
「今は、放送中じゃないだよ、かわい子ちゃん」(28ぺージ)
誤植でしょうか? ないだよ、とは変な言い回しです。
<蛇足2>
「早口の口上であたしをのし上げてくれるっていう大風呂敷を敷いたままじゃないの。」(28ページ)
大風呂敷は確かに敷くことも可能ですが、言い回しとしては大風呂敷は広げるものではないでしょうか?
<蛇足3>
「不在所有者だったジャクソンが、愛想のいいホスト役を務める準備ができたようだよ。」(34ページ)
不在所有者とはどういう意味でしょう? しばらく考えましたが、わかりませんでした。
<蛇足4>
「俺の時代にゃ、銅板印刷だったってのに」(35ページ)
銅版印刷、でしょうね。
<蛇足5>
「彼女は、ホッジに無理強いしないほうがいいときと場合をわきまえてる。俺も、ヴィヴにあれだけの手腕があればな。」(61ページ)
「俺も」がなければ素直に意味がわかるのですが。
どういう意味、主旨の文章なのでしょう?
<蛇足6>
「あなたは、作家やディレクターよりもずっと多くを台本に加味できるんですもの。ネタはあまり面白くなくても、あなたなら、面白そうに見せられる。そして、そのことのほうが、コメディの台詞をかけることよりも重要です。タレントであって、芸能界では、ほかの何よりも価値があるんです」
「タレントねぇ」その言葉は、彼にほとんど満足感を与えなかったようだ。「そうかもしれない。だけど、問題は──俺が、どの程度のタレントなのか、スコッティが、どれだけの物を考えて作り上げたか?」(81ページ)
英語の talent は才能ある人という意味で、日本語でいうタレントとは意味が異なりますので、ここは誤訳と言わざるを得ないと思います。
<蛇足7>
「カメラやマイクのブームが入り込んで」
ブームがわからなかったので調べました。
撮影や収録スタジオで、マイクロフォンなどを出演者の声の届く範囲で、カメラの収録する範囲の外(主に上方)に配置できるようにした、吊り下げる装置。先端にマイクロフォンをつけ、反対側の端にはバランスのとれるように、おもりをつけている。
<蛇足8>
「わたしは、コートを脱いで窮屈な座席に落ち着こうとしている視聴者をガラス越しに見つめていた。」(141ページ)
ここは、わたしが調整室から撮影現場を見ているところです。
間違いとまではいえないのでしょうが、ここは視聴者ではなく、観客の方が親切かと思います。
すぐあとに、番組参加視聴者という語も出てはきますが、一般に視聴者というとテレビの前にいる人たちのことを指してしまうように思います。
<蛇足9>
「するとデイヴが、幕の後ろから現れたが、わたしは、彼が司会者らしくわざと人当たりよくしているのにはほとんど気づかなかった。」(141ページ)
一人称の記述で、わたしが気づかなかったことをどうして書けるのでしょう??
これ、原文を当たる必要がありますが、まず間違いなく誤訳ですね。
<蛇足10>
「舞台上の人たち──カメラマン、ブームマイクのオペレーター──や、隣でボタンを押したり、レヴァーを捜査したりしているテクニカルディレクターにマイクを通して話しているのだ。」(142ページ)操作、ですね。
<蛇足11>
「それと同時に監察医が、『到着時にすでに死亡』の裁断を下していた。」(149ページ)
監察医がする行為は、科学的事実を突き止めることなので、「裁断」ではないと思います。
<蛇足12>
「フルーティーファイヴだ。それでも、番組を長くやってきて、彼にも味はわかっただろうから、ニコチンが、六番目の旨味には思われなかったはずだ」(151ページ)
5種類のフルーツをミックスした飲み物、ということで、入れられた毒であるニコチンは6番目というわけですが、この場合、おそらく原語は taste だと思うのですが、訳は旨味ではなく、単純に味とした方が適切ではないかと思います。
原題:Death in a Million Living Room
著者:Pat McGerr
刊行:1951年
訳者:青柳伸子
真実はベッドの中に [日本の作家 石持浅海]
<カバー裏あらすじ>
江見は和沙との不倫現場を毎回撮影し映像に残す。
そのデータという武器を共有することでお互いの家庭を崩壊させるような裏切りを防げるというのだ。
だが和沙は江見を抱きしめたときある違和感を覚え……。(『相互確証破壊』)
美結は五十嵐という男と奇妙な二人旅をしている。深夜の国道でヒッチハイクをしていたところを彼に拾われたのだ。美結の誘いに乗り、車中で激しく求め合ったのち五十嵐は言った。「君は、人を殺しているね?」(『カントリー・ロード』)他、全6編を収録。
燃え上がる欲望と冴え渡る推理。伏線回収の快感にしびれる官能本格ミステリの傑作!
2023年6月に読んだ冊目の本です。
石持浅海の「真実はベッドの中に」 (双葉文庫)。
この本、単行本のときのタイトルが「相互確証破壊」(文藝春秋)
相互確証破壊といったら、冷戦時代の核戦略。大学時代の講義を思い出したりして。
しかし、それが改題されたら「真実はベッドの中に」。いったいどういう中身なの!?
カバー裏のあらすじを見たら、官能ミステリ、だと。
とすると改題後の文庫タイトルの方が内容的にはふさわしいのでしょうね。
「待っている間に」
「相互確証破壊」
「三百メートル先から」
「見下ろす部屋」
「カントリー・ロード」
「男の子みたいに」
の6編収録の短編集です。
官能ミステリというだけあって、いわゆるベッドシーンが盛りだくさんで、そこに謎解きが絡む。
性交シーンにかなり筆が割かれています。
石持浅海の作品は、ある種歪んだ倫理観、論理を持つ奇矯な登場人物が特徴だと思っています。
一方、性交というのは非常に属人的なもので、まさに千差万別、人それぞれと思われるところ、奇矯な論理を展開するにはうってつけとも言えるのでしょうが、人それぞれであるがゆえ趣味の問題なのだと思いますが、正直、官能の部分は楽しめませんでした。
そういうシーンを通して謎解きに至る、というかたちをとっているので、そういうシーンを外してしまうわけにはいかないのですが(この点については解説で村上貴史は「両者を二分のもの」と評しています)、ちょっとしつこいかな、と。
その意味では、意図的なものだとは思うのですが、最初の数編の趣向、構成が同じパターンになっているのも、個人的にはマイナスに働いてしまいました。
まあ、秘められた意図を探る、となると似たようなものになってしまうのかもしれませんが。
後半の2編ではパターンから抜け出しているのでよかったですね。
「カントリー・ロード」ではヒッチハイク後の男女の駆け引き。ミステリとしてはよくある展開かとは思いますが、これまでのパターンを大きく抜け出したので好感度大。
最後の「男の子みたいに」は、いわゆるLGBTの観点からいろいろと議論を呼びそうな結末が用意されています。
それにしても、元表題作である「相互確証破壊」。核戦略からよく官能ミステリに持っていきましたね。石持浅海の発想の柔軟さに感服です。
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