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ジークフリートの剣 [日本の作家 深水黎一郎]


ジークフリートの剣 (講談社文庫)

ジークフリートの剣 (講談社文庫)

  • 作者: 深水 黎一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/10/16
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
天賦の才能に恵まれ、華麗な私生活を送る世界的テノール歌手・藤枝和行。念願のジークフリート役を射止めた矢先、婚約者が列車事故で命を落とす。恐れを知らぬ英雄ジークフリートに主人公・和行の苦悩と成長が重ね合わされ、死んだ婚約者との愛がオペラ本番の舞台で結実する。驚嘆の「芸術ミステリ」、最高の感動作。


「エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ」 (講談社文庫) (ブログの感想ページへのリンクはこちら
「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」 (講談社文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら
「花窗玻璃 天使たちの殺意」 (河出文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら
に続くシリーズ第4弾。

前作「花窗玻璃 天使たちの殺意」の感想で、この第4作「ジークフリートの剣」(講談社文庫) のことを
「日本に置いて来てしまったので、読めるのはいつになることやら......」
と書いていましたが、日本に帰って来たので読みました!

今度の題材は、ワグナー。
ワグナーの歌劇、観たことないのですが、それでも楽しめました。観ていたら、もっと楽しめたのでしょうね。
さすがは芸術探偵シリーズ、というところなのですが、実は芸術探偵である神泉寺瞬一郎は脇役なのです。
もちろん、探偵役ですから重要な役どころではあるのですが、圧倒的に主役・藤枝和行の物語です。

この藤枝和行が、まあ、嫌なやつなんです。
ザ・俺様。他人のことなんて、ちっとも構わない。
ドイツのバイロイト音楽祭での「ニーベルングの指環」のジークフリート役に抜擢されるくらいなので、実力十分なのですが、その実力に負けないくらい尊大な男。
もっとも
「日本人がここで主役を張るなんて、百年早いと思わないか」
というセリフも作中にあり、
「オペラが西洋文明の精華である以上、この分野における日本人の擡頭を、新たなる黄禍と見做す<ヨーロッパ人>がいたとしても何の不思議でもない」(120ページ)
とされる大役は、傲岸不遜なキャラクターでないと務まらないようにも思います。
こういうキャラクターがお気に召さない読者もいらっしゃると思いますが、楽しく読んでしまいました。
こういうキャラクターに憧れがあるのかも!?

彼の婚約者である遠山有希子がヒロインとして対峙するわけですが、尽くすタイプとなっていて、こちらはまさしく悲劇のヒロイン。
冒頭から「命を落とす」と予告され、その通りになってしまいます。
第一章の終わり、グルノーブルの列車事故で死んだと、和行のもとへ知らせが。

この後、和行視点でのバイロイト音楽祭の内幕が物語の中心となり、陰で神泉寺瞬一郎が有希子の死の真相を探るという展開となります。

ユーゴーの名作「ノートルダム・ド・パリ」を改変してしまう娯楽産業に対して、
「だが、芸術の目的は、やはりそれとは違うだろうと思うのだ。娯楽産業と違って芸術は、真実を示すものでなければならない。この世界では愛が必ず勝つとは限らないことを、努力した善人が報われて幸福になるとは限らないことを、示すものでなくてはならない。」(300ページ)
と和行が考えるシーンがあります。
とすればこの物語自体のラストシーンが不安になってくるわけですが、本書のクライマックスは「ニーベルングの指環」の舞台で、見事としかいいようのないエンディングを迎えます。

この後の、和行の物語を読んでみたいな、と思いました。


<蛇足1>
「オペラが西洋文明の精華である以上、この分野における日本人の擡頭を、新たなる黄禍と見做す<ヨーロッパ人>がいたとしても何の不思議でもない」(120ページ)
上の本文でも引用したところですが「黄禍」に「こうか」とルビが振られています。
「おうか」と読むと思い込んでいたので少々びっくりしましたが、読み方としては「こうか」「おうか」の順に書かれていることが多いので、「こうか」が一般的なんですね。
「黄色人種」は「おうしょく」なのだから、黄禍も「おうか」と読んだほうが自然と思わないでもないですが、違うのですね。
勉強になりました。

<蛇足2>
「何を言っているんだカズユキ。プライドが高くない女性なんて、仮にものにできたとしても、何の喜びもないだろうが。女性のプライドが高ければ高いほど、僕らの喜びもまた大きくなる。何故なら僕らが女性を抱くとき、そのプライドも一緒に抱くのだから」(166ページ)
うわぁ、和行も和行なら、友人(?)も友人ですね。

<蛇足3>
「いえ、猫舌なんです」
 犬のような格好で舌先を冷やし終えると、青年はおもむろに向き直って言った。(173ページ)
ここでいう「犬のような格好」とは、どういう格好なんでしょうね? 舌を出しているということかな?

<蛇足4>
いくら語学が堪能とは言え、生まれつきのバイリンガルではない和行は、朝から晩まで外国語で生活していると、自分の中の分水嶺のようなものから水があふれ出し、もうその日はそれ以上外国語で聞いたり話したりする集中力が、まるで働かなくなってしまう時がある。(289ページ)。
なるほどなぁ、と思った部分なのですが、ここの「分水嶺」は「ダム」のほうがわかりやすいな、と思いました。




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花窗玻璃 天使たちの殺意 [日本の作家 深水黎一郎]


花窗玻璃 天使たちの殺意 (河出文庫)

花窗玻璃 天使たちの殺意 (河出文庫)

  • 作者: 深水 黎一郎
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/10/06
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
仏・ランス大聖堂の南塔から男が転落、地上八十一・五メートルにある塔は密室状態で、警察は自死と断定した。だが半年後、再び死者が。被害者の共通点は死の直前、シャガールの花窗玻璃(ステンドグラス)を見ていたこと。ここは…呪われている? 壮麗な建築と歴史に隠された、事件の意外な結末。これぞミステリー! 『最後のトリック』著者による異形の傑作。


「エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ」 (講談社文庫) (ブログの感想ページへのリンクはこちら
「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」 (講談社文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら
に続くシリーズ第3弾。

タイトルは「はなまどはり」とふりがながついています。
同時に、本文中には「ステンドグラス」とルビがついています。

今度の題材は、フランスのランス大聖堂。この作品の表記に従えば蘭斯大聖堂。
行ったことあるはずなんですが、記憶にありません......とほほ。
シャガールの手によるステンドグラスがあることで有名、とのことです。見たはず......だよなぁ。
そのシャガールのステンドグラスを、登場人物の口を通してくさしているのがポイントですね(笑)。
とてもおもしろい。

神泉寺瞬一郎による手記が大部分を占めています。
その手記、タイトルも「花窗玻璃」でステンドグラスを難しい漢字で表記されていますが、本文も漢字のオンパレードで、カタカナは読者の便宜を図るためと思われるルビ以外は使われていません。
すごい。
また旧字体を使っているところがあちこちに。
これが不思議と読みにくいと思いませんでしたね。むしろワクワクしました。
なぜ現代の人物である神泉寺瞬一郎がこんな表記を手記に採用したのか、という理由がふるっています。
「舞台であるランス大聖堂、その壮麗極まりない威容を日本語の文章で表現するのには、この文体、この表記しかないと思ったんです。この表記でなければ、絶対に負けると思ったんです。」(186ページ)
結構、このあたりの日本語論、神泉寺瞬一郎のセリフに力が入っていまして、作者の主張でもあるのかな、と思えてとても楽しかったですね。
「ルビこそは、日本語最大の発明の一つなんですよ!」
「日本語は、外来語の意味を漢字という表意文字で示しながら、読み方はルビによって、言語にかなり忠実に読ませることができるという、表意文字と表音文字の両方の良いところ取りをするのに成功した、正に奇跡のような言語なんですよ。」(193ページ)
なんだか楽しくなってきませんか? (もっとも、個人的には「最大の~一つ」という言い回しが気になりますが)

こういう文章で綴られる、大聖堂そのもの、ステンドグラス、その他に対する蘊蓄がとても楽しい作品です。
たとえば......

「哥徳(ゴシック)式の大伽藍の場合、一つの聖堂の建設に一〇〇年かかるなんてのはざらで、何度も中断を挟んで三〇〇年四〇〇年なんてこともある」
「巴塞隆納(バルセロナ)の聖家族贖罪教堂(サグラダ・ファミリア)が、高第(ガウディ)の死後現在でも建設されていることがよく喧伝されるが、このままの調子で完成したら、教会建築の工事期間としては、むしろ短い方になるだろう。」(ともに144ページ)
へえ。すごい。
サグラダ・ファミリアのことをうけて、だからスペイン人は......なんていう物言いもありますが、スペイン人だからとは言えないのですね。おもしろい。

あるいは......

「この巨大な建築物に塔はこの西正面の二本だけ、しかもその上に尖塔(フレッシュ)は載っていない。フランス(仏蘭西)の哥徳(ゴシック)建築は、あくまでも調和と均衡(バランス)重視なのであり、南北の正立面にも双塔を建て、さらにその上に尖塔、また交差部(クロワゼ)には大尖塔と、やたらめったら天を窄めたがる英吉利(イギリス)や独逸(ドイツ)の哥徳(ゴシック)建築とは、一線を画しているのだ。高い塔は建てないものの、その代わり親の仇のように矢鱈に小尖塔(ピナクル)を建てたがる北伊太利亜(イタリア)の哥徳(ゴシック)ともまた違っている(米蘭(ミラノ)の大聖堂(ドゥオーモ)など、実に一三五基もの小尖塔(ピナクル)があって、まるで巨大な蝟(はりねずみ)のようだ)。現在巴里(パリ)の聖母院(ノートル・ダム)の交差部(クロワゼ)には大尖塔(グランド・フレッシュ)が聳えていて、華美好きな観光客たちの目を楽しませているが、あれは十九世紀の著名な建築家兼修復家、維歐勒・勒・杜克(ヴィオレ・ル・デュック)によるものである。」(138~139ページ)......これPCで打つの大変でした(笑) ルビを括弧書きで書くしかないのでちょっと見た目がうるさいですね。ルビだとさほど見苦しくないのですが。

事件のほうは、大聖堂からの墜死と天使の幻覚を見た後に死んだ浮浪者の2つです。
墜死事件は、情景を思い浮かべるとかなり絵になるトリックで好印象なのですが、個人的にはこのトリックその場にいる人たちにはわかっちゃうんじゃないかなあ、と心配になりました。上手に処理されてはいるんですが、それにしても。大丈夫なのかな?
死んだ浮浪者のほうのトリックも、なかなか乙です。(人が死ぬのに乙とはひどい表現ですが)
伏線が効果的にひかれていていいなと思いました。

それにしても、ぼくが買ったバージョンの帯はいただけないですね。
「あなたはまた巻き込まれる
 『最後のトリック』の次の挑戦状--
 被害者は読者全員!?」
そういう狙いの作品ではないと思います。

帯に対する不平は、作者の責任ではないので抑えておくとして、このシリーズ、とても楽しいですね。
快調です。ずっと続けてほしい。

この作品、もともとは「花窗玻璃 シャガールの黙示」というタイトルで講談社ノベルスから出版されたものです。文庫化は河出文庫になりましたね。文庫化にあたってサブタイトルが変更になっています。
シリーズ第3作であるこの「花窗玻璃 天使たちの殺意」より先に第4作「ジークフリートの剣」 が講談社文庫で文庫化されていましたが、とても楽しみです。
できる限り順番に読もうと積読にしてありました。
でも日本に置いて来てしまったので、読めるのはいつになることやら......


<蛇足1>
フェルメール(維梅爾)の「真珠の耳飾りの少女」の原画ではないかという美術史家がいるという、グイド・レーニの絵について触れられていますが、タイトルが書かれていませんね。(86ページ~)
ローマの国立古典絵画館に所蔵されているそうです。
まったく知りませんでした。興味がわきました。見に行きたいですね。

<蛇足2>
若き日の神泉寺瞬一郎(といっても手記の段階でもまだ十分若いような気がしますが)を打ちのめした画家として、デューラー(杜勒)が出てきます。ランスの市立美術館にも作品が収められているようです(127ページ)。

<蛇足3>
作者肝いりの漢字・ルビ表記ですが、ダイイング・メッセージは、垂死伝言、となっています(201ページ)。
「死に際の伝言」という表記にダイイング・メッセージとルビを振るのはよく見ますが.....新しい表記ですね。

<蛇足4>
「全くここにこんな良い女が、彼氏いない歴年齢で一生懸命頑張って生きているのに!」(249ページ)
結構日本語に自覚的な設定の神泉寺瞬一郎ですが、「一生懸命」はOKなんですね。
もっとも
「標準の日本語が存在することは一向に構いませんが、それが唯一正しい日本語で、それ以外の日本語は間違いだとする言語ファシズムには、僕は断固として反対します」(191ページ)
という彼のことだから、こんなことをいうと言語ファシズムと指弾されるかも。





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ミステリー・アリーナ [日本の作家 深水黎一郎]

ミステリー・アリーナ (講談社文庫)

ミステリー・アリーナ (講談社文庫)

  • 作者: 深水 黎一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/06/14
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
嵐で孤立した館で起きた殺人事件!  国民的娯楽番組「推理闘技場(ミステリー・アリーナ)」に出演したミステリー読みのプロたちが、早い者勝ちで謎解きに挑む。誰もが怪しく思える伏線に満ちた難題の答えはなんと15通り! そして番組の裏でも不穏な動きが……。多重解決の究極 にしてミステリー・ランキングを席巻した怒濤の傑作!!


あらすじにミステリー・ランキングを席巻と書いてありますが、帯もすごいですね。
本格ミステリ・ベスト10 (2016年国内・原書房) 第1位
ミステリが読みたい! (2016年版国内篇・早川書房) 第3位
週刊文春ミステリーベスト10 (週刊文春2015年12月10日号国内部門) 第4位
このミステリーがすごい! (2016年版国内編・宝島社) 第6位

読み終わってみて、作者の狙いはよくわかりましたし、各種ベスト10で高評価なのも理解しましたが、残念ながら好き・嫌いでいうと、好きではないですね。

まず娯楽番組内での推理クイズ、なわけです。ここが好きではない最大のポイント。
多重解決ものは好きなんです。最初に読んだ「毒入りチョコレート事件」 (創元推理文庫)には本当にしびれたものです。
でもね、それをゲーム形式にして劇中劇、作中作の枠組みでやるのはどうもねぇ。
ゲーム形式ということは、実際に起こった事件、という裏付けがなく推理合戦をするわけですから、現実的というか現実性というかの担保がそもそもないんですよね。
そしてその劇中劇、作中作を作った人というのがいるわけで、使いかたによっては、なんでもあり、な状況になってしまいます。ルールも後から勝手に追加できそう。
これだと、推理の楽しみが減ってしまうような気がするんですよ。
作中作の方が、現実性がない方が、ピュアに論理に淫することができる、という意見もあるとは思うんですが、すっきりしないんですよね...
その点は作者も意識されていることがわかる部分があちこちにあります。
そして多分その点を逆手に取って、ロジックに淫したというのか、この設定を突き詰めたというのか、そうですね、多重解決ものの極北にたどり着こうとした、というのがこの作品の狙いなんだと思います。
収録されている「文庫化のためのあとがき」に狙いが説明されてはいますが。

もう一つ。あらすじに「番組の裏でも不穏な動き」と書かれている部分。
おもしろい発想だな(と言うと人でなしかと思われてしまいそうですが)と思ったのですが、これ、この物語に必要でしょうか?

ついでに突っ込んでおくと...
出題者側は予想される解決をあらかじめ想定して物語を作っている、という設定になっています。
15ある解決案、となっていますので(数は確認していません)、15通り想定した、という風に書かれていますが、15通り用意してもだめで、それぞれの解決がどの順序で出てくるのかによっても、話の流れは変わってしまうので、15通りの解決の並び方を想定すると、15の階乗、すなわち約1兆3700億通りのストーリーを用意しておかなければならないことになります。
もちろん、ある程度は順番も予想できるとはいえ、たとえばほぼ半分の8個の解決案でも4万通り。5個にしても120通りのストーリーの用意が必要です。
無理じゃない??

と好きではないこと(とアラ)をるる述べましたが、好きではないけれども、たとえば年間ベストを選ぶ際には、本書を選ぶと思います。
本当にすごい作品なんですよ、これ。各種ベスト10で高評価なのも納得の作品です。
ミステリファンなら、読み逃すのがもったいない傑作だと思います。
ただなぁ...どうしてもなぁ...この傑作を「大好き」と言えないのがとても残念。

<蛇足>
「俺はこの<車に乗っていてもうちょっとで死ぬところだった自慢>を、<学生のテスト前の勉強してない自慢>や<サラリーマンの寝てない自慢>、それに<いい年をした大人の若い頃はワルだった自慢>などと並ぶ、世界の四大どうでもいい自慢とひそかに名付けている」(34ページ)
おもしろい!

<蛇足2>
平清盛が「たいらきよもり」、平将門が「たいらまさかど」と「の」が入る理由が説明されていて勉強になりました。(317ページ~)
まず天皇から賜った本姓というのがあり、これが一族の名前。
子孫が枝分かれして増えると区別するために、住んでいる土地の名前や官職名にちなんでつけたのが名字で、これは家の名前。
で、本姓のときに「の」をつけ、名字のときは「の」をつけない。
徳川家康のフルネームは、徳川二郎三郎源朝臣家康で、徳川が名字、二郎三郎が通名、源が本姓、朝臣が姓(かばね)、家康は諱、と説明されています。元々の名字は松平で、藤原氏の胤になるが、源氏の嫡流に近い新田家の《得川》を買い取って、それ以降徳川と名乗った、と。
で、豊臣秀吉の豊臣は天皇から下賜された本姓だから、〈とよとみひでよし〉と読むのが正しい、そうです。


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最後のトリック [日本の作家 深水黎一郎]

最後のトリック (河出文庫)

最後のトリック (河出文庫)

  • 作者: 深水 黎一郎
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2014/10/07
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
「読者が犯人」というミステリー界最後の不可能トリックのアイディアを、二億円で買ってほしい──スランプ中の作家のもとに、香坂誠一なる人物から届いた謎の手紙。不信感を拭えない作家に男は、これは「命と引き換えにしても惜しくない」ほどのものなのだと切々と訴えるのだが……ラストに驚愕必至! この本を閉じたとき、読者のあなたは必ず「犯人は自分だ」と思うはず!?


本書は、深水黎一郎のデビュー作で第36回メフィスト賞受賞作である「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ !」 (講談社ノベルス)を、全面的に加筆・修正して改題・文庫化したものです。
あらすじにもありますし、講談社ノベルス版のタイトル(副題)からもわかるように、読者が犯人、というものを扱った作品です。
読者が犯人...魅力的ですよね。
実は講談社ノベルス版「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ !」も刊行時に読んでいるのですが、肝心要のトリックの肝を覚えていませんでして...よほど勢いよく読み飛ばしてしまったのか? 2014年の文庫化を機に読みなおそうかと購入、しばらく積読にしたのち、2015年12月に読んだもの、です。その後引っ越しのどさくさで本が紛れ感想を書けていませんでした。
しかし、読者が犯人、なんて奇天烈なトリックを覚えていないとは...…(為念ですが、読者が犯人、ということは覚えていたのですが、どういう仕掛けだったかを覚えていなかった、ということです)
過去にもいくつか作例があります、それは鮮明に覚えておりまして、トリックの成立具合については不満を持ったものです。
同じ不満は、深水黎一郎も抱いていらっしゃったようで、 河出文庫版「最後のトリック」の56ページからその点が触れられています。
「今さら言うまでもないことだが、ミステリーのトリックとは、厳密かつフェアでなければダメだ。仮に読者が犯人というトリックが可能だとしても、それがある特定の読者にだけ当て嵌まるのではダメで、その小説を読んだ読者全員が、読み終わって本を閉じたときに、『犯人は俺だ』と思うのではなくては、そのトリックが成立したことにはならない」(58ページ)
うわっ、ハードルを作者自らあげていますね。

はたして首尾は如何、というところですが、ぎりぎり成立していると言ってもいいかな、と感じました。
解説で島田荘司も「一読後、なるほどこれなら確かに自分が作中人物、香坂誠一を殺したと納得したし、このアイデアに前例はないと確信して、命題の達成に同意した」と書かれています。

ただし、やはり不満はあります。
若干ネタバレ気味になりますが、ぼかして書いちゃいます。
まあ今更ノックスの十戒やヴァン・ダインの探偵小説二十則なんて古証文を持ち出すこともないですが、常識的な範囲を超えた事象が出てくると、やはりねぇ...
超能力、とか、心理学、とか出してわんさかまぶしてくれてはいますが、非現実的なことがキーとなっちゃうと行き過ぎ感は否めませんね。
インチキだと思われる読者がいてもおかしくはありません。(この点の不満を強く感じたので、講談社ノベルス版を読んでいたのに枠組みを忘れちゃったのかな?)
あと、この仕掛けだと、置き去りにされる読者がいるのではないかと思います。時制の不一致?

で、結局トータルでこの作品「最後のトリック」はどうだったのか、と聞かれたら、再読の結果こう答えます。
「嫌いじゃないです。おもしろかったです。」

なによりも、曲がりなりにも「読者が犯人」という命題を成立させたところには素直に敬意を表したいと思えます。
そしてこの「最後のトリック」で「読者が犯人」を成し遂げるための道筋が、既往の「読者が犯人」を目指した先行作のアイデアを裏返したようなものだと言えるのでは、と気づいてから余計にそう思うようになりました。
先行作が世に出てからかなり経ちます。でも、だれもひっくり返して考えてみなかった。そこを深水黎一郎はやってみせてくれた。コロンブスの卵? こういう発想、ぜひとも支持しておきたいです!
不満はあるけどね。






タグ:深水黎一郎
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トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ [日本の作家 深水黎一郎]


トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ (講談社文庫)

トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ (講談社文庫)

  • 作者: 深水 黎一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/11/15
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
歌劇『トスカ』公演の真っ最中。プリマドンナが相手役のバリトン歌手を突き刺したそのナイフは、なぜか本物だった。舞台という「開かれた密室」で起こった前代未聞の殺人事件。罠を仕掛けた犯人の真意は!? 芸術探偵・瞬一郎と伯父の海埜刑事が完全犯罪の真相を追う! 「読者に勧める黄金の本格ミステリー」選出。

「エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ」 (講談社文庫) (ブログへのリンクはこちら)に続くシリーズ第2弾。
今度の題材は、オペラ。またも馴染みのない題材でしたが、そんなの撥ねのけ、とても楽しく読み終わりました。
なにより、主要登場人物である演出家の郷田薫のオペラ論、とくに『トスカ』論が非常におもしろい。
オペラは門外漢なので、郷田の論の独自性とか新規性はわからないのですが、説得力ありましたよ。
この「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」 を読んで、オペラが観たくなりましたから。ただ、日本ではチケットがあまりに高いので観ることはちょっと...なんですが(笑)。
あとがきで作者自身が「この小説は、やはりプッチーニの『トスカ』を、CDか何かで流しながら読んでいただくのが、一番愉しめる読み方ではないかと思う。作者としても、可能ならばそれを強くお奨めしたい」と言っているのも、そうだよなー、と思えます。

オペラにまつわる部分だけではなく、ミステリ部分も楽しめますよ。
あらすじには「開かれた密室」というのに焦点を当てていますが、ちょっとポイントが外れています。
舞台上での殺人は「開かれた密室」ではあっても兇器となるナイフを小道具のナイフが本物のナイフにすり替えられているから、なので密室としてはさほどおもしろみがないなぁと思っていると、ナイフのすり替え自体が不可能だったことがわかるという仕掛け。こちらがポイントですよね。
それ以外にもミステリのさまざまな要素を惜しげもなくつぎこんで、複雑に組み合わせられています。
懐かしい子供時代の「悪の十字架」や「恐怖のみそ汁」とかが効果的に使われているのも楽しいですね。

シリーズ第3作の「花窗玻璃 シャガールの黙示」 (講談社ノベルス)より先に第4作「ジークフリートの剣」 (講談社文庫)が文庫化されているようです。このあたりの事情は不明ですが、とても楽しみなシリーズです。


<おまけ1>
100ページに「未必の故意のように、ひょっとしたら死ぬかも知れないが、死んでも構わないというような曖昧な意図の下に殺されたのでは、被害者は逆に死んでも死に切れないのではないかと思うわけです」「つまり被害者の無念さの度合は、もちろん状況にもよりますが、ある意味未必の故意による殺人の方が、明確な殺意による殺人よりも、むしろ大きいのではないかと思われるわけです」というせりふがあります。
なかなか含蓄深いですね。

<おまけ2>
知らなかったので、引用した裏表紙あらすじに書いてある「読者に勧める黄金の本格ミステリー」ってなんだろう、と思いました。
本格ミステリびぎなーず」という素敵なホームページから引用しますと、
「 2008年度から南雲堂から刊行されている、島田荘司監修によるムック「本格ミステリー・ワールド」上で発表される本格ミステリセレクション。
  その年度に刊行された本格ミステリーの中から、二階堂黎人・小森健太朗・つずみ綾の三氏による合議によって選び出される。順位はつけられていない」
ということです。

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エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ [日本の作家 深水黎一郎]


エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社文庫)

エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社文庫)

  • 作者: 深水 黎一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/05/13
  • メディア: 文庫


<裏表紙あらすじ>
エコール・ド・パリ――第二次大戦前のパリで、悲劇的な生涯を送った画家たち。彼らの絵に心を奪われ続けた有名画商が、密室で殺された。死の謎を解く鍵は、被害者の遺した美術書の中に潜んでいる!? 芸術とミステリを融合させ知的興奮を呼び起こす、メフィスト賞受賞作家の芸術ミステリシリーズ第一作。

「本格ミステリベスト10 2009」第9位。
「ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ !」 (講談社ノベルス)という結構強烈な作品(なんといっても、読者が犯人!)でメフィスト賞を受賞してデビューした深水黎一郎の第2作です。
第1作とはかなり肌触りが違う仕上がりですが、よくできたミステリを読んだなぁ、という満足感に浸れました。
作中作として被害者が書いたエコール・ド・パリの解説書「呪われた芸術家たち(レザルティスト・モウディ)」が節々に挿入されます。
芸術・美術は門外漢ですが、この解説書の部分、とても興味深く読みました。名前は知っていても、中身は知らなかったエコール・ド・パリ、なんだか楽しそうですね。エコール・ド・パリに属する芸術家が遺した作品を見るよりも、この解説書を読むほうが楽しめるのかも、なんて思うほどです。
単独でも楽しめるこの作中作が、全体の謎解きのヒントにもなっている、という素晴らしさ。
作中作が謎解きに絡むといえば、なんといっても泡坂妻夫の「11枚のとらんぷ」 (創元推理文庫)ですが、「11枚のとらんぷ」 ほどの派手さはないし、結びつきも穏やか(弱い?)だけれど、欠くことのできない構成要素としてぴたりと決まっています。
密室トリックも、前例のある、ある意味手垢のついたものなのですが、この作品の場合、これしかない、といいたくなるくらいの使い方がされていて、全体の仕掛けの中で非常にバランスがいい。
密室講義のような部分もあるし、読者への挑戦も挟まれるし、遊び心満載で、ミステリファンの心をくすぐる楽しい作品です。
探偵役で、海埜警部補の甥、神泉寺瞬一郎の設定も、芸術家の息子で、日本の大学へ行かず海外でふらふらして、日本にはろくに連絡もよこさなかったのに、ふらっと帰ってきた、というもので、いかにもなのがかえって好もしい。
芸術探偵シリーズとして、このあと
「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」 (講談社文庫)
「花窗玻璃 シャガールの黙示」 (講談社ノベルス)
「ジークフリートの剣」 (講談社)
と続いているようです。
とても楽しみにしながら、読んでいきたいです。

<おまけ1>
P123に「ハンガリアン・グァーシュ」という単語が出てきます。ハンガリー風ビーフシチューと説明してあります。それそのものは食べたこともあって何だかはわかるのですが、「グァーシュ」という表記が気になりました。グァムとかグァバとか書くことはあるものの、あんまり見ない書き方ですよね。

<おまけ2>
P245に、外国為替取引の話が出てきて、「平均移動線」という語がつかわれるのですが、これ、普通は移動平均線、だと思うのですが...



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五声のリチェルカーレ [日本の作家 深水黎一郎]

また更新が空いてしまいました...さておき、


五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)

  • 作者: 深水 黎一郎
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2010/01/30
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
昆虫好きの、おとなしい少年による殺人。その少年は、なぜか動機だけは黙して語らない。家裁調査官の森本が接見から得たのは「生きていたから殺した」という謎の言葉だった。無差別殺人の告白なのか、それとも――。少年の回想と森本の調査に秘められた<真相>は、最後まで誰にも見破れない。技巧を尽くした表題作に、短編「シンリガクの実験」を併録した、文庫オリジナル作品。


帯には
「計算し尽くされた<企み>を誰も最後まで見破れない。
 少年は何故、そして誰を殺したのか。」
と書かれています。
登場人物が限られているので、「誰を」を見抜くことはそれほどむずかしくはないかもしれません。
しかし、何故殺したのか、という動機の部分がとてもすばらしく、独創的だなと思いました。
生物(昆虫に限りません)の擬態についての蘊蓄が、動機ときれいに結びついていて、すーっと頭に入ってきます。
蘊蓄といえば、タイトルにもなっているリチェルカーレなど音楽の話題も盛り込まれています。こちらは<企み>の方に関連してきます。「フーガとリチェルカーレはほぼ同じもので、時代的な呼び方の違いでしかない」(P112)らしいです。知りませんでした。
どちらの薀蓄も、必然性があって展開されているうえ、まったく知らないこちらにもきちんと整理されて伝わるので、読んでいるのが楽しくなります。
<企み>のほうは、あらすじと帯を見れば、ああそのパターンか、と察しがついてしまうわけですが、この作品の場合ちょっと毛色が違うように思いました。
普通、仕掛けのある作品は、仕掛けが明かされる前にはどこかしら不自然というか、違和感というか、ひっかかりがあるものですが、この作品の場合きわめてナチュラルな手触りなのが特徴ではないでしょうか。個人的には、逆に仕掛けが明かされてからのほうに違和感を覚えたほどです。
大きな話題には思いのほかならなかったようですが、充実した良い作品だと思います。
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