月と蟹 [日本の作家 道尾秀介]
<カバー裏あらすじ>
海辺の町、小学生の慎一と春也はヤドカリを神様に見立てた願い事遊びを考え出す。無邪気な儀式ごっこはいつしか切実な祈りに変わり、母のない少女・鳴海を加えた三人の関係も揺らいでゆく。「大人になるのって、ほんと難しいよね」──誰もが通る “子供時代の終わり” が鮮やかに胸に蘇る長篇。直木賞受賞作。
2024年10月に読んだ9冊目の本です。
道尾秀介「月と蟹」 (文春文庫)。
第144回(2010年下半期) 直木賞受賞作。
道尾秀介の作品は、いままでヨタヨタとではありますが、刊行順に読んできています──といってもこの本が2010年の出版ですから、15年ほども遅れているのですが。
いつも道尾秀介の見事さに感心してきているものの、どうもしっくりこないというか、ちょっと遠く感じていました。ひょっとしたら文章のリズムが、こちらのリズムと合っていないのかも、という気がしています。読みにくくはなく、むしろ読みやすい文章だと思うのですが。
ところが、この「月と蟹」 (文春文庫)は違いました。文章そのものから受ける印象は変わっていないのですが、物語をとても近く感じることができました。
作中人物たちのような体験をしたわけではないのですが。
主要登場人物は小学五年生の利根慎一、冨永春也、葉山鳴海の三人。
三人三様の屈託が描かれます。
慎一の父は二年前に病で他界、春也は家庭で父親から暴力を振るわれているよう、鳴海の母は、慎一の祖父が操縦する船で命を落としている。
そして、慎一の母と鳴海の母が、どうやら関係を持っているようで。
不穏な空気をまとったまま進んでいく物語は、三人の屈託が牽引力となっています。
ずっと視点人物である慎一以外も
春也「わからへんねん」「じぶんでもわからへんねん。嘘やないで。ほんまにわからへんねん」(307ページ)
鳴海「大人になるのって、ほんと難しいよね」(345ページ)
と終盤で吐露することになります。
この作品、ミステリではないと思うのですが、それでも道尾秀介らしく、技巧を凝らした作品になっています。たとえば......
「春也が慎一の見ていないときに、上手く潮だまりに五百円玉を落としてくれたように」(141ページ)
いきなりでびっくりしてしまいました。
ヤドカリを神様に見立てて願い事としてお金が欲しいと唱えたら、五百円玉が見つかった、というエピソードを受けたものなのですが、春也が仕組んだものとはここまで書かれておらず、慎一が気づいていたような気配もなかったからです。
書かれていること以上のことを、慎一は知っていて、考えている、ということがここでわかって、ちょっと読者として緊張します。
この点(慎一が書かれている以上のことを知っている点)がもっとも顕著に、効果的に表れるのは終盤です。
「気づいたのは、いつからだったろう。」(304ページ)
とさらっと書かれて以降の展開は、とても怖くなりました。
その前に
「慎一は相手の心臓を鋸で挽こうとしているような、残酷な興奮を感じていた。」(304ページ)
なんて書かれているので、より一層。
怖いといえば、クライマックスシーンへ向けての息詰まるような展開も相当で、ページをめくるのが怖い、でも、先を知りたくてたまらない、という感覚を味わいました。
慎一の祖父が、あちらこちらでいい味を出しています。
「女は女の子んときから女だけどよ、お前はいましか男の子じゃねえ。いろいろやってみな」(146ページ)
なんて、なかなか含蓄深い、鋭いセリフ。
物語の中では神様扱いされるヤドカリ(ヤドカミ様とか呼んだりしています)が大きな役割を果たしますが、タイトルはヤドカリではなく、蟹。これも祖父のセリフからです。
「カニは食ってもガニ食うなってな、昔っから言うんだ」(7ページ)
これが本書の冒頭、祖父が食卓で言ったセリフです。
(ちなみに「ガニってのはな、この黒いとこだよ。このほれ、腹についてるバナナみてえな。毒があんだ」と説明されます)
いきなり蟹が出てきた!と思いましたが、この蟹はそれほど意味を持たされてはおらず、タイトルの月と蟹は、物語も最終盤に出てきます。
──月夜の蟹は、食うんじゃねえぞ。(337ページ)
──月の光がな、上から射して・・・・・海の底に・・・・・蟹の影が映ってな。
──その自分の影が、あんまり醜いもんだから・・・・・蟹は、おっかなくて身を縮こませちまう・・・・・だからな、月夜の蟹はな・・・・・(338ページ)
蟹が誰かはすぐにわかりますが、とすると、月は何だろう、ずっと考えています。
光媒の花 [日本の作家 道尾秀介]
<カバー裏あらすじ>
匹の白い蝶がそっと見守るのは、光と影に満ちた人間の世界──。認知症の母とひっそり暮らす男の、遠い夏の秘密。幼い兄妹が、小さな手で犯した闇夜の罪。心通わせた少女のため、少年が口にした淡い約束……。心の奥に押し込めた、冷たい哀しみの風景を、やがて暖かな光が包み込んでいく。すべてが繋がり合うような、儚くも美しい世界を描いた全6章の連作群像劇。第23回山本周五郎賞受賞作。
2022年12月に読んだ6冊目の本です。
山本周五郎賞受賞作とのことですが、山本周五郎賞って地味ですよね......あまり知られていない気がします。
目次を見ると、第一章、第二章とあるので、長編として捉えられることを企図していると思われますが、読んでみた印象は連作短編集です。
登場人物の一部が重なっていく形の連作ですが、ピュアなリレー形式というわけでもなく、また輪になって閉じるというかたちでもありません。ただ、最終章ではいままで出てきた人物たちが顔を出します。
ああ、そこを繋げるのか、あるいは、次はその人物の物語を紡ぐのか、とさすが道尾秀介と言いたくなるようなつながり方をしていく物語になってはいるのですが、非常に緩やかなつながりのため、少々不安定な作品世界のようにも思えました。
これは、この連作長編を貫くアイデアが、「光媒」とタイトルにもあるように、かそけきつながりであるから、だと思えます。なにしろ、虫媒や風媒よりも遥かにはかなそうな「光媒」ですから。
それであるがゆえに最終章の仕上がりは、解説で玄侑宗久が指摘しているように「強引な円環づくり」にも思われます。
「光ったり翳ったりしながら動いているこの世界を、わたしもあの蝶のように、高い場所から見てみたい気がした。すべてが流れ、つながり合い、いつも新しいこの世界を。どんな景色が見られるだろう。泣いている人、笑っている人、唇を嚙んでいる人、大きな声で叫んでいる人――誰かの手を強く握っていた李、何かを大切に抱えていたり、空を見上げていたり、地面を真っ直ぐに睨んでいたり。」(284ページ)
最終章におけるある登場人物の感想(感慨?)ですが、ここで、光媒ではなく蝶媒でよかったのでは?と思ってしまったりもしました。
玄侑宗久による見事な解説を読んだ今では、光媒である意味を理解したつもりではありますが。
ミステリ好きの立場からいうと、第一章からどんどん(わかりやすい)ミステリ味が薄くなっていくことが少々残念ではありますが、この点もテーマに寄り添った物語展開故なのだと思います。
球体の蛇 [日本の作家 道尾秀介]
<カバー裏あらすじ>
幼なじみ・サヨの死の秘密を抱えた17歳の私は、ある女性に夢中だった。白い服に身を包み自転車に乗った彼女は、どこかサヨに似ていた。想いを抑えきれなくなった私は、彼女が過ごす家の床下に夜な夜な潜り込むという悪癖を繰り返すようになったが、ある夜、運命を決定的に変える事件が起こってしまう――。幼い嘘と過ちの連鎖が、それぞれの人生を思いもよらない方向へ駆り立ててゆく。最後の一行が深い余韻を残す、傑作長編。
読み始めてすぐ思ったのが「暗い」ということ。
主人公私の一人称でつづられるのですが、暗いですね。
「何かをわざと忘れるほど難しいことはない。思い出したくないと、いくら願っても、記憶の回路はふとしたきっかけで接続され、青いダイオードのように頭の中を冷たく照らす。思い出の陰影が頭蓋骨の壁に浮き出して、私はその陰影を眼球の裏側で凝視する。
瞼を閉じても、目をそらすことなどできない。」(6ページ)
こう書かれていて、思い出したくない過去の物語であることが示されます。
しかも、この主人公がまた暗いのですよ......
あらすじにもありますが、思いを寄せる女性がいる家の床下に夜な夜な潜り込む、というのですから、常識的な単語で表現すると、変質者、ですね。(もともと、アルバイトでシロアリ・害虫対策の仕事をしているので、地下に潜る行為は慣れたもの、という設定ではあるのですが)
自分の父親から見放された少年が、隣の家族に拾われ、家族を手に入れたのに、自らの手で失っていく、という物語になっており、どうやっても明るくはならない物語なのかもしれませんが、主人公の性格がまた拍車をかけているようです。
印象に残っている部分ではあるのですが、
「同情が一種の快感なのは、責任が伴わないからだ。」(132ページ)
「無根拠といえばそれまでだが、信頼なんて、きっとすべて無根拠なのだ。それだからこそ、裏切られてしまったとき、相手への恨みと同じくらい、自分が厭になるのだろう。」(271ページ)
などという述懐もまた、暗い、ですよね。
タイトルの「球体の蛇」。
蛇は、巻頭の「星の王子さま」 (岩波文庫)の引用からです。
ゾウをこなしているウワバミ、ですね。
球体は、スノードーム。この物語にスノードームは何個も登場します。
スノードームの中の雪だるまを見て「ずっと、硝子の中にいなきゃいけないんだもんね。」と言ったサヨ(41ページ)。
スノードームの中に入れたら「いつも綺麗な景色だけを見ていられる」から幸せかも、と言った智子(151ページ)。
主人公を彩る女性・女の子とスノードームは密接に関連づけられています。
この、蛇とスノードームがラストで結びつき、同時にサヨと智子の観方の違いが昇華していくのは、さすが道尾秀介、見事だなぁと思いました。
でも、やっぱり、ナオが可哀想な気がしてなりません。
<蛇足>
おろし金と半ペタの大根を取り出して(23ページ)
半ペタ? わからず辞書で調べました。2分割した一つのことを指すのですね。
調べているときにわかったのですが、作者ご本人が Twitter でコメントされているのですね。
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カササギたちの四季 [日本の作家 道尾秀介]
<裏表紙あらすじ>
リサイクルショップ・カササギは今日も賑やかだ。理屈屋の店長・華沙々木(かささぎ)と、いつも売れない品物ばかり引き取ってくる日暮、店に入り浸る中学生の菜美。そんな三人の前で、四季を彩る4つの事件が起こる。「僕が事件を解決しよう」華沙々木が『マーフィーの法則』を片手に探偵役に乗り出すと、いつも話がこんがらがるのだ……。心がほっと温まる連作ミステリー。
「春 鵲(かささぎ)の橋」
「夏 蜩(ひぐらし)の川」
「秋 南の絆」
「冬 橘の寺」
の4編収録の連作短編集です。
最初の「春 鵲の橋」はあっさり読んでしまったのですが、「夏 蜩の川」を読んで、この連作、なんと面倒なことに挑んでいるのだろう、とびっくりしました。
おもしろおかしく書かれているので、ミステリ的な側面が強調されているわけではないのですが、名探偵役の華沙々木がでたらめな推理を繰り広げ、そのボロが出ないように日暮が先回りしていろいろと仕掛ける。先回りするためには、日暮はその段階で本当の真相を見抜いていなければならない。
こんな面倒な縛りがある連作、よく4作も続けましたね。
だって、日暮が推理するでたらめな華沙々木の推理で、他の登場人物を納得させなければならないのですよ(まあ、究極的には菜美だけを納得させればよいのですが)。
そして、この枠組み自体が、華沙々木、日暮、菜美の関係性を規定するものであることがすごいですね。
そしてそれが、最後の「冬 橘の寺」で、違う顔を見せる。
なんてステキな仕掛けなのでしょうか。
道尾秀介の技巧派ぶりが遺憾なく発揮されている良い作品だと思いました。
作者が繰り返し言う、「ミステリの手法は人間を描くための手段であって、目的ではない」という言葉が綺麗に反映された作品ですね。
道尾秀介の作品は積読率が高いのですが、もっと読むペースを速めてもいいな、と思わせてくれた作品でした。
<蛇足>
「手ずれのした表紙には金文字で “Murphy's Low” とある。」(10ページ)
とあって、あれれ? マーフィーの法則、なら Low ではなく Law ですから。
と思っていたら、「蜩の川」では
「読み込まれて手擦れのした表紙には “Murphy's Law” とある。」(73ページ)
とちゃんと Law になっています。単なる誤植だったのですね。
しかし、この Law だけではなく、手ずれ、手擦れと同じ語の表記が揺れているのも感心はしませんね。
光文社文庫、ちゃんと校正しているのでしょうか?
(為念、手元にあるのは、2014年2月20日 初版第1刷 です)
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鬼の跫音 [日本の作家 道尾秀介]
<裏表紙あらすじ>
刑務所で作られた椅子に奇妙な文章が彫られていた。家族を惨殺した猟奇殺人犯が残した不可解な単語は哀しい事件の真相を示しており……(「犭(ケモノ)」)。同級生のひどい攻撃に怯えて毎日を送る僕は、ある女の人と出会う。彼女が持つ、何でも中に入れられる不思議なキャンバス。僕はその中に恐怖心を取って欲しいと頼むが……(「悪意の顔」)。心の「鬼」に捕らわれた男女が迎える予想外の終局とは。驚愕必至の衝撃作!
「鈴虫」
「犭(ケモノ)」
「よいぎつね」
「箱詰めの文字」
「冬の鬼」
「悪意の顔」
の6編を収録した道尾秀介の第一短篇集です。
解説で京極夏彦が
「オカルト的なガジェットを捨て、ホラーの看板を下ろしても--道尾作品は怖い。
そして、たとえば推理小説としての体裁を放棄していてもなお--ミステリの醍醐味を備え持っている」
と述べているのが印象的でした。
というのも、この「鬼の跫音」 に収録されている作品は、ミステリとホラーのあわいをたゆたうような作品が多かったからです。
ミステリかホラーか、どっちだ。中途半端だ、と思う方もいらっしゃるかとは思いますが、この微妙な加減がポイントなのでしょう。
道尾秀介らしいミステリ的な仕掛けが、さまざまな作品でさまざまなかたちで弾けるのも見どころです。
それでいて、ミステリ的仕掛けがきわめて薄い「悪意の顔」がもっとも印象に残っているというのも、逆に個人的には興味深かったりします。
しかし、みごとに壊れてしまった人間がいっぱい出てきて、やはり怖いです。
<蛇足>
跫っていう字、これだけでも「あしおと」と読むんですね。
タグ:道尾秀介
龍神の雨 [日本の作家 道尾秀介]
<裏表紙あらすじ>
添木田蓮と楓は事故で母を失い、継父と三人で暮らしている。溝田辰也と圭介の兄弟は、母に続いて父を亡くし、継母とささやかな生活を送る。蓮は継父の殺害計画を立てた。あの男は、妹を酷い目に合わせたから。――そして、死は訪れた。降り続く雨が、四人の運命を浸してゆく。彼らのもとに暖かな光が射す日は到来するのか? あなたの胸に永劫に刻まれるミステリ。大藪春彦賞受賞作。
週刊文春ミステリーベスト10 第8位、「このミステリーがすごい! 2010年版」 第9位。
今回は、複雑な家庭環境の兄妹・兄弟が2組登場。
辰也と圭介の兄弟は父親の後妻里江と父親の死後住んでいる。辰也は里江が母親を殺したのだと思い、里江に嫌がらせをする。返事をしない。会話をしない。本やお菓子を万引きしては、それをわざと里江の目につく場所に置いておく。うーん。中学生は複雑なお年ごろだし、こういう家庭環境は想像も及ばないので、どうこういう資格はないと自分で思いますが、ちょっとやり過ぎではないでしょうか。特に弟の圭介がわりと普通なのでなのさら。「母親を殺したのだと思い」と書きましたが、そういう証拠があるわけでもなく、むしろ無理にそう思い込もうとしている節がある。血のつながらない辰也と圭介を引き取り、育ててくれる里江って、客観的にはとてもいい人なんですよね。これはやはり心無い仕打ちという感じではないでしょうか。
一方の蓮と楓は再婚4ヶ月で母が死に、継父睦夫と暮らしている。会社も辞め、酒も増え、中学3年の楓をどうやら女として見ているようだ...睦夫を殺そう、と蓮は決意している。不穏ですね。
で、辰也と圭介が、蓮の働くコンビニ(?) で万引きをしようとしたことから、この2組の運命が交差します。
タイトルにもありますが、非常に雨が印象的な作品です。なんだかずーっと降っている感じ。
道尾秀介の本なので、このままでは終わらないというか、見かけどおりではないことが最後に明かされるわけですが、細かな事実の積み重ねでミス・リードしていく手法は見事ですねぇ。
それにしても、冒頭に圭介と蓮が見た龍、そして後半辰也と蓮が見た龍はなんだったんでしょうね??
橋本満輝さんの解説もおもしろかったですね。龍は龍のままでいいのかもしれません。
カラスの親指 [日本の作家 道尾秀介]
カラスの親指 by rule of CROW’s thumb (講談社文庫)
- 作者: 道尾 秀介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/07/15
- メディア: 文庫
<裏表紙あらすじ>
人生に敗れ、詐欺を生業として生きる中年二人組。ある日、彼らの生活に一人の少女が舞い込む。やがて同居人は増え、5人と1匹に。「他人同士」の奇妙な生活が始まったが、残酷な過去は彼らを離さない。各々の人生を懸け、彼らが企てた大計画とは? 息もつかせぬ驚愕の逆転劇、そして感動の結末。道尾秀介の真骨頂がここに!
日本推理作家協会賞受賞作です。
「このミステリーがすごい! 2009年版」第6位、2008年週刊文春ミステリーベスト10 第10位。
冒頭、コナン・ドイルの「緋色の研究」からの引用が掲げられています。
曰く、
「表が出ればぼくの勝ち、裏が出れば君の負け。」
おお、そういう小説なんですね、と期待が膨らみます。いいじゃないですか、コン・ゲーム。
タイトルのうち、カラスは玄人のこと。カラスが黒いからそういう、と作中に出てきます。(151ページ) でも、スリのことなのかな? 詐欺師ではなく。
親指は、いろいろな意味が込められているようですが、お父さん指、ということでもあります。(241ページ)
英文タイトルとして(?)、“by rule of CROW’s thumb” とついていますが、by rule of thumbは、「理論やなんかじゃなくて、経験にもとづく方法って意味」(185ページ)だそうです。
騙す相手はヤミ金組織だから、命がけ。危ない目にも遭います。
道尾秀介の作品で、ここまでストーリーがぐんぐん展開するの、珍しくはないでしょうか? こういう勢いのある作品も上手なんですね。
さてさて首尾よくヤミ金を騙せますかどうか。ハラハラします。
そして最後の回想シーン。
うーん、いいですねぇ、これ。
こういう方向に話が展開していくとは、あまり予想していないでしょう。
やや駆け足で詰め込み過ぎ感はあるものの、途中、あれれ、とひっかかりを覚えていたところが回収されていい感じでした。
ただ、ここにあるのは結果として「コン・ゲーム」とは違う手触りの作品ですので、コン・ゲームは期待しないほうがよいかもしれません。
騙しに並々ならぬ手腕を発揮してきた道尾秀介のことだから、ひょっとしたら、冒頭にコナン・ドイルを引用して「コン・ゲーム」っぽくしたこと自体が、作者の仕掛けなのかもしれませんね。
ラットマン [日本の作家 道尾秀介]
<裏表紙あらすじ>
結成14年のアマチュアロックバンドのギタリスト・姫川亮は、ある日、練習中のスタジオで不可解な事件に遭遇する。次々に浮かび上がるバンドメンバーの隠された素顔。事件の真相が判明したとき、亮が秘めてきた過去の衝撃的記憶が呼び覚まされる。本当の仲間とは、家族とは、愛とは――。いまもっとも旬な作家・道尾秀介が思いを込めた「傑作」、ついに文庫化。
「シャドウ」 (創元推理文庫)、「ソロモンの犬」 (文春文庫) に続く、初期の青春三部作のラストを飾る作品です。
「2009 本格ミステリベスト10」 第2位、2008年週刊文春ミステリーベスト10 第4位、「このミステリーがすごい! 2009年版」第10位。
タイトルは、P72に掲載されている錯視(騙し絵?)から来ています。
ネットだと、こちらが楽しいと思います。(勝手にリンクを張っています)
叙述トリックをよく使う道尾秀介が、タイトルに騙し絵を使う。こりゃ、なにかあるな、と身構えてしまうわけですが、この作品の構成はなかなかいいなぁ、と思いました。
作者が繰り返し言う、「ミステリの手法は人間を描くための手段であって、目的ではない」という言葉に照らしてみると、手段である手法が、きっちりミステリとしてのおもしろさにつながっている作品だと感じます。
手法としては「信頼ならない語り手」のバリエーションなのですが、現在と過去、双方について読者に対してすべてをあからさまにはしない語り手・姫川亮が、ミステリとして非常に大きなポイントとなっています。
通常の叙述トリックとは違う意味で、立派に叙述がトリックになっている、というか、読者に対する有効な仕掛けとなっていました。
後半にたたみかけるどんでん返しの内容そのもの(真相)は、見当がついてしまう読者が多いと思われますが、それは、「信頼できない語り手」が「信頼できる語り手」となる瞬間と重なるものであるため、不満を感じないのではないかと思います。手段と目的が、着地で一致した作品ではないでしょうか。
道尾作品の中でも上位に置いておきたい作品です。
ソロモンの犬 [日本の作家 道尾秀介]
<裏表紙あらすじ>
秋内、京也、ひろ子、智佳たち大学生4人の平凡な夏は、まだ幼い友・陽介の死で破られた。飼い犬に引きずられての事故。だが、現場での友人の不可解な言動に疑問を感じた秋内は動物生態学に詳しい間宮助教授に相談に行く。そして予想不可能の結末が……。青春の滑稽さ、悲しみを鮮やかに切り取った、俊英の傑作ミステリー。
解説によると、この「ソロモンの犬」は、初期の青春三部作の一冊らしいです。
「シャドウ」 (創元推理文庫)が第1作で、「ソロモンの犬」は2作目、最後が「ラットマン」 (光文社文庫)のようです。
タイトルは、「ソロモン王は魔法の指輪を嵌めて、獣や鳥や魚と語った」と作中で触れられている旧約聖書のエピソードを念頭においたものです。このエピソードを主人公にもたらす間宮助教授がとってもよい味を出していて、作品への強いアクセントとなっています。
ミステリとしてみると...「ミステリの手法は人間を描くための手段であって、目的ではない」とよく言われる作者だけあって、効果的に使われていますが、ミステリとしての感興を呼び起こすようなものではないと思いました。ミステリファンとしてはちょっと残念ではありますが、一方で、人間のつなげ方、つながり方は、さすがという感じがしました。誤解のないように付け加えておくと、ミステリの手法の使い方、組み合わせ方には、ミステリファンも満足できると思います。ただ、ベクトルが残念だ、ということです。
内容として、描かれている事件が十歳の少年の死、というのが、個人的にはどうしても気になって仕方がないのですが、それに加えて、後半の怒涛の展開(?)も賛否両論ではなかろうかと思います。作者の描こうとしていた人間像と、そのための手段であるミステリの手法や仕掛けがちょっと遊離してしまっていたかなぁ、と。この作品のモチーフには、もっとすっきりした構図が似合うのではないでしょうか。その分、盛り沢山な趣向をたっぷり楽しめるのですが。
いずれにせよ、十分期待できる作家なので、次々と読んでいきたいです。
骸の爪 [日本の作家 道尾秀介]
<裏表紙あらすじ>
ホラー作家の道尾は、取材のために滋賀県山中にある仏像の工房・瑞祥房を訪ねる。彼がその夜見たものは、口を開けて笑う千手観音と、闇の中で血を流す仏像。しかも翌日には仏師が一人消えていた。道尾は、霊現象探求家の真備、真備の助手・凛の三人で、瑞祥房を再訪し、その謎を探る。工房の誰もが口を閉ざす、二十年前の事件とはいったい?
道尾秀介の長編第3作です。
デビュー作で第5回ホラーサスペンス大賞受賞作の「背の眼」〈上〉〈下〉 (幻冬舎文庫) に続いて、真備庄介が探偵役で、ワトソン役が作者と同名の道尾秀介です。
工房という閉鎖された世界を舞台に、二十年前の事件が今に影響を与えて新たな事件を引き起こす、という典型的な本格ミステリの構図に挑んでいます。
道尾秀介というと、やはり「向日葵の咲かない夏」 (新潮文庫)の印象が強く、普通のミステリを逸脱したところがどこかしらあるような警戒感を抱かせるのですが、この作品はストレートなミステリとなっています。
仏像の顔が変わる、とか、仏像が血を流す、とかいかにもホラーチックな事象が出てきますが、合理的に解決されます。
第七章と最終章と2つも章を使ってたっぷり謎解きが繰り広げられるのにぐっときます。そしてこの作品で作者は、横溝正史の某作品で有名なアレをやってくれています。作品の根幹というわけではなく、1冊のなかで比重は小さいものだとは思いますが、360ページで明かされたときにうれしくなってしまいました。いやあ、楽しい。さらに、374ページ、380ページと波状攻撃を仕掛けてくれます。それぞれ、少しずつ趣向が違って、なんて贅沢なんだろう、と。ミステリをあまり好きではない人は、こんなことで? と思われるかもしれませんが、こういうの大好きです。
それ以外の部分も、小道具・大道具から死体まで、すっきりと出し入れがなされて、充実したミステリになっていると思います。
真備庄介シリーズ(?)の第3作を期待します! 道尾さんにはぜひ書いていただきたいです。