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幼き子らよ、我がもとへ [海外の作家 た行]



<カバー裏紹介文>
疫病が国土に蔓延するなか、王の後継者である兄に呼ばれ故郷に戻ったフィデルマは、驚くべき事件を耳にする。モアン王国内の修道院で、隣国の尊者(ヴェネダブル)ダカーンが殺されたというのだ。このままでは二国間の戦争に発展しかねない。殺人現場の修道院に調査に向かったフィデルマは途中、村が襲撃される現場に行きあうが・・・・・。美貌の修道女フィデルマが、もつれた事件の謎を解き明かす!<上巻>
殺人現場の修道院で、調査を始めるフィデルマ。尊者(ヴェネダブル)ダカーンは、そこで何を調べていたのか?人々の証言から次第に浮かびあがるダカーンの真の姿。調べ進むうちに、なぜか絡まり合った幾本もの糸が、モアンと隣国の間にある小王国につながっていく。裁判の日が迫るなか、フィデルマは、祖国の危機を救うことができるのか。七世紀のアイルランドを舞台にした好評シリーズ第二弾。<下巻>



11月に読んだ5、6冊目の本です。
ピーター・トレメイン「幼き子らよ、我がもとへ」〈上〉 〈下〉 (創元推理文庫)
王女にして修道女で、かつ(今でいう)弁護士であるフィデルマシリーズの第3作。
今回は、いよいよ(?) フィデルマの故郷が舞台です。

このシリーズ、こんなに読みやすかったっけ? というのが第一印象。
前2作、「死をもちて赦されん」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)も、「サクソンの司教冠」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)も、もっと読み進みにくかったように思ったからです。
作品世界にこちらが馴れてきたからかもしれませんが......

それにしても主人公であるフィデルマの嫌な奴っぷりに拍車がかかっているように感じました。
王女で血筋よく、弁護士で頭もよく、かつ美人という設定のフィデルマ。そりゃあ、プライドも高くなりますよね、というところながら、それに加えて攻撃的ときたら、もう、嫌な奴確定。

特に今回は、フィデルマの判断ミスから人を死なせてしまうので、余計そう感じましたね。
「自分が頑なに我意を押し通そうとしたことが、彼を死へ追いやってしまった。そのことに、フィデルマは鋭い罪の意識を感じていた。」(下巻212ページ)
なんて反省を一応していますが(該当箇所を読まれれば、一応と書きたくなる気持ちをお分かりいただけるものと)、反省が足りないですね。
きっと彼女はこの後も同じようなことを繰り返していくことでしょう。

彼女について興味深いなと思ったのは、
「つい、ウィトビアやローマで行を共にしていた友、”サックスムンド・ハムのエイダルフ”修道士を思い出してしまう。」(上巻61ページ)
と割と早い段階で言っているように、折々にエイダルフのことを思い出すこと。
この作品 には出てきませんが、シリーズの今後また登場してくることがあるのでしょうね、きっと。

さて、そんな嫌な奴であるフィデルマが今回取り組むのは、尊者の死。
それに小国の帰属争い、黄色疫病(イエロー・プレイグ)の蔓延、小村レイ・ナ・シュクリーニの襲撃、村から助け出した修道女の死、少年二人の行方不明などなど、さまざまな出来事が絡んできます。

盛りだくさんであること、事件を結び付けるプロットがよくできていることから、楽しく読めました。
ただ、ミステリの観点からいうと、あからさまに怪しい箇所を終盤になって出しておきながら、出すだけ出してほったらかしにしておいて、最後の最後で急に取り出して重要な意味があったのだ、というのはちょっと建付けがわるいすぎるな、という印象をぬぐえません。
それでも、肩の荷が重いと言える複雑な要素が絡み合った難事件を、解きほぐしていく楽しさにあふれていましたし、法廷シーンを借りた名探偵フィデルマの謎解きにはワクワクできました。
これでフィデルマの性格がもうちょっと好ましいものになればなぁ......無理でしょうけれど(笑)

<蛇足1>
「フィデルマ、まったくお前には、自惚れというものがないのだな」
「自惚れ屋さんを、私の前にお連れくださいな。すぐさま、その人物が凡庸な才能しか持ちあわせていないことを、証明してご覧に入れますよ。」(上巻41ページ)
いま、自惚れましたよね、フィデルマ(笑)。

<蛇足2>
「お二人とも、インタットと一緒ではないのですね? あの一味ではないのですね?」そう問いかける声には、まだ恐怖が残っていた。
「インタットが何者であれ、私どもはあの連中の仲間ではありませんよ」(上巻72ページ)
好みの問題かもというところながら、ここは ”あの” 連中ではなく ”その” 連中というのがふさわしいように思います。

<蛇足3>
「フィデルマもカースも、大蒜(ガーリック)で風味をつけ、磯辺で採れるドゥーラスクという改装を添えた魚料理を大いに楽しんだ。」(上巻129ページ)
大蒜にわざわざガーリックとルビがふってあるのが不思議でした。
特に英語を付しておくのが必要な語とは思えません。

<蛇足4>
「私はルーマン修道士に、ダカーンの滞在中は、私を来客棟の任務からはずして、ほかの部所に移していただきたいと願い出ることさえ、しました」(上巻201ページ)
”部所” とは見慣れない語で、”部署”とすべきと思いましたが、管轄という意味よりも場所を強調する観点で、”部所” というのもいいかも。

<蛇足5>
「すぐに振鈴(ハンド・ベル)の音に応えて、若い修道女が現れた。来客棟の床磨きをしていたようで、それが中断されたことを、喜んでいるようだ。」(上巻201ページ)
「中断された」のところが収まり悪く感じるものの、自分でもはっきりとした理由がわかりません。
なぜでしょう?

<蛇足6>
一方では恩師”タラのモラン”の教えを忘れてはいなかった。モランは言っておられたではないか。「恐れでもってかち得た尊敬は、真(まこと)の尊敬ではない。狼は尊敬されても、決して好かれはしないぞ」(上巻219ページ)
確かに忘れてはいないかもしれませんが、身にはついていないようです。

<蛇足7>
一方では恩師”タラのモラン”の教えを忘れてはいなかった。モランは言っておられたではないか。「恐れでもってかち得た尊敬は、真(まこと)の尊敬ではない。狼は尊敬されても、決して好かれはしないぞ」(上巻219ページ)
なかなかに含蓄深い言葉ですね。
ただ、尊敬、真の尊敬、尊敬されても好かれはしない、というあたりの原語を確かめてみたいなと思いました。

<蛇足8>
「『昨夜、私はグレラの部屋を探してみました。私には、その権威がありますのでね』フィデルマはブロックの面に懸念の色が浮かぶのを見て、急いでそう付け加えた。」(下巻75ページ)
ここは権威ではなく、権限が適切なように思います。実際、権限という語を使っている箇所がすぐ後にあります。
「彼らが出向する前に、船に乗りこんで船内を調べる権限を、カースにお与えください」(下巻78ページ)



原題:Suffer Little Children
作者:Peter Tremayne
刊行:1995年
翻訳:甲斐萬里江


ここにこれまで邦訳されている長編の書影を、ぼく自身の備忘のためにふたたび順に掲げておきます。
よたよたと読んでいるうちに、邦訳が溜まっていていますね。
死をもちて赦されん (創元推理文庫)

死をもちて赦されん (創元推理文庫)

  • 作者: ピーター・トレメイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2011/01/26
  • メディア: 文庫

サクソンの司教冠 (創元推理文庫)

サクソンの司教冠 (創元推理文庫)

  • 作者: ピーター・トレメイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2012/03/10
  • メディア: 文庫

幼き子らよ、我がもとへ〈上〉 (創元推理文庫)幼き子らよ、我がもとへ〈下〉 (創元推理文庫)幼き子らよ、我がもとへ〈下〉 (創元推理文庫)
  • 作者: ピーター トレメイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2007/09/28
  • メディア: 文庫

蛇、もっとも禍し上 (創元推理文庫)蛇、もっとも禍し下 (創元推理文庫)蛇、もっとも禍し下 (創元推理文庫)
  • 作者: ピーター・トレメイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2009/11/10
  • メディア: 文庫

蜘蛛の巣 上 (創元推理文庫)蜘蛛の巣 下 (創元推理文庫)蜘蛛の巣 下 (創元推理文庫)
  • 作者: ピーター・トレメイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2006/10/24
  • メディア: 文庫

翳深き谷 上 (創元推理文庫)翳深き谷 下 (創元推理文庫)翳深き谷 下 (創元推理文庫)
  • 作者: ピーター・トレメイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2013/12/21
  • メディア: 文庫

消えた修道士〈上〉 (創元推理文庫)消えた修道士〈下〉 (創元推理文庫)消えた修道士〈下〉 (創元推理文庫)
  • 作者: ピーター・トレメイン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2015/11/21
  • メディア: 文庫

憐れみをなす者 上 (創元推理文庫)憐れみをなす者 下 (創元推理文庫)

憐れみをなす者 上 (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2021/02/22
  • メディア: 文庫

昏き聖母 上 (創元推理文庫)昏き聖母 下 (創元推理文庫)

昏き聖母 上 (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2023/03/13
  • メディア: 文庫

風に散る煙 上 (創元推理文庫)風に散る煙 下 (創元推理文庫)

風に散る煙 上 (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2024/07/19
  • メディア: 文庫

前作「サクソンの司教冠」の感想を書いてから3作訳出されたようです。読むペースを上げなければ......

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グリーン家殺人事件 [海外の作家 た行]

グリーン家殺人事件【新訳版】 (創元推理文庫)

グリーン家殺人事件【新訳版】 (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2024/01/11
  • メディア: 文庫

<カバー裏紹介文>
発展を続けるニューヨークに孤絶して建つ、古色蒼然たるグリーン屋敷(マンション)。そこに暮らす名門グリーン一族を惨劇が襲った。ある雪の夜、一族の長女が射殺され、三女が銃創を負った状態で発見されたのだ。物取りの犯行とも思われたが、さらに事件が発生し・・・・・。不可解な謎が横溢する難事件に挑む探偵ファイロ・ヴァンス。鬼気迫るストーリーと恐るべき真相で『僧正殺人事件』と並び称される不朽の名作が、新訳で登場!


2024年10月に読んだ10冊目の本。
ヴァン・ダインの新訳「グリーン家殺人事件」 (創元推理文庫)
「カナリア殺人事件」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)からずいぶん経ちましたが、ようやくでました、グリーン家──6年ぶり! といいつつ、2024年1月から10ヶ月ほど積読にしてしまいましたが。

同じヴァン・ダインの「僧正殺人事件」 (創元推理文庫) (感想ページはこちら)と並び評される名作中の名作。
お屋敷もの、館ものの様式を生み出し、完成させた里標的、歴史的名作。
個人的には、「僧正」 の方が好みでしたが、この「グリーン家」の方が世評が高かったので(最近はそうでもないようですが)、読み返してみなければとずっと思っていたので、待望の新訳。

犯人像がかなり強烈なものになっていて、ここは覚えていました。
が、逆に、この点以外はまったくといっていいほど覚えていなかったので、いろいろと新たな発見が。再読はするべきですね、やはり。

読み終わって、個人的な好みの順は変わりありませんでしたが、「グリーン家」が傑作であることを再認識できました。

ただ、やっぱり古めかしいですね。
巽昌章の優れた解説がついていて、「ああ、これは奇怪な館の連続殺人なのか、そんなことがこの世にあるのだな、と思わせてゆく過程こそが大きな読みどころになるわけです。」と書かれているのには、なるほどなぁ、と深く感嘆するのですが、それでも、退屈なんですよね、序盤は。
殺人──尋問──殺人──尋問、この繰り返し。
物語が加速する中盤までは、リズムを飲み込む必要がありますね。
「緩やかだが克明な作品の歩みに呼吸をあわせる必要があるでしょう」と巽昌章が書いている通りです。
その分、後半の畳みかけるような展開を意外に思いました。こんな展開だったのですね。
中盤からは、退屈という言葉とは無縁になります。

ちょっと気になったのは、これまた時代のせいかもしれませんが、難事件ぶりを煽ること、煽ること。
この点も、今から見ると古びてみえる一因かと思います。
冒頭のヴァン・ダインによる導入でまず
「この恐るべき犯罪の背後にあった残酷きわまりない巧妙さも、犯罪に至るゆがんだ心理学的動機も、隠されていた驚くべき犯罪手段の源も、世間はまるっきり知らずにいる。」(16ページ)
と来た後、ファイロ・ヴァンスによる煽りがしつこい(笑)。
最初単純な強盗事件として第一の事件を捜査していた警察・検察に対し、117ページからほぼ4ページにわたって延々と疑問点を列挙してそんな単純な事件ではない、と力説するのは圧巻です。
さらに、さらに、
「未だ終わりではない。」ヴァンスは珍しく沈痛だった。「この絵は未完成なんですよ。この極悪非道な画布はさらなる惨劇をもって仕上げを迎える。恐ろしいのは、それを止めるすべがないことだ。」(204ページ)
「この事件に ”たまたま” はないね。何もかも恐ろしく論理的に組み立てられている──細かいことのひとつひとつにもじっくり練り上げられて計画的な理由が隠されているんだ。」(258ページ)
「一連の殺人事件を支えているのは不退転の決意──そして徹頭徹尾、慎重な計画なんです。──略──事件全体にわたって、おそらく何年もかけて準備した、慎重に考え抜かれたプロットがあるんですよ。ぼくらが相手にしているのはしつこい固定観念(イデー・フィクス)であり、悪魔に取り憑かれたような論理的狂気なんだ。」(267ページ)
「だけど、待つしかなさそうだ。もしグリーン家の巨万の富が事件の原動力になっているんだとすると、少なくとももう一度起こる惨劇はどうしたって避けられない」(273ページ)
「相手は並はずれて巧妙な陰謀でもある──このうえなく細かい…まで考え抜いて計画を練り上げ、随所で念入りな隠蔽工作を施した犯罪です。その結果にすべてを賭けている──まさに命懸けです。こんな犯罪を引き起こすもととなるものは、底なしの憎悪と膨れあがった希望くらいしかないでしょう。そういう属性のものに対しては、ええ、並みの妨害手段なんかとても通用しませんよ」(335ページ)
繰り返し、繰り返し、犯人を称揚しています。
ヴァンスが、連続する犯行を止める気がないのも気になりますね。
これだけヴァンスに褒めちぎられている犯人、実際には行き当たりばったりなところがあり(←失礼な、臨機応変と言いなさい)、必ずしも緻密な設計図通りの犯行とは言えませんが、堅牢なプロットがすごいです。

あちらにもこちらにも、これこそお屋敷ものだよね、館ものってこうだよね、と言える要素がしっかりと組み込まれていて、まさにクラシック。
豊饒なミステリ世界に浸りましょう。

それにしても、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)を丁度先日新訳で読み返したところだったのですが、「Yの悲劇」って、本当に、この「グリーン家」を強烈に意識した作品だったのですね。
いろんな箇所で、そのことを感じました。
「Yの悲劇」を読んだ方は、ぜひこの「グリーン家」も手に取ってもらいたいです。


ここまで4作進んできた新訳、ヴァン・ダインのミステリ12作、時間がかかってもいいので、残りの新訳をぜひぜひお願いします!
せめて、第6作までは......


<蛇足1>
「ヴァンスは内省的に見えたが、相手の姿を細かいところまでもれなく吸収しているのがわかった。」(70ページ)
内省的?

<蛇足2>
「通話に割り込んで聞くことなんざ、とんど誰にだってできたんじゃないか」(228ページ)
親子電話についての会話からです。
使われている ”とんど” という語、ここでの意味は想像で理解できるのですが、知らない単語です。
ついでに、親子電話で盗み聞きする様子は「割り込み」ではないような気がしますね。

<蛇足3>
前作「カナリア殺人事件」 (創元推理文庫)で、事件捜査の最中にオペラを観に行ってしまっちゃったファイロ・ヴァンス、この作品では、イオリアン・ホールで開催された室内楽演奏会へ行って、モーツァルトのハ長調を聴いています(笑)。

<蛇足4>
「さて、どうしたものか? それが今夜の密議(コンクラーヴェ)の議題だったはずだ」(268ページ)
密議のところがコンクラーヴェとなっています。コンクラーヴェって、ローマ法王を選ぶ会議のことでしたよね?
このセリフ、モラン警視(肩書は刑事課課長)のものなのですが、インテリ?

<蛇足5>
「マーカムもヒースも、事件を解決しようとする不毛な努力をすることに疲れはじめていた。」(334ページ)
難事件ではあるのでしょうけれど、さすがに警察や検察の捜査を、不毛な努力とは......ひどい(笑)



原題:The Greene Murder Case
著者:S. S. Van Dine
刊行:1928年
訳者:日暮雅通


<蛇足中の蛇足>
いままで、書影の下に<カバー裏あらすじ>などとして引用してきたのですが、この記事から<カバー裏紹介文>とすることにしました。
いままで何気なくあらすじとしていたものの、あらすじではないものが多いな、と思うようになりましたので。




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歌う砂 グラント警部最後の事件 [海外の作家 た行]

歌う砂: グラント警部最後の事件 (論創海外ミステリ 19)

歌う砂: グラント警部最後の事件 (論創海外ミステリ 19)

  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2005/06/01
  • メディア: 単行本

<表紙そでのあらすじ>
「しゃべる獣たち/立ち止まる水の流れ/歩く石ころども/歌う砂/…………/そいつらが立ちふさがる/パラダイスへの道に」
──事故死と断定された青年の書き残した詩。
偶然それを目にしたグラント警部は、静養中にもかかわらず、ひとり捜査を始める。次第に浮かび上がってくる大いなる陰謀。最後に取ったグラント警部の選択とは……。
英国ミステリ界の至宝、ジョセフィン・テイの遺作、遂に登場。


単行本です。
ジョセフィン・テイの「歌う砂: グラント警部最後の事件」 (論創海外ミステリ)
論創海外ミステリ19。
同じ論創海外ミステリで「列のなかの男: グラント警部最初の事件」 (論創海外ミステリ 43)というのが訳されているのですが、こちらを先に買ってしまいました。

著者晩年の作だからでしょうか、ベテラン作家の余裕が強く感じられます。

療養のためスコットランドへ向かったグラント警部。
列車を降りる時に遭遇した若者の死と、彼が新聞の余白に殴り書きしたとおぼしき謎の詩。
彼がスコットランドに行こうとしていたのはなにか理由があるはずだ、と療養中にもかかわらず調べ出す。
という話でして、ハイランド地方でのグランド警部の日常と捜査活動がメインとなります。

なかなか進まない捜査は終盤で急展開するのですが、いやあ、作者に体よく(作者名にちょっとひっかけています笑)引きずり回されてしまいました。
これ、若い頃だったら腹を立てていたかも、と思えるのですが、今となっては、こういう筋立ても楽しんでしまいました。

最後に読者が連れていかれる地点はかなり印象的なもので、訳者あとがき(ネタばらしになっているので、読了後に読まれることをおすすめします)によると、「歌う砂: グラント警部最後の事件」が発表されてから40年後に実際に周知となったようです。
なんて雄大な。



<蛇足1>
「ここは無法を望む土地柄ではないから、アイルランドでやるほど簡単じゃないだろうが。」(27ページ)
こう書いてあるということは、アイルランドは無法を望む土地柄だという理解でよいのでしょうか?

<蛇足2>
「ローラのそういうところが好きだとグラントは思う。親バカとは言えない冷めた目を持っているところが。」(35ページ)
きちんと説明できないのですが、「親バカとは言えない冷めた目」というのは変な表現だと思います。
まるで、親バカと言える冷めた目があるみたいだからでしょうか。

<蛇足3>
「ウイー・アーチ―は羊飼いの杖を持っていた。あとでトミーが言っていたが、あんな杖とともに死体で発見される羊飼いは他にいない。」(41ページ)
この文章の意味がわかりませんでした(ウイー・アーチ―というのは死体で発見されたわけではありません)。

<蛇足4>
「君は虚栄心という言葉を聞いて、鏡に映った自分にうっとりして、おしゃれな服を買い込むような人間だけを想像しているのかもしれないが、そういうのはただの人格的な自惚れにすぎない。本物の虚栄心はまったく違うものだ。人格ではなくて、性質に関わってくるんだよ。虚栄心の強い者は、『私はこれを得なくてはならない。なぜなら私は私だからだ』と考えるんだ。虚栄心の塊に、他人も同様に大切な存在であると説得しようとしても無理だ。何の話をしているのか、さっぱり理解できない。半年でも不自由させられるくらいなら、人を殺した方がましだと考えたりする」(259ページ)
「人格ではなくて、性質に関わってくる」の理解がまったくできませんでした。

<蛇足5>
終盤グラント警部がロンドン行きの飛行機に乗り、もやのせいでイギリスが見えなくて、
「あの独特でおなじみの形の島がない地図は、どんなに奇妙で物足りないだろう? もし、あの島が存在しなかったら、どうなっているだろう? 世界の歴史はずいぶん変わっていたのではないか? 想像してみると面白い。」(285ページ)
と考えるシーンがあります。
「アメリカ大陸はぜんぶスペイン系だっただろうか? インドはフランス系か? 肌の色による差別が無いので民族間を越えて結婚が進み、人種によるアイデンティティーは消えていただろう。」(285ページ)
と続くのですが、スペインやフランスで人種差別がないなどということはないので、不思議に思いました。
イギリス人であるジョセフィン・テイから見ると、イギリスこそが人種差別の根源ということだったのでしょうか? 興味深いです。


原題:The Singing Sands
著者:Josephine Tey
刊行:1953年
訳者:鹽野佐和子



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被告人、ウィザーズ&マローン [海外の作家 た行]


被告人、ウィザ-ズ&マロ-ン (論創海外ミステリ 124)

被告人、ウィザ-ズ&マロ-ン (論創海外ミステリ 124)

  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2014/06/01
  • メディア: 単行本



2024年6月に読んだ6作目(7冊目)の本です。
単行本です。
スチュアート・パーマー&クレイグ・ライスの「被告人、ウィザーズ&マローン」 (論創海外ミステリ)
論創海外ミステリ124。

帯には、
「ジョン・J・マローン弁護士とヒルデガード・ウィザーズ教師夢の共演が遂に実現!
二代作家によるコラボレーション短編集。
『クイーンの定員』に採られた異色の一冊。」
と書かれています。

収録されているのは、以下の6作品。
今宵、夢の特急で
罠を探せ
エヴァと三人のならず者
薔薇の下に眠る
被告人、ウィザーズとマローン
ウィザーズとマローン、知恵を絞る(ブレインストーム)

スチュアート・パーマーは、「五枚目のエース」 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)(感想ページはこちら)を昨年読んでいますが、それほど興味はありません(失礼)。
というのも、ウィザーズのキャラクターがあまり好みに合わなかったんですよね。
一方で、クレイグ・ライスは違います。クレイグ・ライスの作品が読めるのは本当に喜びです。

マローンとウィザーズの共演というのが売りですね。
名探偵の共演というと、だいたいうまくいかないものだと思われるのですが、この二人の場合はいいコンビと言えそうです。
だいたいマローンが窮地に陥って、ウィザーズが関与して、二人でなんとか真相をつきとめる、というパターンになっているのがポイントですね。
またマローンと組み合わせたおかげなのか、ウィザーズについても嫌な部分が薄れています。ありがたい。

「警部、私がこの事件に関わっているのは、間違ったことが大嫌いだからなの。殺人犯が私たちを嘲笑いながら大手を振って歩いているなんて思いたくないのよ!」(267ページ)
一見聞こえがいいようなことを言っているようですが、ウィザーズが事件に乗り出す理由は薄弱極まりなく、単なる出しゃばり、おせっかい、にすぎません。
もっとも、元教師などと言う素人探偵は、こうでもしないと事件に関与できないでしょうから、やむを得ない設定とはいえるのでしょうけれど、どうもね。
その点で、マローンと組み合わせたこの作品のような場合は、なんだかんだいって「窮地に陥ったマローンを救うため」という読者にとってもわかりやすい大義が立っているので安心です。

「今宵、夢の特急で」は、無罪を勝ち取った依頼人ラーセンを追いかけてニューヨーク行きの列車に乗ったマローンが美女に目移りしているうちに、ラーセンが車中で殺された、という事件。ラーセンの死体があったのが、なんとウィザーズの車室という経緯。
疑われて、マローンとウィザーズが手錠で繋がれる、というなかなかないシーンも見られます。
犯人のヒントとなるものはちょっと日本人にはわかりにくいものであるのが残念ですが、軽妙に仕上がって楽しい。

「罠を探せ」では、シカゴの大物ヴァストレリから、二十年前に消えた妻ニーナがヴィヴァリー・ヒルズにいるようなので居所を突き止めてほしいという依頼を受ける。ところが、マローンが滞在するホテルの部屋にニーナの死体が......
現代では成立しない状況とトリックですが、ドタバタしているうちに鋭く犯人にたどり着くところがいい。

「エヴァと三人のならず者」は、ウィザーズの本領発揮。
何の関係もない事件に首を突っ込もうと、マローンを巻き込むという構図。
朝鮮戦争から帰還した英雄が殺される事件。
いかにもありそうな感じはするものの、この事件のようなことは実際にもあったのでしょうか?

「薔薇の下に眠る」は、脱獄囚に脅されて恋人の家の庭に隠した大金を掘り出してこいと言われたマローンがシカゴに来ていたウィザーズを巻き込むという話。
デパート相手の詐欺犯ということにされてしまうウィザーズは笑えました(でも、無理でしょ すぐばれそう)。
見つけたお金をウィザーズが隠した場所は、ウィザーズは「盗まれた手紙」を引き合いに出すものの、全然違うパターンの隠し方で笑えました。

以降の2作は、ライスが亡くなった後、手紙などからパーマーが単独で書いたものらしいです。
この2作の方が出来がいいような気がします......
もっとも巻頭にある「EQ(エラリー・クイーン)の非凡な(アン・コモンプレイス)備忘録(コモンプレイス・ブック)より」やパーマーによる「序文」を読むと、ライスはマローンという探偵(のキャラクター)を提供した以外では、ほとんどミステリ的なアイデアは提供していなかったような感じを受けますので、ライスが亡くなっても、あまり影響はなかったのかもしれません。

「被告人、ウィザーズとマローン」では裁判にあたり証人を買収しようとしたとして偽証教唆罪にマローンが問われていて、依頼人である死刑囚の刑が執行されるまではいいが=「すでに死刑を宣告されている人間でも、最後の瞬間まで弁護士のサービスを受ける権利はあるから」(223ページ)マローンは起訴されていないが、そのあとは........という状況
「これでも私、”負け犬の守護神” とか、”風車に挑む騎士” とか ”お節介な探り屋” とか呼ばれてるの。」(244ページ)
とウィザーズが自己紹介するシーンがありますが、今回のお節介はOK。知り合いを救うためですもんね。
派手な事件の割に登場人物が少ないので犯人の見当をつけるのは簡単なはずなのですが、ちょっと意外なところに犯人を忍ばせるミス・ディレクションが効いていました。
ただ、この邦題には違和感。マローンはともかく、ウィザーズは被告人ではありません。
原題の "People vs. Withers & Malone" はもちろん裁判を意識したもので、通例であれば被告人~と訳しても違和感ないところなのですが、本書の場合は被告人にはなっていないですし、権力に対抗するウィザーズ&マローンといった雰囲気を表しているタイトルだと思うからです。

「ウィザーズとマローン、知恵を絞る(ブレインストーム)」は、マローンが保釈を勝ち取った後、姿を消したナンシーを探しにマローンがロスにやって来ます。ナンシーは金持ちベドフォード相手に認知訴訟を起こしていたところ、ベドフォードの小切手を偽造した容疑で起訴されていた。
そんな折、ベドフォードの屋敷でベドフォードが射殺され、傍にはナンシーがまだ煙をあげているピストルを持って立っていた......
とまあ極めて敗色濃厚な事件を、どうウィザーズとマローンが覆していくか、という内容で、一風変わった法廷ミステリの趣きもあります。
ベドフォード殺しの方は、マローンの弁論通りであったとしても、この物語のような落着になるか、法律の素人としては分かりかねるところがありました。小切手の方は、単純だけれど小気味がいい着地を示してくれていて満足しました。おもしろい。

ウィザーズとマローンの共演は、以上の6作どまりだったようですが、ウィザーズはマローンをすっかり自分のものにしているくらい馴染んでいますし、もっと続けてくれてもよかったのに、と思えました。



<蛇足1>
「どこから始めたらいいんだ?」
「『始まりから始めて、最後まで続けて、そして終わる』(『不思議の国のアリス』より)」とミスウィザーズは引用した。(「薔薇の下に眠る」180ページ)
この文章、ミステリでは本当によく引用されますね。


<蛇足2>
「人口動態統計数値(スリーサイズ)は結構。」(「被告人、ウィザーズとマローン」220ページ)
被害者である歌姫のことをマローンがウィザーズに説明しようとして、ウィザーズがさえぎるところです。
マローンらしい愉快なやり取りというところなのですが、人口動態統計数値(スリーサイズ)となっているのが気になりました。
原文はどうなっているのでしょうね?


<蛇足3>
「そういえばマーフィの法則、例の『失敗する可能性のあることは、必ず失敗する!』ってやつを忘れていた。」(「被告人、ウィザーズとマローン」271ページ)
マーフィーの法則、懐かしいですね。
原著が出た1963年にはもうすっかり広まっていたのですね。





原題:People vs. Withers & Malone
著者:Stuart Palmer and Craig Rice
刊行:1963年
訳者:宮澤洋司





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ブラウン神父の知恵 [海外の作家 た行]


ブラウン神父の知恵 (ちくま文庫 ち 12-4)

ブラウン神父の知恵 (ちくま文庫 ち 12-4)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2016/01/07
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
「どこかおかしいんです。ここまで正反対にできているものは、喧嘩のしようがありません」──謎めいた二人の人物に隠された秘密をめぐる「イルシュ博士の決闘」。呪われた伝説を利用した巧妙な犯罪、「ペンドラゴン一族の滅亡」など、全12篇を収録。ブラウン神父が独特の人間洞察力と鋭い閃きで、逆説に満ちたこの世界の有り方を解き明かす新訳シリーズ第二弾。


久しぶりですが、読了本落穂ひろいです。アップし忘れていた模様。

2016年3月に読んだG・K・チェスタトンの「ブラウン神父の知恵」 (ちくま文庫)
「ブラウン神父の無心」 (ちくま文庫)(感想ページはこちら)から間を開けずに読んだようです。
もちろん、南條竹則さんによる新訳。

「グラス氏の不在」
「盗賊の楽園」
「イルシュ博士の決闘」
「通路の男」
「機械の誤り」
「カエサルの首」
「紫の鬘」
「ペンドラゴン一族の滅亡」
「銅鑼の神」
「クレイ大佐のサラダ」
「ジョン・ブルノワの奇妙な罪」
「ブラウン神父の御伽話」
の12編収録。

ブラウン神父シリーズは、逆説的推理と言われることがあるように、常識とか思い込みを大胆にひっくり返す、それをうだつの上がらない凡庸そうな神父の口から暴かれるのがポイントです。
「ペンドラゴン一族の滅亡」のように逆説ではなく奇想が爆発している作品や呪いなどの言い伝え・伝説を利用した犯罪を描く「クレイ大佐のサラダ」のような作品、あるいは「ブラウン神父の御伽話」のように銃のない状況下で射殺されたオットー公の謎を解く作品もありますが。

あまたの後続作品を読んできた現在の目から見ると、「見かけどおりではないんだな」「何をひっくり返すのかな」と考えて読めば、ある程度はブラウン神父に先回りして回答を予想することはできるのでしょうが、そういう先回りはせずに、素直にそのまま意外な結末を迎えたほうが、新鮮に楽しめる気がします。

「紫の鬘」で公爵がひた隠すものは、ミスディレクションのお手本かと思います。

もっとも、たとえば「盗賊の楽園」なんか、いまや定番中の定番のひっくり返しです──これだけなら昔の作品だな、と思って終わりですが、ブラウン神父の目のつけどころであったり、登場人物たちの配置であったり、あるいはタイトルのいわれなど注目するところはほかにもたくさんあり、謎が解ったからといってつまらなくなるような作品ではありません。
「機械の誤り」もわりとありふれたひっくり返しを見せますが、タイトルに象徴される、ブラウン神父が解明に至る道筋に置かれた ”逆説” (教訓?)こそが見どころなのでしょう。

ブラウン神父が示す逆説は、言う本人にはそんなつもりは全くない(ですよね?)ものでも、きわめて皮肉なものだったりします。そこが楽しかったり(←こちらの性格が悪いのがばれてしまう)。
「カエサルの首」における「守銭奴の悪いところは、たいてい、蒐集家の悪いところでもあるんじゃないかね?」などはいい例かと思います。

またひっくり返してみるとかなりの綱渡りであることがわかって、驚嘆したり、苦笑したり。
「イルシュ博士の決闘」の真相をみなさんはどう受け止められるでしょう?
あるいは「ジョン・ブルノワの奇妙な罪」のようにかなり無理筋な事態を背景にしていたり。

逆に極めて平凡な着地を見せるひっくり返しもあります──「通路の男」。この作品はよくあるコントをミステリ仕立てにしたかのよう。
「銅鑼の神」のアイデアもかなりありふれた発想ですが、この作品が嚆矢なのでしょうね。

また、常識をひっくり返す、となると、真相はバカバカしいと思えるようなものになることが往々にしてある、ということも気になる点でしょうか。
冒頭の「グラス氏の不在」なんかはこれに該当するかもしれません──ただ、そう見える、ということは、違うようにも見える、ということでもあります。バカバカしいと思えるような真相から溢れ出す余情もまた愉し、ということかと。そしてブラウン神父の目のつけどころが、この余剰に一役買っているというのも大きなポイントのように思えます。

だからこそ、100年以上前の作品であっても、さらには再読、再再読であっても、どこか新鮮な読み心地となるのでしょう。
「ブラウン神父の無心」に続き、まだまだ傑作が並んでいる短編集です。

ブラウン神父シリーズの、南條竹則さんと坂本あおいさんによる新訳は、この「ブラウン神父の知恵」で止まっているようです。
ぜひぜひ、続けていただきたいです。






原題:The Wisdom of Father Brown
著者:G. K. Chesterton
刊行:1914年(wikipediaによる)
訳者:南條竹則・坂本あおい






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ブラウン神父の無心 [海外の作家 た行]


ブラウン神父の無心 (ちくま文庫)

ブラウン神父の無心 (ちくま文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/12/10
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
ホームズと並び称される名探偵「ブラウン神父」シリーズを鮮烈な新訳で。「木の葉を隠すなら森の中」など、警句と逆説に満ちた探偵譚。怪盗フランボーを追う刑事ヴァランタンは奇妙な二人組の神父に目をつける……「青い十字架」/機械人形でいっぱいの部屋から、血痕を残して男が消えた。部屋には誰も出入りしていないという。ブラウン神父の推理は……「透明人間」。


読了本落穂ひろいです。
2016年2月に読んだG・K・チェスタトンの「ブラウン神父の無心」 (ちくま文庫)

近年、チェスタトンの作品は南條竹則さんによる新訳が刊行されていて、そのうちの1冊です。
旧訳としては、創元推理文庫の中村保男訳である「ブラウン神父の童心」 (創元推理文庫)(ただし新版ではなく旧版ですが)で読んでいます。
訳者あとがきで原題の "Innocence" が訳者泣かせだと言及されていますが、採用された訳は「無心」。
「童心」もなかなか考えた訳だとは思いますが、ここでの "Innocence" の訳語として違和感を感じておりました。

「青い十字架」
「秘密の庭」
「奇妙な足音」
「飛ぶ星」
「透明人間」
「イズレイル・ガウの信義」
「間違った形」
「サラディン公の罪」
「神の鉄槌」
「アポロンの目」
「折れた剣の招牌」
「三つの凶器」

ブラウン神父は風采は上がらないのに驚くような洞察と推理、という設定ですが、それにしても、外見描写は容赦がないですね。
初登場の場面がこちら。
「小柄な神父はあたかも東部地方の平地の精気が凝って出たかのようで、顔はノーフォークの茹で団子のように間が抜けており、目は北海のごとく虚ろだった。」(「青い十字架」11ページ)
目がうつろって......
余談ですが、ブラウン神父って煙草を吸うんですね。そういう印象がありませんでした。
「中から聖マンゴー小教会のブラウン神父が、大きなパイプをふかしながら出てくるのをご覧になっただろう。フランボーという、いやに背の高いフランス人の友達が一緒で、こちらはうんと小さな紙巻煙草を吸っている。」(「間違った形」191ページ)
また、所属教会も作品によって違うのかな?
「背の低い男を正式に御紹介すると、こちらはキャンバーウェルの聖フランシスコ・サビエル教会所属のJ・ブラウン師で」(「アポロンの目」282ページ)
教会名が、上の「間違った形」から変わっていますね。

その凡庸そうなブラウン神父から繰り出される鋭い洞察と推理、逆説的なロジックが醍醐味なのですが、ミステリとしてみた場合、これはすごい! と感嘆することもあれば、こちらの実感に合わずにそうかなぁ、と思うこともあり、その振れ幅も実は読んでいて楽しかったりもします。

たとえば、ブラウン神父デビューの「青い十字架」は、二人組の神父が繰り返す奇行が解き明かされるのですが、面白いことを考えるなぁ、とニヤリ。
「秘密の庭」も「透明人間」も「神の鉄槌」も「三つの凶器」も「折れた剣の招牌」も....と挙げだすときりがない、というよりこれ全編そうなのですが、ミステリ的に斬新(だった)アイデアで、鋭さにびっくり。これらの作品、ネタがわかってから読んでも(今回は新訳ではありますが、物語自体は何度目かわからないくらい読んでいます)やはりニヤニヤできます。
ブラウン神父のこと、大見得を切ることなくしずかに絵解きをするのですが、そこに至ると「待ってました!」と声をかけたくなるような興奮を覚えます。

一方で各種アンソロジーにも収録され世評高い(と思われる)「奇妙な足音」は何回読んでもすっきりしないんですよね。ブラウン神父の目の付け所には感心できるのですが、そこから真相に至るには飛躍が多すぎる気がします。
それでもそんな作品でも、
さよう。紳士になるのはまことに大変でしょう。しかし、わたしは時々考えるんです。給仕になるのも、同じくらい骨が折れるんじゃないかとね」(106ページ)
などというブラウン神父のセリフにはニヤリとできるんですよね。

ブラウン神父シリーズの、南條竹則さんと坂本あおいさんによる新訳は、次の「ブラウン神父の知恵」 (ちくま文庫)で止まっているようです。
ぜひ続けていただきたいです。



<蛇足1>
「彼の道楽の一つは、アメリカにシェイクスピアが現れるのを待つことだった──釣りよりも気長な趣味といえる」(45ページ)
イギリス人らしい言い方かとは思いますが、比較対象が「釣り」だと皮肉のレベルは低い??

<蛇足2>
「劇の始まりは、贈り物の日(ボクシング・デー)の午後からということになろう。」(109ページ)
贈り物の日には、「クリスマスの翌日に使用人などに祝儀を配る習慣がある」と注意がついています。
BOXING DAY はイギリスにいたとき祝日でした。(24日クリスマス・イヴは休みではありません)
BOXINGときいて、スポーツのボクシングを思い浮かべてしまって???でした。
BOXに動詞としての使い方があることをこれで知りました。日常生活で使うことはなかった気がしますが(笑)。

<蛇足3>
「彼はそう言うと、縁の奇妙な丸い帽子を脱いで、鋼の裏張りがしてあるのを見せた。ウィルフレッドはそれが日本か支那の軽い兜で、屋敷の古い広間にかかっている戦利品から剥ぎ取ってきたものであることに気づいた。」(「神の鉄槌」256ページ)
日本と中国では兜の形はずいぶん違うように思うのですが、そこはやはりFar East(極東)でいっしょくたなのでしょうね。
ところで、支那って漢字変換が出ないようになっているのですね......

<蛇足4>
「あのエレベーターがじつに滑らかに音も立てないで動くことも、知っての通りだ。」(「アポロンの目」305ページ)
当時にこんな音を立てないエレベーターがあったのでしょうか? 今の技術でも音は消せていませんよね。
ひょっとして(ハンドルをくるくる回して操作するような)手動式で、ゆっくりやれば音がしなかった、とかいう感じなのでしょうか?

<蛇足5>
「事務所を通り抜けてバルコニーへ出、雑踏する通りの前で安全に祈祷をしていたんだ。」(「アポロンの目」306ページ)
「雑踏」も動詞としての使い方があるのですね。

<蛇足6>
「ステイシー姉妹のような人達は決まって万年筆を使うが」(「アポロンの目」306ページ)
決まって万年筆を使う人たちって、どういう人なのでしょう??


原題:The Innocence fo Father Brown
著者:G. K. Chesterton
刊行:1911年(wikipediaによる)
訳者:南條竹則・坂本あおい




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夜のエレベーター [海外の作家 た行]


夜のエレベーター (海外文庫)

夜のエレベーター (海外文庫)

  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2022/07/31
  • メディア: 文庫


<カバー裏あらすじ>
「ぼく」は6年ぶりにパリへ帰ってきた。ともに暮らしていたママが死んでしまい、からっぽのアパートは孤独を深めるだけだった。だが今日はクリスマス・イヴ。にぎわう街の憧れの店へ食事に入ると、小さな娘を連れた美しい女性に出会う。かつて愛した運命の人に似た、若い母親に……彼女が思いもかけないドラマへと「ぼく」を導いていく! 「戦後フランス・ミステリー界最高の人気作家」と称されるフレデリック・ダールが贈る、まさに予測不能、謎と驚きに満ちた名品。


2022年11月に読んだ最初の本です。
さらっと読める小粋で小洒落たフレンチ・ミステリです。

クリスマスイヴと言う設定で、登場人物がしきりにレヴェイヨンを気にしています。
クリスマス・イヴの深夜にとる祝いの食事のことらしいですが、知りませんでした。フランスでは一般的なのでしょうね。

主人公が出会うドラヴェ夫人も、ほかならぬ主人公自身も何やら謎めいた部分があり、そこも気になってクイクイ読み進みます。
ドラヴェ夫人の家に二人が戻った時に見つけたあるもの(言ってしまっても差し支えないと思いますが、念のため伏せておきます)を軸に物語は急展開。
ミステリを読み慣れている方なら物語の行きつく先の見当がこのあたりで十分ついてしまうと思います。
そこへ新たな人物が登場することで、その読みが裏付けられます。
それでも主人公を覆う不安に感化されて、先がとても気になります。

ラストの方で現れるある小道具の使い方が、常套的といえば常套的なのですが、とても鮮やかな印象を受けました。

本訳書は訳者の長島氏が生前出版の予定もないまま自主的に訳したものが発掘されたものだそうです。
生前に出版が決まっていれば、きっと推敲を重ねられたでしょうが、お亡くなりになっているためそれが果たせなかったのでしょうね。
訳文が非常にぎこちないものになってしまっていて、翻訳ものにかなり慣れた読者でないと読み進めるのがつらいかもしれません。

作者のフレデリック・ダールの作品はずっと読みたいと思っていて、何冊か訳されたことがあるのですがすべて絶版。
こうやって読めて本当によかったです。
しかも、おもしろかったですし。
復刊もしてほしいし、もっともっと訳してほしいですね。


原題:Le Monte-Charge
作者:Frederic Dard
刊行:1961年
訳者:長島良三





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ぼくを忘れたスパイ [海外の作家 た行]


ぼくを忘れたスパイ〈上〉 (新潮文庫)ぼくを忘れたスパイ〈下〉 (新潮文庫)ぼくを忘れたスパイ〈下〉 (新潮文庫)
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/09/29
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
父がスパイだった? それも辣腕? 競馬狂いで借金まみれのチャーリーは、金目当てで認知症の父を引き取ってから次々と奇怪な出来事に見舞われる。尾行、誘拐未遂、自宅爆破に謎の殺し屋の出現。あげく殺人犯に仕立てられ逃げ回る羽目に……。父は普通の営業マンではなかった? 疑念は募る。普段のアルツハイマーの気配も見せず、鮮やかに危機を切り抜ける父の姿を見るたびに――。<上巻>
何が真実で、何が真実でないのか? チャーリーは混乱するばかりだった。父はCIAに所属していて、なんらかの秘密作戦に従事していた。二人を追うのはCIAなのか? 何を聞いても返事が意味不明な父の病。時折訪れる明晰な瞬間にはスーパーヒーローに化けるが、普段は過去も現在もわからない彼が重大な国家機密を握っていたとしたら。独創的な主人公像が絶賛を浴びた痛快スリラー。<下巻>


9月に読んだ13作目の本です。
キース・トムスンの「ぼくを忘れたスパイ」〈上〉 〈下〉 (新潮文庫)

颯爽と敵の目をかいくぐり、危機を切り抜け、情報を手に入れるスパイ。
そんな勝手なイメージを持っているスパイですが、痴呆症になったら大変でしょうねぇ。国家機密すら知っていたりするのですから。
主人公チャーリーは、そんな父を持つダメ男。
理不尽にも狙われて父親と一緒に逃げ惑う羽目に。

と言ってしまえばこれだけの話ですが、おもしろいですねぇ。
いつもはボケていける父親が、ふっと正気を取り戻しスーパーヒーローの活躍を見せる、という痛快さ。
相次ぐ危機を乗り越えていきます。
痴呆症の父親を守る息子、という構図が、痴呆症の父親に守られる息子、に転じるおかしさもあります。

痴呆症となると、いつ正気を取り戻すかという点どうしてもご都合主義というか、都合のいいときに正気を取り戻すようになってしまいがちで、この作品もその弊からは逃れられていないのですが、ありふれていても「息子が危ない」ときに正気を取り戻す、というのはなかなか手堅いですね。

一方で
「馬体の血液量は一般的に体重の十八分の一だということはわかるぞ」(67ページ)
なんて、スパイにどう役に立つのかわからない知識が披露されたりもします。

というわけで、読み終わって、あー面白かった、といっておしまいにすればよいのですが、振り返ってみると、消化不良というか、この題材ならもっと面白くなったんじゃないかな、と思えてなりませんでした。
息子チャーリーに視点を置いていることからくるユーモアも、一転ハバナで繰り広げられるスパイ戦も、逃避行の間繰り広げられる戦闘シーンも、どれもこう今一歩感が漂うんですよね。

まさにないものねだりなのですが、ちょっと残念です。



原題:Once A Spy
作者:Keith Thomson
刊行:2010年
訳者:熊谷千寿


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知りすぎた男 [海外の作家 た行]


知りすぎた男 (創元推理文庫)

知りすぎた男 (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2020/05/09
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
新進気鋭の記者ハロルド・マーチが財務大臣との面会に行く途中で出会った人物、ホーン・フィッシャー。上流階級出身で、大物政治家ともつながりを持ち、才気に溢れながら「知りすぎているがゆえに何も知らない」という奇妙な苦悩を抱えるフィッシャーは、高度な政治的見地を要する様々な事件を解決に導いてゆくが……。巨匠が贈る異色の連作が、新訳にて創元推理文庫に初収録。


2021年10月に読んだ5冊目の本です。
論創海外ミステリから「知りすぎた男―ホーン・フィッシャーの事件簿」 (論創海外ミステリ)として出版されていたものが、南條竹則さんの新訳で創元推理文庫へ!

「標的の顔」
「消えたプリンス」
「少年の心」
「底なしの井戸」
「塀の穴」
「釣師のこだわり」
「一家の馬鹿息子」
「彫像の復讐」
の8編収録の連作短編集です。

「知りすぎて何も知らない」とはいかにもチェスタトンが好きそうなフレーズで、読む前からワクワクします。
巻頭の「標的の顔」からして逆説のオンパレードです。
楽しめますよ。

この「知りすぎた男」 (創元推理文庫)で特徴的なのは、政治的である、ということです。
ただし、血気盛んな理想に燃えた政治ではなく、衰え行く大英帝国を悲しみに満ちた視線で捉えています。
探偵役であるホーン・フィッシャーは、事件を解決し犯人を捕まえればめでたし、めでたし、というようには事件を処理しません。
大英帝国を守るため、いや、大英帝国そのものよりむしろ大英帝国の誇りを守るため
逆説たっぷりの皮肉に満ちた物語は、衰退する大英帝国にこそ似つかわしいのかもしれませんね。

だからこそ、ホーン・フィッシャー最後の事件となる最終話「彫像の復讐」が一層印象的なのだと思います。

ところで、解説の「底なしの井戸」のところで大山誠一郎が「後年、別の英国人作家が某有名作で同じアイデアを使っていますが」と触れている、別の英国人作家、某有名作ってなんでしょうね? 気になりました。



<蛇足1>
「何なら、月並(コモンプレイス)ではあっても普通(コモン)ではないと言いましょうか。」(39ページ)
commonplace と common ですか。

<蛇足2>
「もしも民衆が、こんぐらがった上流社会をダイナマイトで丸ごと地獄まで吹っ飛ばしたとしても、人類がさして悪くなるとはおもいませんね。」(43ページ)
「この話は、耳新しいと同時に伝説的な名前にまつわる、こんぐらがったいくつもの話の中から始まる。」(47ページ)
こんぐらがる? 
「こんがらがる」だと思っていたら、「こんがらがる」「こんがらかる」「こんぐらかる」「こんぐらがる」、いずれも言うんですね。

<蛇足3>
「このバーガンディーをどう思うかね? このレストランもそうだが、僕のちょっとした発見なんだ。」(78ページ)
葡萄酒について述べたところですが、もう日本ではブルゴーニュではなく、バーガンディーと呼ぶのが普通になったのでしょうか?

<蛇足4>
「ウェストミンスター寺院を見せられた時は茫然としたが、あの教会は十八世紀の大きくて、あまり出来の良くない彫像の物置になっているから、無理もあるまい。」(83ページ)
チェスタトンにかかっては、ウェストミンスター寺院もかたなしですね(笑)。
出来の良くない彫像の物置......

<蛇足4>
「警備責任者のモリス大佐は小柄で活発な男で、いかめしい、がさがさした顔をしているが、」(86ページ)
がさがさした顔、というのはどういう顔でしょうね? 著しく乾燥しているってことでしょうか?

<蛇足5>
「私はマグスです」と見知らぬ男は応えた。「たぶん、マギという名は聞いたことがおありでしょう。私は魔術師(マジシャン)なのです」(87ページ)
ここには注がついていまして、マギというラテン語は知っていましたが、その単数形がマグスなんですね。


原題:The man who knew too much
著者:G. K. Chesterton
刊行:1922年
訳者:南條竹則






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奇商クラブ [海外の作家 た行]


奇商クラブ【新訳版】 (創元推理文庫)

奇商クラブ【新訳版】 (創元推理文庫)

  • 作者: G.K.チェスタトン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2018/11/30
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
巨大な蜂の巣のようなロンドンの街路の中で「奇商クラブ」は扉を開かれる時を待っている――この風変わりな秘密結社は、前例のない独創的な商いによって活計を立てていることが入会の条件となる。突然の狂気によって公職を退いた元法曹家のバジル・グラントが遭遇する、「奇商クラブ」に関する不可思議な謎。巨匠が「ブラウン神父」シリーズに先駆けて物した奇譚六篇を新訳で贈る。


チェスタトンの感想を書くのは、「木曜日だった男 一つの悪夢」 (光文社古典新訳文庫)(感想ページはこちら)以来ですね。
本書も南條竹則さんによる新訳です。

旧訳で昔読んでいますが、楽しめなかった記憶。
今回はちゃんと楽しめました。新訳さまさまです。

「ブラウン少佐の途轍もない冒険」
「赫々たる名声の傷ましき失墜」
「牧師さんがやって来た恐るべき理由」
「家宅周旋人の突飛な投資」
「チャド教授の目を惹く行動」
「老婦人の風変わりな幽棲」
の6編収録の短編集。
”奇商クラブ” という「何か新しくて変わった金儲けの方法を発明した人間だけからなる結社」にふさわしい、新奇な職業を集めています。

”奇商クラブ” の参加資格?は
自分が生計を立てる方法を見つけていなければならない
です。
そして
第一に、それは既存の商売の単なる応用とか変種とかであってはいけない
第二に、その商売は純然たる商業的収入源、それを発明した人間の生計の資でなければならない。

この視点で見ると、たとえば「家宅周旋人の突飛な投資」など ”奇商クラブ” たる資格を満たしていないんじゃないかと思われますし、「チャド教授の目を惹く行動」は職業ではないですし、さすがのチェスタトンもこの趣向を満たすアイデアをそんなにたくさんは思いつけなかったのでしょうね。

それでも「ブラウン少佐の途轍もない冒険」あたりはニーズはそんなになさそうな気もするけれど、楽しい職業のように思いましたし、「赫々たる名声の傷ましき失墜」や「牧師さんがやって来た恐るべき理由」あたりは実際に職業として成立しそうな気がします(笑)。
そして最後の「老婦人の風変わりな幽棲」では、いかにもチェスタトンらしいというか、いや逆にストレートすぎるというべきか、奇商クラブの内幕を垣間見せてくれます。

チェスタトンも近年南條竹則さんにより新訳がわりと出ていて重畳ですね。
読み進んでいきたいです。
(そういえば、ちくま文庫のブラウン神父の新訳も読んだのに感想を書いていませんね......ただ続巻が途絶えているので気になっています。残りも新訳してほしいです。)


<蛇足1>
「彼が黒体文字の二折り判本の山のうしろにしまっている贅沢なバーガンディーをいっぱいやっていた。」(17ページ)
バーガンディーとあるのは新訳ならではだと思いますが、未だブルゴーニュの方が一般的ではないでしょうか?

<蛇足2>
「我々四人はたちまち拱道(きょうどう)の下で身をすくめ、硬くなったが」(37ページ)
拱道の意味がわからず調べました。
アーチ道と出ます。??
アーチ型の門、アーチのある通路という説明もありました。なるほど。

<蛇足3>
「とくに力強い、奇警なものだと思いますよ。」(47ページ)
今度は ”奇警” がわかりません。文脈から見当はつくのですが、「思いもよらない奇抜なこと。」ということのようですね。

<蛇足4>
「こうした習慣への干渉に痛烈な抗義を加えていた。」(164ページ)
抗義とありますが、これは抗議の誤植でしょうか?





原題:The Club of Queer Trades
著者:G. K. Chesterton
刊行:1905年
訳者:南條竹則






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