SSブログ

ようこそ授賞式の夕べに (成風堂書店事件メモ(邂逅編)) [日本の作家 大崎梢]


ようこそ授賞式の夕べに  (成風堂書店事件メモ(邂逅編))(創元推理文庫)

ようこそ授賞式の夕べに (成風堂書店事件メモ(邂逅編)) (創元推理文庫)

  • 作者: 大崎 梢
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2017/02/19
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
書店大賞授賞式の当日、成風堂書店に勤める杏子と多絵のもとを福岡の書店員・花乃が訪ねてくる。「書店の謎を解く名探偵」に、書店大賞事務局に届いた不審なFAXの謎を解いてほしいというのだ。同じ頃、出版社・明林房書の新人営業マンである智紀にも事務局長から同様の相談が持ち込まれる。授賞式まであと数時間、無事に幕は上がるのか?! 本格書店ミステリ、シリーズ第四弾!


2022年3月に読んだ9作目(10冊目)の本です。
待ってました、
「平台がおまちかね」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら
「背表紙は歌う」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら
に続く出版社営業・井辻智紀の業務日誌シリーズ第3弾(というわりに積読にしていて読むのが遅くてすみません)と言いたいところなのですが、どうやら、
「配達あかずきん 成風堂書店事件メモ」 (創元推理文庫)
「晩夏に捧ぐ (成風堂書店事件メモ(出張編)) 」(創元推理文庫)
「サイン会はいかが? 成風堂書店事件メモ」 (創元推理文庫)
に続く成風堂書店事件メモシリーズ第4弾、と規定されているようですね。
残念。井辻くんファンなのに。
まあ、井辻くんと再会できたので、よしとしましょう。

例によってミステリとしては薄いですけれどね。

今回扱われるのは、書店大賞。
つまりは本屋大賞ですね(笑)。
舞台裏の苦労が描かれていまして、大変だなぁ、と。
厳しい状況に置かれている書店業界。本来なら商売敵であるはずの書店同士が手を携えて立ち上がる、というのはロマンを感じます。

ただ、個人的に本屋大賞の現況にあまり感心していないので、厳しくみちゃいますね。
「書店大賞に対してのアンチ意見は、君だって見聞きしてるだろ。すでに売れている本しか選ばれない、ただの人気投票、裏で得票数の操作をしている、一票いくらで売り買いしている、だから信用しない、うさん臭い、インチキ、目ざわり、さっさとやめちまえ。そんなバッシングの数々」(77ページ)
と作中でも登場人物に言わせています。
これらのアンチ意見が正しいのかどうかは知りませんが、少なくとも「すでに売れている本しか選ばれない、ただの人気投票」には同意します。
本好きな本屋の店員さんが、ぜひとも読んでほしいと願う良書を推薦してそこから選ばれる、というのが当初のコンセプトだったのではないかと思うのですが、参加する書店員が増えたからでしょうか、大賞受賞作は受賞以前から本屋の店頭で積まれているような作品ばかりになってしまっています。
本屋大賞はかなり注目度が高く、本屋さんでも積極的に展開されていますので、本屋を活気づける、本を売るというのが目的だとすれば大大大大大成功。イベントとしては非常に優れたものだと思いますが、おすすめ本を知るということからすると、屋上屋を架すものでしかなく、特に価値が感じられません。
それに本屋大賞として推されることで、本屋さんの画一化が一層激しく進んでいってしまっているように思います。
いまやブランド化した本屋大賞ですから、逆に今こそ、隠れた名作を本好きの本屋さんが発掘して世に知らしめてくれればよいのに、なんて考えてしまいます。

あ、いや、本屋大賞に対する意見を述べても仕方ないですね。
本屋大賞を模した書店大賞の授賞式めがけて緊張が高まっていく、というのがプロットのはずなんですが、そこは成風堂書店事件メモシリーズだったり、出版社営業・井辻智紀の業務日誌シリーズだったりのこと、どことなくおっとりした感じで話が進むのが逆に興味深かったですね。
書店大賞に絡んで起こる、閉店したある書店をめぐる騒動の謎を追いかけていくのですが、こちらも書店業界をめぐる問題に焦点が当たっています。
ミステリとしての底はかぎりなく浅く、事件の構図も登場人物の配置も、サプライズはまったくありません。また、犯人の狙いと犯行内容のバランスが悪いように思われたのも残念です。
とはいえ、成風堂書店事件メモシリーズと出版社営業・井辻智紀の業務日誌シリーズが共演しただけでも満足することとしましょう。

また井辻くんの出てくる作品、書いてほしいですね。



nice!(17)  コメント(0) 

五色の殺人者 [日本の作家 さ行]


五色の殺人者

五色の殺人者

  • 作者: 千田 理緒
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2020/10/10
  • メディア: 単行本

<カバー袖あらすじ>
高齢者介護施設・あずき荘で働く、新米女性介護士のメイこと明治瑞希(めいじみずき)はある日、利用者の撲殺死体を発見する。逃走する犯人と思しき人物を目撃したのは五人。しかし、犯人の服の色についての証言は「赤」「緑」「白」「黒」「青」と、なぜかバラバラの五通りだった! ありえない証言に加え、見つからない凶器の謎もあり、捜査は難航する。そんな中、メイの同僚・ハルが片思いしている青年が、最有力容疑者として浮上したことが判明。メイはハルに泣きつかれ、ミステリ好きの素人探偵として、彼の無実を証明しようと奮闘するが……。
不可能犯罪の真相は、切れ味鋭いロジックで鮮やかに明かされる! 選考委員の満場一致で決定した、第30回鮎川哲也賞受賞作。


2022年3月に読んだ8作目(9冊目)の本です。
鮎川哲也賞受賞作。

謎が魅力的ですね。
犯人が着ていた服の色について目撃者の証言が食い違う。しかも5通り!
どう処理するのかなぁ、とわくわくしながら読んだのですが、うーん、これではねぇ...苦笑。
5通りにしてみせた心意気は買いたいですが。

この1点に賭けた作品ではなく、選評で辻真先がいうところの「ヒロインの推理と恋が軌を一にして」いるところも大きなポイントですね。
こちら、わりと類例の多い仕掛けで、かつ、丁寧に書かれているので読者に見抜かれやすくなってしまっていますが、この舞台、この人物配置でこの仕掛けはかなり高難度だと思うんですよね。
きれいに着地しているので素晴らしいな、と思います。

あとなにより、介護施設を舞台としていながら、重苦しくなっていない点がいい。

ミステリとしてはかなり小粒なイメージですが、楽しめました。


<蛇足1>
「私はまだ入職から日が浅いので来客の対応をしたことがないのですが、」(15ページ)
入職っていうのですね。初めて出会った言い方です。

<蛇足2>
「メイが話す間、磯はボールペンを動かしっぱなしだった。」(20ページ)
「利用者の家族からは問い合わせの電話が入りっぱなしだし、」(50ページ)
「しっぱなし」というのは、何かを行為・行動をして、そのまま放っておくことを指すので、ここでは「動かしっぱなし」ではなく「動かしどうし」「入りどうし」でしょうね。
この間違い、自分でもよくしちゃうのですが。

<蛇足3>
「百歩譲って青に似ている緑を加えるのはまだ許せても、赤は色の系統が違いすぎる。」(40ページ)
これまたよく使われる表現ですが、百歩は譲りすぎだとどこかで目にしたことがあります。
普通の日本語としては「一歩譲って」で十分だと(笑)。

<蛇足4>
44ページに突然「閑話休題」という語が出てきます。
犯人の性別が男と思われることから、視点人物であるメイが、そのときいた男性を順に思い出すシーンで出てくるのですが、不要な尖った表現が急に出て来てびっくりしました。

<蛇足5>
「それから少しのあいだ、三人は殺人事件について話をした。主に澄子と詩織が質問をして、メイが答える形だった。
 数分後、澄子がお気に入りのミステリドラマの放送時間を新聞で調べ出したあたりで、メイは辞去することにした。」(86ページ)
少しのあいだ話をしたのに数分後? と思いましたが、これは話が終わってから数分後、と読むのですね......

<蛇足6>
メイが最近読んで面白かったミステリとして、ディック・フランシスの「横断」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)をあげるシーンがあって、おお、と思ったのですが、
「読み慣れていないと、古い翻訳ものは読みづらいかもしれませんよ。文章が古めかしいので。」(132ページ)
と続けていてびっくりしました。
そうか、もう菊池光さんの訳は古めかしくて読みづらいのか......
最近の本としてはエリー・アレグザンダーの「ビール職人の醸造と推理」 (創元推理文庫)があげられています。
こちらは「ミステリかどうかの以前に、ビールを飲みたくなること間違いなし」とのことです。

<蛇足7>
『「ダンディ警部シリーズ」の最新作、「誤認五色」を先日読み終えたばかりだった。』(139ページ)
本書「五色の殺人者」の鮎川賞応募時点のタイトルが「誤認五色」だったのですね。こういうのおもしろいです。

<蛇足8>
「あんみつとは、みつ豆にあんこを添えたもの。一方でみつ豆とは、赤えんどう豆、寒天、みかんや桃などのくだもの、白玉や求肥を器に盛り、黒蜜やシロップをかけた甘味である。」(156ページ)
和の甘味はあまり食べつけないので、この区別あまりちゃんと認識していませんでした。

<蛇足9>
巻末にある選評で、辻真先が「ジト目」という表現を使ったある応募作に対して、知られていない表現だとして「あなたの世界はそれほど狭い」と指摘しています。
「ジト目」というのはマンガやアニメでちょくちょく見られる表現なので、あれっ、辻真先知らないのかな? と思ったのですが、辻真先が知らないと言っているわけではなかったです。

<蛇足10>
本作の主人公の苗字が明治。
調べてみたら実在の苗字なんですね。びっくりしました。
当然ながら明治になってからつけられたものだと思いますが、元号、すなわち将来の天皇の諡と同じものを苗字にするなどという大胆な家があったとは......



nice!(14)  コメント(0) 

天才株トレーダー・二礼茜 ブラック・ヴィーナス [日本の作家 さ行]


天才株トレーダー・二礼茜 ブラック・ヴィーナス (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

天才株トレーダー・二礼茜 ブラック・ヴィーナス (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

  • 作者: 城山 真一
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2017/02/07
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
石川県庁の金融調査部で相談員として働く百瀬良太は、会社の経営難に苦しむ兄が、株取引の天才、黒女神こと二礼茜に大金を依頼する場に同席した。金と引き換えに依頼人の“もっとも大切なもの”を要求する茜は、対価として良太を助手に指名する。依頼人に応える茜の活躍を見守る良太。彼女を追いかける者の影。やがて二人は、日本と中国の間で起こる、国家レベルの壮絶な経済バトルに巻き込まれていく。


2022年3月に読んだ7作目(8冊目)の本です。
第14回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。
前回感想を書いた「神の値段」 (宝島社文庫)と同時受賞です。

タイトルにもなっている二礼茜が「黒女神(ブラック・ヴィ―ナス)」と呼ばれる存在で、依頼人の ”もっとも大切なもの” として茜が指定したものを渡せば、返済不要のお金を用立ててくれる、という設定になっています。
そして、依頼人の人情噺が百瀬良太という視点人物を通して語られます。

茜の原資はなにかというと、株取引。タイトル通り、株トレードで資金を得るのです。
必勝の天才トレーダー。
なんじゃそりゃ、と思わないでもないですが、物語の起爆剤としてそういう設定なのだと思えば受け入れ可能なラインでしょう。フィクションでこういう強引な設定は、ままあることです。

ところが後半、茜がスランプに落ち込みます。

どうやら吉野仁の解説によると、選考会ではこの茜の不敗神話ぶりが不評だったらしく、応募時の原稿が大幅に書き直されたらしいのです。
つまり、応募時点では黒女神は「連戦連勝のスーパーウーマン」だったようなのですが、それを「勝ちに見放され、どん底に堕ちることも経験した傷だらけのヒロイン」に修正されたわけです。
解説に曰く
「改稿によって、人物造形に深みが加わったばかりか、起伏に富んだ物語となったことで、より面白く、完成度の高い作品に仕上がったと思う。」
らしいのです。

応募時の原稿を読んでいないのでどうこう言うのはフェアではないと思いますが、ぼくの意見はまったく逆です。
この改稿は大失敗だったと思っています。

依頼人の人情噺が続く連作短編集であれば、その改稿もありだったと思います。
しかし、この作品は後半物語の幅が拡がって、ブラック・ヴィーナスの立ち位置(存在理由といってもよいかもしれません)含めて展開していくのです。
「連戦連勝のスーパーウーマン」のままであれば、フィクションにおけるお約束として受け入れ可能であったものが、なまじ失敗もするようになったがために、単なるご都合主義に思えてきます。(作者にとって)都合のいい時に勝って、都合の悪い時に負ける。
そしてこの「負ける」という側面は、ネタバレになるので詳しくは書けないのですが、本作品の根幹をなす設定(それがブラック・ヴィーナスの立ち位置です)のリアリティのなさを大幅に増幅してしまっています。負けるといっても、全体の勝率はすさまじいものではあるのですが、あの立ち位置は連戦連勝であるからこそ成立し、映えるものです。
改稿によって、物語の枠組みをぶち壊してしまったのではないか、と思えてなりません。

解説で
「徹底したリアリズムで現実の経済や株取引を描くというよりも、むしろ大胆な虚構性を導入するなど物語性を重視して出来上がっているのが本作品なのである。」
と書かれていますが、選考会の指摘を受け、なまじ中途半端なリアリティを意識して修正したがために、物語の基盤を破壊してしまったようです。
連戦連勝のヒロインという大嘘を基礎にそれ以外はリアルに構築してみせた物語だったはずのものが、肝心の土台が崩れて作品世界が傾いてしまった、というのが感想です。
もったいないですね。


<蛇足1>
「今、フェミニズム法案の国会への再提出で世論は二分されている。」(147ページ)
三年前に結局国会に提出されなかった法案が国会に出されるかどうか、というのは「再提出」ではないですよね......

<蛇足2>
「そういうお考えが、尊敬できるところでございますの。」(147ページ)
いかにもな女性のセリフとして描かれているのですが、いまどきこんな口調の人、いるのでしょうか?
ことが ”フェミニズム” 法案に関するだけに、余計気になりました。



nice!(14)  コメント(0) 

神の値段 [日本の作家 あ行]


神の値段 (宝島社文庫)

神の値段 (宝島社文庫)

  • 作者: 一色 さゆり
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2017/01/11
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
マスコミはおろか関係者すら姿を知らない現代芸術家、川田無名。ある日、唯一無名の正体を知り、世界中で評価される彼の作品を発表してきた画廊経営者の唯子が何者かに殺されてしまう。犯人もわからず、無名の居所も知らない唯子のアシスタントの佐和子は、六億円を超えるとされる無名の傑作を守れるのか――。美術市場の光と影を描く、『このミス』大賞受賞のアート・サスペンスの新機軸。


2022年3月に読んだ6作目(7冊目)の本です。
第14回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作

典型的なお勉強ミステリ、お仕事ミステリの文法に則って書かれています。
作者は芸大出のかたで学芸員までされているということで、美術界、とくに現代アートのビジネスの様子が活写されていて勉強になります。
いやあ、すさまじい世界です。

「現代アート作品では、作家の手が全く入っていなくても問題ないのだと唯子は言っていた。」(110ページ)
なんて書かれていて驚愕。

タイトル「神の値段」は、大きく出たものだとも思いますが、直感的でよいと思いました。
「神」は
「美術品を集めるのは、究極の道楽です。金のかかるゲームであり、一種の宗教みたいなものだ。いえ、冗談ではありません。先生は私の神で、私は先生の信者だ。だとすれば先生の作品はさしずめ、信仰の商品化かな」
「ある宗教家は、幸福な人に宗教は分からないと言いますが、私もその通りだと思います。もとからすべての満足し幸福であれば、アートなんかに入れ込みません。アートを買う金持ちというのは、好奇心が強く柔軟で、車や宝石では満たされないんです。だからこのゲームに嵌まり込んでしまいます。上がりがあるかどうかも分からない、ただ神を求めるゲーム、悟りを求めるゲームが、長い歴史にわたって文化として営まれてきました。」(297ページ)
と説明されるまでもなく、作品を生み出す芸術家が神にたとえられているわけです。
一方の「値段」は
「価格というのは、需要と供給のバランスに基づいた客観的なルールから設定される。一方で値段というのは、本来価格をつけられないものの価値を表すためにの所詮比喩なんだ。作品の金額というのは売られる場所、買われる相手、売買されるタイミングによって、常に変動し続ける」(337ページ)
として価格と値段の違いが語られています。美術界ではこういう区別しているのでしょうか?
ちょっと素直にはうなずけない説明です。
うなずけないものの、このタイトルは、芸術品を対象とするマーケットについていろいろ考えるのによいきっかけとなる道しるべのように思えます。

ミステリとしてみた場合、残念ながら大きな不満が残ってしまいます。
ミステリ部分も、きわめて文法通りだからです。
ここまで型どおりだと、サプライズがまったくなくなってしまいます。

ところで、この作者、桐野夏生の乱歩賞受賞作「顔に降りかかる雨」 (講談社文庫)を読んだことあるのかな?
ふと気になりました。

専門知識を生かしつつ、今後はミステリとしての構図にも力を入れていただければと希望します。


<蛇足1>
「松井はよくこんな風に唐突な質問を遠慮なく投げかけてくるが、それは空気が読めないせいではない。おそらく長い海外生活のうちに身についた強みであり、怖いものなしの率直さである。」(22ページ)
なかなか議論を呼びそうな文章だなぁと思って読みました。

<蛇足2>
「だってこの業界では、むしろおネエであることがひとつのステータスじゃない。羨ましいくらいだよ。」(22ページ)
美術界というのは、そうなんでしょうか?

<蛇足3>
「佐和子さんはどうしてここで働くことになったんですか」
「どうしてだろうね」
 お茶を濁したあと頬杖をついて、人差し指で適当にパソコンのキーボードを叩いた。(23ページ)
とても紛らわしい表現ではありますが、ここは「お茶を濁す」ではなく「言葉を濁す」ではなかろうかと思いました。 

<蛇足4>
「無名先生のアートは唯子さんが育てて、唯子さんがすべて司っているって本当ですか。だから無名先生は売れているって」
「そんなわけないじゃない。無名が私を食べさせているのよ。私が無名をたべさせてるんじゃないわ」
 思いがけずロマンチックな話を聞かせてくれた唯子のことを、信頼し始めている自分がいた。(26ページ)
うーん、このやりとり、ロマンティックとは思えなかったのですが。
あるいは書かれていないだけでロマンティックな話が出ていたという含意なのでしょうか?

<蛇足5>
「唯子のギャラリーでは、オーナーの采配ひとつで給料を含めた全事項が決定される。」(31ページ)
「こういうのを、いわゆるブラック企業と呼ぶのだろうか。」(32ページ)
労働実態からしてブラックだと思いましたが、ここのギャラリー、企業だったのでしょうか?
このようなギャラリー、法人化しているケースが多いのでしょうか?
まあ、法人化していたほうがなにかと都合がいいのかもしれませんね。

<蛇足6>
「私たちは自分の死を見ることができないわけですよ。死んだら自分の物語は終わってしまうから、そのあとの世界を見ることはできない。だからいつも死ぬのは他人なんです。自分の死というのは観念でしかない。」(239ページ)
現代アートの創始者とされるマルセル・デュシャンの名言「されど死ぬのはいつも他人」を言い換えたものです。
こういう言葉があるんですね。

<蛇足7>
「過去の作品管理や回顧展を手伝う財団としての経営に切り替えるために、話を進めているようだった。」(336ページ)
財団でも「経営」というのでしょうか?




nice!(16)  コメント(0) 

映画:恋人はアンバー [映画]

恋人はアンバー.jpg


映画「恋人はアンバー」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用してみます。

見どころ:1990年代のアイルランドの保守的な田舎町を舞台に、同性愛者の高校生男女が期間限定で恋人のふりをする青春ドラマ。閉鎖的な社会で生きるティーンの葛藤や友情を描き、アイリッシュ映画&テレビ賞で8部門ノミネート、2部門を受賞した。監督・脚本は『CURED キュアード』などのデヴィッド・フレイン。『モーガン夫人の秘密』などのフィオン・オシェイをはじめ、ローラ・ペティクルー、シャロン・ホーガン、バリー・ウォード、シモーヌ・カービーらが出演する。

あらすじ:1995年、同性愛者への差別や偏見が残るアイルランドの田舎町。自分がゲイであることを認められない高校生・エディと、レズビアンであることを隠しているクラスメートのアンバーは窮屈な日々を過ごしていた。二人は周囲にセクシュアリティを悟られずに卒業するため、期間限定でカップルを装うことにする。性格も趣味も真逆の二人だったが、悩みや夢、秘密を語り合う中で友情を育み、互いにかけがえのない存在となっていく。


極めて保守的なーーと書いて「保守的」という表現は適切でないような気がしました。そうですね、旧弊な田舎町を舞台に、ゲイであることを隠す男女高校生を描いた作品です。
ただでさえうじうじしやすい思春期(と言っていいですよね)に、ゲイであることを隠さなければならないという状況で、一層うじうじする高校生というのが見事に伝わってきます。
男サイド--エディの話です。
そもそも、頑ななまでに自らがゲイであることを認めようとしていないという出発点がポイントですよね。いわゆる ”男らしさ” に囚われているとも言えます。
軍隊にいる父親の存在がまた効いている。

一方対する女サイド--アンバーは、生きづらさを感じて隠そうとはしていますが、自らがゲイ(レズビアン)であることをしっかり自覚していますし、高校を出たら、ロンドンに行って独り立ちすると決めていて、そのことを前提に行動しています。

その二人が手を組んで、卒業までは世間を欺こうという作戦に。
この作戦、実にうまくいくのです。
特にエディに及ぼす影響は目覚ましい。疑いは残りつつも、周りの目がすっかり変わってしまっています。
これはエディ本人の意識として、自らのアイデンティティを隠さなければならない(頑なに認めようとはしていなかったけれども)という状況から、どうしても内向的に、臆病に日々を過ごさなければならなかったものが、ある意味堂々としてよくなったことも相乗効果をあげていますよね。

しかしそんな幸せな日々はそんなに続かない。
アンバーに恋人(らしき存在)ができ、エディは軍隊の入隊テストへ向け努力を続け、二人の関係も変容していきます。
さらに、アンバーにある事件が起きてしまう(この作品はミステリではないので、明かしてしまっても問題ないとは思いますが、物語の重要な転換点となるので伏せておきます)。

結果疎遠になってしまった二人が、エディの入隊の日に再会して......
という流れでエンディングを迎えるのですが、うーん、このエンディングには戸惑ってしまいました。
ええっ? ここで終わり?
という感じです。

この後のエディ、アンバー二人の将来を思い描いてみると、ちょっと考え込んでしまうんですよね。
将来の二人に会ってみたい気がします。





製作年:2020年
原 題:DATING AMBER
製作国:アイルランド
監 督:デヴィッド・フレイン
時 間:92分



nice!(12)  コメント(0) 

わたしが消える [日本の作家 さ行]


わたしが消える

わたしが消える

  • 作者: 佐野 広実
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/09/30
  • メディア: 単行本


<帯あらすじ>
元刑事の藤巻は、医師に軽度認知障碍を宣告され、愕然とする。離婚した妻はすでに亡くなっており、大学生の娘にも迷惑はかけられない。ところが、当の娘が藤巻の元を訪れ、実習先の施設にいる老人の身元を突き止めて欲しい、という相談を持ちかけてくる。その老人もまた、認知症で意思の疎通ができなくなっていた。これは、自分に課せられた最後の使命なのではないか。娘の依頼を引き受けた藤巻は、老人の過去に隠された恐るべき真実に近づいていく……。
「松本清張賞」と「江戸川乱歩賞」を受賞した著者が描く、人間の哀切極まる社会派ミステリー!


第66回江戸川乱歩賞受賞作。
2022年3月に読んだ5作目(冊数でいうと6冊目)の本です。
江戸川乱歩賞受賞作を積読するようになったのはいつからだろう、とふと気になりました。

さておき、選考委員の綾辻行人が選評で
序盤の地味な「謎」が、物語の進行とともに厚み・深みを増しながら読み手を引き込んでいく。
と書いている通り、地味な物語です。

タッチとしてはハードボイルド風。
「『最後の仕事』を中途半端なままで投げ出してしまえば、六十一年の人生をこの手で汚すことにもなる。」(187ページ)
命の危険にさらされても、
「多少理不尽なことがあっても目をつむるのが大人でしょ。プライドのために家族を犠牲にするなんて」
という今は亡き妻の言葉を反芻しながらも、こんな感慨で捜査を続行します。

介護施設の門の前に座り込んでいたのを見つかった謎の老人の正体をさぐる、という筋書きですが、非常に手堅い。
この手堅いトーンに、大掛かりな真相をぶち込んだのがミソだと思うのですが、残念ながら計算違いではないかな、と思えました。
大掛かりな真相というのは、とかく非現実的と受け止められやすいものなのに、この手堅い、落ちついたトーンでは、力で読者をねじ伏せるとはいかず、非現実的な印象が逆に強められてしまっています。
この真相はもっともっと劇画調のストーリーに塗りこめる必要があるのではないでしょうか。

また、軽度認知障碍を宣告された主人公という目を引く設定ですが、この設定がミステリ的に意味があるかというとそうでもないのも残念で、こちらの設定は、タイトル「わたしが消える」にこめられた含意を展開してみせる仕掛けに関連してきているのですが、この仕掛けは不発と言わざるを得ないと思っています。
最後の最後、最後の一文に至ってようやく作者の用意した周到なたくらみに気づいた鈍感な読者でして、この技巧にはすごいな、と思ったのですが、同時にこれだともう消えちゃってるよなぁ、と苦笑もしました。

いろいろ残念なところの多い受賞作でしたが、しっかりと安定した作品世界を作っていける作者だと思いますので、今後に期待です。
このところの乱歩賞は往年の輝きを失っているような気がして心配です。


<蛇足1>
「名央大学を出てふたたび中央・総武線に乗り、今度はお茶ノ水で降りた。」(135ページ)
名央大学というのは水道橋駅から5分くらいのところにある設定です。
だとすると、JRの水道橋-御茶ノ水駅は一駅なので、歩いたほうがよいような気がします......余計なお世話ですが。
あと非常に細かく、ある意味どうでもよいようなことなのですが、中央・総武線、という路線はなく、中央線と総武線が重なっている部分が多いのでそう呼ばれているだけですよね。
名央大学までは西国分寺から来たということなので、快速の中央線と各駅の総武線(水道橋駅は快速は止まりません)を乗り継いできたので、中央・総武線という表記でもよいのでしょうが、水道橋-御茶ノ水間は総武線と書くべきでしょうね。

<蛇足2>
「新幹線で福島駅に到着したときには午後九時を回っていて、そのまま駅近くのビジネスホテルに泊まった。ホテルの夕食は終わっているというので、助六寿司は正解だった。」(230ページ)
ビジネスホテルに夕食!? とふと思ったのですが、ビジネスホテルにレストランがついていてもおかしくないなと。
しかし最近はコンビニが発達しているので、この種のことを悩む必要はほとんどなくなりましたよね。





nice!(12)  コメント(0) 

名探偵コナン (4) [コミック 青山剛昌]


名探偵コナン (4) (少年サンデーコミックス)

名探偵コナン (4) (少年サンデーコミックス)

  • 作者: 青山 剛昌
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1995/02/18
  • メディア: コミック

<カバー裏あらすじ>
体は小さくたって頭脳はパワフル
次から次へと起きる謎の事件を名推理で解決するぜ!!
でも黒ずくめの男達の正体を暴いて、
早く元の姿に戻りたいんだ! 蘭のためにもね!!
俺の名前は、小さな名探偵・江戸川コナンだ


名探偵コナン第4巻です。
上で引用したの、あらすじではないですね(笑)。
でも各巻少しずつ変わってきていて楽しいです。


FILE.1 甲冑の騎士
FILE.2 ダイイング・メッセージ
FILE.3 書けないペン
FILE.4 はちあわせた二人組
FILE.5 グリーン車の四人
FILE.6 ラスト10秒の恐怖
FILE.7 暗号表入手!!
FILE.8 暗号解読のABC
FILE.9 答えもうひとつの答
FILE.10 光る魚の正体
の10話収録。

FILE1~3 は廃館寸前の米花美術館で起きた殺人事件で、扱われているのはダイイング・メッセージ。
米花というのは、やはり、ベーカー街からとっているのでしょうね。
ちょっと安直な謎解きに思えますが、最後に漏らす犯人のセリフがいいですね。コナンが少々焦っているような。

FILE4~6でコナンは新幹線で、コナンの体を小さくするきっかけとなった二人組と乗り合わせます。
二人を捕まえることはできず、逆に二人が仕掛けた爆弾を密かに探すことに。
コナンが名探偵であることは周りに伏せているので、周りの目をかいくぐって捜査を進めなければいけないという枷がはまっているのがポイントですね。

FILE7~10は少年探偵団の活躍ですね。
ただ、扱っているのがイタリアの強盗団の一員が残した暗号解読、ということなんですが、こんな暗号、強盗団は残さないし、(成り行きとはいえ)少年探偵団に解かせたりもしないでしょうから、ちょっと厳しい内容ですね。読者として対象としているのがもともとは少年層なので、こういう風にしたのでしょう。
FILE.10 のタイトルになっている光る魚の正体というのは気がきいていますね。カッコいい。

裏表紙側のカバー見返しにある青山剛昌の名探偵図鑑、この4巻はアルセーヌ・ルパンです。



nice!(10)  コメント(0) 

映画:ドント・ウォーリー・ダーリン [映画]

ドント・ウォーリー・ダーリン.jpg


映画「ドント・ウォーリー・ダーリン」の感想です。
「ワン・ダイレクション」のハリー・スタイルズが出演していることで話題ですね。
相手役となる主役はフローレンス・ピュー。こちらも人気のある方で話題ですね。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用してみます。

見どころ:『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』で長編監督デビューを飾った女優オリヴィア・ワイルドがメガホンを取ったスリラー。完璧な生活が保証された街を舞台に、理想の生活を送る女性の周囲で続発する不可解な現象を描く。主人公を『ミッドサマー』などのフローレンス・ピュー、彼女の夫をボーイズグループ「ワン・ダイレクション」のメンバーであるハリー・スタイルズが演じ、『エターナルズ』などのジェンマ・チャン、『スター・トレック』シリーズなどのクリス・パインらのほか、ワイルド監督自身も出演する。

あらすじ:完璧な生活が保証された理想の街ビクトリーで、愛する夫ジャック(ハリー・スタイルズ)と暮らすアリス(フローレンス・ピュー)。この街には「夫は働き、妻は専業主婦でなければならない」「街から勝手に出てはいけない」といったルールが定められていた。あるとき、隣人が見知らぬ男たちに連れ去られるのを見かけて以降、彼女の周りで不可解な出来事が頻発するようになる。精神的に不安定になり周囲から心配されるアリスだったが、あるきっかけから街の存在に疑問を抱き始める。


映画を観る前に(別の映画の上映の際に)予告編を何度か見ていまして、ああ、これは「ステップフォードの妻たち」なのだな、と思っていました。
『ステップフォード・ワイフ』というタイトルで1975年2004年に映画化されているようです。
2004年版の方は、ニコール・キッドマン主演で映画館で観ました。

ネタバレになってしまってはいけないとは思うのですが、その禁をおかして結論をいうと、『ステップフォード・ワイフ』のアップデート版なのだな、という印象でした。

フローレンス・ピューとハリー・スタイルズの美しさ(ハリー・スタイルズって、「ワン・ディレクション」のときは目を惹くものの美しいとは思わなかったのですが、この映画で美しいと感じました)とか描かれる ”完璧な生活” のグロテスクと言いたくなるような美しさや、完璧なところから漂ってくる不穏な雰囲気、怪しげな「本社」など映画そのものは楽しく観ました。面白かったです。
しかし、と文句をつけてしまいますが、ストーリーや映画の建付けは悪かったな、と。『ステップフォード・ワイフ』の方がよくできていると思いました。

まずなにより、人為的に作られる ”完璧な生活” の目的がわからない。
クリス・パイン演じる社長フランクがいて、この人が言ってみれば敵役であることは明白なのですが、この社長の目的がわからない。
さらに、かなりお金のかかる "事業" だと思われる一方で、まったく収益源がない。
これだとそもそもの世界観が成り立たないです。

またジェンマ・チャン演じるその妻シェリーはもっと謎で、ラストでかなり唐突と思われる行動をとるのですが、作中の設定ではその行動をとると自分も死んでしまうのではなかったでしょうか?

何も知らずに巻き込まれているフローレンス・ピュー演じるアリスとハリー・スタイルズ演じるジャックの夫婦の物語はそれなりに作り込まれていて、また隣人であるオリヴィア・ワイルド演じるバニーの事情も「ああ、そういうこともあるだろうな」と響くものがあるというのに、大元の設定が理解を超えてしまっていて残念でした。

構成の難には目をつむり、演じる俳優陣のキラキラぶりと舞台の(落ち着かない)美しさを楽しむ映画、というところでしょうか。



製作年:2022年
原 題:DON'T WORRY DARLING
製作国:アメリカ
監 督:オリヴィア・ワイルド
時 間:123分




nice!(11)  コメント(0) 

ナイトメア・アリー 悪夢小路 [海外の作家 か行]


ナイトメア・アリー 悪夢小路 (海外文庫)

ナイトメア・アリー 悪夢小路 (海外文庫)

  • 作者:ウィリアム・リンゼイ・グレシャム
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2020/09/25
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
スタン・カーライルは、カーニヴァルの巡回ショーで働くしがないマジシャンだ。だが彼には野心があった。いつの日か華々しい成功と大金を掴んでみせる。同じ一座の占星術師ジーナと関係をもち、読心術の秘技を記したノートを手に入れたスタンは、若く美しいモリーと組んでヴォードヴィルへの進出を果たすが……タロットの示す運命とファム・ファタールに導かれて、栄光と絶望の果てに男がたどり着く衝撃のラストとは。特異な世界観で魅了する闇色のカルト・ノワール、登場!


ギレルモ・デル・トロ監督により映画化されたノワール、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの「ナイトメア・アリー 悪夢小路」 (扶桑社ミステリー)です。
映画を観る前に原作を読んでおきたいと思って購入しました。
映画の感想はこちら

読んでみてあらためてわかったことは、ノワール、苦手だということです。
苦手といいましたが、物語にはすっかり引き込まれて読みました。この点は強調しておかないとフェアではないですね。

ビザールな犯罪小説
狂気めいた奔放な文章が乱舞する作品でありながら、本書は因縁めいた美しくシンプルなプロットを持っていたことが最終的に判明する……もっともその美しさは、底なしの恐怖を秘めたものではあるけれども。

帯に霜月蒼さんによる解説から抜き書きがされているのですが、この「シンプルなプロット」というのにどうしてもひっかかるんですよね。
乱暴に要約してしまうと、超能力、神秘的な力に見せかけた詐欺がメインの物語で、主人公スタン・カーライルがファム・ファタールと出会って堕ちていく、という展開なのですが、逆にシンプルすぎるように思ってしまいます。

ノワール自体に詳しくないので見当はずれなことを言っている可能性大ではありますが、個人的にはミステリーの文脈やその流れとしてのノワールという文脈でこの作品を捉えることがよいことなのかどうか、疑問に思っています。
確かに扱われている題材は詐欺ですし、破滅へ向けて運命に?からめとられていく主人公の姿を描いてノワールともいえると思いますが、そしてこの作品と共通するようなプロットを持つ作品がこのあと山のように発表されているのですが、この作品をその文脈に据えるとどうもおさまりが悪い気がしてなりません。

本書の位置づけというのは解説でも触れられていますが、この解説はいろいろと示唆に富んでとても勉強になりました。
「ときにノワール小説は、サイコ・スリラーに接近する。どちらも犯罪/暴力へと人間を駆り立てる無意識の衝動を描く小説だからである。大雑把には、秩序の側に立って非理性を外側から描けばサイコ・スリラーに寄り、非理性を主人公として内側から描けばノワールに近づくと言えるだろうか。いずれにせよノワールは、理性のくびきを脱しようとする非理性の物語であり、ゆえに理性的な叙述を脱した奇怪な語りをしばしば要請する。」
この解説、しびれます。
苦手な理由もなんとなくわかったような気がします。
ミステリーとノワールは近接するジャンルではあるけれども、近接するがゆえにクロスオーバーする作品もあろうかと思いますが、根っこのところでは別物なのでは、と読みました。
おそらく本書は、ノワールの中でも、ミステリーから遠い方のノワールなのだと思います。

蛇足としかいいようのないコメントですが、あくまで本書をミステリとしてみると、不満があります。
作中に、ガラスケースの中の精密天秤を動かして見せるシーンがあり、このことによって大物実業家の信を得るのですが、どうやって動かしたのか、最後まで明かされません。
おおいに不満。
それまでの数々のトリックはあっさり説明されるのに、物語の重要なポイントとなる詐術が暴かれないのはあんまりではないでしょうか。
この点からもミステリーという文脈で捉えるべきではないとも言えそうです。



<蛇足>
「ちょうど足の爪の手入れが必要だから、あなたにマニキュアを塗ってもらうわ。」(337ページ)
手の爪に塗るのがマニキュア、足の爪に塗るのはペディキュアだと思っていたのですが......


原題:Nightmare Alley
作者:WIlliam Lindsay Gresham
刊行:1946年
訳者:矢口誠


本書は、ハヤカワミステリ文庫からも邦訳が出ていますので、そちらの書影も。

ナイトメア・アリー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ナイトメア・アリー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2022/01/26
  • メディア: 文庫




nice!(9)  コメント(0) 

エラリー・クイーンの新冒険 [海外の作家 エラリー・クイーン]


エラリー・クイーンの新冒険【新訳版】 (創元推理文庫)

エラリー・クイーンの新冒険【新訳版】 (創元推理文庫)

  • 作者: エラリー・クイーン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2020/07/22
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
人里離れた荒野に建つ巨大な屋敷が、一夜にして忽然と消失するという不可解極まる謎と名探偵エラリーによる解明を鮮烈に描き、クイーンの中短編でも随一の傑作と評される名品「神の灯」を巻頭に掲げた、巨匠の第二短編集。そのほかにも野球、競馬、ボクシング、アメリカンフットボールが題材のスポーツ連作など、これぞ本格ミステリ! と読者をうならせる逸品ぞろいの全9編収録。


2022年3月に読んだ3作目(4冊目)の本です。
「エラリー・クイーンの冒険」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)に続くエラリー・クイーンの第二短編集で、創元推理文庫で続いている中村有希さんによる新訳です。

今回も帯に推薦コピーがついています。
「エラリーの名推理のつるべ打ち。謎解き小説の醍醐味がこの一冊に。」有栖川有栖
「この推理は100年後も色あせない。」青崎有吾


9編収録ですが、3つのパートに分けられています。
「神の灯」
新たなる冒険
「宝捜しの冒険」
「がらんどう竜の冒険」
「暗黒の家の冒険」
「血をふく肖像画の冒険」
エラリー・クイーンの異色なスポーツ・ミステリ連作
「人間が犬を嚙む」
「大穴」
「正気にかえる」
「トロイの木馬」

巻頭の中編「神の灯」は、名作という名をほしいままにする名作中の名作ですね。タイトルに引っ掛けて言うと、まさに神々しい傑作。
もっと露骨に手がかりを撒いてもよかったんじゃないかな、というのは後知恵にすぎないでしょう。

まったくの余談ですが「神の灯」というタイトル、なんと読むのだろう、と思っていました(爆)。
「ともしび」? 「あかり」? あるいは「ひ」?
勝手に「ともしび」と読んでいたのですが、どうやら正解だったようです。
109ページにエラリー・クイーンのセリフがあります。
「神の手?」「いや、手じゃない。この事件が解決するとすれば、それを解いてくれる鍵は……灯(ともしび)です」
いや、ルビが振ってあってよかった。

続く ”新たなる冒険” と題された四編はタイトルのつけ方といい、「エラリー・クイーンの冒険」 (創元推理文庫)の正統派の続編ですね。
「宝捜しの冒険」は真珠の紛失事件(盗難事件?)の捜査に、宝探しゲームを絡めたもの。
「がらんどう竜の冒険」は、ドアストッパー(!)が盗まれ、裕福な日本人が姿を消した事件です。手がかりが物理的なものであることが面白かったですね。
「暗黒の家の冒険」にはエラリー・クイーンの家族の一員ともいえるジューナが登場。遊園地ジョイランドのアトラクション暗黒の家を舞台にした殺人事件を扱っています。
真っ暗闇の中での射殺という面白い謎で、目のつけどころはさすがなのですが、手がかりも犯人の正体も、残念ながら期待外れ。当時としては目新しかったのかもしれませんが。
「血をふく肖像画の冒険」はタイトル通り、血を流す肖像画が出てきます。おどろおどろしい怪談にもなりそうな素材ですが、あくまでカラッと理知的なストーリーが展開するところがクイーンらしい。

”エラリー・クイーンの異色なスポーツ・ミステリ連作”と銘打った連作は、スポーツを題材にとっています。
「人間が犬を嚙む」は野球。野球観戦中に起こった元投手の死。ラストで、クイーン警視が息子エラリーに背負い投げを食らわせるのがおもしろい。まあでも、エラリーは試合に夢中で、事件なんかそっちのけだったかもですが。
「大穴」は競馬。結構込み入った展開をするストーリーなのですが、軽快に読めるように仕上がっています。軽いロマンスが盛り込まれているのもエラリー・クイーンには珍しいですし、競馬ならではのラストが楽しい。
「正気にかえる」はボクシング。エラリーのコートが盗まれるというハプニング?から、殺人事件の謎を解き明かすのですが、なかなか印象的なトリック(と呼んでよいと思います)が使われています。
「トロイの木馬」はアメリカン・フットボール。試合中に十一個のすばらしいサファイアが盗まれるという事件なのですが、さすがにこの隠し場所は無理がありますよね......

神々しいまでの「神の灯」との対比として、”エラリー・クイーンの異色なスポーツ・ミステリ連作” は言うまでもなく、”新たなる冒険” の諸作も非常に俗っぽいのがポイントなのかも。

創元推理文庫のエラリー・クイーン新訳、次はなんでしょうね?
どれであっても、楽しみです。


<蛇足1>
「おまけにメインディッシュは羊肉のカレー料理だった。何が嫌いといって、エラリーは羊の肉が大嫌いなのである。おまけに何の料理が嫌いといって、カレー料理ほど胸の悪くなるものはなかった。」(50ページ)
おやおや、エラリー・クイーンは、羊肉やカレーが嫌いだったんですね。
好き嫌いなく食べなきゃダメだよ(笑)。

<蛇足2>
「我が国ではもう何年も前から金貨の所有が法律で禁じられているんですよ。せっかく見つけたところで、おかみに没収されるだけでしょう」(59ページ)
当時のアメリカにはこんな法律があったのですね。

<蛇足3>
「このがっちりした建築物が土台の上で、軸にのっかったおもちゃの家のようにくるっと半回転したなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことが起きるわけがない。」(122ページ)
さすがにエラリー・クイーン(作者)も、まさか遠く離れた東洋の島国で、そんな"馬鹿馬鹿しい"トリックを使ったミステリが紡がれることになろうとは予想だにしなかったのでしょうね(笑)。

<蛇足4>
「匂いまで外国の匂いがするんですよ」「あのまとわりつく、甘ったるい匂い……」(193ページ)
日本人が住む屋敷の印象を説明するところなのですが、甘ったるい匂いって、何を指しているのでしょうね?
お香なのでしょうか? でもお香だと、甘ったるい、とは言わないような気がします。

<蛇足5>
「心理学者でも、東洋人の頭の中の精神の動きかたには面食らうばかりでしょう。」(215ページ)
被害者である老日本人のことを指して言っていますが、ひどい言われようですね(笑)。

<蛇足6>
「上着を脱ぎ、アップルジャックのハイボールを受け取って」(275ページ)
ハイボールとは、ウィスキーのソーダ割のことなのですが、ウィスキー以外でもハイボールというのですね。
アップルジャックには「植民地時代に普及したリンゴ酒」と説明がついています。

<蛇足7>
「まったくこの花粉症ってやつ、なんとかならんのか!」(331ページ)
花粉症!
この頃からアメリカでは一般的だったのでしょうか?




原題:The New Adventures of Ellery Queen
作者:Ellery Queen
刊行:1940年
訳者:中村有希



nice!(8)  コメント(0)