メフィストの牢獄 [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
カナダ、アメリカ両国でスコットランド系の男が拉致され、拷問ののち殺害される事件が発生。謎の「秘宝」の行方を追う犯人“メフィスト”は、ついにカナダ騎馬警察の一員を誘拐、秘宝探索に手を貸すよう要求してきた。「秘宝」と古代巨石文明を結ぶ接点とは? シリーズ最凶の敵が登場、“カナダのディーヴァー”の最新長篇。
2024年8月に読んだ6冊目の本です。
マイケル・スレイド「メフィストの牢獄」 (文春文庫)。
『ヘッド・ハンター』上・ 下 (創元推理文庫)(HeadHunter、大島豊訳)
『グール』上・下 (創元推理文庫)(Ghoul、大島豊訳)
『カットスロート 』上・ 下 (創元推理文庫)(Cutthroat、大島豊訳)
『髑髏島の惨劇』(文春文庫)(Ripper、夏来健次訳)
『暗黒大陸の悪霊』(文春文庫)(Evil Eye、夏来健次訳)
『斬首人の復讐』(文春文庫)(Primal Scream、夏来健次訳)
として続いてきたカナダ騎馬警察<スペシャルX>シリーズ第7作。
(余談ですが、品切れ状態の書籍でもいままでamazonのアフィリエイトリンクはあったのですが、今回検索してみて、リンクそのものが検索で出てこないものがあるのですね......
<スペシャルX>シリーズは、
「このシリーズの特徴は、その過剰さにある。」
と解説で古山裕樹が指摘し、
「殺人や拷問の場面が、きわめて入念に描かれる。
連続殺人鬼が、あっという間に死体の山を築き上げる。
きわめて意外な結末へと、強引に読者を引きずっていく。
物語のバランスを崩しかねない勢いで、背景の知識を大量に詰め込む。」
と4点整理されています。この整理、とてもいいですね。
その点で今回の「メフィストの牢獄」はシリーズの中では異色作でして、整理された4点のうち、2点目と3点目が当てはまりません。
実はスレイドの作品はこれまで邦訳されたものは全作読んでいるのですが、いずれも「読みにくいな」と感じながら読んでいました。
この「メフィストの牢獄」も同様。
読みにくさの主因は、過剰さ──古山裕樹の整理の第4点です。
犯人である謎秘数徒(メフィスト)はスコットランドを中心とした(?) 環状列石(ストーン・サークル)を作り上げた文明に執着し、アトランティスが実在したと妄信しているという設定なのですが、その思想的背景であることは理解するものの、紀元二九七年のローマとか紀元三〇六年のローマ領ブリタニアとか一六九二年のスコットランド北部高地のエピソードとか、必要?(笑)
捜査する<スペシャルX>側でもこういう脇筋エピソードは山盛りで、たとえば、メフィストをモリアーティに譬えるのはわかるとしても、長々とホームズの話が出てきますし、誇大妄想狂の犯罪者が企む犯罪の例ととしてカルト宗教に話が流れれば延々とカルト宗教が起こした犯罪が紹介されます(その中で日本のオウム真理教についても411ページから約2ページ書き込まれています)。
この誇大妄想狂と思われるメフィストがどういう犯罪を企んでいるのかというディクラークの懸念に呼応するように、メフィストの真の狙い、究極の狙いも描かれます。(当然ですが色を変えておきます)
「今ほどみずからの雄々しさと力を強く感じたことはない。はるか昔に悪魔に魂を売り、智と力と富と色を約束されたメフィストは今、富はとうに身辺に高く積みあげ、色はまたとない女をこうして目の前にはべらせ、そしてこのパンドラの箱により、数十億の民を淘汰する力までも手に入れた。あとはこの恐るべき力をいつ使えばよいかという<智>も、この銀の髑髏に彫りこまれている秘密を読み解けば得られるのだ。」(545ページ)
とまとめられているものの、可笑しいのは、メフィストが探し求めていた ”秘宝” と、この狙いには言うほどの関連がなさそうなことです。
正直長々と物語を進めておいて、これ!? と笑ってしまいました。
さらにラストでディクラークがするメフィストの正体に関する考察が本当なら、もっともっと根幹部分で、これ!?と言いたくなるような。
でもね、楽しいんですよ。
入念に描かれる殺人や拷問の場面は苦手なのですが、この無駄てんこ盛りの過剰さこそが、スレイドの作品を読む楽しさなんだと思うんですよね。
その意味では、堪能しました。
シリーズはこのあと本国では何冊も出ているようですが、邦訳はこの「メフィストの牢獄」が2007年10月に出た以降途絶えています。
どうでしょう? 文藝春秋さん、そろそろ続編を!
<蛇足1>
「ここでの警察の仕事は、島の住民が玄関に鍵をかけなくてもいいようにたもつこと。都会の警官のように、ゴミ箱の蓋の上に尻を載せて悪臭が街にあふれないように努めると言ったような、無駄な仕事をする必要はありません。」(70ページ)
ニック・クレイヴンがディクラークにガルフ諸島での警察の仕事を説明する場面です。
都会の警察って、こんなことをしているのですか!?
<蛇足2>
「殺したのは一人のアメリカ人。
殺されたのはイギリス人所有の一頭の豚。
その出来事を引金に、大英帝国と合衆国の間で戦争が勃発しかけた。
世にいう豚戦争(ピッグ・ウォー)だ。」(142ページ)
こんな出来事で両国間が緊張し、1872年にドイツ皇帝の仲裁で国境が画定するまで13年間もサンファン島の領有が宙ぶらりんの状態になっていたのですね。
<蛇足3>
「ビルマ種の牝馬の一頭を一九六九年にエリザベス女王に献納したこともあるのよ。女王は騎馬警察の名誉警視総監だったから。誕生祭騎兵行進(トゥルーピング・カラー)で女王ご自身が騎(の)られたのよ」(277ページ)
トゥルーピング・カラー(通常は、トゥルーピング・ザ・カラーと冠詞が入ると思います。TROOPING THE COLOUR)に、誕生祭騎兵行進という訳語があてられていますね。
女王(現在は王ですが)の公式誕生日に行われる閲兵式ですね。実際の誕生日とは異なり6月に開催されます。
閲兵式なので、騎兵だけではなく、歩兵も砲兵も行進しますし、戦闘機も上空を飛びます。
かなりの長時間になりますが、老齢の女王陛下が閲兵台の上で直立不動で見守っておられたのを記憶しています。
<蛇足4>
「──『人の弱点を見つけるのに馬ほど役に立つものはない』ってことになるのよ」
「人の弱点を見つけるのに胸の大きい美女ほど役に立つものはない、ともいえそうね(280ページ)
この直前に語られるエピソードが笑えます。なるほど。
<蛇足5>
「連続殺人犯の犯行のスタイルは、およそ四種類に大別されます。自分の住居を拠点とし、そこの外延地域へ狩りに出かける狩猟家(ハンター)タイプ。自分の住居以外の場所を拠点とし、そこの外延地域へ狩りに出かける密猟家(ポーチャー)タイプ──ただしこの対応には住居から遠い地域へ通勤(コミュート)するケースもあります。狩りには関係ない行動をしていながら、その最中に偶然遭遇した獲物を犠牲者に選ぶ流し漁(トロール)タイプ。なんらかの仕事をしながら、あるいはなんらかの状況を作りだしながら、蜘蛛の巣を張るように獲物がかかるのを待っている網張り(トラッパー)タイプ。女性の連続殺人犯は多くの場合このトラッパーに属します」
「では、犯行方法で類別すると?」
「遭遇した瞬間に襲いかかる猛禽(ラプター)タイプ、あとをつけてから襲う追跡者(ストーカー)タイプ、自分の拠点に獲物が近づいたとき襲う待ち伏せ(アンブッシャー)タイプの三種類あります」(295~296ページ)
地理的プロファイリングについて説明されている場面の一部です。
おもしろい考え方ですね。
<蛇足6>
「ありがとうございます」とボンドはいった。「FBIを見返してやります」
「まあ落ちついて」とディクラーク。「仕返しという料理は、冷めたころに出すのがちょうどいいものです」(372ページ)
なかなか含蓄深いセリフですね。
<蛇足7>
「天然痘ワクチンの効果は約十年持続するが、接種は一九七一年以降行われていないし、その以前に接種した人々もすでに免疫を失っている。」(433ページ)
「七九年十月にWHO世界保健機構が天然痘根絶を公式に宣言した」(429ページ)のですが、ワクチン恩効果も消え失せているのですね......
<蛇足8>
「ニュー・カレドニア、とはなにか?
すなおに考えれば、新しいスコットランドということになる。
カレドニアとはスコットランドを意味する古語だから。」(453ページ)
昔どこかで読んだことがありますが、すっかり忘れていました。
<蛇足9>
「一八五八年、すなわちカラム・キャンベルが二人の息子をつれてスコットランドを発った年の翌年、あるいはアメリカとのあいだに豚戦争が勃発した年の前年、サイモン・フレイザーがニュー・カレドニアと名づけた一帯が王室直轄植民地となり、ブリティッシュ・コロンビアと改名された──ときの英国王ヴィクトリア女王その人を示唆する地名だ。」(455ページ)
”ブリティッシュ・コロンビア”がヴィクトリア女王その人を示唆するものとは思えないのですが......
<蛇足10>
「どちらの店も繁華街にあって利用者が多く、コーヒーを啜りながらネット遊弋を楽しむ者たちでごった返していた。」(462ページ)
遊弋(ゆうよく)という語は知りませんでした。
船に関連する用語なのですね。
ネットサーフィンにせよ遊弋にせよ、海に関する語なのが面白いです。
<蛇足11>
「ちがうでしょ。男女差別というのは男が女を差別するときにいうの。」(479ページ)
衝撃のセリフです。
この発言こそ男女差別のように思えますが......
<蛇足12>
「地球上の総人口が十億に達するまでに百万年を要した。紀元一八〇〇年ごろに十億、一九三〇年代に二十億、六〇年代に三十億、一九七五年に四十億、八七年に五十億、そして現在はそれよりもさらに約十億人増加している。」(544ページ)
あちこちで言われている人口爆発ですね。
この本が書かれたのが1999年。
今年、「世界人口デー」の7月11日に国連が発表した世界人口の推計によると、世界人口は、ことしおよそ82億人(!)だそうです。
<蛇足13>
「こしうた流れのままなら」(414ページ)
”こうした”の誤植でしょうね。
「下着のモデル化と思えるような官能的な容姿をしている。」(490ページ)
こちらは、”モデルかと”の誤変換ですね。
原題:Burnt Bones
著者:Michael Slade
刊行:1999年
訳者:夏来健次
太陽の下、三死体 [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
海水浴客でごった返す南仏の避暑地カシス。ヌーディスト村やカジノで賑うこの小さな街で、三件の連続殺人事件が発生した。照りつける太陽の下、捜査の指揮をとるのは28歳の女性警視ミュリエル。彼女に思いをよせる医学生ピエール、被害者の共通の愛人だったソランジュらの協力で、事件は解決するかと思われたが・・・・・太陽と海の香りに満ちた本格ミステリー。フランス推理小説大賞受賞作。
2024年7月に読んだ 4作目(5冊目)の本です。
ジャック・サドゥール「太陽の下、三死体」 (新潮文庫)。
積読本サルベージです。
奥付をみると昭和六三年九月。36年前ですか...
タイトルどおり、陽光溢れる南仏で三連続殺人が起きる。
その捜査を若いミリュエル・ルダイヨン警視が行う。
彼女は捜査過程で知り合った医学生ピエールと恋仲に。また被害者たちの共通の愛人(!) だったソランジュと友情をはぐくむようになる。
物語は犯人の視点(ただし最初のうち誰かは読者にわからないようになっています。途中でわかります)のシーンを折々はさみ、ミリュエルの捜査を追って進んでいきます。
ミリュエルの行動も、なんかフランスっぽい(←偏見ですよね、これ)。
第一部から第三部まで犯人の計画通り3人が殺され、ミリュエルの捜査が行き詰ったところで最後の第四部となります。
第四部で驚いてしまいました。
これもツイストと呼ぶのでしょうか?
これ、ミステリとしてのサプライズではないですね。それでもとても楽しく読めました。
こういうひねり、先例はあるように思いますが(これだと作品名を挙げることができません。記憶力が......)、個人的にはサプライズとなりました。
この作品で、事件を捜査するミリュエルを物語の中心に据えている作者は、とてもいじわるですね。
まあ、でも、ミリュエルは幸せになりそうだから、いいか。
一風変わったミステリがお好きな方、どうぞ(と言いながら絶版品切ですが)。
<蛇足1>
「ピエールは立ち止まって、眼下にひろがる入り江の峡湾(フィヨルド)を指さした。」(34ページ)
フィヨルドというと氷河によって作られる地形です。南仏にフィヨルド? と思いましたが、アルプスも近く、フィヨルドがあってもおかしくないですね。
<蛇足2>
「笑止の沙汰だ。だれがぼくを殺そうというんだ?」(126ページ)
「笑止の沙汰」という言い回し、初めて出会った気がしますが、一般的な使われ方のようですね。
原題:Trois Morts au Soleil
作者:Jacques Sdoul
刊行:1986年
訳者:長島良三
タグ:ジャック・サドゥール
磔刑の木馬 [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
回転木馬に磔にされた男。散乱する金貨の中で殺された娘。射殺されたドイツ軍伍長。ナチ占領下パリの連続殺人に挑むはフランス人警部サンシールとゲシュタポ捜査官コーラー。占領軍は伍長の死の代償にパリ市民27名の処刑を決定。彼らの生命を救うため、二人は真犯人を見つけねばならない──好評のシリーズ第二弾。
2023年12月に読んだ最初の本です。
J.ロバート・ジェインズの「磔刑の木馬」 (文春文庫)。
例によって長らくの積読から引っ張り出してきた本で、奥付は2002年6月。
「虜囚の都──巴里一九四二」 (文春文庫)に続くシリーズ第2弾です。
ナチス占領下のパリを舞台に、フランス国家治安警察のフランス人刑事サンシールが、ゲシュタボの捜査官コーラーと組んで事件の捜査に当たる、という枠組みの作品です。
「虜囚の都──巴里一九四二」 (文春文庫)がなかなか面白かったので第2作の本書も購入したのですが、舞台設定が設定だけに重苦しい内容で、なかなか手に取らないうちに、積読の山に埋もれてしまいました。
占領サイドのドイツといっても、軍、ゲシュタボ、SSとさまざまな組織があり、占領されるサイドのフランスも普通の(?) フランス人に、レジスタンスに、ギャングに、とさまざま。
いろいろと思惑が入り乱れる状況です。
ゲシュタボと組んでいる、というだけで捜査はやりにくくなったりしますし、捜査を命ずる上役たちにもそれぞれの思惑があって状況を複雑にしていきます。
解説で関口苑生が書いているように
「場面場面のディテールは詳細に描かれるのだが、物語の繋がり、ブリッジの部分が実に大雑把──といって悪ければ、前後の脈絡を無視したような形で展開されていく」
ので、話の筋が掴みづらく、読むのに時間がかかってしまいました。
引用したあらすじにもあるように、「回転木馬に磔にされた男。散乱する金貨の中で殺された娘。射殺されたドイツ軍伍長」と3つの殺人事件があるのですが、それぞれたどるべき筋がたくさんあるという感じで、相互につながりがあるのかないのかもわからない(まあミステリなんで繋がるはずなんですが)。
掴みにくかった物語の姿が、サンシールの謎解きによって見えてきます。
殺人事件そのもの以外にも、いくつもの物語の要素が絡み合っていて複雑なプロットが浮かび上がってきます。
振り返ってみれば、事件の構図とプロットの複雑さに落差があるようにも思われ、この部分が本書の魅力なのかもしれません。
第3作「万華鏡の迷宮」 (文春文庫)まで訳されていたのですが、買えずじまいで絶版ですね。
読んでみたいな、と思いましたが、残念。
復刊は......難しいでしょうね。
原題:Carousel
著者:J. Robert Janes
刊行:1993年
訳者:石田善彦
タグ:J.ロバート・ジェインズ
判事とペテン師 [海外の作家 さ行]
<カバー袖あらすじ>
謹厳な判事と敬虔な牧師。尊敬すべき二人の共通点は、なんと〈競馬〉だった! さらに、判事の息子は決して誇れることのない悪行を生業としていた……。
自身も法廷弁護士、そして判事という職歴を持つ法廷ミステリの名手セシルが、法知識をふんだんに盛り込みながらもユーモラスに綴る、判事とペテン師の親子二代記。
2023年8月に読んだ8冊目、最後の本です。
ヘンリー・セシルの「判事とペテン師」 (論創海外ミステリ)。
単行本です。論創海外ミステリ36
ヘンリー・セシルは昔「メルトン先生の犯罪学演習」(創元推理文庫)を読んだことがあります。
「メルトン先生の犯罪学演習」は、ローマ法と法理学の権威メルトン教授が、列車から飛び降りた際に転んで頭を打ったことがきっかけで、法の間隙を縫うあの手この手を連続抗議していくという連作長編(以上、「判事とペテン師」巻頭の「読書の栞」から引用)で、馬鹿馬鹿しくて楽しめた記憶。
この「判事とペテン師」は、引用したあらすじにもある通り、判事とペテン師の親子二代記です。
この二人の苗字がペインズウィック。
原題 "The Painswick Line" は、ペインズウィック家を代々貫く流れ、あたりの意味でしょうか。
最後のセリフはこのタイトルを踏まえたものですね。
判事の息子がペテン師とは、まさに不肖の息子。
なので絶縁、没交渉──というわけではなく、なにくれと気にしているというのがポイントです。
なにしろ、息子のために金を用意しなくては、と職権を利用して(?)、競馬必勝法を入手しようとするのが物語のスタートですから。
その後の展開から、これはミステリとは言い難い作品であることがわかりましたが、それでもユーモラスで面白かった。
楽しんで読めました。
あのメルトン先生もゲスト出演していましたよ。
ヘンリー・セシルの作品はハヤカワや創元のものは絶版で、ほかには「判事とペテン師」のあと論創ミステリから「サーズビイ君奮闘す」 (論創海外ミステリ)が出版されているだけのようです。
まずは復刊をお願いしたいですね。
原題:The Painswick Line
作者:Henry Cecil
刊行:1951年
翻訳:中村美穂
メアリー-ケイト [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
毒を盛ったから、あなた十時間後に死ぬわ──バーで飲んでいたジャックは、隣の席に座った美女の言葉に耳を疑った。さらに、解毒剤がほしければいうことをきけと言い、奇妙奇天烈な要求をしてくる。片時も離れず、女がトイレに行く時も一緒についてこいというのだ。やがてムラムラしたジャックは彼女に襲いかかってしまう。そんな馬鹿なことをしている間に悲劇は着々と進行し……予測不可能なタイムリミット・サスペンス。
空港のバーで隣に座ったブロンドの美女ケリーに
「毒を盛ったから、あなた十時間後に死ぬわ」
と言われてしまったジャック。
開巻早々のこの場面で、つかみはOK。
なんだそれ、という感じではありますが、もう一つ、SF的な発想の、これまたとんでもないアイデアが(一応伏せておきます)盛り込まれていまして、ぶっ飛んだ設定で、悲劇のジャックはもとよりこちらを振り回してくれます。
ひょっとしてAIDSにインスピレーションを受けたのかな? という感じも受けたのですが、原著が2006年ということなので、それはないですね。
このジャック視点に加えて、国土安全保障省の諜報組織CI−6に所属する工作員コワルスキーの視点でも物語が語られます。
こちらは、どうやらケリーを追えという指示を受けているよう。SF的設定の方と関連があるらしいことが想像できます。
このコワルスキーという人物、平気で殺人も犯すというか任務として殺人も行っているという設定でして、ジャックから見た時の敵か味方ががわからず、まさにサスペンス(宙づり)状態でものがたりが進んでいきます。
関係者が増え、謎が増え、物語の拡がりが感じられても、ジャックは窮地からなかなか抜け出せず、というか、いよいよ深みにはまっていく一方で、タイムリミット・サスペンスとしての緊迫感がすごい。
この物語はどうなってしまうのだろう、どこに着地するのだろう、と不安にもなるのですが、エンターテイメントとして見事なエンディングを迎えます。
ドゥエイン・スウィアジンスキーの作品はいくつか訳されているので、もっと読んでみたいですね。
<蛇足>
「六十から七十パウンドの体重の子供のための、組みこみ式のブースターシートがあった。」(63ページ)
チャイルドシートとは違う、ブースターシートというのがあるのですね。
重さの単位の Pound は日本語では普通ポンドと表記されると思いますが、ここでは発音に忠実にパウンドと書かれていますね。1ポンドは 453.592g らしいです。
アメリカも早くメートル法にしましょう!
原題:The Blonde
作者:Duane Swierczynski
刊行:2006年
翻訳:公手成幸
死の味 [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
教会の聖具室で血溜まりの中に横たわる二つの死体は、喉を切り裂かれた浮浪者ハリーと元国務大臣のポール・ベロウン卿だった。二人の取り合わせも奇妙だが、死の直前の卿の行動も不可解だった。突然の辞表提出、教会に宿を求めたこと……卿は一体何を考えていたのか? 彼の生前の行動を探るため、ダルグリッシュ警視長は名門ベロウン家に足を踏み入れる。重厚な筆致で人間心理を巧みに描く、英国推理作家協会賞受賞作。<上巻>
不可解なのはポール卿の行動だけではなかった。前妻の事故死、母親を世話していた看護婦の自殺、家政婦の溺死……彼の周辺では過去に謎の怪死事件が続いていた。ふたたび捜査線上に浮かびあがってきたこれらの事件に、今回の事件を解決する鍵があるのか? それぞれに何かいわくありげなベロウン家の人々の複雑な人間関係から、ダルグリッシュ警視長が導きだした推理とは? 緻密な構成が冴える、英国本格派渾身の力作。<下巻>
2022年2月に読んだ5作目の本です。
P・D・ジェイムズの感想を書くのは初めてですね。
手元の記録をみると、2010年(!)に「わが職業は死」(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んで以来。
例によって長年の積読だったのですが、今般2022年2月に新版が出た、ということで、積読から引っ張り出して読みました。新しい書影も末尾に掲げておきます。
英国推理作家協会賞のシルヴァー・ダガー受賞作。
いや、もう、たっぷりジェイムズ節ですよ。
悠々たる雄編という下手な駄洒落しか出てきませんが、まさに堂々たる風格。
たっぷりとじっくりと、そしてじっくりとたっぷりと、これでもかというくらいに、微に入り細を穿ち、細かく細かく、書き込まれていきます。
建物の外観、部屋の様子、調度品、登場人物たちの衣装に至るまで、作者の筆は事細かにつづっていきます。
これらの中から登場人物が立ち上がってくる、という仕掛けです。
若いころ、そうですね、高校生や大学生の頃だったら途中で投げ出していたかもしれないほどの濃密さ。
被害者は浮浪者と、国務大臣を辞任したばかりの貴族。
執拗と言ってもいい描写から浮かび上がる人間関係。
こういう作品は、トリックだとかストーリー展開を過度に期待してはいけませんね。(あくまで過度に期待は禁物ということであって、ストーリーやプロットはまずまず凝っています。)
幸い(歳を取ったおかげか)楽しく読みましたが、ちょっと日本人向きではないテーマかな、とも思いました。
というのも、宗教(観)が絡むからです。
タイトルもそうですね。
A Taste for Death
「死の味」と訳されていますが、単語としては簡単ながら、いろいろと解釈できるフレーズです。
巻頭のエピグラフ
「血と息を、人はこう言う、/死に惹かれる心を呼び起こす、と。」(A・E・ハウスマン)
では、「死に惹かれる心」と訳されています。
Tasteは 味、であり、味わい、であり、嗜好あるいは選好、です。
テーマが手強かったのでしょうか、シルヴァー・ダガー受賞作とはいっても、ミステリとしての建付けは今一つ。
数多の描写、装飾を取り払ってみると、被害者も犯人も、果ては捜査側である刑事まで、このテーマの周りをぐるぐると回っていた印象。これら登場人物たちは、テーマのための描写だったのかもしれません。
この後の何作かも、絶賛積読中。
いずれ読みたいですね。
<蛇足1>
「ダルグリッシュはスーツケースをオフィスに置いて、荒模様の秋の朝に備えてツイードのコートを着込み、セント・ジェイムズ駅を抜けて省舎に向かった。」(上巻39ページ)
1986年刊行の作品ですから、この時ダルグリッシュのいるスコットランドヤードは未だ現在の場所に移転する前ですね。
しかし駅名はセント・ジェイムズパーク駅です。”パーク”はどこにいったのでしょう?
<蛇足2>
「マトロックの後ろから、古い厩とガレージに入る二番目のドアを通った。」(上巻220ページ)
原文だと Mews だろうと思われ、確かに厩。
でも今や厩として使っていることはなく、普通に改造して人が住んでいます。〇〇 Mews という地名や物件名はあちこちにあります。
この作品でも、使用人が住んでいます。したがって、ここは厩と訳すべきではないように思いますが、かといって、では何と訳すのか? となると難しい。厩を改装した建物あるいは元厩では締まらないですしねぇ。
<蛇足3>
「法曹界は今もって特権階級に独占され、労働者階級の子弟が法曹学院のテーブルで夕食をとる身分になることはめったにない。」(上巻223ページ)
こういうことがさらっと書かれるのだから、イギリスはすごいですね。
<蛇足4>
「運の悪いロブスターを、生きながら煮湯に落とすのと、店の敷地内で客が溺死するのとでは、話がまったく別ということらしいですね。ロブスターが何も感じないなんて、どうして言えますか?」(上巻344ページ)
今では、ここで書かれているような”残虐な料理法”は禁止される国が相応数ありますよね......
<蛇足5>
「その時には支払はすでにすませていたんでしょうね」
「ああ、もちろん、すべて清算ずみだった」(上巻345ページ)
間違いではないのですが、この「清算」には違和感があるんです。「精算」であってほしいところです。
<蛇足6>
「セント・ジェイムズ公園の野外音楽堂を背景に、宮殿の園遊会のために着飾って、芝生をそぞろ歩く男女。」(上巻360ページ)
セント・ジェイムズパークには、野外音楽堂はなかったと思うのですが......??
あと、セント・ジェイムズパークはセント・ジェイムズ公園なんですね。ハイド・パークはハイド・パーク(262ページ)。
本書ではありませんが、グリーン・パークもグリーン公園とはあまり言われないですね。リージェント・パークは時折リージェント公園と訳されているのを見かけます。
固有名詞はなかなか難しい。
<蛇足7>
「ミスター・ヒギンズの店は大繁昌だった。夏季には昼食あるいは夕食のテーブル予約は遅くても三日前にとらなければだめだし、」(10ページ)
おそらく原文は "or" が使われているのだと思いますが、この場合は「あるいは」と訳すのではなく「昼食であれ夕食であれ」と訳さないとおかしいですね。
<蛇足8>
「ポルシェがドライブウェイから出てゆくのを、この目で見ました。」(下巻17ページ)
ドライブウェイ。日本語では、観光道路などの有料道路を連想してしまいます。
ここでは、レストランの駐車場(あるいは車寄せ)から一般道路までの間の(私有地内の)車道のことを指しますね。でも、あの道、確かに日本語では言いにくいですね。何というのがいいのでしょうね?
<蛇足9>
「軍人恩給があるんですが、臨時収入が少々あっても邪魔にはなりません。」(下巻20ページ)
レストランで働いている人物が語るセリフです。
この場合「臨時収入」ではないですね。余分とか追加とかいうイメージでしょうか?
<蛇足10>
「ダルグリッシュは室内を調べ出した。将軍の心配そうな期待の眼ざし、マズグレイヴの初めて在庫調べをする見習い店員を見守るような鋭い視線を感じた。」(下巻30ページ)
心配そうな、期待の、とはまた変な取り合わせを一緒くたにしたものですね。
原語が知りたくなります。まさか ”expected” を安直に「期待」と訳したりはしないでしょう、中学生でもあるまいし。
<蛇足11>
「洗礼を受けたからといって、特に害はなかったようだ。積極的な反感を持っているわけでもないのに、先頭を切って伝統を破ることもないじゃないか」(下巻105ページ)
神や教会、宗教を信じていないのに子供ができたら洗礼させるのはなぜ、との質問への答えです。
典型的なイギリス人らしい回答だなぁと感じ入りました。
<蛇足12>
「詩は嫌いだった。詩そのものが悪いわけではないが、詩を書くことで声望が高まるので、釣りや園芸、木彫りなど邪気のない趣味と同列には見なせない。警官は警察活動で満足すべきだというのがニコルズの考え方だった。」(191ページ)
ダルグリッシュに反感を持つ警視監の考えです。
その是非はともかく、こういう書き方がされるということは、詩は邪気のある趣味なのですね......
<蛇足13>
「お風呂に入っている間に、服を脱水機で絞りました。洗濯機はありません。一人暮らしですから、必要もないのです。シーツもノーアイロンのが出回っているので、何とかなります。でも脱水機はないとどうにもなりません。」(下巻228ページ)
脱水機、ですか。検索するといろいろあるみたいですが、見ないですね......
原題:A Taste for Death
作者:P. D. James
刊行:1986年
訳者:青木久恵
最後に、新版の書影です。
裁くのは俺だ [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
私立探偵マイク・ハマーの胸にぐっと嗚咽がこみあげてきた。ともに戦火の下をくぐり、みずからの右腕を失ってまで彼を救ってくれたかつての戦友ジャックが至近距離から下腹部に銃弾をぶちこまれて見るも無残な死体となっていたのだ。マイク・ハマーは誓った。この犯人は俺が裁く! この俺の45口径が裁くんだ! 金と顔にものをいわせる特権階級、ボスどもを憎悪し、法律の盲点をついた犯罪をあばいてゆく、タフガイ探偵マイク・ハマー登場! 全世界に一大センセーションをまき起こし、ハードボイルド・ブームの火つけ役ともなった衝撃の問題作!
2021年12月に読んだ9冊目の本です。
またもやどこから引っ張り出してきたんだという古い本で、奥付を見ると昭和63年9月30日の十刷。カバー裏にはバーコードがありません!
同題の作品が大藪春彦にありますが、こちらの原題は "I, The Jury"。意訳ですが、名訳ですね。
非常に雰囲気がよく伝わってきます。
読む前は、ミステリ的興趣は薄く、暴力描写・性描写がすごくて、荒々しくセンセーショナル、という印象を持っていましたが、読んでみるとずいぶん印象が変わりました。
暴力描写ですが、今から見ると、あっさりしたものです。
最近のシリアル・キラーものやサイコ・サスペンスの方がよほど残虐で暴力的です。
そして意外だったことに、マイク・ハマー、それなりにしっかり謎解きをしている!(笑)
確かに本格ミステリではないですし、犯人も探偵もかなり行き当たりばったりではあるのですが、腕力あるいは銃にものを言わせて関係者の口をこじ開けていく、というだけではないのですね。
それなりに考えて行動しています。
印象的なラストも、ちょっと飛躍があるというか、マイク・ハマーの心情に寄り添いにくいところはあるのですが、やはり衝撃的ですね。
ほかの作品も読んでみたい気がしてきましたが、今では入手困難ですね......
もっと早く読めばよかったかな。
<蛇足1>
「フォアイエのわきに女中部屋があった。」(54ページ)
いまだとフォワイエとでも書くでしょうか?
住居にフォワイエがあるって、どんな大邸宅に棲んでいるのだろうと思ってしまいますね。
<蛇足2>
「ハル・カインズ、ご最期だよ」(147ページ)
聞きなれない表現ですが、ご最期という言い方をしたんですね。
原題:I, The Jury
作者:Mickey Spillane
刊行:1947年
翻訳:中田耕治
探偵レミングの災難 [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
レオポルト・ヴァリシュ、あだ名は“レミング”。刑事時代、犯人の逃走車輛の前に思わず飛び出したのを集団自殺するネズミのようだと言われ、以来その名前で呼ばれている。訳あって警察を辞め、現在は興信所の調査員だ。ある日、浮気調査で元教師を尾行中、目を離した一瞬の隙に彼が殺害されてしまい……。後先考えないお人よしの探偵が、事件の真相を求めてウィーンを駆ける!
あらすじを読んで思いました。
「お人よし探偵」
いいではないですか。こういう作品は、ユーモアにあふれていて、たぶん、ぬくもりに包まれたような読後感になれるんじゃないかな。
ドイツ推理作家協会賞受賞作、と帯にも書いてありますし。
ウィーンを舞台にしたというのも物珍しくていいかな、と。
実際に読んでみると、ユーモアというよりは、自虐、苦い笑い、いった感じで、あれれ?
軽やか、という感じではないですね。
笑いはあっても、ずっしり。
最近はやりの北欧ミステリもそうですが、どうも湿っぽい感じがしてなりません。
<蛇足>
「それにしても、ジャンニにグルメな喜びを味わうしたがないのは幸いだった。グルメであれば、自分の注文した料理すら思い出せなくなることだろう。おそらくスープだった。ミネストローネだったのかもしれない。」(220ページ)
この部分、意味が分かりませんでした。
グルメであれば、思い出せない?? どういうこと?
原題:Der Fall Des Lemming
作者:Stefan Slupetzku
刊行:2004年
訳者:北川和代
探偵レミングの災難 (創元推理文庫)
ナイン・テイラーズ [海外の作家 さ行]
<カバー裏表紙あらすじ>
年の瀬、ピーター卿は沼沢地方の雪深い小村に迷い込んだ。蔓延する流感に転座鳴鐘の人員を欠いた村の急場を救うため、久々に鐘綱を握った一夜。豊かな時間を胸に出立する折には、再訪することなど考えてもいなかった。だが春がめぐる頃、教区教会の墓地に見知らぬ死骸が埋葬されていたことを告げる便りが舞い込む……。堅牢無比な物語に探偵小説の醍醐味が横溢する、不朽の名編!
今月(2020年12月)に最初に読んだ本です。
セイヤーズの作品としては、前作「殺人は広告する」 (創元推理文庫)の感想を書いたのが2017年9月なので3年ちょっと経ちます。
ようやく読みました伝説の作品! という感慨でいっぱいです。
というのもこの作品、重厚だ、文学的だ、退屈だ、ときわめてとっつきにくそうな評判だったからです。
奥付を見ると1999年1月(初版は1998年2月)。セイヤーズの作品をゆっくりと刊行順に読んできたから、というのもありますが、実にのんびり積読にしていたものです。怖かったし(笑)。
確かに、重厚で読むのにも時間がかかりましたが、退屈はしませんでしたし、読みにくいとも思いませんでした。=訳者である浅羽莢子さんのお力によるところが大なのだとは思います。
もっとも、463ページに及ぶ大部な作品で、ゆったり進むことにはご留意、ではありますが。
たまたま居合わせたウィムジイ卿が、鐘を撞く次第となる、というだけで90ページ近く費やされますから。巻の一となっている第一部がまるごとこれです。
この部分、鳴鍾術に関する蘊蓄がたっぷりつめこまれていまして、一応謎ときに資するような形にはなっていますが、まあ正直どうでもいい蘊蓄(失礼)なので蘊蓄部分は飛ばし読みしても一向に差し支えありません。
そう、タイトルのナイン・テイラーズというのは、Tailors であっても仕立て屋さんではなく、
九告鐘=死者を送る鐘。男用は九回、女用は六回鳴らされる。一説によれば、テイラーは告げるものの訛ったもの
と37ページに書かれています。
鐘のお話です。
第二部にあたる巻の二で死体が発見され、ウィムジイ卿が村を再訪することになるのですが、ここからの展開が意外と(失礼)おもしろいんです。
墓に忍ばされていた正体不明の死体。
村で以前発生した宝石(エメラルド)盗難事件がどう絡むのか、どう絡まないのか。
今の感覚からすると極めておっとり、ゆったりと進む捜査のテンポが不思議と趣き深い。
もともとウィムジー卿って、神のごとき名探偵、という感じでもないし、行き当たりばったりのような捜査がこの作品のテンポにはピッタリです。
田舎の警察と、行き当たりばったりの貴族探偵。なかなかいい組み合わせではないですか。
そしてこの作品は、トリック(殺害方法)が高名で、そのトリックを読む前から知ってしまっていまして残念ながら驚きが減ってしまったーーというか驚きはなかったのですが、確かにとても印象深いです。
ロープで縛られていたと思しき死体なのですが、
「致命傷、毒物、絞殺、疾病ーーいずれも痕跡すら認められていません。心臓も健康、腸も餓死したのではないことを示していますーーそれどころか栄養状態は良好で、死の数時間前には食事をしていました」(254ページ)
という状況で、どうやって被害者を死に至らしめたのか?
この解決が示されるのは、本当に最後の最後、最終章、しかも最終頁近くになってから、なんですよね(その直前の章で暗示されていますが)。さらっと明かされる。
かなり鮮やかです。
トリックを知らずに読んでいたら、強烈な印象を残したんではないでしょうか。
そしてその殺害方法に思いをはせるとき、蘊蓄たっぷりで飛ばし読みしていた(飛ばし読みしたのはぼくだけかもしれませんが)第一部のイメージががらっと変わる。
(鐘にまつわる蘊蓄が山ほど盛り込まれているものの)ウィムジイ卿のお気楽な性格を物語るエピソードだな、とぼんやり思っていた部分が、違う色彩を放つ。
いいではないですか、こういうの。
とここでふと思ったのですが、この作品、確かに分厚いし、蘊蓄盛だくさんだし、ゆったり進むし、重厚といいたくなる気持ちはよくわかるものの、そういう読み方をする作品ではないのでは?
ウィムジイ卿のおちゃらけた性格もそうですし、インパクトあるトリックもある意味バカミスと呼べてしまえそうなものだし。
真面目な顔して読むのではなく、「なんだこりゃ、バカみたいだなぁ、アハハ」という感じで読むべき作品なのかも、なんて。
違うかな?
この作品の最後の洪水シーンの取り扱いなどからすると、ぼくの単なる勘違い、勝手すぎる解釈である可能性も大なのですが......
このあと、シリーズは
「学寮祭の夜」 (創元推理文庫)
「忙しい蜜月旅行」(ハヤカワ・ミステリ文庫)
の2冊になりました。
これからも、ゆーっくり読んでいきます。
まったくの余談になりますが、このシリーズでは、パンターがウィムジイ卿に呼びかける二人称が「御前」なのですが、実はずっと、これなんと読むのだろう、と思っていました。
ごぜん? おんまえ? おまえ、はさすがにないでしょうけれど。
静御前とかいますので、ごぜん、だろうなとは思っていたのですが。
この作品で、パンター以外の登場人物が
「御前さま」
と呼びかけています。(302ページなど)
いままでの作品でも出てきていたのを見逃していたのかもしれませんが、さま、と後に続くのでこれはやはり「ごぜん」でしょうね。
<2023.8.25追記>
麻耶雄嵩の「貴族探偵対女探偵」 (集英社文庫)に、御前に”ごぜん”とルビが振ってありました!
<蛇足1>
「教会を逆時計回りに一周するのは不吉だと知っていたので」(59ページ)
知りませんでした。
今後気をつけるようにします。
<蛇足2>
「よりによって日曜に、梯子を教会に持ち込むわけにはいかんからな。この辺りは今も、第四の戒律(『出エジプト記二〇章。安息日を守ることに関するもの』)に敏感でしてな。」(339ページ)
梯子、日曜はダメなんですね。
ただ、梯子が特にだめだからなのか、仕事に近いことをすることが一般的に安息日にはだめだからなのか、信心深くないのでわかりません......
<蛇足3>
「法は妻が夫に不利な証言をすることを認めていない」(384ページ)
妻が夫に有利な証言をしても疑わしいと思われますし、不利な証言をすることを強要されないということも知ってしましたが、そもそも不利な証言をしてはいけないという制度だったのですね......
原題:The Nine Tailors
作者:Dorothy L. Sayers
刊行:1934年
訳者:浅羽莢子
新車のなかの女 [海外の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
金髪のダニーは、社長の新車を空港から社長宅まで回送するよう頼まれた。しかし彼女は南仏への旅を思いつく。真新しいサンダーバードを走らせるダニーの姿は、束の間、女王のようだった。しかし思いも寄らぬ事件が彼女を待ち受けていた。なぜ彼女は襲われたのか? 初めての地で皆が彼女を知っているのはなぜか? 気まぐれの旅にしかけられた恐るべき罠。鬼才ジャプリゾの真骨頂。
「シンデレラの罠」 (創元推理文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)のセバスチャン・ジャプリゾの作品です。
こちらも、平岡敦さんによる新訳です。
旧訳は「新車の中の女」 (創元推理文庫)、新訳は漢字を開いて「新車のなかの女」と表記が変わっています。
この作品も「シンデレラの罠」 同様に再読になります。
きれいに忘れてしまっていて、初読のようにまっさらな気持ちで楽しめました(苦笑)。
「シンデレラの罠」 と趣は違うのですが、何か独特な手触りの作品ですね。セバスチャン・ジャプリゾの術中にしっかり嵌まっているということでしょう。
原題は「La Dame dans L'auto avec des Lunettes et un Fusil」
英語では、The Lady in the Car with Glasses and a Gun。
直訳すると「眼鏡と銃を持った、車の中の女」となりますね。
目次の章立てを見ると
女
車
眼鏡
銃
となっています。ちょっと洒落ていますね。
冒頭、いきなりサービスステーションの洗面所で襲われているシーンからスタートします。
おお、怖い。
それからここにに至るまでの経緯を振り返るわけです。
社長の車を勝手に拝借して、海が見たいと小旅行としゃれこんだ女性が、行く先々で不思議な体験+怖い体験をする。
初めて行った場所ばかりなのに、出会う人々が、昨日会ったと言う。
これ、怖いですよねぇ。
洗面所で襲われるというのも怖いですが、知らないはずの場所で、みんなから知っている人だと言われる、というのは。
主人公がもともと自分に自信がなく、ひょっとして私...と惑い始めるところは、おいおい、と思いましたが、次第に精神状態がグラグラしていくのがサスペンスを高めていますね。
ときおり、主人公の視点ではなくて、主人公が出会う人たちの方に視点が移りますので、その人たちが偽証しているわけではないことがわかりますし、同時に、主人公が自分を見失っているだけなのかも、という不安も芽生えてきます。
ミステリとして、冷静に見てみると、ちょっとこれは無理だなぁ、と思えるのですが、登場人物の性格や小道具によって、(主人公にとって)悪夢のような状況が立ち上がってくるのが素敵ですね。
平岡敦による訳者あとがき、連城三紀彦による解説がどちらも素晴らしいので、ぜひ。
原題:La Dame dans L'auto avec des Lunettes et un Fusil
作者:Sebastien Japrisot
刊行:1966年
訳者:平岡敦
タグ:セバスチャン・ジャプリゾ