名探偵誕生 [日本の作家 似鳥鶏]
<カバー裏あらすじ>
神様、どうか彼女に幸福を。
直球の”初恋”青春ミステリ!
小学4年だった僕は、となり町の幽霊団地へささやかな冒険に出た。その冒険に不穏な影が差したとき助けてくれたのが、近所に住む名探偵の「お姉ちゃん」だった。彼女のとなりで成長していく日々のなかで、日本中を騒がせることになるあの事件が起きる──。ミステリとしての精緻さと、青春小説としての瑞々しさが高純度で美しく結晶した傑作。
2024年1月に読んだ10冊目の本です。
お気に入り作家似鳥鶏の作品。「名探偵誕生」(実業之日本社文庫)。
目次を見ると、
第一話 となり町は別の国
第二話 恋するドトール
第三話 海王星を割る
第四話 愛していると言えるのか
第五話 初恋の終わる日
となっていて、連作短篇という体裁です。
ただ、第四話と第五話はつながっているので、純粋な短編集ではありませんね。
通勤の電車の中で読んでいたのですが、第三話でこらえきれず笑いそうになりました。必死にこらえたのですが、周りの人、変な奴がいると思っただろうな......
主人公である僕星川瑞人の饒舌な語り口、というのは似鳥鶏ならではながらいつものことで、楽しく読んでもそれだけでは電車の中で笑いだしそうになる羽目には陥らないのですが、この第三話は僕の周りがバカすぎる......(笑)。
166ページからしばらくは、人目のあるところでは読まない方がいいです。
主人公瑞人の隣の家に住む千歳おねえちゃん、彼女が初恋の人、という位置づけ。
で、瑞人が小学四年生の頃から各話で謎解きを重ねていきますので、彼女が名探偵。
千歳おねえちゃんは最初から名探偵なわけなので、タイトルの「名探偵誕生」とは? と考えると、物語全体の道筋というか枠組みはおよその見当がつきますね。
しかも、最終話のタイトルが「初恋の終わる日」ですし。
第三話まではわりと普通のいわゆる「日常の謎」です。
小学生、中学生、高校生が遭遇する事件(というほどのこともないものもあります)ですので、それぞれの謎解き自体は深くはないですが、主人公の心象(いうまでもなく、おねえちゃんに対する恋ごころです)と重ね合わせるようにでてきているのがポイント。
そして第四話、第五話となります。
この時点で主人公は大学生になっています。おねえちゃんには恋人がいる、という状況。
いよいよ、というわけではないですが、殺人事件が発生します。
第四話でおねえちゃんがいつものように名探偵ぶりを発揮し、それを受けて主人公がどうするか、というのが第五話。
ちょっと作りすぎかな、特におねえちゃんの恋人である米田さんの言動についてのリアリティが気になるな、というところなのですが、「名探偵誕生」という着地へ向けての展開には、とても楽しませてもらいました。
せっかく名探偵が誕生したので、「また殺人事件に巻き込まれるのは御免だけど」(367ページ)ということですが、その後の彼らの活躍も読んでみたいです。
<蛇足1>
もう最近では指摘をやめてしまった「一生懸命」ですが、似鳥鶏は
「何か、世界のピントが急に合ったような気がした。これまでずっとピントが合っていないことに気付かないまま、一所懸命に双眼鏡を覗いていたような。」(51ページ)
と、きちんと「一所懸命」です。
さすが。
<蛇足2>
「家に持って帰ってきてしまってから泥棒になるのではないかと不安になり、」(107ページ)
という箇所に、
「泥棒になるためには『持ち主を排除して自分のものにしてやろうという意思』が必要とされているので、この場合はあまり心配しなくていい。」
と似鳥鶏お得意の注がついています。
そうであっても、疑われそうだし、なんだかイヤですよね。
一般的には「意志」であるところ、法律用語の「意思」が使われているのも注目点ですね。
<蛇足3>
主人公が突然「相沢」と呼ばれる195ページに
相沢謙吉。『舞姫』の主人公太田某の友人。『山月記』の袁傪(えんさん)、『走れメロス』のセリヌンティウスと並ぶ「国語教科書三大ありがたい友人」の一人
という注があります。
「国語教科書三大ありがたい友人」って、知らなかったなぁ。
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憂国のモリアーティ 13 [コミック 三好輝]
<カバー裏あらすじ>
緋色に染まった両手の血を拭い去ることは出来ない──
「犯罪卿の正体はウィリアム・ジェームズ・モリアーティ」
──シャーロック・ホームズによるミルヴァートン殺害を引き金に、大英帝国中を揺るがす衝撃の報道が駆け巡る。市民と貴族、その両者から忌み嫌われながらも、ウィリアムは自らの ”計画” に基づき、特権階級の人間を粛正し始める。全ての罪を一人背負うウィリアムに対し、ルイスたちは…
シリーズ第13巻。憂国のモリアーティ 13 (ジャンプコミックス)。
表紙は......ジェームズ・ボンドですね。
愛嬌たっぷりにウィンクなんかしてますけど、しっかり右手には銃があるのでご用心(笑)。
#48、49、50、51 最後の事件 第一幕、第二幕、第三幕、第四幕(The Final Problem Act 1, Act 2, Act 3, Act 4)
を収録。
第12巻の終わりのモリアーティのセリフを再編集して、この第13巻はスタートします。
いわく
「彼(シャーロック・ホームズのことです)はミルヴァートンを殺した…
一人殺せば二人殺すのも同じ事…
つまり…これで間違いなく彼は僕の事も殺してくれるはずさ…
……早速取り掛かろう…
リストアップしていた全ての悪魔に裁きを下す──」
(ちなみに第12巻の感想に書いた邪推は邪推にすぎなかったようですね笑)
自らの名を出して犯行声明を出し、犯行を繰り返して世間を騒がせる。
最後にはウィリアムは自らの命を捨てる。
こういう筋書きに沿って、粛々と計画を進め事件を起こすモリアーティたち。
しかし、仲間たちの中にも動揺が広がり......
このあとの展開は秘すのがエチケットかとは思いますが、国を挙げての大騒ぎに、ホームズが担ぎ出されるということは言っておいてもよいでしょう──逮捕されている身ですけどね。
最後に第12巻に続き、この第13巻にも苦言を。
それは、巻末ちかくのホームズとワトソンのやりとり。
こういうの、似合わないですよ、ホームズにもワトソンにも。
いや、ヴィクトリア朝のロンドンにはまったくそぐわないと思います。
──まあ、これが人気の秘密でもあるとは重々察しておりますが。
どんどん盛り上がってきましたね。
次巻が楽しみです。
<蛇足>
「明時(あかとき)、ハーシェル男爵を殺害したのはこの私、犯罪卿こと ウィリアム・ジェームズ・モリアーティである。」
ウィリアムによる犯行声明です。
明時を知りませんでした。暁の古語なんですね(古文を学んだのは遥か昔なので忘れてしまっているだけという可能性もありますが)。
趣があっていい語だと思いました。
ラリーレースの惨劇 [海外の作家 ら行]
2024年1月に読んだ9冊目の本です。
ジョン・ロードの「ラリーレースの惨劇」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ157です。
自動車ラリーでの殺人事件というと、どうしてもスピードを競うレースを想像してしまうのですが、ここで描かれているレースはスピードを競うものではないのがポイントですね。
王立自動車クラブが主宰するこのレース、コースは緩やかに決められていて、決められたポイントを一定の時間内に通過していくことで、最終目的地まで走り抜けるというもののようです。出発地点もバラバラ。
「平均時速を保つのが大事なんですよ。スピードを出しすぎても意味はありません。予定時刻よりも五分以上前にゴールしたら、ペナルティを課せられます」(32ページ)
という説明もあります。
これ、どうやって勝敗を決めるのでしょうね?
廣澤吉泰の解説に「公道上を走行して区間タイムの正確さや運転の技術を競う者である」とされていますが、それでもよくわかりませんね。
このレースに、ロバート・ウェルドン、リチャード・ゲイツマンがハロルド・メリフィールドとともに参加。霧のせいでビリになりよたよた(失礼)走っていたところで、レースに参加している車が事故を起こし炎上しているのを見つけて......という展開。
(ちなみに幹線道路を外れ集落からも離れると本当に真っ暗です。街灯などはありませんし、路肩も日本とは比べ物にならないくらい貧弱です。車はヘッドライトを搭載しているとはいえ、運転には注意が必要ですね)
ハロルドがプリーストリー博士の秘書だったことから事件をプリーストリー博士に相談。
今回(今回も?)プリーストリー博士は、安楽椅子探偵とまではいきませんが、現地にはなかなか行かず、あれこれ指示するだけという時間が長く、そのせいかかなり嫌味な人物のように思えました──というか、もともと嫌味な人物なのですよね、きっと。
一方で、このようなスタイルで謎解きが進んでいくので、議論を通じ段階的に真相に迫っていく手つきを楽しむことができました。
プリーストリー博士に操られるかのように、右往左往するハロルドたち(と警察)が楽しい。
背景となるレースシーンがあっさりしているのも、時代を感じさせて逆にいい感じという気がしました。
現代のミステリであれば、謎解きに直接的な関係が薄くても、登場する事物や人物を細かに書き込んでいく、というスタイルが取られることが多く、この作品も今書かれるとしたら相当みっちりレースシーンが描かれるように思います。その点昔のミステリは謎解きと関係が薄ければさっと飛ばされることが多い印象で、この点で時代を感じさせるように思いました──そしてそれがとても好ましい。
ジュリアン・シモンズのせいで ”退屈派” などと呼ばれるジョン・ロードですが、ぜんぜん退屈などしませんでした。むしろ面白かったですよ。
<蛇足1>
「遺体は安置所に運んで、車は詳しく調べるためにガレージへ牽引しました。」(41ページ)
このブログでなんども言っていることですが、「ガレージ」だと日本では一般的には駐車場の意味だと思うので、修理場とか整備場とかいう風に訳すべきではないかと思います。
<蛇足2>
「そうそう、死因審問は一一時からの予定です。」(54ページ)
日本では一般的に検死審問と訳されていますね。
パーシヴァル・ワイルドに「検死審問―インクエスト」 (創元推理文庫)という傑作ミステリもあります。
なにか訳者にこだわりがあったのでしょう。
<蛇足3>
「田舎の人間というのは鈍感で、足元に雷が落ちても気づきませんからね」(160ページ)
「ニワトリが嫌いなんですよ──平均的な役人程度の頭脳しかないくせに、口数だけは多い。」(161ページ)
どちらもえらい言われようですね。
<蛇足4>
「博士は一種の美食家であり、ウエストボーン・テラスで供する料理は常に素晴らしかった。」(169ページ)
「一種の美食家」というのは日本語として意味がわかりません。
ここの「一種の」の原語はおそらく「a kind of」だと思います。であれば意味合いとしては「美食家のようなもの」あるは「いわば美食家」になるのではないかと思います。
<蛇足5>
「アール・コートの近くにある安宿ですから。」(203ページ)
これはアールズ・コート (Earls Court) でしょうね。
いまでもB&Bが数多く存在する地域です。
原題:The Motor Rally Mystery
著者:John Rhode
刊行:1933年
訳者:熊木信太郎
善意の代償 [海外の作家 か行]
<帯から>
ロンドン警視庁女性捜査部に属する才色兼備のキティー・パルグレーヴ巡査、独身時代の事件簿!
下宿屋〈ストレトフィールド・ロッジ〉を見舞う悲劇。完全犯罪の誤算とは……。越権捜査に踏み切ったキティー巡査は難局を切り抜けられるか?
2024年1月に読んだ8冊目の本です。
ベルトン・コッブの「善意の代償」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ294です。
コッブの作品を読むのは初めてです。
この作品ではまず、主人公格で視点人物であるキティー巡査の行動にびっくり。
担当でもないのに潜入捜査をやろうというのですから。
恋人(婚約者?)も警官で、本来はその上司のバーマン警部とともに、そちらが担当。
ある男の命が狙われているとの情報をバーマン警部が無視しようとしたため、休暇を取って下宿屋に女中に扮して潜入しようと。もちろん、恋人にもバーマン警部にも内緒。
女性捜査部員、大胆すぎます。
続いてびっくりするのが、その潜入対象である下宿屋。
邦題の善意というのはここから来ていると思われるのですが、サッカーくじで二万ポンド当たった老婦人ミセス・マンローが、身寄りのない困っている男性専用の下宿屋を営む。
篤志家というのかもしれませんが、こういう人、実際にいたのでしょうか?
この家主のキャラクターが強烈です──いや、いい人なんですよ、きっと。とてもとても押しつけがましいだけで。でも、読んでいるだけでげんなりできました。
この作品はこの下宿屋の個性豊から登場人物たちの人間関係を背景に繰り広げられます。
この設定の下宿屋で、そんなにミステリとして都合のよい人物たちが集まるだろうか、という疑問を抱かないではないですが、類は友を呼ぶともいいますし、芋づる式ということもあるでしょうから、そんなに変なことではないかもしれません。
限られた人数で、がんばってどんでん返しを何度か繰り返す趣向が取られていて満足。
奇矯な登場人物も本として読むだけなら、害はないですからね。
最後に、キティー巡査からもうろくしたと思われていたバーマン警部がしっかり締めるところもよかった。
ベルトン・コッブ、いいかも。
ほかに論創海外ミステリから出ている作品も買うことにします。
<蛇足1>
「建物はビクトリア朝の二戸建て住宅だ。」(19ページ)
ここを読んで、そうか、二戸建て住宅と呼べばよかったんだ、とちょっと感動しました。
semi-detached (セミ・デタッチト)と呼んで、少し横長で一棟だけれど2軒分の住まいになっている家(同じ形の家が二軒くっついて建っている。二軒は壁でくっついている)がイギリスには多くあります。確かに、二戸建てだ!
<蛇足2>
「ミスター・ケントが水曜日に来ていたスーツだわ」(209ページ)
着ていた、ですね。
<蛇足3>
「この館のアンテナではイギリス放送協会(BBC)しか入りません。」(217ページ)
この当時ケーブルTVや衛星はなかったでしょうから、いわゆる地上波放送しかない頃、BBCしか入らないアンテナということは、放送局ごとにアンテナを設置しなければならなかったのでしょうか。
かなり不便な仕組みですね。
原題:Murder : Men Only
著者:Belton Cobb
刊行:1962年
訳者:菱山美穂
ロンリーハート・4122 [海外の作家 は行]
<amazon の紹介文から>
結婚願望を持つ中年女性のルーシー・ティータイムは、イギリスの田舎町フラックス・バラにある結婚相談所で「ロンリーハート(交際を希望する中年男性)4122号」と知り合い、甘美な未来と薔薇色のロマンスを夢見る。しかし、過去に彼と関わった女性は二人とも行方不明になっていた……。英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞の最終候補に挙げられた秀作、待望の邦訳!
2024年1月に読んだ7冊目の本です。
コリン・ホワイトの「ロンリーハート・4122」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ262です。
英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞の候補作だったのですね。
コリン・ホワイトといえば、
「愚者たちの棺」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)
「浴室には誰もいない」 (創元推理文庫)
の2作が創元推理文庫から訳されていましたが、その後翻訳は途絶えていました。
「愚者たちの棺」だけ
<2024.2.26訂正 「愚者たちの棺」は読んだつもりでいたのですが、未だ読んでいませんでした。>
論創海外ミステリから翻訳が出ていることを認識しておらず、というか新刊案内とかで見てもスルーしてしまっていて、作者がコリン・ホワイトであることに気づいて慌てて購入。
この「ロンリーハート・4122」は、舞台は同じ町フラックス・バラ(創元推理文庫ではフラックスボロー)で、同じくパーブライト警部が捜査の中心になります。
同時にティータイムという女性(昔ながらの翻訳ミステリ流でいうと、ティータイム嬢と呼びたくなるような風情の女性です)の視点で、キーとなる結婚相談所(?) を利用する様子が描かれます。
この結婚相談所のシステムが良くできていまして(少なくともぼくはそう思いました)、当時イギリスにはこういうのがあちこちにあったのだろうか、なんて考えてしまいました。
パーブライト警部たちの捜査が非常にゆっくりと進んでいく一方で、ティータイムの話がどんどん進んでいくので、妙に居心地の悪いサスペンスが強く感じられます。
いよいよ、という感じのクライマックスが、急転直下というような解決を迎えさせてくれるのですが、さらっと(ぐだぐだと説明せずに)真相を投げ出してくるあたり、好みにも合い、とてもおもしろかったです。
<蛇足1>
「部屋はまるでイギリスの家庭喜劇の舞台装置のようだった。」(52ページ)
家庭喜劇。??と思いましたが、日本でいうところのホームコメディのことですね。確かに家庭喜劇。
ホームコメディは和製英語なので、原語はなんだったのでしょうね?
Sit Come や Soap Drama (Opera) だとイギリスらしくないし、Domestic Comedy とはあまり言わない気が。
<蛇足2>
「お客さまとしていらしたのではないんですよね」
パーブライトは微笑み返した。「実は違います」
「そうだと思いました。結婚なさっているようには見えないので。それって一番確かなサインなんですよ。あなたには奥さまがいらして、奥さまにとっても満足していらっしゃるという」(53ページ)
パーブライト警部が結婚相談所を初めて訪れるシーンですが、意味が分かりませんでした。
結婚なさっていないよう、ならばわかるのですが。
<蛇足3>
「そこのスキャンピ(大型海老を油かバターとニンニクで炒めた料理)が絶品なんです」(126ページ)
想像で言って恐縮ながら、ここの scampi は料理名ではなく、素材名(手長海老。アカザエビ)のことを指すのではなかろうかと思います。
注として書かれている料理は、一般には、Shrimp Scampi と呼ばれているものと思われ、scampi 単体だと料理名ではないのでは、と思う次第です。
<蛇足4>
「このまま上って、公有地を横切ってくれ」(217ページ)
ここの公有地、おそらく原語は Commons ではないかと思います。
字面から訳せば公有地(あるは共有地)で間違いないのですが、一般的な感覚からして、公園とか空き地とかの方がしっくりくる語だと思います。
<蛇足5>
井伊順彦の解説で、フラックス・バラという表記について触れられています。創元推理文庫ではフラックスボローだったのと比べて、ということですね。
発音的にはフラックス・バラに軍配があがりますね。ただ解説で指摘されているように、「・」のないフラックスバラが一番しっくりくるように思います。
原題:Lonelyheart 4122
著者:Colin Watson
刊行:1967年
訳者:岩崎たまゑ
ミステリと言う勿れ (8) [コミック 田村由美]
<カバー裏あらすじ>
ライカと美術館に出かけた整。そこで遭遇したのは武器を手に押し入ってきた ”何か” をさがす男たちでで── 整の思考が冴え渡る、新展開の第7巻。
シリーズ8冊目です。
「ミステリと言う勿れ (8)」 (フラワーコミックスアルファ)
episode11 星降る舌八丁
episode12 耳寄りな話
episode13 ネガティブなポジティブ
を収録しています。
episode11は、舞台となる大鬼蓮美術館で怪しげな集団に襲われます。
襲われる整たち客も、襲う側の怪しげな集団も、みんな訳が分かっていない、というのがおもしろい。
近くの大隣美術館はルーブル展をするほどなのに対し、こちらは人が少ないのがポイントですね──おそらく、大鬼蓮美術館という名前はエンディングで整が指摘するところから作者によって名づけられたのでしょうね。
「ドラマとかでよくあるんですよこういうの
家族やパートナーを人質に取って殺されたくなかったら何かを吐けとか 何かをしろとか
僕それとても不思議に思うんです
犯人たちは家族愛とか ”絆” とかそういうの ものすごく信じてるんだな…て」
という整のセリフには虚を突かれましたが、確かに!
このセリフだけではありませんが、次第次第に整の言葉にペースを乱され、整に巻き込まれていくところが見事。
事件の構図は、作中でも言われていますが実際の世に前例のあるものを踏襲しているのですが、微妙なラインをついていて面白かったですし、襲撃犯たちの身の上とマッチしているのもよかったです。
episode12 はライカさんの正体(?) を知り整がいろいろ考えるのが背景にあります。
千両屋フルーツパーラー(笑)で並んでまでしてフルーツサンドを食べる整が、周りの席の人の話をいろいろ聞く(そして口をはさむ)という流れです。
中で、わざと痴漢冤罪を起こした女が突き落とされる事件というのが語られます。
そこで整は
「冤罪事件が起きたとき最も迷惑を被って最も傷つけられるのは
日常で痴漢にあってる女性たちだと思うからです」
というのですが、これには到底賛成できません。
「最近”痴漢”というと”冤罪”という声がまず出るようになりました
男性の方が声が大きいてこともありますけど 冤罪の可能性ばかりが論じられてる
まるで痴漢事件の一番の問題は 冤罪が起きることかのようです
でもそうじゃない 一番の問題は 痴漢の被害者がいるってことです」
と続けられているのですが、これでも納得はできないですね。
痴漢の問題は日本の恥ですし、決して軽んじてはいけない問題ですが、こと冤罪であれば冤罪を負わされた人こそが最大の被害者であることは論を俟たないし、ひどい論点のすり替えのように思います。
まあ、この物語の場合は整のセリフが周りの人物たちの行動に影響をあたえるという枠組みですし、この整の人物設定からして、こういう議論を呼ぶ意見を述べることは想定内なので、だから駄目だということにはならないのですが、自分にすっと入ってくるような意見であっても、この作品は気をつけて読まなければならないなと思いました。
episode13では、狩集汐路が再登場し、整にお仕事を持ち込みます。
しょっちゅう入れ替わっている双子を見分けてほしい、と。周りも見分けがつかない、と。
このお話、「ミステリと言う勿れ (10)」 (フラワーコミックスアルファ)に続くので感想は持ち越します。
<蛇足1>
episode12 で、ドイツでは皿を洗う時に洗った後水で流さずにそのまま泡ついたまま拭く、という話が出てきます。もっぱら節水の視点で語られているのですが、これはドイツに限らずフランスもそうですね。
ただ節水のため、というよりはむしろ水の性質によるものだと聞いたことがあります。
あちらは硬水で、洗剤の成分によりそれを中和させている、と。だからせっかく中和したあと硬水で流してしまうとまた硬水の成分が付着してしまい、ある意味かえって汚れるので、あえてそのまま拭いているのだ、と。
軟水の日本とはいろいろと違うのですね。
滞在したことのあるイギリスも水は硬水で、食洗機(ディッシュウォッシャー)には水を中和するために ”塩” を入れるようになっています。塩を入れておかないと、乾燥したときにお皿に白い固形分がついてしまいます。水に石灰成分が含まれるからです。湯沸かしポットなども中の金属に白い石灰がどうしても付着していってしまうので、定期的に Scale Away といった専用の粉をつかって石灰除去をします──これがウォシュレットがイギリスで普及しない一因でもあります。
<蛇足2>
episode13で、しりとりのシーンがあり、ライオンと言ってしまったあとに、整が「ンジンガ女王」(ポルトガルと戦ったアンゴラの女王)とか「ンゴロンゴロ自然保護区」(@タンザニア)と答えるところがあるのですが、しりとりで固有名詞はいんちきではないでしょうか?
<2024.4.29追記>
カバー裏あらすじが、第7巻のもののままでした。
第8巻のものに修正しました。
タグ:田村由美
名探偵コナン (10) [コミック 青山剛昌]
<カバー裏あらすじ>
次から次へと難事件 これじゃあ、オレの身がもたねぇ! ほーらやっぱりおかしいぞ!? やたらと体が熱くなる… と思ったら…!?何が起こるかわからない お待たせしました、真打登場!!
名探偵コナン
第10巻 (少年サンデーコミックス)です。
FILE.1 水の時間差トリック
FILE.2 西の名探偵
FILE.3 二人の推理
FILE.4 東の名探偵…
FILE.5 東の名探偵現る
FILE.6 熱いからだ
FILE.7 忍び寄る殺人鬼
FILE.8 もう一人の乗客
FILE.9 吹雪が呼んだ惨劇
FILE.10 最後の言葉
の10話収録。
FILE.1は、第9巻の FILE.8~10 からの続きです。
四井グループ会長の一人娘の誕生パーティに招かれた毛利小五郎たちが巻き込まれる殺人事件。
その一人娘が浴槽で溺死させられ、なんと蘭までが襲われるという流れです。
FILE.1のタイトルが「水の時間差トリック」ということからわかるように、アリバイトリックを扱っています。ただ、一つ目のトリックはありふれていますし(推理クイズなどでよくあるような感じです)、二つ目のトリックは着眼点がおもしろいぱっと見てうまくいきそうもないと感じてしまうのが難点かな(といいながら、現実にはうまく行くんだろうとも思えます)、と。
FILE.2で、毛利探偵事務所に変な奴が現れます。それは、西の名探偵と自称する服部平次(この名前も...笑)。FILE6まで続くエピソードは、外交官殺し。
極めて定番の密室トリックを使っているのですが、名探偵対決の趣向にマッチしていていいと思いました。
それよりなにより、その服部に風邪に効くと白乾児(パイカル)を飲まされたコナンが、工藤新一の姿に戻るという大事件が! まさに東西探偵対決の実現。
なんですけど、エピソードの終わりにはまたコナンの姿に戻ってしまいます......
あと「真実はいつも…たった一つしかねーんだからな…」というセリフがとても効果的に使われていて印象的です。
FILE.7~8は、米花図書館を舞台に少年探偵団(?) が大活躍。
エンディングの大技はマンガで見ていてとても楽しい。
死体の隠し場所そのものは取り立てて言うほどのこともないのですが、それにコナンが気づくきっかけと手がかりの示し方が素晴らしい。
FILE.9~10は、偶然訪れることになった別荘で毛利小五郎たちが巻き込まれる殺人事件。解決は次巻「名探偵コナン (11)」 (少年サンデーコミックス)に持ち越されていますので、感想はそのときに。
裏表紙側のカバー見返しにある青山剛昌の名探偵図鑑、この10巻はオーギュスト・デュパン。名探偵の元祖登場です。青山剛昌のおススメは「モルグ街の殺人」とのことです。
殺意は幽霊館から [日本の作家 柄刀一]
<カバー裏あらすじ>
駿河湾沿いの温泉地。天地龍之介と光章、長代一美は、地元で幽霊館と呼ばれる廃ビルに浮上する女の幽霊を目撃した。こわごわと館に潜入しさらに驚愕。今度は三階の窓から落下する幽霊が。翌日、女性の死体が発見された。なんと殺人現場はその幽霊館、しかも犯行時間も彼らが居た時刻だった! 一転、容疑者となった彼らのピンチを、IQ一九〇の龍之介はいかに救う!?
2024年1月に読んだ6冊目の本です。
柄刀一「殺意は幽霊館から―天才・龍之介がゆく!」 (祥伝社文庫)。
「殺意は砂糖の右側に―天才・龍之介がゆく!」
「幽霊船が消えるまで―天才・龍之介がゆく!」 (祥伝社文庫 つ 4-3)
に続く天才・龍之介がゆく!シリーズ第3作。
一時期祥伝社文庫から、Dramatic Novelette と銘打って「長すぎない短すぎない中編小説の愉しみ」というフレーズで、400円ほどの文庫本がいつくか全作書下ろしで出版されていました。そのうちの1冊。
面白い試みだったとは思いますが、この程度の長さであれば短編集(あるいは中編集)としてまとめてほしいところでしたね。
物理トリックの名手(とこちらが勝手に思っている)柄刀一ですから、この作品でも印象的な物理トリックが仕掛けられています。
ただ、この作品の場合少々建付けが悪い、というか、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではありませんが、幽霊譚を物理トリックで解体してしまうとちょっと白々とした感じを受けてしまうのが残念です。
空中を漂う幽霊であったり、その幽霊が男に見えたり女に見えたりしたり、という部分の解明などとても鮮やかですから、おお!と膝を叩いてもよさそうなところなのですが、どちらかというと「なーんだ」という感じに近かったような......
それでも(ネタバレなので伏字にしておきますが)、
「他殺死体の重心の中を、私達の顔はベッタリと通り過ぎたのかもしれない」(133ページ)
とラストで語り手が述懐するところでは、ひょっとして作者はここからこの物語を発想したのかな? いじわるだな(笑)、とニヤニヤしてしまいました。
とても楽しかったです。
<蛇足>
「まあ、取り合えず、ハーァビバノンノンと、温泉気分を楽しませてもらおうじゃないか。」(61ページ)
いうまでもなくドリフが元ネタですが、これ、若い読者わかるんでしょうか(笑)?
戦争の法 [日本の作家 さ行]
<カバー裏あらすじ>
1975年、日本海側のN***県が突如分離独立を宣言し、街は独立を支持するソ連軍の兵で溢れた。父は紡績工場と家族を捨てて出奔し武器と麻薬の密売を始め、母は売春宿の女将となり、主人公の「私」は親友の千秋と共に山に入って少年ゲリラとなる……。無法状態の地方都市を舞台に人々の狂騒を描いた傑作長篇。
2024年1月に読んだ5冊目の本です。
「戦争の法」 (文春文庫)。
「バルタザールの遍歴」 (角川文庫)で、日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビューした佐藤亜紀の長編第二作。
佐藤亜紀の感想を書くのは「雲雀」 (文春文庫)(感想ページはこちら)以来の2作目。
ミステリ一辺倒の読書傾向なのですが、しばらく日本ファンタジーノベル大賞を追いかけようとしていた時期があり、佐藤亜紀に関しては、その中で「バルタザールの遍歴」 を受賞直後に単行本で購入して読み、正直なんだかよくわからない部分もあったけれどとても心地よく感じ、そのあともちょくちょく読むようになっています。
どの作品も濃厚というか、凝縮された小説という感がします。
内容もそうですし、字面としても、試しにどれか佐藤亜紀の本を手に取ってみてもらえばわかるのですが、字が多い! 空白が少ない印象を受けます。
いずれの作品も、人物の出し入れや構成が考え抜かれている気配が漂っていて(評論家ではないので、詳細に分析する能力を持ち合わせておりませんが)、難しく感じても、わからないと思っても、読んでいてとても楽しいんですよね。
もちろん、登場人物たちや物語そのものも面白い。それに加えて、なんというか、作品を貫く強い意志、作者の意志が感じられるんですよね──ここがわりとミステリを読んでいる時の感覚に近いのかもしれません。
この「戦争の法」も同様です。
ストーリーは、日本から独立した新潟県──いや、そうは書いてありませんね、N***県を主な舞台に、友人とともにゲリラに身を投じた少年の成長を、その少年の視点から描くものです。
地方(というのも失礼かもしれませんが)が日本から独立というと、井上ひさしの「吉里吉里人」(上) (下) (新潮文庫)を連想しますが、あちらは喜劇調であるのに対し、こちらはシリアス路線。
後ろにソ連がいる、という設定がいかにもな感じを醸し出していますよね。ソ連軍が駐留する N***県(N***人民共和国)のありようが妙にリアル(佐藤亜紀なんで、リアルが感じられるのは当たり前なんですが)。
それも一般市民(と言い切れない人もいますが)の日常生活を通して濃密に、主人公がゲリラとなるまでがしっかり描かれます。
一篇の小説としてみたとき、ゲリラの部分がメインになろうかとは思うのですが、それはゲリラ以前の部分があってこそ。
独立前、独立後、ゲリラの戦闘前、戦闘中、戦闘後、いずれの場合であっても、人々は生活をしていくし、ゲリラだって、軍だって、あるいはソ連軍だってそれは同じこと。
そのことが、時に激しく時になだらかに対比されるように、周到に構築されていて、静と動の交錯に眩暈するほど。
「最初に戦争があるわけではないし、戦争によって社会的な関係性が棚上げされるわけでもない。まず傍目にははっきりと見えない関係性があって、その延長線上にたまたま戦争があり、関係性で結ばれた個人の行動様式が戦争によって変更されるだけなのである。ここで戦争はなし崩しに国際政治の原理から切り離されていつの間にか地方風俗に回収され、煮詰められた関係性を次の段階へ進めるための材料となる。」(解説437ページ)
と佐藤哲也が説いていますが、「戦争の法」というタイトルでも、ここで描かれるのは「戦争の法」にとどまらず「人間の法」「この世の法」とでも呼ぶべき真実だと感じます。
ああ今確かな小説を読んでいるという手ごたえを感じられる、充実の読書時間でした。
以下、印象に残ったフレーズのうちのいくつかを(挙げだしたら多すぎて終わらない!)、自分の心覚えのために引用しておきます。
「極めて知的で、教育もあり、繊細な感性を備えた男であっただけに、戦争が好きだった。にもかかわらず、ではない。大部分の真面目な農民は、ゲリラに身を投じた後も、戦争そのものにはあまり熱心ではない。こんな非常識なゲームに熱狂するのは良識がありすぎるのだ。良識を足蹴にするにはある種の思弁能力と想像力が要る。思弁し想像したことが実際の行動に移されるには、知性と押さえがたい欲望とが癒着していなければならない。知性と欲望が結びつくには、生来ごく繊細で、かつ、よく組織された感性を必要とするだろう。理性で欲望の尻を叩く悪逆の哲学者の誕生である。」(149ページ)
「余程のことでもあれば別だが、人に腹を立て続けたりするには伍長は余りにエゴイストだった。」(225ページ)
「反戦平和で平和は守れるか。もちろん守れると私は確信している。自分の心の平和位なら。武力による世界平和の維持など、どこか余所の戦争好きがやればいいことだ。」(238ページ)
「頭のいい女というのは不幸なものだ。夥しい数の女たちが戻ってきた亭主たちの首に、人目を憚らず、しがみ付いた。同じくらいの数の女たちが尻を蹴って家から追い出した。それもただ単に帰って来てくれて嬉しかったから、或いは腹が立ったから、というだけだ。これなら気が変わっても言い訳が利く。ところが頭のいい女という奴は、自分の感情をきちんと筋道立てて整理しておくから、後戻りが利かないのだ。女が利口に生きるためには頭など不要である。もっともこれは誰でも同じかもしれない」(369ページ)
「だが残念ながら、麻痺と慣れとの間には微妙で決定的な相違がある。前にも書いた通り、暴力に対する感覚が麻痺したら暴力を効果的に行使することはできなくなる。慣れというのは効果を熟知することだ。麻痺と慣れとがどの程度の割合で入り混じっているかには個人差があるが、とりあえず暴力の効果を熟知した我々にとって、ここでの殴り合いや蹴り合いに簡潔で効果的なコミュニケーション以上の意味はない。要するに純粋で儀礼的な暴力行使なのである。現にここに至るまでの立ち回りでも死人は出ていない。出そうと思えばいつでも簡単に出せるのだが。」(377ページ)
<蛇足1>
「殊更な愛国者でなくとも、今だにN***県出身者と知ると非国民扱いする者は多い」(8ページ)
ここを読んで、大昔(高校生の頃)「”今だに” は間違いで ”未だに” と書かなければならない」と言っていた国語教師を思い出しました。
PCの変換で、”今だに” というのは出ないのですね。
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ささやかな謝肉祭 [海外の作家 か行]
<カバー裏あらすじ>
匿名の電話の主は私にどんな話をしようとしたのか。私が指定のバーに赴いたときには、それが誰で、どんな話だったのかは、わからなくなっていた。何者かのマシンガンが、そのときバーにいた全員の生命を奪った後だったのだ。犠牲者のなかには元上院議院の町の実力者オーギュスト・ルモアンも含まれていた。私が呼び出されたこととこの惨状には、どんな繋がりが……一介の新聞記者ウェス・コルヴィンがたどりついた、謎に覆われた虐殺事件の意外な全貌とは? 独特のムードをたたえる古都ニューオーリンズを舞台に放つ話題の新シリーズ第1弾。
2024年1月に読んだ4冊目の本です。
積読本サルベージ。
ジョン&ジョイス・コリントンの「ささやかな謝肉祭」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)。
奥付は昭和63年1月ですから、35年ほど前の訳書です。
舞台となる町・ニューオーリンズの珍しさが売りだったようですね。
寂れた田舎町というほどには小さくなく、かつ寂れてもいないニューオーリンズですが、旧弊な、と言っては語弊がありますね、伝統を守る保守的な土壌のアメリカ南部のニューオーリンズは、この種の古い支配者層の物語を描くにはうってつけの場所だったのかもしれませんね。
読後驚いたのは、ヒューイ・ロングという暗殺される知事が実在の人物だったこと。当方が無知だっただけで、有名な人だったのですね。
この五十年も前の1928年に起きた暗殺事件が物語の底流としてずっと流れています(原書は1986年出版)。
(それにしても、実在の人物、事件を出発点にするにしては、本書は火遊びが過ぎるような気がしないでもありません)
主人公である新聞記者にかかってきた謎の電話。待ち合わせ場所で発生した大量虐殺事件。現場で殺された町の有力者。
一気に物語に引き込まれます。
町の有力者たちが隠している(に違いない)秘密、それを探る新聞記者。
その新聞記者は、有力者の娘に恋してしまった.......
この設定だと、ミステリとしては当然悲劇的な結末へ向けて物語が進んでいくことが容易に想像できるのだけれど、そして実際そういう方向に進んでいくのだけれど、このラストは想像していませんでした。
この結末には否定的な意見を持つ読者もいらっしゃるとは思うのですが、個人的には断固支持!
馬鹿にしていただいて結構! こういうの、いいです。
この作品、
「欲望という名の裏通り」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
「ニューオーリンズにさよなら」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
と続くニューオーリンズ三部作の第一作なので、続きを読むのが楽しみです(当然絶版なのですが、幸いにも前作買って積読になっているのです。実家にあるので、帰省しないと読めないのですが)。
<蛇足1>
「イグナチオには、うち代々の土性っ骨がある。おれにあるのは、ちょいとした笑顔と軽口だ。不公平だと思わねえか?」(16ページ)
「土性っ骨」が、想像はつくものの、わかりませんでした。”どしょうっぽね” と読むようです。「土性骨(どしょうぼね)」の音変化らしく、性質・根性を強調、またはののしっていう語、とのことです。
<蛇足2>
ドニーズは殻の柔らかいカニの身を口に運び、私には鎮痛剤代わりにマティーニを頼んだ。」(211ページ)
時代を感じますね。今だと ”ソフトシェルクラブ” と訳されるのでしょうね。
<蛇足3>
本書の原題は ”So Small A Carnival”
受験英語を思い出してしまいました。遥か昔なのに(笑)。冠詞の位置にご注目ですね。
原題:So Small A Carnival
著者:John William Corrington and Joyce H. Corrington
刊行:1986年
訳者:坂口玲子