中庭の出来事 [日本の作家 恩田陸]
<カバー裏あらすじ>
瀟洒なホテルの中庭で、気鋭の脚本家が謎の死を遂げた。容疑は、パーティ会場で発表予定だった『告白』の主演女優候補三人に掛かる。警察は女優三人に脚本家の変死をめぐる一人芝居『告白』を演じさせようとする──という設定の戯曲『中庭の出来事』を執筆中の劇作家がいて……。虚と実、内と外がめまぐるしく反転する眩惑の迷宮。芝居とミステリが見事に融合した山本周五郎賞受賞作。
2024年4月に読んだ2冊目の本です。
恩田陸の「中庭の出来事」 (新潮文庫)。
山本周五郎賞受賞作。
恩田陸としては、前作「チョコレートコスモス」 (角川文庫)(感想ページはこちら)に続いて演劇が題材として選ばれています。
「中庭にて」
「旅人たち」
『中庭の出来事』
の3つのパートに分かれているようで、『中庭の出来事』は演劇の台本形式になっています。
冒頭「中庭にて1」は中庭を望むホテルのカフェ・レストランでの女優同士の対決シーン。神谷という脚本家の死を回想し、ラストで片方が死ぬ。
続く「旅人たち1」は山中をいく男二人。オフィス街の谷間の中庭で急死した若い女性の話。
「中庭にて2」は「中庭にて1」と同じようなシーンが繰り返される......冒頭と同じようなシーンでおやっと思うのですが、脚本に基づいてオーディションが行われているのだとわかります。それも神谷という脚本家が書いた脚本に基づいて。
「中庭にて3」になると男性のシーンとなり、「旅人たち1」で語られた若い女性の急死の目撃談。
そのあとの『中庭の出来事1』は、脚本形式で、オーディションに挑んだ女優3人と刑事の思われる男の取り調べの様子。
以下「中庭にて」は11、「旅人たち」は7、『中庭の出来事』は10まで語られていき、まとめとして(?)最後に「中庭にて、旅人たちと共に」という章が置かれています。
引用したあらすじにも「虚と実、内と外がめまぐるしく反転する眩惑の迷宮」と書かれていますが、まったくその通り。
どこが(小説の中の)現実で、どこが劇中、あるいは脚本かを考えながら読んでいっても混乱してきます。
神谷という脚本家の書いた脚本は、女優を題材にしたもので、これも混乱に拍車を。
神谷という脚本家の書いた脚本、神谷の死、脚本に基づくオーディション、女優の死。そこにオフィス街の女性の死がどう絡むのか、絡まないのか。そしてそれを語る謎の(?) 男たち。
さらに「中庭にて5」に至って、細渕という脚本家が登場、オフィス街の女性の死を聞き、「中庭にて6」では細渕が楠巴という友人に、構想中の脚本の話(とオフィス街の女性の死)を相談する。この細渕の構想している脚本というのが
「ある舞台脚本家が、新作舞台の女優のオーディションをする。新作舞台は、一人芝居。三人の女優をオーディションに残している。その結果発表と宣伝を兼ねて、彼はここによく似たホテルの中庭で内輪のパーティを開くんだ。そこで、彼は飲んでいた紅茶のカップに毒を盛られて死ぬ」(161ページ)
「捜査の結果、オーディションに残った女優3人に絞られる。被害者の脚本家は、その三人のうちの一人を脅迫していたらしい。何度も脅迫されて金をとられていた女優は、耐え兼ねて金を出すのをついに断る。脚本家は、芝居を書く。その女優を告発する芝居を。彼は、その一人芝居をその本人にやらせようとしていたんだ。だから、彼が発表するはうだったキャストが犯人というわけさ」(162ページ)
「その芝居は巧妙に書かれていて、犯人にはわからない、犯人を指摘するヒントが隠されているらしい。そこで、捜査陣は、実際にその三人に問題の一人芝居を演じさせて、誰が犯人かつきとめようとするんだ」(162ページ)
「実際の女優たちへの取り調べと、彼女たちの演じる一人芝居とが交錯する。その両方から、その一人芝居が誰のために書かれたものか推理していく、という趣向なんだ」(163ページ)
と説明される内容で、一層こんがらがってきます。
「旅人たち3」に
「俺だったら、伏線になる部分や、決めの台詞にそういうものを入れるね。話の構成上、のちのちに繋がっていく台詞、必ず言わなければならない台詞の中に」
「だから、思い出してみるんだ。あの三人の女たちの共通の台詞の中に、犯人を特定できる鍵があるはずだ」(170ページ)
なんて(ミステリとしては)挑発的な台詞も出てきますし、気合を入れて読み返してみても、混乱は深まるばかり......
こういう劇中劇、作中作で、虚実が入り乱れるという趣向そのものがあまり好きではないのですが、そこは恩田陸のこと、しっかり楽しく読むことができました。
結局のところ、何が真実で、何が虚構だったのか、という部分は、いろいろな解釈が可能なのかもしれません。
読者それぞれに真実があるのかもしれません。
以下ネタバレ気味になりますが、見当はずれなコメントである可能性大ながら、ぼくの解釈を記しておきます。
気になる方は以下は飛ばしてください。
結論として、全体が虚、と解釈しています。
すべては細渕という脚本家が書いたもの。
ラストで、細渕と巴の二人も舞台に上げられ、劇中に取り込まれるというメタ趣向のある脚本ですが、細渕が細渕、巴が巴として出演する舞台の脚本、という理解です。
終章で、巴が
「中庭は、都市に似ている。」
「中庭は都市の雛型。あたしたちの住む世界の縮図。人々は常に囲い込まれたがっている。他人からの視線を遮断し、管理され、安全で心地よい場所に逃げ込みたがっている。その一方で、人々は囲い込まれていることに閉塞感と孤独を感じている。だから、人が集まる場所に出てゆき、大勢の中の一人であることを確認せずにはいられない。そして、中庭はいつも「見られる」運命にある。そもそも人々の視線なしには成立しえない空間なのだ。「見られている」という意識は、常に虚構を孕んでいる。中庭は、見る者と見られる者の双方に演技を強いる。それゆえに虚構は中庭の外にも広がっていく。」(483ページ)
と思うシーンがあり、中庭を介在して、そもそも虚構と現実とは交じり合う、という認識が示されています。
とすれば、虚構がすべてを飲み込むことも、現実がすべてを飲み込むことも、あり得るということで、そのことを示すのが本書なのでは、と理解しています。
<蛇足1>
「なんだか、あれを思い出したな。古い探偵小説か何かにあったでしょう? 『笑ったライオン』っていうの」
「『笑ったライオン』? 知らないな。俺は神谷やおまえみたいにミステリ好きじゃないからな」
「有名なトリックですよ。サーカスの芸人で、ライオンに口に頭を入れてみせる芸をする男がいる。ある日、いつものようにその芸をするんですが、その日はなぜかライオンがニタリと笑って、その男をばぶりと嚙み殺してしまう。さあ、どうしてライオンは笑ったのか?」(37ページ)
このあとネタばらしが行われています。要注意。
これ、四十面相クリークの事件簿 (論創海外ミステリ)のなかのエピソードですね。
<蛇足2>
「店もそうだ。動いていても、何をしていても、お客の動きは視界の隅になんとなく入ってくる。お客同士の雰囲気や、何か頼みたそうな気配も、小さな手の動きや視線で伝わる。だから、お客としてよその店に行った時、たいした広さの店舗でもないのに、お客が手を振って呼んでいても気が付かない店員がいるのが不思議でたまらない。ほとんどは自分の仕事の手順をスムーズにするためにわざと無視しているのだろうが、中には本当に気付いていない店員がいて、そいつは正真正銘の馬鹿だと思う。」(300ページ)
教師は教壇からよく見えるというのに続いて語られる場面です。
えっ、そうなんですか? あれ、わざと無視されているんですか......うーむ。
モップの精は旅に出る [日本の作家 近藤史恵]
<カバー裏あらすじ>
クリーンに謎を解くキリコが 目的地も告げず家を出て!?
キリコはミニのフレアにハイヒールで、軽快に掃除をしながら事件を解決する名探偵だ。
英会話学校の事務員・翔子の元に、受講生の男性から婚姻届が届いた直後、男性の身に悲劇が……(「深夜の歌姫」)。読めば元気がわいてくる、大好評シリーズ第4弾! 最終話では、ふだん活動的なキリコ自身が部屋に閉じこもった末に突然旅に出てしまい──!?
2024年4月に読んだ最初の本。
近藤史恵「モップの精は旅に出る」 (実業之日本社文庫)。
前作「モップの精と二匹のアルマジロ」 (実業之日本社文庫)の感想で、
「このあとこのシリーズは出ていないみたいです。
続き、いつか書いてくださいね。」
と書いた待望の続編! なんですが、これが最終巻らしいです。
このシリーズをまとめると、
「天使はモップを持って」 (実業之日本社文庫)
「モップの精は深夜に現れる」 (実業之日本社文庫)
「モップの魔女は呪文を知ってる」 (実業之日本社文庫)
「モップの精と二匹のアルマジロ」 (実業之日本社文庫)
「モップの精は旅に出る」 (実業之日本社文庫)
カバーも揃っていい感じです。イラストは高橋由季さん。
さて、この「モップの精は旅に出る」は
「深夜の歌姫」
「先生のお気に入り」
「重なり合う輪」
「ラストケース」
4編収録の連作短編集。
いつもと違って、キリコの夫である大介の視点でないことにおやっと思いますが、第三者の目から見たキリコというのも、なかなかいいではないですか。
「深夜の歌姫」「先生のお気に入り」は英会話学校が舞台で、そこの職員(講師ではない)の翔子が語り手。
ミステリ的な大きなサプライズはありませんが、ありそう、起こりそうな出来事をちょっと怖く感じます。それをキリコは、これといった手がかりはないけれど、あるだけの情報を繋げて軽やかに解いていく。
「重なり合う輪」は、大学時代の友人がやっているコワーキングスペースを利用している作家森田伊智雄が視点人物。
「男の人と女の人って、見える世界が全然違うんだなって」(204ページ)
というキリコのセリフがとても印象的だったのですが、人間関係を見つめるという点で、作家が視点人物なのはうってつけかな、と思いました。
もう一つ
「もし、簡単に『きみのつらさはわかるよ』なんて言われたら、わたしきっと腹を立てていた」(214ページ)
というのもいいセリフだと思いました。
ラストで森田が
「ふいに思う。次回作は、キュートな清掃作業員が名探偵のミステリというのもおもしろいかもしれない、と。」(215ページ)
と語るのですが、このシリーズ、森田の書いたものだったというメタ趣向!?(←違います)
「ラストケース」は、キリコ自身の事件で、かつキリコ最後の事件(いわゆる”事件”ではないのですが)。
視点は大介に戻っています。
くも膜下出血でこの世を去ったキリコの姉の、生前の態度の謎を解こうとする話。
キリコの家族関係が描かれ、彼女が掃除を、そして人を見つめてきた理由も明かされるので、最後のエピソードとしてふさわしい作品になっています。
けれど、これを最後にしてしまうのは、悲しいですね。もっともっとキリコの活躍を読んでいたいです。
巻末の作者の「あとがき」では
「そろそろ彼女を自由にしてあげたいような気がする。」(286ページ)
とだけ書かれていますので、これからもキリコは活躍していくことでしょう。
そしていつか、近藤史恵の手によって、再びわれわれの前に姿を見せてくれる日が来ることを祈っています。
だって、旅に出たら帰ってこないといけませんよ。家に帰るまでが遠足ですよ。
<蛇足>
「身近に家族がいない状態で、病気で倒れると、かくもまわりの人に迷惑をかけることになるのか。もちろん、家族がいたって家族に迷惑をかけることには変わりはないが、それでも家族ならば他人より、いろいろスムーズに進む。」(194ページ)
当然のことが書かれているだけなのですが、独り身としてはやはりドキッとしますね、こういう部分には。
What the Duck Final Call [タイ・ドラマ]
「What the Duck」の続きですね。「What the Duck Final Call」。
いつもの MyDramaList によると、2019年の3月から5月にかけて、8エピソードで LINE TV で放送されていたようです。
「What the Duck」の1年後に作られたのですね。
この作品は、基本的には「What the Duck」の面々のその後(というか、すぐ続きの作品世界のようです)を描いていますが、新しい主要登場人物が二人。
ひとり目は最下段の右端の Ton 。なにやらお金持ちそう。演じているのは Chuanchai Mahawongs。
お相手はその隣、真ん中に位置している Mai。こちらはバーボーイ(本人は否定していますが)。演じているのは Kitiwhut Sawutdimilin。
バーから逃げようとして捕まり罰を受けようとしていた Mai を Ton が買い受け、見返りを求めずフリーにしてあげたあと、ふとした偶然で出会って......という展開。
二人とも孤児院出身で、というあたりで物語の行く末がわかってしまいそうですね(笑)。
どうしてこの二人が、「What the Duck Final Call」に急に出て来たのか今一つピンときていないのですが、Ton の裕福な父親というのが、Rambo の父親と同じ俳優さんだったので、Ton と Rambo は(血の繋がってない)兄弟という設定なのでしょうね、きっと。
でもこの二人のストーリーは、ほかの人たちとまったく独立して語られます。不思議。
この二人の物語も含めて、それぞれの登場人物たちのその後が描かれるのですが、まあ、てんでバラバラな感が否めません。
Pop と Oat の話も、Rambo が絡んで少々ややこしい展開になります。
Pop の行動もちょっと理解を超えている部分が出てきます──これは脚本のミスでは? と思いつつ、こうしないと物語が流れていかないかもしれないとも考えます。
驚きは、唐突に Oat が出家する(!)という話になること。
タイにおける出家のインパクトがわからないので、物語を正確につかめたのか心許ないのですが、どうも日本でイメージする出家とは違う気がしています。
それでも、これは悲恋なのでしょうね。
それにしても Mew 演じる Pree は最後までかわいそうな役でしたね......
このあと Mew は「TharnType」(感想ページはこちら) に出演するのですね。そちらでは幸せだから、いっか。
最後にテーマ曲を。
軽やかです。英語の字幕がついています。
What the Duck [タイ・ドラマ]
久しぶりにタイドラマの感想です。
今回の「What the Duck」、個人的に衝撃作でした。
タイのBLドラマもかなり数多く見てきたので、かなり免疫もついてきたつもりだったのですが、この作品は超えていましたね。そのあたりは順次。
いつもの MyDramaList によると、2018年の1月から3月にかけて、20エピソードで LINE TV で放送されていたようです。
この作品のメインは、ポスターのカップル。
左側が、キャビン・アテンダントになりたかったけれどなれず、やむなく?航空機用のケータリング会社に就職した Pop、演じているのは Puwanai Sangwan という俳優さんで、愛称は O(Oreo となっていることもあるようです)。童顔で、整った顔立ちをされています。
美容に気を使っているという設定で、日傘をさしていますし、美白美白(笑)。このドラマのスポンサーにきっと化粧品会社がついていたのでしょう。Oreo さんもとても色白ですね。
Pop はかわいいもの好きという設定でもあるようで、会社の机の上に、お風呂に浮かべて遊ぶようなアヒルのトイを置いていたりします。これがタイトルに結びついているのでしょう。
(ひょっとしたらほかにもタイ語としてアヒル関連のなにかが物語にはあるのかもしれないのですが)
おもしろいのは、Pop に彼女 Mo がいる設定であること。Aim Satida Pinsinchai という女優が演じています。いろいろな表情を見せてくれる女優さんで、登場シーンによってくるくる印象が変わります。すごい。
Mo は就職活動に成功し、キャビン・アテンダントになっています。二人一緒にキャビン・アテンダントになるつもりだったのにね。
ちなみに、Mo に思いを寄せるパイロット Nick というのも登場します。
Pop のお相手は会社の先輩である Oat 。右側の男性ですね。演じているのは Charoenchai Khantichaikhajohn という俳優さん。愛称は Strong。
Pop のことをからかいつつ、面倒を見てくれたりもする存在。まあ、どちらかというとトラブルメイカー的存在ではありますが。いわゆるダメ男のように思えます。
この二人の関係は極めて定石的で(当初)とがったところなし。その意味では安心してみることができます。
なので、まあ、ゆるゆると観ていたのですが、Ep.5で驚愕することに。
それがこの二人。
右側は「TharnType」(感想ページはこちら)のTharn(ターン)を演じていた Mew。
Mo のお兄さん Pree という設定です。服装を見てもわかりますが、キャビン・アテンダント。
キャビン・アテンダントを目指す Pop が頼りにしている兄貴的存在(実際彼女の兄ですし)なわけですが、もともと Pop を狙っていた、という設定のようでややこしい(勘の鈍いというか、そうとは知らぬ Pop がなんとも無邪気に絡んでいくのがポイント)。
で、左側がそのお相手、と書いていいのかわからないのですが、Rambo。演じているのは Pakpoom Juanchainat、愛称は Art。キャビンアテンダント同士ですね。この二人、付き合っているという設定。
Pop と Oat のゆるゆるしたドラマを楽しんでいたら、Ep.5 の途中で、いきなりこの二人の濃厚なラブシーンが始まります。
これは、想像を超えていた......BLドラマでよく言われる「肌色」も極まった感があります。
このシーンで、Pree が Rambo にプロポーズするのですが、まあ、すごいですよ──指輪の扱い方にご注目。
正直、このシーンで結構引いてしまったところがあるのですが......
その後この二人は、Rambo の父親のたくらみもあり、別れてしまい(Rambo は Pree に未練たらたらですが)、その後の Rambo はキャビン・アテンダント仲間の Pent に目をつけられて、それからの恋愛遍歴(性遍歴というべきか?) が、これまた、なかなか、なかなか、なかなか。
Pop たちのカップルと、こちらのカップルたちのあまりにも激しい落差がポイントなのかもしれませんが、ちょっとどうなんだろう。こういうシーンを楽しみにしてみる方もいらっしゃるのでしょうが......
Mo と Nick のやりとりもかなり牧歌的(笑)なので余計に。
このあと、Pop と Oat、Mo と Nick、Pree や Rambo 、そして Pen をはじめとする周りの人物との関係がどんどん絡まり合っていきます。
どうも脚本が行き当たりばったりのような気もしないではありません。
この「What the Duck」、Pop たちのカップルのみがまあまあハッピーエンディングを迎え、それ以外は大半がそれぞれ悲しい思いを抱えます。
Pop は、キャビン・アテンダントになろうという転職活動にも成功しますし。
すっきりしない形でシリーズは終わり、続編の「What the Duck Final Call」へ続きます。
20エピソードもあって、終わってないのか! とびっくりしました。
余白の迷路 [日本の作家 赤川次郎]
<帯後ろ側あらすじ>
ベンチで殺されたホームレスは、
かつて思いを寄せた女性だった。
定年後、図書館に通いを日課にしている 三木、70歳。
学校に行けず図書館で時間を潰す 女子高生・早織、16歳。
半世紀以上も歳が離れた二人は、それぞれ平和に暮らしていたはずだったが、近所で起きたホームレス殺人事件に巻き込まれ調査を始めることに……。
2024年3月に読んだ最後の本です。
赤川次郎のノンシリーズ長編です。「余白の迷路」(新潮社)
この作品、赤川次郎にしては珍しい。
なにが珍しいかというと、主人公。
おじいさん、なんです。
短編レベルで老人が主人公というのはあったと思いますが、長編レベルだとなかなかなかった気がします。
もっとも、ちゃっかり(?) この主人公三木は、女子高生早織と仲良くなるんですよね。
そして事件解決に乗り出す。
いいではないですか。
早織の家族も、あっさり三木のことを(怪しい人物ではないと)認めるあたり、ファンタジーと言わざるを得ないのかもしれませんが、いいですよね──こちらが老境に近づいているからこう思うのかもしれませんが(笑)。
老人版ハーレクインロマンスとして、いくつか書いてもらっていい枠組みかも知れません。
(といいつつ、この三木・早織ペアでシリーズ化というのは難しいとは思いますが)
それにしても、赤川次郎の警察不信は相当なものですね。
「今の警察は、一旦容疑者と特定したら、まずどんなに無実を訴えても、聞いてはくれない。
連日の過酷な取り調べで、やってもいないことを『自白』させられてしまう。」(159ページ)
というのからはじまって、
「川崎はむしろ自分から逮捕状の請求を取り下げたようだと記者の間では」(170ページ)
に続くセリフはとてもすごい。
「純代さんが姿を消してしまったことで、厳しい訊問で都合のいい自白を引き出せなくなったからだろう」
「それは川崎が──ということは警察が確かな証拠を握っていないからだ」
「純代さんが祥子さんを殺したという証拠があれば、逮捕状を取って、指名手配でもすればいいのだからね」(ここまで170ページ)
「ひどいことになっているのね、今の日本の警察は」(171ページ)
プロット上の要請というのはあるにせよ、ここまでだと苦笑してしまいます。
そんなにひどいのでしょうか?
「そうだ。──今日は図書館で、あまり気の重くならない本を。海外ミステリーあたりの絵空事の世界に遊ぶことにしよう。
作中人物が、殺されようが恋をしようが、一切責任を読み手が負わされずにすむ。そんな楽しみを与えてくれる本というのも貴重なものだ。」(98ページ)
はじめの方で、三木が考えるシーンがあります。
物語の結びも三木がふたたび本に向かうシーンとなってます。
赤川次郎の作品にも、こういう位置づけが可能なものがたくさんあります。
これからも、娯楽の王道をいく作品を書き続けてほしいです。
タグ:赤川次郎
ヴァンパイア探偵 禁断の運命の血 [日本の作家 喜多喜久]
ヴァンパイア探偵 --禁断の運命の血-- (小学館文庫 C き 1-1 キャラブン!)
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2019/08/06
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
殺人事件が多いことで知られる紅森市。刑事の桃田遊馬が頼りにするのは、古い屋敷で血液の研究をする幼なじみの天羽静也だ。彼は、事件の血液分析を担当し、捜査に協力している。華奢な長身に実験用の黒衣をまとった静也を人は ”ヴァンパイア” と呼ぶが、本人はその渾名を嫌っている。
絞殺された大学教授と衣服ノ血痕の謎。逃亡中の殺人犯と巡査刺殺事件の謎。バラバラ殺人らしき事件と "運命の血" の謎。殺された女性の首の傷痕とヴァンパイアのような人物の謎。そして明かされる静也自身の秘密とは!?
刑事と血液研究者が ”血” を手がかりに難事件に挑む!
2024年3月に読んだ9冊目の本です。
喜多喜久「ヴァンパイア探偵 --禁断の運命の血--」 (小学館文庫キャラブン!)。
「ヴァンパイア探偵2 戦慄の血塗られし狩人」 (小学館文庫キャラブン!)が出ているので、新しいシリーズですね。
この ”キャラブン!” というの、何なんだろうと調べても、”キャラブン!” のHPを見ても、あまりよくわかりませんでした。
wikipedia では『2018年2月からキャラクター文芸を扱う派生レーベル「小学館文庫キャラブン!」を創刊』と書かれているので、文庫内レーベルでしょうか。本屋さんでは、小学館文庫とは別の棚=ラノベを並べている棚に置かれていることが多いようです。探すのに苦労しました(笑)。
ということでは、このシリーズでいうキャラクターとは、タイトルでもあるヴァンパイア探偵こと天羽静也のことでしょうね。
幼なじみで刑事の桃田遊馬が配されています。
この二人の関係、静也→遊馬はBLテイストかな、と読んでいて思うのですが、次第次第に、BLテイストはないとはいえないものの、ずらした設定であることがわかるようになっています。
ブラッド・メイカー ──DNAの罠
ブラッド・オブ・ラブ ──愛の果てに
デスティニー・ブラッド ──生命の源
ブラッド・アンド・ファング ──跋扈するヴァンパイア
以上四話収録の連作短編集です。
血液に関する新たな分析や知識が披露され、それを使って真相を突き止めるという話になっていて、それほそれでとても楽しいのですが、ミステリでいうところの謎解きの興趣というのはありませんね。
そこはちょっと残念な思いですが、静也による目新しい血液分析が決定打になるという話をこれだけ作り出すというのは大変なことだと思うので、贅沢を求めすぎということでしょう。
静也と遊馬の仲も、一歩違う次元へ踏み出したことですし、次巻の「ヴァンパイア探偵2 戦慄の血塗られし狩人」を楽しみに。
カバーイラストがTHORES柴本さんというのも、ポイント高いですしね。
映画:貴公子 [映画]
映画「貴公子」の感想です。
韓流には興味がないのですが、X(旧Twitter)上で、ミステリ映画としておすすめされていたので観ました。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
巨額の遺産を巡って繰り広げられる壮絶な攻防戦を描くアクションノワール。監督・脚本を務めたのは『THE WITCH/魔女』シリーズなどのパク・フンジョン。周囲を翻弄(ほんろう)する謎の男・貴公子をドラマ「海街チャチャチャ」などのキム・ソンホ、予想もしなかった事態に巻き込まれる青年をドラマ「こんにちは? 私だよ!」などのカン・テジュが演じ、『死体が消えた夜』などのキム・ガンウ、『朝鮮魔術師』などのコ・アラらが共演する。
---- あらすじ ----
フィリピンで病気の母と暮らすマルコ(カン・テジュ)は、アンダーグラウンドのボクサーとして日銭を稼いでいた。ある日、父の使いを名乗る男が現れ、一度も会ったことのない韓国人の父が自分を捜していることを知る。韓国へ向かう飛行機の中で、彼は自らを友達と呼ぶ見知らぬ男・貴公子(キム・ソンホ)と出会う。薄気味悪さを感じて逃げ出すマルコだったが、どこまでも執拗(しつよう)に追いかけてくる貴公子の狂気に追い詰められていく。
韓国映画には馴染みが薄いので、映画のHPからも引用しておきたいと思います。
── Introduction ──
予想もしなかった運命に翻弄され、巨額の遺産相続争いに巻き込まれた貧しい青年。彼の前に現れた美しい顔立ちの男“貴公子”は味方か? それとも悪魔か?
次々と傑作を放つ韓国映画界から新たなアクションノワールが登場。一瞬も見逃せないアクションで観客を釘付けにするのは『新しき世界』『THE WITCH/魔女』で絶賛を集めたパク・フンジョン監督。
本作でも銃撃戦、接近格闘、カーチェイスだけでなく、登場人物たちの息詰まる攻防を熾烈なタッチでスクリーンに刻みつける。
さらに『海街チャチャチャ』で大ブレイクを果たしたキム・ソンホが映画初主演を務め、周囲を華麗に翻弄する魅惑的かつユーモラスな“貴公子”を熱演する。
莫大な遺産をめぐって繰り広げられるバトルと駆け引きは観客の予想を裏切る展開の連続。最後に生き残るのは誰か?謎の“貴公子”の真の狙いとは? 絶体絶命の瞬間だけで綴られる“衝撃超え”のドラマが幕を開ける。
── STORY ──
フィリピンで病気の母のために地下格闘で日銭を稼ぐ青年マルコは、韓国人の父の行方を知らない。そんなある日、彼の前に“父の使い”を名乗る男が現れ、マルコは韓国に向かうことに。飛行機の中でマルコが出会ったのは自らを“友達チング”と呼ぶ謎の男“貴公子”。不気味に笑う貴公子に恐怖を感じ逃げるマルコだったが、彼の執拗な追跡と狂暴ぶりに徐々に追い詰められていく…。
なぜ、マルコの前に突然、父親は現れたのか…? 謎の貴公子の目的とは…?すべてが明らかとなった時、マルコはさらなる危機に見舞われる。
何の予備知識もなく観たので、冒頭からずっと出ているカン・テジュ演じるマルコの方が主人公なのだと思っていましたが、タイトルの「貴公子」そしてポスターの写真も、キム・ソンホ演じる殺し屋(?)なんですね。
韓国の言葉はわかりませんが、英語の原題(?) は "THE CHILDE"。
child(子供)ではなく "e" がついているのがポイントで、古い英語のようですね。上品な出身の若者、名門の子供、という意味らしく、なので「貴公子」。
マルコはコピノ(韓国人とフィリピン人の間に生まれた子供)で、長年探していた父親が韓国の大金持ちだったことから、マルコのことを「貴公子」というタイトルで表しているのかと思っていたら、キム・ソンホの殺し屋の呼び名だったんですね。
マルコの方に肩入れしてたんですけどねー(笑)。
「貴公子」が登場するのは、シリアスな戦闘・格闘シーンと、コミカルなシーンが入り混じっているのですが、(個人の趣味の問題とは思いますが)バランスがよくないな、と感じました。
緩急のつけ方と落差が、あまり効果的ではないように思ったのです。
外見、見た目を極度に気にし、「プロだ」と連発する殺し屋というキャラクターはとてもいいのですが。
それでも、富豪一族の無茶苦茶な争いに、マルコを巻き込んだ仕掛けを絡ませたプロットが面白かったです。
ミステリ映画としておすすめされていたのも、わかります。
最後に仕掛けを明らかにした後、フラッシュバックしてみせるところは、とても楽しい。そんなところに貴公子出ていたんだ、とか。
この仕掛けの部分に、ミステリーとしていうならもう一捻り欲しい気もしますが、一族の争いについて、あとは野となれ....的な決着をつけているのもいいですね。いっそ、皆殺しとした方がすっきりしたかも、なんて物騒なことを考えてしまいました。
X(旧Twitter)を見なければ観なかったので、X(旧Twitter)に感謝です。
製作年:2024年
製作国:韓国
原 題:THE CHILDE
監 督:パク・フンジョン
時 間:118分
ゴルフ場殺人事件 [海外の作家 アガサ・クリスティー]
ゴルフ場殺人事件(クリスティー文庫) (ハヤカワ文庫 クリスティー文庫 2)
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/07/08
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
南米の富豪ルノーが滞在中のフランスで無惨に刺殺された。事件発生前にルノーからの手紙を受け取っていながら悲劇を防げなかったポアロは、プライドをかけて真相解明に挑む。一方パリ警視庁からは名刑事ジローが乗り込んできた。たがいを意識し推理の火花を散らす二人だったが、事態は意外な方向に……新訳決定版。
2024年3月に読んだ8作目の本です。
アガサ・クリスティーの「ゴルフ場殺人事件」(クリスティー文庫)。
アガサ・クリスティーの長編第2作で、デビュー作「スタイルズ荘の怪事件」 (クリスティー文庫)に続いてポワロが登場します。
2011年に出た、田村義進さんによる新訳ですね(もう1周り以上昔だ! )。
上にamazonから引用した書影(安西水丸による特別イラスト )を貼っていますが、今回購入したものは違うデザインです。
この作品はハヤカワではなく、創元推理文庫から出ていた「ゴルフ場の殺人」 (創元推理文庫)を大昔に読んでいます。
正直あまり印象に残っていません。失礼ながらあまり際立ったところのない作品だったのでは? というところですが、今回読み返して楽しかったですね。悪くない(←偉そう)。
なにより、ヘイスティングズ! ワトソン役だから頭がよくない、とか、頭が悪い、とかを超えて、これはすごい(ひどい笑)。
──どうしてこのエピソードを覚えていなかったのだろう?
ヘイスティングズの大活躍(悪い意味での)が楽しめました。
オープニングに出てくる ”くそったれ” が、ラストで響き合うように作られているのが見事。
──ところで、このあとヘイスティングズ、どうなったんでしょう? 次の作品は「アクロイド殺し」 (クリスティー文庫) だったのか。どうなってたでしょう?
ところでタイトルのゴルフ場、原題では Links。
日本でもリンクスといいますね。
なんですが、まあ、正直ゴルフ場でなくてもよかった気がしますね。ゴルフシーンが出てくるわけでもない。
死体発見現場がゴルフ場、といいつつ、まだ未完成で造成中。
割と新しいもの好きなクリスティーが取り上げているのですから、発表当時なにか耳目を引くような出来事があったのでしょうか?
ポワロ対フランスの名刑事ジローとの対決、という構図を作ってあるのが愉快ですね。
ことごとにつっかかってくるジロー。受け流すポワロ、という感じは少なめで、しっかり反論(あるいは指摘)し、わざと反発されるようなことを言ってのけるポワロが楽しい。
ポワロが指摘するポイントというのは、当然謎解きにおいて重要な位置を占めるわけですから、読者も注意しながら読みますよね。
注目すべきはやはり、度肝を抜くようなトリックはないけれども、クリスティーの持ち味である、人間関係を背景とした巧妙なミスディレクションが効果的に使われていることでしょうか。
クリスティーの作品の中ではそれほど評価されているわけではない作品でも、十二分の楽しめることが改めてはっきりしたように思います。素晴らしいことですね。
原題:Murder on the Links
著者:Agatha Christie
刊行:1923年
訳者:田村義進
十日間の不思議 [海外の作家 エラリー・クイーン]
<カバー裏あらすじ>
ぼくを見張ってほしい──たびたび記憶喪失に襲われ、その間自分が何をしているのか怯えるハワード。 探偵エラリイは旧友の懇願を聞き入れて、ハワードの故郷であるライツヴィルに三たび赴くが、そこである秘密を打ち明けられ、異常な脅迫事件の渦中へと足を踏み入れることになる。連続する奇怪な出来事と論理の迷宮の果てに、恐るべき真実へと至った名探偵は……巨匠クイーンの円熟期の白眉にして本格推理小説の極北、新訳で登場。
2024年3月に読んだ7冊目の本です。
エラリー・クイーンの「十日間の不思議」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)。
「災厄の町」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)(感想ページはこちら)
「フォックス家の殺人」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)(感想ページはこちら)
に続くライツヴィルものの第3弾。新訳です。
旧訳版を読んだのは確か中学生の頃。ダルく、つまらないな、という感想だったという記憶。
今般新訳で読み直して、印象が大幅に変わりました。
ライツヴィルものはみんなこんな感じですね。面目ない。
とても面白く読みました。
この作品はいわゆる「後期クイーン問題」の象徴的作品です。
ミステリの構造としての問題は難しいのでおいておくとして(←こらっ)、苦悩する名探偵というのは、解説でも触れられているように「ギリシャ棺の謎」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)でも扱われていましたが、とても印象的です。
なにしろこの作品では、エラリー・クイーンは探偵廃業宣言をするのですから。
と、面白く読めるようになったのですが、未だに不満も残ります。
それは、やはり犯人の計画がバカバカしく思えてしまうこと。
この犯人、あるプランに沿うように(沿うように見えるように)まわりを自在にあやつり、あまつさえエラリー・クイーンまで手玉に取って犯行を進めていく、という非常に奸智に長けた設定になっています。
このプランがねぇ......ミステリ的には ”あり” だとは思いますし、こういう稚気は好きなんですけど、やはりねぇ......
また他人をあやつるという性質上、かなり危なっかしい犯行の連続です。特にエラリー・クイーンが絡むところは相当危なっかしい。451ページで絵解きされる場面など、そんなにうまくいかないだろうな、と思ってしまう。
好意的に捉えると、エラリー・クイーン向けのプランだとはいえると思いますし、エラリー・クイーンがそのプランに箔付けしてしまうというのも皮肉が効いていていいです──だからこその廃業宣言ですから。
それでも、初期国名シリーズのように謎解きに特化したような作風だと受け入れやすかったのかもしれませんが、このライツヴィルものはもっと人間よりな作風になっているので、ちょっと困りましたね。
(といいながら、この犯人の稚気に乗っかって、「十日間の不思議」というタイトルにしたエラリー・クイーンの稚気はもう好ましいことこの上なしです)
ライツヴィルものとして面白いなと思ったのは、
前作、前々作の「災厄の町」と「フォックス家の殺人」は、エラリー・クイーンは成功を収めるのだけれど、真相を伏せたが為に世間的には失敗と見られる事件であったのに対し、この「十日間の不思議」は逆に、世間的には大々的な成功として持てはやされるような状況になったのに、(最終的には犯人を突き止めたとはいえ)実際には犯人の手玉に取られて失敗を喫していること、ですね──ラストシーンのあと、エラリー・クイーンが真相を世間に暴露するということもありえなくはないですが、作中でその可能性を退けるセリフがありますので、世間的には成功のままとなっていると思われます。
ひょっとしたらこの構図を作るために、「後期クイーン問題」は産み出されたのかも、と考えるのも楽しい。
こう考えると、バカバカしいと思ったプランも、エラリイ・クイーンを陥れるための(犯人ではなく)作者の企みの反映なのかもしれません。
”問題作” として不朽の名作だな、と感じました。
<蛇足1>
「きみはぼくを心腹の友だと思っている。」(31ページ)
”心腹の友” あまり見ない表現ですね。
知らなくても見ただけでぱっと意味がわかる表現です。
<蛇足2>
「どうにも落ち着かないのは、ヘイトとフォックスの事件を首尾よく解決したのに、事件の性質上、どちらも真相を伏せるしかなく、そのためエラリイのライツヴィルでの活躍は世間からはなはだしい失敗と見なされていることだった。」(53ページ)
「災厄の町」と「フォックス家の殺人」を振り返ってのコメントですが、この「十日間の不思議」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)も含め、ライツヴィルものはエラリイ・クイーンの(表面上)失敗の記録なのかもしれませんね。
エラリー・クイーン、損な役回りですね。かわいそうかも。自業自得!?
原題:Ten Day's Wonder
作者:Ellery Queen
刊行:1948年
訳者:越前敏弥
映画:オッペンハイマー [映画]
映画「オッペンハイマー」の感想です。
第76回アカデミー賞で、作品賞をはじめ監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr)、撮影賞、編集賞、作曲賞と最多7部門で受賞を果たした作品です。
描くは、マンハッタン計画を主導した、原爆の父オッペンハイマー。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーを描く人間ドラマ。ピュリッツァー賞を受賞したカイ・バード、マーティン・J・シャーウィンによる伝記を原作に、人類に原子爆弾という存在をもたらした男の人生を描く。監督などを手掛けるのは『TENET テネット』などのクリストファー・ノーラン。『麦の穂をゆらす風』などのキリアン・マーフィのほか、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jrらが出演する。
---- あらすじ ----
ドイツで理論物理学を学び、博士号を取得したJ・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)は、アメリカへ帰国する。第2次世界大戦中、極秘プロジェクト「マンハッタン計画」に参加した彼は、世界初の原子爆弾の開発に成功する。しかし実際に原爆が広島と長崎に投下されると、その惨状を知ったオッペンハイマーは苦悩する。冷戦時代に入り、核開発競争の加速を懸念した彼は、水素爆弾の開発に反対の姿勢を示したことから追い詰められていく。
描く対象が原爆の父ということで、なかなか日本で映画が公開されず、アカデミー賞を受賞して初めて日本での上映がきまったと理解しています。
実際に観た映画館では、以下のような掲示がされていました。
なんだかんだ日本では議論を呼ぶ映画だとは思いますが、全体を通してみてよくできた映画だな、と思いました。
オッペンハイマーが追いつめられていく取り調べ(裁判ではない、と繰り返し言われていますが、オッペンハイマーに認められていた機密情報へのアクセスが認められなくなったことに対する異議申し立ての審査会のようなものであることがだんだんわかってきます)のシーンとオッペンハイマーの敵役となるルイス・ストローズ閣僚任命に当たっての公聴会(? こちらも裁判ではない、と繰り返し言われます)のシーン、そして、それらに伴う過去の回想シーンとで成り立っています。
映画の構造がすぐには明らかにならないことが、3時間に及ぶ長い映画の牽引力となっていました。
原爆の父であるオッペンハイマーに共産党とのつながりがあって、戦後英雄視されたのち、赤狩りなどに巻き込まれていった、ということは知りませんでした。権力争いの一環として狙われたもの、という設定になっていましたが、そもそも共産党とつながっていそうな人物を中心に据えたのですね。それくらいアメリカも焦っていた、ということでしょうか。
原爆は戦争を終結させるのに必要だったというのがアメリカサイドの統一的な意見というのは(頭で)理解していますが、劇中、オッペンハイマーを追いつめるためとはいえ、この一般的見解とは違う意見が出てくることが興味深い。
トルーマン大統領とオッペンハイマーの、ホワイトハウスでの面談シーンなども印象的でした。そもそもこの統一見解は、そう考えるしかないということから生まれでてきたものだったのかもしれませんね......
同時にこの部分では、水爆をめぐるオッペンハイマーの意見は、もう少し丁寧に描いてもらえるとさらによかったように思いました。
映画のエンディング、アインシュタインとオッペンハイマーの会話と、最後のオッペンハイマーのセリフがとても印象的だったので、なおさらそう思った次第です。
かなり気を配って語られている物語にはなっていて(映画の題材であるオッペンハイマー自身が、そうすることを要求するキャラクターだったのかもしれませんが)、全体を通してよくできた映画という印象であることは間違いないのですが、それでも、原爆実験成功のシーンなどあちらこちらで、観ていて体温が下がっていくような、身体の芯が冷えていくような感覚を覚えてしまいました。
ところで、核爆発をめぐる連鎖反応の議論って、その後究明されているのですよね?
結果はわかっていても、核実験がかなりサスペンスフルになっているのはこの連鎖反応の議論が一役かっているわけで、素人としてその議論の決着が気になりました......(実際に行われた実験で証明されている、ということだったりして......)
最後に、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr等、そうそうたるメンバーが出演しているなかで、ジョシュ・ハートネットの名前があって、おっと思いました。
なんだか久しぶりに見た名前の気がします──といいつつ、映画を観ている間は、それがジョシュ・ハートネットだと気づいていなかったんですが。
製作年:2023年
製作国:アメリカ
原 題:OPPENHEIMER
監 督:クリストファー・ノーラン
時 間:180分
タグ:アカデミー賞