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映画:さらば、わが愛/覇王別姫 [映画]

さらば、わが愛/覇王別姫.jpg

映画の感想です。「さらば、わが愛/覇王別姫」
古い有名な映画です。いままで観たことがありませんでした。
公開30周年、レスリー・チャン没後20周年ということで4Kリマスター版が劇場公開されたので、観に行きました。

予告編を引用しておきます。


映画のHPから STORY を引用します。
京劇の俳優養成所で兄弟のように互いを支え合い、厳しい稽古に耐えてきた2人の少年――成長した彼らは、程蝶衣(チョン・ティエイー)と段小樓(トァン・シャオロウ)として人気の演目「覇王別姫」を演じるスターに。女形の蝶衣は覇王を演じる小樓に秘かに思いを寄せていたが、小樓は娼婦の菊仙(チューシェン)と結婚してしまう。やがて彼らは激動の時代にのまれ、苛酷な運命に翻弄されていく…。

一大絵巻、と呼びたくなる映画でした。
京劇の俳優である蝶衣と小樓(と小樓の妻となる菊仙)の物語であると同時に、中国の時代の流れの物語。

京劇というのは観たことがないのですが、歌舞伎のように男だけで演じるのが主流なのですね。
幼少期の訓練が苛酷でびっくり。まるで曲芸団の訓練のようだと思いました。

女形蝶衣(幼名、というか本名でしょうか、小豆子)をレスリー・チャンが演じていてこれが圧巻。
といいつつ、京劇の女形の甲高い歌声には違和感を覚えてしまいましたが......
対する覇王役の小樓(幼名、小石頭)はそれに比べると普通の人間に見えるのですが(へんな表現で申し訳ないです。それだけ蝶衣が特異な存在に仕上がっているのです)、ここは物語として非常に重要なポイントであるように思いました。

この二人に、菊仙という娼婦が絡み、小樓をめぐって蝶衣と鞘当てをずっと繰り広げる、というのが大枠。菊仙をコン・リーが演じていて、素晴らしい。
蝶衣視点で観てしまうと、敵役なので憎い女(小樓が囚われたときに日本兵のところへ行ってくれ、小樓が釈放されれば小樓とは別れるから、と蝶衣に頼み込んできたくせに、いざ釈放されるとそのそぶりも見せないところとか、ほんとに嫌な奴なんですよ!)ではあるのですが、強く弱い女には見入ってしまいます。

蝶衣と菊仙の対立を、小樓が凡人ならではの感性で、気にかけていなそうなところがまたもどかしい。

そこに時代の波に翻弄される京劇の悲劇が重ね合わされています。
劇中劇である「覇王別姫」の物語が悲劇であることから、この映画そのものも悲劇に終わるのではという予想が全編にわたり底流として観客の意識に流れます。
長い映画ですが、退屈することなく、緊張感を保ってラストを迎えます。

不満を述べておきますと......(ネタバレ気味ですので、ご注意ください)
この映画、非常に濃密に主人公たちを追っていきます(内面を俳優陣がしっかり感じ取らせてくれます)。
ラスト近辺の文化大革命での衝撃的なシーンのあと、時は流れてこれまた衝撃的なエンディングのシーンになります。
この2つの出来事の間の蝶衣と小樓の心の動きに触れられていないのが不満です。
文化大革命でのカタストロフィと呼んでもよさそうなシーンの後の葛藤が観客の想像に委ねられています。すべてを破壊しつくしてしまうような小樓の言動と、どう蝶衣は折り合いをつけたのか、あるいはつけなかったのか、わからないのがもどかしい。
勝手な想像ながら、小樓本人は自ら周りを破滅に追い込んでおきながら、ケロッとしているような気がしているのですが、蝶衣はそうはいかないでしょう......
エンディングについて、物語の結構としてこうでなければならないという以前に、蝶衣の心情から理解できるような気がしているものの、そこに至るまでが飛んでしまっているので、落ちつきません。

不満をあえて買いましたが、見応えのある映画でした。
この巨編を大きなスクリーンで観ることができてとてもよかったです。


<蛇足>
英題 ”Farewell To My Concubine” の Concubine って、妾(あるいは正妻以外の妻)という意味なんですよね......
なんだか含蓄深いです。



原題:覇王別姫 Farewell To My Concubine
製作年:1993年
製作国:中国/香港/台湾
監 督:チェン・カイコー
時 間:172分



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