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写楽 閉じた国の幻 [日本の作家 島田荘司]

写楽 閉じた国の幻(上) (新潮文庫)写楽 閉じた国の幻(下) (新潮文庫)写楽 閉じた国の幻(下) (新潮文庫)
  • 作者: 島田 荘司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/01/28
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
世界三大肖像画家、写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヵ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、誰も知らない。歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎──。発見された肉筆画。埋もれていた日記。そして、浮かび上がる「真犯人」。元大学講師が突き止めた写楽の正体とは─……。構想20年、美術史上最大の「迷宮事件」を解決へと導く、究極のミステリー小説。<上巻>
謎の浮世絵師・写楽の正体を追う佐藤貞三は、ある仮説にたどり着く。それは「写楽探し」の常識を根底から覆すものだった……。田沼意次の開放政策と喜多川歌麿の激怒。オランダ人の墓石。東洲斎写楽という号の意味。すべての欠片が揃うとき、世界を、歴史を騙した「天才画家」の真実が白日の下に晒される──。推理と論理によって現実を超克した、空前絶後の小説。写楽、証明終了。


読了本落穂ひろいです。
2018年1月に読んだ島田荘司「写楽 閉じた国の幻」(上) (下) (新潮文庫)
「このミステリーがすごい! 2011年版」第2位。
「2011本格ミステリ・ベスト10」第7位。

写楽の謎って、なんだかワクワクしますよね。
と言っても、高橋克彦の乱歩賞受賞作「写楽殺人事件」 (講談社文庫)をスタートに数冊ミステリを読んだだけなんですけどね。
でも、謎としてはとても魅力的だと思います。

「誰かが言いましたね、写楽はレンブラント、ベラスケスと並んで、世界三大肖像画家の一人だと」
「クルトですね、ユリウス・クルト」(上巻247ページ)
世界三大肖像画家というのが世界的に一般的かどうかはわかりませんが、写楽の絵は確かに独特で目を引くのは確かですよね。
そんな画家の正体が不明で謎だらけだなんて、なんてミステリ向き(笑)。

後書き、解説でもこの点には触れられています。
「この絵師が誰であるのか解らない、江戸に十カ月間出現し、忽然と消え失せた。そして滞在していた記録が遺ってない、ゆえに誰であるのかが解らない」(後書き438ページ)
「写楽の描く役者の顔は、他の絵師の描くどの絵にも似ていない」
「修業時代の仕事も見当たらない。師もいない。にもかからわず突然著名な出版元が大首絵を刊行し、かと思うと急にいなくなった。」(解説469ページ)

作中でも当然触れられています。
「写楽は、その創作精神がすごく進んでいたんです。二百年進んでいた。あれは人間の動きを一瞬凍りつかせたもので、対象へのアプローチの方法が全然違うんです、欧州の名画群とは」
─ 略 ─
「写楽と、真の意味で比肩し得る傑作。ひとつだけありました、集めた世界遺産的名作群のうちに」
「なんですの?」
─ 略 ─
「運慶快慶の仁王像ですよ」(上巻246ページ)

「彼のもの以外の浮世絵が、これは役者絵、遊女絵、相撲絵、すべてを含むのだが、これらが決めのポーズをモデルがとり、じっとしているところを写した記念写真的静止画像であるのに対し、写楽のものは一瞬の動を的確にとらえようとした、前例のない写真的手法だということだ」(上巻391ページ)
「彼の大首絵は、多く役者の筋肉が最も力を溜め、そのゆえに動きを凝固させた、その一瞬の活写となっているわけだが、歌舞伎は、『見得を切る』という独特のことをするので、定期的にこの瞬間が訪れる。ここに強い面白さを感じ、ちょうどこの刹那に写真機を向けて、シャッターを切るようにして役者の一瞬を画面に定着させた、写楽の筆にはそうした発想のものが多い。」(上巻392ページ)

絵はまったく門外漢で、美術館でも駆け足で有名なのをつまみ食いするか、なんだかわからないけど気にある絵をぼーっと見ているか、という程度なので、写楽の特徴が本当にこうなのかどうかわからないので、そうなのかぁ、と感心しつつ読む始末。

で、この魅力的な謎にどう解決をつけるのか?
「これまでのみな、常識にとらわれすぎ、全員が隘路に入っていたのではないか。その誤りは、聞けばみながあっと言うような、ごく単純なことではないか。そんな思いが去らない。この謎は、常識から自由にならなくては決して解けない気がする。」(上巻406ページ)
なんて自らハードルを上げるところがいかにも島田荘司らしい。

結論は、専門家や学会からはトンテモと言われてしまうものかもしれませんね。
意外なところまで想像の翼を拡げ、へぇ、と思えるような説を展開しています。おもしろい。
自らの説を小説にしてよいところは、写楽の謎を探求する現代編に加えて、この自らの説を裏付けるような江戸編を描き出すことで読者の想像・理解を助けることができることでしょう。
このパートも
「米遣い発想はよ、もう天下のお江戸の銭遣い経済と合ってねぇんだ。時代にまるっきり合ってねぇ。だから札差ばっかが儲けやがる。そいでその金が、吉原と芝居小屋に流れるんでぇ。」(334ページ)
なんて勇み足があったりもするのも含めて楽しいです。

ただ残念なのは、現代のパートに不要と思われるエピソードが散見されること。
特に主人公である元大学講師の家族をめぐる冒頭の部分はまったく不要に感じられ、写楽のみに焦点を当てたほうがすっきりしたと思われます。
もちろん島田荘司のこと、言いたい主張が裏にあり、そのための設定なのだろうことは想像に難くはないですし、その主張もこちらには見当がつきます。後書きにもそのようなことが書かれています。
「『閉じた国の幻Ⅱ』が支えられるだけの物語は、すでに背後にある。」(後書き450ページ)ということですから、ぜひ書いてほしいですね。



<蛇足>
「少し通関に手間取ってしまって……、お待ちになりました?」(下巻400ページ)
成田空港の出迎えのシーンです。
通関に手間取ったとは、何を持ち込んだのでしょうね?(笑)
まったくストーリーと関係ない箇所なので気にすることもないのですが、荷物がなかなか出てこなくて、とあっさり流してもよかったように思います。



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