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さよならドビュッシー 前奏曲 要介護探偵の事件簿 [日本の作家 中山七里]



<カバー裏あらすじ>
さよならドビュッシー』の玄太郎おじいちゃんが主人公になって大活躍!脳梗塞で倒れ、「要介護」認定を受けたあとも車椅子で精力的に会社を切り盛りする玄太郎。ある日、彼の手掛けた物件から、死体が発見される。完全密室での殺人。警察が頼りにならないと感じた玄太郎は、介護者のみち子を巻き込んで犯人探しに乗り出す……「要介護探偵の冒険」など、5つの難事件に挑む連作短編ミステリー。


2023年7月に読んだ3冊目の本です。
中山七里「さよならドビュッシー 前奏曲(プレリュード) 要介護探偵の事件簿」 (宝島社文庫)
タイトルからも自明ですが、
「さよならドビュッシー」 (宝島社文庫)(感想ページはこちら)から始まるシリーズの番外編、というかスピンオフですね。
ただ当方としましては、『さよならドビュッシー』の玄太郎おじいちゃんと言われても覚えていないのですが......(笑)

「要介護探偵の冒険」
「要介護探偵の生還」
「要介護探偵の快走」
「要介護探偵と四つの署名」
「要介護探偵最後の挨拶」
の5編収録の連作短編集です。

探偵役を務めますは、車椅子の老人:香月玄太郎。相棒はその介護士綴喜みち子。
という構図。

この玄太郎、割と老人を主人公に据えた作品では多い設定ではありますが、一代で財をなした資産家で暴君的社長という設定。千街晶之の解説の表現を借りれば「その人柄の一番の特色は、怒りを腹にため込んでおけず、相手が誰であろうが容赦なく罵倒することだ」「暴君的存在ではあるが、彼なりに筋を通している」。
この性格設定が、まったく性に合いませんでした。これはダメです。
冒頭の、偽の名古屋コーチンを出した(?) 料亭の仲居さんを怒鳴りつけるシーンからげんなり。この後女将と対峙するのはいいのですが、雇われ従業員を怒鳴ってどうするというのだろう? 
この段階で、彼なりの筋もへったくれもあるか、と感じてしまいます。
その後も、警察官などを怒鳴りつけ、従わせるシーンの連続で、これを爽快、痛快に感じる方もいらっしゃるのかもしれませんが、その中身が、正論を通しているというよりは、自分の都合、意向だけを押し付けているものにしか思えず、まったく共感できません。
まあ、第二話からは、こちらが馴れたのか、あるいは作者は筆を控えたのか、第一話ほどの嫌悪感は覚えませんでしたが......
ついでに言っておくと、最終話「要介護探偵最後の挨拶」で玄太郎が反省するのですよ。この程度のことで反省するのなら、そもそも暴言など吐くな、と言いたいですし、この程度で反省するのなら長く苦労の多かった人生で今までいくらでも自らを省みるチャンスはあったろうに、この頑固じじい、何を見て、何をしてきたんだ、と言いたくなるくらいです。
第二話の90ページに、従業員が玄太郎のことを弁護するシーンがありますが、こちらもまあ絵に描いたような定番中の定番の擁護発言で苦笑。
こんな爺さんを筋を通している、正論を言っているとか言って持ち上げるのは間違っていると思います。

これは好みの問題ではあると思われるので、さておき、ミステリとしての側面に目を向けることにしましょう。

「要介護探偵の冒険」には密室トリックが出てきます。非常に高名なトリックを使っていますが、現代風にアレンジされているのがミソなのでしょう。

「要介護探偵の生還」は少々時間を遡り、玄太郎が車椅子生活となり、リハビリに挑む姿が描かれます。リハビリ施設での日常で浮かび上がる事件(?) を扱っていて、着眼点はおもしろいと思ったのですが、気になったのは孫の扱い方。ちょっとあからさま過ぎませんでしょうか?
謎解きシーンで孫に触れた刑事のセリフも、少々行き過ぎ感があります。

「要介護探偵の快走」は、玄太郎が言い出す、車椅子による四百メートル競走というのが笑えます。いや、笑っては失礼ですね。すごい。
まあこんなものに玄太郎がわけもなく私財を投じるはずもなく、狙いの見当はすぐについてしまい、結果事件の真相も見え見えになってしまっているのですが。
車椅子についていろいろと知識が披露されていて楽しかったです。

「要介護探偵と四つの署名」では玄太郎が銀行強盗に巻き込まれます。
折々違和感を感じる部分があるのですが、それをラストで一気につなげて回収してしまうところが魅力です。
物語の背景として計画停電が使われているのですが、銀行に緊急時用の自家発電が準備されていないのが不思議です。
なお、真相を知ってから読み返すと、銀行強盗の会話の節々に、この真相だとこういう会話にはならないと感じる箇所があります。
タイトルの四つの署名の使い方は、しゃれていると思いました。

「要介護探偵最後の挨拶」は、シリーズの主役(?) の岬洋平が登場します。
政治の世界を背景に(なにしろ殺されるのが県連代表の政治家)、毒物の摂取経路がわからないという事件。
被害者がクラシックファンだったので、玄太郎が自分の物件の賃借人である岬洋平を引っ張り込む、という構図。
作者の狙いは岬洋平を玄太郎の視点で描くことにあったのでしょうね。
岬洋平もかなりの頑固者に思えました(笑)。

まあ、玄太郎の性格は気に入らないのですが、さすがは中山七里、あれこれ趣向も凝らされており、ぐんぐん読み進むことができました。
シリーズ本編もかなり積読状態なので、読み進めていきたいです!


<蛇足1>
「大方年寄りでしかも病人食しか口にせんから味など分かるまいと高をくくりおったか、このくそだわけが。」(8ページ)
冒頭早々の罵倒です。「たわけ」という語は名古屋で使われるということは知っていましたが「だわけ」と濁ったりもするんですね。新しい発見。

<蛇足2>
「手術が終わっても、玄太郎の身体は未だICU(集中治療室)の中にあった。」(96ページ)
集中治療室にICUとルビが振られているのではなく、ICUに集中治療室とルビが振られています。
このパターン珍しい気がしました。

<蛇足3>
「おおおお、怖や怖や。」(124ページ)
ルビが振られていないのですが、この「怖や怖や」は何と読むのでしょう?

<蛇足4>
「銀行に出入りする者なら警備員でも知っとるATM精査という言葉すらお前は知らなんだからな。」(308ページ)
ここはかなり疑問のある指摘だと思います。
銀行と言っても数多くあり、銀行が違えば用語も違うのが普通で(だからこそ、合併では用語の統一が必要になり、専用の用語マニュアルなどが整備されるのです)、ATM精査というのも、どこの銀行でも使う用語とは言えないからです。

<蛇足5>
「それが本当でしたら、まさしく生き馬の目を抜くような世界ですな。」(331ページ)
政治の世界をたとえたセリフです。
「生き馬の目を抜く」になぜか違和感を感じ、調べました。
「利益を得るのに抜け目がなく素早いさま」というのがもともとの意味なのですね。
ここでは、転じて「他人を出し抜く」「利益のためなら手段を選ばない」というくらいの意味で使われているようです。

<蛇足6>
「いやあ。先達(せんだつ)の演奏を聴いて勉強しているからね。」(362ページ)
先達に「せんだ」とルビが振られていて、あれっと思いました。
この語は徒然草の「先達はあらまほしきかな」というくだりで知ったのですが「せんだ」と当時教わったからです。
調べてみると「せんだつ」とも読むようで、むしろ「せんだつ」の方が優勢のようですね。
そういえば、「奥の細道」の冒頭「月日は百代の過客にして」も「つきひははくたいのかかくにして」と読むと教わりましたねぇ......





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