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からくり砂絵 あやかし砂絵 [日本の作家 た行]


からくり砂絵 あやかし砂絵 (光文社時代小説文庫)

からくり砂絵 あやかし砂絵 (光文社時代小説文庫)

  • 作者: 都筑 道夫
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2010/11/11
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
神田の貧乏長屋に巣食う、砂絵師のセンセーとおかしな仲間たちが、江戸市中で起きた怪事件の謎を解く人気の捕物帳シリーズ。「花見の仇討」「粗忽長屋」といった古典落語の推理小説化を試みた秀作を収めた『からくり砂絵』と、暗号解読、人間消失、動機探しなどの本格推理のエッセンスを満載した『あやかし砂絵』、シリーズ初期のトリッキーな傑作二冊を合本。


この「なめくじ長屋」シリーズは、都筑道夫の高名な捕物帳です。
このシリーズは大昔に角川文庫に収録されていたものを読んでいます。

前巻「ちみどろ砂絵 くらやみ砂絵」 (光文社時代小説文庫)(感想ページはこちら)の感想にも書いたのですが、「小梅富士」という作品を読み返したくなり、実家に戻ればどこかにあるものの探すのも面倒なので買ってしまえと前作を購入したところ、収録されていたのが実は今回の「からくり砂絵 あやかし砂絵」 (光文社時代小説文庫)だったという情けない次第で、せっかく買ったので「ちみどろ砂絵 くらやみ砂絵」 を読み返し(面白いことは保証付きですから)、本命の(?)「からくり砂絵 あやかし砂絵」も買ったものの、悪い癖で長期にわたる積読。
このたびようやく読みました。

「からくり砂絵」の方は
芝居のはずの仇討で本当に人が死んでしまう、第一席 花見の仇討
五人同時に首をつった死体が消え、翌朝再び枝から五人がぶらさがっていた、第二席 首つり五人男
座敷の中で富士に模した大きな庭石で圧殺された老人の謎、第三席 小梅富士
からくり人形に竹光で斬り殺される、第四席 血しぶき人形
水神の祟りで座敷が水浸しになり、続いて人まで死んでしまう、第五席 水幽霊
砂絵描きのセンセ―がゆきだおれたと言われ死体を見に現場に赴くセンセ―、第六席 粗忽長屋
死体が出没して悪さをしでかす、第七席 らくだの馬

「あやかし砂絵」は
張形をにぎって心中死していた妾。アラクマが犯人あつかいされてしまう、第一席 張形心中
夜鷹を狙った連続殺人、第二席 夜鷹殺し
女中が道を見張っていたのに滝不動からおかみさんが消えてしまう、第三席 不動の滝
雲母橋で死んだ男の首が白旗稲荷で見つかる、第四席 首提灯
屏風に描かれた虎に絵師が食い殺される、第五席 人食い屏風
屋根舟で漕ぎ出し気を失っている間に相手の女が殺されてしまう、第六席 寝小便小町
評判の美女を題材にした春本もどきの落とし文騒動、第七席 あぶな絵もどき
とそれぞれ7話収録です。


まず本命中の本命だった「小梅富士」です。
もう未読同然の状態で楽しみました。再読どころか、四度目か五度目だと思うのですが......
四人がかりでようやく運べるような巨石(岩?)に屋敷内で押しつぶされて死ぬ、という強烈な謎で、これが鮮やかに解かれるというのに、何度読んでもトリックとか忘れちゃうんですよね。あまりに合理的すぎて記憶に残らないのかしらん?
今回改めて感心できました。忘れやすい自らの頭に感謝(笑??)。

「からくり砂絵」には落語に題材を求めた作品がいくつかあるのですが、中ではやはり「粗忽長屋」でしょうか。
センセ―が死んでいるといわれ仲間に連れられ、下駄常とともに自分の死体を検分する砂絵描きのセンセ―という落語さながらの状況がおかしいですし、その後の流れが自然なのはさすがです。

「あやかし砂絵」の方は、少々艶めいた話が多い印象。なめくじ長屋にこういう話もあったんですね。
そのためか、トリッキーというよりは話の筋や組み立てで勝負している作品が多いようです。
なので、たとえば「不動の滝」の監視下での人間消失の絵解きも、ズルといえばズルなのですが、自然な仕上がりになっていて不満は感じません。それよりも消失の後の物語が印象に残ります。
「人食い屏風」もそうですね。絵に描いた虎が人を殺すなんてありえない話で、とするとどうしたって解決の道筋はある程度狭まってしまいます。それでもその道筋にならざるを得なかった背景が短い中にもしっかり書かれていて、かつ、物語の落としどころ(センセー含めなめくじ長屋の面々が首尾よく報酬を手に入れられるかも含め)が鮮やかに決まります。

この光文社文庫の版はこのあと買わないうちに品切れ状態になってしまっているようです。
実家に戻れば角川文庫版や旧光文社文庫版があるはずなので、折を見て読み返してみようと思いました。


<蛇足1>
「女の怨みを買うような浮いた話も、男の怨みを買うような沈んだ話も、なんにもなし。」(77ページ)
浮いた話、というはよく使いますが、沈んだ話というのは言わないですね。面白い言い回しです。

<蛇足2>
「近ぢか俳諧の宗匠として、立机(りっき)披露をしようとしている。」(100ページ)
俳諧の宗匠となることを、立机というのですね。

<蛇足3>
「佐兵衛はしっかりした男だから、もうすこし悪だと、店をふとらせ、自分もふとる算段でもして、かえっていいんでしょうが、まったく白鼠……」(100ページ)
佐兵衛は番頭さんです。
白鼠がわからず調べましたところ ”主家に忠実な番頭や雇人” という意味だそうです。

<蛇足4>
持っていた金をだましとられて、途方にくれていたところを、久右衛門に助けられたというこってすから、一所懸命つくすのも、不思議はねえかも知れませんがね。」(102ページ)
もはや駆逐されつくそうとしている「一所懸命」が使われていてほっとします。
一生懸命って、語呂はよくても意味がまったく通らないのですが、どうしてみなさん平気なのでしょうね?

<蛇足5>
「声がかれても、知りませんぜ。なにしろ、ひでえ円通寺ですからね。」(104ページ)
話す相手の耳が遠いことを受けてのセリフです。
円通寺? 
ネットで調べると古典落語から来ているようですね。「景清
落語の方は、耳ではなく目のようですが......

<蛇足6>
「まっさきに武士(りゃんこ)を見限ったのが、富田屋峯吉。」(141ページ)
武士のことを「りゃんこ」と言ったのですね。
両刀を腰に差しているところからあざけっていう語らしく、りゃんとも言ったそうです。

<蛇足7>
「街には日射病の妙薬、定斎屋が天びん棒をかついだ螺鈿の薬箪笥の鐶(わ)を、かったかった鳴らして、威勢よく歩いていた。」(144ページ)
この薬を飲むと夏負けしないという薬を売っている様子らしいです。定斎屋。夏の風物詩だったようですね。
桃山時代、大坂の薬種商村田定斎から名前が来ているとのこと。

<蛇足8>
「とにかく水死体(おどざ)になって、百本杭にひっかかっていやがった」(149ページ)
水死体に「おどざ」とルビが。おどざ? 
ちょっと考えてわかりました。水死体のことを「土左衛門(どざえもん)」と言いますが、そのどざに「お」がついているのですね。

<蛇足9>
「十九で嫁入りってえのは、評判の器量よしにしちゃあ、すこし遅いな。親が手放したがらなかったのかえ?」
「はなのうちは、聟とりをするつもりだったんだそうで──一人っ子でしたからね。」(176ページ)
はなのうち、が調べてもわからず、しばらく考えました。これ、最初のうち、という程度の意味ですね、きっと。
「最初(はな)から、お話ししますとね。」(355ページ)
と最初にはなとルビが振られている箇所もありますし。

<蛇足8>
「藤兵衛にかみさんに、お品に跡とり息子、家族はこの四ったりで、かかりうどなんぞはいないのかえ?」(177ページ)
かかりうどは、掛人あるいは懸人と書くようで、「他人の世話になって生活している人。 居候。 食客。」のことらしいです。

<蛇足9>
「一度にやろうとして、竜吐水をひっぱってきても、無理だろう。」(201ページ)
竜吐水というのは、火消しが使った道具らしいです。時代劇で観たことがあるような気がします。
竜吐水というネーミングがいいですね。

<蛇足10>
「大福餅のあばれ食いをしめえやしめえし、そういうときには、下戸の建ったる倉はなし、というんだあな」(216ページ)
「店の床几に腰かけて、あんころ餅のあばれ食いもできる気軽な店だ。」(282ページ)
あばれ食いというのは知らない語でしたが、暴れ食い、すなわち暴食ですね。

<蛇足11>
「なるほどな。この病いは、めずらしい。傷寒論なんぞには出ていないが、フンダリヤケッタリヤといって、蘭方の書物には、ちゃんと出ている。」(217ページ)
フンダリヤケッタリヤとはなんともいい加減なネーミングで笑ってしまいますが、傷寒論はれっきとした伝統中国医学の古典なんですね。

<蛇足12>
「ふるまいも大胆なら、口かずも多い床上手での。かわらけの女は色深いというが、ありゃあ、そうするように仕込まれたにちげえねえ」(226ページ)
かわらけというのは素焼きの杯のことを指すというのは知っていたのですが、毛のない女性のことを指すとは知りませんでした。

<蛇足13>
「丹波笹山六万石の大名の上屋敷で、高い塀が白じらとつづいている。」(288ページ)
丹波に続くは篠山だと思ったのですが、こちらの字は笹山。昔はこう書いたのでしょうか?

<蛇足14>
「いまの国電神田駅あたり、白壁町は下駄新道にすむ常五郎が、しばしば八辻が原へやってくるのは、砂絵を見るためではない。」(355ページ)
国電には注が必要な時代になっていますね。

<蛇足15>
「孤独松はあの通り、からす天狗がひと晩、腹くだしをしたあげくに、せんぶりを土瓶に二杯も飲んだ、という顔でしょう。」(474ページ)
いったいどんな顔だ(笑)。

<蛇足16>
「田村屋のいまわりの匂いは、だいぶ薄れたな」(478ページ)
いまわりがわからなかったのですが、居回りで、周りという意味なんですね。

<蛇足17>
「私生活に関するもので、春本もどきの文章もあれば、ちょぼくれや謎解きに仕立てたものもある。」(534ページ)
ちょぼくれがわかりませんでした。
Wikipediaによると「願人坊主など大道の雑芸人が、江戸の上野、筋違(すじかい)や両国などの広小路や橋のたもとなど殷賑な地で(幕末から明治にかけては簡易寄席とも言えるよしず張りの小屋「ヒラキ」で見られた)、木魚をたたき、舞ったり歌ったりする芸能である。」とのことです。



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