オタバリの少年探偵たち [海外の作家 た行]
<裏表紙あらすじ>
第二次大戦直後のイギリスで、戦争ごっこにあけくれる少年たちの物語。ある日、みんなでかせいだお金が消えてしまいます。犯人を見つけ、お金をとりもどそうとするうちに、いつのまにか、悪党一味の大犯罪があきらかに……。
「エーミールと探偵たち」 (岩波少年文庫)(感想ページへのリンクはこちら)
「名探偵カッレくん」 (岩波少年文庫)(感想ページへのリンクはこちら)
に続いて児童書です。
岩波少年文庫の児童書はいったんこれで打ち止め。というよりはこの「オタバリの少年探偵たち」が真打で、既読だった「エーミールと探偵たち」 と「名探偵カッレくん」 はいわば前座の位置づけ。
「オタバリの少年探偵たち」は初読です。
作者のセシル・デイ=ルイスはイギリスの桂冠詩人ですが、別名ニコラス・ブレイクでミステリを書いています。「野獣死すべし」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)が有名ですね。これは読んでみなければ、とおもったわけです。
ところが冒頭、
「『オタバリの少年探偵たち』を書くにあたって、私はフランスの映画 “Nous les Gosses” (『ぼくら悪ガキ』)を下敷きにしました。」
と作者が書いています。
あれれ? 本当の意味でのオリジナルではないのですね...
さて、その内容ですが、少年探偵ものとしては、かなりハードです。
最初のほうの、ガラスを割ってしまった仲間のために、みんなでお金を集めようとする、というくだり、牧歌的でいいな、なんて思っていたら、途中でどーんと大展開。本物の、冒険というかスリルです。
子どもたちの勇気に乾杯、といったところでしょうか。大人が関与していたら、きっと危険すぎるので止めたと思いますが。だって、相手は悪党一味ですから。
女の子が出てこないのが時代を感じさせますが(今この種の作品を書いたら、かならず女の子も登場すると思うので)、子どもならではというか、男の子ならでは、というか、助け合って、かばい合って、でも意地を張りあって、というあたりがよく伝わってきます。
エドワード・アーディゾーニの挿絵も(表紙もそうです)、そっけないようで、味があって、なかなかよかったです。
<蛇足1>
この作品の書き出し
「事の起こりからはじめて、結末まで行ったら、そこで終わりにしろ」
ふと岡嶋二人の「クラインの壺」 (講談社文庫)を思い出しました。
手元にないので記憶ベースですが、たしか、「クラインの壺」 も似たような書き出しだったかと。
<蛇足2>
冒頭訳者による「物語のまえに」という導入部分があるのですが、わかりにくい当時の通貨単位と度量衡の説明があって親切です。
それにしても、インチ、フィートの説明で、寸、尺、間を引き合いに出し、「一ヤードは畳の短いほうの幅くらい」という説明はいいとして、「こういう単位は、十進法とちがって計算はめんどうですが、目分量には具合よくでてきているということですね。」っていうのは、どうですかねぇ?
日本では畳をベースにわかりやすい、具合よい、と言えても、イギリスには畳ありませんよ!? さらに最近では日本でも畳のないマンションが増えていませんか?
原題:The Otterbury Incident
作者:Cecil Day Lewis
刊行:1948年
翻訳:脇明子
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