それ以上でも、それ以下でもない [日本の作家 あ行]
<カバー袖あらすじ>
1944年、ナチス占領下のフランス。中南部の小さな村サン=トルワンで、ステファン神父は住民の告解を聞きながらも、集中できずにいた。昨夜、墓守の家で匿っていたレジスタンスの男が、何者かによって殺されたのだ。
祖国解放のために闘うレジスタンスの殺害が露見すれば、住民は疑心暗鬼に陥るだろう。戦時下で困窮する村がさらに混乱することを恐れたステフィン神父は、男の遺体をナチスに襲撃された隣町に隠し、事件の隠蔽をはかる。
だが後日、ナチス親衛隊のベルトラム中佐がサン=トルワンを訪れる。レジスタンスが匿われていると信じる住民にも、目的が判然としないベルトラム中佐にも、ステファン神父は真実を告げることができない……。孤独に葛藤し、村を守るため祈り続けた神父が辿り着いた慟哭の結末とは。
単行本です。
第9回アガサ・クリスティー賞受賞作。
穂波了の「月の落とし子」と同時受賞です。
第8回の受賞作である「入れ子の水は月に轢かれ」(早川書房)の感想に書いたことを繰り返します。
「毎度書いておりますが、アガサ・クリスティー賞は素直におもしろいと思える作品が少なく(少ないどころか、なく、かもしれません...)、おやおやと思っているところ、今回の作品はどうでしょうか?」
結論をいうと、素直におもしろいと思えました!
よかった、よかった。
終戦間近のドイツ支配下のフランスの小村を舞台にして、日本人は(当然ながら)登場しません。
さらに、主人公が神父。
もう、これだけでいかに大胆な設定に挑んでいるかがおわかりいただけれるのではないかと。
非常に重苦しい雰囲気ながら、文章は読みやすく、状況が状況という中での緊迫感、息苦しさに浸りました。
ただ、そのおもしろさがミステリ的なものだったかというと.......と読後思ってしまいました。
しかし、この言い方は公平さを欠いています。
振り返ってみると、この感想は間違っていた、と思います。
この作品はミステリとしても立派な作品だと、そう思っています。その理由を以下に書きます。
事件は、あらすじにも書いてある通り、基本的に、墓守の家で匿っていたレジスタンスの男を殺したのはだれか、という謎です。
戦争の行方によって、村がどうなってしまうのか、という不安が底流として流れていて、なかなか事件に集中できないということもありますが、疑心暗鬼の村の中、事件はなかなか解明の兆しすら見せません。
幾分ネタバレのきらいはありますが、事件の真相は「読み終えてみるとすごくシンプルな話であることがわかる」と選評で北上次郎が評している通りで、すっきりした真相です。
つまり、シンプルな話を、緊迫感ある設定の中で転がしてみせた、ということですね。
時代背景、設定自体が、事件を覆いつくすように仕組まれているのです。
だから、ミステリ的なおもしろさではなかったような気がしてしまったのです。
ミスディレクションとして非常に効果的だったのではないでしょうか。
非常に興味深い狙いを持ったミステリだと感じました。
こういう行き方はミステリとして、最近では珍しい気がします。
似たような例はあるはずだと思うのですが、思い浮かびません。
不満を書いておくと、この内容だと、もっともっと書き込んでおかないといけない気がしました。
特に登場人物たちの書き込みが必要だと思います。
アガサ・クリスティー賞への応募なので枚数に制約があるため、ないものねだり、なのですが。
ミステリとして薄味だと思う方もいらっしゃるとは思いますが、いえいえそんなことはありません。
不満として書いたように書き込みが必要だとは思いますが、非常にレアな狙いを秘めたミステリだ、ととても感心しました。
この後の作者の活躍が楽しみです。
タグ:折輝真透 アガサ・クリスティー賞
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