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映画:イニシェリン島の精霊 [映画]

イニシェリン島の精霊.jpg


映画「イニシェリン島の精霊」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:『スリー・ビルボード』などのマーティン・マクドナー監督によるドラマ。島民全員が顔見知りであるアイルランドの孤島を舞台に、親友同士の男たちの間で起こる絶縁騒動を描く。キャストにはマクドナー監督作『ヒットマンズ・レクイエム』でも組んだコリン・ファレルとブレンダン・グリーソン、『スリー・ビルボード』などのケリー・コンドン、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』などのバリー・コーガンらが集結。ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最優秀男優賞と最優秀脚本賞を獲得した。

あらすじ:本土が内戦に揺れる1923年、アイルランドの孤島・イニシェリン島。島民全員が知り合いである平和な島で、パードリック(コリン・ファレル)は長年の友人であるはずのコルム(ブレンダン・グリーソン)から突然絶縁されてしまう。理由も分からず動揺を隠せないパードリックは、妹のシボーンや隣人ドミニクの助けも借りて何とかしようとするも、コルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と言い渡される。やがて島には、死を知らせると伝承される精霊が降り立つ。


アイルランド内戦当時の孤島を舞台にしています。美しいけれども、寒々とした島です。
コリン・ファレル演じるパードリックが、長年の友人であるコルムから突然絶縁を言い渡される。
いい年したおっさん二人の仲違いを描きます。

基本的にパードリックの視点で進んでいくので、コルムが極めて理不尽にうつります。
人生の残りを考えて、何かを残したい(具体的には作曲した曲)と、くだらない退屈な話しかしないパードリックとの交友を断って、作曲に専念したい、と。
うーん、なんだかな、という感じ。引き合いに出すのがモーツァルト。そんな天才級の作曲家とも思えませんが。
しかも、本気であることを伝えるために、「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」という。
あー、わけがわかりません。
パードリックに説明してもわからないだろうと思ったのでしょうが(実際に、パードリックはまったく理解しません)、極端すぎます。
実際に指を切り落とすんですよね、この人。
ここまで行くと、正直狂人の領域です。
自分を害するだけで、パードリックに害を与えようとはしていないところに、一抹の良心(?) が伺われますが、全体としてはやはり理解を超えちゃっていますね。

パードリックが警官に痛めつけられたとき、手を差し伸べるのがコルムというのも複雑で、感謝しているけれどそれを口にできない(話しかけるな、と言われているから)パードリックの混乱は迫ってくるものがありました。

至極閉鎖的な島(郵便局兼雑貨屋と思われるオバハンのいやらしさたるや...象徴的です)で、なんとかしようとして追いつめられていくパードリックが、飼っていたロバの死(投げ捨てられたコルムの指を食べて窒息死!)を契機に爆発を見せるという展開。
これはこれで行き過ぎ感あるのだけれど、愚鈍な存在として描かれているのがポイント。

コルムとパードリックの確執は、アイルランド内戦のメタファーだとされているようですが、アイルランド内戦ってこんな理不尽としかいいようのないきっかけだったのでしょうか?
イギリスによる搾取・支配、アイルランドの独立、宗教対立等々さまざまな要素があったのだろうと思われますが、そのメタファーにしてはこの二人の対立・関係は構図が重ならない気がしてなりません。

見ている最中も、観終わっても、もやもやしている点があり、それは予言の取扱い。
以下ネタバレになりますが、書いておきたいと思います。

「この島に二つの死(two deaths)が訪れる」と予言する謎めいた老婆が出てきます。
この予言が出てきたとき、コルムとパードリックの二人が相討ちのようなかたちで死ぬのかな、と想像したんです。
ところが劇中で死ぬのはドミニクという登場人物一人だけ(付け加えておくと、コルムもパードリックも死にません)。
字幕がどうだったのか記憶がないのですが、二つの死であって、二人の死ではないので、ロバがカウントに入っていると理解すれば予言は的中です。

話がそれますが、このドミニクの死も謎めいていまして、自殺、事故、殺人、いずれともつきません。
おそらくはパードリック以上に愚鈍で、父親である警官に(肉体的、性的)虐待を受けているという設定で、パードリックをいい人物、優しい人物と信じていたのに、コルムとの確執で変容していくパードリックを見限るという極めて重要な役どころです。

話を戻して、予言的中としてもすっきりしないんです。

というのも、この老婆、パードリックがコルムの家に火を放とうと出かけた際に、「犬に手をかけるんじゃない」と言っているのです。
パードリックは、もともと犬まで殺そうとしていなかったのでしょう(もともと愚鈍でも優しい人物として設定されています)、犬を自分の家に連れていき世話をします。
焼けてしまったコルムの家の前の椅子に、この老婆が腰かけているシーンもあります。
パードリックが犬を連れていくとは思っていなかったでしょうから、犬が生き残ればコルムが死なない可能性が高まると思っていたのかもしれませんし、ひょっとしたら、老婆は焼けている家からコルムを救い出したのかもしれません。
ロバの死を death とカウントするというのも不自然と言えば不自然です。
本来人間二人が死ぬという自らの予言が外れてしまうことを辞さず、老婆がコルムを救い、パードリックが人殺しになるのを救ったとも解釈できるのです。

さらには、やはりロバの死は death にカウントされるものだとして、本来ロバとコルムが死ぬべきところを、老婆が先回りしてドミニクを殺してコルムが死ぬのを阻止した、という解釈だってできます。

あるいは、本来ロバと犬が死ぬべきところ(ロバの死を death にカウントするのなら、犬の死もカウントしてよいはずです)、犬を救うことでコルムの死を促した(結果的にドミニクが死んだけれど)という解釈もあり得るでしょう。

こんなクネクネ考えてしまうのは、ミステリ好きの悪い癖だとは思いますが、理解を超えるパードリックとコルムの確執に、この予言、さらには、ロバは死んだのにコルムが死んでいないのは公平ではないとし、これが闘いの始まりだ、とパードリックがコルムに宣告するラストシーンが加わることで、いつまでもざらざらとした感触の残る映画となりました。



製作年:2022年
原 題:THE BANSHEES OF INISHERIN
製作国:イギリス/アメリカ/アイルランド
監 督:マーティン・マクドナー
時 間:114分


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