SSブログ

チャーリー・チャン最後の事件 [海外の作家 は行]


チャーリー・チャン最後の事件

チャーリー・チャン最後の事件

  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2008/11/01
  • メディア: 単行本


<カバー袖あらすじ>
サンフランシスコの屋敷で、オペラ歌手である美しい女性と四人の男が一堂に会した。
四人の男は全員がその女性の別れた夫。
それぞれの思惑が交錯するなか、突然その女性が殺害される。
ある調査で屋敷に招かれていたホノルル警察のチャーリー・チャン警視が捜査にあたる。
愛憎入り乱れる事件の鍵を握っているのは誰か。
中国系アメリカ人チャーリー・チャン最後の事件、ついに邦訳。


2023年10月に読んだ3冊目の本です。
E・D・ビガーズの「チャーリー・チャン最後の事件」
単行本です。論創海外ミステリ82。

「鍵のない家」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら
「黒い駱駝」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら
とE・D・ビガーズを読んできて、現在手に入る最後の作品ということで、手に取りました。

お屋敷で殺人事件が起こるという、きわめて古典的な物語なのですが、複数の趣向をぶち込んでいることに驚きます。
平凡な邦題(失礼)にしては、読みどころの多い作品のように思いました。
ちなみに原題は "Keeper of the Keys" で、特に最後の事件を匂わせるようなものではありません。
原題はいろいろと含蓄深いタイトルなので、邦題もこれに倣ってもらった方がよかった気がします。

帯に「横溝正史も愛読した幻の作品」とあり、浜田知明による解説でも「横溝正史読本」 (角川文庫)を引き合いにしつつ、「仮面舞踏会」 (角川文庫)に触れられているのが、とても興味深い。
「仮面舞踏会」は印象に残っていないので、買って再読してみようかな?

横溝正史も愛読したということでは、この「チャーリー・チャン最後の事件」に盛り込まれている趣向の一つで、上で触れられている「仮面舞踏会」とは違う横溝正史の某作を連想しました。
同じ趣向とはちょっと違う(大きく違う?)のですが、連想してニヤリとしてしまったのは事実です。

チャーリー・チャンが中国人というのがこのシリーズの大きなポイントですが、この作品にはもうひとり、お屋敷の召使い(執事? 登場人物表では老僕と書かれています)であるシンが出てきまして、対比されるあたりがすごく印象深いです。

チャーリー・チャンが探偵役を務めるこのシリーズは、ノックスの探偵小説十戒の一項目
「主要人物として『中国人』を登場させてはならない。」
に抵触するのが大前提なわけですが、読んでいただくとすぐにわかるように、このシンは単なる召使いというにはとどまらない動きを見せまして、
本格ミステリンに関するもう一つの掟、ヴァン・ダインの二十則の一項目
「端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。」
というのも破ってしまおうとしているのか!? と楽しくなってしまいました。

ただ、確認したところ、ロナルド・ノックスが探偵小説十戒を書いたのは、1928年に編纂・刊行したアンソロジー "THE BEST DETECTIVE STORIES OF THE YEAR 1928" (ヘンリー・ハリントンと共編)の序文とのことなので、チャーリー・チャンのデビュー作である「鍵のない家」(1925年)よりも後ですし、ヴァン・ダインの二十則は「American Magazine」誌1928年9月号に掲載され、1936年刊行の短編集("Philo Vance investigates")に収録されたということなので、ちょっと上の見立ては微妙ですね。





<蛇足1>
「しかもメイドはこの話を打ち明けたときに言った。そこに真実の輪があることを認めるべきだと。」(38ページ)
真実の輪って、何でしょうね?

<蛇足2>
「彼女がみなさんのいずれかに、意識してその子どものことを話したとは思えません。しかし──こういう秘密は時として偶然に発覚するものです。」(38ページ)
話している相手なのですから「いずれか」ではなく「誰か」あるいは「どなたか」とすべきところかと思います。
また「意識して」という部分も日本語として少々不自然です。訳しにくい箇所だとは思いますが、「話そうとして」「伝えようとして」あたりの感覚で話していると思います。

<蛇足3>
こちらの読み落としかもしれませんが備忘として書いておきます。
「でもスワンに関しては──彼の容貌には私も感心できません。彼はランディーニを殺したでしょうか?」(113ページ)
突然外見の話になりびっくりしました。
ここで話題になっているスワンという人物は嫌な奴に設定されており、そういう描写やシーンは何度か出てきていて、その点を登場人物の誰が指摘しても不思議ではないのですが、外見には触れられていなかったように思います。
原語が気になるところです。

<蛇足4>
「手掛かりなら山ほどあります。大安売りできるほどに」彼は何やら思いにふけりながら続けた。「もし私が原告で、この事件を告訴するように求められたら、苦々しい顔で言うでしょう。あまりに手掛かりが多すぎると。しかもそれは、同時にあらゆる方向を指しています」(124ページ)
刑事事件で原告とは? また告訴というのもここでは非常に落ち着きが悪い語ですね。

<蛇足5>
「『ひと晩の徹夜は、十日間の不調のもとといいます』とチャンは微笑んだ。」(132ページ)
こういう言い回しがあるのですね。なかなか含蓄深いです。
反対側の133ページにも、独特の言い回しが出てきます。
「先のことに関しては──川に行き着いたときが靴を脱ぐときなのです」(133ページ)
こちらはおぼろに意味の見当がつきます。

<蛇足6>
「『父には今朝、事件のこれまでの経過をすっかり話してあります』
『みごとな行動です』チャーリーは感心してうなずいた。」(141ぺージ)
感覚の違いにすぎないのですが、「話した」という事実を「行動」と受けるのに違和感を覚えました。

<蛇足7>
「リンゴの花はダンプリング(リンゴ入り蒸し団子のようなデザート菓子)よりはるかに美しいのです」(291ページ)
英語でダンプリングというと、餃子(あるいはそれに似たような料理)を連想してしまったのですが、お菓子もあるのですね。

<蛇足8>
「疑われたくなければ、スモモの木の下で帽子に手を伸ばして整えてはいけないといいます。」(297ページ)
日本では通常「李下に冠を正さず」とされている故事成語ですね。

<蛇足9>
「たとえ黄金のベッドでも病に苦しむ人を癒すことはできません。すぐれた礼節も、すぐれた人間を生むことはできないのです。」(347ページ)
ベッドのたとえはとても面白く感じましたが、後段とのつながりが今一つピンときませんでした。



原題:Keeper of the Keys
作者:E.D. Biggers
刊行:1932年
翻訳:文月なな




nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 10

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。