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リアルの私はどこにいる? [日本の作家 森博嗣]


リアルの私はどこにいる? Where Am I on the Real Side? (講談社タイガ)

リアルの私はどこにいる? Where Am I on the Real Side? (講談社タイガ)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2022/04/15
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
ヴァーチャル国家・センタアメリカが独立した。南米の国や北米の一部も加え一国とする構想で、リアル世界とは全く別の新国家になるという。リアルにおける格差の解消を期待し、移住希望者が殺到。国家間の勢力図も大きく塗り替えられることが予想された。
そんなニュースが報じられるなか、リアル世界で肉体が行方不明になりヴァーチャルから戻れない女性が、グアトに捜索を依頼する。


2023年4月に読んだ1冊目の本です。
森博嗣のWWシリーズの、
「それでもデミアンは一人なのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「神はいつ問われるのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「キャサリンはどのように子供を産んだのか?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「幽霊を創出したのは誰か?」 (講談社タイガ)(感想ページはこちら
「君たちは絶滅危惧種なのか?(講談社タイガ)(感想ページはこちら
に続く第6作です。


ずっと、リアルだバーチャルだという風に物語が展開してきたので、「リアルの私はどこにいる?」 (講談社タイガ)というタイトル自体が不穏で恐ろしい気配。
同時にヴァーチャル国家というものがうごめき始めます。
急展開、ではないかもしれませんが、なかなかに物語が大きく転回していっている気配。

リアルの肉体が行方不明で、ヴァーチャルからリアルに戻れない、というのはぱっと考えても恐ろしいのですが、それはリアルを主と考えているから、なのでしょう。

「そもそも、リアルからヴァーチャルへ個人をシフトさせる試みが、最近話題になっているところだ。それはまだ『先進的』な行為として一般には認識されている。」(32ページ)
というレベル感ではあるものの、リアルからヴァーチャルへのシフトはあちこちで進んでいるような雰囲気ですし、

「もし、ウォーカロンが代替ボディとして使われたとすれば、これは世界的な事件といえるかもしれない。」(60ページ)
「以前から、そうだね、五年ほどまえから考えていた。人がヴァーチャルへ生活の主体をシフトするようになれば、逆に、リアルでは別のボディを受け皿にしたニューライフが登場するんじゃないかって。」(62ページ)

なんて考察をグアドがするくらいには物事は進んでしまっているようです。

「ヴァーチャルでのみ存在する人格というものを、一個人と認めて良いのか、という問題に行き着くのかもしれない。リアルでは、個人は躰の存在で区別ができる。その境界は皮膚の外側であり、思考は頭蓋の中で実行されている。内と外が明確だ。したがって、個人を明確に一人と数えることができる。
 ヴァーチャルへシフトした個人は、このように区別できる存在だろうか?」(81ページ)
もはやここまでくると、個人を超えて、人とは何か、ということになりますよね。
リアルからヴァーチャルへシフトした結果であれば、もともとはリアルの人間だった、という認識が可能ですが、そもそもヴァーチャルから生み出されたヴァーチャル個人であれば、そもそも人間として認めるのかどうか。

「そもそも人間のインスピレーションというものは、人工知能が最も欲しがる能力であり、各方面から研究が進められている。現代では、その半分ほどは起動のメカニズムが解明され、人工的な再現も可能となりつつある。いずれそのうち、人工知能も人間と同様に連想し、発想し、予感し、突飛なことを思いつくようになるはずだ」(142ページ)
インスピレーションまで人工知能が駆使するようになれば、ますますリアルの人間との差はなくなっていきそう。
これらすなわち、人工知能も人間と同等と捉えるのか、ということの壁がどんどんなくなっていく、ということですね。

ヴァーチャル国家というものも、そもそも不穏に感じてしまいますが、ヴァーチャルでも人として認識するのであれば、当然ながら国家もそれを束ね、表象する存在として存在しなければならないのでしょうね。

「戦い? リアルで戦争になる?」
「可能性があります」(146ページ)
なんて物騒な展開になります。
ヴォッシュ博士が
「暴力というものは、リアルに未練がある精神の発想だ。リアルから逃れるのは、暴力を嫌い、争いごとから離れたいことが主な動機になっているはずではないか」(156ページ)
と考えたりもしますが、そもそも存在を脅かされるような状況であれば、ヴァーチャルであれリアルであれ、暴力に訴えざるを得ない局面は想定されるということでしょう。

枠組みとして大きく転回しているように思えますが、もちろんこれらのステップは、真賀田博士の想定内であるはず。

「博士が考案したとされている共通思考なるシステム。実際にどこで稼働し、何を目的にしているのかは、今のところ謎に包まれている。」(63ページ)
「ただ……、おそらく今は、自力で成長している段階なんだろう。鳴りを潜めている。表に出てこないというだけ」(63ページ)
「でも、グアトは、その共通思考が人類に不利益をもたらすものだとは考えていませんよね?」
「そう、私は、マガタ・シキという才能を信じている。これには、理由はない。完全に宗教だね」(63ページ)

宗教という語が出てきましたが、Wシリーズ、WWシリーズは、畢竟、マガタ・シキを信じる物語なのだと思っているので、違和感はありません。

「人間は、今や死を迎えない。それに比べると、ロボットは劣化し、いずれは旧型となって廃棄される。これは、人間以上に生物らしい。」(263ページ)
人間が死ななくなると、確かにこう考えることもできるでしょう。
ロボット、人間、ウォーカロン、そしてヴァーチャルの人間と敷衍していって、
「共通思考でマガタ・シキが見据えた未来は、きっとそれらがすべて同じ生命となったさきのことにちがいない。」(263ページ)
と結論づけるグアドの論考は、当然の帰結なのかもしれません。


いつものように英語タイトルと章題も記録しておきます。
Where Am I on the Real Side?
第1章 私はどこにいるのか? Where is my identity?
第2章 私の存在とは何か? Whaat is my existence?
第3章 存在の根源とは? The origin of existene?
第4章 なにも存在しなければ? What if nothing exists?
今回引用されているのは、ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」 (角川文庫)です。



<蛇足1>
「監視されている方が安全です。ガードしてもらっていると考えれば、晴れやかな気持ちになれます」(112ページ)
ロジのセリフです。
なんだか楽しくなってきます。

<蛇足2>
「一フィートを〇・五ミリにする比率は、さきほどの数字、 六十五万八千五百三の三乗根の、ほぼ七倍になります」
「 六十五万八千五百三は、三かける二十九、八十七の三乗です」(221ページ)
漢数字というのはつくづく読みにくいですね。馴れの問題なのでしょうか?
「一フィートを三・五ミリに縮小するのは、ドイツで発明されたミニチュア・モデルでは一般的で、世界のほとんどの国が、この縮尺を採用しています」(222ページ)
というのはおもしろい豆知識ですね。

<蛇足3>
手元にある、2022年4月15日第1刷版では、上で引用したように、あらすじには「センタアメリカ」と書かれていますが、本文中は「センタメリカ」です。








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